2015年3月23日月曜日

憎悪をあおることなかれ:川崎市中学生殺人事件とISの後藤健二さんの遺族

川崎中1殺害:母コメント全文「残忍…涙が止まりません」

毎日新聞 2015年03月02日 21時45分(最終更新 03月03日 09時10分)
川崎市川崎区の多摩川河川敷で同市に住む中学1年、Aさん(10代前半)の刺殺体が見つかった事件で、Aさんの通夜が2日、川崎市内の 斎場で営まれ、親交のあった制服姿の同級生や保護者らが訪れ、その死を悼んだ。Aさんの母親は2日、弁護士を通じてコメントを発表した。全文は以下の通 り(表記は原文のまま)。

 本日、Aの通夜を執り行うことができました。
 優しい顔で寝ているAの姿を見ると、本当にAが死んでしまったのか分からなくなります。
 今にも起き上がって「母さん、母さん、お腹すいた」と言うのではないだろうか。台所にいると、「ただいま」と元気な声が聞こえ、帰ってくるのではないかと思ってしまいます。
 寝ているAに声をかけても、Aが私を「母さん」と呼ぶことも、話すこともできなくなってしまったことが悲しくてたまりません。
 Aは、本当に明るくて優しい子で、友達が多く、まわりの大人たちにもとても大事にされてきました。
 中学校1年生で、まだまだあどけなく、甘えてくることもありましたが、仕事が忙しかった私に代わって、進んで下の兄弟たちの面倒を見てくれました。
 私自身、仕事や家事に疲れた時、何度も何度もAの姿に励まされることがありました。学校を休みがちになってからも、長い間休んでいると、きっか けがないと学校に行きづらくなるから、早く登校するように話してきました。ただ、Aが学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に 帰宅するので、Aが日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした。
 家の中ではいたって元気であったため、私も学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした。
 今思えば、Aは、私や家族に心配や迷惑をかけまいと、必死に平静を装っていたのだと思います。
 事件の日の夜、一度は外に出かけようとするのを止めることができたのだから、あの時、もっともっと強く止めていれば、こんなことにはならなかった とずっと考えています。顔や体のひどい傷を見て、どれほど怖かっただろうか、どれほど痛かったかと思うと涙が止まりません。小さなAに、このようにむご く、残忍なことを行える人間が存在することが信じられません。
 犯人が逮捕されましたが、Aが帰ってくるわけではなく、犯人に対して何も考えることはできません。
 最後になりましたが、Aのために河川敷に献花して下さった皆様、また、昼夜問わず捜査に尽力いただいている警察関係者の方に、厚く御礼と感謝申し上げます。

 これはまだましなほうである。
 だが、悪質なケースがある。

川崎中1殺害:ネットに「容疑者」情報…名誉毀損の可能性

毎日新聞 2015年03月02日 19時28分(最終更新 03月03日 00時25分)



 川崎市川崎区の多摩川河川敷でAさん(10代前半)が刺殺体で見つかった事件で、発生直後からインターネット上に 「犯人」に関する情報が書き込まれた。今回の事件で逮捕されていない複数の人物の実名が名指しされる事態になっており、専門家は「名誉毀損(きそん)に当 たる可能性があり、訴訟リスクを負うことになる」と指摘している。
 「犯人情報」「犯人特定」。2月20日の事件発生後、インターネット上には実名や顔写真、住所などの情報が次々と掲載された。情報が次々とコピー され拡散が続き、「容疑者」として10人近い人が実名で名指しされている。「誤った情報の可能性がある」と断っているが、実名を載せた同じような情報の書 き込みは複数のサイトに残ったままになっている。
 ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でも拡散は止まらない。本人だけでなく、家族だとする写真も出回り、掲載されている。関係者を語る人物もいたが、真偽が不確かな書き込みが多いのが実情だ。
 ネット上の書き込み問題に詳しい深澤諭史弁護士は、少年事件にもかかわらず「個人の名誉に関わる情報があまりに気軽に書き込まれている」と話す。 「この事件と関係の無い人物を犯人と名指しした場合、関係者が訴えれば書き込んだ本人、情報をまとめた人物がプライバシー侵害や名誉毀損に当たる可能性が ある。仮に事実であったとしても(加害少年の特定につながる実名などの報道を禁止する)少年法の条項もあり、ネット上だけ実名でいいということにはならな い」と説明。さらに「自分が直接書き込まず、コピーやリンクしただけであったとしても名誉毀損に当たるリスクは残る」と指摘する。
 事件に関して真偽不確かな情報が際限なく広がっていくネットの世界。対策はあるのか。深澤弁護士は「ネット上で『殺す』『爆破する』という書き込 みが大幅に減ってきた。関係機関が取り締まってきたからだ。表現の自由は大事だが、無制限ではない。犯罪を憎むという感情は正しいと思うが、それでネット 上に『さらす』行為を正当化することはできない。リスクがある行為だと繰り返し伝えていく必要がある」と話している。【石戸諭/デジタル報道センター】

