2015年1月25日日曜日

特集ワイド:衆院選で議席8→21 共産党・不破哲三前議長「めでたさも小くらいなり」(毎日新聞 2014年12月24日 東京夕刊)

 ダメよ〜、ダメダメの野党だらけの中、ひとり共産党が気を吐いている。なにせ衆院選で議席を8から倍増以上の21にしたのだ。とりわけ9年ぶりに街頭でマイクを握った前議長の不破哲三さんの思いはひとしおらしい。84歳の元「プリンス」に聞いた。【鈴木琢磨】

 ◇9年ぶり街頭演説「安倍政権は歴史修正主義」 永田町1強多弱「小選挙区制、政党助成金が元凶」

「歴史の転換点という感じがありましたからね」。赤旗ひるがえる東京・代々木の党本部で不破さん、思い切って街頭に飛びだそうと決意した理由を振り返りながら、戦後保守政治における安倍晋三政権の特異性を語りだした。
 寒い夜だった。選挙戦最終盤の10日、不破さんは京都は四条河原町にいた。議長を退いて8年、宣伝カーの上で黒いコートを着込んだ不破さんは「矢も盾もたまらず駆けつけてまいりました!」。その気迫に埋め尽くした支持者から大きな拍手、おばちゃんたちは 「やっぱりかっこいい。ええ声やわ」。演説を私も聞いた。「自共対決」構図を強調しつつ、持ち出したのは週刊誌「アエラ」(8月11日号)に載った元官房長官、野中広務さんのインタビュー(聞き手はジャーナリストの青木理さん)だった。
 こんなやりとりがある。
 野中 だいたい安倍さんは「戦後レジームからの脱却」と言うが、それは自分の祖父である岸信介元首相がA級戦犯(容疑者)にされた東京裁判を否定したいということなんだ。
 −−それは戦後世界秩序の否定です。中国や韓国ばかりか、欧米だって認めない。
 野中 自滅しますよ、こっちが。中国と韓国に外交的な攻撃をされるだけでも国の形がなくなっちゃう。それほど危険な状態になっている。
 「演説でも言ったけど、驚きましたよ。野中さんがここまで言ってるとはね。だって、あれだけの侵略戦争をやっておいて、侵略ではありません、正義の戦争でしたでは……。アメリカやヨーロッパでは安倍政治について、歴史修正主義だとの評価が定着してるんですから。それを野中さんは国の形がなくなっちゃうと表現した。同じ自民党(元幹事長)の古賀誠さんにしたって、日本遺族会の会長だったけど、遺骨収集して回れば、日本の兵隊はどんな戦場で、どんな死に方をしたかよくよくわかるわけでしょ。そうした人たちがいまの自民党に居場所がない。発言する場所がない」
 それで「しんぶん赤旗」が受け皿になっていると?
 「ハハハ。かつての自民党の良さは『総保守連合』というところにあったんです。いろいろニュアンスの違う政治家が保守層を結集していましたから。 三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)もそう。戦争を体験している世代でもありますから、あの戦争について、そう単純、単細胞的なことは言えない。それがいまや単色。それも日本にとって一番、危険な色ですよ。年が明ければ戦後70年を迎える。あの戦争は正しかったと、安倍さんがこだわればこだわるほど、国際的に歴史修正主義の国=日本との見方が激しくなります」
 自身も昭和ヒトケタ生まれの戦争を知る世代である。立て板に水のごとくの語り口だったのが、ぽつぽつ語りに変わる。「中野の野方に住んでいました。1945年3月10日の大空襲は被災しなかったのですが、5月258日の大空襲では一面に焼夷(しょうい)弾が 降ってきた。姉が結核のため家で寝てましてね。その姉を防空壕(ごう)に入れ……、衰弱したんでしょう、翌日、亡くなった。そういうことがありました。妻は3月に火の海の浅草を逃げ、デパートの松屋の地下にもぐり込んだみたいです。でも、私は軍国少年、彼女も軍国少女でした。戦争中は批判的な気持ちは一切なかったんです」
 それにしても永田町の風景がつまらない。「1強多弱」は野党のふがいなさのせいだけなのか。政界の生き字引は小選挙区制導入と政党助成金が元凶とみる。「そもそも2大政党制は歴史が生み出すもの。アメリカの共和党と民主党も、イギリスの労働党と保守党もそう。日本は違う。人為的に2大政党制をつくるなんて無理ですよ。そうした無理なことの総決算がきている。私が国会にいたころは各政党、組織、政策、綱領を持ち、自民党に対抗する何ものかがあった。いまは政党助成金をいかにもらうか。こんなに政党の離合集散の激しい国はない。中選挙区時代は自民党も各派が 立って、切磋琢磨(せっさたくま)したけどね」
 次世代の党の石原慎太郎さんが、引退会見で、民意は何を示したか、と問われ、こう答えた。「共産党の躍進だと思う。共産党への支持は、自分たちを 囲んでいる社会的な現実に対する、漠として感じている現況への不満の社会心理学的なリアクションだ」。石原さんなりの皮肉交じりかもしれないが、共産党大嫌い人間の弁だけに不破さん、まんざらでもなさそう。「うふふふ、辞めるとき、共産党のことを言ったとは聞きましたけど……。彼とはね、1回だけ共闘した。首都移転構想に反対する集会だったなあ」
 いつしか不破節、往年の国会論戦のごとくエンジン全開である。安倍さんが「この道しかない」と訴えたアベノミクスは「日本の資本主義の前途を暗くする」、沖縄の米軍基地移設問題は「海兵隊は遠征軍。出撃基地を貸している国など日本しかない」と一刀両断。さ らにアメリカとキューバの国交正常化の動きは「遅すぎた」とぴしゃり。熱のこもった解説が続く。湯飲みに手を伸ばし、ちょっと一服を、とサインを送っても 気づいてくれないほど。選挙中、メディアの話題をさらった高倉健さんの死。健さん好きでした?と尋ねたら「ほとんど見てないんです。論評しにくいな」。
 がっかりしたが、そこが実直さか。いまどきの政治家なら2,3本の映画をみただけで、ぺらぺらしゃべる だろうな、と思ったりした。くだんの四条河原町で、私は京都ゆかりの作家、水上勉さん(2004年死去)のことを思い浮かべていた。晩年、長野の山里で、 太陽のにおいのするキュウリでもてなしてくれ、あほうな国になった、と日本を憂えていた。若狭の原発を心配していた。そんな水上さんと不破さんとは心筋梗塞(こうそく)を患った者同士の「心友」だった。かつて京都市長選挙で推薦文も寄せた。「ええ。水上さんの戦争にまつわる作品を私が編集して出したことも ありました。痛烈な戦争体験があるんです。いまいらしたら……」
 1月には85歳になる。「誕生日を祝ったことなどありません。共産党は躍進しましたが、めでたさも中くらいなりおらが春じゃなく、小くらいなりですよ」。まだ老け込むわけにはいかないようだ。