だが、そうではない。矢野の犯した罪はカルト拡散という意味で取り返しのつかない大きな罪である。このことで多くの市民が迷惑をこうむっていることを考えて厳しく指摘しておかねばならない。矢野は「キリスト教徒」と自称しているが、この中身が問題なのである。矢野の信仰しているのは、キリスト教団体から破門処分を受けているエホバの証人なのである。
このエホバの証人という団体は、精神疾患当事者を排斥する思想に凝り固まっているほか、難聴当事者を対象に洗脳活動を行うなどまさしくレイシズム団体である。そして、優生学でもきわめて融合性が高く、治療に不可欠な輸血を不当に拒否させるような思想を持っていた。そのために川崎市でこんな悪事をやらせたのである。
川崎事件
1985年6月6日、神奈川県川崎市において、交通事故で負傷した当時10才の少年が聖マリアンナ医科大学病院に搬送されたものの、両親がエホバの証人の熱心な信者であったため、救急病院の医師に対して少年の輸血を断固拒否、医師は両親を説得するとともに輸血をせずに処置を続けたが、大量出血からくるショックのため、少年は事故から約5時間後に死亡した。
医師が最終手段として意識のあった少年に対して「生きたいだろう。お父さんに輸血してもらうようお父さんに言いなさい」と呼びかけ、少年は「死にたくない、生きたい」と答え、父親に訴えたにもかかわらず、父親は拒否し続けたという。
こんな犯罪カルトをなぜか佐高信氏は「ナチスドイツに反抗した宗教」とほめあげているのだから恐ろしい。
ここでも厳しく批判してきた「ワタミ」の渡邉美樹もかつてこんな過去があった。
「初当選」の渡邉美樹被告「布教活動に歩いた」中学時代
「皆さんのおかげでまた次の挑戦をすることができます。選挙は思った以上に逆風だったと思います。ワタミに対する批判、私に対する「誹謗中傷」(というより事実ですが:倉野加筆)とかが、ありましたから」
21 日、ワタミ創業者の渡邉美樹被告(53)は約10万4千票を集め、参院議員に「初当選」した。当確が出たのは深夜3時45分。自民党比例区の18人の当選者のう ち16位での当選と危ない戦いだったが、選挙事務所の壇上の渡邉被告は白い歯をのぞかせ、満面の笑みでそう語った。経営者から「政治家」へ転身を果たした渡邊被告。彼の“理念”には、あるルーツがあった。
渡邉被告は’59年に横浜市中区で生まれた。姉と両親の4人家族。父は映画のCM制作会社とテ レビCM制作会社を経営しており、家は裕福だった。だが、そんな満ち足りた生活が壊れたのは10歳のとき。最愛の母親を慢性肝炎で失い、時期を同じくして 父親が経営の悪化から会社を清算する。自宅もそれまでのマンションを出て、住宅供給公社の家賃1万円のアパートへの引っ越しを余儀なくされる。
母親が亡くなるまで、母親の布団に潜り込んで寝ていたという渡邉被告。そんな彼の心の空洞を埋めたのは、宗教だった。渡邉被告は、近所の大学生が声をかけてくれ たことをきっかけに「クリスチャン」となり、布教活動をおこなっていたことを自著で認めている。だが、この記述は正確ではない。中学の同級生は「じつは彼が 入ったのはキリスト教といってもちょっと違って、エホバの証人なんですよ。親友によると熱心に活動していたようです」と話す。
「エホバの 証人」といえばキリスト教系の宗教だが、独自の聖書と教義を持ち、カトリックやプロテスタントなどの伝統的なキリスト教からは異端とされているカルト団体だ。 渡邊被告は「時間があれば、宣教に歩いた」というが、わたなべ美樹事務所に問い合わせると、「中学卒業時に脱退しております。(エホバの証人との関係は)それ以降はございません」という回答があった。宗教ジャーナリストの広橋隆氏はこう語る。
「エホバの証人は、かつて教義を理由に輸血を拒否して問題になった団体です。家族的な結びつきを大事にする団体で、信者同士の関係が濃厚になるので、母親を失った渡邉被告は、そうした関係を求めて入信したのではないでしょうか」
渡邊被告は、自著で次のように語っている。
「いまでも時折、懐かしく頁をめくるその聖書の教えは、後に会社を創業する際の理念の元になっています」
メ ディアで紹介されて話題となった、ワタミ創業時の理念をまとめた冊子『理念集』。「365日24時間死ぬまで働け」などの“福音”が書かれたこの冊子は全 社員に配られており、ワタミにとっての『聖書』といっても過言ではない。そこでは自己犠牲や愛の大切さが渡邉被告自身の言葉で説かれている。
