2015年11月30日月曜日

おぞましい憎悪のAll or Nothingと決別できない日本

 今回取り上げる地下鉄サリン事件は今年で20年になった。
 被害者にとっても、遺族にとってもこの事件は終わっていない。だが、この事件を彼ら当事者だけが語るのは間違っている。私は厳しい問いかけを犯罪被害者やその遺族に行ってきた。
 「その言葉がほんとうに正しいのか」と。そういう意味では私は極左の浅野健一より厳しいのかもしれない。

2015年3月20日 中日新聞・夕刊

テロの教訓、次世代に 地下鉄サリン事件20年


 十三人が死亡、六千二百人以上が負傷した地下鉄サリン事件から二十年たった二十日朝、職員二人が死亡するなどの被害が出た東京メトロ霞ケ関駅(東京都千代田区)で慰霊式があり、遺族や駅員が黙とうや献花で犠牲者の冥福を祈った。
 霞ケ関駅では、駅助役だったAさん=当時(50)=と、代々木電車区助役だったBさん=当時(51)=が死亡した。事件発生とほぼ同 じ時刻の午前八時、職員約二十人が日比谷線の駅事務室で黙とう。千代田線の駅事務室では、Aさんの妻(68)が訪れ、献花した。
 Aさんの妻は取材に「惨事を繰り返さないためにも、事件を語り継ぐことが大事。若い人たちにも関心を持ってほしい」と強調。「霞ケ関駅に立つと、事件の日に引き戻される気持ちで、事件の時の怖い思いがよみがえってくる」と語り、声を詰まらせた。
 慰霊式の後、駅務管区長のCさん(53)は「これからもお客さんの安全を守るために、しっかりとした警備をしていきたい」と再発防止を誓った。
 駅には、事件を知る人々や東京メトロの元職員らも献花に訪れた。二十年前、事件から約二時間半後に丸ノ内線を利用したという文京区のDさん(69)は「時間がずれていたら、私も被害に遭ったかもしれない」と話した。事件発生時、被害が出た日比谷線の築地駅に駆けつけた当時の職員 Eさん(73)=神奈川県内=は「二十年たったが、まるで昨日のことのよう。あの光景は忘れようとしても忘れられない」と振り返った。
 献花台は霞ケ関駅の他、死者が出た中野坂上、小伝馬町、八丁堀、築地、神谷町の各駅にも設けられた。
※なお、個人名はふせさせていただきました。

 この事件でたいてい、ワンセットになるのは「被害者かわいそう、オウム許せない」の論調だ。
 だが、私はそういう考えには「おい、間違っているぞ」と言い続ける。まず、なぜオウムが生み出されたのかを我々は考えねばならない。

 地下鉄サリン事件20年、松本死刑囚の三女「アーチャリー」語る
By
JUN HONGO
原文(英語)
2015 年 3 月 20 日 12:13 JST ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版

 【東京】松本麗華(りか)さん(31)は、小さいころに父親の膝の上に座り、そのひげで遊んでいたことを思い出す。「温かくて大きな人」だったと言う。父親の弟子であるベビーシッターたちもよく面倒を見てくれた。

