2014年1月31日金曜日

思ったこと、感じた事

 発達障がい当事者として、私は日々の生活や思ったことを生活者の端くれの一人としてただ何となく書いているようなものである。
 もし、私が発達障がいだと知らなかったらスペシャルオリンピックスの事も知らなかっただろうし障がいゆえに多くの人と知り合うこともできた。決して悪くはないのだ。その一方で、ネットで気にかかる発言がある。
 韓国人が興奮した際に使う「火病」という言葉だ。この起源とやらがアメリカのとある研究機関らしいというのだがこれもネット情報なので信用はできない。レイシストが日本への抗議をしている韓国人を嘲笑する際に使うあほなこの言葉はレイシストが他国への誹謗中傷をしているときにこそあてはまるのでありまさしくブーメランなのだ。
 この言葉を使われて嫌だというなら、差別はやめろと言いたい。他人へのヘイトを吐くのをやめろと私は言っているのにしか過ぎないのだ。差別をやめさせる手段の一つとして使うというのなら「反省する」精神があることを前提に私は使うこともやむを得ないのかもしれないと思う。だが、私とても使いたくはないのだ。
 そもそも悪いのは差別だ。在日コリアンへの出生ゆえの差別を許すということは、私たち障碍者にやがてその悪意の牙がむき出しにされるのは言うまでもない。それがキリスト教徒、日蓮宗信者、在日外国人へと諄々と牙をむき出しにしていき平和主義者にまで襲い掛かったら取り返しのつかない悪夢が待っている。
 それがあのニーメラーの警句である。
 それでこの国はいいというのだろうか。