2013年10月26日土曜日

戦う書評-その1-

2011年11月20日
書評 規制緩和という悪夢
 今回は竹中ヘイゾーくーん(トヨタ自動車から賄賂を受け取った御用学者)の愚かさを完膚なきまでに論破し、ネオコン・ネオリベに厳しい出直しを求める意味で内橋克人氏とジャーナリスト集団・グループ2001による『規制緩和という悪夢』(文春文庫・2002年1月)を取り上げる。
 スカイマークは今のところ業績好調らしいが、新規参入航空会社の不振で共通しているのは早期予約による割引制度である。その先駆けであるアメリカでは、新規参入航空会社が倒産したうえ、地域の足が業績不振を口実に潰されていく。その結果、北海道国際航空(AirDo)、スカイネットアジア航空は事実上全日空に取り込まれた。フジスカイエアラインは日本航空のおこぼれをもらってやっているようだが、このままの状況ではいけない。
 「大胆な規制緩和が実行されれば物の値段が下がり、消費者の実質所得が上昇、新産業が生まれ、雇用は増大する」と90年代初頭、市場万能主義者たちはこう約束した。だが、現実は貧困と格差社会しかなかった。よって解が間違っている以上、その解を変えるべきなのだ。
 この書籍ではアメリカの航空規制緩和で新規参入した航空会社が倒産した上、あのイースタン航空やパンアメリカン航空までもが破産した実態を暴いている。こうした現実から竹中は目をそらしているが、それを『改革の痛み』としてきたのがあの消費者運動のリーダーだったラルフ・ネーダーだった。
 我々は市民という言葉を安易に鵜呑みにしているのではないか。市民という言葉ほど、眉唾ものはない。その所属する環境を我々は精査し、考える作業が求められている。

http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%8F%E5%88%B6%E7%B7%A9%E5%92%8C%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%82%AA%E5%A4%A2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E6%A9%8B-%E5%85%8B%E4%BA%BA/dp/416765623X

2011年11月24日
合衆国再生
 今回の書評はバラク・オバマの『合衆国再生』(ダイヤモンド社)を取り上げる。
 今回、思い切り皮肉を込めてこの書評に取り上げた理由は、オバマの政策が沖縄イジメそのものである事を指摘し、この本から原点を取り戻してもらいたいからだ。
 アメリカの悲劇とは、二大政党制度による民意の強制的二分化であり、それが宗教問題、人種問題へとつながっていることにある。そして、凄まじいまでの利益化社会である。ホリエモンも顔負けの『稼ぐが勝ち』の世界である。それでいいのだろうか。
 オバマを生み出したのは、そうした歪みへの修正である。沖縄県への過剰な基地集中も、当然修正すべきである。だが、アメリカがやろうとしているのは問題点山積みのオストレィ強制配置である。これは、アメリカにとっても、日本政府にとっても、利益にならない。
 なぜなら、沖縄県民は伊波洋一正統沖縄県知事の元団結し、アメリカへの反発を強めているからだ。パペット北澤は彼等の声に従い、米軍基地を無条件返還するよう強く迫る義務がある。だが、それを放棄している以上、私は許すわけにはいかない。
 結果として、米軍基地を置くことは極右中国にとっては好都合である。なぜなら、沖縄県が反米色を強め、中華に接近することになるからだ。だが、そうはさせてはいけない。普天間米軍基地、キャンプシュワブ、嘉手納米軍基地の無条件返還とグアム・テニアンへの移転(当然、米国が全て負担すべきである)は最低限の米国の義務である。
 ちなみに私は沖縄県の特徴である英語が通じる事を生かし、アメリカからの移民を受け入れて情報産業の発展につなげていいと思う。そうすれば、極右中国も手出ししにくくなる。また、私はTPPや韓米FTAに批判的だ。なぜならそれはアメリカが一方的に儲かるだけであるからだ。アメリカが搾取してそれだけアメリカ人への憎悪感情が強まれば意味はないのだ。
 私は護憲保守主義者である。今の日本国憲法は必要以上に改正する必要はない。現在の憲法の上でも改善できるところは改善すればいい。つまり運用方針を改善すればいいまでのことである。

http://www.amazon.co.jp/%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%86%8D%E7%94%9F%E2%80%95%E5%A4%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%82%92%E6%8A%B1%E3%81%84%E3%81%A6-%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E/dp/447800353X

2011年12月03日
日本型ポピュリズム
 今回、読ませてもらったのは『日本型ポピュリズム-政治への期待と幻滅』(大嶽 秀夫・著、中央公論社、¥ 966、2003.8月)という本である。
 横帯に『善玉・悪玉二元論の災い』と書かれているように、媚びばかり売るだらしない政治家が増えて来ている。今回の書籍は田中真紀子と小泉純一郎、加藤紘一に焦点を絞り、その構造を分析している。細川護煕、菅直人、石原慎太郎、田中康夫らのようなカカシ政治家を生み出したものの裏には、報道番組やワイドショーなどカスゴミとの相互作用があったと指摘している。フランコ石原がそうなら、腐敗した極右にすぎない町村信孝など、田中と同じ組織締め付け選挙で選ばれたのであって、理念ではなく利権の代表者にすぎない。
 こうした政治家を私は政治家とは呼ばない。自称政治家もしくは政治屋であり、極端にいえば御用聞きにすぎない。ただ今回の書籍については全員で考えて答えを出してほしい。あくまでも今回の書評は私個人の書評にすぎないのであり、一人一人の考えは異なるのだ。

