2013年10月20日日曜日

地方百貨店を考える~函館・ホリタの場合~



1970年 11月、ホリタ五稜郭本店が開店。
1979年 3月31日 株式会社ホリタと株式会社ダイエーとの業務提携により、ホリタの施設・警備・清掃部門を分離し、札幌市東区に北海道ビルメンテナンス株式会社(資本金500万円)を設立。
1986年 12月、伊達市にホリタ伊達店を開店。
1990年 ともに函館市を拠点とするダイエー系の「ホリタ」と棒二森屋(現中合)傘下の「ボーニストア」が合併し「函館ダイエー」として発足。
1993年 道央圏を地盤とする西村を合併して「北海道スーパーマーケットダイエー」に社名変更。
2006年3月1日 ダイエー系食品スーパー5法人(株式会社ダイエー含む)が店舗名を「グルメシティ」に統一するのを前提に、社名を「グルメシティ北海道」に変更。
2009年 6月をもって五稜郭店を閉店。
2009年9月1日 会社分割を実施し、「グルメシティ北海道」はダイエー本社に吸収合併される形で消滅した。
2009年9月30日 グルメシティ伊達店を閉店、跡地はアークスグループのスーパーアークスになる。

 今回、取り上げる地方百貨店は函館にあったホリタである。
 1974年頃、函館は他の都市と同様に売場面積の増築でしのぎを削っていた。それもそう、函館に西武百貨店が進出することになったからだ。丸井今井、棒二森屋は必死だった。
  その一方で地場の百貨店だったホリタがダイエーと業務提携し、棒二森屋の子会社・ボーニストアが拡大路線を突っ走っていた。 ダイエーにとっては1970年にできたホリタ五稜郭本店(地上7階、地下1階)が魅力だったのだろう。そのホリタとボーニストアは1990年に合併して、 函館ダイエーとなった。そして西村というストアと1993年に合併して北海道スーパーマーケットダイエーになった。
 棒二森屋は三越と提携してい たが、ダイエーに業務提携先を変更、そのあとアドバンスト・デパートメントストアーズ・ジャパンとなった。その会社が八戸市にある三春屋を吸収合併、更に 福島県の百貨店中合と合併、今やダイエーの完全子会社になった。暖簾は残っているにすぎない棒二に対して、ホリタはそのカケラすらもない。
 読者の皆さんにも言いたい。自分の地元の身近な歴史を綴ってネットで発表してみたらどうか。今回、ホリタのロゴマークを調べるため北海道新聞を見たがなかった。そこで、室蘭民報社という新聞で調べたら伊達店の開店を伝える広告があったので、そのまま用いた次第である。
 以前の國井にしても、遠軽新報という新聞で検索した結果だし、マルカツについては『まちは生きている』という旭川を取り上げた書籍からである。決してつまらない文化ではない。自信を持って語って欲しい。

 イオングループおよびダイエー(これとてもイオングループがスポンサーになって再建中なのだが)だけでもこれほどの地方百貨店やストアが買収されている。
  以前私は扇屋、信州ジャスコのことについてコラムにまとめたが地方百貨店は以前述べたように地方にとっては東京を紹介する晴れの場だった。だが、インター ネットやアウトレット、新幹線の建設により都会土地法は接近していった。それと同時に地方百貨店の持つステータスは縮小していった。
 ポスフールにしてもイオン北海道になり、北峯百貨店やローズタウンだった面影はどこにもない。水戸にあった伊勢甚にしてもボンベルタになって消滅していき、郊外の大型店に一本化されているのが現実ではないか。それでいいと思うのなら大きな間違いだと私は言いたい。