    オウム松本死刑囚の三女が手記出版へ、20日に講談社から

 20年前、麻原彰晃を名乗っていた松本さんの父親の別の顔が世界にさらされた。1995年3月20日の朝、彼が率いる狂信的教団、オウム真理教の信者たちは、混雑する東京の地下鉄3路線の車内で神経ガスのサリンが入ったビニール袋を破り、13人を殺害、6300人を負傷させた。
 麻原彰晃(本名・松本智津夫)教祖は2カ月後に逮捕され、最終的に死刑判決を受けた。全ての上訴手段を使い果たした彼は今、子供時代の麗華さんの世話を手伝った一部の信者と同様に死刑囚監房にいる。
 サリン事件の多くの被害者は60歳になる教祖の即時死刑執行を求めている。事件の被害者299人を対象にしたある調査では、53%の人は教祖と12人の信者の死刑が直ちに執行されることを望んでいると答えた。
 事件の日にサリンがまかれた地下鉄に乗っていて被害に遭い、現在オウム事件の映画を制作している阪原淳さんは19日に記者会見し、松本死刑囚について「殺した方がいいでしょうね」と述べた。その上で、残った信者にあまり怒りは覚えないが、松本死刑囚の死刑執行は「そのほうが世の中のためになる」と話した。
 松本さんは、父親が本当にあのようなテロを命じたのかどうか、何年たっても結論を出せないでいるという。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の今週のインタビューで、「推定有罪の中、有罪になり死刑が確定した」と述べた。彼女は、判決は信者たちの証言に基づいたものだとし、法定盲人である父親がこのような複雑な作戦を指揮できたかどうか疑問だとしている。
 松本死刑囚の三女である松本さんは今月、手記「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」を講談社から出版した。この本は、人里離れた富士山麓の村でオウム真理教の数百人の信者らと過ごしていた子供時代に触れている。ここに来たのは5歳の時で、その後すぐに何千人もの信者がやって来た。
 教祖とその信者たちの裁判での証言によると、教祖が終末論的な予言を頻繁に口にし出すと、そこでの雰囲気は不穏なものに変わっていった。オウム真理教による初期の殺人の一つは1989年に起こり、この時はオウムに対する訴訟を担当していた弁護士が家族とともに殺害された。
 サリン事件後の教祖の裁判では、信者らはこの犯罪を計画したのは教祖だったと証言した。弁護団は彼は精神的な問題を抱えているため責任は問えないと主張したが、裁判所は有罪を宣告した。弁護団は彼とは適切なコミュニケーションを取れないとしていた。彼は法定内でつぶやいたり訳の分からないことをしゃべったりしていた。
 法廷内で父親がおむつをしていると聞いた時、松本さんは最初、彼が俗世間のしがらみから解放され、聖人のような状態に達したのではないかと思ったという。しかし、その後、父親は精神に異常を来していたことが分かった。
 松本さんは逮捕以来28回父親に面会することが許された。最後に面会したのは08年だったという。「やせこけていて皮がむけていて、白髪でちょっとはげていて。目も見えない。もう眼球がないので目が落ちくぼんでいて、歯が抜けていた」。彼はどの面会でも彼女を娘と認識できなかったという。松本さんは今も毎月のように面会しようとしているが、そのたびに面会することができないと言われるという。
 松本さんは00年にオウム真理教から離れることを決意。その後は信者たちがつくった二つの新しい組織と関係していないと話す。彼女はある大学への入学を拒否されたあと、裁判を起こして入学が認められ、心理学の学位を取得した。今は定職はなく、時々カウンセラーとして働いて収入を得ているという。
 彼女は、長い間「漠然と考えるだけではどうにも処理できない経験でした。見たくないというのもあります」と話した。前に進むには手記を書くことが必要だったという。

 阪原はとんでもない大きな間違いをしている。
 私が懸念するのは、麻原が死刑になることで、麻原の歪んだ意味での神聖化が加速する危険性だ。間違いなく今でも麻原は一部の熱狂的な信者によって祭り上げられているのだ。そういう意味では松本さんの証言は非常に重要なものになってきた。
 まず、なぜ麻原彰晃という男が生み出されたのか。そして、彼になぜ人が寄ってきたのか。これらは全て、今までの我々の考えや議論では絶対に解決できない何かがあって生み出されてきたのだ。
 そもそも、オウム真理教の事件の原点であるのは坂本堤氏がオウム一派によって虐殺された事件だ。この段階で警察は横浜弁護士会が指摘してきたように、初期段階で神奈川県警がオウム真理教の関与を前提に捜査すべきだったのに出来なかった、いややらなかったのはなにか。坂本氏が共産党と関係が密接だったということを口実に拒否したというなら、あまりにもひどい話ではないか。