  私は現時点で推定無罪の原則にのっとり、この事件についての犯人の供述とやらについては全く信用していない。
 なぜなら、警察サイドからの情報だけで被疑者サイドの弁護士がいるのにもかかわらずコメントがないというのが不可解な話なのである。このことを踏まえて、今回の報道もどきを見ると卑劣な印象操作が行われていることを私たちは見抜くことができる。
 母親に対しては、「憎悪をあおる愚かなまねは慎みなさい」と警告しなければならない。あくまでも犯人とされている者たちはあくまでも起訴がされていないのだ。しかも、この事件は被害者にも問題点がないとは言えない側面がある。私達大人はLINEという見えないものの力を本当の意味でどこまで理解できていたのか、さらに被疑者の育成環境などから精神疾患の可能性だって否定はできないのかもしれない。さらに私たちはこの事件の前からネットの問題点を知りつつ何もしなかった。そのことも悪いということだ。
 そういうことを総合的に見て、初めて事件を本当の意味で考えることができる。もちろん、Aさんを失った悲しみや痛みは十分わかるし寄り添うべきなのは明らかだ。だが、この事件はどうか。あるアメリカ人の男性が米・オハイオ州とペンシルバニア州を中心に文明の利器を使わず、皆が助け合って生きる、シンプルでありながら心豊かな暮らしぶりのキリスト教再洗礼派の共同体「アーミッシュ」への憎悪ゆえに学校を襲い、5人の少女が虐殺された事件があった。加害者は自殺し、米国中の民間と公共機関、アーミッシュと非アーミッシュを問わずさまざまな支援がなされたのだが、被害者のアーミッシュが加害者の妻やその遺児への支援を求めたというのだ。
  事件がおきた日の夜、加害者の自宅三人のアーミッシュが訪ね、未亡人と彼女の両親に「あなたには何も悪い感情をもって いませんから」、加害者の父の家にも隣人のアーミッシュが訪問し、彼を抱擁するとこう伝える。「私たちはあなたを赦しますよ」。次の日から加害者家に次々とアーミッシュの人々が訪れては家族を見舞い、赦しと慰めの言葉をかける。それは被害者遺族も同様で幾人かは死んだ娘の葬儀に加害者の遺族を招待している。さらに内々に行われた加害者の葬儀の参列者の半数がアーミッシュであり、後に被害者遺族もみな彼の墓に参り、未亡人にお 悔やみと赦していることを伝えた。
 ネットで憎悪をあおるレイシストどもはこのアーミッシュの精神をどう思うのか。己らの心の狭さが恥ずかしくなってくるのではないか。 
 さらに、司法の劣化も加速している。