政治家(せいじか)とは、職業として政治に携わっている者のことである。

概要
 政治家とは、古代の君主、領主、閣僚、議員のほか、古代におけるあらゆる政体、地位、勢力、信任あるいは戦争による勝利に基づき権力を掌握した人々、または執政にあたった人々を指す。
 マックス・ヴェーバーは、「政治家の本領は『党派性』と『闘争』である」と指摘している。そのうえで、政治家に求められる資質として次の三つを挙げている。

 未来を構想しながら、現実を変革していこうとする情熱
 現状をいまそこにあるままに、しかも一定の距離感覚をもって理解できる洞察力
 政治がときには暴力を手段として選ばざるを得ないことを踏まえた結果責任への自覚

 近代以降の代表民主政治のもとでの政治家は、なんらかの「代表」である、ということによって正当性を賦与されている。

日本
 古代から近代にかけての政治家は、朝廷、幕府、藩それぞれの主体たる天皇、将軍、大名をはじめ、その重臣たる公卿や宿老、家老など執政・参政の地位にあった者を指すことが多い。
 現代の日本では、「衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長の職」(国会議員、地方議員、地方首長)は公職選挙法の適用対象となる公職とされ、公職にある者、公職の候補者または候補者となろうとする者が政治家の代表的な存在である。
 副知事、副市長、民間人閣僚、政治を志している人(政治活動家)も政治家と呼んで差し支えない。行政において裁量権を持つ高級官僚は、一般に行政家(もしくは行政官)と呼ばれ政治家に含めないことが多いが、広義の意味では政治家に含める場合がある(明治憲法下での貴族院勅選議員の大半もこのような高級官僚出身者であり、厳密な意味で「政治家」なのか否かについては曖昧である)。
 また政治よりもお金や権力など利権を得ることに熱心と思われる政治家を蔑称して政治屋(せいじや)と呼ぶこともある。日本の政治家の中に、特定の業界の単なる代理人でしかない者や暴力団と深いつながりを持っている者がいることも、こうした揶揄を生む理由となっている。
 近年では、親族や親戚の後を継承した世襲政治家や、タレントとしての知名度を武器に当選したタレント政治家の割合が増えつつあるが、このような形で政治家となることに疑問を呈する意見もある。高い知名度のある人を国会議員に当選させ採決要員とする政党のスタンスが問題だとの指摘もある。
 なお、比喩として、政治的な感性のある人、あるいは巧妙な言動を取る人に対して政治家と呼ぶ場合もある(小野注、この場合は策略家というほうが正しい。 以上、Wikipedia日本語版より引用)。

 政治家の役割が今こそ厳しく問われている。ここはマックス・ウェーバーの概念を今回の議論の中心に据えて、考えてみようではないか。この概念は今までの護民官と言うべき政治家に当て嵌まる。正統足立区長の吉田万三氏、正統徳島県知事の太田正氏や三木武夫氏はこうした条件をほぼ充たしているわけだ。
 では、彼らの足を引っ張った愚か者どもにこうした理念はあてはまるのか。残念ながら当て嵌まらない。どんなに言っても、その彼等のバックには利権集団が潜んでいるのだ(吉田氏らにもあるが、理念という正当性があるから認められる)。また、有名人だからと立候補させても、実行力がないなら意味はない。メダリストあがりのジミントーの橋本某などそのいい例ではないか。
 また、公約破りを公然とやらかす政治家も、私は政治家とは認めない。それは手段で選ばれる為に公約を掲げたにすぎないのであり、理念を掲げて選ばれたのではない。また、『赤』攻撃をする愚か者や愛国心を叫ぶ愚か者も私は政治家とは認めない。弱者いじめを平然と行う輩など以っての外だ。こうした愚か者ほど良く目立ちたがる。
 坂本龍馬を政治家として見るとすれば、薩摩と長州のしがらみをあっさり振り払い、合同させたことだ。それは今までの双方の遺恨に動じない行動力があったからなのかもしれない。坂本龍馬の本質をもう少し深く考えるべきで、単なるヒーローに終わらせるなと言いたい(そうした意味では私は大河ドラマを評価しない。登場人物が一人歩きして誤解されるのだ)。
 ヒトラーは連合軍がベルリンに迫ってきた際、部下からの降伏の勧めに『ドイツ国民に選ばれたのだからドイツ国民は我々を守ってくれる。自己責任だ』とうそぶいたという。自称政治家を選んだらこうなってしまう。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9E%8B%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E2%80%95%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%9C%9F%E5%BE%85%E3%81%A8%E5%B9%BB%E6%BB%85-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%A4%A7%E5%B6%BD-%E7%A7%80%E5%A4%AB/dp/4121017080

2011年12月19日
ランウェイ・ビート
 今回の書評はランウェイ・ビート(原田マハ著)を選ばせていただいた。
 ある日現われたおしゃれな転校生ビートは、イジメられっ子犬田のファッションを大改造して一躍クラスの人気者に。「誰にでもポテンシャルはある!」ビートの魔法の言葉に勇気づけられ、ファッションに興味のなかった仲間たちが前代未聞の現役高校生ファッションブランドを立ち上げる。彼らはファッション業界に革命を巻き起こせるのか?日本ラブストーリー大賞作家が贈る感動の青春小説。
 まあ、これもまた一つの個性なのである。もし、今の日本の教育現場にビートが出てきても、十分に伸ばせるのか。私は否定的である。なぜなら目先のコストにこだわっているのが現状だからだ。これについては過去のコラムより引用する。残念だが彼はまず最初に排除される可能性が濃厚だ。

