ミヒャエル・バラック氏(元ドイツ代表主将/現役引退)は、現役時代ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ自称監督と最後関係が悪化した。
レーヴ自称監督の欺瞞的なやり方については以前拙ブログで批判したが、バラック氏の度量の大きさには大いに絶賛すべきものがある。
Soccer King
ニュース
ドイツ
2013.03.08. 11:19
元ドイツ代表バラック氏の引退試合の日程が6月5日に決定
元ドイツ代表MFミヒャエル・バラックの引退試合が6月5日母国のライプツィヒにて行われることが、バラック氏本人から発表された。ドイツ誌『キッカー』が報じている。
バラック氏は、共に戦った元ドイツ代表MFベルント・シュナイダー、同じくFWオリバー・ノイビルらとともに「バラック アンド フレンズ」を結成し、世界選抜チームと対戦する。バラック氏は「(ドイツ代表FWバスティアン)シュヴァインシュタイガー、(元ウクライナ代表FWアンドリー)シェフチェンコ氏、そして(レアル・マドリードのジョゼ)モウリーニョ監督が承諾してくれた。もちろん、僕は両方のチームでプレーするよ」と、明かした。
また、バラック氏はドイツ代表ヨアヒム・レーヴj自称監督も招待しているという。引退試合を巡ってレーヴ自称監督やドイツサッカー連盟との不仲が表面化したこともあったが、レーヴ自称監督だけでなく、連盟の関係者も招待した。
「あとの方ではいろいろとあったが、僕はレーヴ監督の下でもドイツ代表イレブンとして成功を収めた。それから(バイエルンに所属するドイツ代表DFフィリップ)ラームも招待したよ。長い間一緒にプレーした仲だからね」とバラック氏は話した。なお、ヴォルフガング・ニースバッハ連盟会長が、招待されれば出席する意向を明らかにしている。
このバラック氏は日本で言う大検の資格を持ったトップエリートなのである(ドイツの選手は大半が中学卒業)。
彼はレーヴ自称監督の欺瞞的な「代表引退試合」なる提案もどきを毅然と拒否し、潔くドイツ代表を退き、今は評論家として活躍している(同じような絶賛されるべき毅然とした姿勢の持ち主に元横浜ベイスターズの中村紀洋正統選手を選びたい。自称監督のえこひいき的なやり方に異議を唱え、支配者であるDeNAの不当解雇を潔く受け入れると同時に傲慢極まりない上から目線の「引退セレモニー」を毅然として拒否した彼こそ、真のプロ野球選手なのである)。彼のような自律的な精神を持った人はこの日本にどれだけいるのだろうか。
日本の場合、教育と言っても自分の頭で考えて実践するような人を育てない。ワタミの過労自殺事件でわかるように日本の企業の大半は自分の手足になる奴隷しか求めないのが現実で、異端を受け入れない傾向が強い。
そんなことはあってはならない。
そして国の言いなりになって育ち、就職先が見つからなかった人達はどうなるのか。
今の企業は外国人を積極的に正社員としても採用している。そうすることで彼らの母国に帰国した際、彼らをいわば幹部として採用することで、企業の発展につなげている。ただ単に日本語ができるからで採用されているのではない。
突出した異端があるから受け入れられるのだ。日本の場合はその異端が育たない、と言うよりはいじめによって奪われてしまうのだ。では、そこであぶれた人達はどうなるのか。今まで国の言いなりになって育った言うならばロボットなのだ。
そんなロボットに自律的な思考などありえない。そして、彼らは這い上がることを知らず、かつての栄光を懐かしむ。そして、居心地のいい世界観に飛び込む。それがネトウヨの世界なのだ。ただですら社会は極右政党・自民党によって私物化され、自民党サポーターズクラブなる集団により不満まで皮肉な意味でコントロールされているのだ。
こんなアホなことはあってはならない。中国に紙おむつを大量に買い占められたら、まともな人ならそこに商機があると踏んで、自ら中国に飛び込んで紙おむつメーカーを買収して大量増産するという発想を浮かべるだろうが、内向きなネトウヨどもはそれを考えず、「けしからん」と喚く。本当に愚かで間抜けとしか言いようがない。