 それにしても日本のジャーナリズムは腐っているとしか思えない。
 松本さんを3月19日に 「NEWS ZERO」(日本テレビ系)で出したが、その時に松本さんに謝罪を求めたというのだから腐っている。彼女は実名で顔を出してインタビューに答えただけでも一つの勇気なのだ。
 もちろん、彼女の犯した罪については弁護士の滝本太郎さんが指摘しているので、それはそれできちんと彼女は答えるべきなのだが、日本テレビがそこまで言うかと私は呆れ返る有り様だった。松本さんは取材スタッフに、松本死刑囚の指示につ いて問われると「父が語るまで、父の関与については、保留し続けようって思ってます」「分からない。指示を出したかもしれないし、出してないかもしれない」と語ったそうだがに取材スタッフは、「松本さんは事件に向き合っていない」と詰め寄り「オウム事件の被害者のことを考えることがありますか?」と迫った。

 では、アイヌ民族を侮辱する「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」は何なのか。ワハハ本舗の梅垣義明が芸人仲間の「イヨマンテーズ」を率いて、全員が全身に金粉を塗り、1949年にヒットして、伊藤久男さんが歌った「イヨマンテの夜」を熱唱しました。その時に突起物を下半身につけて悪ふざけした犯罪だ。この犯罪行為は1994年元日夜に放送された『北野武政界進出宣言!?ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系列(地元の札幌テレビ放送(STV)を含 む)21:00~22:54)の中で行われた。
 梅垣を筆頭に岡本夏生・宅八郎、矢部浩之(ナインティナイン)ら9人がコテカと半纏をまとい、腰を振りつつコテカをつかて皿回しをするなどその芸を披露したことにより、アイヌ民族の団体「北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)」等が「誤解を招く上に差別的である」として日テレ本社及びSTVへ抗議に訪れた。この抗議を受け、梅垣はこの芸を封印した。
 まさにこの行為は民族浄化そのものの象徴であり、社長解任だってあっておかしくなかったのだ。
 こんなことをしておいて何が松本さんへの追及か。ちゃんちゃらおかしい。松本さんは「考えないほうが難しいですよね。被害者のかたが、大変な思いをされてて。こんなこと、なんでしたんだろうって。分からないですよ。それが、私のことを大切にしてくれた人たちが起こしたんですから」と、涙を流しながら答えた。

 スタジオでは長年、オウム問題に携わった紀藤正樹弁護士がコメンテーターとして出演、サリン事件に松本死刑囚の関与があったことは客観的な事実だと強調したうえで「もう少し(サリン事件の)遺族に対して『分からない』ではなくて、少なくとも謝罪であるとかね、申し訳ない気持ちというのを出していただきたいと思う」と「語った」が、人の内省に干渉する無礼な行為ではないか。瀧本弁護士でもやらないひどい振る舞いだと指摘せざるを得ない。
 社会部記者の下川美奈氏も、今回の松本さんの動向や自伝の出版を「結局、自分のためなんだな、という感じがするんですよね」と、司会の村尾信尚キャスターは「松本麗華さん、確かに自分自身が事件に関わったわけではありませんけども、被害者の方へのお詫びの言葉が無かったのは、残念に感じました」と語っていたようだが、この3人に共通している病巣がある。
 All or Nothingである。白か黒かで人を評価し、視野の狭い世界観に押し込める。まさしくネトウヨの世界観と本質は同じなのだ。それで、身内の犯罪には頬かむりなのだから恐ろしい。阪原も同じ世界観に立っていて、視野が非常に狭い。
 いや、阪原にコメントを求める段階で終わっているのだ。私はだからメディアから距離をおいているのである。何もかも見えなくなってしまい、事件の本質も原点も見えないまま終わってしまう。それでは犠牲者が浮かばれない。