 ■ 尾形英紀死刑囚「死を受け入れるかわりに反省の心をすてました。将来のない死刑囚には反省など無意味」 2010-12-25 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 7月28日に千葉景子法務大臣に国際法違反の不当死刑執行された二人 
 2010年7月29日 7月28日に千葉景子法務大臣に国際法違反の不当死刑執行された二人が、2008年にフォーラム90のアンケートに答えた原稿を掲載します。(『命の灯を消さないで』インパクト出版会刊より)
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篠澤一男さん(東京拘置所)
宇都宮宝石店6人放火殺人事件(2000.6.11)
1951年3月13日生まれ
2002年3月19日 宇都宮地裁(肥留間健一)にて死刑判決
2003年4月23日 東京高裁(高橋省吾)にて死刑判決
2007年2月20日 最高裁(那須弘平)にて上告棄却、死刑確定
 いつ死刑になるのか、きもちのせいりがつきません。死刑とはざんこくなものです。
 死刑とは死刑の判決をもらった人しかわからない重いものがあります。まい年、確定の日などはねむれません。
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尾形英紀さん(東京拘置所)
熊谷男女4人拉致殺傷事件(2003.8.18)
1977年7月20日生まれ
2007年4月26日 さいたま地裁(飯田喜信)にて死刑判決
2007年7月18日 控訴取下げにより死刑確定
 死刑囚の気持ちや考えを聞いてもらえる機会を与えてくれてありがとうございます。
 事件を起こしてから現在に至るまで、考える事や納得のいかない事が数多くありすぎて、それをすべて書いていたのでは、何十枚も書くことになってしまうので簡単に書きます。
 まず、事件についてですが、見張り程度しかしていない共犯が2人います。
 すべて俺のやった事ですが、4人を殺そうとして2人を殺害、2人は殺人未遂の事件です。
 事件当時の俺は、かなりの酒を飲んでいたためと、あまりにも興奮していたので、ほとんど記憶がありません。ただ、あまりにも強烈な印象がある部分だけが、はっきりと記憶に残っています。
 しかし、それでは警察も検事も都合が悪いので、事件当日の行動の大まかな所は、共犯の記憶などを総合して作り、もっとも大事な部分は刑事と検事が作りあげたストーリーが裁判で認められてしまいました。それは最初から殺害の話し合いをしてから殺しに行ったというのですが、全くのウソなのです。
 裁判では、不利になるのは分かっていましたが、殺意を持った事を認め、いつの時点で殺意を持ったかも証言しました。
 実際には暴行している時に被害者が死にそうになった時にはじめて「それなら殺してしまえ」と思ったのです(その時の精神状態では、そのようにしか考えられなかったのです)。それ以前は殺意はもちろん、死ぬ可能性すら考えもしませんでした。
 しかし、検事と刑事の調書にははじめから殺意を持って行動したとなっていました。何でその様な調書になったのかと言うと共犯も証言していますが、共犯2人が事実と違うのは分かっていたけど無理やりにサイン・指印をされ、俺の調書は最後のページのサインがある所以外を差し換えられました。警察と検事はあたり前の様に不正をしているのが現状で、不正をかくすためには裁判の証人尋問で平気でウソをついています。しかも裁判も全くの茶番で検事の言う事をすべて認定してしまいました。
 殺意についての証人尋問で刑事と検事の言っている事がくい違い、苦しまぎれに少しだけ、俺の言っている事が正しいと刑事が証言したにも関わらず、俺の言っている真実は都合が悪いからはじめから聞く気がありませんでした。完全に結果ありきの裁判です。
 一審で2度にわたり精神鑑定を受けました。一度目は裁判所が認定した先生でした。その先生はよく調べてくれ、調書よりも俺の証言の方が信用できると証言してくれました。それは俺の言っている方が精神医学上もふくめ自然であり、しかも俺の証言は自分にとって不利になる事まですべてを言っているからです。その結果、部分的ではあるが(1人目殺害)、責任能力がいちじるしく低下していたと判断されました。
 その為に検事が納得せずに2度目の鑑定となったのです。2度目の先生は検事の推薦した人であり、検事の犬になり下がった人でした。当時の俺の考えなどは1度も聞く事もなく、ただ事件の経過を聞いただけで、すべて検事や刑事の調書を参考に鑑定書を作ったのです。
 はじめからやる気のない鑑定士を採用し、驚くことに裁判では、一度目に真面目にやった先生の鑑定を棄却し、やる気のない検事の犬の鑑定を採用したのです。
 俺は責任を逃れたいのではなく、今の日本の裁判や刑事や検事のやっている事が許せないのです。一般の人は信じないと思うけど、今の刑事は事件のでっちあげも日常的にやっているし、まして調書の改ざんなんてあたり前にやっているのです。だけど無実を訴えても今の裁判では無罪になる事はないし、たとえ無罪を勝ち取っても年月がかかりすぎるから、懲役に行った方が早く出れるので皆、我慢しているのです。俺の殺人などは事実は変わりませんが、事件の内容はかなりでっち上げなのです。だから俺は100%無罪の死刑囚は何人もいると思っています。
 検事の主張ばかり聞く裁判は不公平ですが、一般の人から見れば刑事や検事の言ってる事は無条件で信じられるのだから、来年から始まる裁判員制度では冤罪も今まで以上に多くなると思います。
 事件に関して長くなってしまいましたが、死刑囚が考える死刑制度について、一般市民の考えているものとは違う所もあるかと思うので書かせてもらいます。
 収容者と話す事はありませんが、他の死刑囚を見ると本当に殺人をやった人なのかと疑えるほど普通の人です。俺はぐれ始めてから、ヤクザやその他のアウトローを社会や少年院、刑務所で数多く見てきましたが、それらの人達と比べてもかなり気の弱くおとなしい印象です。きっと心から反省しているので、そう見えるのかもしれませんが、俺はそれだけでなく、本当に普通の人達なのだと思います。
 どの様な事件を起こしたのか知りませんが、色々な理由により精神状態が乱れ、普段ならまともに判断できる事が出来なかっただけなのだと思います。だから、誰にでも死刑囚になる可能性はあると思います。
 自分の気持ちは後で書きますが、本当に心から反省している死刑囚を執行する事で本当に罪を償う事になるのでしょうか? 罪を背負って生きていく事が、本当の意味での償いになるのではないかと思います。日本人の美徳として死者に対して悪く言ったり思ったりしない所がありますが、何か問題を起こしたり、犯罪を犯した後に自殺をする人達に対して、一般の人の中には責任を感じての自殺、アウトローの人の中にはケジメをつけたという考えをする人がいます。本当に自分自身でケジメをつけたと思える人もいるので、すべてを否定はしませんが、俺には、つらい事から逃げただけにしか思えない事のほうが多いと思います。被害者や遺族の感情は自分で犯人を殺したいと思うのが普通だと思います。今は連絡を取っていませんが、両親・姉・元妻との間に二人の娘がいます。俺だって家族が殺されたら犯人を許すことはないし、殺したいと思うのがあたり前です。
 しかし、それでは、やられたらやり返すという俺が生きてきた世界と同じです。死刑という名の殺人を国家権力がやっているにもかかわらず、国民にどんな理由があろうと殺人を禁ずるのはどういうわけだ。世界では色々な所で国家による虐殺があったようだが、それと日本の死刑とどこが違うのか?日本の法律にのっとり死刑があるように、虐殺のあった国にもその国の法律(権力者)にのって死刑にしただけだろう。
 色々と考えながら書いているので、ちょっと興奮してしまいました。
 死刑囚を助ける活動をしている先生に対して言う事ではないし、やつあたりの様な事を書いてしまったので、書きなおそうとなやみましたが、俺の考えでもあるので、失礼は承知のうえ、このまま続けさせて頂きます。話を戻します。
 俺の考えでは死刑執行しても、遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりませんし、償いにもなりません。
 俺個人の価値観からすれば、死んだほうが楽になれるのだから償いどころか責任逃れでしかありません。死を覚悟している人からすれば、死刑は責任でも償いでも罰ですらなく、つらい生活から逃してくれているだけです。だから俺は一審で弁護人が控訴したのを自分で取り下げたのです。
 死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。
 なんて奴だと思うでしょうが、死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。
 もちろん他の死刑囚は日々反省していることと思います。俺は、ただでさえ東拘には人権など全くないし、24時間カメラで監視され独居にいて、執行されるのを待っている中で、事件や遺族・自分の家族の事を考えていたのでは気がおかしくなるし、ストレスだらけで、そんな余裕すら1秒もありません。  
 俺のように反省する気がない死刑囚もいる中で、ほとんどの死刑囚は日々反省し、被害者の事も真剣に考えていると思います。そういう人達を抵抗できないように縛りつけて殺すのは、死刑囚がやった殺人と同等か、それ以上に残酷な行為ではないのですか?
 俺が執行されたくないのではありませんが、その様な事などを考えれば、死刑制度は廃止するべきです。
 言いたい事が色々と多く長くなってしまいましたが、切りがないので、この辺で失礼します。今の気持ちを伝える機会を頂き、ありがとうございました。
 追伸
 最近、執行が多くなりましたが、執行について意見があります。
 執行時に求刑・判決を出した検事・裁判官それに法務大臣らが自ら刑を執行するべきです。それが奴らの責任だと思います。
 それと執行時・その後に死刑囚の希望があった場合、絶対に経をあげてはいけないようにして下さい。俺は宗教が嫌いだし、経は死者に対してではなく、生きている人達の気やすめでしかありません。俺の執行時・執行後は絶対に宗教関係の事はやらないようにお願いします。


