2013年10月29日火曜日

金融ビックバンの果てに 協栄生命保険の場合

2012年05月04日

 まず、皆様へお願いがあります。
 護憲保守主義者として、今のハシゲブームには危険性を感じています。断固とした姿勢でハシゲにはセサミストリートの嫌われ者キャラクター、オスカー・ザ・グラウチの「Get Lost!!」「SCRAM!」(いずれも英語でとっとと失せろの意味)を言い続けましょう。
 私はこのコラムを書き続けることで、ハシゲブームに批判を加え続けます。



 今回コラムで取り上げる生命保険会社は協栄生命保険である。
 Wikipediaのほかにも、Googleで最大限他のサイトからも検索して情報を載せるように努力しているので、Wikipedia安心説には振り回されないで欲しい。

1933年 生命保険協会が「弱體(体)保險(険)資料調査報告書」を発し、各会社が販売した弱体保険を再保険する弱体再保険会社を立ち上げる構想を練った。1934年春に設立委員会、11月に矢野恒太を座長とする設立準備委員会を立ち上げた。
1935年12月3日 - 「協榮生命保險再保險株式會社」として発足。弘世助太郎を委員長とする創立委員会は、資本金100万円、日本生命常務取締役の田中弟稲を社長に任命し「協榮生命保險再保險株式會社」の設立を決定、12月3日に創立総会を開いて発足した。1936年1月、東京・丸の内の丸ノ内八重洲ビル4階に30坪の事務所を借り、10人足らずの従業員で営業を開始した。
1940年 この頃から業績はから向上しはじめ、また1941年から始まった太平洋戦争で同じ階に本社があったマニュファクチャラース社など4社の敵産管理を行い、12,000件、契約高5,200万円、資産3,000万円弱の保険契約を引き受けることとなった。1942年当時では契約高6,342万円、再保険料86万円の規模の会社となった。
1943年 日本生命の希望で高額の再保険の販売を開始、戦時下のインフレーションにより高額契約が急増することとなる。
1945年 4月、国策により「生命保険中央会」が設立され、「協栄生命再保険」と「生命保険中央会」が合併し、
「生命保険中央会」に改称。
1947年5月5日 協栄生命の設立に関わり、設立後にアクチュアリーとして働いていた川井三郎が中心となって、カナダのサンライフ社(カナダ3位の生命保険会社)の契約委託継続の申し出を受け、占領軍の許可を得た上で創立総会を行い「協栄生命保険株式会社」として再発足。
1947年9月 生命保険中央会は「協栄生命」に契約移転し、閉鎖。
1948年 本社を日本橋芳町(現在の日本橋人形町)から5月に呉服橋に移転。11月、川井が社長に就任。
1950年 世田谷区等々力に別館を設置。警察予備隊の死亡保険に参入(後の自衛隊保険として協栄生命の大きな顧客となる)。また学校の教職員向けに生命保険の販売も行う。
1958年 支社32、内勤職員690人、外勤職員3,000人、契約高1,450億円、資産37億円の企業に成長。
1960年 沖縄生命保険が7月に設立。
1963年 日本橋本石町の本社社屋を2階建てから9階建てに改築、その後も支社を続々と改築した。
1969年 ブラジルに「ブラジル協栄生命」を設立。
1971年 前年から副社長に就いていた大蔵省出身の亀徳正之が社長に就任し、川井は会長に就任。
1967年 沖縄生命保険と再保険契約を締結。
1972年 7月、沖縄返還時に伴い、沖縄生命保険の保険契約承継と希望する社員の受け入れを行い、事実上併合した。
1973年 3月、沖縄生命保険が解散。
2000年 8月18日、協栄生命保険は、債務超過状態を知らせずに出資を求めた第一火災海上保険相互会社を被告として、出資相当額の約300億円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起。
2000年 10月20日、東京地裁へ更生特例法を適用手続開始の申請を行い破綻。負債は約4兆6000億円。バブル期の高利回りの長期運用商品を販売した結果、逆ザヤが累積した。
2001年 1月31日、更生管財人が更生計画案の概要を発表。それによると債務超過は旧経営陣が発表していた45億円を上回る6895億円に達しており、米プルデンシャル社から支援3640億円を受けることになった。生命保険契約者保護機構からの援助を受けず、契約者負担の割合を低めに設定するなどの特徴がある。
2001年  2月14日、更生管財人が更生計画案を東京地裁に提出。新社名は「ジブラルタル生命保険」。
2001年  3月16日、千代田生命が所有している「ホテル・ニュージャパン」(東京都千代田区永田町)跡地を買収、プルデンシャルグループの本社ビルを建設。
2001年 3月28日、関係人集会で更生計画案が可決。4月2日に東京地裁が認可し、同日商号をジブラルタ生命保険(株)に変更、翌3日に業務再開。
2009年 経営破綻した大和生命保険を米国プルデンシャルが買収。プルデンシャル ファイナンシャル ジャパン生命保険への社名変更を実施し、ジブラルタ生命が完全子会社化する。
2012年1月1日 AIGエジソン生命・AIGスター生命を吸収合併。

 日本の生命保険会社は過度の競争によって苦戦を余儀なくされているのが今の現実である。
 私は競争を否定するものではない。だが、人権を踏みにじる競争に関してはことさら嫌悪感を感じる。金融ビックバンで儲かったのはアメリカだけだったのが現実で、国民の血税が旧長銀や旧日債銀に不当に回された上、脱税が堂々と行われた。国ぐるみのマネーロンダリングといわずして何というべきなのか。
 まだしも、プルデンシャルが堂々としているのは日本の法律にのっとってあこぎな買収をしなかったことだ。これはGEによる日本リースの買収にも言える。これらを私は否定するものではないことをここに明言する。しかし、マネーロンダリングまがいになれば話は異なる、私は厳しく行くと断言する。リップルウッドやスティールのような脱法犯罪ファンドには断固として戦う。