議論が不透明な規制緩和(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-09-16 19:55:40
「その教育改革、待った」、ワタミ社長が提示した規制緩和の欠陥
2004年12月22日
 株式会社による学校経営を認める議論には、その前提条件に重大な欠陥がある--。
 ワタミフードサービスの社長で、昨春から中学校と高等学校の計3校を運営する学校法人の理事長を務める渡邉美樹氏の主張だ。内閣府が学校教育の規制緩和を議論するために設置した審議会の委員を今年10月に事実上 解任 されてから約2カ月。これまで沈黙してきた渡邉氏は、本誌の取材に対して解任されるに至った争点の詳細について初めて明らかにした。

 新たなタックスイーターが出現
 それは、新たなタックスイーター(税など公的な資金を貪る者)の出現に対する警告だった。
 この審議会の名称は、規制改革・民間開放推進会議。その名の通り、規制緩和の議論を行う審議会で、教育関連では、株式会社やNPO(非営利組織)による学校経営の是非などに関する議論を3年前から行っていた。審議会の委員候補として渡邉氏に声が掛かったのは今年8月のことだ。
 渡邉氏はもともと、株式会社やNPOによる学校経営に対しては、「様々な考え方を持った教育主体が増えれば、学校教育の多様化が促進される」(渡邉氏)という賛成論者。しかし、審議会で議論が進んでいた参入の前提条件に対して猛烈な反対意見を唱えた。
 それは端的に言えば、株式会社立の学校に対しても補助金の支出を認めるという趣旨の規制緩和についてだ。
 「株式会社と学校法人では利益の使い道が全く違う。このままでは、税金を使って私有財産を増やす人物が出現する仕組みを許してしまう」と渡邉氏は憤る。一体、どういうことか。
 それには、学校法人と株式会社の成り立ちの違いを知っておく必要がある。私立で中学校や高校を運営する学校法人は、事業を学校運営に特化した財団のようなもの。利益を外部に流出させることは認められておらず、教育施設の充実など、学校の内部だけに利益を還元するよう義務づけられている。
 一方の株式会社は、事業で出た利益は内部留保以外に、配当として出資者に還元できる。「私は学校法人の理事長としては生徒のことだけを考えて運営をするが、ワタミフードサービスの社長としては、出資者である株主への利益還元を強く意識する。学校法人と株式会社は、この点が決定的に違う」(渡邉氏)。
 加えて、私立の学校法人には中学校なら生徒1人当たり換算で30万円前後の補助金が私学助成金という名目で国や地方自治体から支給されている。原資はもちろん税金だ。「今や私学の大半が赤字経営。黒字でも、補助金がなければやっていけない学校が多い」(渡邉氏)のが実態だ。
 そんな中で、株式会社立の学校を認め、そこに補助金を与えると何が起きるか。渡邉氏は例として、以下のような事態を危惧する。
 誰かが株式会社を資本金1円で設立する。その株式会社が学校を経営し、土地や建物を取得するために30億円の借り入れを行ったとする。その学校は補助金を事実上の原資として借入金の返済を続ける。そして借入金の完済後に残った土地や建物は誰のものか。株式会社である以上、1円を出資をした人のものだ。利益が出れば、補助金が原資となった配当も手にできる--。既存の学校法人にはできない、補助金という名の税金を合法的に個人の懐に導くシステムが完成するというわけだ。

議論の場は日本経団連へ
 内閣府は、この指摘を「渡邉氏が参画する前に議論が終わったこと」(事務局)として退けた。年内にも、株式会社立の学校にも補助金支給を認める方向での答申が出そうな気配だ。
 渡邉氏は今、日本経済団体連合会(日本経団連)の教育問題委員会に問題提起の場を移し、事務局に事態の深刻さを訴えているところだ。「議論はまだ入門編。難しい各論の話はまだ先」(日本経団連の教育問題委員会事務局)だが、その分、教育改革のあるべき姿をじっくりと議論できると渡邉氏は見ている。
 「これは私自身が株式会社と学校法人の両方の実態を知っているからこそ見えた問題。これを放置すると教育改革が机上の空論になりかねない」(渡邉氏)。思いは通じるか。(田中 成省)

http://www.nikkeibp.co.jp/archives/350/350015.html

 この話は佐高信氏のコラムで知った事なので、詳細を把握してみた。
 教育の世界にも競争原理が持ち込まれてしまっている。そして一度落ちこぼれたら、徹底してつるしあげられる社会になっている。落ちこぼれとは失敗も含める。すなわち、一度失敗したら糾弾などして徹底してつるしあげられるとも言える。私は罪を償い、自らを厳しく裁いた者にまではつるしあげることはしない。だが、酒井法子保護観察囚や小室哲哉保護観察囚のような口だけ反省は全く信用しない。
 自らを裁いた者をつるしあげて何の効果があるのか。それでまた再犯に走れば意味はない。田代まさしのような人間をこのままでは再生産するのは明らかだ。ハラッサーどもはそれを平然と行い、罪の自覚すら乏しい。そうした輩ほど、正義だの会社のためだのとさもありなんの口先の口実に逃げる。しかし、誰も納得しない。
 私は渡邉氏をあまり信用しない。というのはあの2ちゃんねるですらも彼の経営するワタミなどは『ブラック企業』という悪名高い企業で知られているのだ。そうした企業ほど、精神力と団結だけで成り立っているのだ。言うならば、オウム真理教の『彰晃マーチ』がお似合いな企業とも言える。だが、この考えには賛同はしたい。村野瀬玲奈氏の指摘とやや重なっている。
 おそらく、佐高氏は盟友の高杉良氏から渡邉氏を紹介されて高い評価を与えているのだろうが、それでは社民党で犯した失敗を繰り返すことになる。今回のコラムのベースは佐高氏のコラムからだが、私ははい、そうですかと受け売りはしない。そうすると言うことは佐高氏にも良くないのだからだ。

http://www.amazon.co.jp/ランウェイ・ビート-宝島社文庫-原田-マハ/dp/4796678344

2011年12月29日
憚りながら
 今回は山口組の中核を占めていた後藤組の組長だった後藤忠政の語り下ろし「憚りながら」を書評として取り上げたい。
 この書籍を過去、私はこのようにコラムで用いた。売れ込み文句がすごい。