 この現実を勘定で人を死刑にしろとわめく愚か者どもはきっちり受け止めねばならない。
 そして、もう一度本当の意味での更生とは何かを真剣に考えてほしい。

後藤健二さんの母「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはならない」
2015年02月01日 13時09分
 イスラム過激派「イスラム国」を名乗る組織に拘束され、女死刑囚との人質交換要員になっていたフリージャーナリスト・後藤健二さん(47)を殺害したとする動画が1日朝、インターネット上に公開された。
 これを受けて、後藤さんの母・石堂順子さん(78)が午前10時から都内の自宅で会見を行い、紙にプリントしたコメントを悲痛な声で読み上げた。コメントは以下のとおり。

 健二は旅立ってしまいました。あまりにも無念な死を前に、言葉が見つかりません。
 今はただ、悲しみ悲しみで涙するのみです。
 しかし、その悲しみが「憎悪の連鎖」となってはならないと信じています。
「戦争のない社会をつくりたい」「戦争と貧困から子どもたちのいのちを救いたい」との健二の遺志を私たちが引き継いでいくことを切に願っています。

2015年2月1日 石堂順子

 順子さんの夫・行夫さん(78)によれば、順子さんは「イスラム国」が健二さんを殺害したとする動画がインターネット上に流れたことを、この日早朝にテレビで知ったという。
(C)東京スポーツ新聞社

 「憎悪の連鎖」という個所を、NHKをはじめとする報道機関もどきは隠した。
 それもそうだろう、論説委員が安倍被告の不正接待を受けて言いなりになっているのが現実だからだ。本当にふざけるなの一言に尽きるのではないか。まさしく憎悪をあおるなかれという石堂さんの声を、Aさんの遺族に改めて呼びかけたい。
 悲しみには耳を傾けるべきだ。しかし、憎悪は断固として拒否する。それが私だ。