2015年6月18日木曜日

被害者遺族でも守るべきルールがある 土師守ら

 今回の書人両断は、久々の犯罪被害者遺族である。
 この男の罪は、もはや許される一線を越えた以上、厳しく批判し、戒めねばならない。そして、調子に乗ってアホなことをいう連中にも「お前らドアホか」と突っ込んでやらねばならない。


酒鬼薔薇が自ら持ちかけ手記出版 被害者遺族は憤り


 神戸市で1997年(平9)に起きた連続児童殺傷事件の加害者男性(32)が、「元少年A」の名前で手記を執筆し「絶歌(ぜっか)」(太田出版) のタイトルで10日、発売された。事件を起こすまでの経緯や、現在の心境、社会復帰後の生活などを記している。巻末では遺族への謝罪の言葉も書かれている が、事件で殺害されたB君(当時11)の父土師守さん(59)は「私たちを苦しめることをしようとするのか」とコメントした。
 「一九九七年六月二十八日。僕は僕ではなくなった」。男性が「少年A」と呼ばれるきっかけとなった逮捕された日付から手記は始まる。2部構成でま とめられており、犯行に至るまでの性衝動や動物への虐待行為を詳細に告白する第1部と、医療少年院退院後に日雇いアルバイトなどで生計を立ててきた生活に ついて書いた第2部からなる。
 男性は、医療少年院を退院後、親元に戻らずに保護施設に入所した。その後1人暮らしをしながら日雇いで引っ越しなどのアルバイト、廃品回収、社員としてプレスや溶接などの仕事をしてきたという。男性は「しっかり地面を踏みしめて、1歩1歩自分の足で歩き、自分の頭で考え(中略)自分の意志で償いの形を見出さなくては意味がない」と、つづっている。
 男性は14歳だった97年2~5月に神戸市須磨区で小学生5人を襲い、小学4年のAさん(当時10)と、小学6年B君を殺害、3人を負傷させた。同年6月に兵庫県警に逮捕され、2004年3月に仮退院、05年1月に本退院となって社会復帰した。
 太田出版の岡聡社長は、出版の経緯について、男性側から出版を希望し、仲介者を通じて持ちかけていたことを明らかにした。その上で「少年犯罪につ いて加害者本人から語られることはほとんどない。この本は、少年がどういう衝動の中で事件を起こしたかが第三者に伝わるように書かれている。批判はあるだ ろうが、事実を伝え、問題提起する意味はあると思った」としている。初版は10万部だという。
 巻末では、「被害者のご家族の皆様へ」とした手記も収められている。「自分がかつてB君やAさんから『生きる』ことを奪ってしまったという事実 に、打ちのめされます」とし、男性自身が現在、「『生きる』ことを愛してしまいました。事件を起こす前にこういった感覚を持つことができなかったのか、そ れが自分自身、情けなくて、歯がゆくて、悔しくて悔しくてたまりません」とした。
 守さんは、「手記を出すということは、本日の報道で知りました。なぜ、このようにさらに私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません」とした上で、出版中止と回収を求めるコメントを出した。
土師のコメント全文

 加害男性が手記を出すということは、本日の報道で知りました。
 彼に大事な子供の命を奪われた遺族としては、以前から、彼がメディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました。なぜ、このようにさらに私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません。
 先月、送られてきた彼からの手紙を読んで、彼なりに分析した結果をつづってもらえたことで、私たちとしては、これ以上はもういいのではないかと考えていました。
 しかし、今回の手記出版は、そのような私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちがないことが、今回の件でよく理解できました。
 もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしいと思っています。


 ◆神戸連続児童殺傷事件 1997年2~5月、神戸市須磨区で、当時14歳の中学生が、小4女児(当時10)と小6男児(同11)を殺害し、3人 に重軽傷を負わせた。男児の切断頭部を中学校前に置いたり、報道機関に「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る犯行声明を送るなど猟奇的事件として衝撃を与えた。同年 10月、神戸家裁が加害者少年を医療少年院送致の処分に。事件を受け、01年に少年法の刑罰対象が16歳以上から14歳以上に引き下げられた。
※被害者の実名は匿名報道に従い伏せます。

