2013年10月6日日曜日

誤解のないように言いたいこと、言わねばならないこと

 みなさん、こんばんわ。
 小野 哲です。このたび、ちょっと誤解されているところがあるようなので最初に言っておきます。
 私はいかなる犯罪被害者に対しては共感と癒しが必要だという信念を持っています。そうすることにより、彼ら彼女らの立ち直りや支援につながればと思っています。
 ですが、犯罪加害者についてなぜ私が厳しいまでに慎重なのか、奇怪に思うかもしれませんし、おかしいではないかと憤るかもしれません。ですが、私はその姿勢は共存できると考えています。なぜなら、裁判は三審制です。それが司法の原則なのです。
 さらに言いますが、私は凶悪犯罪の再発防止と発生構造の分析が司法の仕事なのだと考えます。そして同様の犯罪の再発を防止することが、司法のやるべき仕事です。被害者に加害者の断罪をさせる被害者参加制度はいわば公的な敵討制度そのものであり、近代的発想そのものです。
 むろん私は処罰がない裁判はないと考えます。しかし、それが被害者遺族の感情ばかりが過剰に優先される今の司法はいけません。裁判員裁判では被害者や加害者の言い分が平等に聞けると言いながらもその実態は被害者に圧倒的有利な実態です。これは司法の平等性に反する行為ではないでしょうか。
 むろん、加害者の中には福島県立大野病院医療過誤事件の加害者である加藤克彦のような法律の抜け道を悪用して言い逃れに終始する破廉恥な輩もいます。そういう連中に対して私は際立って厳しいのです。「ヒポクラテスの誓い」で宮内謙治を批判したのもその観点故です。

 死刑について私があのような結論にたどり着いたのには様々な読書の果てです。
 死刑囚の最後についての文庫本や大阪姉妹殺人事件の死刑囚についてのレポなど、いろいろ読んできた結果、「構造そのものを絶たねば、この種の犯罪はなくならない」と確信しました。刑罰はあくまでもその後です。
 むろん不幸にも巻き込まれた被害者には癒しや支援が必要なのは言うまでもありません。しかし、犯罪者の精神構造も分析していきますとある種の精神疾患を抱えていたことも明らかになってきました。大阪府池田市の小学生連続殺傷事件の加害者は完全な精神疾患でした。山口県光市の母子暴行致死事件の被告人(現在再審請求中のため死刑は確定していません)も発達障がい当事者でした。
 こうしたものをなくすには早い段階での周囲のケアが必要なのは明らかです。むろん犯した罪に対しては法律にのっとり裁くのは当然ですが、国際法に従えと私は言っているにすぎません。これから公表していくコラムの中には犯罪被害者遺族二人を厳しく批判しているものもあります。ですが、私は撤回する気はありません。
 事実に則り批判しているにすぎません。ですがいいます。私は犯罪被害者の現在の幸せをねたむような書き込みは一切しませんし拒否します。それは、彼らの生活に私が土足で入るようなものですから。私が批判するのは発言という事実であり、生活に介入する野蛮な行為は絶対に許されません。