 最後に、このコラムで締めたい。


2004年 11月号

バスジャック事件に見る
「観音」の資質。


 2000年5月3日午後12時56分佐賀営業所発、福岡天神行き西鉄高速バス。40分前に「佐賀県佐賀市 17歳・・・。」というタイトルのスレッドを2ちゃんねるに立てた加害者は、刃渡り40センチの牛刀をもって、乗客にていねいな言葉で乗っ取りを宣言。こ の事件を調べてみると、実に二重三重に、運命の糸がからんでいる。偶然とはいえないような偶然が幾層にも塗り重ねられていることがわかる。(この事件の当 事者全員に合掌して筆を進めます。南無森羅万象)
このバスに乗り合わせ、顔や手に深いキズを負われた洋裁学校主宰の50代の主婦、山口由美子さん(ご本人は事件後、さまざまなメディアに実名でお出になっ ています)と、この事件後に「お母さんわが子の成長が見えますか―――私の手づくり幼児教育論」という書籍が出版されることになる塚本達子先生68歳(こ の事件唯一の死亡者)。山口さんは塚本さんと連れ立って天神に大阪フィルを聴きに行くところだったが、そもそも山口さんが塚本先生を知ることになったの は、山口さんの長女が幼稚園だった20年近く前。かつて「不登校」も経験したわが子の子育てを学ぶため、佐賀市で独自のすばらしい幼児教育をしていた塚本 さんと深い親交を結ぶ。つまり亡くなった塚本先生は、落ちこぼれようとしている子供たちの自力を信じつつ、自己の確立をサポートする強力な助っ人だった。 そして加害者は、親の期待もあり、中学から進学コースに乗ろうとしていたが挫折。精神的にも傷を負い、高校で「不登校」となっていた。その子が、あろうこ とか、みずからの命をかけて子供たちを助けようとしたその先生を手にかけてしまう。
山口さん自身も出血多量で亡くなっていてもおかしくない深手を負っている。しかし、そこから生還したのも奇跡であるが、真の奇跡は、加害者から切りつけら れたときの山口さんの反応である。彼女は「まっさきに、じぶんの不登校だった娘と加害者がダブって見えた。そしてこの子(加害者)を殺人者にしてはならな い!!」と思ったというのだ。なんという反応。いったいだれが、そんなふうに思えるというのだ・・・。自分はいま死のうかというのに。そして実際に彼女は 薄れていく意識のなかで自分の傷口のある方の腕を上にあげ出血を緩和。からくも生き延びた。
もちろん、加害者はこの女性が立っている場所など知るよしもない。もうひとつ加害者が知らないことがあった。それはそのバスが出発する直前に同じバス乗り 場に、そのバスに乗ろうとして、あろうことか、自分の父親と妹がたった数分遅れで向かっていたことだ。なんたる人生の無残!
恐怖が支配するそのバスから生還した山口さんは、強いPTSDであったと想像されるが、いまは、佐賀市で不登校のための「ハッピー・ビバーク」を開設、子 育てに悩む親の会NPO 「ほっとケーキ」の代表も務める。加害者に厳罰を望む意見に、いまも断固として加害者を擁護している!
私が落涙したのは、この観音のような、山口さんの立っている場所と、もうひとつ、加害者が宝物として持っていたという、精神科に入院中に父親と行ったドラ イブの高速券だった。彼は高速道路をクルマで走るのが好きだった。父親の運転するクルマでドライブするのが好きだったのだ。なんということだ! これほど にすべての子は親に愛されたい、いやまわりのだれでもいい、だれかに愛されたい。しかしこれは、ちょっと痛すぎる・・・。
山口さんが、通常いくらセラピーを受けようが、2~3年で決して癒えないくらいの強力なPTSDを、紆余曲折はあったにせよ抜けられ、まさに驚天動地であ るが、生々しい血糊の再現フィルムの解説を客観的にするというのは、これはセラピーの次元をはるかに超えている。より「上位概念」が働いているとしか私に は思えない。つまり、彼女は深い心の傷にフォーカスするよりも、起きたことの見えない糸を結び、新たな目的地を見て、「奉仕」に向かった。それがここまで の回復を可能にしたとように思う。目的をもった奉仕は、セラピーを超える。人間はここまでビジョンを見られるものだろうか。いや実際、ここにそのひとがい る。まさに「観音としての資質」としか形容がない。そしてそれは困難と試練と感情を、軽々と超越する。
喜多見 龍一


 山口さんのこの優しさにメディアは今すぐ学ぶべきだ。
 特に松本さんを責め立てた愚か者どもよ、阪原と一緒に今すぐ弟子になりなさい。恥を知りなさい。