「皆さんのおかげでまた次の挑戦をすることができます。選挙は思った以上に逆風だったと思います。ワタミに対する批判、私に対する「誹謗中傷」(というより事実ですが:倉野加筆)とかが、ありましたから」

 21 日、ワタミ創業者の渡邉美樹被告(53)は約10万4千票を集め、参院議員に「初当選」した。当確が出たのは深夜3時45分。自民党比例区の18人の当選者のう ち16位での当選と危ない戦いだったが、選挙事務所の壇上の渡邉被告は白い歯をのぞかせ、満面の笑みでそう語った。経営者から「政治家」へ転身を果たした渡邊被告。彼の“理念”には、あるルーツがあった。
 渡邉被告は’59年に横浜市中区で生まれた。姉と両親の4人家族。父は映画のCM制作会社とテ レビCM制作会社を経営しており、家は裕福だった。だが、そんな満ち足りた生活が壊れたのは10歳のとき。最愛の母親を慢性肝炎で失い、時期を同じくして 父親が経営の悪化から会社を清算する。自宅もそれまでのマンションを出て、住宅供給公社の家賃1万円のアパートへの引っ越しを余儀なくされる。
 母親が亡くなるまで、母親の布団に潜り込んで寝ていたという渡邉被告。そんな彼の心の空洞を埋めたのは、宗教だった。渡邉被告は、近所の大学生が声をかけてくれ たことをきっかけに「クリスチャン」となり、布教活動をおこなっていたことを自著で認めている。だが、この記述は正確ではない。中学の同級生は「じつは彼が 入ったのはキリスト教といってもちょっと違って、エホバの証人なんですよ。親友によると熱心に活動していたようです」と話す。
 「エホバの 証人」といえばキリスト教系の宗教だが、独自の聖書と教義を持ち、カトリックやプロテスタントなどの伝統的なキリスト教からは異端とされているカルト団体だ。 渡邊被告は「時間があれば、宣教に歩いた」というが、わたなべ美樹事務所に問い合わせると、「中学卒業時に脱退しております。(エホバの証人との関係は)それ以降はございません」という回答があった。宗教ジャーナリストの広橋隆氏はこう語る。
 「エホバの証人は、かつて教義を理由に輸血を拒否して問題になった団体です。家族的な結びつきを大事にする団体で、信者同士の関係が濃厚になるので、母親を失った渡邉被告は、そうした関係を求めて入信したのではないでしょうか」
  渡邊被告は、自著で次のように語っている。
 「いまでも時折、懐かしく頁をめくるその聖書の教えは、後に会社を創業する際の理念の元になっています」
 メ ディアで紹介されて話題となった、ワタミ創業時の理念をまとめた冊子『理念集』。「365日24時間死ぬまで働け」などの“福音”が書かれたこの冊子は全 社員に配られており、ワタミにとっての『聖書』といっても過言ではない。そこでは自己犠牲や愛の大切さが渡邉被告自身の言葉で説かれている。
(週刊FLASH 8月6 日号)