2014年11月20日木曜日

「聲の形」が破たんした3つの理由

 18日の週刊少年マガジン販売で、「聲の形」(大今良時作)が終わった。

 どうやら私の懸念通り、終盤からのご都合エンディングになってしまったということだ。なぜこのような失態になったのか。
 私は3つの失敗を指摘したい。

 1つめの失態とは、「大人が敵」という単細胞的な世界観からの脱却ができていなかったということだ。
 その典型例が、竹内なる無責任教師の処し方だ。彼の行った行為は事なかれ主義であり、大人の社会では厳しく罰されて当然なのだが、それがないのだから驚きだ。現役の教師たちは空いた口がふさがらないのではないか。
 こんなものだから、大人の矛盾点を突きつつも、子供たちの抱える矛盾にも厳しいメスを突き付ける宗田理氏(直木賞候補にも上るほどの作品を書いたほか、「ぼくらの七日間戦争」でもおなじみ)に負けている。宗田氏には「13歳の黙示録」「天路」で、少年犯罪やその罪償いの在り方について描いているが、大今氏は宗田氏に負けてしまったのである。

 2つめの失態とは、障碍者のリアルをあまりにもわかっていなかったこと。
 ヒロインの西宮硝子だが、生まれながらの難聴者であることから、明らかに人工内耳が使えるのである。そのこともきちんと学んだうえで反映させた形跡が全くない。
 障碍者だから慰め者にするという考えは間違っている。たとえば難聴者でも、実際肉体労働をしながらマンションを持っている人はいる。きちんと結婚生活を送っている人もいる。難聴者でなくても同じ障がい当事者でも、ISFネットのような企業のように、きちんと仕事をこなしている人もいる。
 大今氏の失態はそうした人たちの姿を明らかに把握しきれず、己の画法という小手先のテクニックに走った失態だ。これでは、「ゴッドハンド輝」の山本航暉氏に負けているほか、「ワイルドハーフ」の浅美裕子氏にも負けている。つまり、基本的な情報解析能力が大今氏にはなかったということである。
 ソフトバンク創業者の孫正義氏は在日コリアンゆえの出生が元で凄まじい差別を受けた。幼稚園時代に「朝鮮人」と石を投げられるほどの酷い差別である。そういう角度からも、あまりにも現実をわかっていないということなのだ。

 3つめの失態とは、いじめ加害者への罪が全く示されていない事。
 表現を発する以上、マイナス表現を出す自由はあっても、それに対してきちんと罰を与える事は道徳的当然の責務なのである。だが、大今氏はいじめ加害者である登場人物の植野直花、広瀬、島田一旗はもちろん、竹内への制裁を示すことをせずにこの話を読者に丸投げした。
 これは、表現者としての彼女の限界をいみじくも示した。彼女は画力というテクニックにおいて言えば、明らかに優れている。しかし、浅美氏の画力や作品作成のバランス力に負け、取材力に長けた山本氏にも負け、クリスチャンで知られ、「妹-あかね-」や「ノエルの気持ち」で実力を発揮した山花典之氏にも道徳面で完全に負け、宗田氏や、政府の冤罪攻撃に最後まで屈せず正義を示した植草一秀氏にも、管理に全身で刃向かい、陰湿な日本的企業社会を一刀両断にして逝った住友商事常務だった鈴木朗夫氏の生き様を描いた「逆命利君」の佐高信氏にも完膚なきまでに負けてしまったのである。


 表現者としての限界を、他人に押し付けてはいけない。
 表現者としての限界を超えるには、他者の視点を生かさなければならない。 
 表現者としての限界を認め、他者から学ぶことがさらなる成長につながる。

 私はそういう考え方を強めたのは「渡る世間は鬼ばかり」シリーズからにある。
 この作品のシーズン2で、東山紀之氏が「記憶喪失の振りを英作の病院に入院していた青年。実は大会社の社長の御曹司。8階8号室に入院していたので「8号さん」と呼ばれる。退院しても行くあてが 無がなかったところを、長子のはからいで岡倉家に居候することになり、幸楽でアルバイトもした。画家を目指していたが、葉子の一言で挫折し、結局、親の敷 いたレールを突き進むことになった」大木忠則なる役で出ていたが、私は「ご都合主義に基づく愚かな設定で中身が完全に薄い」と切り捨てた。このキャラクターを作った狙いは親のエゴを要するに正当化させただけで傲慢な表現者そのもの、軽薄そのものだ。
 似たようなキャラクターで言うなら、特撮「未来戦隊タイムレンジャー」の主人公の浅見竜也(俳優:永井大氏が演じた)もそうだった。だか、彼は色々と迷って悩みながら自分の将来を決めたのである。その脚本を描いた小林靖子氏に、橋田壽賀子氏は完全に負けたのである。キャラクターの奥行きという点でも、筆力という点でも、完膚なきまでにぼろ負けしたのである。
 佐高氏や宗田氏達を小林氏に、大今氏を橋田氏に置き換えれば、すべては分かるのである。

