2013年8月4日日曜日

緊急コメント:山口県連続殺人事件について

 何ともいやな事件が起きてしまった。
  山口連続殺人放火事件(2013年7月21日に山口県周南市金峰(みたけ。旧鹿野町)で発生した連続殺人・放火事件)である。報道によると5人の男女とトラブルになっていたある人物が追いつめられて5人を殺し山に逃げ込んだという事件だ。
 私はこの事件について起訴されてもいないので今はこのことを話すことはしないししたくもない。だが、この事件を裁判員裁判で裁いてはいけないし被害者遺族の参加も絶対に認めてはいけない。なぜなら被害者が被疑者を刺し殺そうとして刑事罰になったこともある。こうしたことを配慮に入れると、感情が暴走する裁判員裁判では間違いなく歪んだ判決が出ることになる。
 一般の裁判でもこんな問題がある。

2011年12月07日

モグラ叩きよりはモグラを捕まえろ


オウム裁判、死刑執行「教祖から」…ジャーナリスト・江川紹子さん
産経新聞 11月22日(火)7時55分配信

【オウム裁判 16年目の終結】(10)

 ■ジャーナリスト・江川紹子さん

 「死刑執行の順番を間違えちゃいけない」

 江川紹子さん(53)。一番長くオウムを取材してきたジャーナリストの一人だ。裁判終結の21日は、別の事件の取材があり大阪で迎えた。「ここまで長かった」。今後、手続きが取られていくことになるであろう死刑執行に、思いを至らせる。
 例外はあるが日本の死刑執行は、判決確定日が早い死刑囚から順に執行されるのが原則だ。
 裁判で死刑判決となった元幹部らは13人。罪を認めた元幹部ほど裁判の終結は早い。罪を認めようとしなかった者や、裁判に背を向けた者ほど、審理に時間がかかった。
 「反省して罪を認めた人から刑が執行されるようなことになれば、正義に反する。ましてや犯行を首謀した麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)より先に、弟子が執行されるようであってはならない」
  凶行の犠牲になった坂本堤弁護士とは、昭和62年にフリーのジャーナリストになる以前からの付き合い。当時、教団周辺で目立ち始めたトラブルなどについて も相談していた。その坂本弁護士が平成元年、家族とともに忽然(こつぜん)と姿を消した。「自分はこの事件から逃げられない」。そんな思いに駆り立てられ た。
 7年、オウムに強制捜査が入ると、さまざまなメディアがオウムを取り上げるようになった。「オウムを追及しないといけない」。テレビ局をは しごして出演するなど、オウム追及の急先鋒(せんぽう)を務めた。「今から思うと出過ぎでしたが、当時は、『教団の危うさなどを広く正確に伝えたい』とい う思いで必死だった」。そんな江川さんに教団は、猛毒のホスゲンガスを自宅に投げ込むなどの攻撃をした。
 一連の裁判にも1審を中心に足しげく通った。審理については、麻原死刑囚が何も語らなかったことなどから「真相に十分は迫れなかった」という不満を訴える関係者らの声が少なからずある。
 だが江川さんは、「私は一連の裁判を、もっと肯定的にとらえたい」と話す。
 「確かに時間も費用もかかった。でも、それは法治国家として必要なもので、裁判から得るべきものも多かったのではないか」
 裁判から得るべき教訓をこう考える。「膨大な時間をかけた被告人質問や証人尋問からは、教団やカルト、マインドコントロールといった恐ろしさは、とてもよく出ていたし、十分に伝わってきたと思う。それを法廷だけのものにしないで、社会に還元しないといけない」
 江川さんが最近出版した本のタイトルには、「生きがい」「生きる力」「勇気」といった言葉が並ぶ。若者向けに書いた文章や、編集した番組も多い。
 若者がどんなことに悩み、人生をどう築いていくのか-。オウム取材の延長線上に見えてきた取材テーマの一つだという。
 オウムの若い信者たちは、教団にのめり込んでいくなかで『思考停止』に陥り、考えることをやめてしまった。「オウム信者だけが特別なのではない。今の社会にも、似たような傾向はある。そこに警鐘を鳴らしていく必要がある」(赤堀正卓)=おわり

 残念だが江川の感情的な暴言には待ったをかけたい。
 カルトを抜け出る機会を死刑では永久に奪い取ることになる。私は以前から似非宗教団体を厳しく批判してきた。しかも、その似非宗教団体を悪用する政治屋どもがいるから問題なのだ。


一言で言ってキモい!(小野哲)
テーマ:国家、人権
2008-09-24 18:03:24
総理大臣 麻生太郎氏 統一協会が支援
総務大臣 自民党津島派の鳩山邦夫氏 統一協会が支援
法務大臣 自民党麻生派の森英介氏 年金未納者
外務大臣 自民党伊吹派の参議院議員、中曽根弘文氏 統一協会が支援
財務大臣兼金融担当大臣 自民党伊吹派の中川昭一氏 統一協会が支援
文部科学大臣 自民党町村派の塩谷立氏
厚生労働大臣 自民党無派閥の参議院議員、舛添要一氏(再任)
農林水産大臣 自民党津島派の石破茂氏
経済産業大臣 自民党二階派の二階俊博氏(再任)
国土交通大臣 自民党町村派の中山成彬氏
環境大臣 公明党の斉藤鉄夫氏(再任)
防衛大臣 自民党無派閥の浜田靖一氏
内閣官房長官 自民党伊吹派の河村建夫氏 統一協会が支援
国家公安委員長 自民党古賀派の佐藤勉氏
経済財政担当大臣 自民党無派閥の与謝野馨氏(再任) 統一協会が支援
少子化担当大臣 自民党津島派の小渕優子氏 父親の恵三が支援を受けていた。
消費者行政担当大臣 自民党無派閥の野田聖子氏(再任)
行政改革担当大臣 自民党山崎派の甘利明氏 統一協会と関係あり

 はっきり言おう。これは悪趣味内閣でしかない。
 小渕は何のために入閣したのか。単なる人気取りパンダでしかない。そうでなければ総務大臣に無法大臣と皮肉られた鳩山某が入らないはずがない。
  今回こうして調べるといかに犯罪カルトの統一協会とべったりな人間がいかに多いことか。マインドコントロールの解除には拉致まがいの監禁でやるしかないと いう悲しい現実がある。こうした悲劇に彼らは手を貸している共犯だ。そうした悲劇は統一協会以外にエホバの証人、幸福の科学、創価学会やオウム真理教など があげられる。本当の宗教は絶対的な服従を求めない。
 いい加減にしてほしい。そして、選挙民はこれを見て考えてほしい。

 ちなみに似非宗教団体をフランスではセクトという。その意味をWikipedia日本語版より引用する。

  セクト(Sect)は元来、それぞれの宗教から派生した「分派」のことを指し、一様には定義できないが、近年、宗教団体による深刻な社会問題がしばしば起 こったことで、2001年5月30日、 フランスで人権や基本的自由を侵害する傾向のある団体に対する対策として、「反セクト法」(2001年6月12日施行)が採択されたのを初めとして、ヨー ロッパの各国でも同様な法整備がなされたことから、セクトには「カルト」と同様に、社会的に警戒を要する団体という否定的な意味も加わった。
 セクト指定の判断基準は以下の通り。
信徒(会員)の精神的操作
カリスマ性を持つグル・教祖・指導者や、その側近への権力集中
ピラミッド型組織
財産の接収
唯一排他的な教義
(認知は低いが)この他の判断基準を加える者もある。
指導部の管理
情報源の管理、外部での社会活動の抑制、外者との連絡を断ち切ることの奨励
無謬性・神聖な教義
自分たちの教義が唯一の真理であり、救済への唯一の道と説明。教義に対する全ての批判の抑制
逸脱した神秘主義
事件と自然現象の因果づけ
純粋性
到達不可能な理想を示し、信徒(会員)の行動を規制し、常に更なる努力を求める
独裁性
グル・教祖の強い権力、個人崇拝
秘密教義(秘教主義)
外部への漏洩が厳禁とされる秘密の教義
エリート主義(秘教主義)
信徒(会員)が他者よりも優れているとする
規則を破った場合の嫌がらせや強制懺悔
追放
脱退者との接触の禁止(カトリックの「破門」に似た概念)
信者が自分たちの子供を酷く扱うなどの教義的義務

 ちなみにフランスでは以下の主だった団体が取締対象になっている。

 幸福の科学、創価学会、エホバの証人、統一協会、オウム真理教、霊友会、サイエントロジー
 崇教真光、ヤマギシ

 では、どうやればオウム真理教の悪夢を断ち切れるのか。
 私は以下の提案を行うべきだと思う。

1 死刑囚については一人当たり20人マインドコントロールを解除したら死刑から終身懲役刑、20人で懲役60年に減刑していく。その際にはオウム真理教の流れを汲むアーレフ信者を中心に行う。
2 ひかりの輪(上祐文浩代表)とオウム被害者の和解を急ぐこと。

  要するに、反セクト法の制定と被害者および加害者の対話が必要なのである。無論、加害者の謝罪と償いはそこにワンセットでなければならないのであるが、そ うでもしない限り第二第三のオウムは再発する。また、日本にはセクト団体が極めて多く、エホバの証人による輸血拒否による殺人事件や統一協会の違法な布教 活動によるトラブルなど、深刻な被害をもたらしている。こうしたカルトはフランスでは反セクト法で取り締まられている。
 公安調査庁にはせっかくアーレフとかかわっているのだから全ての信者を集めてオウム真理教の死刑囚や被害者のビデオを見せて、オウムに対する疑問や問いかけを作っていけばいい。そして、そこから疑問を感じたものには対話を重ねていき、洗脳を解除すればいいのである。
  オウムをやめたからいいと言うのではない。むしろ、その発生源が問題である。今回のタイトルにあるように、「モグラ叩き」をやめたいのならモグラを捕まえ ればいいのである。また、洗脳から抜け出た人にはぶり返しを防ぐためにもカウンセリングとリハビリを継続する必要がある。
 ちなみに、以下の団体がある。このノウハウを生かしながら、今後カルトの被害をなくしていく必要がある。


被害者加害者対話支援センター
www.vom.jp/



2011年12月11日

エド・サリバンショーならぬ裁判ショーが止まらない

最近の裁判が劣化している。
 その傾向は裁判員裁判導入でますますひどくなっている。過去のコラムをここに掲載する。

裁判の機能が完全に破壊された日(小野哲)
テーマ:国家、人権
2011-07-25 05:09:19
<英女性殺害>被告に無期懲役判決 明確な殺意認定
毎日新聞 7月21日(木)21時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110721-00000111-mai-soci
  千葉県市川市のマンションで07年3月、英国人英会話講師のAさん(当時22歳)の遺体が見つかった事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた B被告(30代前半)の裁判員裁判で、千葉地裁は21日、求刑通り無期懲役を言い渡した。最大の争点だった殺意について、堀田真哉裁判長は「(解剖医の証 言などから)首を3分以上圧迫しており、明確な殺意があった」と認定した。
 その上で「自己の性欲を満たすため強姦し発覚を恐れて殺害するなど動 機は身勝手。整形手術して逃亡し、解明を妨げるなど刑事責任は非常に重い」と量刑の理由を述べた。一方で「強姦から殺害まで相当な時間が経過している」と して、検察側の主張する強姦致死罪の成立は認めず強姦罪を適用した。
 B被告は「静かにさせようと腕を首に回しただけで、首を圧迫している認識もなかった」と殺意を否認。弁護側は心臓マッサージなどの蘇生措置を行ったなどと、傷害致死罪の適用を求めた。
  判決は「被害者が大声を出して逃げようとしたことで、警察に通報されるなどの危険があり、殺意を抱く動機もあった」と指摘。多くのB被告の供述について 「客観的証拠と矛盾しており、罪と向き合っていない」などと厳しく批判した。B被告は閉廷時、遺族に向かい土下座を試みるようにしゃがもうとしたが、4人 の刑務官に取り押さえられた。
 判決によると、B被告は07年3月25日、市川市のマンション自室でAさんの顔を殴り、手首を縛って性的暴行を加え、翌26日までに首を圧迫するなどして窒息死させた後、ベランダの浴槽に土で埋めて遺棄した。
 弁護人によると、判決直後の接見でB被告は「自分の言っていることは事実。どうしてそれを信用できないと言われるのだろうか」と話したという。弁護側は来週にも再度、接見し、控訴について検討するという。【斎川瞳、中西啓介】
 被告人の実名・年齢、被害者の実名は全面匿名にしています。それは法的リスクを回避し、法令遵守に従うためです。実名は絶対に明かさないように警告します。

 この暴挙を厳しく批判する。
  裁判の機能を破壊した上、検察の言いなり同然の判決もどきである。弁護側は、「Aさんに婦女暴行した後、B被告はAさんと人間関係を築き、許してもらおう と会話をしている。婦女暴行から時間が経過した後に加えた暴行でAさんが死亡するに至った」と指摘している。これに従うとB被告には強姦罪と傷害致死罪が 成立する事になり、2つの犯罪の最高刑はいずれも懲役20年である。それが遺族の厳罰感情だけによって狂わされ、世界中に日本の司法が劣化した事をアピー ルする事になってしまった。
 被告人には是非、控訴してもらいたい(だが、罪とも向き合ってもらうのは当然だろうが今は真実が確定していないので コメントはしない)。被告人に下せる罪はどんなに厳しくても懲役20年であるのは罪刑法定主義((ざいけいほうていしゅぎ) ある行為を犯罪として処罰す る為には、立法府が制定する法令(議会制定法を中心とする法体系)に従い、犯罪とされる行為の内容、及びそれに対して科される刑罰を予め、明確に規定して おかなければならないとする原則)故である。堀田はその原則を忘れたというなら、裁判官失格である。
 また、憂いの果てに ~次男坊のアフォリズム~というブログ(URL http://hatajinan.blog61.fc2.com )によると、この事件での疑問があまりにも多く、無罪論もあったほどだ。法廷でのウィリアム・ホーカー氏の愚劣な態度には私は心から強い憤りを覚えた。愛 娘の死の真相解明どころか、自分勝手に作り上げた検察のストーリーにのって被告人への傍若無人のやりたい放題の態度に、井上静先生ですらも皮肉ったが、私 はこの人間以下のデクノボーなど、皮肉る価値すらもないと見下す(無責任連中書人両断で言葉の鉄拳制裁にしたが、感情混じりの暴言を吐きつづけるならば私 は今後も問答無用かつ容赦しないと明言する)。
 また、被告人の弁護人をつとめた菅野泰氏が被害者参加制度(憲法違反である)により出廷した両親が自身の感情を述べることで「本来は量刑判断と切り離して考えるべき事実認定が、量刑判断に引きずられ、ゆがめられた」と痛烈に批判している。
  日本にはないのだが、海外では法廷侮辱罪がある。ホーカー氏の法廷での被告人への不誠実な対応はこの罪で裁かれるのは明らかである。だが日本では審判妨害 罪として、公訴を提起しなければ処罰することができないが、監置という制度がありこれは裁判官の裁量で処分することができる。裁判官はホーカー氏を直ちに 厳重に処分すべきだった。
 これこそ、急いでハラスメント罪、カルト・セクト規制、憎悪扇動罪と並んで日本が緊急で導入すべき罪なのである。ハラスメント罪と法廷侮辱罪は過去にさかのぼり導入すべきである。
  また、カスゴミ各社に改めて警告する。犯罪被害者の遺族へのインタビューは、あくまでも判決が確定するまでは絶対にしないでもらいたい。むしろ必要なのは 遺族の精神的ケアと、経済的支援であり、被害者参加制度は供述書と書面のみに限定すべきであると、今回の裁判は改めて明らかにした(裁判を見る権利には、 別部屋からモニタリングで見れるようにすればいい)。この制度で被告人は反省したと言えるのか。それなら、荒川沖連続殺傷事件の金川某や秋葉原歩行者天国 殺傷事件の被告人を何と思うのか。
 裁判は情を捨て、理(ことなり)にのみ徹するべきなのだ。裁判が完全に決着した後、被告人やその両親、被告人ファンクラブには言いたい事が山ほどあるので、言わせてもらうが、今は伏せておきたい。
 なお、最後に遺族には改めて厳しい一言を送る。
  キリスト教徒というのなら、今後一切裁判に関わらないことが本当のキリスト教の教えである。ホーカー夫妻の信仰しているキリスト教はサタンそのものである とこき下ろすしかない。キリスト教では裁判を禁じているのだ。菅野弁護人の厳しい批判はホーカー夫妻の暴挙を痛烈に断罪している。

その他の参考資料記事
【千葉】 <解説>裁判員、事実認定に苦慮
2011年7月22日 中日(東京)新聞社
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20110722/CK2011072202000063.html?ref=rank


悪意の連鎖を拡大させただけだ(小野哲)
テーマ:国家、人権
2011-07-01 23:44:38
千葉大女子学生殺害:被告に死刑判決 裁判員裁判で8例目
2011年6月30日 15時12分
  千葉県松戸市で09年10月、千葉大4年のAさん(当時21歳)を殺害したとして、強盗殺人や現住建造物等放火などの罪に問われた住所不定、無職、B被告 (50代前半)の裁判員裁判で、千葉地裁は30日、求刑通り死刑を言い渡した。裁判員裁判での死刑判決は8例目。波床昌則裁判長は「犯行態様は執ようで冷 酷非情、結果も重大。更生の可能性は著しく低い」と述べた。
 B被告は公判で「包丁を取り返そうともみ合いになり、Aさんに刺さった」と殺意を一貫して否認。弁護側は「一生をかけて償わせるのが相当」と死刑回避を求めていた。B被告は最終陳述で「死刑という極刑を望み、おわびしたい」と述べていた。【斎川瞳】
http://mainichi.jp/select/today/news/20110630k0000e040071000c.html
 国際法上、被告人の年齢も含め、全面匿名にしています。
 絶対に検索はしないよう、警告します。

 この前の裁判員裁判ショーを痛烈に批判した我が盟友の指摘が、この事件でもずばり、当たっている。
 悪意を絶とうとして、かえって悪意を再生産しているにすぎないのが今回のハンケツもどきなのだ。

松戸の殺人放火:「どうせ死刑と思った」 被告が証言--第3回公判 /千葉
 松戸市で09年10月、千葉大4年のAさん(当時21歳)を殺害したとして強盗殺人や現住建造物等放火の罪などに問われた無職、B被告(50代前半)の裁判員裁判の第3回公判が10日、千葉地裁(波床昌則裁判長)であった。
 この日は、Aさん殺害後に起こした強盗傷害事件など三つの事件について審理。証拠調べでは、B被告が被害者に「前に人を殺している」などと言って脅していたことが明らかとなった。
 これについてB被告は「(Aさんの)事件以降、『捕まったらどうせ死刑になるから、もうどうでもいい』という気持ちになっていた」と証言し、奪った金でキャバクラに行っていたことも明らかとなった。
 11、12日は公判は開かれず、13日からはAさんの事件で争点となっている殺意の有無について審理される予定。【斎川瞳】
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20110611ddlk12040189000c.html

 これが現実だ。
 我が盟友いわく、犯罪者にとってはかえって有利になってしまった。なぜなら、反省しなくていいと言われているようなものであり、かえって彼らは居直るだけである。
  私は犯罪の構造を絶たない限り、いかに厳罰主義で裁いても犯罪は絶てないと指摘してきた。Aさんの母荻野美奈子女史は「遺体は焼けこげ、最後に抱きしめて やることもできなかった。Aが命をもって訴えている処罰を考えてください。死刑しかありません」と言ったというが、論外だ。これほど逆に娘の魂を踏みにじ る暴挙だ。我が盟友に散々論破されているのが現実だ。
 意見陳述した父荻野卓氏も「無念さを十分審理してください。死刑の求刑をお願いします」と 訴えたらしいが、B被告人を死刑にしてこの種の犯罪はなくなるのか。残念だが、感情で死刑にしろと言われているようなものであり、共感できない。実名で批 判されるということは、それだけ重大な責任があるわけだ。ハンケツもどきの後の『記者会見』には不快感しか感じられない。
 強盗傷害や性的暴行な どの被害に遭った女性4人の量刑について意見にも厳しく批判を下す。被害女性は「名誉も人格も踏みにじられ、命は助かったが心も体もずたずたにされた。死 刑を望みます」としたが、死刑ではかえって被告人には何とも感じないのだ。執行された後、虚しさしか残らないのだ。
 死刑では、年間1億円以上も コストがかかる。それならば、死刑なんてやめてしまい、ソニーやシャープなど非正規労働者を正規労働者にすることを条件に毎日22時間強制労働させ、毎月 反省の手紙を書かせるなどして被害者や遺族の許しを得たら21時間に減らすなどしていけばいい。
 1億円はどうするべきか。被害者・遺族のカウン セリング費用にそっくりそのまま回せば充分だ。ましてや弁護側が最終弁論で指摘したB被告の成育歴には重大な問題点がある。これは死刑にするのは無理な論 理だ。「Aさん事件とその他の事件を足し合わせても死刑のラインには達しない。一生かけて罪を償うのが相当」と指摘したことに私は説得力を感じる。
 被告人はNHKによると判決の後「ありがとうございました」と裁判官や裁判員たちに一礼したという。我が盟友の指摘が正しいほか、B被告はこのハンケツもどきで反省の義務を皮肉な意味で免除されたのである。
 死刑を求めた遺族には我々は大いに失望した。死刑よりも、終身懲役刑を言い渡し、死ぬまでこき使うべきだったのだ。死刑囚に生涯のコストで1億円以上という数値がある。その事実をなんと思うのか。

 なお、裁判員制度・被害者参加制度の改革がないまま、死刑制度が乱用されることに我々は危機感を覚えています。感情で死刑を訴える愚か者には実名で厳しく批判します。人の命を奪う以上、犯罪者と同意でしかないのです。それぐらいの覚悟はあるという事ですな。
 荻野夫妻は今すぐ、この団体に参加すべきです。死刑は意味がないという揺るがない現実を見据えてほしいというのが、まともな考えですよ。

Ocean 被害者と加害者との出会いを考える会(原田正治代表)
http://www.ocean-ocean.jp/
そのほかの参考記事
松戸の殺人放火:論告求刑 死刑巡り主張激しく 検察、連続性強調 /千葉【斎川瞳、中西啓介】
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20110623ddlk12040282000c.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110630/t10013879711000.html

感情論では裁判は成立しない(小野哲)

2011/03/07 07:54

裁判員判決、導入前と刑を比較 性犯罪や傷害致死重く
  2009年の裁判員制度導入の前後で、対象となっている重大事件の判決を比較したところ、性犯罪や傷害致死罪は裁判員裁判の方が裁判官だけの裁判(裁判官 裁判)より刑が重くなっていることが5日、分かった。一方、対象事件全体では、裁判員裁判の方が執行猶予の判決が多く、被告側の控訴率は裁判官裁判を下 回っている。
 また裁判員裁判の執行猶予の際、被告を保護司らの監督下に置く保護観察を付ける判決が裁判官裁判を大きく上回り、更生への強い関心をうかがわせた。有権者が参加したことでめりはりの利いた判断になっているともいえそうだ。
 最高裁が集計した昨年末までの裁判員裁判の有罪判決(被告1646人)と、裁判官裁判だった08年の対象事件の有罪判決(2146人)を共同通信が比較した。
 まず強姦致死傷罪の判決は、裁判官裁判(158人)で最も多いのが「懲役3年超5年以下」(64人)だが、裁判員裁判(89人)は「懲役5年超7年以下」(28人)が最多。より重い「懲役7年超10年以下」(27人)もほぼ同数で、厳しい判決が多くなっている。
 強制わいせつ致死傷罪で最も多い実刑判決も、裁判官裁判が「懲役3年以下」(33人)なのに対し、裁判員裁判は「懲役3年超5年以下」(20人)。
2011/03/05 17:14 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011030501000494.html

 以前、私は裁判員裁判を単なる感情に振り回され、本来の役目である犯罪防止の為の社会的提言が顧みることはないと批判してきた。
 この記事は裁判員裁判の賛美に用いられているようだが、性犯罪で過剰な懲役刑が連発され、ただ刑務所にいるだけという極めて低コストパフォーマンスの実態が無視されている。
  むしろ、被害者のカウンセリング、経済支援こそ充実させるべきであって、今は被告への厳罰は考える手段ではない。私は性犯罪については個人的な見解として 居住・接近制限と強制避妊、罰金刑を掛け合わせた懲役刑を提案している。傷害致死事件については議論は必要だが、悪意の有無がキーワードになると思われ る。
 裁判で最大の問題点は、推定無罪の鉄則という近代国家の基本が全くおざなりにされているところだ。これは見逃してはいけない。また、推測で 有罪無罪が決められている実態も明らかだ。科学的証拠で無罪が明らかなのに有罪をでっちあげられた冤罪被害者は何も高知白バイ『衝突』事件、植草一秀氏痴 漢でっちあげ事件、足利事件だけではない。
 裁判員裁判よりも、優先すべきは事情聴取の時の全面可視化、弁護士の立ち会い義務付けだ。また、逮捕は確実な証拠なしではしないよう義務付けさせるべきだ。死刑制度の全面廃止・執行停止と22時間連続強制労働刑・終身懲役刑の導入も急がれる。
 また、カスゴミ各社の歪んだ犯罪報道にも大きなメスを入れるべきだ。今の被害者・加害者の実名報道を止めて匿名報道に切り替えるべきなのだ。私のコラムではそれを既に実施している。


