2013年10月29日火曜日

金融ビックバンの果てに 新潟中央銀行の場合

2012年05月05日




 今回は新潟県の新潟中央銀行を取り上げる。
 今回は意外とWikipediaの資料が使える印象だったのでそのまま使うことにした。

1912年 相互信用合資会社設立。
1913年 越後無尽株式会社設立。
1915年 相互信用合資会社、商号を相互信用無尽合資会社に変更。
1916年 大森無尽商行設立。新潟無尽株式会社設立。
1920年 大森無尽商行、法人化し株式会社大森無尽商行設立。
1932年 第一共栄無尽株式会社設立。
1936年 相互信用無尽合資会社の業務を継承し、相互信用無尽株式会社設立。
1939年 大森無尽商行、新潟無尽株式会社を合併する。
1940年 大森無尽商行、越後無尽株式会社を合併する。
1942年 大森無尽商行、相互信用無尽、第一共栄無尽の3社の合併により新潟無尽株式会社設立
1951年 商号を株式会社新潟相互銀行に変更。
1989年 金融機関の合併及び転換に関する法律に基づく認可によって普通銀行に転換し、商号を株式会社新潟中央銀行に変更。大森龍太郎社長の下1990年代初頭のバブル景気の時代に、新潟ロシア村や柏崎トルコ文化村、多数のゴルフ場(ケイマンゴルフ場など)、新潟空港の開発など不動産物件への融資を拡大したがバブル崩壊により多額の不良債権を抱え、新潟県外への融資の拡大を図るものの結果的には効果はなかった。
1999年 6月、金融庁は新潟中央銀行が自己資本不足に陥ると判断、早期是正措置を発動した。銀行は同年9月までに350億円の増資計画を立てて経営再建を目指したが不調に終わり、9月下旬以降預金流出が加速、新たな割当先も見あたらないことから経営陣は自力再建を断念。10月2日に金融再生委員会に対して金融再生法適用の申請を行ったことにより事実上破綻。金融再生委員会より金融整理管財人による業務および財産の管理を命ずる処分を受ける。
2000年 東証1部上場廃止。12月21日までに金融整理管財人は第四銀行・大光銀行・群馬銀行・東和銀行・八十二銀行・東日本銀行の間で営業譲渡契約を締結。
2001年 5月11日までに新潟中央銀行としての営業を終了し、5月14日付けで営業を第四銀行、大光銀行、八十二銀行、東日本銀行、群馬銀行、東和銀行へ譲渡し、6月30日付で会社は解散。旧経営陣は特別背任容疑でに逮捕・起訴。
2003年 旧経営陣への特別背任事件の一審で有罪判決。
2004年 11月、事実上最後の頭取であった大森龍太郎が死去。
2006年 10月26日の清算臨時株主総会にて清算が決議され翌11月閉鎖登記手続きが行われ、法人格が消滅。

 今回、Wikipediaの資料をベースにGoogleで得られた検索内容を掛け合わせたわけだが、新自由主義の歪みを私はまざまざと見せられた感じがする。
 この銀行は第二地方銀行で、経営基盤が弱い。さらに利潤も地方銀行にも劣る。そこで、バブル経済に乗って投機に踊ったのだろう。しかし、こんなバカな時代は続くわけがない。イオンの名誉会長である岡田卓也氏によると、日本クレジットサービス(現イオンクレジットサービス)社長だった五十嵐雄一(1927-2011、元ジャスコ副会長、第一勧業銀行出身)氏のもとに金融機関から億単位の大口融資の話が持ちかけられていたそうだ。五十嵐氏と岡田氏は毅然とした姿勢で断ったそうだ。これが経営者ではないのか。
 日本にはあまりにも経営者がいなさすぎるのである。木村剛のような程度の低いガキを持てはやしているようではこのコラムを読んでも意味はない。