 では土師に言ってやろうではないか。
 この被告人はどれだけ罰されたのか、考えたことはあるのか。ある意味、この男は自分の意志で自分の罪をさらけ出し、償おうという考えに至ったと考えられないのか。
 そのことに対する想像が全くないから子供を奪われた痛みだけに自ら縋り付き、なぜこの事件が起きたのかという社会の歪みの構造を正そうとしていないのではないか。 私は何度も「裁判の意味を考えろ」と厳しく問いかけてきた。それは、罪を裁くだけが裁判の役割ではないのだ。なぜこの事件が起きたのかを考え、社会の教訓にすることが大切なのだ。
 そんな当たり前の常識がこの男に欠けている限り、第二第三の酒鬼薔薇某は必ず生まれると私は警告してきたがその警告は外れることなく今でも拡大している。憎悪の連鎖を断ち切れない限り、まず、こんな男は再生産されるであろう。
 土師にははっきり言ってやろう。「お前は酒鬼薔薇の反省の評価を決める資格はない!!黙れ!!」と。更に、こんな間抜けが二人も調子こいで踊っているようだ。


尾木ママ、神戸児童殺傷犯手記「即刻回収」勧める


 尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏(68)が、神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害者男性が、「元少年A」の名前で執筆した手記「絶歌(ぜっか)」(10日発売)について、出版元である太田出版に回収を勧めた。
 事件で殺害されたA君(当時11)の父土師守さん(59)が「私たちの思いを踏みにじるもの」と抗議していることもあり、同書は賛否両論を巻き起こしている。
 尾木氏は10日深夜には「今後の再発防止のためにも分析読みしてみたい…けどひっかかる…胸に詰まるものある」と複雑な心境をブログにつづってい た。しかし11日朝には結論が出たようで、「(手記を読みたくないのは)サカキバラの残忍な殺人行為を認めてしまうことにつながる怖さ感じるからだと思い ます…」として「読みたくないです」と自身の考えを示していた。
 さらにその後、「出版を中止して、既に配本されている本は即刻回収した方がいい!」とまたもブログを更新。出版社の「社会考える契機に」という動 機より、遺族の思いをはるかに尊重すべきだと主張。第3者による手紙のやり取りや取材を通して書かれた本ならまだ抵抗は少なかったかもしれないそうだが、 「『本人の手記』はないですね…あってはならないと思います…」と訴える。「出版社も残念ながら企画意図が社会的モラルと大きなズレがあったようです ね…」と続け、「即刻回収してご遺族にお詫びされるのがいいのではないでしょうか!?」と提案した。

 ならば、私から尾木に提案してやろう。
 「土師こそ、今まで出した事件の手記を全て絶版するようおすすめすべきですな」と。相手が反論権を駆使した以上、土師は黙って受け入れるべき義務がある。その義務を無視して表現の自由をむさぼるのなら、まさにこの世を甘く見ているとしか言いようがない。
 私ですらも、様々なブログから散々言われている。だが、事実に則り反論したまでである。そのことに何が悪いのかとしか思わない。
 更に法律を知らず感情だけで語るこんなバカもいる。


浅田舞、犯罪者の素性明かさない少年法に疑問


 プロフィギュアスケーターでスポーツキャスターの浅田舞(26)が、犯罪を犯した未成年の加害者が少年法に守られて顔や氏名が明かされないことへの疑問を示した。
 未成年者による犯罪が起きる度に、少年法をめぐる議論はネット上でも繰り返されている。また、神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害者男性が、「元少年A」の名前で執筆した手記「絶歌(ぜっか)」が10日に発売され物議をかもしている。
 浅田は11日にツイッターで「被害者の顔と名前は全国に知れ渡るのに加害者は少年法に守られて顔も名前も明かされること無いのは、、、。おかしい なぁとニュースを見て思います」と、少年法に関する自身の疑問を示し、「変わらないのかなぁ…心痛むニュースが多いですね」とつづった。

 こんな程度で「スポーツキャスター」と名乗るのは情けないし恥ずかしいと思わないのか。
 浅田にははっきり言ってやろう。「アムネスティ・インターナショナルで10年間勉強してきなさい」と。 少年法は、教育基本法、刑法、民法と並び日本国憲法と同等の意味を持つ。それゆえに改正にはかなり厳しいハードルがある。
 更に、国連により日本政府は人権面での改善命令を出されているのだ。その事実を知らない浅田は、フィギュアスケートという特技だけでこの世を乗り越えてきたのであって、本来あるべきジャーナリズムの精神は全くない。そんな女に社会の問題を語られるのは笑止千万としか思えない。
 土師らはせめて、被害者の冥福を祈るというのならこれ以上事件について語らないでもらいたい。それが、被告人に対する厳しい抗議でもある。


 皆さん方に述べておきたい。
 私は被告人の今回の出版についても違和感を持っている。せめて、遺族が全員納得する形での出版でやって欲しかった。反論権を駆使したとはいえ、非常におかしいとも思う。また、太田出版にも問いかけたい。
 これ以上、商業主義に走る愚かな真似はやめてもらいたいと。ちなみに私はこの「絶歌」なる本については立ち読みする気はないし読みたいとも思わないということを明言する。