起こるべくして起こったこと(小野哲)
2010/12/02 22:35

「法律甘い、無期懲役だ」 裁判員が会見で異例発言 札幌地裁(11/13 06:31、11/14 06:36 更新)
 札幌地裁で12日、性犯罪を審理した裁判員裁判の判決後、記者会見に出席した裁判員の男性が懲役4年とした判決に触れ、「日本の法は甘い。無期懲役だ」と述べ、同席した補充裁判員がこれに反発して途中退席する一幕があった。
 この裁判では、被告の男が無施錠の住宅に侵入し女性の体を触ったなどとして、強制わいせつ致傷罪などに問われた。検察側の求刑は懲役5年だった。
 会見には裁判員と補充裁判員計4人が出席。裁判員は「被害者は落ち度のない女性だ」などと述べる中で「無期懲役」発言をした。その直後、補充裁判員の男性は「みんなで評議して、(判決を)決めた意味がない」と述べて退席した。
<北海道新聞11月13日朝刊掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/259835.html

 このニュースを知って私の感想を一言。
 「裁判は感情移入するものではない」。
  たったそれだけだが、問題はいかに被告人に責任を自覚させるかである。厳罰化ではそれは実現しえない。私はこの種の事件には懲役4年に出所後カウンセリン グ(認知行動療法が適切)を受けてもらう、悪質な場合は避妊手術を受けてもらうべきだと考える。むろん、被害者及びその関係者とは生涯接触も許さないとい うのが当然入るべきであろう。
 この前批判した横浜地裁の判決もどきも同じ悪質なものであり、賛同しかねる。今回の暴言はおこるべくしておきた出 来事であり、効果的な刑罰とは何かを考えるべき時期に来ている。死刑などは犯罪を促進させるだけであり、終身刑こそが真の極刑であると私は何度も繰り返し てきた。性犯罪については強制避妊手術を組み合わせた懲役刑及び居住・接近制限がベストである。
 アメリカでは犯罪の多発に三回犯罪を犯せば終身 刑を出すことにしたが、これがとんでもない事態を招いている。なんと、多くの囚人が増えたのである。更に驚くことなかれ、なんと彼らの中からコールセン ターの仕事をさせていて、それだけの雇用が喪失しているのだ。何も囚人労働を私は否定しないが、あからさまだ。しかも刑務所に投資する話まであるのだか ら、おどろきであろう。
 これから取り上げる記事は厳罰化のツケである。私が裁判に感情を持ち込む事を嫌うのはこれからも分かるだろう。

http://www.nnnewsss.com/2009/12/post-23.html
制裁社会、アメリカ三振法が行き着いた先 win (2009年12月24日 21:01)

老人問題の皮肉な解決法 米刑務所が「老人ホーム」化? 受刑者の高齢化進むジョージア州ハードウィック(CNN)
  車いすに乗った高齢者がトランプに興じ、個室には医療用のベッドやおむつ、酸素吸入器が常備されている。老人ホームか病院のような光景だが、ここはジョー ジア州男子刑務所。受刑者の高齢化が進み、そのケアに多額の費用がつぎ込まれている。同様の傾向は全米各地の刑務所でみられ、州当局が対応に苦慮してい る。
 ジョージ・サンゲ受刑者(73)は妻への暴行罪で15年の刑を言い渡され、05年からこの刑務所に収容されている。脚にまひがあるため車い すとつえが手放せず、視力はほとんど失った。1日2回の服薬も欠かせない。所内で2度心臓発作を起こし、病院へ運び込まれた。「ここでは皆が手を貸してく れる。とても親切にしてもらっている」
 ゆっくりとした口調でそう話す。ここは州内の刑務所の中でも高齢者が多く、中には第二次世界大戦の復員兵もいる。最年長者は89歳だ。ほとんどすべての受刑者が、認知症や高血圧、糖尿病など健康上の問題を抱えている。
  米司法省の統計によれば、米国内の刑務所に収容されている55歳以上の男性受刑者は、99年の4万8800人から07年には8万9900人まで増加した。 高齢者人口や高齢者による犯罪自体が増えていること、90年代に多くの州で、罪を3回重ねた被告に自動的に終身刑を言い渡す「三振法」が導入されたことな どが要因とみられる。 これにともない、刑務所での医療費問題が表面化した。「残酷な刑罰」を禁じる合衆国憲法の下、受刑者の医療にかかる費用は各州当局が負担するよう義務付け られ、その総額は全米で年間約30億ドル(約2700億円)に上っている。
 刑務所制度の規模で全米トップクラスに入るジョージア州では、65歳 以上の受刑者にかかる医療費が8500ドル(約75万5000円)と、65歳未満の950ドル(約8万4000円)をはるかに上回り、州の財政を圧迫して いるという。バージニアやペンシルベニアのように、医療設備や看護態勢を整えた高齢者専用の刑務所を設けた州もある。ホスピスの機能を持つ刑務所は全米で 約75カ所と、10年前の10カ所から急増した。一部の州ではコスト削減のため、高齢の受刑者の早期釈放を進めているが、これに対しては再犯の恐れなどを 指摘する反対意見も強い。
 「有刺鉄線の中の老人ホーム」とも呼ばれるジョージア州男子刑務所で、サンゲ受刑者は分厚い眼鏡越しに、ロッカーから取り出した古い写真を見つめていた。「これはベティだな」
 妻の顔と分かるまでに、しばらく時間がかかった。なぜ暴力を振るったのか、今となっては説明できない。同受刑者は当時69歳。前科はなく、子どもや孫にも恵まれていた。「悪いことをしたな。本当に悪かった」
 写真に向かってただ何度も、そうつぶやくばかりだ。
カテゴリ: アメリカ
 これが、厳罰化の現実である。
  刑務所が老人ホームそのものになっているのだ。しかもただで入居しているのだから、唖然呆然ではないか。雇用はないのだからそれだけ安易な金儲けに走るの は自然の理だ。アメリカで児童ポルノ(別名貧困ポルノ)が多いという指摘もうなづける(現に私はこの前インターネットホットラインセンターに通報したケー スではほとんどが違法であった)。
 ではどうすればいいのか。正規雇用が当然、ハラスメント罪及び憎悪扇動罪の導入と取締で大分良くなる。だが、これとてもやり過ぎると監視社会にもなりかねない。試行錯誤があっていいと思う。
Neutralizer加筆:刑務所の老人ホーム化は我が国でも起こっている。老人が住みやすさとコミュニケーションを求めて再犯するケースまで出てきている。我が親友が以前、アメリカ型社会システムを批判したがこれもまた、その悪弊の一つである。

効果の乏しい量刑は意味がない 改訂版(小野哲)
2010/10/06 13:14

求刑上回る判決 高裁も支持2010年9月27日 14時54分 NHK
 裁判員裁判で全国で初めて検察の求刑を上回る判決が言い渡された強制わいせつ傷害事件の裁判で、東京高等裁判所は「1審の判決は従来の傾向より重いが、裁判員裁判の判断なので、重すぎて不当とはいえない」と指摘して、被告側の控訴を退けました。
  この裁判は、埼玉県内に住む会社員T被告(30代)が、路上で女性の体を無理やり触って腕などにけがをさせたとして強制わいせつ傷害の罪に問われたもので す。1審のさいたま地方裁判所は「被告は同じような犯罪を過去に何度も繰り返しており、再犯の可能性は非常に高い」として、裁判員裁判では全国で初めて、 検察の求刑を1年上回る懲役8年を言い渡しました。
 27日の2審の判決で、東京高等裁判所の矢村宏裁判長は「1審の判決は従来の傾向と比べると 重いと言えるが、国民の健全な社会常識を反映させる裁判員裁判の判断だということを考えると重すぎて不当とまでは言えない」と指摘して、被告側の控訴を退 け、1審に続いて懲役8年を言い渡しました。判決のあと、裁判長は「これからの刑はどんどん重くなる。二度と繰り返すことのないように」という異例の内容 で被告に「注意」しました(被告人の実名は伏せてあります。検索しないようお願いします)。
 ハッキリ言おう、矢村には。
 お前は馬鹿だと断じたい。まず、今回の裁判ショーの問題点は犯罪者の再発を防ぐと称して懲罰の厳格化で人々の鬱憤を晴らしているだけだ。それに歯止めどころか煽る暴言とは何事か。明らかに言語道断である。
 今までの犯罪対策が間違っているのは明白である。犯罪者には再犯防止の教育が必要なのは明白だが、それが基本からない。名古屋の闇サイト殺人事件でも被告人の祖母がアイヌ民族で差別されていた事から、ハラスメント罪を制定して取り締まる事だけでも大分違う。
  私はこの種の犯罪には避妊手術を受けさせる、被害者及びその関係者の居住する地域から半径500km以内の接近・居住を認めないという生涯に渡るペナル ティを課した上で懲役7年で処すべきだと言いたい。むろん、出所後もカウンセリングは受けてもらわねばならない。これこそ、被害者の痛みに酬いる制裁では ないか。それがただ懲役8年では、ただ刑務所にいるだけで全くもって意味はないし、かえってこの種のアカポンタンには効き目はない。
 ただ8年刑務所にいても、被告人が反省し、再生する保証はない。それなら、一生の十字架として、強制避妊手術と居住・接近制限を課した上での懲役7年なら意味はある。更に追加すれば、脳死を人の死として受け入れさせて臓器移植させるのなら尚更いい。
  共生主義では、ポピュリズム裁判は裁判ではないと考える。本当に必要な事は、被告人が一生をかけて反省し、償うかである。それには効き目が乏しい厳罰傾向 は全くもって無意味であることは明白だ。それを知らない、いや無視する矢村は裁判官失格と言っておくしかない。そうしたやり方では裁判とは掛け離れた裁判 紛いが蔓延るだけである。本来、裁判は被告人の犯した罪の真相を突き止める場所であり、その結果をどのように裁くかは、あくまでも事実のみで決まると言っ ていい。
 裁判の意味をもう一度考え直すべきであろう。
 また、小沢一郎氏が政治資金規制法に違反した容疑で強制起訴となったが、これもまたポピュリズムのニオイがプンプンする。
  当然ながら、私は小沢氏の説明は納得できない。しかし、検察審査会の基準こそ説明できるほどのスタンダードなのか。今や裁判員裁判が裁判ショーという劣悪 なエンターテイメントパークに成り下がり、犯罪者の再生を妨げる場所になってしまったのだから、小沢氏に対する公正な裁判は担保できない。
 それ が担保できる自信があるなら、森田健作への不当な不起訴処分について今すぐ説明しろと言いたい。それができないなら、三井環氏への不可解な裏金容疑(これ は冤罪であることは明白だが)が虚偽告訴罪であることを自ら証明したに等しい。同様に、被害者がいない痴漢事件で不当な有罪を押し付けられた植草一秀氏の ことも証明可能だ。
 裁判はこのままではどんどん劣化するだけだ。

ただ責めればいいものではない(小野哲)
2011/05/12 10:29

 今回、一見ただの交通事故だと思うだろう。
 しかし、それはとんでもない間違いであることをこれから読み解いていくべきである。

児童6人死亡 「生活のため」持病隠し免許取得 事故当日は睡眠4時間未満
2011.5.4 01:30
  栃木県鹿沼市で登校中の児童6人がクレーン車にはねられて死亡した事故で、A容疑者(20代後半)=自動車運転過失致死容疑で送検=が、持病のてんかんを 隠して免許を取得した理由について「生活のために必要だった」などと供述していることが3日、捜査関係者への取材で分かった。
 また、A容疑者は事故前夜、深夜1時過ぎに布団に入っており、睡眠時間は4時間に満たなかったという。睡眠不足はてんかんの発作を誘発する危険性が高いことから、県警はA容疑者が発作の危険性を認識しながら免許を取得した上、運転していたとみて調べている。
 A容疑者はてんかんの持病で幼いころから医療機関を受診していたが、免許を取得・更新する際には病気を隠していた。捜査関係者によると、「車がないと仕事ができない」と、病気を隠して免許を取得したという。
 ただ、クレーン車を運転する仕事を選んだことについては「クレーン車に乗ったり操作することが好きだった」と供述しており、捜査関係者は、通勤のみに車を利用するケースに比べて悪質性が高いとみている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110504/dst11050401310001-n1.htm

 残念ながら、A被告には結果責任が問われている。
 それについては、裁判員による裁判では冷静な判決が出ない危険性が濃厚であり、裁判官による遺族の参加は調書以外認めない公正な裁判をお願い申し上げる。遺族にはカウンセリングを積極的に配置願いたい。
  最近の裁判は劣悪な見世物同然だ。この弊害については私は何度も口酸っぱく警告を発して来た。それは今回、脇に置いておかねばならない。更にとんでもない 事が毎日新聞の記事で明らかになった。毎日新聞の記事から引用させていただきたい。また、その後に全体的な問題点を指摘する。

栃木・鹿沼のクレーン車暴走:「08年もてんかん原因」 宇都宮地検、運転手起訴
  栃木県鹿沼市で登校中の小学生6人がクレーン車にはねられ死亡した事故で、宇都宮地検は9日、同県日光市内、無職、A容疑者(20代後半)を自動車運転過 失致死の罪で起訴した。地検はA被告が運転中にてんかんの発作を起こしたとし、08年に起こした別の事故もてんかんが原因と断定。この事故は当時「眠気」 が原因と認定され、高瀬一嘉次席検事は「てんかんの捜査をしていれば今回の事故が起きなかった可能性がある。残念だ」とコメントした。
 起訴状な どによると、A被告はてんかんの持病があり、医師に運転しないよう指導されていたのに、4月18日午前7時45分ごろ、同市樅山町の国道293号でクレー ン車を運転。てんかん発作で意識を失い対向車線にはみ出し、登校中の市立北押原小4~6年の児童6人をはね、死亡させたとしている。
 また地検は、A被告が08年4月に当時小学5年の男児をはねた事故も再捜査の結果、てんかんが原因と断定した。当時、A被告は執行猶予付き有罪判決を受けたが、原因は「眠気」とされていた。
 起訴を受け、警察庁は9日、意識障害などを起こす病気にかかっている運転免許申請者に正確な病気の申告を促すよう、都道府県警に通達した。柴田被告が免許の取得・更新時に持病があることを申告していなかったことを踏まえた。【岩壁峻、鮎川耕史】
 ◇正しい免許取得、促進活動を強化--てんかん協会
 日本てんかん協会は9日、「行政などと連携し、運転免許を正しく取得・更新するよう患者に促す活動を強化したい」とコメントした。協会によると、多くの患者が薬を適切に服用するなどして症状の管理に努力を払い、道路交通法の手続きを守って免許を取得している。
毎日新聞 2011年5月10日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110510ddm041040035000c.html

 いずれも、被告に関する個人情報が書かれており、違法性を回避するため、匿名とした(検索は絶対にしないよう、お願い申し上げる)。
  意識障がいが起きやすい病気であるてんかんについては、私は包み隠さない教育が大切だと考えている。以前、筒井康隆氏がてんかんを取り上げたSF小説を教 科書に掲載した事で差別だとして騒動があったが、私は逆にてんかんを正しく伝えるチャンスと捉える。この病気は何か、どうすれば生活面で改善が計れるか だ。
 A被告はその持病を抱えながら生活苦でやむなく病気を隠して来た(クレーン車の運転が好きだというのは本当かは知らないが)。そこに、今回 の問題が単なる交通事故ではないと私が指摘した理由がある。彼らが無理をしないでも過ごせる社会に、日本はなっていないのだ。発達障がいも、つい最近ク ローズアップされてきている。あまりにも、社会的弱者が無理をしなければ生活できない。そこにとんでもない問題点がある。
 では、そういう社会に したのは誰か。ネオコン・ネオリベによる歪んだ政策、言うならばヒトラー小泉、パソナ平蔵(もしくはマック竹中)ではないか。いや、それ以前に無能そのも のだった小渕恵三が際立って罪深い。福祉切り捨て、大企業・大資産家優遇政策と、ルール破壊がこの十数年間の政策の実態だった。そして、弱者には徹底した 支配。その結果が、ホリエモンだったのではないのか。孫正義氏がクローズアップされているということは、それだけ他の財界人とやらがお粗末小物そのものだ と言うことを物語る。
 いや、成果主義で言っても栃木県警察の失態は深刻だ。足利事件でも失態をやらかし、更に今回の事件で捜査が杜撰だったということが明らかになった。これが、法律の抜け道を悪用したサイコパス(精神異常犯罪者といってもいい)なら、それこそやりたい放題ではないか。
  栃木県警察の在り方がこのままでは厳しく問われる可能性がある。それでは、犯罪者にとって望ましい社会になってしまう。『赤信号、みんなで渡れば怖くな い』という北野武の悪趣味なジョークが社会全般の常識になってしまえば、堂々と犯罪をやっていい『犯罪の自由』が日本国憲法で保障されかねないことにな る。栃木県警察は危機感を持って、自らの組織を改革すべきではないか。例えば殺人事件や交通事故などのクラスの犯罪からだが、事情聴取の全面録画、弁護士 の立ち会い義務付けを実施するだけでも違う(別件逮捕でもそれは当然義務付ける)。
 また、ネオコン・ネオリベ一派に警告する。
 今回の 交通事故の真犯人は歪んだ目先の利益優先に走ったあなたがたである。心から反省し、政から身を引きなさい。この交通事故を他人事と思っているようではお粗 末なのだ。本来あるべき社会は、ルールある社会であり、ルールある経済だ。法人税40%ごとき払いたくないなんて駄々っ子言う大企業や所得税をやすくしろ とほざく大資産家なんぞを、昔の人ははしたないと叱ったではないか。そういう人こそ、率先して税金をがっぽり納めるべきなのだ。そうした人から取った利益 を、A被告のような無理をする人に「もう頑張らへんでええで」と声をかけてゆったりしていただく(むろんそこには一定の自助努力も必要なのだが)社会にこ そ、転換すべきだ。
 それが、今の国民の求めている声である。いい加減にしなさい。


 なお、拙コラムでは障害なる言葉は使いません。
 不愉快な表現と考えており、障がいという言葉にしています。その点をご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

最低裁はだませても我々は騙せないぞ、毛沢東橋下(小野哲)

2011/07/24 19:28

橋下知事が逆転勝訴!「懲戒呼び掛け」の賠償認めず
  橋下徹大阪府知事が就任前に弁護士として出演した民放のテレビ番組で山口県光市母子殺害事件の弁護団を懲戒請求するよう呼び掛けた発言をめぐり、弁護団の メンバーら4人が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は15日、360万円の支払いを命じた二審判決を破棄、請求を 棄却した。橋下氏の逆転勝訴が確定した。
 呼び掛けが不法行為に当たるかが上告審の主な争点だった。橋下氏は、広島高裁の差し戻し控訴審で殺意を 一転否認した被告の元少年=死刑判決、上告中(小野注 国際法の一つ・北京ルールズで青少年への死刑判決は禁止されており、日本も批准している。よって死 刑は違法判決である)=側の主張について「弁護団が組み立てた」と述べ、視聴者に「もし弁護団に対して許されないと思うんだったら、一斉に懲戒請求してほ しい」と呼び掛けた。
 判決は発言について「事件の情報を直接持っていないのに、弁護団を非難したのは配慮を欠いた軽率な行為で、不適切だ」とし たが、弁護士の懲戒請求が広く誰にでも認められている点を重視し「発言は懲戒請求そのものではなく、視聴者の判断に基づく行動を求めた内容だ」と判断。
 さらに「耳目を集める事件の弁護活動の当否がさまざまな批判を受けることはやむを得ない。弁護士業務に重大な支障は生じておらず、弁護団の精神的苦痛が受忍限度を超える程度だったとはいえない」と結論付けた。
 一審広島地裁は名誉毀損や不法行為の成立を認定し、800万円の支払いを命令。二審広島高裁は発言内容の真実性や論評の域を出ない点を指摘して名誉毀損を否定し、認容額を360万円に減額。双方が判決を不服として上告していた。
 上告審判決は、名誉毀損の不成立については二審の判断を是認した。
 4人に対しては2007年5月の放送後から多数の懲戒請求が出されたが、所属する広島弁護士会は08年3月、いずれも処分しないと決定した。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/07/15/kiji/K20110715001216760.html

 ネット極右どもは早速この判決もどきを賛美しているようだが、国際法は認めない。
  まず、刑事裁判の原則をしっかりふまえて言わせてもらうが被告人には弁護士をつける権利があるわけだ。その当たり前の権利を誹謗中傷するとは言語道断であ る。橋下は弁護士なのだがらそれぐらいはわかって当然だ。最低裁は騙せても、我々は騙せない。村野瀬玲奈女史など尚更だ。
 橋下の妄言をここに載せる。いかに頭がお粗末なのか、たっぷり把握し、この愚か者を公職追放にするよう明言する。この男は典型的なパラノイアであり、笑い者にしてやらねばならないのである。

逆転勝訴の橋下氏「きちんと判断していただいた」
2011.7.15 22:18
 逆転勝訴の報を受けた大阪府知事の橋下徹氏は15日、大阪府摂津市内で取材に応じ「ありがたい。きちんと判断していただいた。やっぱり最後に頼れるのは最高裁」と話した。
 判決について「1審や2審で負けたので、あまり偉そうなことは言えない」としながらも、「長い裁判で、知事になってからも自分で書面を書いてきたが、僕は弁護士に向いているのかもしれない。国民の皆さんには、制度を正しく活用していただきたい」と余裕もみせた。
 小野注 井上静先生もこの判決を厳しく批判する一方、弁護団の戦略の硬直ぶりを批判している。橋下は弁護士どころか人間失格であることをまたしても証明したのである。
 弁護士に向いているのなら、刑事裁判の基本を知っているのは当然だ。それを知らないとは馬鹿も甚だしい。それともクイズ!ヘキサゴン2でスザンヌ、辻希美らと一緒に『おバカ知事』として出ますかな?
 最低裁は極右や狡猾な反動馬鹿の防壁ではあっても、護民官ではないことを今回のハンケツもどきはまたしても証明したのである。これが、私の見解である。

 一方、敗訴した光市事件弁護団側は、代理人の弁護士が広島市内で記者会見し、「価値のないお粗末な判決。裁判官の見識を疑う」と不満をあらわにした。
  弁護団長の島方時夫弁護士も「この判決に一番驚いているのは、橋下氏本人ではないか」と指摘。当時を振り返り、「あの弁護団はKY(空気が読めない)だっ たが、誰かが元少年の弁護をしなければならなかった。(橋下氏のように)空気の読める人が、どうしてテレビ番組で批判したのか」と改めて非難した。
 小野注 私も同感なのだが、戦略を間違えてはいけない。
  ファシストをこき下ろすには、糾弾というストレートばかりではなく笑いと皮肉というカーブを交え、コテンパンにするのがいい。わが盟友の皮肉は手段の一つ である。井上先生はあまりの硬直ぶりに呆れていた。いや、その左翼でも硬直も甚だしいのは新社会党だ(社民党も劣らずひどい。共産党も真っ青請負であ る)。その硬直ぶりが自身の支持を失ったばかりか、権力者への監視機能を失う結果に繋がった。極めて罪は重い。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110715/trl11071522190010-n1.htm


 橋下には恥を知れと怒鳴りたい。
  江戸時代の武士には死刑が二つあった。切腹とそれ以外の打ち首・鋸挽き(罪人の首を鋸で挽く公開処刑の刑罰で、中世および近世の日本、ヨーロッパや中国で も行なわれた。縛り付けた罪人の首に浅く傷をつけ、その血をつけた鋸を近くに置いて、被害者親族や通行人に一回か二回ずつ挽かせ、ゆっくりと死なせる刑罰 であり、江戸時代より以前には実際に首を鋸で挽かせていた。さらには罪人を逆さに固定し、股から逆に身体を挽く事でさらに苦痛を長引かせる事もあった)で ある。切腹が武士の自らの腹をかっさばく事で自らの潔白を証明すると同時に武士としての勇ましさを示す名誉刑だったのに対して後者は侮辱だ。
 そ の意味を知らぬ橋下は今すぐ恥を知るべき。あの事件ではハラスメントの悪夢も実際あったのだ。死刑ハンケツなど、愚劣なだけで無意味である。目先の厳罰 で、犯罪はかえって増える現実をどう見ているのか。そんな男ごときが『政治的センスがない』とほざくのはドリフのメンバーも真っ青になって匙を投げるに等 しい(いかりや長介なんかあの世で気絶請負だろうし、閻魔大王も舌を引っこ抜くのに疲れて呆れる事間違いなしだろう)。
 傲慢無知の愚か者など、人間失格。今すぐビルマに移住するがいい。それとも、国際法で認められた憎悪扇動罪(あのアメリカでもこの罪はある!)で裁かれて元少年の目の前で見本として死んでみせますかな?
 それと、千葉地裁の裁判員裁判ショーへ遺憾を表明する。
 市川市の英会話語学講師傷害致死事件で、被告人に求刑通りの無期懲役が押し付けられたが、裁判員の方々は検察の主張を鵜呑みしただけで、案山子だったことが明らかである。何のためのチェック機能なのか。
 被告人は控訴することになる。そして、遺族に我々はきっぱり言っておく。これ以上、愛娘の魂を引き裂く暴挙はやめろと。被告人は今回の裁判で真実を明らかにしたという。だが、ネットでは無罪を指摘した人もいる。その疑問に被告人は答えねばならない責務がある。
 こんな暴挙を繰り返すならば、我々は厳しい対応をとらざるをえない。


