2013年10月19日土曜日

地方百貨店を考える 福井・だるま屋の場合



1928年 7月6日に子供用品中心の百貨店・「だるまや」(キャッチコピーは『コドモの国』)創業。
 創業者は坪川信一(つぼかわしんいち 1887.3.10-1962.5.18)。
  坪川信三(1909-1977、福井市長、衆議院議員、建設相)の兄。島崎藤村に私淑し、福井師範を卒業後教員,福井県会議員などをつとめたのち,子供用 品中心のだるま屋百貨店を創業。少女歌劇を公演し人気をよんだ。県商工会議所連合会会頭。ちなみに長男の坪川 健一(つぼかわ けんいち、1916年- 2006年)は、元「だるまや百貨店」社長、劇団「自由舞台」主宰。福井県陶芸館長などを務めた文化人で、1955年には、米ノ浦(現福井県丹生郡越前 町)の逃散を題材にした脚本『逃散』が全国青年大会(日本青年団協議会・文部省など主催)で上演されて最優秀賞を受賞した。名前の由来は坪川の風貌が達磨 に似ていたことから。熊谷三太郎の協力をえて県庁跡地の600坪を借り受けて開業。
1931年1月 百貨店の理念である教育の商業化をしめすべ く、旋回すべり台、エスカレーター、「鏡の間」などの遊具や施設をもつ2階建ての別館「コドモの国」を開館。その際に専属歌劇団として立ち上げられたのが だるま屋少女歌劇。11月1日に第1回公演が行われました。県内出身の少女たち約30名が在籍し、月ごとにプログラムをかえながら(8月は休演)、36年 7月まで公演を行っていた。
1936年7月 百貨店に興行場を設置することを禁止した内務省の指示によって、公演中止を余儀なくされた。
1937年 福井市にもう一軒の百貨店、宮市大丸(1943年大和に変更)福井店が開店、しのぎを削る(大和は1948年の福井地震で福井店が全壊し撤退)。軍部の事実上の指導でだるま屋少女歌劇団を解散。
1943年 一部施設が延焼。
1945年 米軍空襲で全壊。
1948年 福井地震で全壊。
1969年 だるま屋百貨店が倒産、家主であるだるま屋不動産が吸収合併する。
1970年 西武百貨店(現そごう・西武)と7月に業務提携を、11月に資本参加を受け、西武百貨店の子会社になる。
1978年 3月、新店舗建築に乗り出す。
1980年 5月28日、店舗跡地に新築店舗(現在の本館)が完成(建替中は東約200mのビルを仮店舗として営業)、社名及び店名を「だるまや西武」へ変更。
1988年 小松西武(石川県小松市-1996年閉店、現・小松大和(閉店)、富山西武(富山県富山市-2006年3月閉店)、金沢営業部と合併。だるまや西武を存続会社とし、社名を「西武北陸」に変更。
1990年 ファミリーマート、西武北陸、ユース(現バロー子会社)の3社により北陸ファミリーマートを設立(2001年、ファミリーマートと合併し消滅)し、北陸地方でのコンビニエンスストア事業に参入。
1993年 西武百貨店と合併。だるまや西武・小松西武・富山西武はそれぞれ西武百貨店の直営店舗となる。
1999年 道路を挟んで東向かいの旧パルビル(旧ジャスコ富山店、現在の新館)を取得。新館にロフトを開店。
2005年 11月、本館と新館を地下で結ぶ連絡通路が完成。同時期に屋上プレイランドが閉館。
2006年 2月26日、食品フロアを大幅にリニューアルオープン、店舗名称を「福井西武」と変更。
2009年 8月1日、株式会社「そごう・西武」合併発足に伴い、店舗名称を「西武福井店」に変更。

 この百貨店は少女歌劇団も運営していた。
 地方百貨店はある意味で異形の存在でありつつ、地域に根差した小売りでもあった。そこに、消費者への価格還元という原点だが、あくまでも心すべきは、卸売、生産、販売、消費者の四者が得するように心得ることだ。
  そこに、私達が幼かった頃のワクワクした印象が今では日常茶飯事のようになってしまった事で、消費者は冷めた視線で買い物をするようになった。ワクワク感 を取り戻す事は難しい。ハレ舞台ではなくなった百貨店は目先のブランド品で釣るようになってしまったが、これとてもインターネットショップで販売するよう になった。
 最後に言えるとすれば、足を地につけた地道な商法こそが、小売りの再生の鍵である。それがいち早く出来てこそ、小売は復活する。残念だが、そのスピードはユニクロやダイソーなどが早く、イオングループやセブン&アイは二番手、百貨店などは2周遅れであろう。

 今回、使用した画像は福井県のホームページから引用させていただきました。福井県に感謝申し上げます。



引用元
デジタル版 日本人名大辞典 出典:講談社
福井県 ホームページ
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/08/m-exhbt/200805AM/193601hyoushis.jpg