2013年10月30日水曜日

崩れた金融ビックバン 三洋証券の場合

2012年05月16日




 今回取り上げる証券会社は三洋証券である。
 この会社は破産して今はないのだが本社は東京都江東区、資本金三百九十七億六千三百万円、七十店舗、従業員は二千六百七十五人(店舗数、従業員数は九七年九月末現在)と中堅の証券会社にしては優れていたと思う。

1910年 「久星土屋鋭太郎商店」として創業。
1938年 土屋鋭太郎の長男陽三郎が東京商科大学(現j一橋大学)を卒業して父親の家業を引き継ぐため入社。野村証券の瀬川美能留、奥村綱雄らと親交を結び利益供与しあう関係になる。
1943年9月8日 「土屋證券株式會社」へ法人改組。土屋陽三郎の妹の婚約者を瀬川が見つけて懇談の話を取り付ける。
1944年 角メ証券と合併して「日東證券株式會社」に商号変更。
1953年 青空市場(上場直前の会社の株式を扱う非公式の市場)がスターリン地獄行きに伴う相場の下落で経営危機に陥り土屋陽三郎社長が9月28日に野村證券の奥村綱雄社長に社長の辞職と引き換えに1億円の融資を要請。
奥村は社長の留任を条件に野村證券が10%出資する事とし融資も行なった。
1971年4月 湘南証券を吸収合併。
1971年10月1日 江口證券および大一呉証券を吸収合併、「江口日東証券株式会社」に商号変更。
1973年1月1日 「三洋証券株式会社」と商号変更。総合証券会社となる。
1973年5月1日 東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所第2部市場に上場(使用していた証券コード:8605)。
1975年11月9日 上記3証券取引所の第1部銘柄に指定替え。
1980年代後半 バブル期に積極経営で急速に業容を拡大。江東区塩浜に世界最大規模のディーリングセンターを建。本体がバブル崩壊後に経営不振にあえいでいた上債務保証先でもあるノンバンクの子会社「三洋ファイナンス」がバブル期に行った不動産関連融資の多くが不良債権化し、決断を先送りした。
1994年3月17日 旧大蔵省証券局主導の下、護送船団方式による再建九ヵ年計画が策定。
内容
*メインバンクによる金利減免
*大株主野村證券等による200億円の第三者割当増資引受け
*奉加帳方式で生命保険会社からの200億円の劣後ローンを受け、9年間かけて不良債権を償却する。
 だが三洋証券本体は膨大な赤字に苦しんでいた。
1997年7月 生保各社から劣後ローン継続については3ヶ月の延長しか認めず、さらに「早急の新再建案の提示」の条件付という、事実上の「最後通告」を突きつけた。
1997年9月26日 国際証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)による条件付の三洋証券との合併を計画するがスクープにより破綻。
1997年10月31日 劣後ローンの延長期限が終了。三洋はギリギリまで延長交渉を続けてきたが生保側は株主代表訴訟リスクに耐えられないとして延長を認めず、この時点で倒産は不可避となった。
1997年11月3日 会社更生法の適用を申請。証券会社としては戦後初の倒産。
1997年11月4日 三洋に対する裁判所の資産保全命令によりインターバンクのコール市場と債券レポ市場でデフォルト(債務不履行)が発生。戦後初の金融機関のデフォルトとなる。群馬中央信用金庫(後のぐんま信用金庫、現在のしののめ信用金庫)が三洋証券に貸し付けていた約10億円が焦げ付き、無担保コール市場が大混乱に陥る。
1998年2月4日 東証1部、大証1部、名証1部の上場廃止。 
1998年3月13日 三井海上火災保険(現在の三井住友海上火災保険)が一部業務の承継を検討していたが、これを断念。東海東京証券の前身である東海丸万証券が一部店舗と従業員を引き継ぐ。またユニバーサル証券(後のUFJつばさ証券、現三菱UFJモルガンスタンレー証券)が従業員を引き継ぐ。
1998年6月24日 更生管財人により、経営再建を断念すると発表。
1998年8月31日 全従業員解雇。
1999年12月28日 破産宣告を受ける。

 金融ビックバンはいいことも悪いこともあるのだが、ほとんどが厳しいことばかりである。
 そもそも、損失が出た段階で早めに処理するのが小売業の常識であるが金融界にはそんな常識がなかったのだから驚きだ。物流のメールマガジンより引用する。

http://www.e-logit.com/mag/mmb173.php


【物流話173】『在庫管理は失敗を前提に考える(2)』~負の遺産をどう処分するか~

━━━━vol.173 ━
■『ロジスティクス思考的経営話(物流話)』powered by e-LogiT ■
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こんにちは!編集部の清水です。

3月は新年度の始まる前の月ということで、何かと慌ただしいですね。
私もこの時期は、出張企業研修の準備などの資料作成に追われています。
新年度ももうすぐ!来年度も、気合いを入れていきましょう!