独善的な教えはキリスト教ではない(小野哲)

2009/11/23 09:39


以前、私は青森県の性犯罪の裁判員裁判を厳しく批判した。
 被告人は感情的な厳罰判決に不満を持って控訴したが、そもそも問題はこの種の無責任な厳罰判決を垂れ流した裁判員の「論理」をどう見るかなのだ。




http://mainichi.jp/select/jiken/saibanin/news/20090905ddm001040032000c.html
裁判員裁判:初の性犯罪審理 求刑通り懲役15年--青森地裁判決
  全国で初めて性犯罪を審理した裁判員裁判で、青森地裁(小川賢司裁判長)は4日、2件の強盗強姦(ごうかん)罪などに問われた住所不定、無職、A被告 (22)に対し、求刑通り懲役15年の実刑判決を言い渡した。判決は「極めて身勝手な動機から、女性の人格を無視した卑劣な犯行を重ね、生涯癒やされない 心の傷を負わせた。被害者が被告に厳しい処罰を望むのは当然で、重く受け止めなければならない」と指摘した。
 法廷では被害者の実名や住所が伏せ られたが、被害状況は詳細に読み上げられ、裁判員裁判が原則とする「口頭主義」と被害者保護のバランスの難しさが課題に上がった。裁判員を務めた牧師の渋 谷友光さん(45)は判決後の会見で「守秘義務がない傍聴席に犯行内容が読み上げられていくのは大丈夫かと思った」と振り返り、被害者が別室からモニター 越しに意見陳述したビデオリンク方式は「被害者の音声を変えても良かった」と話した。
 注 被告人は判決に不服の為控訴している為、被告人の実名を伏せさせてもらいます。


 被害者の厳罰感情ばかりが優先された結果、裁判は本来、被告人にどう更正の道を歩ませるかという原点を失った。
 私は渋谷の素性に疑問を持ち、調べ上げた。そうしたら、寒気のする情報が分かった。日本アッセーンブリー・オブ・ゴット教団という教団の上層団体はベルギー政府からカルト認定を受けていることがWikipedia日本語版で明らかになっている。
  渋谷は判決を出す際悩んだと言っているようだが、私はキリスト教の教えに従って裁判員に招集された段階で思想的に拒否すべきだったと言うしかない。日本の 裁判員制度はナチスドイツの傘下にあったフランス・ヴィシー政府の制度をそっくりそのまま導入していることが明らかになっているからだ。聖書を深く読め ば、裁判員になるべきではないことは明白だろう。渋谷のいう「キリスト教」というのはエホバの証人や統一協会のような連中と同じなのである。渋谷は違うと 抗弁しても、ベルギー政府の文書を見たらぐうの音も出ない。ちなみに同様の文書はフランス政府にもあり、エホバの証人や統一協会、創価学会や幸福の科学も その中に当てはまっている。
 小川の「判決」とやらにはつっこみどころが満載である。まず、この「判決」に欠落しているのは科学的な思想であり、 その視点に従っていかに被告人に更正させるかなのである。被告人の生い立ちを私は把握している為、脳科学の観点から申し上げると良識を司る部分が極めて弱 い事を考えるとそれなりに配慮すべき面がある(無論、「水戸事件」の赤須政夫のように執行猶予つきの事実上無罪判決などは論外なのだが)。だが、被害者の 「死ぬまで刑務所に入れろ」的な感情的な物言いばかりを優先させたこの「判決」は断じて許されない。この「判決」こそが身勝手そのものであるというしかな い。
 私が裁判長なら、被告人に懲役10年及び、被害者及びその関係者の居住地域から半径500KM以内の居住・接近を厳禁する判決を下す。これが最も現実的な判決であり、被害者にとっても加害者にとっても丸く収まる判決だ。
  裁判員制度は3年後に見直すと言うが、民主党政権は即刻見直さねばならない。まず、検察サイドに圧倒的に有利な仕組みを即刻改める必要がある。また、死刑 は即刻なくさねばならない(過去の判決にもさかのぼり、未執行の事件は全て終身懲役刑に改めること)。民事裁判でこそ、裁判員制度は効果を発揮する。
  日本の裁判に欠けているのは科学的な視点である。今回の「判決」や足利事件、植草一秀氏の冤罪事件、福島県立大野病院での医療過誤致死事件でも、科学的な 視点が欠けていた為間違った判断がまかり通った。そして、間違った結果が死刑判決につながり無罪を主張していた被告人が死刑を執行された悲劇がある。裁判 にこそ、徹底した見直しが必要である。
 どんなに机の上で勉強しても、現実社会に役立たねば意味がない。裁判の世界にはそれがなおさら言える。それを人は机上の空論というのだ。


権利は保証されている(小野哲) 2009-11-21 08:30:12
 市川市での英会話教師死体遺棄事件での被疑者への取調で弁護士の話によると違法なものがあるようだ。北海道新聞と日刊スポーツの記事をそれぞれ引用する。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/200930.html
A容疑者に「死刑も」と検事 弁護団が改善申し入れ (11/19 21:01、11/19 23:54 更新)

  千葉県市川市のマンションで2007年3月、英国籍の英会話講師Tさん=当時(22)=の遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕されたA容疑者 (30)の弁護団が19日、千葉県庁で記者会見し、同容疑者が「取り調べ中、検事から『死刑もあり得る』と言われた」などと接見で話したことを明らかにし た。
 弁護団は「虚偽の言葉を使った違法で不当な取り調べだ」として同日、県警と千葉地検に改善を申し入れた。
 弁護団によると、取り調 べで千葉地検の検事はA容疑者に「今のままの態度だと社会に出られない」「死刑もあり得る」「このまま黙っているなら、親が死刑になるべきだ」と発言。県 警の捜査員も「親族に迷惑がかかるのは、おまえが黙っているからだ」との趣旨の発言をしたという。
 A容疑者は弁護団が差し入れた「被疑者ノート」に取り調べの内容を記録しており、接見した弁護士にノートを見ながら説明した。弁護士が取り調べに問題があれば申し入れができると伝えると、A容疑者は「お願いします」と答えた。
 千葉県警は「真実追求のため、警察は法律にのっとり適正に捜査をしている」とコメントした。
Copyright(c)1996-2009 The Hokkaido Shimbun Press.


http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20091120-567733.html
日刊スポーツ 社会ニュース
A容疑者取り調べで検事が「死刑」発言

  英国籍の英会話講師Tさん(当時22)の死体遺棄容疑で千葉県警に逮捕されたA容疑者(30)の弁護団が19日、同容疑者に対する千葉県警と千葉地検の取 り調べ方法について不満を訴える通告書を発送した。千葉県庁で弁護団が明らかにした。千葉地検の担当検事が調べ中、黙秘を続けるなら、親が死刑になるべき との趣旨の発言をしたと同容疑者から申し出があったという。また、行徳署での栄養剤投与後の取り調べが「拷問」に当たるとし、取り調べ方法の調査も要求し た。
 千葉県庁で会見したA容疑者の弁護団が配布した通告書のコピーはA4判2枚1組のものが2通。1通は行徳署、もう1通は千葉地検あてだっ た。地検への通告書では、A容疑者が調べ中に「今のままの態度だと、社会に出られない」「死刑もあり得る」との発言を受けたとした。行徳署への通告書では 「(被疑者の)姉から警察に電話があった。姉のところにマスコミが取材に行ったということだ。お前が黙っているからだ」との発言があったとしている。弁護 団は同容疑者から相談を受け、通告書を19日付で発送した。
 A容疑者は17日の接見で初めて自ら口を開いた。弁護団が差し入れた「被疑者ノー ト」に取り調べ内容を記録し、それを見せながら相談してきた。同容疑者は検察官からの調べで「黙っているなら、(同容疑者の)親が死刑になるべきだ、とい うことを言われた」と話したという。弁護団は同容疑者から「死刑」という言葉が取り調べ中に相次いでいるとの相談を受け、問題視。「逮捕容疑の死体遺棄の 法定刑は懲役3年以下。(逮捕容疑を)殺人と勘違いしていないか」「黙秘権の侵害で、違法、不当だ」とした。また、冤罪(えんざい)事件が相次いでいるこ とを挙げ、取り調べ方法の調査、報告と捜査の全面録画をあらためて要求したという。
 弁護団は、絶食を続けているA容疑者に対する栄養剤注射も問 題視した。「(注射を)打たれた後で意識がもうろうとした。それでも取り調べをされる」と相談があり、「拒否できる」と説明。同容疑者は19日の注射は拒 否したという。弁護団は、行徳署への通告書で「体調が著しく悪化(悪寒)しているが、かかる状況での取り調べは憲法36条が禁止する『拷問』に該当する」 として、注射後の2~3時間の取り調べ中断を要求したという。
 一方、千葉県警は「真実追求のため、警察は法律にのっとり適正に捜査している」とコメントした。
 [2009年11月20日8時46分 紙面から]

これらの報道については実名はすべて伏せました。ご了承下さい。

 なぜ、被疑者が黙秘権を駆使できるのかはこの文章をみてほしい。法学館憲法研究所という、非政府組織のホームページに参考になるコメントがある。これは右翼左翼問わず参考にしてほしい。

http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/25.html
中高生のための憲法教室 第25回<黙秘権は何のために?>

 逮捕された人が取調べを受けても黙っていることがあります。真相究明しようとしているときに黙っているなんて、とんでもないヤツだと思いませんか。今回は刑事手続きについて考えてみましょう。
  まず、犯人なら反省してきちんと話すべきだ、黙っているのはおかしいという声があります。ですが、「犯人として知っていることをきちんと話せ」というの は、その前提に間違いがあります。被疑者・被告人は、罪を犯したかどうかわからないから裁判を受けています(起訴される前を被疑者、起訴された後は被告人 と呼ばれます)。判決がでるまでは真犯人かどうかわからないのです。もし、逮捕された時点で真犯人だとわかっているなら、そもそも裁判はいりません。です から、「知っているはずだから、拷問してでも自白させろ」というのはまちがっています。
 テレビドラマの世界でははじめから犯人が決まっていますから、テロリストを拷問してもいいように思うかもしれません。しかし、現実の世界では無実かもしれないのです。拷問はどのような理由があっても許されません(憲法36条)。
  憲法は38条1項で「黙秘権」を保障しています。なぜ、黙秘権が保障されるのでしょうか。それは、そもそも人間の内面に、国家権力が入り込んで強制的に調 べることが許されないからです。自分の知っていることを話すかどうかは本人が決めるべきことであり、強制されるべきことではありません。個人の尊重にもと づく幸福追求権から自己決定権が導かれますが、その延長線上に黙秘権が位置づけられます。
 ただ、こう考えても、自分に不利にならないことを話す 義務くらい負わせてもよさそうです。しかし、もし不利なことしか黙っていることはできないとしてしまうと、黙っているのは自分に不利だから、つまり犯人だ からだと推測されてしまいます。そこで、不利なことも有利なことも、一切黙っていることができるとしたのです。
 ですが、真犯人でないのなら、き ちんと弁解するべきだと思う人もいるのではないでしょうか。しかし、これではうまく弁解できない人が有罪になってしまいます。つまり「疑わしきは罰する」 ということになってしまうのです。「罪を犯したかもしれない人」をすべて処罰することで、社会の治安は維持できるかもしれませんが、それでは無実の人が処 罰されることになってしまいます。つまり、社会の治安のために無実の個人が犠牲になるということです。
 これでは憲法が一番大切にしている「個人 の尊重」(憲法13条)に反してしまいます。憲法は社会や国のために個人が犠牲になることを認めません。あくまでも個人のために国があるのであって、けっ して国のために個人があるわけではないのです。そこで、犯人かどうか疑わしいときには、無罪とすることになっています。これを「無罪の推定」といいます。 みなさんも、たとえばアリバイを証明できなければ有罪とされてしまうとしたらどうでしょう。昨日の夜2時のアリバイを証明してくれる人はいますか。いくら 自分の部屋で寝ていたといっても、家の人がみんな寝てしまっていて、それを証明できないとしたらどうでしょうか。それで有罪とされたらたまらないでしょ う。
 このことを「適正手続の保障」という人権として保障しました(憲法31条)。黙秘権を人権として保障し、有罪の証明は国の側にさせることによって、警察や裁判所という国家権力によるあやまちを最小限にくい止めようとしているのです。
  警察や裁判所は社会の秩序を維持し、正義を実現するために重要な役割を果たしています。しかし、同時におそろしい権力としての側面もあわせ持っているので す。この二面性を忘れてはなりません。テレビ映画では、警察やテロ対策の組織などは正義の味方として描かれていますが、それはあくまでもつくり話の世界で あって、現実は権力による人権侵害も、テロと同じくらいに恐ろしいものだという認識をもたなければなりません。「横浜事件」のような、特高警察による拷問 と不正な裁判を経験した日本ではなおさらです(「横浜事件」はアジア・太平洋戦争中に起きた言論・思想弾圧事件。でっち上げによる逮捕と拷問によって多く の犠牲者を出した)。
 こうした過去の苦い経験にもとづいて、現在の憲法は被疑者・被告人の人権保障を充実させました(31条から39条)。警察 や裁判所という権力の暴走とあやまちは取り返しがつきません。だからこそ、私たちはこうした権力に対しても、しっかりと監視の眼を光らせておかなければな らないのです。
 裁判所を常に正義の味方と考えてしまい、判決を無批判に受け入れるだけでは、真の民主主義国家とはいえません。国民による不断の 監視の眼があるからこそ、警察や裁判所という権力は適正手続をたもち、その判断が正当性をもつことができるのです。ここでも私たち国民が、しっかりと主体 的に裁判と向き合わなければならないのです。

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 私はこの視点に賛成する。

 今の日本は自民党政権の国家私物化によってこうした監視の目が破壊された。それを取り戻すには私が前から話しているように公権力乱用監査査察機構を作り、国家権力の適正な駆使を維持させる必要がある。

  今回の事件では被疑者サイドから異議ありが突きつけられた。これは信憑性に疑問は残るが警察に対して疑わしいとしか言いようがない。水戸でおきたアカス紙 器での知的しょう害者への暴行・強姦事件の事実上無罪判決に反発した被害者を押さえようとして支持者三人が不当に逮捕され有罪判決を押しつけられたこと や、植草一秀氏の冤罪事件、足利事件をみれば分かることである。

 警察でもオウム真理教による地下鉄サリン事件の実行犯だった林郁夫受刑囚(無期懲役刑)の取調にあたった警察官がフェアな姿勢で当たったこともあり、林受刑囚の事件への供述につながった(これについてはTBSが西田敏行主演でドラマにしている)。

  こうした事実があるため、私は警察に対して一定の線を引いている。だが同時に昨日コメントしたようにネット世界のおふざけとしか言いようのないファンクラ ブ結成とファンレターを送ろうとする動きには憤慨せざるを得ない。被疑者の権利がこんなくだらない祭りのためにつぶされるのだ。

 祭りで踊るバカどもに信念を見いだすのは、ゴキブリにモラルを見いだすことに等しい。この種のばかげた愚行への反動はやがてナチズムの復活になりかねない。

  私は千葉県警が弁護団の要求を全部のむことがベストであると考える。なぜなら、この事件で被疑者に付け入る隙間を与えたに等しいのだ。状況証拠だけで逮捕 立件はできない。本人が自供しない限り無理だ。この事件は対応次第で警察への信頼回復にもつながる。警察は冤罪事件は起こさない、証拠だけで勝負する姿勢 を貫いてほしい。

多くの課題を置き去りにしていいのか(小野哲)
2011/01/23 10:09

 今回、裁判を取り上げる。
 この問題は単なる殺人事件ではない。知的障がい者にどのような刑罰が適しているのか、そもそもどのような支援があればこうした悲劇は消えるのかを問いかけねば、意味はないのだ。
 なお、固有名称は裁判官及び記者以外は全面的に匿名としてある。これは事件の本質を伝えるのに実名は不要であると考えたからで、絶対に実名は検索しないよう警告する。

東金の5歳園児殺害:論告求刑公判 遺族「ただ涙あふれてくる」 /千葉
毎日新聞 1月21日(金)12時2分配信 
◇「一生罪に向き合って」 
◇A被告、意見朗読「ひたすら謝りたい」
  「ただ涙があふれてくる。知的障害があっても、なくても許せない」。東金市で08年9月、保育園児のBちゃん(当時5歳)が殺害された事件の論告求刑公判 で、遺族は涙ながらに厳しい処罰感情を訴えた。一方、殺人などの罪に問われたA被告(23)は「今すごく後悔しています。ひたすら謝りたい」と気持ちを朗 読し、謝罪の言葉を述べた。判決は3月4日に言い渡される。(検察側の論告要旨は22日に掲載します)【中川聡子、駒木智一】
 ◇遺族の心情
 公判ではこの日、被害女児の母、Cさんの証人尋問があった。
  Cさんは、傍聴席と被告人席から見えないようついたてで仕切られた証言台に立ち、女児を「いつも一緒にいた一番大切な宝物」と表現した。公判参加で気持ち がどう変化したかを聞かれ、「警察署で対面した遺体の姿、解剖され冷たくなった娘をよく思い出す。娘を助けられず、悔しい」と悲痛な心情を吐露した。
 A被告に対しては「知的障害があるから刑を減軽するのは納得できない」と訴え、その上で「かつては命をもって償ってほしいと思っていた。公判に参加し、一生をかけて犯した罪に向き合い反省し謝罪してほしいと思うようになった」と述べた。
  続いて、女児の祖父の意見陳述があった。祖父は「『B』の名前の通り、幸せいっぱいに育ってほしいという願いもむなしく、生涯を終えた。地獄に突き落とさ れた気分。今まで、涙がこんなに出るものだとは知らなかった」と、声を詰まらせながら陳述。「被害者にとって事件は永遠に解決しない。刑に服せば罪を償っ たとされることは、我慢ならない。被告人には被害者の気持ちを考えてほしい」と訴えた。
 ◇遺族の求刑
 女児の遺族は被害者参加制度に基づき公判に参加。検察側がA被告に懲役20年を求刑した後、遺族代理人も論告求刑を行った。
 代理人の安福謙二弁護士は、被告弁護団が公判前整理手続きで無罪を主張し続けた上、初公判直前に起訴内容を認める方針に転換した点に言及。「遺族は捨て置かれた。被告の更生、福祉的支援の観点からも弁護側の姿勢は疑問だ」と厳しく批判した。
 その上で、被告に対して「真摯(しんし)な反省の態度もなく規範意識の欠如も改善していない。遺族は女児の非業の死を一生背負う。被告も一生かけて罪に向き合うべきだ」と訴え、無期懲役を求刑した。
 ◇被告の謝罪
 A被告は閉廷の間際に、栃木裁判長から「最後に言いたいことがあれば述べてください」と問いかけられた。被告は自席から立ち上がり、証言台で自筆の便せんを手に持ち、意見を読み上げた。
 「遺族の皆様へ」と題し、たびたび口ごもりつつ「(公判前整理手続きが長引き)裁判を行うことが遅くなり、誠に申し訳ありませんでした」「ひたすら、ひたすら謝りたいです」「悪いのは全部私です」などと述べた。
 ◇検察・弁護側
  検察側は論告で、争点となっている訴訟能力、責任能力のいずれもあると主張し、懲役20年を求刑した。論告で「軽度の知的障害の影響はごくわずかで、過度 の考慮は疑問」と指摘。「被害女児に落ち度はなく、家族も防ぎようのない状況。遺体を物のように扱う残酷な犯行」と述べた。
 これに対し、弁護側 は最終弁論で、被告に訴訟能力がないとして公判停止を求めた。その上で、仮に訴訟能力があったとしても、殺人罪に関しては責任能力は限定的で刑は減軽され るべきだと主張。「衝動的、場当たり的で計画性のない犯行。『大胆で悪質』との検察側の指摘は、障害の影響で合理的な選択ができなかった結果だ」と指摘し た。また「同じ犯罪でも被告の能力や立場によってその性質は違う。被告はつたなくても必死に反省しており、今後は福祉的支援で再犯は防げる」と訴えた。
1月21日朝刊最終更新:1月21日(金)12時2分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110121-00000064-mailo-l12

 C女史及び祖父の態度には拍手を送る。
 だが、それでも忘れないでもらいたい。まず、被告人が軽度の知的障がいを持っていることだ。これは当然裁判で反映されてしかるべき事情である。また、物的証拠とされた遺体の入っていたとされていたビニール袋に被告人の指紋がなかった事実も、冤罪の疑いを招いた。
  被告人には明らかに訴訟能力がない。検察側の主張という『不利な事実関係の質問では、黙ったり供述を変える場面が多かった。自分の立場はわきまえていた』 という言い逃れに弁護側は最終弁論で「法律の理解力、弁護人に助けを求めるコミュニケーション能力も不十分」と厳しく指摘した。
 これだけの現実を見て、我々はこの事件を再検証すべきだ。また、この事件はメディアが最初から疑わしい人間として被告人を取り上げていた。TBSがこの中心となっており、そこから被告人が犯人というイメージができた可能性も否定できないのではないのか。
  弁護側証人として出廷した鑑定医の高岡健・岐阜大准教授は「被告に訴訟能力はない」と述べている。これが、現実なのだ。むろん、私は再検証で被告人がBを 殺した証拠が明確に出たら、それはそれできちんと罪を償ってもらうべきだと断じる。しかし、確たる証拠は今回なかった。状況証拠だけで終わっているのだ (科学的証拠の場合捏造された可能性も否めない)。それで無期懲役刑とはおかしな話で、懲役20年でも無理な話だ。
 それを考えると、私達は事件 を冷静に考えていたのだろうか。感情的に『コイツ許せない』『ムカつく』の延長線上でしか見ていないのではないか。それでは、裁判の意味はない。裁判は犯 罪の発生の背景にある事情を社会に教訓として反映させるステージなのだということを、忘れないでもらいたい。
 C女史には、山口由美子氏(西鉄バ スハイジャック事件被害者)と会って欲しい。恐らく、山口氏ならC女史の悲しみを理解できると思う。栃木裁判長には、裁判の本来の役割を理解された上で、 あらゆる証拠を検証しつくして、推定無罪の原則に従い被告人にフェアな判決を出してもらいたい。それが、私達の願いである。
 このコラムを見て、私を左翼呼ばわりする輩に警告する。
 我々は左右問わず不当な行為には厳しい措置を求めている。例えばシーシェパードに厳罰を求めるのはその一部にすぎないのだし、極右によるヘイトスピーチにもNOを突き付けている。左右に振り回されて、事の本質を見失うなと言いたい。