 かつて伊丹十三監督・襲撃事件などで日本社会を震撼させた武闘派団体・後藤組の後藤忠政組長。
 08年10月に山口組を電撃引退し、翌年には天台宗系の浄発願寺で得度(得度名=忠叡)。日本中をあっといわせたのは記憶に新しい。
 それから1年……財界・政界にも大きな影響力を発揮し、山口組の直参として、日本の深層を生き抜いた後藤忠政とは、いかなる人物なのか?
 本書は、半年にわたる延べ50時間のインタビューを構成したもので、これまでその人物像が明かされることのなかった伝説の組長の生い立ち、静岡県富士宮を舞台にした愚連隊時代、山口組直参昇格、竹中正久4代目の思い出、山一抗争、伊丹十三襲撃事件、孤高の民族派・野村秋介との交友、企業社会への進出、政界との交流、武富士との攻防、山口組引退の真相、そして自身の人生哲学から女性哲学までが、たっぷりと語られる。

 その中で24時間テレビ批判が行われている他、創価学会との凄まじい癒着を後藤は明らかにしている。要するに汚れ役を創価学会に頼まれて後藤は引き受けていたのである。それを野中広務に握られた結果、創価学会は自民党との関係を結ばなくを得なくなったのである。
 その種の恐ろしい腐敗はこの日本にわんさかある。例えば検察の歪んだ常識の1つとして「裁判に何を証拠として提出し、何を出さないかは、すべて検察が決めること」が堂々とまかり通る。普通だったら全てを出すのが筋である。それがないのだから恐ろしい。
 私達は取り上げられること全てを鵜呑みにするのではなく、批判的に解釈することも必要なのである。ただ、その際に判断基準になるのは事実という言葉なのである。
 
http://www.amazon.co.jp/%E6%86%9A-%E3%81%AF%E3%81%B0%E3%81%8B-%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89-%E5%BE%8C%E8%97%A4-%E5%BF%A0%E6%94%BF/dp/4796675477


2011年12月30日
十七歳
 今回の書評はこれまた過去のヒットした書籍から行う。
 「十七歳」という書籍がある。井上路望という当時女子高生だった人が書いた書籍だが、身体に障害を持つ兄、 学校でのいじめ、 個性を認めない学校への反発、 女手一つで子供を育てる母など、 自身を取り巻くさまざまな環境に揺れていた思いを全てぶちかました書籍だ。
 だが、残念ながら彼女のような個性派は日本では今でも排除されている。そりゃそうだろう、発達障がい当事者が「変わり者」として排除されている時代なのだから。排除したら楽なのかもしれないが、それでは犯罪に拍車がかかるだけである。それで本当にいいのだろうか。

http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%AD%B3-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E8%B7%AF%E6%9C%9B/dp/4591060446

2011年12月30日
天国で君に逢えたら
 今回の書評は飯島夏樹氏の処女作「天国で君に逢えたら」である。
 ちなみにこの方はがんで余命宣告を受けた世界的ウィンドサーファーだそうだ。野々上純一という精神科医を主人公にしている。そして、飯塚シュージという患者と妻のリサとの絆。野々上が飯島氏を有る意味モデルにしているのは明らかだ。
 「時計の針が戻ればいいのにね。パパの病気が見つかる前に……」という言葉に私は「現実から目をそらすな」と応えたい。過酷な現実を、どう見据えていけばいいのか。そこに私は見えざる課題を見出す。私は構造から問題を解き明かさねば問題は解決できないという信念を持っている。

 http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A7%E5%90%9B%E3%81%AB%E9%80%A2%E3%81%88%E3%81%9F%E3%82%89-%E9%A3%AF%E5%B3%B6-%E5%A4%8F%E6%A8%B9/dp/4104694010

2011年12月31日
日米同盟の正体
 今回取り上げる書評は「日米同盟の正体~迷走する安全保障」孫崎 享 (著) (講談社現代新書) である。
 日米安全保障条約については私は以前から改善を求めている。沖縄ばかりに過剰に基地が集中する実態を改善する必要はもちろんだが、アジア全体で安全保障条約を交わす必要がある。いわば、そのための考える道しるべにもなり得る。
 民主主義の基本として、選挙民の合意なき増税は許されない。それを税制民主主義という。だが、日本は稼ぐためならなんでも構わない国である。人権無視が堂々とまかり通る始末だ。お役所にいたっては某タレント知事が番組に出た際のレシピを無断で引用したメニューを出してすぐに引っ込める有様だ。
 そうした政治家に日米安保条約を打ち砕く概念を出すことを求めるのは河童を探すようなものである。私はインド、韓国、パキスタン、モンゴル、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、フィリピンを日米安保条約に加えてそれだけ日本の軍事力をアジア全体に振り分けるべきだと考えている(対中国包囲網が薄れると懸念するそれらの国の懸念を払拭するにはアジア全体で包囲網を敷く必要がある)。また、ロシア及びウクライナ、グルジアも加える必要はある。ただロシアは民主化と日本に無条件で全千島列島を変換することが必須条件になる。
 この本でも言えるのだが、アメリカの時代は終わっている。そうした認識に立つべきなのは外務省であり、防衛庁であることは言うまでもないのだが未だに幻想ばかりにとらわれる有様である。アメリカが正しいと言わんばかりの幻影は大企業にもあるのだから、恐ろしい。そんなものだから、ビルマにおける軍部やネパールのギャネンドラ自称国王による国家的な犯罪の実態を糾弾できないのだ。
 日本は衰退しているアメリカにこだわってはいけない。アメリカの新自由主義は社会を衰退させただけだった。例えば北京体育祭の際の「聖火」リレーを毅然とした姿勢で断った善光寺の姿勢は絶賛されるべきであるが、それだからとても特定の思想に振り回されてはいけない。日本はあくまでも日本国憲法、国際法に従って行動すべきで特定の国家の主義主張に振り回されてはならない。
 それとも、日本は2ちゃんねるのような閉鎖空間なのだろうか…。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%90%8C%E7%9B%9F%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93~%E8%BF%B7%E8%B5%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AD%AB%E5%B4%8E-%E4%BA%AB/dp/4062879859

