2014年9月5日金曜日

弱者に強くなれと歪んだ強さを求めるマガジンに「聲の形」は取り上げる資格もない

 このテーマは私自身の心の闇を見つめ直すきっかけになったのであり、決して私にも無駄ではない。
 だが、これでもこの作品への違和感は薄れる事はない。私が「聲の形」を批判した際にメール欄でコメントをしていただいた1zxcvbさんの言葉は実に鋭い。再掲載したい。


少年マガジンという漫画のいじめに対するスタンスなんて昔からこんなものですよ。
「いじめられるのは弱いからだ。抵抗しないからだ。いじめられたくなかったら強く
なれ、自分で解決しろ」
こういう犠牲者非難の論調を漫画の中で延々と繰り返してきたのですから。

「はじめの一歩」「GTO」「特攻の拓」
マガジンに連載された一連の作品を読めば、この「聲の形」もまたこういう漫画の亜
流というべき作品であることが、理解できます。

そもそも非行少年を賛美する漫画で部数を稼ぐ少年マガジンなどという有害雑誌(敢
えてこう言います)に掲載されたシロモノを真剣に取り上げること自体が馬鹿げてい
るとしか言いようがありません。

よろしくお願いいたします。


 こういう不信感も、私の中にこびりついているから批判もしてきたのである。
 そしてこの方の指摘通り、最近「いじめられたくなかったら強くなれ」という歪んだ強さの発想がこの作品にこびりつきだしている。問題点の指摘にならないのではという私の危惧がさらに強まっているとしか言いようがない。そのキャラクターにもトラウマがあるのは確かだが、その再生には弱さを認める事でも十分なのである。
 もし本当にいじめ問題を追及したいというなら「やがて…春」を現代版にリメークすべきだったのである。私のように「障がいを己の無能の言い訳に使わない」という生き方はあくまでも末端にすぎないのだ。そういった生き方が全てであるかのように取り上げるやり方は本当におかしい。
 たとえばできる事とできない事がある。私があまり所属元のイベントに参加できないのは、そこで精神的なストレスに遭遇することを回避する為である。そういう傾向が強いということに気が付いたのはつい最近の事なのである。
 そういうことにまで「強いからのりこえられる」と価値観を押し付けられたらたまったものではない。私は強いように思われているが、決してそうでもない。ストレスにかなり弱く、現にこの5月下旬から1カ月近く、体調不良に苦しんだ。

 だからこそ、強くなろうと思う。弱さを認めるだけでも強いわけで、それを克服するには他人に迷惑をかけない限りならばどのような方法でも許される。