精神医学を見くびった情けない半ケツ(小野哲)
テーマ:国家、人権
2011-10-05 08:33:33

東金女児殺害 二審も懲役15年
2011年9月29日 中日(東京)新聞 夕刊
  千葉県東金市で二〇〇八年、保育園児のAちゃん=当時(5つ)=が殺害された事件で、殺人や死体遺棄などの罪に問われた無職B被告(二十代前半)の控訴審 判決が二十九日、東京高裁であり、村瀬均裁判長は懲役十五年とした一審千葉地裁判決を支持、被告側の控訴を棄却した。軽度の知的障害があるB被告の犯行時 の刑事責任能力の程度や裁判手続きを理解する訴訟能力の有無が争点だった。
 村瀬裁判長は判決で「殺害後に発覚を恐れて現場を掃除したり、遺体を 屋外に運び出すなどしており、自分の置かれた状況や違法性を認識していた」と完全責任能力を認定。控訴審で一審判決への不満を説明し、一審と同じ供述をし ていることなどから、「訴訟能力があるのは明らか」とした。
 その上で「友達になりたいとの欲求から連れ去ったが、帰りたいと泣き叫ばれて怒りを募らせ殺害した動機は独り善がりで、犯行態様も残忍」と述べた。
 判決によると、B被告は〇八年九月二十一日、東金市内の路上で見かけたAちゃんを連れ去り、自宅の浴槽に沈めて殺害。遺体を近くの資材置き場付近に遺棄した。
http://www.tokyo ーnp.co.jp/article/national/news/CK2011092902000189.html
精神科医らの面会調査を許可 千葉の保育園児殺害事件
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009092701000604.html
  千葉県東金市で昨年9月、保育園児のAちゃん=当時(5)=が殺された事件で、殺人罪などで起訴されたB被告(二十代前半)を拘置している千葉拘置所が弁 護団に対し、児童精神科医や心理学の専門家による複数回の面会調査を認めたことが27日分かった。弁護団の副島洋明主任弁護人が明らかにした。
 弁護団は「異例の調査が実現する」と評価する一方、面会は延べ数時間に制限されたため「検察側の鑑定期間の長さに比べ不公平だ」と批判している。
  調査の目的は(1)精神年齢が5~9歳、知能指数は50台で運動障害もある被告に、検察側主張のような拉致や殺害、遺棄が可能だったか(2)供述が被告の 自由意思で行われたか(3)取り調べや裁判の意味が理解できているか―などの疑問点の解明。弁護団はこれまで精神年齢を8~10歳とみていたが、新たな分 析から5~9歳と判断した。
 検察側が実施した精神鑑定は責任能力しか調べていないとして、弁護団が要求していた。拘置所が認めたのは4人の専門家で、1人当たりの面会時間は1時間程度になるとみられる。弁護団はこれを基に、意見書などをまとめてもらう。
2009/09/27 20:18 【共同通信】
 両記事共に被告人の実名・年齢は伏せています。また、被害者の実名も同様に伏せています。絶対に検索はしないよう、警告します。

 今回の半ケツには重大なものが抜け落ちている。
  そう、精神医学である。被告人の精神年齢は5歳から9歳児そのものであると弁護団は指摘しているのだ。それを「友達になりたいとの欲求から女児を連れ去っ たが、帰りたいと泣き叫ばれて殺害したという動機は独りよがりだ」などと決め付けた村尾の頭こそバットマンの悪役ジョーカーも真っ青請負のイカレポンチで はないか。
 いや、村尾のイカレポンチぶりはその前からはっきりしていた。2006年3月14日に東京都千代田区の法政大学で行われた学生運動の 参加者が一斉に逮捕された法政大学学生運動の一斉検挙(事件の当事者達は「3・14法大弾圧」としている)裁判で、居丈高な対応を取って被告人達の激怒を 招いた。被告人達に当然矛盾点をことごとく論破される有様である。
 更に、日の丸・君が代押し付けに異議を唱えた都立板橋高校の元教諭・藤田勝久 氏が2003年の卒業式の際日の丸・君が代押し付けに疑問を投げかけるビラを配布し、君が代押し付けに反対するよう呼び掛けた事への不当弾圧事件でも国際 法違反の不当有罪判決(威力業務妨害罪として20万円の罰金刑(求刑懲役8月))をでっちあげ、世界中の激怒を招いた。
 卒業した生徒達は日の 丸・君が代押し付けに自分の良心に則って反対を示した。それは日本国憲法で認められた権力であり、国家は尊重すべき義務を負う。それを弾圧する半ケツとは 情けない。むろん、弁護団サイドもお粗末な反論に終始したのも問題だが、憲法をベースに反撃は出来た。
 B被告人は心神耗弱(精神の障がい等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退している状態)以前に健全な精神が育つ土台が出来ていなかった。
 だからとて、私は免責には賛同しかねる。問題は刑罰に公平さがどれだけ保証されているかだが、残念ながら確保されていないのだ。更に、被害者の遺族が裁判を見ていた事にも私は遺憾を表明する。民事訴訟で責任は確定した以上、裁判に関わることは許されない。
 残念ながら村瀬には精神医学を勉強してから、もう一度判決を出し直すよう勧告する。いい加減にふざけたお間抜け判決は止めろと怒鳴りたい。被告人は上告したが最高裁が大法廷を直ちに開き、公平な裁判を行うよう求める。それが国民の僕として最低限なすべき仕事なのだ。

http://www.labornetjp.org/news/2006/1149128268930staff01
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E6%94%BF%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%AE%E4%B8%80%E6%96%89%E6%A4%9C%E6%8C%99
http://www.geocities.co.jp/houdaikyuuenkai/files/0704houkoku.htm
B被告の控訴棄却 千葉・東金女児殺害事件で東京高裁http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY201109290146.html


Neutralizer加筆:何故、我が親友がこの事件の『半ケツ』に精神医学のことを言うのか、この私から説明させていただく。
  我々は最近、ものの本で知ったことだが犯罪者の中にアスペルガー症候群やADHDといった軽度の発達障害者がいるからである。この障害、普段は一般の人達 と変わりない生活を送れるのだが人間関係をうまくとることができない為、周辺の人から見過ごされてしまいやすいのだ。その為、孤立し最悪の場合には犯罪に はしってしまう。
 しかも我々日本人は異端を非常に嫌うのでこういう人達は偏見やいじめに遭い易い。初めて知った方もいらっしゃるであろうがこう いう『障ガイ』者(私も我が親友の考えを尊重し、こう表記させてもらう)がいるということを頭の隅にでも覚えていただけたら幸いである、無論例えこの事件 の加害者のように『障ガイ』者であっても罪を犯せば裁かれるのは当然であるが。



権利だけ欲しくて義務は嫌じゃ意味はない(小野哲)
テーマ:ブログ
2011-01-29 10:30:17
犯罪被害者の会、代表幹事が退任 権利訴え11年

http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011012301000469.html

  全国犯罪被害者の会(あすの会)は23日、東京都内で設立11周年を記念するシンポジウムを開き、妻を殺害されたことをきっかけに2000年に同会を立ち 上げ、被害者の刑事裁判参加に道を開いた岡村勲弁護士(81)が代表幹事から退任することが決まった。新しい代表幹事は犯罪被害者家族の林良平氏。
 岡村弁護士は1997年、山一証券(当時)の代理人弁護士として紛争処理中、逆恨みした顧客に妻を殺害された。遺族の立場で裁判に臨んだが、法廷で被告に質問すらできなかったため、犯罪被害者や遺族とともに00年1月、会を設立、被害者の権利確立を訴えてきた。
 04年には犯罪被害者基本法が成立。08年には刑事裁判の被害者参加制度、昨年は殺人など凶悪事件の公訴時効撤廃の実現で、推進役を果たした。

2011/01/23 19:49 【共同通信】

 ハッキリ言おう、岡村弁護士は弁護士資格を今すぐ返納しなさい。
 なぜなら、裁判の基本と被害者の刑事裁判参加は相容れない代物であり、明らかに日本の裁判は本来の目的から外れ、被害者及び遺族の不満を埋めたす場所に成り下がったのだ。岡村はこうした事を平然とやらかした。これは、憲法違反である他、国際法違反だ。
 刑事訴訟法における重要な概念をWikipedia日本語版より引用する。

刑事訴訟法の理念に関する原則
実体的真実主義
刑 事訴訟においては、過去の出来事について、訴訟法などの法律に基づいて認定するほかないという点で神の目から見た「絶対的真実」そのものとは違うものの、 可能な限り真相に近い事実(実体的真実)を追求するという原則。これに対し、民事訴訟においては、当事者の自白した事実はそのまま真実とみなすなど、形式 的真実を前提に裁判がされるといえる。
捜査に関する原則
強制処分法定主義
個人の利益を侵害するような処分(強制処分)は、法律に定めがない限りできないとする原則(197条1項)。かつて、通信傍受法ができるまでは、捜査機関が有線通信の傍受(いわゆる盗聴)をできるかについてこの原則との関係で問題となった。
令状主義
逮捕、捜索・差押え等の強制捜査は、現行犯の場合を除き、裁判所が発布する令状がなければ行うことができないという原則(憲法33条、35条、刑訴法199条、210条、218条等)。
捜査比例の原則
任意捜査の原則
捜査目的を達成するために必要な手段として、強制捜査と任意捜査が考えられる場合、任意捜査によるべきとする原則。
公訴・公判手続に関する原則
当事者主義
訴訟進行の主導権は、裁判官ではなく当事者(検察官、被告人・弁護人)にあるとする原則。日本法の刑事訴訟手続はこれを基調とするが、第294条(裁判長の訴訟指揮権)などの例外もある。対義語は職権主義。
事実認定・証拠法に関する原則
証拠裁判主義
事実の認定は証拠によるという原則(317条)。
疑わしきは罰せず(疑わしきは被告人の利益に)
被告人が犯罪を犯したとすることについて合理的な疑いが残る場合には、有罪の判断をしてはならない(有罪の判断をするためには合理的な疑いを超える証明が必要)という原則。
伝聞証拠禁止の原則
伝聞証拠には原則として証拠能力を認めないとする原則(320条、例外321条以下)。
自白法則
任意性に疑いのある自白は証拠とすることができないとする原則(憲法38条2項、刑訴319条1項)。
自白の補強法則
被告人を有罪とするためには、自白のみでは足らず補強証拠が必要として、自白の証明力を制限する原則(319条2項)。
公務員の職務上の告発義務
民間人は仕事上の犯罪があっても告発するかしないかは、本人の自由だが、公務員は職務上の犯罪があると思えは告発する義務がある。(下記の「官吏」は国家公務員、「公吏」は地方公務員のこと。明治時代の法文がそのまま口語体に全文改正された)
第239条
1項 何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。
2項 官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。
判決の効力に関する原則
一事不再理

 こうした基本が今の裁判で実現されているのか。
 されていないから、冤罪被害者が出てくる。最悪のケースとして冤罪を訴えながら死刑にされて殺された悲劇もあるのだ。まず、こうした基本を死守すべき義務が裁判にはある。
 では、犯罪被害者にはどのようなケアが必要なのか。被害者がカウンセリングを受けられる、経済支援を受ける事は最低限必要である。刑事裁判参加は見直すべきであるのは明快だ。今まで私はその弊害を拙コラムで指摘してきたのだが、全く振り返らない鈍感ぶりには驚きだ。
  性犯罪については避妊手術と居住・接近制限を掛け合わせた刑罰を導入すべきだ。被害者には被告がどこに住んでいるのかを把握する権利を認め、そこに接近し ないようにサポートするべきだし、逆に被告には避妊手術と居住・接近制限を加えてあるので、後は被害者のカウンセリングで心理上のサポートを行う。それで 充分な事だが、今の裁判員裁判という名前の裁判ショーでは全くその基本が出来ていない。
 権利だけ欲しい、義務は嫌だという暴論は誰も相手にしな い。長崎県諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門を政府が福岡・佐賀県の農民の訴えに応えて開放を決めた事に長崎県が反発しているが、残念ながらこれもまた、 権利だけを得て義務から逃げているのである。こうした地方自治体には、是非とも沖縄県に職員を派遣して研修させたらどうか。
 それとも、あなたがたの世界は海中で、陸に上がれば死ぬと思っているのですかな?

 さて、これだけ感情的な裁判にうんざりしたであろう。
  今の日本の裁判は明治時代の裁判以下と言うしかない。「坂の上の雲」(司馬遼太郎)でもでているが大津事件を取り上げたい。この事件は、1891年5月 11日に日本訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然 斬りつけられ負傷した、暗殺未遂事件である。
 津田が斬り付けた理由は、本人の供述によれば、以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢 を快く思っていなかったことであるという。また事件前、西南戦争で戦死した西郷隆盛が実はロシアに逃げ延び、ニコライと共に帰って来るというデマがささや かれており、西南戦争で勲章を授与されていた津田は、もし西郷が帰還すれば自分の勲位も剥奪されるのではないかと危惧していたという説もある。ただしニコ ライを殺害する意図は薄かったらしく、事件後の取り調べにおいても「殺すつもりはなく、一本(一太刀)献上したまで」と供述していたという記録もある。
  当時の日本は、何とか欧米の植民地にならずに済んでいたものの、まだロシアに軍事的に対抗する力を持っていなかったため、賠償金や領土の割譲まで要求して くるのではないかと危惧された。また事前に青木周蔵外相がロシア公使シェービッチに対し、皇太子に危害が加えられた場合は「皇室罪」を適用すると密約して いたことも混迷の原因となった。そこで政府は、事件を所轄する裁判官に対し、旧刑法116条に規定する天皇や皇族に対して危害を与えたものに適用すべき大 逆罪によって死刑を類推適用するよう働きかけた。伊藤博文は死刑に反対する意見がある場合、戒厳令を発してでも断行すべきであると主張した。また松方正義 首相、西郷従道内相、山田顕義法相らが死刑適用に奔走した。青木周蔵外相、井上馨などは消極的反対、逓信大臣の後藤象二郎などは「津田を拉致し拳銃で射殺 することが善後策になる」と語ったが、伊藤に日本は法治国家であるとして叱責された。
 だが、当時の大審院院長(現在の最高裁判所長官)の児島惟 謙は「法治国家として法は遵守されなければならない」とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発し、事件から16日後 の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して津田に無期徒刑(無期懲役)の判決が下された。
 この話から罪刑法定主義の原則が皆さん分かるであろう。裁判員制度はそれを逸脱した制度になりつつある。本当にそれでいいのだろうか。


2011年12月21日

人を感情で裁くことも、殺人罪と同義である

今回、死刑論を取り上げる。
 以前からのべているように私は死刑抑制論である。それには死刑よりも無期懲役こそが残忍だと断言できるからだ。


ダークヒーロー大量発生注意報発動!!(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-11-26 11:59:55
石巻3人殺傷 少年に死刑判決 裁判員裁判で初
毎日新聞 11月25日(木)17時29分配信
 宮城県石巻市の3人殺傷事件で殺人罪などに問われ、少年事件の裁判員裁判で初めて死刑を求刑された同市の元解体作業員の少年(19)に対し、仙台地裁(鈴木信行裁判長)は25日、求刑通り死刑を言い渡した。
 少年に対する死刑判決は、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審(08年)以来。裁判員裁判の死刑判決は16日の横浜地裁に次いで2例目。
 少年は3人殺傷の起訴内容をほぼ認め、検察側は裁判員裁判4例目の死刑を求刑、弁護側は極刑回避を求めていた。【須藤唯哉】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101125-00000025-maip-soci
最終更新:11月25日(木)17時31分

 率直に言おう。
  この判決は完全に国際法違反であり無効である。理由は被告の少年がなぜ荒んでいったのかを分析し、ドメスティックバイオレンスに走ったのかが完全に解明さ れたとは言えない。単に正義か悪かで裁かれたにすぎないのだ。それでは社会に犯罪の闇の教訓を反映させ、再発防止させる裁判の本来の役割がないのだ。鈴木 は猛反省すべきである。
 日弁連は早速コメントを寄せ、事実上この国際法違反の暴挙を厳しく批判している。

「死刑の評決、再検討を」日弁連がコメント 宮城の3人殺傷判決
2010.11.25 20:46
 少年(19)に対する仙台地裁の死刑判決を受け、日本弁護士連合会(日弁連)は25日、「改めて死刑判決の評決のあり方について再検討がなされるべきで、死刑制度の存廃を含む国民的議論が一層深められる必要がある」などとするコメントを発表した。
 コメントは「少年に対する死刑は、より慎重な検討・議論が求められている」と指摘。「政府に対し、重大な少年事件の背景と要因、少年に対する矯正処遇の実情と効果などについて、国民に広く情報公開することを求める」とした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/101125/trl1011252048013-n1.htm

  事件の内容は私も承知であり、被害者及び遺族にはお悔やみ及びお見舞いの言葉を述べたいが、感情で死刑を求める発言を平然と法廷で言うならば、私も容赦な く遺族及び被害者に法律の立場から正々堂々と反論させてもらおう。それぐらいは法廷で喋った以上、黙って聞いてもらう義務がある。
 まず、裁判の 本来の機能は何かを考えてもらいたい。後に続く人達に同様の被害を繰り返すことのないように社会が何を出来るのかではないのか。その上での刑罰であり、そ れは現実的かつ効果的でなければ意味がないのだ。それを、感情で刑罰を決めるというなら、それは本来の裁判の役割を逸脱するばかりか、感情で判決が決まる に等しいのである。その最悪の形はナチス・ドイツだったではないのか。
 被害者及び遺族の思いだけを優先するならば、それはポピュリズムそのもの である。意見を述べる場所はあっていいが、だからとてもそれに裁判が流されていいわけがない。ちなみに私はドメスティックバイオレンスにはハラスメント罪 を導入し、逮捕するなどして、裁判を経て懲役刑・接近及び居住禁止と強制避妊を組み合わせてしまえば、効果的であると考える。もう少し客観的に下がって事 件を眺めるべきである。
 また、Yahoo!掲示板ではこの暴挙を絶賛する愚か者どもの書き込みが目立った。これは極めて恐ろしい。私のように疑 問を投げかける良識のある人達には誹謗中傷が目立った。愚か者どもは、犯罪には死刑にすればいいと単純な発想らしいが、そんなものではない。愚か者どもは 犯罪をなくせる自信があるというなら、抜本的な対策を出してみろと言いたい。恐らく出せないのがオチであろう。
 それよりも、発生構造を分析し、 その欠陥を埋める努力がなされていないのだから問題である。今回の暴挙は、その欠陥を埋めないまま感情で裁いた結果、ダークヒーローを大量発生させるだけ であり、物騒な事態になりかねない危機感を覚える。それでは社会は犯罪を多く生み出すだけである。更に、被告人が死刑執行となっても、被害者や遺族の悪夢 は終わらない。彼らへのカウンセリングや生活支援などが必要であり、最悪の場合彼らが犯罪者に転落する危険性すらあるのだ。「死刑執行で犯罪は終わり」で はない、むしろ被告人による最悪の完全犯罪の完成に政府が手を貸したに等しいのだ。被告人は自動自殺装置で自殺でき、被害者や遺族は死ぬまで悪夢、そんな 馬鹿なことがあっていいのだろうか。今回の暴挙はそんな事態を招く結果になる。山地悠紀夫の後を追ったのが金川某ではないのか。
 よって、『ダークヒーロー大量発生注意報発動!』というタイトルにしたのである。被害者及び遺族には、一刻も早く今回の事の重大性に気がついてもらいたい。なお、個人的にはこの事件の判決は仮釈放のない終身懲役刑で処すべきであると考える。


Neutralizer 加筆:我が親友同様、私も死刑に関しては何度も廃止すべきだと言ってきた。それは彼が今回のことで書いたように死刑はもう犯罪抑止には全く効果がないから だ。それと並行して裁判員裁判は時期尚早とも書いたがここ最近の裁判員による死刑の判断はまさしくそれを確信させることに値する。もはやあの忌まわしい軍 国主義時代に逆もどりしてしまっているではないか!!

死刑よりも無期懲役が真の極刑だ(小野哲)
テーマ:国家、人権
2011-04-21 14:02:44
 今回取り上げる事件は、メディアによる呆れた空騒ぎもあって全国に有名になった。
 そして、結末もある意味で残酷だった。死刑存続派の方々は、これでも死刑が必要と言えるのか、共に考えていただけると幸いである。なお、関係者の実名は全て伏せた。関係者の為にも、実名は伏せていただきたいと願う。


奈良・月ヶ瀬村、女子中学生殺人事件
 1997年の5月4日、梅林で有名な村の中心部から川ひとつを跨いだ山間の集落で卓球部の活動から下校途中の中学2年の女子生徒B(当時13歳)が行方不明となり、付近からタイヤのスリップ痕や女生徒の着用していていた靴やジャージなどが見つかった。
  警察は、地元住民から不審な人物が居なかったか聞き取り調査を開始した。その結果、同村で無職のA(当時25歳)が大型の四輪駆動車で遊び歩いているとの 情報を得た。一方、テレビ・ラジオ・新聞などの報道陣も同村に押しかけてきた。連日の住民の聞き込みや証言などを基に報道陣もAが怪しいとマークを始め た。記者が直接本人にインタビューするとAは捜査に協力するような回答をしていた。
7月25日午前3時過ぎ、奈良県警はAを略取誘拐の容疑で逮捕 した。逮捕当初、Aは犯行を否認していたが、Bさん失踪後に売却した四輪駆動車の後部座席から発見された血痕のDNAがBさんのものと一致した事、ジャー ジに付いていたタイヤ痕がAの四輪駆動車のタイヤと一致した事、ダウンベストにAと同じ血液型の毛髪が発見された事などが判明。8月1日、奈良県警はこれ らの証拠に基づきAを厳しく追求した結果、Aは犯行を自供した。自供から伊賀上野市郊外の峠で白骨化した遺体が発見された。
 動機に注目願いた い。Aは犯行の動機について「四輪駆動車を運転中、帰宅途中のBさんを発見した。そこで顔見知りであるBさんに『家に送ってあげる』と声をかけたところ無 視された。そこで腹が立って、歩いているBさんの背後から車ではねて、近くの公衆トイレ付近で石を使って殴打して殺害。その後10キロ先の三重県御斉峠付 近で遺体を捨てた」という。その後の公判で、Aは「村からのいわれなき差別を家族共々度々受けていた。その鬱積が犯行に至った」と主張した。月ヶ瀬は現在 も与力制度といわれる昔ながらのしきたりが残っている村である。
 村史を繙くと、慶長年間に幕府が農村支配の末端機関として相互観察・全体責任な どの目的のために設けた五人組制度がその源ではないか、という。与力というのは同族組織より選ばれた村の複数の代表のことである。たとえば「区入り」とい う、村の一員として認められるためには二人の与力の推薦を必要とする。与力には「一家の重要な事柄は喜憂一切」を相談せねばならず、「結婚相談はもちろ ん、仲人の決定まで与力に相談しないと将来の交際に支障をきたすという」「与力は縁者は一代、与力は末代と親類以上に頼りになり、一面言うことをきかねば ならぬ権威ある存在であった」(月ヶ瀬村史)
 Aの母の法廷での証言によれば「地区民から、家が焼けたり、人が死んで葬式ができなくても、それだけは村で寄ってやってやる、それ以外はつきあわない、と言われた」というのである。それがAを追い詰めたことは論を待たない。このことは後述する。
  他方で、地区の負担金、労働奉仕への参加等の義務の履行は、地区入りしていようといまいと、同じように求められている。負担金については家の「格」により 金額が異なり、被告人の家の負担金は最低ランクであった。被告人の父らが、地区での集会等への参加を求められたり、地区役員の選任の機会を与えられたこと も全くない。これではAが疎外感を感じるのも当然だ。
 彼は社会そのものを受け入れることを拒絶し、又、弁護士も裁判官も信用することなく, ただ、公判中に「幼年の頃から云われない、差別を受けてきた」と呟いていた。だが、検察側は「差別を受けたという供述内容は身勝手で、本人自身もそれを感 じていたとは認められない」と主張した。これは極めて心理学から言わせてもらうと愚かな論理である。
 被告人は自白に転じた以降、終始一貫して自 己の行為を弁解せず、正当化していなかった。被告人は当然償わねばならない責任はこれを受け入れるべきと考えており、自己の刑事責任を軽くするための一切 の弁解、責任転嫁を拒否し、公判廷においてもただ「事実」としての自己の心情を述べたに止まったのである。
 A被告人の弁護士だった高野嘉雄氏はある雑誌でこう述べている。
 
 A君が罪を深く悔いていたことは、接見して直感した。自殺も、おそらく罪の意識からだと思う。かれは最後まで心を閉ざし続けた。刑事や検事はいうまでもなく、弁護士すらも信用していなかった。かれの心をこじ開けられなかったことを、私は弁護士として慚愧に思う。

