2014年10月16日木曜日

数字の為なら手段を選ばない無責任 勘坂康弘





 破産までして破滅したとはいえ、あえてこの男には厳しい鞭をふるわねばならない。
 ブラック会社の中で最悪の部類にこれは入る。そして利益の為に多くの人の命が奪われたのだから容認するわけにはいかない。


2011年4月の「焼肉酒家えびす」の食中毒事件。問題のユッケを提供したフーズ・フォーラスの勘坂康弘・社長は、「生食用の牛肉はありません!」と大声を張り上げて「基準を作らない厚労省」の責任を指摘。“加熱用肉を生で出すのは業界の常識”との見解を述べた。
 だが、死者5人、被害者181人を出した状況での発言は、「開き直り」と受け止められた。勘坂氏は報道陣の前で土下座したが、「パフォーマンスだ」とさらなるバッシングを浴びた。
 事件から約2か月後、勘坂氏は本誌インタビューに応じ、「賠償のために全財産を充てる」と語ったが、2年が過ぎた今も被害者への補償は進んでいな い。勘坂氏は自己破産して妻と離婚し、単身で金沢市内の賃貸マンションで暮らす日々だという。再起に協力する知人がこう明かした。
「『飲食店でアルバイトしている』という報道もありましたが、飲食関係はやっていない。運送関係の職場でドライバーをしています」
 だが、その程度では賠償金の返済には焼け石に水だ。
「経営手腕はある。まだ刑事罰になるかどうかの結論は出ていない。不起訴か起訴猶予になれば、事業をもう一度始めたいと希望しています」(同前)
 また、仕入れ先の食肉卸業者に約3億1000万円の損害賠償訴訟を起こしてもいる。“大腸菌は卸業者の時点で付着していたのだから、それを提供さ れた「えびす」は被害者である”という理屈で、一部の被害者も原告に名を連ねている。しかし裁判は長引いており、勝訴しても補償金に回るにはかなりの時間 を要するのは確実だ。
 現在の勘坂氏の心境については、「逆ギレと批判され、土下座をしたことも蒸し返されたくないようです。(裁判以外の場では)事件のことについて語ることはないでしょう」(同前)とのことだった。
※週刊ポスト2014年1月17日号

2011年春、焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」でユッケを食べた客から、死者5人を含む181人もの被害者が出た食中毒事件。当初、「生食用 として市場に流通している牛肉はありません!」などと逆ギレしていた勘坂康弘元社長(44才)だが、死者が出ると「必ず償います」と土下座した。
 あれから2年が経つが、被害者に対する補償は今もまったく進んでいない。
 この事件で次男(享年14)を亡くし、自らも被害にあった富山県内の男性A氏(50才)が憤る。
「勘坂は事件から1か月後に一度謝りに来ただけで、補償は支払われていません」
 補償が進まないのはなぜか。同店を運営するフーズ・フォーラス社は、被害者への損害賠償額も含めて17億円にのぼる負債を抱える一方で、手元に 残っている資金はわずかしかない。そこで、昨年8月には、“殺人ユッケ”の仕入れ先である食肉卸業者・大和屋商店に約3億1000万円の損害賠償を求める 訴訟を起こしたが、この訴訟は異例なものだった。
「フーズ社が被害者にも原告団に加わるよう求めたんです。裁判に勝てば、その賠償金は参加した被害者に分配されます。でも、加害企業と手を組むこと になるわけですから、被害者や遺族にとっては複雑です。そのうえ訴訟にかかる費用、数十万円を負担しなければならないわけですから…」(A氏)
 結局、ほとんどの被害者がフーズ社の提案を拒否した。
 しかも、訴訟自体かなり難航しそうだ。倒産したフーズ社の清算手続きを行っている行政書士・大村安孝氏の話。
「大和屋商店は、警察の調べで食中毒の原因が断定されていないことを理由に、“食中毒の原因はそもそもユッケなのか”という事実関係から争う姿勢。裁判が長引いているので、被害者側が仮に勝訴しても、補償金の分配はかなり先のことになりそうです」
 当の勘坂元社長はといえば、被害者への対応は清算人に任せきりで、金沢市内の家賃9万円の賃貸マンションで暮らしている。
「妻子とは別れ、知人の飲食店でアルバイトしながら生活しているようです」(地元紙記者)
※女性セブン2013年5月9・16日号

