2013年10月29日火曜日

金融ビックバンの果てに 関西・幸福・京都共栄・びわこ銀行の場合

2012年05月04日



関西銀行
1922年 7月1日 - 山城無尽株式会社設立。
1951年 10月19日 - 山城無尽株式会社が株式会社関西相互銀行と商号変更。
1973年 10月15日 - 大証2部に上場(証券コード:8545)。
1975年 3月1日 - 大証1部に指定替え。
1978年 地元近畿地区の効率化を目指し、住友銀行との合併計画が進められたが、従業員・取引先の強固な反対運動が沸き起こり頓挫。
1989年 2月1日 - 株式会社関西相互銀行が普通銀行に転換し、株式会社関西銀行と商号変更。
2000年 9月26日 - 株式会社関西さわやか銀行設立。
2001年 2月26日 - 株式会社関西さわやか銀行が株式会社幸福銀行より営業を譲り受け、営業開始。
2003年 7月1日 - 株式会社関西さわやか銀行を子会社化。
2004年 2月1日 - 株式会社関西銀行を存続銀行として株式会社関西さわやか銀行と合併し、株式会社関西アーバン銀行と商号変更。
2005年 4月7日 - 東証1部に上場。
2010年 3月1日 - びわこ銀行を吸収合併。
2011年 1月4日 - 勘定系システムを統合。


幸福銀行
1924年 1月7日に紀伊無尽として和歌山に設立。正式には8月5日設立。11月17日に無尽営業免許を取得。
1926年 幸福無尽株式会社を7月2日に和歌山に設立。8月2日に無尽営業免許を取得。
1943年 幸福無尽と紀伊無尽が2月15日に合併、大阪に移転。
1946年 1月25日、大阪に本店を移転。10月20日に幸福相互銀行に改組。
1989年 相互銀行から普通銀行に転換。「幸福銀行」とする。
1997年 10月26日、救済合併に伴う援助として金銭の贈与456億円を受け京都共栄銀行の営業を引き受ける。
1998年 グループ会社で消費者金融の中堅企業だったコーエークレジットをGEコンシューマー・ファイナンスに売却され、その後となったほのぼのレイク(現新生銀行傘下)等と統合。
1999年 5月21日、廃業届を申請。破綻銀行と認定し、金融整理管財人を派遣して国の管理下に置かれ、金融監督庁が1999年1月から4月までに行った検査による1998年9月期の不良債権は、回収に注意を要する灰色債権(第二分類)は3961億円、回収に重大な懸念がある債権(第三分類)は1030億円、回収不能な債権(第四分類)は284億円だった。この結果を踏まえて不良債権処理を行うと、464億円の債務超過となる。
2000年 受け皿銀行となる「関西さわやか銀行」をアメリカのアジア・リカバリー・ファンド(米国)が設立。2月26日に経営を譲渡。
2003年3月19日 破綻時の社長頴川徳助らは、グループ会社への不正融資事件で逮捕され、大阪地裁は頴川らに懲役4年6か月の実刑判決を下した(2008年4月23日に実刑確定)



京都共栄銀行
1911年 11月22日、実業無尽を京都に設立。
1920年 10月20日、福知山無尽設立。
1926年 6月7日、福知山無尽を実業無尽が合併。
1927年 6月18日、広済無尽株式会社を京都に設立。
1940年 4月30日、実業無尽と京都産業無尽が合併、昭和産業無尽に商号変更。
1941年 1月15日、昭和産業無尽と広済無尽が合併。
1951年 10月20日、昭和産業無尽から昭和産業相互銀行に改組。
1964年 10月1日、昭和産業相互銀行から京都相互銀行へ商号変更。
1989年 4月1日、普通銀行へ転換。京都共栄銀行に商号変更。京都府の第二地銀として預金高3,400億円・貸出金約3,000億円で京都府内だけでなく、敦賀市、小浜市などの福井県まで営業エリアまで広げていた。
1997年 バブルの崩壊により不良債権の総額が約1290億円に膨れ上がった上、金融庁の追加指摘により約150億円の債務超過が発覚し10月14日、経営破綻。幸福銀行、福邦銀行、京都北都信用金庫などに10月26日に経営譲渡。


びわこ銀行
1925年 8月23日、華実無尽を近江八幡市に設立。11月11日、興業無尽を大津市に設立。
1942年 10月2日、華実無尽と興業無尽が合併して滋賀無尽株式会社として現在の近江八幡市に設立。資本金は60万円。
1951年 10月20日、相互銀行に転換、株式会社滋賀相互銀行に商号変更。
1968年 11月1日、本店を大津市に移転。
1983年 4月1日、びわ銀リース株式会社(資本金30百万円、本社・大津市)を設立。10月1日、大阪証券取引所市場第二部、京都証券取引所に株式上場。
1985年 9月2日、大阪証券取引所第一部へ指定替え。
1989年 2月1日、普通銀行に転換、株式会社びわこ銀行に商号変更。
2001年 3月1日、京都証券取引所株式上場廃止
2010年 3月1日、関西アーバン銀行に吸収合併され、解散。

 えげつないことで知られる三井住友の源流の一部はここにある。
 融資はあくまでも顧客から預かった資産を確実に信用できる顧客にフェアな条件で提供する行為であり、利息はそのリスクプレミアに過ぎない。だが、バブルのときは大蔵省が一緒になってあおっていたのだ。北洋銀行の頭取を務めた武井正直氏は当時の大蔵省の対応を「『バカな大将、敵より怖い』って言うんだ」と痛烈に批判している。バブル経済の際には当時の大蔵省銀行局から「融資をもっと増やすように」と圧力をかけられても「こんなばかげた時代はいつまでも続くわけがない」と融資基準を緩めることはなかった。
 その堅実さが北海道拓殖銀行の経営権を引き受けることになった。晩年、入院した際に銀行幹部の見舞いを断るなど徹底的に公私混同を嫌ったそうだが、三井住友の軽営陣たちは武井氏のつめの垢をせんじて飲んでもらうしかない。

 なお、こちらも参考願いたい。
http://www.sunfront21.org/act/number/076/007.html