  しかも、その差別の内容を知り、私は思わず不快感を感じた。Aの家族は30年以上も前に隣村から移っててきたが「区入り」は果たしていない。村の民生委員 を務める、かれがその命を奪った少女の祖父の計らいによって家族は、村はずれの日当たりの悪いじめじめとした傾斜地にかつては物置として使われていたトタ ン屋根とベニヤ板の壁のあばら屋に住みついた。
 冬には隙間風に悩まされ、室内にはいつも鼠が走りまわっていた。風呂は薪で、「下水道敷設の分担 金が支払えなかった」ために便所はなく、外に掘った穴で用を足していた。内縁関係にある青年の両親は、ともに日本人と朝鮮人の間に生まれたハーフであっ た。お茶の栽培農家がほとんどを占める村内にあって、二人は行商や日雇いの仕事で家計を支えた。寡黙な父には愛人があり、気が強い文盲の母は子どもに金だ けを与えて放任した。毎日、長女がおかずをつくり、それをみなが好き勝手な時間に食べた。会話もない、ばらばらの家族だった。
 小学生の頃、青年 はいくつかの「差別」を受けたと語っている。三年生のときに集落の公民館が何者かに放火されたときには多くの住民がかれを疑い、つき合いを避けるようにと 子どもに言い含めた。川原で遊んでいたときに そんなところで遊ぶな と石を投げられた。殺された少女の家のビニールハウスが燃えたときや、青年団の祭りのときに現金が紛失したときも疑われた。中学二年のとき、「教師がエコ ヒイキをし、何かというと体罰をするということがキッカケ」で不登校となる。その間、担任の教師が自宅を訪ねたのはほんの2,3度で、卒業証書はクラス メートに届けさせ、かれは翌日それを破り捨て燃やした。
 私は激しい憎悪感を覚えた。その他にも思わず口にするにも醜いヘイトスピーチが堂々とま かり通る有様だった。1998年の奈良地裁で懲役18年の刑の判決の為、検察が控訴、2000年6月14日に大阪高裁で、無期懲役の判決を受けるが弁護士 の薦める控訴手続きには応じなかった。そのまま刑が確定し、2001年9月4日、収監先の大分刑務所の独房内にて自らのランニング・シャツで首を縊って果 てた。29歳だった。言うならば、彼は緩慢なる絞首刑を選んだのである。
 私は月ヶ瀬村の地域にもとんでもない問題点があり、それがこのような犠牲者を生み出したのだと考えている。むろん、Aの犯罪は許されないことであるが、そのままではいけない。では、どうすればいいのか。外の勢力を増やす事で閉鎖的な空間を打破する事が先決と思われる。
  そこで、私は福島県の原発被災地の町村の一つをこの月ヶ瀬村にそっくりそのまま区画整理や団地の建設によって移転し、徹底的に閉鎖体質を打破させるべきだ と提案したい。与力制度がこのまままかり通るなら、Aの悲劇は絶対に続く。では、次に産業はどうするか。茶畑だけではなく、町村の住民に出資を呼び掛けて LED電球の製造協同組合(アドバイザーは慶応大学教授の金子勝氏が適切)を立ち上げ、税制上の優遇措置を受けて生産し、販売する提案をしたい。
 そのように、犯罪は単に犯罪者一人に責任が帰すものではない。問題点を改善してこそ、悲劇はなくなるのだ。だから、厳罰化では解決はしない。
(ちなみに月ヶ瀬村は奈良市に吸収合併されている)

今回の参考記事
http://www.geocities.co.jp/marebit/oni.html


ハラスメントには憎しみではなく、知恵で(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-12-28 08:22:42
 宮城県の少年による殺傷事件で、控訴審が始まる。
 今回は死刑判決が無意味であることを示すエピソードをここに示したい。平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、浄土宗の開祖である法然の小さい頃の話である。
  法然は長承2年(1133年)4月7日、美作国久米(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国(うるま ときくに)と、母・秦氏君(はたうじのきみ)との子として生まれた。その生地は、現在誕生寺という浄土宗の寺になっている。 『四十八巻伝』(勅伝)などによれば、保延7年(1141年)9歳のとき、源内武者貞明の夜討によって父を失う。
 「勢至丸よ、私を襲った敵を恨 んではいけない。これは前世からの宿業で起きてしまった事件なのだ。もしお前が敵を恨むようなことがあれば、将来また敵の子孫がお前を恨むというように、 恨みがこの世で尽きるということはないだろう。お前は早くそのような世俗の世界を離れて出家し、尊い悟りを求めなさい」
 その際の父の遺言によってあだ討ちを断念し、菩提寺の院主であった、母方の叔父の観覚のもとに引き取られる。その才に気づいた観覚は当時の仏教の最高学府であった比叡山での勉学を勧めた(Wikipedia日本語版より)。
 もし、彼が父親の敵討ちをしていたら浄土宗は生まれていなかっただろう。憎しみは新たな憎しみを招くだけである。法然は建暦2年(1212年)1月25日に78歳で死去するまで浄土宗の布教に務めていた。
  死刑よりも終身懲役刑が残忍なのは川田龍平の妻である堤未果の著作・貧困大国アメリカ II (岩波新書)から明らかだ。アメリカの犯罪者達は逮捕された日から、部屋代、医療費、食費、図書利用代、トイレットペーパーにいたるまで請求される仕組み である。犯罪者の8割は貧困層で、経済的困難から犯罪に走るのに、出所する時にはさらに借金を抱える。
 更に外注革命がもたらした国内製造業の空 洞化がさらに効率のよいシステム確立への欲望を生み出し、企業は非正規社員率を拡大することで福利厚生費用を削減。一握りのエリートが就く職以外は、学歴 など必要なくなった。今やアメリカ国内の労働人口全体の3割を占めるようになった非正規労働者の労働条件は劣悪で、企業に対して起こされる訴訟も増えてい る。そこで、企業が目をつけたのが、囚人労働者である。彼らは、時給が最安値なだけでなく、必死に働く。雇用保険は要らず、ストもやらなければ組合もな い。囚人の労働は、時給12セント(12円)、刑務所の物品の値段は、町の1.5倍だ。
 「国防総省」から兵士の食事、生活備品、防弾チョッキの製造、提供などの軍需から、電話オペレーターサービスまで提供している。
  因みに電話オペレーターの場合年間26億回、市場規模70億ドルの電話番号サービスのコストは、インドの労働者の初任給159ドルから204ドルに対して 米国内囚人労働者なら月36ドルから180ドルで済むのである。事実、大手通信会社「エクセル・コミュニケーション」社の番号案内係は、フォートワース刑 務所の女性囚が担当している。
 しかも刑務所REIT(不動産投資信託)によって儲かる仕組みすらある。私はアメリカの仕組みをそのまま導入する ことには反対する。だが、終身懲役ものの犯罪者や公権力を私物化した輩、悪質なハラスメント加害者にはこの刑罰は確実に効果的である。ただ、以前述べたよ うにそっくりそのまま導入するのなら、委託元企業に非正規雇用労働者を正規雇用労働者にするよう義務付けることとサービス残業を含めた残業の禁止を受け入 れてもらうのが最低限の条件だ。
 被害者達に言いたい。あえて死刑ではなく、生きて相手に苦痛を与えるべきだ。ハラスメントではなく、知恵で相手を制するべきだ。


きっぱり言わせてもらう(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-12-09 11:46:35
石巻3人殺傷、死刑判決の少年控訴
河北新報 12月7日(火)6時13分配信
 宮城県石巻市の民家で2月に起きた3人殺傷事件で、殺人、殺人未遂などの罪に問われ、少年が被告の裁判員裁判では全国で初めて、仙台地裁で死刑判決を受けた石巻市の元解体工少年(19)が6日、判決を不服として控訴した。
◎遺族「結果受け止めて」
 少年に同日接見した弁護団は「少年は死刑を受け入れるだけが償いではなく、生きて被害者に謝罪の気持ちを持ち続けたいと思ったようだ」とコメントした。
 弁護団によると、少年は控訴に同意したという。少年は11月25日の判決公判後、「判決を受け入れたい」と語り、2日に接見した弁護団にも「控訴することは被害者に許されないのではないか」と話していた。弁護団は「控訴するべきだ」と少年を説得していた。
  判決によると、少年は2月10日朝、共犯とされる無職少年(18)=東松島市、殺人・殺人未遂のほう助罪で起訴=と民家に押し入り、交際していた次女 (18)の左脚を切りつけた上、長女のAさん=当時(20)=と、次女の友人のBさん=当時(18)=を刺殺。石巻市の会社員男性(21)に大けがをさ せ、次女を連れ去った。
 Bさんの母は「驚きの半面、控訴するのでは、という気持ちも少しあった。生きて償うというのは、何をどうやって償うとい うのか。一度出た結果をしっかり受け止められないのは、心から反省していないからではないか」と話した。控訴の知らせを聞いた男性は「生きて償うとはどう いう事なのか分からない」と批判している。
最終更新:12月7日(火)6時13分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101207-00000005-khk-l04
記事に修正追加

 遺族及び被害者には厳しい一言。
 感情で人を裁くな!!理性で裁け!!!反省しているかを決めるのはあなた方だが、第三者の目から見て言えば異様きわまりない。何度も私や我が盟友が苦言を重ねても、理解する意思がないなら、私はあなた方が現実を素直に受け止めるまでいう。
 ラーズグリーズ氏という方がおられる。この方は『裁判員制度を廃止させよう!』というブログを展開されておられる。

 http://ameblo.jp/no-saibanin/
裁判員制度を廃止させよう!

 そのブログの中で死刑制度存続派はことごとく論破され、何も反論できないのである。それもうなづける、冷静なラーズグリーズ氏に感情的に論戦を挑んでも負けるだけだ。もしくはラーズグリーズ氏を井上静氏に置き換えてもうなづける。
  被害者及び遺族は西鉄バスジャック事件の被害者である山口由美子氏をご存知であろうか。2000年5月にこの事件はおきた。山口氏は事件前は悪いことをし たら罰せられて当然、そして殺人を犯した人は死刑になって当然と思っていたそうだ。そういうことを深く考えも せずにそう思いこんでいた。
 それ が、自分が事件に遭遇し、事件を起こす側の人の気持ちに触れた結果、ほとんどの加害者は、事件をおこすまでまわりの人々からの被害者だったということに、 気づいたそうだ。いろんな人から心を傷つけられ、そのやり場のない気持ちをだれにも理解されずに、ぎりぎりのところで自分の尊厳を守るため、他人に刃物を 向ける人がいる事実に気がついたのだ(ただ、目にみえる刃ではない。ハラスメントという攻撃もある)。
 犯罪に至るまでの生命の軌跡に共に向き 合い、人として尊重されて初めて謝罪の心が生まれてくると山口氏は指摘している。『被害者がいちばん望んでいるのは、加害者の心からの謝罪、そして再び罪 を犯してほしくないということ』という言葉は、今回の事件の関係者の発した言葉とやらに比べてはるかに重みを感じる。
 今回の事件でそもそも問題 なのは、未成年で妊娠という不適切な関係を交わしたことだ。これはこれで非難に値する行為である。事件に巻き込まれ殺された女性2人と傷ついた男性には同 情はするが、次女の行為は決して許されない事である。それを認めない限り、私は同情はできない。妊娠して出産するという事は責任を担う事でもある。だから とて、被告人のやり方は容認できない。
 そこで、もう一人犯罪被害者の遺族を紹介しよう。愛知県で保険金目当てに弟を殺された原田正治氏である。 この人も被告人に強い怒りを覚えていたが面会したことがきっかけで被告人が反省を重ね、やりとりを繰り返すうちに死刑執行に反対するようになったが、死刑 は強行された。
 それ以来、被告人と被害者の接点を作る運動をおこしているそうだ。ちなみに被告人の遺族も自害したという。その事への罪悪感も抱えておられるようだ。

http://masaharu49.blog27.fc2.com/

 原田氏と山口氏に遺族及び被害者は面会しなければならない。そうして、自らのゆがみを厳しく見つめ直さねばならない。それが完成しない限り、真の再生とはいかない。
 今回のケースでは少年が小さい頃から暴行を受けていた事実が明らかになった。つまり、モラルハラスメント被害者でもあったのだ。その被害者が加害者になったのは何故か、社会全体で考え、分析する視点が欠けているとしか思えない。
 被害者及び遺族にはカウンセリングを充実させるべきだ。だが、死刑判決では彼らは癒せない。目先の厳罰では犯罪はかえってアクセルを踏むように増える。横浜で起きた殺人事件で死刑判決を垂れ流された被告人が控訴したが、終身懲役で被告人を裁いてもらいたい。

 この裁判の控訴審が11月1日から始まっている。
  私は死刑判決の取り消しを仙台高裁に要求する。まず、北京ルールズという、青少年の死刑判決を事実上禁止する国際法に日本も署名している現実がある。その 観点からも仙台地裁の「判決」は国際法違反である。そのルールに従わないのなら、日本は無法国家そのものになってしまう。
 「精神状態を踏まえず 残忍な態様とした事実認定に加え、更生可能性があると判断した鑑別結果などが正しく用いられず、審理が不十分。科学的調査から慎重に審理されるべき少年事 件は、裁判員裁判の対象として限界がある」という弁護側の指摘こそ、理にかなったものであり、感情で死刑判決を垂れ流した判決もどきこそが糾弾されてい る。
 そもそも、このコラム群で指摘したように感情で人を裁くことは無益そのものであり、本来は喧嘩両成敗が基本だ。それがただ加害者だけに責任を押し付けるやり方ではまさに加害者の更生にマイナスになるばかりか、加害者の社会的抹殺につながってしまう。
  本来の裁判は罪を憎んで人を憎まずという思想により、理詰めの裁判が行われてきた。だが、人を感情で裁くというならば、それはもはや法廷が公開殺人の現場 になってしまう。それとも、国家による殺人の許可を裁判が出しているというのなら、それはもはや殺人罪を国家にやらせるようなものである。
 遺族はその重大性を認識しているのだろうか。私はオウム被害者にも同様の危惧を覚える。このことには「来栖宥子★午後のアダージォ」(URL:http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47)より2011年11月30日付記事「獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている」(URL:http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/63db65c218a5ee890796ceededb22c87)より引用する。
  この記事では東京拘置所に永年務めてきた医師の加賀乙彦氏の著『悪魔のささやき』集英社新書が引用されており、麻原彰晃(松本智津夫)被告の症状は拘禁反 応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性(偽痴呆性というのは、脳の変化をともなわない知的レベルの低下のこと。言語は理解しており、言葉 によるコミュニケーションが可能な状態)の無言状態にあるとのことで、拘禁反応自体は、そのときの症状は激烈であっても、環境を変えればわりとすぐ治るそ うだ。
 まず、麻原の治療を急がねばならない。そこから様々な弁護士や捜査官を集め、多角的にオウム事件を再分析すべきだが、残念だが感情で裁く 現状では難しい。だが死刑にしたら、確実にオウム真理教の流れをくむアーレフの信者たちのマインドコントロールを解くことは永久になくなるだろう…。
 むしろ犯罪者にとっては「憎しみは我が力」(聖戦士ロビンJrの悪役バトル・デーモスのセリフ)に過ぎないのだ。


2012年01月02日

人は感情に振り回されてはいけない

香山リカ 震災復興の威勢良い掛け声が日本人を追い詰めた
2012.01.01 16:00

NEWSポストセブン
http://www.news-postseven.com/archives/20120101_78668.html

【香山リカ氏「震災復興が日本人を追い詰める」】

最近、自分を追い詰めている人が多い。「もっと頑張らないといけない」「もっと成長しなくては」、と。だが、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、頑張り過ぎずにほどほどに生きる「ほどほど論」を提唱する。(インタビューアー=ノンフィクションライター・神田憲行)
* * *
――香山さんが「ほどほど論」を考えるに至った経緯をお聞かせください。
香山:精神科医としてビジネスマンの診察をしていて、「もっと頑張らないといけない」「もっと成長しなくては」と成長幻想に取り憑かれて、鬱病を発症させる人がここ10年ぐらいの間に増えてきたと感じたからです。
それは行き過ぎた成果主義で会社から「成長」を強制されるパターンもあれば、外部から強制されていないのに「もっと頑張らないと」と、自分で自分を追い詰める人もいます。なんで今の自分を簡単に否定して成長しなくてはいけないのか、とても疑問に感じたんですね。
――そうなった社会的背景はなんでしょうか。
香 山:やっぱり経済だと思う。昔はほっといても右肩上がりの成長神話を素朴に信じることが出来て、普通に働いていれば企業も日本経済も成長出来た。ところが 経済が停滞するとそれを受け止められずに、「社会が成長しないなら個人が成長しなくては」という個人の生産性を上昇させることが求められてきます。
これに「世界中が競争相手」というグローバル化が煽る。1990年代後半には終身雇用、年功序列というそれまでの日本企業モデルが単純に自己否定される。その自己否定が個人にまで及んできた、ということです。
――昨年、我々日本人は震災という大きな体験をしました。これはそういう流れに影響を与えましたか。
香 山:最初は、経済成長より命とか隣人との目に見えるつながりが大事だと気づく契機になるかなと思ったんです。原子力発電についても「電力=経済成長」なの で、原発じゃなくて自分たちがリスクコントロール出来る範囲内で電力を確保しよう、という強烈な反省につながるんじゃないか、と。
もちろんそういう雰囲気も出てきました。しかし、「これは第二の敗戦だ。再び輝くチャンスだ」みたいな威勢の良い掛け声が産業界から出てきた。成長のスピードを緩めるのでなく、「もっと頑張らねば」と拍車をかける方向に働いているように見えます。
――自己啓発本も相変わらず売れています。
香 山:曖昧で混沌とした社会を生き抜くには、収入を増やすことが幸せにつながると価値観を単純にしたい人が多いからでしょう。自分はもっと出来る人間のはず だ、もっと向上できる。でもそれは一時的な自己暗示に過ぎません。自己啓発本を読んだ瞬間には元気になれるかもしれませんが、短時間しか効かない精神安定 剤みたいなもので、根本的な解決になりません。
私は自己啓発本を読んだり何人かの著者の方と対談したりして感じたんですが、あそこで提示されてい る「理想的な人間」モデルは、合理的で生産性を追求するタイプなんです。人はインセンティブを与えれば頑張れるはずであり、向上したくない人などいないと いう人間に対する素朴な信頼感みたいなのがある。
でも人間てそうでしょうか? 私、人間ってもっとろくでもない存在だと思うんですよ(笑)。立派 な人が突拍子もない行動に出たり、「なんであんな人を」と周囲が思うような人を好きになっちゃったりとか(笑)。自分の心を完全にコントロールすることな んて出来ない。でもそれが人間たるゆえんであり、そこから芸術が生まれたり、人との出会いで気づかされることも出てくる。
人間の矛盾を認めることが、この社会に本当の豊かさをもたらすのだと思います。

http://www.news-postseven.com/archives/20120102_78674.html
* * *
――自分で自分を追い詰めちゃう人の特徴ってありますか。
香山:仕事で達成できた六割じゃなくて、出来無かった四割ばかり目がいって自分を責める人。まずは出来た六割を自分でちゃんと評価して欲しい。
あと物事を「0か1か」「全肯定か全否定か」で判断してしまう人も多い。これをボーリングのピンが両端に分かれている状態のようなイメージで、精神医学の用語で「スプリッティング」と呼びます。判断が極端から極端にふれる人ですね。
――「スプリッティング」という人は以前から多かったのですか。
香山:社会全体がそうでした。小泉さんが選挙で「郵政改革に反対する人は守旧派」とレッテルをはったり、アメリカがイラクと戦争をするときに「アメリカの側に立たない者はテロリストと見なす」と宣言したり、イエスかノーを迫って中間がありません。
「もうちよっと考えさせて」という猶予ももらえない。これも震災以降、とくにその傾向が強まってきたと思います。
――というと?
香山:たとえば私が原発問題に関して精神医学の見地から発言すると、「隠蔽工作に荷担するのか」と批判にさらされる。ひとつの問題について様々な見地から意見を重ねていくという行為は今までは許されていたはず。
し かし原発に関しては「反対か存続か」という意見しか許されない。ツイッターでは140字の制限があるので意見の「前提」や「留保」がそぎ落とされ、「結 論」だけがリツイートされて蔓延していく。震災では活躍した有効なネットツールではありますが、原発を巡る言論では異論を封じ込める機能をもっていると思 いますね。
黒か白かだけで相手を判断して、ひとつの意見が違うだけで人格までも全否定してしまうと自分の居場所を狭くしてストレスの大きな原因になります。
――どうすれば「スプリッティング」をやめさせることができるのでしょうか。
香山:非常に難しいですね。そういう判断を繰り返すと自分の生活が狭くなって、自分で自分のクビを締めるようなことになりますよ、と教えるしかない。逆に自分が白黒でなんでも判断するようになったら「これは危ないゾ」というシグナルだといえます。

 今日の関東地域の大学を対象とした「箱根駅伝」を、香山氏の指摘の前半に論じたいと思う。
 箱根駅伝で東洋大学が往路優勝を飾ったが、最下位になったのは東京農業大学だった。5区を担当した津野浩大選手の不振により、最下位になったのだが、その際の日本テレビのあおるかのような報道には心から疑問を覚えた。
 これは、東日本大震災にもいえることである。「がんばろう東北」と掛け声だけかけてはいても、どうやって再生すればいいのかが問われている。中身を我々は絶えず求めていかねばならない。日本人と言う狭い概念に私たちは戸惑ってはいけない。
 後半についてはこのコラムを引用する。拙コラムで恐縮であるが引用する。

署名することの意味を忘れたのか(小野哲)
テーマ:国家、人権
2009-03-30 10:00:38
名古屋派遣社員強盗殺人事件の「判決」で、死刑判決を求める署名運動をした人達に警告したい。
 あなた方の軽挙妄動と言うべき今回の暴挙は、日本が司法国家ではなく「北斗の拳」のように力だけが全てという無法国家に成り下がったことを意味する。
 無法国家と言うことはすなわち、米国のように過剰な防衛が正当防衛とされる社会だ。これが、日本社会と全くそぐわないのは言うまでもない。
 そうなると、あのバーモント州に留学していた服部佳久さんを射殺したロドニー・ピアーズのように明らかに悪意があるのに巧妙な手口で無罪を勝ち取るような犯罪者が出てくる。それが犯罪被害者にとって痛打なのは言うまでもない。
 そして、医師の世界でも悪質極まりないケースがある。
asahi.comより
人工心肺担当医、二審も無罪 東京女子医大女児死亡事故
2009年3月27日15時3分

  東京女子医科大病院(東京都新宿区)で01年3月、心臓手術を受けた小学6年平柳明香(あきか)さん(当時12)=群馬県高崎市=が死亡した事故で、業務 上過失致死罪に問われた元同病院医師佐藤一樹被告(45)に対して控訴審の東京高裁は27日、一審に続いて無罪判決を言い渡した。
 平柳さんの手術では人工心肺が使われ、佐藤医師が操作を担当していた。しかし手術中に人工心肺の循環回路に血液を引き込むことができなくなり、平柳さんは重い脳障害を負った。
 判決は、死因について、脱血管の位置不良などにより、送血が続けられているのに相当な時間にわたって脱血がうまくいかず、頭部に血がたまった可能性が高い、と指摘。「佐藤被告による人工心肺装置の操作に起因するとは認められない」と検察側の主張を退けた。
 四国新聞 元担当医の保険医取り消し/女児死亡の心臓手術事故
 2006/11/10 19:37
  2001年に東京女子医大病院(東京都新宿区)で心臓手術を受けた女児が死亡した事故で、東京社会保険事務局は10日、事故を隠ぺいする目的でカルテ改ざ んを主導したとして、元担当医瀬尾和宏医師(50)の保険医登録を15日付で取り消す処分を決めた。原則5年間は再登録できない。
 同病院も保険医療機関としての監督責任などを問い戒告とした。保険医登録の取り消しはこれまで、診療報酬の水増し請求など金銭面での不正が大半で、厚生労働省によるとカルテ改ざんでの取り消しは初めて。
 記者会見した厚労省の阿部重一医療指導監査室長は「カルテは医療の根幹。今後も重大な結果を伴う改ざんがあれば、調査し保険医登録を取り消すこともあり得る」と語った。
  東京社会保険事務局と厚労省、都は昨年4月から今年8月にかけ、同病院を合同で監査。死亡した女児を含む患者31人分の記録を精査した。その結果、瀬尾医 師の記録改ざんは保険医の規則違反に当たると判断。同事務局が10日、東京地方社会保険医療協議会に諮り、登録取り消し処分が相当との答申を受けた。
 病院は、監督責任のほか、院内感染防止のため個室に移した患者から、本来徴収すべきでない差額ベッド料を徴収したことも問われた。
  このほかに監査の中で、カルテに麻酔患者の観察記録を書かずに麻酔管理料を請求するなど、診療報酬の算定基準に合わない請求が31人中11人分から見つか り、金額は判明分だけで計約100万円。病院は指導を受けて今後、過去5年分の全患者について調査し、同様のケースは保険者と患者側に返還する。返還総額 が判明するには半年程度かかる見通し。
 戒告を受けても病院は保険診療を続けられるが、半年間は新たな診療報酬加算は届け出できない上、状態が改善するまで、引き続き社会保険事務局の指導を受ける。
 同病院では01年3月、心臓手術を受けた群馬県高崎市の小学6年平柳明香さん=当時(12)=が死亡。瀬尾医師は証拠隠滅罪に問われ、有罪判決が確定している。
 また厚労省は昨年2月、医師法に基づき、瀬尾医師に医業停止1年6カ月の行政処分を決定。明香さんの両親はそれとは別に、病院と医師らに対する保険診療上の監査と処分を求めていた。