2011年12月31日
ガンに生かされて
 今回の書評は飯島直樹氏の最後の作品「ガンに生かされて」である。
 迫り来る死と直面しながら、日々の闘病日誌として綴ったこの書は決して甘くはない。以前、「天国で君に逢えたら」を書評した際に辛口のコメントにしたのはこの書籍の影響が大きいからだ。中身を私たちはシビアに要求しなければ、社会は前に進まないのである。何しろ、「他人と違うから気持ちが悪い」と堂々と放言する中学生がいるのだから(TBS「中居正広の家族会議を開こうⅣ」、放送日:2000,9,20より)。そのことで中居は中学生を厳しく叱ったようだが、残念だが彼の説教は日本中の意識を変えることまでは出来ない。ネチケットを守らない荒らし投稿が日本中を横行しているからだ。
 何しろ、家庭の事情で残業や転勤が無理だと訴えた従業員を不当に解雇したケンウッドや日立のような非常識企業がまかり通るのだ。それなら、ブラックバスでも調理したものを食べていたほうが数段マシだろう。本来あるべき社会は全体が繁栄し、全体で負担を分かち合う社会だが今までの日本はセレブばかりが儲かる社会に堕落していた。
 まず、セレブが率先して負担する。そこから国会議員も率先して日当制にするよう申し出るのはどうか。そうして、福祉を改善する。飯島氏も最後はハワイで息を引き取ったが、本来なら日本で最後を迎えられるようにする社会にすべきだったのではないか。
 だが、経済はこうなっている。

グローバル経済の歪み(小野哲)
テーマ:国家、人権
2007-07-14 17:34:55
 日本マクドナルドホールディングス(マック竹中と皮肉られた竹中平蔵が社長だった故藤田田から非公開株式を譲り受けて莫大な利益を得ていた)が2006年12月期の連結決算を今年の2月9日の日経が伝えている。その中で興味あるのがマクドナルドの収益構造。

 マクドナルドの収益構造、06年12月期の収益を100円マックで表せば、材料費29.9円、労務費27.8円、家賃などその他売上原価29.5円、販管費10.7円、それで営業利益は2.1円となるそうだ。もっとも、その跡メガマックやメガてりやきを投入したので話は若干違ってくるが。

 マクドナルドの仕入先は承知のようにオーストラリアからがメインなのだが最近では豚肉のマックポークバーガーを投入したのでおそらくチリも仕入先になったのかもしれない。そして、カフェ参入。コーヒー豆も当然ブラジルなどから輸入するのだろう。
 こうした店舗がシャッター通りに花開く一方で、旅行センターなどはどんどんなくなっていく。そしてこうした機能はコンビニに吸収されていく。コンビニの品そろえは画一的である(とはいっても最近のローソンは違うが)。画一的なマーケティングで画一的な商品ばかり売るから小売業はどんどん衰退する。ダイエーの場合なんかがいい例だった。そして、イオンの傘下に下って虎の子のマルエツを売却する落ちまでついた。当然、このままの調子ではトップバリュの投入も時間の問題だ。
 こうしたPBは大量発注大量生産の世界なのだ。そして、大量に管理管轄する。イオンでは知っている限りで北海道に3箇所、物流センターがある。そしてそこで徹底的に商品を管理する。最近ではメーカーとの直接取引きまで始めた。
 流通業界にもIT革命の波は当然ある。米WWREにはイオングループ、イズミヤ、西武百貨店などが加入し、最後の巨人といわれたウォルマートが加入した。これにカルフールなどが加入しているGNXが合併した。イオンで言えば、WWRE利用で、製品あたり原価が平均19.5%減少(野村総合研究所ホームページより引用)したようだ。こうなれば、ものづくりも世界に視野を置かざるを得ない。味の素、花王もこのグループに加入している。
 そのような経済のグローバル化を否定することはないがそれによって失業する人達の受け皿はどうなのかを僕は問いたいのだ。

2007-09-27 23:28:42
サイレントテロ(小野哲)
テーマ:ブログ

現在の社会状況、または自らの置かれた社会的状況に対して悲観的観測を抱きながら、それを「現実」として受け入れようとするときに起こる人々の行動。
その「悲観的状況こそが「現実」なのだ」と諦観する、一種の「絶対観」的な「現実肯定」に基づいて、「スロー消費」「非婚・晩婚化」「少子化」「NEET」「ひきこもり」「自殺」などのように、さまざまな社会活動――消費行動や人間関係、ひいては自らの生存そのものを消極化、縮小、または消滅させていくこと。
これらの消極的かつ間接的な暴力によって、意図するとせざるとにかかわらず、「見えない社会の空洞化」が引き起こされる。現在の社会に対する消極的抵抗、あるいは沈黙の異議申し立てであるといえる。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B5%A5%A4%A5%EC%A5%F3%A5%C8%A5%C6%A5%ED