(週刊FLASH 8月6 日号)
21 日、ワタミ創業者の渡邉美樹被告(53)は約10万4千票を集め、参院議員に「初当選」した。当確が出たのは深夜3時45分。自民党比例区の18人の当選者のう ち16位での当選と危ない戦いだったが、選挙事務所の壇上の渡邉被告は白い歯をのぞかせ、満面の笑みでそう語った。経営者から「政治家」へ転身を果たした渡邊被告。彼の“理念”には、あるルーツがあった。
渡邉被告は’59年に横浜市中区で生まれた。姉と両親の4人家族。父は映画のCM制作会社とテ レビCM制作会社を経営しており、家は裕福だった。だが、そんな満ち足りた生活が壊れたのは10歳のとき。最愛の母親を慢性肝炎で失い、時期を同じくして 父親が経営の悪化から会社を清算する。自宅もそれまでのマンションを出て、住宅供給公社の家賃1万円のアパートへの引っ越しを余儀なくされる。
母親が亡くなるまで、母親の布団に潜り込んで寝ていたという渡邉被告。そんな彼の心の空洞を埋めたのは、宗教だった。渡邉被告は、近所の大学生が声をかけてくれ たことをきっかけに「クリスチャン」となり、布教活動をおこなっていたことを自著で認めている。だが、この記述は正確ではない。中学の同級生は「じつは彼が 入ったのはキリスト教といってもちょっと違って、エホバの証人なんですよ。親友によると熱心に活動していたようです」と話す。
「エホバの 証人」といえばキリスト教系の宗教だが、独自の聖書と教義を持ち、カトリックやプロテスタントなどの伝統的なキリスト教からは異端とされているカルト団体だ。 渡邊被告は「時間があれば、宣教に歩いた」というが、わたなべ美樹事務所に問い合わせると、「中学卒業時に脱退しております。(エホバの証人との関係は)それ以降はございません」という回答があった。宗教ジャーナリストの広橋隆氏はこう語る。
「エホバの証人は、かつて教義を理由に輸血を拒否して問題になった団体です。家族的な結びつきを大事にする団体で、信者同士の関係が濃厚になるので、母親を失った渡邉被告は、そうした関係を求めて入信したのではないでしょうか」
渡邊被告は、自著で次のように語っている。
「いまでも時折、懐かしく頁をめくるその聖書の教えは、後に会社を創業する際の理念の元になっています」
メ ディアで紹介されて話題となった、ワタミ創業時の理念をまとめた冊子『理念集』。「365日24時間死ぬまで働け」などの“福音”が書かれたこの冊子は全 社員に配られており、ワタミにとっての『聖書』といっても過言ではない。そこでは自己犠牲や愛の大切さが渡邉被告自身の言葉で説かれている。
(週刊FLASH 8月6 日号)
渡邉被告という悪質なモンスターを生み出したエホバの証人の広告塔をいわば矢野もやっているのである。
そのことはイコール、ワタミの犠牲者たちへの冒涜でしかない。そんな悪質なエホバの証人を厳しく批判しているキリスト教団体の一つである、真理のみことば伝道協会がカウンターデモを2012年さいたま市で開かれた「国際大会」なるイベントで行ったが、エホバの証人は隠し撮りを行うなど悪質な悪事を展開した。まさか、これは正義といえるのだろうか。カウンターを主宰する宣教師のウィリアム・ウッド氏はエホバの証人の案内係のところに寄って、次のように彼らの悪事を厳しく批判した。
「しかし、無断で写真やビデオを撮ったりして、北朝鮮なみですね。」
「あなたは、北朝鮮の方ですか。」
「北朝鮮の人間に見えるでしょうか。」
「私は人の顔を見ても、どこの国の方か分かりません。」
「テレビや新聞で北朝鮮のことを報道しているでしょう。厳しい情報統制が敷かれて、人が少しでも反対意見を言おうものなら、徹底的に弾圧を受ける。ものみの塔も、体質がそっくりじゃないですか。」
「・・・・・・・」
http://cult-sos.jp/cultnews/528/
この案内係と矢野は瓜二つであり、その悪癖を引き継いだのが渡邉だとしたらなるほど、納得である。それで脱原発を主張するというのだから、まさに地に足が付いていない。そこを安倍被告につかれてとんでもない事態になったではないか。
矢野はまず、エホバの証人と決別し、謝罪するがいい。それから渡邉と安倍に引退を迫る事が、彼女に残された最後の使命である。カルトをあおった扇動者として許されない。