 この裁判でも、残念ながら見落としている視点がある。
 医師はなぜ高い給料を受け取っているか、なのだ。それは患者の命に対するリスクを背負っていることに対するプレミアムなのだ。
 佐藤被告はこの事を何と思うのか。亡くなった被害者の父親である平柳利明さんは歯科医だったのでたまたまこのような医療過誤に気がついた。
 私は佐藤被告のブログを見てみたのだが心の奥から激怒した。その理由は被害者に対する謝罪と償いの言葉がないからだ。平柳さんは冷静で医療過誤問題と真っ向から向き合っている。佐藤被告は犯した失敗とその結果生じた責任に対して逃げている。
 カルテ偽造が組織ぐるみだったのは明らかなのだが、私はこの事は御輿理論で裁くべきと言いたい。御輿を担いでいた者と担がれていた者は同罪というのが私の論だ(この論で言えばライブドアの平松某も堀江と同じ罪があるわけだ)。
 それなのに元勤務先の大学病院に責任を押しつけていて、自らの保身ばかりに走っている。これが人間の言うことなのか。
 確かに、大学病院の責任は重い。それは私も佐藤被告とその点では一致する。だが、立ち会った者にはそれなりの責任があるわけだ。その責任はどこに行ったのか。
 それを故意に誤魔化し、自らの正当化にばかり走る。そして小児科医の代弁者と言わんばかりの傲慢さ。
 これでも無罪判決の署名が出されたのだろうが、彼らは亡くなった少女の命を二重三重の手で踏みにじったという意味でも共犯だ。
 佐藤被告は国家権力による権力犯罪と言うが、その言葉を使っていいのは国家からモラハラ攻撃を喰らった井上静氏や植草一秀氏、三井環氏、故宮本政於氏、緒方和夫氏だけである。私には佐藤被告の主張の根拠は全く理解できない。
 佐藤被告に言うことはただ一つ、「無罪有罪にかかわらず人間としての良識に従って即座に医師免許を返上しなさい」。その一言に尽きる。この男は責任を逃れんと言い逃れして民事法廷で生涯背負いきれない罰金を払うよう命じられたロドニー・ピアーズと同じではないか。
 そして、署名することの意味はそう軽いものではない。そのことに対して起きたことに対する責任を取ることが同時に生まれるのだ。責任を取ったからオウムの林郁夫は罪を償う機会を被害者の遺族から与えられたのだ。
 人として信頼を勝ち取るには責任を認めて真っ向から向き合うこと。これは山口県光市の母子暴行致死事件の被告にも言うことだが、被告は明らかな発達障害だった為それが芽生えないまま暴走した。
 それを芽生えさせ、責任を自覚させてこそ初めて罪と向き合える。よってこの場合は死刑は不適切だと私は主張している。死ぬまで罪を償わせる終身懲役刑が究極の極刑であることは明らかだ。
 法律はあくまでも人と人との調停役としての役割なのだ。それを知らない者には法律を語る資格はない。また、感情的な法律は大きな自滅のきっかけになるのだ。
 感情的な法律の果てに待っていたのが戦争だったというのが、ナチス・ドイツだ。もう、ナチス・ドイツは繰り返してはならない。

適当に言葉を連ねただけの『お笑い』芸人には世界は見えない(小野哲)
テーマ:media
2009-03-28 13:31:04
  モンスターエンジンという『お笑い』芸人のネタをこの前TBSで見たが、全くつまらなかった。あれで売れているというのだから信じられない。『暇を持て余 した神々の遊び』とかいうのは、荒らし投稿者と全く同じ世界だろう。私は相手にする気持ちはない。どんなによくても苦笑ものでしかない。
 アメリ カ原盤の『セサミストリート』であのチャップリンのまねを見事なまでにこなす女優のソニア・マンザーノがいる。日本ではマリアでおなじみだろう。その チャップリンは独裁者という名作を作った際、「アーリア民族なる血の神秘的迷信は断固笑い物にしてやらねばならない」という反ナチズムで戦った。だから枢 軸国では嫌われたではないか。本来、芸人は権力者に嫌われる習癖があるが、日本では権力者にゴマをする傾向が見られる。
 所詮は「旦那、それはな いでゲスよ」程度の持ち上げ屋なのだ。チャップリンみたいに戦った日本の芸人はザ・ニュースペーパーぐらいか。それでも、ごくわずかなのだからがっかりす る。昔、三木鶏郎というコメディアンがNHKラジオで政府を皮肉る番組をやっていたが「保守」政治家の弾圧にあった。それ以来メディアの権力へのゴマすり はひどくなった。
 いや、単に「お笑い」だけならまだしも、最近では評論家の中にも信念のかけらがないバカが出てきた。特にひどいのは小林よしの り、田中康夫、田原総一朗、そして長谷川慶太郎である。この四人に共通していることは確たる信念を持ち合わせていない。小林の『ゴーマニズム』はほとんど 第三者の意見で変わってくるし、田中なんかは恩人の筑紫哲也氏を誹謗中傷し、『長野県知事』時代は頑迷だけで突っ走った。だから片山善博早大教授(前鳥取 県知事)や浅野士郎氏(前宮城県知事)から辛口得点になる。太田昌秀氏(沖縄県知事、現在の「知事」は金権選挙による民意を反映しない自称知事なので認め ない)からは何一つ言及されないほど低レベルなのだ。「日本はこう変わる」と毎年の予測本を書く長谷川は見方でダッチロールがひどすぎる。そして八方美人 のようなそぶりで実はヒトラー小泉の応援団員の一人だった田原に至っては小泉『改革』が破綻したのにも関わらず必至になって持ち上げている。そのことを指 摘する金子勝慶応大教授の指摘には耳を傾けない。だから佐高信氏から見捨てられるのだ。
 信念なき者が信念を語るとは笑止千万ではないか。まさし く、言葉を『暇を持て余した神々の遊び』のように使っていて、言葉には重みが感じられない。だから信用を失うのだ。ウクライナの自称首相のティモシェンコ 女史も、最初はロシアからの独立を叫んでいたのにいつの間にかロシアべったりだ。いかに信念がないかを物語っている。

 ふれる程度で語るが、警察による被疑者取調の全面録画は警察の信頼度を高めるためにも絶対に必要だ。恐れることなく、全面録画に踏み切ることを求めたい。被疑者との人間関係が構築できないという主張はとるに足らない詭弁だ。
 冤罪があるから、警察の信頼度は低下する。それで迷惑なのは現場でまじめに仕事をしている人たちではないか。彼らのためにも是非、警察は取調の全面録画を行ってほしい。

「血の神秘的迷信」よりも心の国際化を(小野哲)
テーマ:国家、人権
2009-03-27 12:38:08
 今回のタイトルは映画「独裁者」をつくったチャップリン自伝の一部から引用した。
 チャップリンにとってナチスドイツ、ましてやヒトラーは「断固笑い物にしてやらねばならなかった」。それほどチャップリンにとってはヒトラーの主張は受け入れられないものだった。そこでトコトンまでこき下ろしたわけだ。
  さて、日本にはザ・ニュースペーパーくらいしかチャップリンの志を受け継いだ芸人はいない。だが、相変わらず日本の国籍政策は本当にお笑いものだ。相変わ らず血統主義という全く「血の神秘的迷信」にすがりついている。フランスやアメリカ、カナダのように出生地主義による国籍付与が大半なのに対して日本はス イスなどと「血の神秘的迷信」にすっかりすがりついている。
 出生地主義になることに反対する人は「外国人が際限なく日本に入ってくる」というが、私はそうは思わない。日本の文化はそんなに弱いものなんだろうか。日本語にはそれなりの力があるではないか。誰もまねできない季節の移り変わりからくる文化はすばらしいものがある。
  そうした文化を愛し、作家のC.W.ニコルさんやアシスト社長のビル・トッテンさんは日本国籍をとった。彼らを「血統主義」から見ると「特別な日本人」扱 いするのだろう、「ガイジン」呼ばわりするのはその名残ではないか。恥ずかしながら私も小錦(現KONISHIKI)の日本語を聞きたいと思っていたのは 心の中にある、ある種の差別的思想だったのかもしれない。これは恥ずべき事だと思う。
 だが、そうした差別的視線で見る輩ほど日本の文化を分かっ ているのか。私とても残念だが分かっているとは思わないが、地域の一員としてとけ込もうとしている彼らを無にするわけにはいかない。国はそうした彼らも含 めて成立しうるものだ。スイスの場合、周辺を大国に取り囲まれたこともあり強硬姿勢をとらざるを得なかったのだろうが、日本は幸いにして海で守られてい る。
 だから、それほど入ってくることはないだろうとは思うが、問題は空港・港からの人の出入りである。そこからの出入りはある程度規制はすべき だが、日本にとってはいずれにせよ、出生地主義への転換は避けられない。私は早ければ早いほどいいと言いたい。そのかわり、国家が優秀な外国人を集め込 み、国家産業の担い手の一員に据えて地元の人材育成に一役買うなどの活性化対策は必要だと思う。
 今後、私はロシアやアメリカ、中国からの移民が 増えてくる可能性があると見ている。何故なら、経済の不安定化がアメリカを世界一の国から引きずりおろしたわけで、アメリカに人が集まる理由はない、そこ でアメリカよりそこそこ治安のいい国に移り住むのが常なのだ。ロシアもそうだ、ロシアも頭脳ソフトを活用できていない上にプーチンですらも経済危機には対 処できなかったし、中国も人口増加に対処できない。
 潮流が起きる前に行動すべきだ。それを私は何度も指摘したい。たかが君が代を歌わないから愛 国心がないだの、日の丸を掲揚しないから愛国心がないでレッテルを貼るフランコ石原の非常識ぶりには呆れる限りだ。こんな男に五輪精神は無縁だ。それより は心の国際化を進めろと言いたくなる。

「撃てば癒せるのですか」(小野哲)
テーマ:国家、人権
2009-03-19 00:43:02
闇サイト事件で2人に死刑 1人は無期、名古屋地裁

  名古屋市の会社員Aさん=当時(31)=が2007年8月に拉致、殺害された闇サイト事件で、名古屋地裁(近藤宏子裁判長)は18日、強盗殺人罪などに問 われた3被告のうち、元新聞セールススタッフB(30代後半)と無職C(30代前半)の2被告に死刑、無職D被告(40代前半)に無期懲役を言い渡した。 求刑は全員死刑だったが、D被告については自首が成立していることを評価した。
 近藤裁判長は判決理由で動機について「3被告が楽をして金もうけ をしようとした利欲目的で行ったもので、動機になんら酌量の余地がない」と指摘。犯行態様についても「被害者の命ごいに耳を貸すことなく犯行を遂げた。無 慈悲かつ残虐であり、戦慄を覚える」と厳しく非難した。一方でD被告の自首については「事件の解決、逮捕、次の犯行阻止の大きな要素と認められる」と評価 した。
 検察側は論告で、最高裁が死刑適用基準として示した「永山基準」に触れ、特に重視されてきた被害者数について「要素の一つで、絶対的な基 準ではない」と指摘。その上で殺害方法などを強く非難し、闇サイトを利用した犯罪の社会的影響の重大性や遺族の処罰感情を訴えて死刑適用を主張した。
 3被告側は最終弁論で、「殺害は偶発的」などと事件の計画性や自身の主導的立場を否定。その上で「被害者1人で死刑が確定した過去の事件ほど悪質ではない」と死刑回避を求めた。
2009/03/18 12:35 共同通信

志賀原発停止の1審判決取り消し-控訴審で住民逆転敗訴
(3/18 12:14更新)
  北陸電力の志賀原発2号機(石川県志賀町)の耐震性に不備があり、震災で被ばくする恐れがあるとして、周辺住民らが北陸電に運転差し止めを求めた訴訟の控 訴審判決で、名古屋高裁金沢支部の渡辺修明裁判長は18日、原子炉の耐震性は妥当と判断、運転停止を命じた1審金沢地裁判決を取り消し、住民側の請求を棄 却した。
 住民側は逆転敗訴。住民側は判決を不服として最高裁に上告する。
 渡辺裁判長は、2号機の安全対策が2006年の1審判決後に 改定された国の耐震指針に適合していることを認定。「活断層や、地震動の評価は妥当で、能登半島地震や新潟県中越沖地震の影響に照らしても、事故により住 民らが被ばくする具体的危険性は認められない」と指摘した。
 1審判決は、当時の耐震指針の妥当性を否定し、国内の商業用原子炉で初めて運転停止を命令。控訴審では、新指針に基づく原発の耐震性や地震規模の再評価に対する判断が焦点となった。
 渡辺裁判長は「未知の断層による地震を最大マグニチュード(M)6・8と想定した北陸電の評価は妥当で、評価方法も最新の知見を採用している」として、M7・3を想定すべきだとした住民の主張を退けた。
 原告は石川など16都府県の128人。住民側は、1審後に改められた新指針や地震の想定は不十分と指摘。07年の能登半島地震では原発が設計時の想定の2倍近い揺れに見舞われたと危険性を訴えてきた。
http://www.hokkoku.co.jp/newspack/09syakai2009031801000062.html

 今回のタイトルは「機動戦士ガンダムSEED」の登場人物ラクス・クラインのせりふから転用した。名古屋市の闇サイト女性強盗殺人事件の今回の「判決」は断じて容認できない。
  最初に述べておきたいが私は被告の犯罪を許すことはできない。だが、「死刑になってもへっちゃら」と言い放つこの連中に死刑は果たして効果があるのか。全 く無駄なことだろう。殺して被害者が戻ってくるのだろうか。我が盟友ですらも「ゾンビを死刑にするようなものだ」と言うほどモラルがなさすぎるのだ。
  そもそも、死刑制度は犯罪の抑止力にはなっていないのだ。むしろ、この不景気で凶悪犯罪が増えているのは、「刑務所に入れば待遇がいい」という信じられな いまでのモラルの低下がある。それならば、正すべきは公平と公正だろう。裁判所はそのことに詳しいはずが、分かっていないことを今回の「判決」は明らかに した。
 この日は、名古屋高裁で北陸電力志賀原子力発電所の安全性を巡る裁判で政府と北陸電力のデタラメな主張が勝手に押しつけられた「判決」が たれ流された。司法崩壊はもう、とどまるところを知らない。水戸地裁でアカス紙器の経営者が従業員の知的障害者に暴行を加えたり支援金をだまし取っていた 事件で事実上の無罪判決が垂れ流されたことに憤激した被害者が加害者の車を取り囲み、謝罪を求めたのに対し、リーダー三人が暴行したと加害者がデマを流し て逮捕され、不当有罪が出た。怒った被害者は民事訴訟で加害者に再起不能の慰謝料を支払わせた。この事件をモデルにしたドラマがTBS「聖者の行進」であ る。
 これに対して、マスメディアは全く報道しなかった。これが三権分立の監視者としての使命を果たしているのか。全くないと言うしかない。むし ろ、ゆがんだ役割を一緒になって果たした。今回の「判決」には死刑要求署名運動が起きたが、私は危険性を感じた。何故なら、今回の犯罪の背景にあるのは何 かを見ないで感情的に死刑を求めることは、法秩序に反することではないか。死刑要求署名運動に関わった全ての人たちは、同時に重大な責任を背負ってしまっ たことを知らない。今回の「判決」は、新たな凶悪犯罪の引き金になるのは必至だ。その責任をとれる自信があるのだろうか。もし、ないというならそれは無責 任というべきものだ。
 今回の「判決」を垂れ流した近藤宏子自称裁判長は日本国憲法と、国際法をしっかり読み直すべきだった。論理性はおろか、倫 理観も欠落した裁判所の歪みを、私は見逃すわけにはいかない。日本の裁判に対する信頼はさらに今回の「判決」で失墜し、法秩序はさらに衰退してしまっ た…。痴漢ではないのに政府からでっち上げ被害を受けて苦しんでいる植草一秀氏が前々から指摘しているように、明白な無罪証拠があるのにも関わらず独断と 偏見で人を見るのでは、無法国家への逆コースを歩むに等しい。そこでは、過剰防衛ですらも正当化されてしまう、アメリカ並の物騒な社会が待っている。
 因みに私は三人の加害者に対し、一番効果的で加害者が一生苦しむキツい刑罰の案を持っている。だが、これはあえて伏せておこう。私が言えば、またしても感情で周囲が騒ぎ立てるだけだからだ。

感情で人を裁き続ける歪み(小野哲)
テーマ:国家、人権
2009-03-17 00:25:37

香川の祖母、孫殺害事件で死刑判決 高松地裁
3月16日16時50分配信 産経新聞

 香川県坂出市の祖母と孫が殺害され、祖母の義弟が殺人などの罪に問われた事件の判決公判が16日、香川地裁で開かれ、菊池則明裁判長は無職、A被告に死刑判決を言い渡した。
 これまでの公判で、検察側は「極めて悪質な犯行。短絡的で身勝手な動機に酌量の余地はない」と述べ、死刑を求刑。弁護側は「被告は知的能力が低く特定不能の広汎性発達障害があり、心神耗弱状態だった」と主張、死刑回避を求めていた。
  論告によると、A被告は平成19年11月16日未明、パート従業員、三浦啓子さん=当時(58)=宅で寝ていた三浦さんと孫の姉妹を包丁で刺し殺害、遺体を港の空き地に埋めたとしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090316-00000579-san-soci

香川・坂出3人殺害事件、控訴審も死刑判決 高松高裁

  香川県坂出市で07年11月、パート従業員三浦啓子さん(当時58)と孫のBちゃん(同5)、C(あやな)ちゃん(同3)姉妹が殺された事件で、殺人や死 体遺棄などの罪に問われた三浦さんの義弟で無職A被告(60代前半)の控訴審判決が14日、高松高裁であり、柴田秀樹裁判長は、求刑通り死刑とした3月の 一審・高松地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。被告側は上告した。
 柴田裁判長は「残忍な犯行と結果の重大性により社会に脅威を与えており、死刑をもって臨むとした量刑はやむを得ない」と述べた。
  高裁判決は、一審で被告を精神鑑定した医師2人に照会した結果を踏まえ、「犯行時に妄想を抱いていた」との弁護側主張を退けた。事前に凶器を準備するなど した犯行の計画性や、川崎被告が三浦さんの失跡を装うために犯行後に自転車などを廃棄した証拠隠滅工作なども挙げ、犯行時の完全責任能力を認定した。犯行 動機については、A被告の病死した妻が三浦さんの元夫が経営していたうどん屋が破綻した為に連帯保証人として借金を背負ってしまったこと、金のやりとりは 10数年前から繰り返し行われ、総額は数百万円に上るとみられるなどから恨みを募らせたなどとした。
 そのうえで、量刑について検討。三浦さん 殺害について「極めて強固な殺意に裏打ちされ、殺害方法も執拗(しつよう)かつ残虐」とし、たまたま泊まりに来ていた幼い姉妹を殺害したことも「悪事の発 覚を防ぐため、何の関係もない幼児2人を殺害した。酌むべき余地はまったくなく人倫に反する行為。状況も分からず泣きながら近寄ってくる幼い子供たちに執 拗に包丁を突き刺し、誠に凶悪」と指摘。控訴審で三浦さん殺害を謝罪するなど反省の態度を示した▽一審判決後に遺族に150万円の被害弁償をした――など 被告に有利な事情を考慮しても、「(一審の死刑判決が)重すぎて不当とは言えない」と判断した。
 A被告は一審で、幼い姉妹の殺害について謝罪 する一方、「恨みがあった三浦さんを殺したことは何とも思っていない」と発言し、控訴審では、三浦さん殺害についても「殺す必要はなかった。本当に申し訳 ない」と述べた。弁護人によると、今年7月の接見の際、A被告は幼い姉妹を殺害したことについて「かわいそうなことをした」と改めて話したという。
 判決によると、A被告は07年11月16日未明、坂出市の三浦さん宅に侵入。三浦さんと泊まりに来ていた孫のBちゃん、Cちゃん姉妹を持参した包丁で刺して殺害し、3人の遺体を坂出港の岸壁近くの資材置き場に埋めた。
(2009年10月14日 asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1014/OSK200910140032.html
注 裁判中なので、関係者の名前は伏せましたが、三浦についてはこの事件の原因を作り犯罪に導いた重大な責任があるため実名を公表し、社会的制裁を課します。遺族はこの事実を厳しく見据え、心から反省するよう求めます。

 私はこの事件について、以前殺されたサイドが殺したサイドに借金をしており、踏み倒したことに対して殺したサイドが不満だったという事が動機であることを知っている。このことはその当時の報道で明らかだ。
  今回の判決は断じて容認できない。何故なら、またしても感情で人を裁いてしまったからだ。こうした歪み(漢字から分かるように不正の意味合いがある)を私 達は認めてはいけない。どんなによくても、終身懲役刑が最高の刑罰だ。死刑では、今後悪質な犯罪をよけい増やすことになる。ただですら凶悪犯罪の引き金を 引きかねない自民党の呆れた暴政だ。そこへ今回の呆れた判決だ。
 幼い子供には罪はない、だから許せないから死刑にしろと言ってきた人たちに問い たい。今、死刑があることで凶悪犯罪は減ったのか。むしろ増えているではないか。我が盟友もことあるごとに指摘してきたように、犯罪発生の原因そのものに メスを入れなければ意味がないのだ。さらに、私は荒川沖の殺傷事件の動機が「死刑になりたい」という極めて絶望的な原因であることも知っている。こうした 絶望感の人に「弱者を殺せば辛い現実から逃避できる」という間違ったメッセージを世間に今回の判決はまたしても垂れ流した。責任をとれる自信があったから 死刑を求めたのだから、尚更現実から背を向けているにしかすぎない。
 もっと、現実に目を向けるべきだ。医療ミスには研修を受けさせる、命を落と した医療ミスには医師が自ら医師免許を返上する覚悟を倫理規定に遡って付け加え、改革すべきだろう。それと同じように、今回の判決以前に、金銭トラブル処 理の相談窓口をもっと増やすなどしていれば、この種の犯罪はある程度防げた。死刑になったからとしても、死人が生き返るわけがない。なので、私はなおさら 終身懲役刑を選択する義務があったと言わざるを得ない。

Now とnextの概念に翻弄されるな(小野哲)
テーマ:国家、人権
2009-04-29 18:27:29
 我が盟友が最低裁の体罰容認の不当判決を厳しく批判していた(http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10250763155.html)
  その話は全く同感だが、この批判をふまえて見てみると今まで私は自ら発してきた言葉と比較すると今の日本社会が偏狭的にNowばかりに重点を置いていて将 来を見るNextが極めて軽視されていることに気がついた。前者は私が今まで批判を続けてきたフランコ石原、小泉アホ馬鹿間抜け単純一郎、ムッソリーニ安 倍、フーバー福田、アホータロー、大阪府のヒトラー橋下、森田健作、東国原英男や自称政治家など単細胞連中に多い。
 そうした連中を見てくると、 いずれ劣らず信念がない。信念を持った人にちょっとつつかれただけで何も答えられなくなってしまうのが落ちだ。残念ながら、モラルハラスメント加害者には そうした短期の視点でしか見ていないで自らの独善的な思想を押しつける愚か者が大半だ。連中は「俺達はフェアだ」と勝手に思いこんでいるにしかすぎない。 私はこうした連中の弊害を職場で嫌と言うほど見てきている。こうした独善的な発想では進歩は絶えず「前例がない」と否定され、提案者がいじめられる社会に なりその組織は崩壊する。この前のカルデロン一家国際法違反の強制退去を批判した際の荒らし連中も所詮Now(我が盟友曰く日本という狭い枠)という狭い 観念に引きこもっているにしかすぎない。
 では、こうした連中にNextは答えられるのか。残念ながら答えられないのが現実だ。私はNextとい う概念、言い換えれば「未来はこうしたいんだ」という信念の為にNow(この場合は未来実現の障害となりうる現実)があり、Nowの問題点を解消する為に 実行する仕事が政治家の仕事であり、官僚組織はそうしたNextをサポートする機関にすぎないと考えている。植草一秀氏や佐高信氏、井上静氏や美爾依氏 (カナダde日本語管理人)など心ある人達のサイドに私はありたいと思う。小泉や橋下のようなファシズムは断固拒絶するまでだ。植草氏らに共通しているの は、信念を持った批判をしていることだ。読売新聞や竹中平蔵のようなNowしか見ない信念なき処方箋は日本社会をおかしくしただけではないか。
  だが、今の日本社会そのものがNowばかりに偏りすぎている。Youtubeに違法動画が投降されたことに対して現行の著作権法が対応できていないのも、 今まで霞ヶ関や永田町に引きこもっていたにしかすぎない。そこは今まで現実という風が全く吹かない、だから派遣労働者の置かれている苦しみに対応する政策 が全くアホータローらにはできないのも無理はない。今回の国際法違反の不当判決を垂れ流した裁判官連中もカルデロン一家を無理矢理引き裂いて国際社会の求 める在留許可を不当に認めなかった法務省の連中も朝日新聞銃撃事件の犯人という男のデマ記事を垂れ流した週刊新潮も所詮引きこもり世界の人にしかすぎな い。これで困るのはノンエリートなどの現場の人達である。
 Nextが次回の衆議院選挙で問われている。少なくとも、自民党や公明党にはその言葉 はない。あるのは民主党と共産党だけだ、後は社民党にしてもタレント政党の新党日本にしても組織の保持に汲々としているにしかすぎない。そのNext同士 で純粋な政策論争を行い、私のような未来を失ったパワハラ被害者に希望をもたらす社会になってくれることを望んでいる。Now一辺倒では希望は見えない、 だから若い人達はNowの前に押しつぶされ、絶望を覚えている。Nextという希望を若い人達が持ち続けることを望みたい。
 ただ、留意点として申し上げるが、あくまでもNextばかりが強くなった結果、北朝鮮やスターリンのソ連のような危険極まりない独裁世界になってしまうのも大変なことだ、あくまでも両概念がバランスよく整ってこそがよりよい社会へ導く鍵になるのである。

