2013年10月10日木曜日

少しは空気を読め 渡辺淳一

 今回の無責任連中書人両断は渡辺淳一である。
 以前私はこのように批判した。

書人両断! 本質は権力者サイド応援団長 渡辺淳一 (小野哲)
テーマ:無責任連中書人両断!!
2007-06-24 14:50:11
 
2007/2/6の朝日新聞の新聞広告より以下抜粋
「 あなたは持っていますか? 今を幸せに生き抜くための、この力を!
 鈍感こそが才能を大きく育み、花咲かせる原動力である!
 例えば、いやなことはすぐ忘れてしまう人。
 説教は右から左に聞き流す人。
 いつでもどこでも眠れる人。
 なんでも食べる大食漢・・・。
 そういう人には「鈍感力」がある。
 複雑な現代社会に生きる知恵を、渡辺淳一に学ぶ。
 逆転の発想で、悩める人たちに贈る心優しい人生論!」
 こんなふれこみで渡辺は「鈍感力」(集英社)を発行した。
  だが、鈍感力とはイコール無責任に相通じるものであり、決して容認しがたいものである。今まで渡辺は女性の性を売り物に「失楽園(私に言わせるとケツ落 園)」や「愛の流刑地」なるポルノ小説を垂れ流してきた。無論、私は小説の設定上どうしても必要な場合は姓描写はやむをえないと考えているが、手段として しかかかれていないのならそれは小説ということはできない。
 さらに腹立たしいことがあった。作家の城山三郎がご逝去された際の送別式に別れの言 葉を述べたのは城山の盟友の佐高信、辻井喬と渡辺だったが、二人が心を込めて別れを述べたのに対し、渡辺は城山の愛妻がなくなった直後に知り合いの女性を 紹介して断られた話をした。これは歌手の小田陽子さんのブログから引用の許可を得ている。
 顰蹙を食らったかは分からない。だが、いくらなんでも 城山の過去を知る者たちにとってはあまりに場違いな別れの言葉だったのではないか。これで顰蹙を買わずして何というのだろうか。彼の本質は権力者サイド応 援団長ではないか。これでは日経に下半身小説を乗せられる感覚も分かったに等しい。
 渡辺はタレントの保坂某にならって出家したらどうか。

小田陽子さんの記事はこの場所にあります。無論、引用許可は得ています。
http://blog.livedoor.jp/oda1961/archives/50877253.html

  その渡辺はさらにこんな鈍感さを発揮した。週刊金曜日の佐高氏のコラム「風速計」(9月2日号)によると東電がスポンサーのラジオ番組を持っている作家の 幸田真音が、四月二五日に東電元社長の南直哉などを発起人として大々的に還暦祝いの会をやった時、乾杯の音頭が渡辺だった。
 この鈍感さに唖然としたのは私だけだろうか。少しは空気を読めといいたくなるではないか。


http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=1443

2011-12-19 22:39