2015年12月30日水曜日

権利と義務は背中合わせにあり、義務を果たして権利が生まれる

日本国憲法 国民の三大義務
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
 児童は、これを酷使してはならない。
第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 今年最後の「イカロスの翼」は日本国憲法を語ることにする。
 レイシストどもは隣国への根拠なきヘイトを喚く。日本国民の中には27条を守りたくても守れない人がいるのでそこまで定規杓子に固めて私は三大義務を押し付けようとは思わないが、引きこもって隣国へのヘイトを喚く者達はたとえ年齢がどうであれ、三大義務に明確に違反していることは明快だ。
 26条について言うなら、これもなんとも言い様がない。しかし、ヘイトスピーチを喚く輩共はみんなこのことに違反しているのではないか。
 日本はいつの間にか、レイシストによって権利だけ貪り、義務を果たさないケースが出てきた。その一方で、在日コリアンのように三大義務は果たしているのに権利がないというおかしな話が出てきた(権利と言っても生活保護ぐらいなものだが)。そんな話がいいとは私には思えない。
 2016年、日本が真の意味で国際社会に開かれる国になるには、日本人の中にある奴隷的根性の一掃が欠かせない。日本語がうまい外国人に驚いているようでは時代遅れだと私は何度も指摘していた。インターネットによって日本語がグローバル化した以上、時間の問題だったからだ。だから、グータンヌーボの内田某が金妍児選手の片言の日本語に驚いたことについて「あんたはアホか」と批判したのはそこにある。
 この奴隷根性はある意味、鎖国にもつながっている。かつて一世を風靡した小錦八十吉さん(元力士)をメディアは黒船と評したが、その評し方は今ではアウトなのである。その一方で、講談社ではなぜか日本人と外国人の「ハーフ」なる言葉は使えないのだからおかしい。要は、その言葉のもつ意味を考えていないから単に規制すればいいと思い込んでいるのではないか。小錦さんの片言の日本語にある意味自分の言葉と重ねあわせ優越感を覚えていた私が恥ずかしい。心から恥を表明する。
 だが言葉狩りという目先のやり方では間違っているのは明らかだろう。まさしく、臭いものに蓋をする安直な解決方法でしかない。
 もっと厳しく言葉と向きあおうと思う。