 何故こうした事態になってしまったのか。
 日本に未来が見えないからに他ならない。それは偽装請負(ぎそううけおい・業務請負や業務委託の契約形式を採る、もしくは該当者が個人事業主としての契約主体となっている場合であっても、実態が労働者派遣に該当するものを指す。これらすべてが民法上の取り扱いでは請負であり、契約形態を偽装・隠蔽することからこの名がついた。業務委託によるものは偽装委託(ぎそういたく)と表現する場合がある)に代表されるようなゼニゲバ企業の非常識な人件費削減にある。
 労働者からの自主的なアイデアに基づく人件費削減なら誰も文句は言うまい。だが、キヤノン宇都宮工場におけるフジスタッフグループの偽造請負、トヨタ自動車グループのトヨタ車体精工、光洋シーリングテクノ、いすゞ自動車の偽造請負や松下電器産業、日亜化学工業などの名だたる大企業がこんなせこい人件費削減では天下の横綱が泣くで、こりゃ。
 さらに私が受けている紹介予定派遣のはずが引き伸ばし戦術で1年6ヶ月以上も派遣のままという非常識なケースもある。これでは消費者も大企業の足元を見るようになる。アメリカで鉛の入った商品が出てきて問題になっているが目先のコスト削減が生んだトラブルである。
 その代表例が機関車トーマスの玩具回収事件である。ナイキのシューズなんかはベトナムなんかで安い賃金で働かされて作られている。それはアディダスも同じこと。そうした企業の商品を賛美で取り上げ、そしてこうした企業の商品の実態を取り上げないマスコミの見識を問いただしたい。

 また、生きるすべを教える学校などの教育現場ではアカデミック・ハラスメントが横行している。
 そんなものだから、時津風部屋で殺人事件があっても何一つ無反応といった感じだ。一時期はやった「アベしちゃおうかな」などはそんな一端にすぎない。無責任社会そのもので、災にはあえて手を触れない社会そのものである。
 そうしたものを超えるには日々の読書による思考する力と、実行するには何が必要かを考え、支援しやすい環境が大切なのである。

 今回のコラムも新生活日記時代のコラムの一部を要約しながら書いているので時間が必要である。
 しかし、ネットの掃除には必要不可欠である。ご了解いただきたい。
 

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6-%E9%A3%AF%E5%B3%B6-%E5%A4%8F%E6%A8%B9/dp/4104694029

2011年12月31日
豊かさとは何か
 今回の書評は「豊かさとは何か」を取り上げたい。
 暉峻 淑子氏は西ドイツでの留学経験がある。「モノとカネがあふれる世界一の金持ち国・日本。だが一方では、環境破壊、過労死、受験競争、老後の不安など深刻な現象にこと欠かず、国民にはゆとりも豊かさの実感もない。日本は豊かさへの道を踏みまちがえた、と考える著者が、西ドイツでの在住体験と対比させながら、日本人の生活のあり方を点検し、真に豊かな社会への道をさぐる」ということで、様々な論文を示している。
 みなさんは「クロマイ」をご存知だろうか。クロラムフェニコールという抗生物質で、1947年にアメリカで発見されたものだが1951年に貧血という副作用が発見されたためアメリカでは使用が規制された。だが日本では使用が乱用され、三共製のクロマイを使ったために1972年一人の女児が殺された。これが薬害クロマイ裁判のきっかけである。
 しかも驚く事なかれ、薬局の店頭で堂々と販売されている上に三共の経営陣は一度もこのことに謝罪の言葉もない上、三共の社史でも載せられていない。これは驚くべきアナクロニズムではないか。こうした企業が大手を振る社会は果たして豊かといえるのだろうか。そして、ハラッサーによる無神経な人への扱い方。それによる対人不信感が犯罪への加速を増していく。
 貧困社会による犯罪は何も児童ポルノだけではない、著作権の無断侵害事件もそうだ。需要と供給があるからだ。そして、その構造によって生み出されたのが一時期の外国人の違法雇用ではないか。彼らを赤紙のように勝手に雇って、不景気になったら派遣・請負と同じように投げ出す社会とは幸せなのだろうか。そうしたことへの反省がないまま今の社会は排除することしか頭がない。
 いくら海外で有力企業を買収しても、中身がなければ意味はない。製薬企業なら薬害をどれだけ最小限にするか、会ったらどのようなリスクを背負うのかを慎重に考えるべきだ。アステラス製薬や塩野義製薬、第一三共はこのことをどこまで自覚しているかは分かりかねる。だが、一個人と異なり法人は強いゆえに過去の過ちを認めて反省し、謝罪すべき義務がある(同様に強大な権力を持つ政治家や経営者もこの自覚と義務が必要だ)。それ故に中身のある行動が求められる(自民党の亜流による中身のない新党ごっこはもってのほか)。目先の怒りに目が眩んでも何も始まらないではないか。
 中身のある豊かさを私たちは考える時期に来ているはずではないか。もっとみんなを巻き込んでここで議論を起こしても構わない。ネウヨだってそれなりの理想はあるわけだ。事実を携えて議論を挑むのなら、私も応戦する義務はある。
 民主党を離脱した面々は新党「大地・真民主党」及び新党きずなを立ち上げるそうだ。それはそれでいいのだが、中身を私たちはシビアに要求しなければならない。例えば、「日の丸」「君が代」を大切にしているとしても、行動に中身がないようなものが言えば言語不一致の極みだ。そして、立派なことを言うやつほど実はおかしなことを裏でしているものだと思ったほうがいい。