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■今回の物流話  
『在庫管理は失敗を前提に考える(2)』~負の遺産をどう処分するか~
   イー・ロジット コンサルタント 清水 一成
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まず、在庫管理や整理をしようと思う時って、どんな時でしょうか?

棚卸が迫ってきたり、売り上げが伸びて商品アイテム数が増えて
倉庫スペースが手狭になったり、
「在庫を圧縮せよ」という上司からの指示があってなど、
というきっかけがほとんどですね。


ただ、いざ在庫整理をしようとすると...こんな言葉を良く耳にします。

「バイヤーの取り過ぎた負の遺産だから俺の責任じゃない」
「前任者の取り込み過ぎた商品で何年も前の捨てていいのか判断に
 迷う商品も多いし、売価変更などもあり、何より面倒くさい」
「これ以上処分や値下げで粗利を減らすと、自分の部門成績が減るなー」


でも、売れない商品を値下げせずにそのままにすれば、
日々売るチャンスを失っていきます。

ホントは、もっと前に売れない商品だなって自分では
気づいているのですが、日々の仕事に追われてしまい、
後手後手になるのが現状ですね。


私自身、20代の頃は小売の現場で働きはじめて、在庫管理のイロハも知らず、
過剰在庫品の在庫管理に悩まされていました。

個人的な感情で、
「前任者の失敗をなぜ自分が処理しなきゃならないんだ?」
という思いも強く感じていました。

しかし、ある時、海外のPB商品が大量に入荷されてきて
倉庫の在庫が膨れ上がった時、
保管場所もないので思い切って、日曜のタイムセールや処分売り場を作るなど
早め、早めに手を打って鮮度の落ちた商品を処分し、
新しい商品を投入するサイクルを早めることを
ドンドン試しにやってみました。


その結果、ロス率の低下と担当していた日用品部門の
売り上げを前年比、130%増まで達成したことがありました。

それから、担当部門が変わるごとに
インテリア用品などいろんな部門で、社内ルールより早めの処分の
実験を繰り返した結果、おもしろいように
同じように前年比より売り上げUPを達成できたのです。

目から鱗でしたが、誰かの失敗で在庫しすぎて
鮮度の落ちた商品を出来る限り早く処分することが、
実は、自分の成果も上げていくことに
繋がることに気がつきました。


そこで、ぜひ実践してもらいたいのが『失敗を前提とした在庫管理』です。
「在庫を取り込み過ぎるのはよくあることだ」と認めることです。

それじゃあ、いつ値段を下げていくのか、いつ処分をするのかなど、
会社のルールもありますが、常に自分の"現場でのものさし"を
持って管理することを徹底して実践してみてはいかがでしょうか?

社内の処分ルールも大切ですが、自分の在庫管理している商品が
どのように動くのかは、最前線で商品を見ている、今現在の担当者である、
あなたが一番肌で感じて分かっているのですから、自分のものさしで、
判断することも大切です。

また、人の失敗在庫も受け入れていく姿勢やマインドを身につけることが、
自分の成果を挙げる近道でもあるわけです。

理論や理屈で考えると、
『何であいつの失敗を俺が』という気持ちが湧いてくるかもしれません。

しかし、広い視野を持って
「みんな在庫管理を失敗するんだ」という前提にたって、
人の失敗在庫を早く処分することが最終的には、自分の成果につながり、

ひいては会社全体の利益を生み出すことに繋がるんですね。


できるだけ、自分のミスは隠しておきたいところです。
でも、「失敗はおこるもの」として、
そのリカバリーをいかに早めていくかを考えることが
多くの現場に必要だと私は思います。
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 このことを金融でいう融資に当てはめてみれば、不良債権が出た段階で早めに処理してしまうことが肝心だった。
 そもそも、危うい融資を平然とほいほいやらかしたのは誰だろうか。
 バブルということが通常では異常なことなのは誰もが冷静に考えれば分かることではないか。無責任な売り手に無責任な買い手がいるから、バブルはさらに加速した。金というのは実に恐ろしいということをあの時誰もが忘れて夢物語の世界に埋没した。
 金というのは池波正太郎の「剣客商売」の登場人物である小川宗哲の言葉を借りていうならば「恐ろしゅう」ものなのである。そこには多くの人々の欲望や願望がぎっしりと詰まっているからだ。そのやり取りとしての通貨に過ぎないのだ。