2014年1月18日土曜日

口先だけのチーム愛男に用はない ラモス瑠偉

ラモス氏 監督就任濃厚の岐阜視察 厳しい言葉並べる

 J2岐阜の来季監督に就任が濃厚なラモス氏が岐阜市内で行われた入団テストを視察した。JFL、大学生ら57選手による紅白戦に熱視線を送り、練習場の一つである会場の設備もチェック。クラブハウスがないハード面についても「大変な環境だけどプロである以上はやらないといけない。シャワーを浴びたいなら温泉で働けばいい」などと厳しい言葉を並べた。

 集まった約200人のサポーターにはサインや握手に丁寧に応じ「1人100円だヨ」と冗談を飛ばして笑いを誘った。また横浜FCヘッドコーチなどを歴任した田口貴寛氏をヘッドコーチ、今季限りでFC琉球を退団した永井秀樹を強化担当として招へいに動いていることも判明した。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/12/24/kiji/K20131224007258200.html?feature=related


 では、私から突っこんでやろう。
 「サガン鳥栖を見ろ」と。サガン鳥栖はJ2でお荷物と言われるほど赤字がひどかったが、松本育夫という名指導者にして名経営者が加わったことで劇的に進化した。20億円にも満たない人件費で今年は14位と侮れない。
 その鳥栖はシャワールームが海の家のものを転用したものだ。そんなこともラモスは知っているのだろうが、こんなあほな事をほざいていた。

「あれは金額の問題じゃなかったですね。当時クラブの中で僕とある選手はちょっと浮いていたというのかな。そこに性格の合いそうにない外国人監督が就任することになって、これは一度出たほうがいいと思ったんです。もう1人の選手は『何があってもオレは残る』って残留しましたけど」


 そう、1996年にレオン監督との関係がよくないラモスは京都パープルサンガ(現京都サンガFC)に移籍した。「サンガを関西№1のチームにする」という言葉を吐いて。
 その際,当時の京都市長は、「日本の宝を預からせて頂いた」と大歓迎した。それもそうだろう、サンガは負けが続いていたからだ。当時パープルサンガの選手を知らない京都市民にさえ、ラモスは知られていて、市をあげて大喜びしたがラモスはケガで試合にほとんど出ないまま翌1997年に古巣のヴェルディーに復帰。
 その記者会見の席上で、「ヴェルディーを忘れた事は、一日もなかった。」と発言した。まさに、京都を出しものにした卑劣な態度に私ですらも憤慨した。これでは「ラモ・ずるい」ではないか。口先だけのチーム愛でFC岐阜を再建しようともおそらく無理だろうと私は見ている。
 FC岐阜のサポーターに警告する。サミュエル・ジョンソン(1709-1784)という思想家の「愛国心は卑怯者の最後の隠れ家である」という言葉を覚えてほしい。経営危機に陥ったら恐らくいの一番に逃げるのはラモスだからだ。