 来シーズンのJリーグだが、楽しみが多い。
 サガン鳥栖がどこまで善戦するかもそうだし、J2からどのチームが昇格するか。たぶん今は難しいがファジアーノ岡山はそこそこやるのではないか。

http://www.amazon.co.jp/%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9A%89%E5%B3%BB-%E6%B7%91%E5%AD%90/dp/4004300851

2011年12月31日
「超」整理法
 今回の書評は過去ヒットした作品を取り上げる。
 私自身、ブログの整理に今用いている方法は過去の要素をどれだけ盛り込むかの作業で旧ブログの記述内容を処分していることである。
 「超」整理法―情報検索と発想の新システムという、野口悠紀雄教授の著作をベースにしている。ただ
机の上に座っているだけが勉強ではない。それは勉強もどきであって、手段を選ばない物騒な人間を生み出しかねない。誰のための勉強かを考えねばならない。
 また、金の力で裁判や勉強が決まる世の中はあってはいけない。そして、目先の効率主義に振り回されてはいけない。そこにはどのような信念があるのかだ。西川貴教さんのように、最初は故郷に何の思いも寄せなかった人が想いを寄せるようになり、この日本という国全体を真摯に考えるようになるような人ならば、私は言論のプラットホームとしてこの日々挌闘記を解放する。
 だが、そこには事実にのっとって発言をすることが絶対条件である。熱心であっても正々堂々とやらねば意味はない。そして、インターネットのオンラインゲームなどの仮想現実を前提とした想定は絶対にいけない。現実を踏まえて考えて欲しい。その挙句の果てが、貧困社会である。
 印象操作に振り回されてはならない。政府の国民総背番号制が果たして我々の利益になるのかも、シビアに考えるべきだろう。だが、現実はコスト面でもダメなシロモノである他、国民の管理に用いられている事実を見れば、あってはいけないものであるのは明快だ。

 ちなみに私の整理方法はインターネットファイルを原則としてPDFファイル化して保存する。そして漢字によるファイリングを行う。
 そうして、どんどんインターネットを活用していく。私はその方法でインターネットで得たデータをPDF化させているのである。

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E8%B6%85%E3%80%8D%E6%95%B4%E7%90%86%E6%B3%95%E2%80%95%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%A4%9C%E7%B4%A2%E3%81%A8%E7%99%BA%E6%83%B3%E3%81%AE%E6%96%B0%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%87%8E%E5%8F%A3-%E6%82%A0%E7%B4%80%E9%9B%84/dp/4121011597

2012年01月01日
国際法概説
 今回の書評は国際法概説( 香西 茂, 高林 秀雄, 太寿堂 鼎, 山手 治之共著)を取り上げる。
 短時間で読んだため、即席程度の感想になってしまうが、述べさせていただきたい。

第1章 国際法の概念
第2章 国 家
第3章 国際機構
第4章 領 域
第5章 個 人
第6章 外交機関
第7章 条約と違法行為
第8章 紛争の平和的解決
第9章 平和と安全の維持
第10章 戦争法

 これらのカテゴリーに沿って、実に丁寧に書いている印象がある。
 当然、日本国憲法はこの中に基盤として位置づけられてしかるべきだ。自民党によって改悪される前の教育基本法も当然入る。国際法が日本にとって欠かせないのは、グローバル経済とどう向き合うかという初期的な要素故である。
 私は国際連合を連合軍と翻訳している。すなわち、United Nationということからだ。日本が常連理事国入り出来ないのは敗者故である。だから、何も無理して背伸びする必要はない。

チャーチルの回想から(小野哲)
テーマ:国家、人権
2008-09-23 16:00:12
日本人は外交を知らない
 日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
 しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、いままで以上の要求をしろという。
 無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖合いで戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。
ウィンストン・チャーチル 「対日世界大戦回顧録」

 私がある意味参考にしているのはチャーチルの思想である。
 彼は実は親日家だった。今年3月に元ハンガリー大使の関榮次さんが「チャーチルが愛した日本」(PHP研究所)を出しているそうだ。その本によると幼い頃に日本を訪問したことがそのきっかけであり、第二次世界大戦の終結のきっかけを作ったポツダム宣言の修正も彼が行ったそうだ。
 そのチャーチルにはこのような発言がある。「もしヒットラーが地獄を侵攻することになれば、私は下院において悪魔に多少なりとも好意的な発言をするようになるだろう」(Wikiquote )。ナチスドイツという最悪の独裁者を倒すためならばと彼は毛嫌いしていたソ連のスターリンと組んだのである。
 この姿勢こそ、今の民主党や社民党など野党のメンバーに欠けているのである。日本共産党と今こそ組むことで、自民党という最悪のシステムを崩壊させることができるのだ。今こそ勇気を持って戦うべきなのだ。

 今回、国際法についてはこちらも参考願います。
http://www4.ocn.ne.jp/~tishiki/kokusaihou.html

http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95%E6%A6%82%E8%AA%AC-%E6%9C%89%E6%96%90%E9%96%A3%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E9%A6%99%E8%A5%BF-%E8%8C%82/dp/4641112231

