2015年5月20日水曜日

ドメスティックな彼女:その本質は人を飼育する「奴隷の世界観の延長線」の漫画でしかない


 聲の形(大今良時)を私はこのブログで何度も厳しく批判してきた。
 それは、生活者としての視点を忘れて障がい者を単に娯楽の延長線で考えた結果、障がい者の本当の姿が見えにくくなったことが問題なのであり、私は大今の人格権を冒涜するような批判はしない。それは言葉を使うものとしてあってはならないことなのである。
 同じように、今回ここで「聲の形」より数段厳しい批判を加えねばならない人物がいる。「ドメスティックな彼女」の作者である流石景である。この作品は高校生の恋愛を題材としており、高校生同士の性交渉や学校教諭の不倫、セックスフレンドといった少年誌の連載作品にしては「不道徳」な要素を含んでいる。物語は主人公とヒロインのベッドシーンから始まっている。
 私はこの作品に不快感を感じてきた。その鍵を解く最大の話が、43話「看病」という話における主人公とヒロインの混浴シーンである。主人公は右足を骨折してしまい、動きにくくなってしまう。そこでヒロインが介護するのだが、モロに一物まで触れてしまうなど、明らかにおかしい。私はこの話を解析していくうち、今までの流れを踏まえてみれば、「この作品の本質は人を飼育する漫画ではないか」と思った。でなければ、セックスシーンに自慰シーン、高熱に苦しむヒロインに座薬を挿入する、入浴全裸も出てこないわけがない。
 それが流行っているとすれば、奴隷の根性が日本人全体に染み付いているとしか言いようがない。「聲の形」の竹内なる自称教師のやった事の本質は、教育ではなく、飼育にすぎない。その世界観が、悪化してしまい、残念ながら「ドメスティックな彼女」の世界観そのものになっている。それでいいとは私には到底思えない。
 その走りが渡辺淳一だったとすれば、なるほど、全てが納得だ。「失楽園」「愛の流刑地」など、完全な奴隷の論理で女性を位置づけていた。その正当化に所詮「純愛」という甘ったるいものをまぶしただけにすぎない。
 これでは女性はいつまでも奴隷になってしまったままだ。そんなのではおかしい。
 
 この話から私はサイバーエージェントが運営するブログサービス「アメーバ」で一時期あった「男の子牧場」事件を思い出した。
 このサイトは男性の情報を女性の友人同士で共有するというSNSシステムで、女性を対象として理想の男性をみつけるなど結婚活動を支援することを目的としていた。男性を家畜に見立て、交遊関係のある男性の簡単なプロフィールや写真を登録するたびにユーザーの「牧場」に馬や牛、羊などの家畜が増えていくというものだった。
 しかし、「牧場」というネーミングや、登録した男性を家畜に見立てたアイコンで表示していることから、「男性を家畜扱いしている」、「男性の個人情報が男性の同意なしに勝手にアップロードできるシステムになっている」といった批判が広報担当者のブログなどに相次いだ。その結果「サービスの見直し」を理由に2009年5月13日に運営開始後わずか5日で運営を停止した。

 まさに人を家畜にするとんでもない発想なのだが、この「ドメスティックな彼女」も同じような本質がある。
 それを隠しているだけ悪質と言わざるをえない。ちなみに少年マガジンで掲載されていた赤松健氏の「A・Iが止まらない!」には韓国版がある。しかし、韓国の文化に合わせて極力肌は隠している。下半身コメディに近いものはあるが、連載場所を月1に変更しただけまだ良かった。
 だが、このドメスティックな彼女の場合、明らかな確信犯と断言せざるを得ない。4巻で主人公とヒロインのセックスを初版限定でモロに書いている。 もはやこれは18歳禁止そのものの漫画であると言わざるをえない。流石のやっていることはそのことの自覚がないだけ、始末に負えない。

 今の時代は、人との関係が忙しさゆえに希薄化し、それを埋めるツールとしてLINEやブログが出てきている。
 だが、それにも使い方や目的がなければ意味は無い。ただ単に孤独を埋めるための手段に終わっていて、対人関係がどんどん希薄になってきている。そして、変な意味で濃厚な関係を求めたがる。さらに始末に負えないことにヘイトスピーチの道具にまで使われるありさまである。こういう連中のほとんどが、孤立の奴隷でもあり、ネットの奴隷に成り下がっているのだ。それに耐えられなくなってしまった人が、絶食系男子であることは明らかだ。
 だから、絶食系男子になったことを意気地なしだ、根性なしとレッテルを貼るのはやめてもらいたい。同時に、男性である我々も、昔の価値観で女性に接するようなことのないようにしなければならない。
 この作品を連載した場所が悪かったと言わざるをえない。もし、青年誌だったらそれなりに仕方がないと割り切れるだろう。しかし、少年誌だったから問題である。
 我々は奴隷ではない、生活者なのだ。上から縛られて何もできないよりは、もがきながら歩く方がいい。


「縛らないことよ、自分で自分を。わたしはかわいい、わたしはブス。わたしは賢い、わたしはダメ。わたしはモテる、わたしはモテない。あなた、自分をすぐ何かに決めつけようとするでしょ。本当の自分を見つけるのはもっとずっとずっと先の話。今することは、一生懸命迷うことよ」
リトル・ミィ(ムーミンシリーズ)