2013年10月5日土曜日

老害ネオコンじいさん 渡部恒三

 渡部恒三の正体は原発とズブズブ、統一協会との癒着など、悪事三昧の男だった。
 Wikipediaではこれほどの悪事を暴かれている。

 自身の選挙において、公職選挙法違反事件で有罪判決を受けたため福島県議会議員を辞職。
 2005年の第44回衆議院議員選挙において、陣営の運動員6名が公職選挙法違反(被買収)の容疑で逮捕され、それぞれ罰金刑に処せられた。(内一人は大麻所持も発覚し再逮捕)
 2007年に自身の政治団体が、事務所としての活動実体がないにもかかわらず、甥の佐藤自称福島県知事のURのマンションを主たる事務所として12年間に渡って届出ていた問題が発覚。事務所費として計約9900万円、人件費や高熱水費を含めて計約1億7824万円を計上していた。この問題の責任を取って、渡部は党最高顧問を辞任するが3ヵ月後に復帰した。
 厚生大臣時代の1984年1月に原子力関係者との会合の席で「原発を作れば作るほど国民は長生きできる。日本のエネルギー問題の解決は原発だというのが私の政治哲学だ」と放言した。それほど原発と癒着度は重大だった。
 日刊ゲンダイから引用する。

福島原発と渡部恒三、半世紀の癒着
ゲンダイネット
2011年5月2日 掲載
 福島原発の暴走は誰も止められない惨状だが、そんな中、この人の責任がなぜかあまり報じられていない。厚相だった1984年、「原発つくれば国民は長生き」の舌禍で叩かれた民主党最高顧問の渡部恒三(78)だ。
 59年に26歳で福島県議に初当選。69年に国政に転じ、半世紀以上にわたって原子力行政に深く関わってきたのが渡部なのだ。

「選挙区の会津には、猪苗代水系を使った東電の水力発電所が12カ所もあり、昔から東電とのパイプは太かった。60年には同郷で東電社長の木川田一隆氏の原発計画に呼応し、県議会の一員として原発用地の提供を申し出た。恒三サンは原発の生みの親のひとりなのです」(福島県政関係者)
 国政では自民党・田中派に所属し、石油危機後に通産族として原発推進の旗を振った。74年には「電源3法交付金」の制定に尽力。電力会社から吸い上げた税金を原発立地自治体にバラまく仕組みを完成させ、地元・福島で豊富な交付金を差配し、権勢を振るった。
 その後も党電源立地等推進本部の事務局長として、福島第2原発や柏崎刈羽原発の用地買収に関与。80年には党商工部会長となり、前年比45.1%増のエネルギー関連予算を獲得し、「史上空前の予算増」で通産省にも恩を売った。81年発行の自著にはこう書いている。
「原発をやらないと、21世紀のエネルギーは確保できない。政治生命をかけてもいい」
 通産相就任は91年。ついに原発行政のトップに上り詰めたのである。
「民主党参加後は電力労組に接近。東電と東北電という2つの労組の票を束ね、元秘書で甥の佐藤雄平・現福島県知事や、玄葉光一郎・現国家戦略相、増子輝彦・前経産副大臣と子飼いの政治家を次々と政治の表舞台に送り込んだのです」(前出の福島県政関係者)
 昨年、佐藤知事と増子副大臣は佐藤栄佐久前知事が抵抗した福島原発のプルサーマル計画を承諾し、それが恐怖の3号機の暴走につながっていく。そんなのが最高顧問の民主党に原発処理は任せられない。

 こう言う愚か者が『国民の生活が第一』を立ち上げざるを得なかった小沢一郎氏を「才能ある政治家だけど、これで終わりだろう。寂しい。残念だ」と放言する不見識。
 佐高信氏に「故郷の福島を売った原発族」と痛烈に糾弾され、東京電力の共犯者とダメ出しまでされる始末。佐高氏の言葉を締めにしよう。

「原発事故については、東京電力や政府に怒っている。故郷で生活できなくなり、仕事も奪われたのだから。東電の清水正孝は事故直後、体調不良で一週間も姿を消していた。組織のトップとして恥ずかしい。這ってでも出てきていたら、被災者の気持ちはここまでひどくなかった」と、一転、故郷の福島の被災者の味方のような顔をしている。
2011年5月5日付けの『日刊ゲンダイ』で、渡部はこう言い、
『本人に何の責任もない人々の命が奪われ、先祖から受け継いだ家や財産を流された。いまだに涙が止まらない』とも言っているのだが、特に原発については、渡辺は『何の責任もない人々』ではなく、東電と一緒になって原発を推進してきた共犯者である。
小沢一郎が、自民党の実力者だった金丸信に、
『総裁(総理)になれ』
と言われ、時期尚早と断った時、金丸は、
『(渡部)恒三なんか、一日でも一時でもいいからなりたいと言っているのに、お前は何だ』と小沢を怒ったという知られた話がある。住民たちから見れば、それは明らかだと思うが、そこに政治家に最も必要な理念がないから変われるのである。

2012-08-29 20:38