2014年4月12日土曜日

2ちゃんねるという一種の異空間では通用しても世界は通用しない

 ブログコラムニストとして、サイバー言論を繰り出す際に気を付けていることがある。
 それは一般人に通じるように言葉を考える事だ。私は護憲保守派なのだが、最近の日本国憲法擁護運動に対して「何か違うのではないか」という違和感を持っている。それは、憲法擁護という共通の価値観を持っている人には通じてもそうではない人にはなかなか伝わりにくい事への鈍感さである。
 資格というのはその点分かりやすく、最近私は生きる力を一つでも多く持つことも兼ねて資格を取り始めている。この前挑戦して駄目だったが日商簿記2級にしても、ITパスポート試験にしてもだ。私は受けたことを悔やまない。そのおかげでほかの資格を取得するきっかけができたのだからだ。話はそれてしまったが、話がなぜ通じないのか。
 私は生活感がないのではないかと運動家に指摘したが困った表情だったことを伝えておく。私は左右問わずヘイトスピーチを重ねている輩についてはNOを突き付ける。右がヘイトスピーチをやっている以上左がやらかすなら毅然としてNOを突き付ける事が人としての筋なのだからだ。これが2ちゃんねるという目を覆いたくなるような異空間なら、もう何でもアリの世界になってしまう。それでいいとは私には思えない。
 断っておきたいが私は護憲主義を掲げる保守派だ。なにも護憲派にケチをつける気持ちなどない。だが、大声で呼びかければ呼びかけるほどその運動の継続性はなくなってしまう。一例を言いたい。
 私は現在個人的な理由で体重を落としている。土日祝日の外食を、160kcal前後までに絞り込み、夕食も少なめにすることで1月の段階で69㎏あった体重を3月下旬の段階で61㎏近くにまで落とした。 その理由について語ることは避けたいが、かなり楽になったことは確かだ。これも個人的な利害関係があったから実現できたということなのだ。
 生活の中に憲法が生きているからこれこれこうこういい面があるのだと語れるようなストーリー性がないから、プロの中で閉鎖的空間が生まれる。その結果は深刻なまでの糾弾騒ぎだ。それで本当にいいのだろうか。