 だが、この酷評に対して大今氏が奮起することを私は同時に望みたい。
 「聲の形」をきちんと再構成するだけの人たちが出てくれば、この作品は本当の意味で生きてくるのである。絶対に橋田氏のような人間になってはいけない。フランスでは漫画が販売されアニメ化されることも決まったようだが、私は今のままでのメディア化には断固として反対する。この作品の持つ負の要素をそのままにしてしまえば取り返しのつかない波紋をもたらす。
 講談社は、アニメ化するよりもまずは法令順守を宣言すべきだ。光市の母子暴行致死事件でどう考えても死刑判決はできない元少年についての死刑判決を批判せず、むしろ少年法違反の実名無断公開犯罪を犯した。その他に、レイシズム作家の「永遠の0」なるクズ作品を垂れ流した罪もある。
 こうしたことに対し、全社を挙げて真摯に反省し、日本国憲法および国際法順守宣言、「反レイシズム」宣言(レイシスト作品の絶版)と、法令順守を明確にしない限り絶対に「聲の形」 はメディア展開すべきではない。行えば第四の破たんを意味する。
 だが、講談社はネットでの情報漏えいにだけにはピリピリしているようだ。私は第二の「大いなる沈黙」事件になると警告しておく。最後に掲載するのは、あるサイトのキャッシュである。


フランスの政治家と私生活

一般的にフランス人は政治家の私生活には関心を持たない。それにも関わらず人々の関心を集めた幾つかのエピソードを紹介しよう。
フランス便り | 2008年2月18日
2007年10月、フランス共和国ニコラ・サルコジ大統領が離婚した。12月17日には、ディズニーランドでトップ・モデルから歌手に転向した女性 と一緒にいるところをスクープされた。翌週、大統領はその女性とエジプトで1週間のヴァカンスを過ごし、2008年年明け、周囲は彼らの結婚をささやき始 めた。1月8日、大統領は記者達に、結婚する場合は、「結婚後」に発表することになるだろうと発言。フランス人は特に何の反応も示さず、むしろなぜ離婚後 こんなにも早く新しいパートナーと出会い、そして再婚を望んでいるのだろうかと疑問を抱いた。そしてほどなくして、2人の結婚が報じられた。

フォール大統領の幸福な死
 フランスでは政治家に関するプライバシーは概ね守られている。モニカ・ルインスキー事件(ホワイトハウス実習生とクリントン前アメリカ大統領)のスキャンダルは、フランスのメディアを騒がすことはなかった。この事件が世界中のメディアをにぎわす中、フランス人はむしろ無関心だった。けれども、人々の 記憶に残っている幾つかのエピソードがある。1899年、フェリックス・フォールフランス大統領が愛人の腕の中で息を引き取った。当時の人々から「幸福な死」と謳われた最後の快感の最中の死で、彼は有名になった。

フランソワ・ミッテラン大統領の秘密
 1994年、フランスの週刊誌パリ・マッチ誌が、フランソワ・ミッテランの隠し子の写真を掲載した。この若い女性は、「藁と麦」という有名な作品の作者の父の様に、作家になった。フランス人にとって、そのことより重大だったことは、ミッテラン大統領が前立腺癌に侵されていることを隠していたことだっ た。1981年5月の選挙から大統領は6ヶ月ごとに主治医の診断書を公表する義務を負った。1992年9月16日まで、共和国大統領の命で作成されクロー ド・ギュブレール医師のサインが入ったこの公式診断書は、1981年11月16日骨にまで転移している前立腺癌と診断し、本人に告知していた大統領の真の 健康状態を記載していなかったことになる。1996年1月8日フランソワ・ミッテラン大統領が亡くなり、1月17日クロード・ギュブレール医師はこのいき さつを書いた本を出版した。「大いなる秘密」と題されたこの本の中で、医師は1994年の終わり頃には「フランソワ・ミッテラン大統領は執務が困難な状態 であった」と書いている。本はすぐに発売禁止となったが、インターネットで広く流出した。(いわゆる「大いなる沈黙」事件)

 この事はサルコジ現大統領やシラク前大統領に多くの愛人が存在するという恋愛遍歴の話しより多くメディアに取り上げられた。フランス人が、政治家の 私生活は、そのことが彼らの政治活動に影響をおよぼさない限り、関心を持つことは稀である。そのことはフランソワ・ミッテラン元大統領の病気のことを国民 が知った時のインパクトの大きさが物語っている。