姥捨て山を選びますか?それとも抹殺されますか?(小野哲)
テーマ:企業・市民
2009-04-06 08:22:49
業過致死傷容疑を視野に捜査 たまゆら火災で群馬県警 朝日新聞
2009年3月23日
  入所者10人が死亡した群馬県渋川市の高齢者向け住宅「静養ホームたまゆら」の火災で、県警は業務上過失致死傷容疑の適用を視野に捜査する方針を固めた。 複数の捜査関係者への取材で分かった。県警は、入所者の3分の1近くが歩行困難でありながら、当直の職員が1人しかいなかったほか、たまゆらが無届けの増 改築を繰り返していたことなどを重視しており、施設側の過失責任は免れないと判断した模様だ。
 捜査関係者によると、たまゆらから出火した19日 夜は、全半焼した3棟に計16人が入所していたが、本館「妙義」の宿直室にパート職員の女性1人がいただけだった。近隣の住民らの助けを借りて無事に救出 できた入所者5人は本館にいた人たちだけで、消防隊が救出した別館『榛名(はるな)』の4人は重軽傷を負い、うち3人は搬送先の病院で死亡。7人がいた別 館『赤城』では7遺体が確認されていた。
 捜査関係者らの話では、16人のうち少なくとも5人は自力での歩行が困難だった。うち本館の2人と赤城の2人は車いすを使用し、本館の1人は寝たきりだった。赤城にはほかに、片足が不自由でつえを使う入所者もいたという。
 県警や渋川広域消防本部に施設側が提供した図面は現状と異なる点が多く、増改築の際も施設側が県前橋土木事務所への建築確認申請を怠った疑いもあるという。
 火災原因として、たばこの不始末による失火との見方が強まっている。たまゆらでは施設内を禁煙としながら、入所者の喫煙を黙認しており、県警はこの点についても注目している。


 2009年3月20日に群馬県渋川市の無認可老人ホーム『静養ホームたまゆら』で火事があり、10人がこの火事で死んだ。
  この人達はほとんどが生活保護受給者で、運営していたNGO彩経会(高桑五郎理事長)は経営安定の為生活保護受給者を受け入れていたという。その歪みは無 届け建築、火災対策への不備につながった。そして、後期高齢者医療制度という名前の保険制度。まさに日本の行政が現場軽視の政治をしていたかをこの事件は 明らかにした。この制度は今や姥捨て山制度でしかない。
 生活保護受給者を送り込んでいたのは東京都墨田区だった。彼らが独自に老人ホームをすれ ばいいという考えもあるが、施設の確保一つとっても困難だった。そして、介護保険でも苦しい運営である。日本の行政はこの前のカルデロン一家強制送還事件 で示されたように極めて硬直的な姿勢でしか取り組まない。
 この事は我が盟友がこの前批判した『内国人』思想そのもので、外に向かっては外人呼ば わり、中では内人として差別するこの歪みは極めて許されない。若松某のデトロイトメタルシティの歌のフレーズで言えば「ジジイババアを抹殺し、ガキどもを 奴隷とせよ おぞましき世界今ここに」をそっくりそのまま再現したようなものである。
 こうした行政を生み出したのはその行政を支持し、キリギリスのようにその日暮らしで何となくやってきた人達にも責任がある。アリがこつこつと蓄えてきたものを浪費しているようでは、肝心のアリは逃げ出してしまう。
 公平と公正が中心となった行政を、日本が取り戻す事がこうした悲劇を繰り返さない第一歩になる。

Neutralizer 加筆:私は去年秋に東伊豆町の『静和病院』の看護士水増し事件のことでこの病院の実態例を挙げた。今回のこともこれと同じである。我が親友が『姥捨て山』 と言っているが今や我が国そのものが『姥捨て山』化してしまっているのも同然だ。官僚を霞ヶ関に篭らせてばかりでは世間が分からないのも当たり前だ、公 平・公正な行政にするにはまずは官僚の縄張りをある程度取り除き、外を見させるようにすることが肝要であろう。
愛国心に用心せよ(小野哲)
テーマ:国家、人権
2009-06-17 20:27:00
この前のオープンコラムでコメントが来ていたので、そのコメントの回答もかねて作家のC.W.ニコル氏のカナダ時代の話をしたい。
  厚生省(現厚生労働省)の無責任な実態を暴いて見せしめに解雇された(これは当然国際法に違反する暴挙)宮本政於氏、筑紫哲也氏との対論集「自分の問題、 他人の問題」(講談社文庫)の後書きでニコル氏は日本籍を取る手続きをしていることを明らかにした(すでに日本籍を取得しており、現在はニコル・シーダブ リューが本名)。
 その中で彼は捕鯨の際の出来事を回想している。
 彼はスコットランドからカナダに国籍を変更したのだが、その動機は公 的身分の保証のためだった。その中で彼はある日系カナダ人を知っている。90歳なのにカナダの公用語である英語もフランス語も全く話せない(しかも生涯の 大半はカナダで過ごしている)。だが、周囲は「英語もしゃべれないのにカナダ国民の資格はない」と言わない。そしてニコル氏がカナダ政府の視察官として日 本の捕鯨船に乗り込んでいたとき、命の危機を救ってくれた操舵手のことをニコル氏は描いている。特にそれほどの関係ではない人を彼は身を挺して救った。ニ コル氏は彼のように他人の命を救うために躊躇わずに身を投げ出す人間こそを真の日本人だと考えている。私はそれこそが愛国心なのだと思う(だが、このこと ばかりではないことも知っている)。
 ニコル氏は「同じような肌をし、同じような行動や考え方をしないと、日本人として認めないような生き方はそ ろそろ捨てた方がいい」と指摘している。彼が国籍を取得した後の講演会で「私は日本人のニコルです」「私は日本人ですけど、英語のうまい日本人です。ただ し、日本語は下手ですけども」と言えばどっと笑うというあきれた風潮と言い、全くその通りだ(ちなみにアメリカでそんな事を笑う人はいない)。だから、キ ム・ヨナの片言の日本語に驚いた内田恭子に私は失望したのである。以前、SMAPの草なぎ剛がテレビ朝日でキムのインタビューをしていたが、その際に少々 話せることを知っていた。そのインタビューを見る機会はあったはずだ。
 カルデロン一家不当強制送還のことについては以前私はコメントしたのでここではコメントはしない。
 因みに私も祖父が第二次世界大戦時に中国に兵隊として行っていた。
  なので、この世代の主張することは分からないわけでもない。しかし、彼らがそう感じても、被害者の感じ方は全く別なのだ。私が石原慎太郎等を嫌っているの はそうした被害者への配慮のなさなのだ。国家の力でそうなったから仕方がないで片づけられる問題ではない。精神的、いや歴史的トラウマというべきものには 時間をかけて反省の姿勢を貫くしかない。
 どんないいわけをしても、被害者が納得しない限り事件は終わらない。韓国にしても愛国心は強烈すぎる、 前の革新政権が余りにもファナティックなまでにナショナリズムを強調した結果日韓関係はおかしくなった。教科書そのものが歪んでいる中国にいたってはもう 論外だろう(ただし、まともな人はアメリカや日本に留学生として逃げ込み、そのまま国籍を取得する)。だが、日本にもそれを誘発するようなおかしな発言や 行動があった。不要なトラブルをわざわざ売る愚かしさを見逃すほど被害者は甘いだろうか。ワザワザ隣人と喧嘩する愚か者がいるのだろうか。
 小泉 純一郎が戦没者を祀る靖国神社に行ったが、日本国民の資産をアメリカに流出させた郵政「民営化」で露わになったように彼には愛国心があったのだろうか。そ のほかにも統一協会から支援を受けている安倍晋三や先輩政治家の野中広務氏の出生を侮辱した麻生太郎にはあるのだろうか。日の丸を掲げ君が代を歌うだけで 愛国心があるのだろうか。そんな狭い概念では世界と日本を直視できるか、甚だ疑わしい。どんな国にも、度量の器が広い世界があるべきで、今のビルマの独裁 者には愛国心を語る資格はあるのだろうか。我々が恐れているのはそんなビルマみたいな国になりかねない懸念だ。
 因みに、1980年代後半に当時 の文部省(現文部科学省)が日の丸君が代の徹底を通達する文書を出した。その時文書を出したのが後の事務次官でリクルートから未公開株を受け取って便宜を 果たした高石邦男である。彼はリクルートから賄賂を受け取ったことが発覚した際「妻が受け取って何が悪い」と言い逃れた。だが、逮捕されて裁かれて執行猶 予付きの「有罪」判決である。
 彼ごとき人物が愛国心を叫ぶのだ。ムッソリーニが政権を奪取した際、もし失敗した場合は亡命の準備をしていたとい うのだ。そんな彼がしでかしたことでどれだけイタリアは苦しんだのか。サミュエル・ジョンソンは「愛国心は悪党どもの最後の隠れ家である」と喝破した。い ざという時、人の器は明らかになる。パワハラ被害を受けた際に私はそう強く感じた。人の器の中に愛国心は一つ一つ隠されているはずだ。

  なお、今回愛国心というテーマを出した理由には、OneStep女史のコメントによる問題提起がある。私はその問題提起には答える義務があると考え、今回 このようなコメントをさせていただいた次第だ。一応、我が意に添うコメントを我が盟友がしているので直接コメントは差し控える。
 今回のコラムが彼女の問題提起に必ずしも答えているとは私は思わない。『森の生活』の作者でアメリカの思想家であるソロー(日本で言えば宮沢賢治みたいな人)はこう語っている。
 「足なみの合わぬ人をとがめるな。彼はあなたが聞いているのとは別のもっと見事なリズムの太鼓に足なみを合わせているのかもしれないのだ」
  一つの基準で『愛国心』を規定するのでは、物事の本質は見抜けない。日本のあり方を疑問を通じて問い直すこともまた、愛国心の一つなのだ。だが、今回の問 題提起には感謝したい、なぜなら私自身、国のあり方や日本に対する捉え方でもう一度見直す機会を与えてもらえたのだから。
 ネチケットに従った建設的な批判は私自身、内面の成長につながると思う。それに対して自らの信念を見つめ直すことが出来る。
  因みに私は今、如何なる写真やアルバムはもっていない。見ることで過去のいじめ被害を思い出すだけだからだ。それは、あの正社員時代のパワハラを思い出す ことにもなり、残酷だからだ。だからほとんど関連のものは処分している。また、補足程度で申し上げるが私もオジサンそのものになっている。最近の女子高生 (もしくはコギャル)の言葉やファッションには全くついていけない。だが、それはそれでいいと思う。いずれ彼女たちも大人になって「こんな時代もあったん だな」と思うだろうし、その中から日本の文化の良さを身につけていくのだろうとも思うからだ。


見えない差別心(小野哲)
テーマ:国家、人権
2009-06-14 17:49:27
YouTubeでイギリス人の女性であるスーザン・ボイルさんの歌がアップデートされて人気らしい。
  それはそれでいいのだが、私はある種の違和感を覚える。というのはこの前の全盲のピアニストという辻井伸行さんがコンクールで優勝した後から売れ始めた話 と同じで、見かけが醜いだの全盲だのという点だけでクローズアップされているような気がするのだ。純粋にその才能だけに惚れ込んでいるのだろうか。
  そんな精神を私は見えざる差別心という。以前KONISHIKIさんやキム・ヨナ選手などのコメントで軽く触れたが、外国人の日本語は珍しいと言うことは イコール差別的なマインドを隠しているような気分がするのだ。グータンヌーボでキム・ヨナ選手が「おなかが空いた?」と日本語で話しかけたときの内田恭子 のリアクションは明らかにおかしい。そもそも彼女は帰国子女ではないか。普通驚くのがおかしいと思うのだが、私の疑問がおかしいとでも言うのだろうか(出 演したことなどのコメントについてはアメンバー限定コメントで述べていますので、ここでは触れません。また、妨害問題についても同様の態度で望みます 小 野注)。
 私はそこに日本の閉鎖性を感じる。日本人でも漢字を中華大陸から受け入れた、英語も受け入れるなど日本という国には異文化を受け入れる 度量はある。受け入れる方もアッサリ受け入れる度量があるべきだろう。高見山という力士がいた。この人はアメリカ出身だが関脇まで上り詰め、引退後は東関 親方として後輩の育成で成果を発揮した(今月で退職した)。日本相撲協会の「日本人でなければ親方になれない」というくだらない規定に苦しめられた彼は日 本国籍取得の話題に「僕はニンジンだ」とちゃかした。結局彼は日本国籍を取得するのだが、くだらない固定概念に振り回されてしまうのはばかげていると思わ ないのだろうか。
 今後、予想される民主党中心の連立内閣では、外国人の移民が増える可能性がある。内田みたいなアンポンタンは論外だ、たとえば 浅田真央が英語をしゃべって驚くアメリカ人はどれだけいるのか。くだらない既存の概念に我々はきっぱりノーを突きつけるべきだろう。また、年老いた韓国人 がなぜ日本語を話せるかも私は知っている。日本の植民地時代の教育だ。
 この問題は今年問題になったカルデロン一家強制引き離し問題にも言える。 国際法の概念で解決できるのに無理やり国内法を用いた結果、日本の世界からの評判は低下した。私が日本政府の対応を批判した際の愚かな荒らしの論理的に破 綻した暴言はそんな愚かな日本政府を疑わずに信じている愚か者としか言いようがない。批判するにも、日本という狭い概念で言うのでは世界には通じないのが 落ちだろう。
 そしてその愚かしさを引きずっているのが田母神某等愛国心を声高々にホザくバカどもである。だが、こいつ等に真っ先に徴兵令でも出 したらこいつ等は間違いなく逃げる。所詮口だけで信念のない姿勢ではアホータローと瓜二つ、口だけの護憲派でファシストの北野武と一緒にソマリアでボラン ティアしてきやがれといいたい。

2009-06-19 01:17:11
憎しみは我が力(by バトルデーモス 小野哲)
テーマ:国家、人権

今回のタイトルは一世を風靡したガムラツイストというオマケ付き菓子からアニメ化されたレスラー軍団宇宙編・聖戦士ロビンjrの敵のせりふからもらった。
  このバトルデーモス、相手の憎しみでパワーアップするため、さんざん挑発する手法を使ってパワーアップを図ったわけだ。さて、この手法を今、北朝鮮やイラ ンが用いている。むろん相手はアメリカ(場合によっては日韓)というわけだ。イランはファシストの自称大統領による組織的不正がまかり通っており、国民は 苦しみのどん底にある。経済が悪いのはアメリカの制裁のせいだと他人に責任を押しつけている。
 だが、この種の挑発に動じてはいけない。憎悪をか き立てればかき立てるほどこうしたファシズムはどんどんと勢いづく。この論は名古屋市で派遣社員からネットで強盗を誘い、殺人事件をしでかした連中にも言 える。死刑にすればこの種の犯罪が解消することはまずあり得ない。むしろ憎めば憎むほどこういうバカはどんどん増長する。大阪府池田市の大阪教育大付属小 学校で7人の児童を殺した犯人は反省するどころか憎しみをあおり、自ら死刑を選び、何もかも楽して死んでいった。癪な事に、葬式代まで我々の血税でまかな われるのだ。
 憎しみで物事に対処する方法は採るべきではない、いまこそセオドア・ルーズベルトの「右手に棍棒、左手で握手」の原則を思い出すべ きだろう。つまり、北朝鮮からの亡命者受け入れ(ただし、北海道の限界集落など過疎地域の農業に一定の期間従事してもらうことが条件で、技術を持った人に 対しては一定の期間を経て社会に対応でき次第チャンスは出す)というアメをばらまく一方で北朝鮮への制裁を行うことだ。だが、忘れないでほしいのは強硬手 段にも限度があるという事だ。六カ国協議(ただし、EUを新たに加え、ロシアはオブザーバーに降格)の下で、北朝鮮の拉致問題、核問題、エネルギー問題、 そして国家再建も含めた総括的な話し合いを提案するのはどうか(ただし、六カ国協議のメンバー国以外のアムネスティなどのNGOが議長になるべきで、今の 共産中国が議長国というのは問題が大いにある)。
 北朝鮮が犯した拉致やスパイ活動は断固として許すことは出来ない。また、自国の国民を様々な口 実をもって苦しめるやり方を私は許さない。だが、こうした国家を崩壊させるには強硬手段だけではなく、アメを絡めて内部から外部へ流出させる方法もある。 北朝鮮の最大の弱点は農業という主力の経済が衰退することだ。しかも、農業は人的ビジネスなのだ。人が少なくなればなるほど厳しい。
 そうなると、政府は否応なく強制収容していた人たちを農業に回さざるを得なくなるはずだろう。そこで、こうした人たちの亡命を行うことだ。東ドイツが崩壊したのは、労働力の西側への大量流出だった。ベルリンの壁の崩壊は、政府機能の崩壊の総仕上げにすぎなかった。
  徹底的な締め付けと、避難口の用意で北朝鮮を追い詰めることだ。また、亡命者受け入れには北朝鮮軍の軍人も入れるべきだろう。四面楚歌ということわざがあ る。漢と楚が戦争になった際、漢軍は楚の国の歌を歌って士気を削いだ。兵士の数が減った結果、楚は大敗し滅亡した。日本の弱点である国防という観点から、 屯田兵的な存在で機密に関わらない場所という条件で亡命者軍人を受け入れるのも一つだ。
 徹底的なアメと鞭の使い分けも、北朝鮮を牽制する武器になるし、彼らが収入を得れば税源になる。北朝鮮にとってみれば国力が削がれるわけだ。

 これとても、「白黒」のモノクロテレビの世界そのものであることをいみじくも証明した。
 だが、改めることはないのだろう、何しろ正しいか悪いかだけの二極論だけで決めているのだから。山下は一度、香山氏の診断を受けるべきだろう。感情で人を裁くことは新たな憎悪を招くだけであり、危険な路へと人を導く。
 また、言葉を用いると言うのなら、信念を持って発することでなければならない。感情で発するならば、それはもはやゆがみである。信念とはすなわち理にも通じるのである。感情で物事が解決できると言うのなら、いっそのこと幼稚園児に首相が勤まると言うに等しいのである。


 今回、坂出の殺人事件については鋭い指摘をしていたサイトがありましたのでここに掲載します。ご一読願います。
http://yukikaze0808.blog.so-net.ne.jp/archive/20080718

2012年01月26日

感情で人は裁けない、憎悪は憎悪を招く



 今回は長崎ストーカー殺人事件について考えてみたい。
 これは、単なる殺人事件ではない。警察の不手際もあって悲劇は拡大したのである。

長崎ストーカー殺人:警察に「なぜ」山ほど 遺族訴え
2012年1月24日 21時41分 更新:1月24日 23時47分 毎日新聞

  長崎県西海(さいかい)市のAさん(当時56歳)、Bさん(当時77歳)が自宅で殺害された事件で、Aさんの夫Cさん(58)が24日、弁護士を通して事 件に至る詳細な経緯を明らかにした。Cさんは三女へのストーカー行為などについて、長崎、千葉、三重県警に再三捜査を要望したもののたらい回しにされたな どとして「『誰も助けてくれない』と絶望的な気持ちになった」「警察に対して『なぜ』と思うことは山ほどある」と記し、警察に説明を求めている。【梅田啓 祐】

 事件は昨年12月16日夜に発生。長崎県警はCさんの三女(23)の元交際相手だったD容疑者(20代後半)を殺人容疑などで逮捕 した=現在鑑定留置中。長崎、千葉県警によると、三女は住んでいた千葉県習志野市内で、三重県桑名市に実家があるD容疑者から暴力行為やストーカー行為の 被害に遭っていたという。
 Cさんの書面によると昨年10月末、D容疑者から三女にひっきりなしに電話があり、Cさんは11月1日、長崎県警西海署に三女への傷害事件で被害届を出したいと申し入れた。しかし西海署は「事件が起こった場所の警察署で」と具体的な対応をしなかった。
  11月7日には家族と三女の同僚が三女のマンションに入ることになったため、事件捜査に支障ないように習志野署に立ち会いを求めたが「業務に関係ない」と 断られたという。D容疑者は三女の同級生や同僚らにも「殺す」などと脅迫メールを送るようになったといい、Cさんは11月21日、西海署、習志野署、三重 県警桑名署に脅迫を相談。西海署と習志野署は「メールを受けた人の居住地の警察に相談を」との対応だった。桑名署にはD容疑者宅の巡回も要請したが「西海 署と習志野署に確認する」と言ったきり、連絡がなかった。
 Cさんは「関東のさまざまな警察署に私や三女が行けるはずもなく『誰も助けてくれない』と絶望的な気持ちになった」「どこの警察署も助けてくれないと思うようになった」と当時の気持ちを記している。
 Cさんと三女は傷害事件の被害届を出すため12月6日、習志野署に出向くが「いつでもいい」と言っていた習志野署の対応は「1週間待ってくれ」だったという。
 事件1週間前の12月9日未明には、三女宅のチャイムが何度も鳴り、ベランダでたたく音がしたため習志野署に通報。警察官に「Dを捕まえてくれ」と頼んだが「顔をきちんと確認したのか」などと言われ、周辺捜査もせずに帰ったという。
 12月13日夜には三女宅近くにD容疑者がいるのをCさんが見つけたため、習志野署の刑事に「早く捕まえてくれ」と訴えたが「書類がそろっていないので逮捕はできない」との返答だったという。
 Cさんは事件当日、習志野署にあいさつした後に自宅に電話した。「妻と話をしましたが、そのとき既に私の母は殺されており、妻が電話をしている外にDが潜んでいました。電話が終わった後に、妻は襲撃を受けたようです」と悔やんでも悔やみきれない心情を明かしている。
  千葉、三重両県警の幹部はこれまでの毎日新聞の取材に対し、「D容疑者に誓約書を書かせて帰したこと、1週間待ってと言ったことは事実だが、なぜそうした のかは検証中」(千葉県警捜査1課)、「確かに電話連絡はあったが、『相談カード』には『巡回してほしい』との内容がなく、巡回の指示も出ていなかった。 今となっては判然としないが、連絡を求めておられたのなら申し訳なく思う」(三重県警桑名署)などと述べている。

      ◆長崎ストーカー殺人事件の経緯◆
(警察の対応は遺族の手記に基づく)

【2月】
下旬 D容疑者と三女が交際を始める

【9月】
中旬 D容疑者が三女に暴力、10月にも(後に被害届)
   三女はマンションで事実上の監禁状態に

【10月】
29日 Cさんが長崎、千葉両県警に相談
30日 三女の部屋に三女の親族、同僚と習志野署員2人が突入。署員がD容疑者を任意同行し「二度と近づかない」との誓約書を書かせて帰す。三女宅にはその後もD容疑者から電話
31日 Cさんが三女を自宅に連れ帰る

【11月】

1日 長崎県警西海署に「傷害の被害届を出したい」と相談。同署は「事件が起こった場所の警察署へ」
4日 千葉県警習志野署に「被害届を出したい」と電話
5日 西海署に「無言電話が続く」と相談
8日 親族が習志野署に「三女の部屋に侵入の跡がある」と通報。同署は対応せず
13日 この頃からD容疑者が三女の知人らに「三女の連絡先を教えなければ周りの人間を殺して取り戻す」などの脅迫メール
21日 西海署、習志野署に脅迫メールについて相談。両署とも「被害者の居住地の警察署に相談を」
同  三重県警桑名署に脅迫メールを伝え「Dの実家巡回を」と要求。同署は「西海、習志野署に確認する」。以後連絡なし

【12月】
1日 三女が習志野署に「被害届を出したい」と電話。生活安全課は「いつでもいい」と回答
6日 三女とCさんが習志野署へ。「刑事課が一人も空いていないので1週間待ってくれ」。後に「12、13日に事情聴取する」
8日 D容疑者が桑名市の実家を飛び出す
9日 未明から三女宅のチャイムを鳴らしたりベランダでをたたく音。習志野署に通報。警察官は「顔を確認したのか」「逮捕はできない」と言って帰る。その後、同署はD容疑者が三女宅前にいるところを職務質問。両親に連れ帰るよう指示。
12日 習志野署が三女とCさんから事情聴取(~14日)
13日 D容疑者が三女宅近くをうろつく。Cさんが習志野署に通報するも「まだ書類がそろっていないので逮捕できない」
14日 D容疑者は実家に帰るが、父親を殴り、母親の携帯電話を奪って家出。Cさんは習志野署員からその事情を聞く
16日 BさんとAさんが殺害される
17日 長崎県警がD容疑者を逮捕。習志野署が傷害容疑で逮捕状

