2013年10月28日月曜日

金融ビックバンの果てに 千代田生命保険の場合

 今回は千代田生命保険を取り上げる。



1904年 4月に福沢諭吉門下の門野幾之進(初代社長)が中心となって1904年4月に日本初の英米相互組織として設立。
1948年 業界初の「団体定期保険」を販売。
1950年 業界初の「団体年金保険」を販売。
1961年 業界初の「団体信用生命保険」を発売。
1973年 海外3大保険グループと業務提携し国際化を目指す。
1975年後半 事業の拡大を推進し、住宅ローンや増改築ローンの新商品を加えた。
1992 年 3月期は年間収入1兆4991億円をあげるとともに総保有契約高60兆円を突破。不動産関連や株式投資への融資を積極的に進め業容の拡大に努めた結 果。だがバブル経済の崩壊後は不動産向け融資の不良債権化や株式担保融資の担保割れなどが発生し、不良債権額が毎期ごと増大、特に「ホテルニュージャパ ン」の火災では融資先の一社として有名になった。一方、景気低迷と低金利政策の下で予定利率を運用利回りが下回る「逆ザヤ」現象が続き、株価下落等による 信用不安が増大した。
1999年 経営革新計画を作成、早期退職制度を中心に人員の合理化や、事業所の統廃合を行っていた。しかし、契約者の解約 は続き、メーンバンクの東海銀行に1000億円の資本支援を要請するとともにドイツの大手生保・アリアンツへ経営参加を中心とした経営支援を要請していた が、数回におよぶ交渉も前進を見ず自主再建を断念。
2000年 10月8日に更生特例法の適用を申請し経営破綻(従業員1万3013名)。生命保 険会社としては金融機関等の更生手続の特例等に関する法律(金融版会社更生法)申立の第1号。負債は保険契約に基づく準備金が約2兆6413億円、同準備 金以外の債務が約2953億円の合計約2兆9366億円。本社ビルは目黒区に売却され、現在は内装等を大きく改装し、目黒区役所(目黒区総合庁舎)となっ ている。
2001年 株式会社に転換し、AIGグループが株式を買収し、「エイアイジー・スター生命保険株式会社」になる。2009年1月を目標 に、同じくAIGグループのAIGエジソン生命保険と合併して、AIG生命保険株式会社になる予定だったが、AIGがサブプライムローン問題の影響で経営 危機に陥る。
2008年 10月3日にAIGが経営再建策の1つとして、日本の生命保険事業3社(AIGスター社、AIGエジソン生命保険、アリ コジャパン)を売却することを発表した。これによって合併計画を延期させざるを得なくなったことから、2009年1月に予定されていた合併は先送りされ た。
2011年 2月1日付けで、米プルデンシャル・ファイナンシャルグループがAIGスター生命とAIGエジソン生命を買収した。プルデンシャル・ファイナンシャル傘下に移行後もAIG側の許可により商号は維持された。
2012 年 1月1日にAIGスター生命保険・ジブラルタ生命保険・AIGエジソン生命の3社が合併し、ジブラルタ生命保険に商号変更された。一方、銀行窓販チャ ネルについてはジブラルタ生命の子会社であるプルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険(旧・大和生命保険)へ移管・統合された。

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 この会社はバブル経済に翻弄された会社である。
 千代田生命とセゾン生命、東邦生命、協栄生命、大正生命、大和生命がまさか一つの生命保険会社になろうとは私には思わなかった。いずれにせよこのこともじっくり書いていくが、勝者によって書き換えられた歴史が真実とは異なるのだと言うことを認識して欲しい。