4人もの死者を出した『焼肉酒家えびす』の集団食中毒事件。同焼肉店チェーンを運営するフーズ・フォーラスの勘坂康弘社長(42)。1997年、28才のときに同社を開業した彼だが、その半生は倹約に次ぐ倹約の日々だった。まず開業資金調達のときには、
「地元の工場への派遣で2年半ほど働いて1000万円ほど貯めました。お金を貯めるのは非常に簡単なことで、使わなければいいんですよ」
 こうインタビューで語っていたほどだった。 当時の友人はこう証言する。
「勘坂くんは仲間で集まって飲むときも1、2杯飲むと“お先に”といって、ひとり帰るほど徹底した節約ぶりでしたね。食事もかなり無理をしていたみたいで、1号店を出したときは、かなり痩せ細っていましたよ」
 そんな勘坂氏は、会社を大きくすることだけにすべてを懸けていた。
「ひとつ店を出すと、“次の店、次の店”と、店を出し続けることに熱中してましたね。店にも出ないで売り上げデータと絶えずにらめっこ状態だったそうです。利益優先になってしまっていたところはあるんでしょうね」(会社関係者)
 焼肉酒家えびすでアルバイト経験がある大学生はこういう。
「6時間勤務につき45分間の休憩が定められていますが、えびすでは、実際に休憩はありませんでした」
 会社を大きくするために、人件費も“もったいない”と倹約していたのだろうか。
※女性セブン2011年5月26日号

ユッケ集団食中毒事件、原因は社長のケチぶり

 この騒動が起きてから、ある焼肉店のシェフは「ユッケで死者が出たというのは、自分が知る限り聞いたことがない。普通に調理していて死者が出るだろうか。まさか、前日残った古いモノを使ったりしているのでは…」と疑問を呈していた。
 その通りだった。通常は菌がつきやすい表面をそぎ落とす作業・トリミングを行うところを、「もったいない」という理由で省略。しかも、前日の在庫を使っていたということもわかっている。つまり、安全よりもコストを最優先した。 
 富山県を皮切りに北陸3県、さらには神奈川県にも20店舗を展開し、急速なスピードで精力を伸ばしたフーズ・フォーラス。安い価格で、高級店並のサービスを提供するコンセプトがウケた。
 ここに至るまでの、勘坂(かんざか)康弘社長のこれまでの生い立ちや考え方が、業績急拡大の陰で、凄惨な事故を生む結果となった。
 勘坂社長は金沢の大学に在学中からディスコでアルバイトを開始。飲食業で起業をしようと決意していたのだという。業界誌には、卒業後は派遣として働き、 1000万円を2年間で貯めたのだという。そして、1号店の開業資金はその自己資金で賄ったことを告白している。貯金のコツを「使わない」ことだとしてい た。
 2014年に東証マザーズ上場、2020年300店出店、「日本一の伝説となるレストランチェーン」を目標と掲げていた勘坂社長。ケチるところを間違え、もはや取り返しのつかない事態となってしまった。



 この男の本質は数字の為なら手段を選ばない男だったのである。
 そのために学生アルバイトへの凄まじい負担を負わせたのだ。その結果が多くの人たちの命を奪い取ったわけで、日本中から怒りの声が上がって当然だ。赤福の無責任経営者の濱田某と本質は同じなのであり、自己満足を満たすだけの経営をしていたのに過ぎない。
 5人も殺しておいて、取引先に責任をなすりつける無責任ぶり。これを許せないと言わずしてなんというのだろうか。この男がビックになったのがあのワタミの渡邉美樹であり、楽天の三木谷浩史にすぎない。いずれもこのコラムで厳しく断罪した愚か者であることは言うまでもない。
 経営者というのは厳しいものである。会社の負債を一人で連帯保証する宿命なのである。こんな男に事業を再開させる事は以ての外で、まずは被害者や遺族の謝罪を一人残らず得てからにしてもらいたい。