2013年10月15日火曜日

間違った国際感覚を嗤う

 最近「YOUは何しに日本へ?」や「和風総本家」、「世界ナゼそこに?日本人 知られざる波瀾万丈伝」(テレビ東京)、「ホムカミ」(TBS)というバラエティが放映されるようになった。
 これらに共通しているのは外国人と日本人のかかわり方だ。だが、私はこうしたバラエティに不快感を覚える。なぜなら外国人の失敗を笑いものにしているとしか思えないからだ。日本人と外国人の違いをこれ見よがしに徹底的に強調し、お笑いものにするやり方はまさしく差別そのものであり、ゆがんだ海外への好奇心を持たせることになる。
 すでにその悪影響はネット社会に出てきている。ネトウヨと称するレイシストの登場だ。連中は日本の賛美ばかりを繰り返し、日本の問題から目を反らしている。そして考える力を自ら放棄し、ゆがんだ思想を本物と思い込んで信じ込む。そのうち出産シーンだって何事もなかったかのようにウソだと決めつけるのかもしれない。
 こうなると救いようがない。ネット社会には光もあれば影もある。その使い方が日本にはまともにできていない。

 ゆがんだ国際感覚を身に着けるよりは、私は過去の名番組の再放送と再取材だけで全然いい番組はできると考える。
 たとえば「素晴らしい世界旅行」。今でもその番組の持つ輝きは大きい。それを活用して、今どうなっているのかを再取材するだけでもいい。その他にもゴールデンタイムに分娩シーンをきちんと放映するなどすればいい。
 昔は物事に対して穏やかな社会だった。それが今の中国社会なのだろう。だが、それも数年もすればそうは言えなくなる。TPP問題にしても、結局問題なのはアメリカによる日本搾取だ。はっきりと参加を拒否することが日本の国益になるのは明らかだ。そのことをきちんと取り上げない日本のメディアには呆れてくる。
 国際感覚が徹底的にずれているのだから、「夕刊フジ」「読売新聞」「産経新聞」を代表する三馬鹿レイシズム新聞が大手を振って歩けるのだろう。これがドイツならそうは問屋が卸さない。会社そのものが存続していないからだ。「八重の桜」にしても、新島八重を男性の視線で悪女として見ているから見えなかっただけである。
 そもそもテレビの現場は男性が主体と言っていい。それでは何も見えなくなるのも無理はない。同じようなゆがみを感じたのが「半沢直樹」だ。だがこの作品よりは作家の横田濱夫氏の過去の著書を見れば現実のゆがみということを痛感させられる。