2013年10月11日金曜日

経営者として責任を取らなかった 和田一夫

2007-11-02 22:32:12
 「ヤオハン」という名前のストアがかつて静岡にあった。
 今でもその名残はあることはあるのだが、今はその会社はヤオハンからマックスバリュ東海という社名に変更され、ジョイフル東海という静岡市にあった食品ストアを傘下におさめている。そう、この会社はイオングループなのだ。
 なぜ、イオングループになったのか。小さな八百屋さんだったから、八百半という社名にしたわけだが、静岡県は出店規制が厳しくヨーカドーすらもカネボウ工場跡地に出店するのに10年以上も費やしたほどなのだ。そこで身についた競争力はたかが知れたものでしかない。
  そこに勘違いしたのが今回批判の鉄槌を加える和田一夫である。生長の家信者の和田が助長したのは何も成長の家信者だったからというわけではない。そうでな くてもカネボウの伊藤淳二なんか凄まじいワンマンだった。批判を加えられたらその人の乗っている雑誌に直接圧力をかけてコラムをなくすなど陰険なやり方を してきた。
 和田の勘違い振りはブラジル進出から始まった。ソニーにあこがれて自分の弟をブラジルに送り込み、ヤオハンの経営をさせたのだが大失 敗に終わり、弟は日本に戻れなくなってしまった。そこで和田が責任を取っていたらまだしもヤオハンジャパン時代の暴走にはならなかったのだといわざるを得 ない。
 ヤオハンがおかしくなり始めたのは、香港出店前の1982年からだった。この時代から最後の社長だった和田晃昌氏によると粉飾決算が事実 上一夫が主導になって行われていた。晃昌氏は後に会社更生法申請直後の粉飾決算の首班とされ逮捕され自己破産まで押し付けられているが、粉飾決算の主犯は 明らかに一夫だった。
 弟の人生までここまでずたずたにした一夫が、香港に狂い始めたのは香港上海銀行の会長から買い取った別邸に移り住んだこと からだった。そして狂気の出店を繰り返し、上海まで出店する。中国本土には現実離れした数字の出店計画までぶち上げる。こんな調子では、野村證券や静岡銀 行が融資しなかったり主幹事証券会社になるはずがない(イオン傘下でマックスバリュ東海として再建後株式上場の主幹事に野村証券がなったりメインバンクに静岡銀行がなったりしているので経営者の素質の問題なのは明快だ)。
 そして、1997年の倒産である。その直後に一夫は都合のいいことに失敗をネタにまたしても己を売り出す。この男の無責任さにはもう、開いた口すら塞がる筈がない。経営者として最後まで責任を取らない人に失敗を語れる資格は果たしてあるのだろうか。
 
2012.3..18  15:53