2013年10月19日土曜日

地方百貨店を考える 甲府・山交百貨店の場合



 今回は地方百貨店である山交百貨店を取り上げる。
 この百貨店はある意味、政治に翻弄された百貨店である。

1937年 山梨県初の百貨店として松林軒デパートが甲府会館(現存せず)で営業を開始。
1945年 甲府空襲により内部が損傷したため百貨店としての事業を中止。
1948年 中込百貨店(アーバンなかごみを経て西友甲府西武)が創業
1954年 浜松にあった松菱の資本参加を得て甲府松菱として営業を開始。
1961年 甲府松菱と山梨交通を山梨県出身の小佐野賢治が社主だった国際興業が買収。松菱は国際興業傘下山梨交通系列に編入された。
1962年 廃止された山梨交通電車線の甲府駅前駅跡地にバスターミナルを併設したビルを建設。
1963年 運営会社を株式会社山交(以下、山交)、百貨店名称を甲府松菱から山交百貨店(以下、山交百貨店)に商号変更のうえ新店舗に移転。
1975年 倒産した中込百貨店を西武流通グループが買収し、西友中込店(その後甲府西武に改名)として営業を開始(すでに閉店)。
1985年 甲府駅ビル「エクラン」の完成とともに甲府駅バスターミナルを現在の位置に移転して山交百貨店改築用のスペースを確保。
1986年 開催されたかいじ国体の終了を待って営業を休止。建物は旧バスターミナルとともに取り壊された。
1989年 現在の新しいビルが完成し、営業を再開した。内部に世界初の楕円形エスカレーターや時計台(2008年に撤去、甲府市の幼稚園に譲渡された)が設置される。
1990年 郊外型SCの出店に対抗してダイエーと提携、GMS事業へ参入。湯村に湯村SCを出店。
1997年 山梨交通貢川営業所跡地に貢川ショッピングセンターを出店。
1999年 貢川SCを閉鎖(場所が県内大手GMSのオギノ本店の向かい側であったため、危機感を持ったオギノの反撃に遭い売上げは低迷)。
2003年 湯村SCからも撤退したことによりダイエーとの提携は解消され、山交は多額の負債を抱えることになってしまった。
2007年 親会社の国際興業が2月に山交百貨店を設立、百貨店事業を譲渡。負債だけとなった山交は株式会社甲州管財と商号変更し、同年7月に東京地裁より特別清算手続の決定を受ける。

 ちなみに、国際興業もアメリカのサーベラスに事実上買収された(メインバンクだった旧UFJの債権処理の関係で)。
  この債権処理に関わった木村剛が不正に関わった日本振興銀行も、皮肉なことに新自由主義の申し子だった。国際興業はあのロッキード疑惑の田中角栄と繋がっ ていた。これが、政治に翻弄されたと私が話した由来である。ダイエーも、皮肉なことにUFJの債権処理でアドバンテッジパートナーズと丸紅連合を経てイオ ン・丸紅連合になった。また、イオンのメインバンクの一つがみずほコーポレート銀行と三菱東京UFJ銀行である。UFJ銀行に債権処理を迫ったのが木村である。その木村と小泉純一郎、竹中平蔵は腐敗で結び付いており、トヨタ自動車によるミサワホーム不正買収事件でも関与が明らかになっている。
 歴史は絶えず、何だかの形で繋がっているのだ。決して無関係ではない。国際興業の子会社である十和田観光電鉄も本業である鉄道事業を今年3月末で廃止した。これとてもダイエーとのフランチャイズ提携でストア事業に参入して失敗したためだ。