2014年9月11日木曜日

「聲の形」の感想(Neutralizer)

 今回、久々に我が盟友によるコラムを出していただくことになりました。
 大今良時氏による「聲の形」に対し、我が盟友とも議論しておりましたが、これが我が盟友の答えだと認識します。
 この作品に対し私達は大変な危惧を持っています。以前私は「泣かないと決めた日」を批判しました。この作品はパワハラ批判と称していましたが実態はむしろパワハラを指南するとんでもない代物だったのです。
 この作品もそういう風になりかねない危険性があるということです。


 あの作品は確かに現代における身体障害者(今回の作品の場合は聴覚)に対する周囲の現状を問題視『は』している。だが話が進むにつれ(といっても2巻までしか読んでないが)聴覚障害者である少女、あるいは彼女をいじめていた主人公の少年へのいじめや周囲の大人達の仕打ちがエスカレートしている。それが『問題提起』という主旨につながっているのだろうか?
 人の物事に対する捉え方はご存知の通り十人十色である。だがもしこの作品のシーンの部分に読者が自分にとって快楽の意味で捉えたとしたら…?その事が暴力的快楽に奔らないと誰が言えようか。
 この問題は読者だけの問題として片づけてはいけない。作者側も読者の捉え方について考える必要があるのではないだろうか?

 ついでに言うならば漫画などでの規制について今月1日放送の『ビートたけしのTVタックル』で討論していたが余りにも的外れと言える。規制云々の問題ではなく、我々読者一人ひとりの思考能力や情報処理能力の向上を問題とすべきではないだろうか。