2013年10月22日火曜日

地方百貨店を考える 山形・丸久の場合


  

今回は丸久という百貨店を取り上げる。
 この百貨店はかつて山形県は山形市、新庄市、村山地域に店舗を構えていた。しかも、地域商業者が共同で立ち上げた歴史がある。

1956年 地場百貨店・大沼の開店に対抗した地元呉服店などの専門店が共同出資して株式会社丸久設立。11月6日に開店。
1967年 10月に月賦百貨店・緑屋(現クレディセゾン)開店。
1971年 松坂屋と業務提携。7月に十字屋(運営法人は現在は中合)開店。
1973年 松坂屋と資本提携を締結。株式会社丸久松坂屋となる。3月に現セブンプラザのある建物から現在のナナ・ビーンズのある建物に移転。
1982年 株式会社山形松坂屋に改称。
2000年 8月、業績不振の為閉鎖。跡地は川崎市の東邦エンタープライズに売却、専門店ナナ・ビーンズとして2002年9月に開業。

 皆さんにも考えて欲しい。
 高島屋は業績不振だった高崎店と米子店を閉鎖せず、地域法人とした。そして地域従業員の意見を受け入れてどんどん改善した。その結果、両店とも見事に再生した。目先の資金繰りに溺れて長期の利益を無視した結果、自滅した企業と比べて立派ではないか。
  松坂屋は大丸と経営統合しているが、どんどん縮小している。例えば松坂屋岡崎店がこの前閉鎖されたが、これとても目先の業績不振で閉鎖されたわけだ。この ままじゃ、大阪・天満橋にあった松坂屋が大丸への統合を理由に閉鎖されたことに倣って松坂屋銀座店が大丸東京店と統合して閉鎖されるだけではないか。大丸 にとって、札幌店の成功は失敗の入口だったのかもしれない。目先の効率性に溺れ、長期の利益を無視するオマヌケ経営者どもを助長したのかもしれない。横浜 にあった旧野澤屋、すなわち横浜松坂屋もこれでつぶされた。地域住民には建物は歴史的価値もあった。今治市にあった大丸も、採算がとれないと閉鎖された。 だが、比較する基準がおかしい。都会の基準と地方の基準は別である。
 地域に根差した店舗への回帰こそが、小売の復活の鍵である。ブランドはあく までも二の次と心得るべきだ。西友が不振だったのも、地域を無視して格安路線だけにこだわった結果だ。ようやく地域に回帰して格安路線とバランスが取れる ようになった。これはすなわち新自由主義が失敗である証拠ではないか。みんなの党、日本創新党などのオマヌケどもよ、事実から目を反らすな。