2013年10月19日土曜日

戦わないで逃げただけの奴が戦って負けた人間を笑えるか

■何かを捨てることから始まる やり直した人、コラムニスト・小田嶋隆さん

 私は「人生やり直し」を2度経験しています。1980年に大学を卒業して、新卒で入った会社を8カ月で辞めました。辞めて何をするという目標があったわけじゃなくて、ただ職場の不愉快なことから逃げたかっただけです。
 当時、上場企業の正社員というコースから一度外れると、再チャレンジは難しかった。普通の再就職は目指さず、3~4年アルバイトしていました。放送局のADや小学校の事務をやって、年収200万円以下で暮らしてましたね。
  文章を書く仕事を始めたきっかけは、趣味でやっていたバンドです。ライブハウスで知り合ったんですが、銀行の電算室に勤めながらパソコンの入門書を何冊も 書いていた人がいて、「ぶらぶらしてるんだったら、パソコンの本を書かないか」と。それがライターとしての初仕事です。
 「本を書いたことがある」というのが通行証がわりになって、パソコン雑誌から仕事が来るようになりました。80年代半ばはちょっとしたパソコンバブルでしたから、けっこう稼げましたよ。

 <人生の棚卸し> 
 ところが、30歳前後から、アルコール依存が始まりました。30代はまるまる酒浸り。酒が切れるとうつ状態になるので、自殺しないためには酒を飲み続けるしかない。原稿を落とすことが重なり、仕事もかなり減りました。
 最終的に断酒したのは39歳のときです。あまりに体調が悪くて、5日間酒をやめたら、ほとんど眠れず、幻聴まで出た。あわてて心療内科に行くとアルコール 依存症と診断されました。「このままだと40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール性痴呆(ちほう)。もう一生飲まないしかないよ」と宣告され た。
 それまでは人と会うのも、音楽を聴くのも、野球を見るのも、すべて酒を飲みながらでした。「酒をやめるというのは、酒のない人生 を新たにつくることだよ」と医者に言われて、慣れ親しんでいたことを片っ端からやめた。好きだった音楽も聴かず、野球も見ない。断酒自助グループのアルコ ホーリクス・アノニマス(AA)では「棚卸し」というんですが、いわば人生をリセットしたんです。
 酒をやめると、膨大に時間が余る。何をしていいかわからない。サッカー観戦にはまったり、自転車を乗り回したり、イグアナを飼ったりした。何かで時間をつぶさなければいけなかったからです。

 <「自律」は勘違い> 
 私は「やめる」こと以外は何も達成していません。サッカー観戦も自転車もイグアナの飼育も、あくまで時間をつぶすための手段。酒をやめたことで仕事はうまくいくようになりましたが、それは結果であって目標じゃなかった。
 AAでは、最初に「私は、自分では自分の人生をどうにもできない人間であることを認めます」と言わされます。これは一理あって、「自分で人生を立て直せ る」と思いこんでいると、依存症からは逃れられない。ビジネス本に書いてあるような「自分の人生を設計する」という感覚は、「カネさえあれば何でもでき る」と同じくらい軽薄ですよ。「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、そういう意識があるかぎり、人生のやり直しはできない。
 就職のやり直しにしても、結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。自分がどの仕事に向いているかなんて、実際にやってみなければわからない。
 人生を途中からやり直そうとするなら、まず何かを捨てることです。捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。その「何か」がいいか悪いかは、また 別の話ですけれど。私は会社を辞め、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くのものを失いました。でも、代わりに手に入れたものも明らかにある。あそ こでやめていなかったら、今のような人生は歩んでいない。どちらがいい人生だったのかはわかりませんが。
 30歳過ぎた人間が、自己を改造するなんて不可能です。もうできあがった人間なんだから。ただ、何かをやめることはできるかもしれない。人生をやり直すには、何かを「目指す」んじゃなくて、「やめる」ことからです。 (聞き手・尾沢智史)10月8日朝日新聞朝刊のオピニオンより
 おだじまたかし 56年生まれ。IT、政治、社会からスポーツまで、幅広いテーマの切れ味鋭いコラムで知られる。著書に「小田嶋隆のコラム道」「場末の文体論」など。

 さすが現実逃避者にふさわしい暴言である。
 一言で言って逃げばかりの人生だ。私は小田嶋程度など読みたいとは思わない。なぜなら、小田嶋程度の経験なんかは私に言わせるとかわいいものだ。私は発達障がいゆえにさんざん苦労してきた。いじめられ、パワハラに苦しめられ、クレーム処理まで押し付けられた。
 そんな人間に言わせると小田嶋のとった態度は現実逃避以外の何物もない。こんな小田嶋のような手合いがネットレイシストを批判できると思うのだからお粗末以外の何物もない。ここに、左翼のお粗末さがある。左翼は現実を見ずに理想ばかりを語る。
 だが、現実を知ることによりそこから物事はさらに説得力を得られるのだ。説得力無き口先左翼が生み出したのが在特会ではないのか。