2012年03月03日
続トヨタの正体
 今回取り上げる書評は「続 トヨタの正体―マスコミが書けないエコな企業のエゴな顔」週刊金曜日・編集(金曜日)である。
 ハイブリッドカー検証記事では製造過程に問題があると指摘し、低速度低エネルギー社会の実現こそが環境保護につながると指摘している。問題は業界内でも指摘されていたことを何故メディアは取り上げてこなかったのかなのであ広告に依存する媒体では絶対に書けない。2010年度段階の広告費で3089億円が計上されていると言うことは、それだけの口止め料と見ていいだろう。
 その口止め料欲しさに批判を捨てると言うのはジャーナリズムの破綻になる。もしくはメディアは総会屋と同等か。また、トヨタ自動車のおぞましい選挙活動については森田実氏が厳しく批判している。

http://www.pluto.dti.ne.jp/mor97512/C02185.HTML

 またトヨタは週刊金曜日に口止め料を払おうと画策していた。

http://www.cyzowoman.com/2011/07/post_3904.html

 トヨタの再生には時間がかかるが、私は以下の提案を行う。

1.非正規労働者については過去にさかのぼり無条件で正規雇用すること。
2.サービス残業を含めた残業を全て中止すること。日勤のみの仕事に抑えると同時に、余剰施設を活用して発電ビジネスに参入すること。また、5年以内に自然再生エネルギーの使用比率を全体の15%にすること。
3.中古自動車をEV化する事業に参入すること。
4.取締役個人を含めた形での企業献金を全て中止し、選挙活動から全面撤退すること。
5.法人税・所得税を1984年レベルで納税すること。そうすることで社会からの批判を避けられる。
6.ミサワホームを含めた住宅事業を直ちに三澤千代治氏に無償譲渡し、買収に関わった犯罪者どもを告訴すること。
7.今後縮小が見込まれる自動車事業から、環境に優しい自転車や中古電車の改装および譲渡事業に参入すること(この種のビジネスで稼いでいるのは東急電鉄や京王電鉄)。
8.物流の効率化ノウハウを生かして物流事業とバス事業の一体化を図る助言ビジネスに参入すること。

 トヨタはいま、本当の意味で生まれ変わればならない。「ReBORN」キャンペーンなんてやっている場合じゃない。人に優しい企業に生まれ変わるべきなのである。

http://www.amazon.co.jp/%E7%B6%9A-%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E2%80%95%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%81%8C%E6%9B%B8%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%81%AA%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%81%AA%E9%A1%94-%E9%80%B1%E5%88%8A%E9%87%91%E6%9B%9C%E6%97%A5/dp/4906605338

2012年03月03日
年収300万円時代を生き抜く経済学
 「新版 年収300万円時代を生き抜く経済学」 森永 卓郎著、(光文社知恵の森文庫)を今回の連続書評で取り上げる。
 「小泉構造改革とは、ほんの一握りの金持ち階級と圧倒的多数の低所得層とに日本をわけるものだった! 9割のサラリーマンが「負け組」に向かうなか、可能性のない「成功」をめざすか、自分にとって「幸福」な人生をめざすのか。安定が崩れ去った日本社会での「森永流前向き生き方」」と題して、この本はある。
 今まで私はアメリカ型社会を批判してきた。この書評でも一貫してその姿勢を強めてきたが、今回もその姿勢は一貫せざるを得ない。本業だけでは食べていけないからと副業に走る、その結果本業の衰退になる悪循環である。また、貧困社会では明らかに下半身ビジネスなどの公序良俗に反したビジネスがはびこる。私が批判している著作権侵害ビジネスもその一端に過ぎない。
 しかも、これらはアメリカのみならずドイツにまで広がっている。それらに共通しているのは非正規労働がはびこっていること。しかもネットに一度流れたらとめることは難しい。私は一刻も早く、非正規労働の正規労働化切り替え義務付けを大企業に命じるべきだと考えている。そうでなければ、児童ポルノは減るわけがない、絶対に!!
 私はよって法人税や所得税を税改革の中核に据えるべきだと何度も指摘してきた。そうすれば、大企業も正規雇用を増やさざるを得なくなる。年収300万円でも維持できなければ今は危ない時代だ、それなら企業にもそれなりの責任を担ってもらいたい。解雇する自由はあるのなら、それは最後の切り札にすべきだろう。経営者は社会に対して担うべき責任があるのだからだ。
 大いなる力には大いなる責任が伴う宿命だ。それを踏まえて欲しい。私はこの書評の最後にこう締めた上で、この本に関する感想は個人にゆだねたいと思う。

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E5%B9%B4%E5%8F%8E300%E4%B8%87%E5%86%86%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%8A%9C%E3%81%8F%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E7%9F%A5%E6%81%B5%E3%81%AE%E6%A3%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A3%AE%E6%B0%B8-%E5%8D%93%E9%83%8E/dp/4334783554

2012年04月01日
おひとりさまの老後
 今回取り上げるのは「おひとりさまの老後」上野千鶴子著である。
 この上野氏はハシゲの天敵の一人としても知られている。今回の著作はその励ましになった。
 だが、上野氏に釘を刺しておきたいが女性だけの「おひとりさま」ばかりが全てではない。男性や貧困層にもいる。結婚したくてもできない人だっているのだ。そうした人たちへのまなざしと言う意味では何か物足りなさを感じる。
 批判するだけの書評にはしたくはない。まあ、私の問いに「男おひとり道」という本を書いているようだが、もう少し突込みが欲しい。私も徹底的な現実主義者(理想を実現するには現実を見据えてできることとできないことを仕分けして実行できるものを実行していく)なので、その点以外はわりかしよく読めた。私は持病持ちなので、いずれにせよ今の状況を打破していくべく実行していく。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AE%E8%80%81%E5%BE%8C-%E4%B8%8A%E9%87%8E-%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90/dp/4879546801