2013年10月10日木曜日

今や居酒屋の酔っ払った爺さん 永六輔

 今回の書人両断は以前書人両断したが、新たな角度で批判する酔っ払った三流左翼である。
 こんな輩がいるから、ポルポト石原が大手を振っていられるのである。

 鋭い批評、こびずに1000回 永六輔のラジオ生番組
2010年6月7日 朝日新聞

  放送界の草分け、永六輔がパーソナリティーを務めるTBSラジオの生番組「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」(土曜午前8時半~午後1時) が、12日の放送で1000回を迎える。最近は永のしゃべりが聞きづらいこともあるが、激励の手紙で支えるリスナーとの信頼関係は厚い。豊富な話題、鋭い 批評性に、人気はむしろ高まりつつある。
 「その新世界」は1991年4月13日にスタート。永は1度も休まず、入院先から出演したこともあるという。最近では基地移転に揺れる沖縄に焦点をあてるなど、社会の幅広い話題を生でしゃべりつくす番組だ。
 同局によると、人気が上昇中。2カ月に1回の個人聴取率調査(ビデオリサーチ調べ)では、これまでも上位の数字を維持してきたが、2、4月には2回連続で首都圏ラジオ局の全ワイド番組のなかでトップの数字を記録した。
  プロデューサーを務める同局の碧海(あおみ)純・制作センター長は「話題の豊富さは群を抜き、社会に対する批評は刺激的でユーモアにあふれている。心地よ い音楽としゃべりという番組ではない。だが、エンターテインメントでありながら中身は本当に濃密。世の流れにこびない永さんの生き方そのものが、支持され ているのでは」と話す。
 大橋巨泉、きたやまおさむ、ピーコら、鋭い批評眼を持つゲストが入れ代わり立ち代わり訪れるのも特徴。リスナーの手紙やメールの指摘に刺激を受け、話題が広がり、深まっていく。永は番組に届くすべての手紙に目を通す。
 最近は永の声がかすれたり、ろれつがまわらなかったりして聴きにくくなってきたが、リスナーからの手紙の多くは激励だ。「父も晩年は言葉が不自由になった」などと、自らの人生に重ね合わせて聴き続けている人もいるという。
  2000年からアシスタントの外山恵理アナウンサーには、永の人柄と、リスナーとの厚い信頼関係を知った忘れがたい思い出がある。外山が担当になる前週、 外山の起用に反対する投書が番組に相次いだ。しかし、スタート時には「永さんの言う通り、見守りたい」という手紙が届く。外山は「永さんは一言もおっしゃ らないが、一人ひとりに返事を書いて下さったと思う」と振り返る。
 放送界にかかわって60年以上になる77歳の永は淡々としている。「辞めろって言われればすぐに『はい』って辞めます。待っている人がいれば続けるけど、僕が気にすることじゃないから」(丸山玄則)

 この放送で永は「原発批判したら番組を潰される」と発言した。
 ならば、やれよと挑発したい。そしてTBSテレビ放送40周年記念特別番組の際、タレントが永が行っていたラジオ番組紹介コーナーの進行を無断で遮ったことに憤慨し、生放送であるにもかかわらず途中で退場した度量の狭さは一体何様か。
 だから、弟子同然のラッキィ池田に「言いたいことがあるならテレビに出て言って下さい」と痛烈に突っ込まれるのではないか。本村洋をこのコラムで批判した後、本村を分析したら所詮居酒屋の酔っ払いに過ぎないと思ったが、永も同様の輩に過ぎない。
 たちが悪いのは年をとったこの種の人物である。本村については単なる単細胞馬鹿なので我が盟友に完膚なきまでに散々論破されて再起不能同然にされたが、なまじ知識を知っている永を論破するには徹底した情報と徹底的な哲学で打ち砕くしかない。
 新約聖書・ヤコブの手紙3章12節より取り上げる。

新共同 わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。

 この言葉の意味はこのようにされている。
  一つ心から二種の相反する思いや言が流れ出ることができない。ゆえに讃美と呪咀とを同じ口より出すことができない。またある性質の心からこれと異なった性 質の思想や言語が出て来ることはない。ゆえに根本が悪しき心であればそれから善き言が出るはずがない。人を呪咀(のろ)う心から神を讃美する言が出るはず がない。もしこれが出さるるならばそれは全く虚偽か偽善である。

http://stonepillow.dee.cc/kurosaki_frame.cgi?59+3 より引用

 永に欠けているのは己を鋭く見つめる視線だ。それがない限り私は永に賛同はできにくい。

2012-03-20 11:12