2013年11月14日木曜日

障碍者にとってサイバーコミュニケーションは…

 発達障がい当事者として、私自身はコミュニケーションの壁に何度もぶつかってきた。
 本当に思うのだが、心に大きな傷を背負った人たちにサイバー空間は温かい世界を与えてきたのだろうか。私にはそう思えない。
  言葉がとげとげしくなり、それによって自死を選ぶ人もいるのだ。そもそもネットの世界は現実の延長線に過ぎない。私はそう考える。「バーチャル」は現実の延長線なのだ。バーチャルの世界が全てであるかのように思ってしまうならそれはもう、取り返しのつかない悲劇を招くことになる。

http://gigazine.net/news/20080519_virtual_vigilantes_teens_suicide/

http://news.aol.jp/2012/10/13/amanda-todd-suicide-bullying_n_1959909/


 これらは海外のケースだが、いずれも共通しているのは精神疾患を抱えていることだ。
 サイバー空間はそうした人達に優しい風を差し出しているのだろうか。私にはそうとは思えない。冷淡な風ばかりが吹いている。私自身、発達障がい当事者であることを告白した直後にあるレイシストに心のない暴言を吐かれたこともある。
 そうしたネットの世界の闇を私達は厳しく見つめ、改めるべき時期に来ている。私自身はアンチレイシズムをここでにじませるのはニーメラーの警句でもわかる。このニーメラーはドイツでは保守派だがおそらく今の日本の実態を知れば共産党と手を組む可能性が高い。それぐらい今の日本は危ないのだ。
 サイバーコミュニケーションのもう一つの側面は痛みが直接伴わない。それ故に心に深刻なダメージを食らわせるのだ。それでいいのだろうか。それにより多くの在日コリアンや障碍者などが苦しい思いをしているのだ。
 皆さんも考えてほしい。サイバーコミュニケーションはどのようにあるべきなのかを。