この女の取り返しの付かない失態を、絶対に見逃す訳にはいかない。
マガジンの女流漫画家が誹謗中傷に耐えかねブログ閉鎖
週刊少年マガジンで『GE ~グッドエンディング~』を連載している女流漫画家の流石景(さすがけい / 28歳)さんが、インターネット上に書かれた誹謗中傷に耐えかね、自身のブログを閉鎖した。2009年12月15日に書かれた最後のブログ日記には「心を 強く持つ自信がありません」と書かれている。
インターネット上には「マジ誰得展開だな。早く終われよくそ漫画」、「真面目に不快だ 即刻終わって欲しくなった初めての漫画」、「女尊男卑もいい加減にしろ ドクズが」などの誹謗中傷が書かれていたようだ(流石景先生がそれらの書き込みに よって傷ついたのかどうかは不明だが)。中には誹謗中傷ではなく作品に対する批評もあっただろうが、流石景先生にとってその言葉も心を深く傷つける要因の 一つとなっていたのだろう。流石景先生は閉鎖の理由に対してブログ日記にこう書いている。
まがりなりにも週刊の商業誌で連載をさせていただいているプロとして、いいご感想だけでなく、批判的なご意見や忠告も真摯に受けとめなければいけないところなのですが、今の自分の未熟さゆえ、影で言われているならばまだしもそれを私に伝えるという行為を含めた一切合切を受け止めた上でこの過酷な仕事をこなしていける程、心を強く持つ自信がありません。なので自分的には新人の頃から長めに続けてきたこのブログですが、ここを知っている知人方が目を通すであろう一週間後をメドに、ここを閉めさせていただきたいと思います。(最後のブログ日記より引用)
多忙な上に誹謗中傷や痛烈な作品批評。まともに受け止めて返答するにしても、余程の体力と精神力が必要となる。流石景先生は今後、ソーシャルネット ワーキングサービス『mixi』のマイページにてひっそりとコミュニケーションをとっていくそうだ。流石景先生の描くキャラクターにはとても魅力的な女性 が多く、日本全国には数多くのファンがいると思われる。これからも、世の人たちを楽しませることができる漫画を創作してもらいたいと切に願う。
Writer: 孫春麗
私は「女尊男卑」というようなハラスメントのような書き込みは許せない。
だが、今回の「ドメスティックな彼女」に関して言えば、断固として容認出来ない。第一話でしょっぱなから性交を描いた段階でもうアウトだ。しかも、この作品が少年誌だと知ったら、PTA関係者はこぞって絶句すること間違いない。しかも暴行までも堂々と書かれる有り様。
何も、描くなとは私は言わない。この「ドメスティックな彼女」は、学校の先生に思いを寄せる男子高校生とその彼への思いを寄せる少女の三角関係を描くラブコメディだ。主人公は先生を忘れるために合コンに赴くが、そこでとある女の子と関係を持ってしまう。その彼女の姉が先生で、しかも父親の再婚相手の娘だったというのだからもう複雑である。
私が厳しい怒りを感じるのはこのテーマを少年誌で取り上げたことだ。この作品は柊あおいさんの「星の瞳のシルエット」のマイナス面と、ドロドロな人間関係の昼ドラ臭(ソープオペラというが)そのものを組み合わせ、もはや目も当てられないシロモノである。これをラブコメディというのだからおぞましい。もはやソープオペラ以外の何物もない。
少年誌でソープオペラとは決定的な大きな間違いだ。しかも、最も悪質と判断せざるをえないのは第四巻初版限定でのふろくの袋とじであろうが事か主人公と少女の性交の全貌まで描いている有り様だ。すでに英訳でネットに流出していることからその悪影響は計り知れない。更に倫理的に不味い話まで出すのだからおぞましい。流石はそのことで、もし無責任な性交によって命が生まれた時の責任が取れるというのか。
責任が取れない、そんなの知ったこったないというのなら、無責任も甚だしい。まさに粗製濫造そのものの発想で吐き気がする。
ここで私は筒井康隆氏を取り上げる。
この筒井氏は日本てんかん協会から過去の作品の回収を不当に要求されたことに抗議して断筆したが、彼らと粘り強く交渉して以下の画期的な提案を勝ち取った。
1994年11月7日、日本てんかん協会との間で書簡の往復による「合意」にこぎつけ、記者会見で内容を発表した。内容の骨子は
1.将来の作品で問題があれば、協会は物理的な圧力を含まない公開の言論活動で「批判」をする。
2.その場合、要求は削除や書き直しでなく「新たな表現による弁明」とし、結論は筒井氏の判断にまかせる。
3.以上のことは筒井氏だけでなく、すべての表現者に適用される。
更に出版社はこのような取り決めを交わしたのだ。
- 出版社は従前どおり筒井氏の意に反した用語の改変は行わない。
- 作品の用語に関し抗議があった場合、これに対処する権利と責任は著述者(筒井氏)にあり、出版社にも責任がある。したがって、出版社が用語に関し抗議を受けた場合、著述者と協議し、その意志を充分尊重して対処する。
- 筒井氏が抗議に対処する上で、文書の往復や直接討論が必要になった場合には、出版社が責任をもって仲介し、その内容を発表する。
これはある意味、過剰な言葉狩りで差別の本質から目をそらす出版社にとっては厳しい物だった。
私は部落解放同盟のような集団吊し上げ的な糾弾は絶対にお断りだ。そんなことをやるから、「寝た子を起こすな」的な事なかれ主義に終わってしまう。だが、筒井氏が勝ち取った権利に流石は甘えているとしか言いようがない。
表現の自由という権利に甘えて、その結果起きたことに対する責任が取れないという意味では、この女のお粗末さは「聲の形」の大今良時と同じ本質であると言わざるをえない。まさに言葉の重みを軽く見ているのであり話にならない。いや、大今よりも始末に負えないと言わざるをえない。聲の形がまだしも手話へのアクセスを少しでも増やしただけでも少しであれ成果的だったのに対し、この作品にはなんの成果もない。
この女も、筒井氏の書生から出直して来いとしか言い様がないのである。筒井氏の努力にあぐらをかいでいるだけのおバカさんと言わざるをえない。それが嫌なら、ルポライターの井上静さんの書生になって出なおせとしか言いようがない。恐らく井上さんは相手にしないのがオチであろうが…。