 なお、関係者の名前は全員伏せています。

 http://mainichi.jp/select/today/news/20120125k0000m040092000c.html

 他の記事ではCさんはD容疑者に対して死刑にするよう要求している。
  だが、私は断固として反対する。遺族の心の痛みはわかるが、感情で裁けば何も社会に教訓として残らない。DV防止法・ストーカー防止法では残念だが、この 種の事件は解決できないのは明らかで私は以前からハラスメント罪を刑法に導入すればいいと考えている(なお、警告しておきたいが裁判員裁判に出た場合は即 刻実名を強制公表し、社会的制裁を加える。この行為は国際法違反である)。
 このハラスメント罪には当然、パートナーからの暴力や同僚・上司からのパワハラ、ストーカー行為を含めるべきである。これを私は何度も指摘してきたが残念だが対応しなかったのである。それでは、意味はないのである。

 D容疑者は民法で言う民事不介入を悪用したハラスメント行為を繰り返した。
  しかも、前科もあったわけである。無実の植草一秀氏にストーカーで冤罪を二度もかぶせた国家権力はこれぐらいはチェックしてしかるべきだったのではないの か。ストーカー規制法を策定するにかかわった警察庁OBの後藤啓二氏は警察は危機感を持って踏み込んだ対応をすべきだったと指摘している。

「警察が2回も警告しているのに まだ“はいかい”しているとかかなり危険な案件だということは経験上 警察もわかっていたと思います。とにかく早く対応する。早く加害者の身柄を確保して被害者の安全を図るという方針をとるべきだったと思うんですよね」

http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3146&html=2

 この行動には賛否は分かれる。しかし、身柄を確保して隔離する方法もあった。また、ストーカーは精神病の一つとも考えていい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC

 私はD容疑者が前科があったということに着目している。
 すなわち、刑務所でどのような指導を受けてきたかに尽きる。刑務所教育が間違っているとしか思えないのである。ただ、刑務所に収監されてそこですごすだけでは意味はない。私は犯罪者の更生には心理面での働きかけが必要だと考えているのである。
 それが欠落した結果、この種の犯罪が起きてしまったのである。私もこのことを強く指摘すべきだったのに指摘を怠った意味ではCさんには申し訳ないと思う。そして、周囲には言いたい。時間をかけて見守るだけでいい、無理に励ましてはいけないし憎悪を掻き立ててもいけない。
 *その後残念なことに感情的厳罰が垂れ流され、被告人は控訴した。しかも被告人はパーソナル障がいという一種の人格障害を抱えていた。これは重大な精神疾患であることは言うまでもない。死刑にすることは国際法違反なのであることは明快だが、遺族の厳罰感情に振り回された裁判員どもが言語道断の国際法違反の厳罰を垂れ流してしまったのである。


2012年02月18日

意味のない判決では裁判の存在価値はない

無駄な判決では意味はない(小野哲)
テーマ:ブログ
2011-03-26 08:07:52
A被告、死刑判決にも表情変えず
2011.3.24 18:48

 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、A被告(28)の判決公判が24日、東京地裁で始まり、村山浩昭裁判長は死刑(求刑同)を言い渡した。
 横顔は蒼白(そうはく)ながら、感情が浮かぶことは最後までなかった。
 「この上なく重い刑であることは分かっていると思います」。23日の東京地裁。主文の後、念を押すように告げた村山浩昭裁判長に、直立したA被告は静かに視線を返した。
 黒いスーツで入廷したA被告は、手錠と腰縄姿のまま、遺族や被害者が座る傍聴席に深々と一礼。これまでのほぼすべての公判で繰り返されてきた光景だ。
 「審理の最終段階で自己の行為の意味を分かり始めてきているとも思われる」「他者のことも考えられるようになる可能性がある」
 判決は残虐な犯行を指弾する一方、A被告の公判での“変化”にも触れたが、被告自身は無表情のまま。村山裁判長が控訴できることを伝え、「理解できましたか」と尋ねると、無言でかすかにうなずいた。
  傍聴を続けた被害者の元タクシー運転手、Bさん(57)は、判決に「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が脳裏をよぎったという。Bさんは「たしかにAに更 生可能性はあるかもしれない」としながらも、こう続けた。「そう考えても罪がそれに値するということ。死刑しかありえないということだ」。
 Bさんは今月に入って2回、拘置所にA被告を訪ねたが、面会は実現していない。だが、「真実を知りたい」という望みは捨てていない。「裁判で反省は伝わらなかった。だから、会って言葉を聞きたい」。
 これまでと同じように一礼し、退廷したA被告。その胸の内が語られる日は来るのだろうか。(産経新聞)
http://www.sanspo.com/shakai/news/110324/sha1103241851031-n1.htm
 なお、関係者の実名はすべて伏せています。

 それでも、私はいう。
 死刑はかえってA被告に利することになるのだ。反省するどころか居直っているだけだ。B氏はその現実をこれからいやという程思い知ることになる。私が終身懲役刑で被告人を厳しく処すべきだと繰り返すのはそういうことだ。
  おそらく、被告人は控訴するだろう。B氏は事件の背景を知りたいと話している。それについては我々は母親によるモラルハラスメントが原因だとはっきり断じ ている。そして、ネオコン・ネオリベどもによる国家私物化という最悪の複合腐敗が被告人を最悪の鬼にしてしまったのだ。
 被告人にとっては反省す る機会を得ないでただそのまま生きているだけだ。それは被害者や遺族には悪夢だ。また、犯罪被害者へのサポートを政府は急がねばならない。裁判でも被告人 の両親は他人事のように振る舞い、不誠実な対応に終始していた。私は被告人よりも被告人の両親に怒りを覚えているし、許せない気持ちが強い。
 被告人の犯した罪を許す気持ちはない。それはそれで償う責務はあるのだからだ。しかし、死刑にした結果、同様のイカレポンチどもにとんでもない事を世の中に知らせしめる効果をもたらす。
  則ち、死刑はイカレポンチどもにとっては自動自殺装置そのものだ。凶悪犯罪を犯せば社会人としての責務を放棄できる上、考える事すらも放棄するだけだ。そ れでは被害者は踏んだり蹴ったりだ。それならば、広島県三原市で多くの教え子相手に猥褻な行為を繰り返してきた変態教師の森田直樹のように懲役三十年の刑 で処し、その期間は通常刑よりも22時間も長時間労働させて過労死させてしまえばいいまでのことだ。
 過労死はある意味、空しい死である。そこから、使える臓器は徹底的に使い、後は死体を海に流して魚の餌にしてしまえばいい。葬式費も墓費もいらない効率的な刑罰である。


感情の暴走こそ、犯罪の引き金である(小野哲)
テーマ:ブログ
2011-03-21 07:02:23
 何度でも私は指摘してきたが、今回もそれから免れない。

http://www.asahi.com/national/update/0318/OSK201103180021.html
舞鶴高1殺害事件、被告に死刑を求刑 京都地裁
2011年3月18日11時52分

  京都府舞鶴市で2008年5月、府立高校1年のAさん(当時15)が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた無職B被告(62)の論告求刑公判が18 日、京都地裁(笹野明義裁判長)であった。検察側は「わいせつ行為が目的の残虐な犯行であり、被告の反省を見いだすことはできない」として、死刑を求刑し た。
 検察側は論告で、現場付近の3カ所の防犯カメラに映っていた被害者と歩く男について、専門家が「被告と同一人物である可能性が極めて高い」 と鑑定した点を強調。B被告が捜査段階で「被害者のかばんや衣服を捨てている男を見た」と供述し、非公表の遺留品の色や形を説明したことを「犯人でなけれ ば知り得ない情報だ」と主張した。
 検察側は死刑求刑の理由として、顔を何度も強い力で殴った強固な殺意や、わいせつ行為に及んだ点などを指摘。最高裁が1983年に死刑選択が許される基準として示した「永山基準」に照らし、「被害者が1人であることは、死刑を回避する事情にはならない」と述べた。
 B被告は公判で一貫して無罪を主張。弁護側は23日に最終弁論を行い、審理が終結する。公判では、被害者参加制度に基づいて女子生徒の母親(40)の代理人弁護士が「尊い家族を奪われただけでなく深く傷つけられた」として、死刑の求刑意見を述べた。
(C)朝日新聞社 なお、被告人及び被害者の実名は国際法に添い伏せています。

 この事件は被告人が過去に犯罪歴を抱えていた。
  そのほか、別件逮捕で立件した経緯もある。だが被告人は「目撃されたのは他の人。画像も弁護士の鑑定では私とは断定できないという結果がでた。マスコミは それにこだわっているんだね」と指摘している。物的証拠がない、状況証拠だけで起訴しているようでは、裁判は不成立だ。どう考えても『こいつは怪しい』だ けで立件している疑いがある。
 感情で起訴してしまえばオシマイだ。小向某が保釈されたらしいが、それでも彼女にかけられた疑いは消えない。彼女は説明すべき義務を負う(なお、この場を借りて犯人扱いしたことをお詫びします)。
  3府県連続リンチ殺人事件で、元少年の3人に死刑判決が垂れ流されたが、これとても北京ルールズというれっきとした国際法では青少年への死刑判決は事実上 禁止されている。それを無視し、遺族感情だけを優先する判決は以前から裁判の役割を指摘してきた私には歪んでいるとしか断言できない。
 判決が執行されても、被害者は元に戻らない。虚しさしかそこには残らない。また、死刑囚でも冤罪被害者はいるのだ。この事件で許しがたい暴挙をNHKと中国新聞がやらかした。少年法で禁じられている被告人の実名を暴露した。これは許されない犯罪である。
  カスゴミは社会の害毒と今回分かったではないか。感情の暴走が、犯罪への引き金でもあり、アクセルである。これは今までの犯罪に共通している。まず、その キッカケを減らす試みがどれだけ社会で行われてきたのだろうか。我々は何をしてきたのだろうか。それも含めて議論をすべきだろう。

今回の引用元
舞鶴・高1女子殺人のB被告 「直接的な証拠ない」
2010/12/17 00:23
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/475232/

2009-09-09 15:01:48
気持ちは分かるが(小野哲)
テーマ:国家、人権

青森地裁で4人の女性の住宅に侵入して金銭を奪い、うち二人の女性に暴行をふるった被告人に法的常識を逸脱した懲役15年という、感情にまかせたとんでもない『判決』がたれ流された。

被害感情を重視 裁判員裁判・性犯罪初判決 青森地裁
  性犯罪を審理した全国初の裁判員裁判で青森地裁は4日、無職A被告(22)に求刑通り懲役15年の判決を言い渡した。2件の強盗強姦(ごうかん)など4事 件を一括(併合)審理する初めてのケースで、裁判員らは犯行時に少年だった事件も含めて併合罪処理する難しい量刑判断を迫られたが、判断要素は強盗強姦の 被害感情に尽きる形となった。
 判決は量刑理由について「特に重視したのは、2件の強盗強姦事件の悪質さと重大さだ」と指摘。被害者らが意見陳述 で強調した「できれば一生、刑務所に入ってほしい。駄目ならできる限り長く入ってほしい」との言葉を挙げ、「重く受け止めなければならない」と言及した (後略)。
(報道部・若林雅人 河北新報 9月5日付記事) 
注 被告人の実名は法的公正の観点から匿名にさせてもらいます。被告人の実名も伏せていただきますようご協力お願いします。

  犯罪について私は許すつもりは全くない。だが、公平と公正がない裁判には、裁判としての価値を見いだすことも同時にない。今回の『判決』は検察の主張通り チョーエキ15年がたれ流された。被害者二人は性的暴行を受けた事もあり厳罰を望み裁判で「育った環境と事件を起こすことはまったく関係ない」と暴言を吐 いたが、私は「脳科学を勉強してから言え、バカ!!」と怒鳴りたい。父親不在、母親は病死では、道を示す人がいない。アメリカでは犯罪者の脳を解析した結 果、良識を司る部分が低下していることも明らかになっている。
 もし、酒井法子に彼女たちが同情するならそれこそ私にとってはブラックジョークである。被告にも同情しろと私は言いたい。
 新約聖書・マタイによる福音書7章1~12節ではこうある。

 人を裁(さば)くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量(はか)る秤(はかり)で量り与えられる。1-2節

  その影響もあり、キリスト教会では裁判員制度に参加しないよう呼びかけている。市民団体『裁判員制度はいらない! 大運動』(東京)は、午前10時の開廷 直前まで抗議行動を展開した。呼び掛け人の1人の織田信夫弁護士(仙台)は抽選風景を目にし、「人に刑罰を与える厳粛な場というより、まるでショーのよう だ」と批判した(河北新報より)。まったくそうだ。すでにアメリカではその前例がある。
 裁判員による裁判では、大きな失敗がある。エド・サリ ヴァン・ショー(1948-1971)という、昔アメリカCBSで放映されたバラエティー番組があったが、これでは裁判ショーになってしまう。それで失敗 したのがO・J・シンプソン事件(元妻と友人を殺した容疑で逮捕されたがメディアのショー報道化で裁判の性質がすり替わって裁判員による裁判では無罪に なった)であり、最悪の場合はロス暴動(1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国・ロサンゼルスで起きた大規模な暴動)につながりかねない。
 ロス暴動のきっかけはロドニー・キング事件、およびその裁判の結果だった。Wikipedia日本語版より引用する。
  1991年3月3日、黒人男性ロドニー・キングがレイクビューテラス付近でスピード違反を犯し、ロス市警によって逮捕された。その際、20人にものぼる白 人警官が彼を車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメ ラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの激しい憤りを招いた。
 この事件でビデオに映り身元が分かる白人警官3人(ス テーシー・クーン巡査部長、ローレンス・パウエル巡査、ティモシー・ウィンド巡査)とヒスパニック系警官1人(セオドア・ブリセーノ巡査)の計4人が起訴 された。裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際 はおとなしく両手をあげて地面に伏せたキングが無抵抗のまま殴打され、医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたとされるが、裁 判では認められなかった)、事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下した。これについては、白人
住民の多かったシミ・バレーで法廷が開かれ、陪審員に黒人は含まれていなかった事も原因の一つであるといわれる。
  これからも、裁判員制度は印象操作によっておかしくなる可能性が極めて高い。すでに植草一秀氏への不当有罪判決では、植草氏の無罪を確定づける証拠を警察 と検察が隠していたことも明らかになっている。司法改革は、警察と検察が今までの独断と偏見で歪んだ視線からどうやって卒業するかが鍵である。
 ちなみにキング氏の裁判はやり直され加害者には厳しい制裁がくだされ、シンプソンは2007年に強盗事件を起こして翌年懲役15年を言い渡された。
参考にした記事
O・J・シンプソン事件
ロス暴動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20090904ddlk02040060000c.html
裁判員裁判:性犯罪公判 心の傷、一生忘れられない 被害女性、別室から意見 /青森
毎日新聞 2009年9月4日 地方版
http://www.nunochu.com/bible/71_a1/new16.html
新約聖書 第16回
日本同盟キリスト教団富津教会 月報No.41 1999年11月号より
律法の中の律法 -山上の説教(9)-
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/09/20090905t23022.htm
青森のニュース
被害感情を重視 裁判員裁判・性犯罪初判決 青森地裁
2009年09月05日土曜日 河北新報
http://news.goo.ne.jp/article/kahoku/nation/trial/20090902t23038.html
裁判員、表情硬く 傍聴券求め977人列 青森地裁
2009年9月2日(水)15:00 (河北新報)
 これらの記事は抹消されると思われます。
 注 今回、アメンバー限定コメントにしたのは某ネットによる荒らし投稿を防ぐねらいがあります。ご協力お願いします。

 今回取り上げた裁判はいずれも裁判の本来の姿と比較しても劣化がひどいものばかりである。
 最後の事件については最悪もこの上ない。被告人のやったことは断じて許せないが、効果のない判決で呆れている。この種の犯罪者を押さえ込むには、力ではいけない。
 認知行動療法という、心理学で優れた方法がある。それを活用した上で懲役10年および罰金2億円、被害者およびその関係者への接近を禁止するという方法、重症の場合は去勢するなどの手法も用いるべきだろう。

http://prit.igakuken.or.jp/Ja/News/no329.pdf

http://fuji.u-shizuoka-ken.ac.jp/~campbell/docj/RIPE/cover/cj/lipsey_CBTfinalreview.pdf

 刑務所を海外に貸し出せ(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-12-10 11:57:42
 以前私は死刑判決を終身懲役刑に切り替えて、22時間連続労働刑にして過労死に追い込む事を提案した。
  それにより過労死で執行した後、107人以上の囚人がいなくなるということだ。ある意味、寒気のする提案だが、ただ殺すだけでは宅見某のようなアカポンタ ンを喜ばせるだけであり、意味はない。また、再審で冤罪と出ているケースが多い。無期懲役とあわせてこれらを実施すれば、刑務所のスペースは大幅に減る。
 だが、私は次の先を考えている。それは韓国、ロシア、フィリピン、オーストラリアの終身刑の囚人たちを日本で処刑代行するというアイデアだ。実はこれはオランダが隣国ベルギーに刑務所を期限つきで貸し出すケースから浮かんだアイデアである。
 厳罰化ではなく、犯罪に走る可能性を奪い去る、言ってしまえば大麻樹脂は環境に優しいプラスチックになるという研究もあるそうだ。人の口に入らないところや場所で使う事を条件にすれば容認するというのもアイデアである。ただ、違法な横流しには厳しく罰することが必要だ。

【ベルギー】隣国オランダの刑務所借用、受刑者過剰で 賃料は年間3000万ユーロ
 ベルギー法務省は16日、国内の刑務所が満員のため、隣国オランダの刑務所を今後3年間借用することを決めたと発表した。法務省は「早急に受刑者の収容スペースを確保する必要がある。2012年に新たな刑務所ができるまでの一時的な措置だ」と説明している。
 オランダ南部ティルビュルフの刑務所を丸ごと借り切り、ベルギーから受刑者500人を移送する。地元メディアによると、賃料は年間3000万ユーロ(約40億6000万円)で、刑務所の貸し借りは両国にとって初めてという。
 軍の兵舎を応急の刑務所に改造することも検討されたが、 時間がかかる上、費用もかさむとして断念した。
 ベルギーでは刑務所が飽和状態で、映画さながらの脱獄劇も起きている。
一方、オランダの刑務所では約2000室が空いているという。(共同)

ソース:MSN産経ニュース 2009.10.17 11:00
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/091017/erp0910171101001-n1.htm

  ナリナリというコラムでは警察庁の2007年版犯罪白書を見てみると、全国刑務所の収容定員7万9375人に対し、実際の収容人員は8万1255人と定員 オーバーしている(この状態は2000年頃から続いており、過去最低だった1992年の収容人員4万5082人に比べ約2倍に膨れ上がった)。
 そこで、無期懲役と死刑を終身懲役に一本化させてしまうのである。悪質なケースには22時間連続労働刑として出せば、どんなワルでも過労死できるのである。
  犯罪を非犯罪化することで刑務所への収容を減らすやり方にはあまり賛同できないが、オランダがベルギーに刑務所を貸し出すアイデアには興味がある。韓国や フィリピンなど、第二次世界大戦で日本から被害を受けた国で悪事をやらかした悪人を日本が代行して処刑するのは、どの国家で嫌がる汚れ役を自ら買って出る 事でもある。
 なお、私は終身懲役刑の導入と併せてハラスメント罪の導入を主張している。これは、ほぼ全ての犯罪の根底に共通しているのはハラス メントによる攻撃でやり場のない傷を抱えた被害者が弱者にその牙を剥き出す悪循環を断ち切る唯一の切り札である。さらに憎悪扇動罪を加えると、日本は犯罪 を緩やかにではあるが減らす可能性が高い。
 特効薬よりは、漢方薬で社会を改善すべきだ。

http://www.narinari.com/Nd/20090511679.html

  刑務所の収容人員を削減していくには、二十三時間連続強制労働刑による過労死の導入(死刑・無期懲役の事実上の統合)と知的犯罪者(つまりサイバー犯罪者 および詐欺師)による同業者の摘発(それには政府の管理下においた上で認知行動療法を受けてもらいながら犯罪者を摘発した分だけ刑罰を若干軽減していく) などの硬軟おり混ぜた犯罪対策が必要である。
 何しろ、警察がこんな体たらくでは話にならない。

あるべき捜査とは何か、考えるべきだ(小野哲)
テーマ:国家、人権
2011-07-21 11:18:51
虚偽証言強要疑惑:「二度とあってはならない」後援会幹部
  統一地方選の埼玉県深谷市議選に絡み、当選した市議の永田勝彦容疑者(67)=公職選挙法違反容疑で逮捕=から飲食接待を受けたとされる支持者が29日、 報道各社の取材に対し「こんな取り調べが二度とあってはいけない」と県警への不信感をあらわにした。相談を受けている白井正明弁護士も会見で、虚偽の証言 を強要したとして県警を批判した。
 取材に応じたのは、永田容疑者の後援会の総括責任者、馬場賢太郎さん(65)。馬場さんは2月13日の会合当日に3000円の会費を支払ったが、4月29日に県警深谷署で「会費を払っていない」とする調書に署名・押印してしまったと説明した。
  馬場さんは4月26日から29日まで4日間連続で取り調べを受け、取調官から「いつまでも呼ぶよ。1週間でも1カ月でもやるよ」などと言われたという。4 月から地元の自治会長を務めている馬場さんは次第に追い詰められ、「混乱しちゃって、何が何だか分かんなくなってしまった。自治会にも迷惑がかかると思っ た」と当時の心境を振り返り、「今はサインしてしまったことを反省している」と話した。
 馬場さんは「市民を助けてくれるはずの警察に対し憤りを感じる。不信感が募るばかりだ」と語気を強めた。
 一方、東京都内で会見した白井弁護士は、事情聴取を受けた住民には体調を崩した人もいることを明らかにした。白井弁護士は「長時間にわたる取り調べで精神的なダメージを受けた人もいる」と説明。住民には診断書を取るように勧めたという。
  また、白井弁護士によると、住民は会費の領収書は受け取っていないが、事前に会費を支払った人には預かり証が出されたという。会費の支払いを記した家計簿 を県警に押収された人もいるといい、白井弁護士は「(会費を払った物証があるのに)少しでも捜査を見直そうとしなかったのか」と、県警の対応に疑問を呈し た。
毎日新聞 2011年5月26日 15時00分http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110526k0000e040084000c.html


 検察特捜部改革とやらで提案があったようだが、私は期待していない。
 まず、公権力乱用監視査察機構を設置すべきだと考える。初代ボードには冤罪事件被害者を並べるべきで、足利事件の菅家和之氏、布川事件の冤罪被害者、植草一秀氏は当然入るべきである。
 彼等に強力な権限を与え、捜査監視と不当な捜査への是正命令などを与えるだけでも、公安警察といわれる思想警察は萎縮する。まだまだ策はある。一事不再理の原則を経済犯罪者には適用せず、死人であっても容赦なく取り締まるべきだ。
  権力乱用加害者にはバンバン取り締まるべきだが、反省しているならこの組織に加入させ、取締官にするだけでも権力乱用加害者には強烈な牽制になる。私は三 井住友銀行に関する書籍で寒気立つ情報を得ている。そうした姿勢を無視することは社会にとっては弊害しかない。堀江貴文みたいなコワルに注目する前に権力 乱用加害者を厳しくとっちめろといいたい。
 そうした姿勢を採ることで、権力犯罪の構成要素である悪徳利益を抑える事が可能になる。また、取り調 べの段階で全面録画・弁護士立ち会い義務付けは警察が率先して為すべきことである。そうすることで、警察は純粋に証拠のみで捜査・取り調べを行い、冤罪の 確率もぐっと削減できる。あるべき捜査を厳しく考えるべきだ。
 また、豊洲に壮大な空き地がある。そこにポルポト石原は築地市場の移設を妄想して いるようだが、私は刑務所の設置を提案する。地上8階、地下3階の刑務所で、絞首刑の設備は設置しない事だ。その他にも、死刑の中止(無期懲役と統合の 上、22時間連続強制労働刑の導入で過労死に追い込み、臓器は移植に回して海に遺体は流す)、ハラスメント罪(セクハラだけが対象だが、パワハラ・モラハ ラなどの新手の嫌がらせにはこれが効果抜群)・法廷侮辱罪(犯罪被害者の遺族に目立って多い)・憎悪扇動罪・セクト及びカルト団体規制の導入は社会安定に は必須である。
 法律の国際レベルに日本は追いついていない。だから検察・警察の捜査能力は劣化の一方だ。それをごまかす限り、日本は世界から信用されないのがオチである。

 それが、日本のお粗末な現実である。
 そうしたものでしか、裁判が成り立っていないということを冤罪事件は明らかにした。植草一秀氏の痴漢でっち上げ事件、足利事件を見れば鮮明になる。

  後篇に続く