労働力について言うなら、農村戸籍が多い地方に目を向ければいいのである。中国ではまっとうな紙おむつが作れないというのなら日本人が改良するように動けばいい。そこからいろいろな展開を繰り出して中国から日本に輸出して日本で販売すればいいし、製造を日本にしたいのなら日本にすればいい。
それができず、考えられない彼らには自律的な精神を期待するのは無理である。
2013年8月1日より、日々格闘記はGoogleという新たな世界に打って出ます。なお、熊本大震災・東日本大震災・鳥取大震災の被災者の方々にお見舞いの言葉を、亡くなられた方々には冥福を祈ります。拙ブログは社会的マイノリティとともに歩むブログです。よってレイシズム(極右・極左)及び優生学及びエコテロリズムなどの反人道的な行為や思想を許しません。
2016年4月30日土曜日
2016年4月29日金曜日
『聲の形』上映に関する管理人の見解
お疲れ様です。倉野でございます。
以前から批判を重ねてきました大今良時氏の『聲の形』の上映が、9月17日になったことが確定しました。
この作品に対して私は再三に渡り、障がい者への誤解を招く危険性があると指摘し、何度も改善するよう求め、危惧と懸念を表明してきましたがその危惧は一向に改善される様子が見られません。そこで、大今氏及び講談社に対し、ボイコットを表明いたします。彼らの障がい者への上から目線の発想がある限り、障がい者の社会的自立には何一つ繋がりません。
http://natalie.mu/eiga/news/182849
また、この作品を共同で制作する朝日放送、ポニーキャニオン、クオラス及び松竹、京都アニメーションにも警告しておきます。
もし、この作品のためにいじめやトラブルが起きた際に、被害者からの損害賠償請求があった場合は文句も言わずに潔く全面的に受け入れるという考えで宜しいですかな?その覚悟がないのなら、今すぐ作品制作から撤退しなさい。言葉というのはそれほど怖いものなのです。
そんな人達に、ある人を紹介しましょう。
彼は様々な困難を乗り越えて、ラップと出会ったのです。
彼の笑顔を見てくると、『障がいを抱えながらも生活者として頑張ってきたんだな、私も頑張らなくちゃな』という思いを掻き立てられます。
私は発達障がい当事者ですが、その以前に一人の生活者です。
そのことを、心に刻み、日々を全力で生きていこうと思っています。
以前から批判を重ねてきました大今良時氏の『聲の形』の上映が、9月17日になったことが確定しました。
この作品に対して私は再三に渡り、障がい者への誤解を招く危険性があると指摘し、何度も改善するよう求め、危惧と懸念を表明してきましたがその危惧は一向に改善される様子が見られません。そこで、大今氏及び講談社に対し、ボイコットを表明いたします。彼らの障がい者への上から目線の発想がある限り、障がい者の社会的自立には何一つ繋がりません。
http://natalie.mu/eiga/news/182849
また、この作品を共同で制作する朝日放送、ポニーキャニオン、クオラス及び松竹、京都アニメーションにも警告しておきます。
もし、この作品のためにいじめやトラブルが起きた際に、被害者からの損害賠償請求があった場合は文句も言わずに潔く全面的に受け入れるという考えで宜しいですかな?その覚悟がないのなら、今すぐ作品制作から撤退しなさい。言葉というのはそれほど怖いものなのです。
そんな人達に、ある人を紹介しましょう。
彼は様々な困難を乗り越えて、ラップと出会ったのです。
彼の笑顔を見てくると、『障がいを抱えながらも生活者として頑張ってきたんだな、私も頑張らなくちゃな』という思いを掻き立てられます。
私は発達障がい当事者ですが、その以前に一人の生活者です。
そのことを、心に刻み、日々を全力で生きていこうと思っています。
2016年4月24日日曜日
所詮レイシストキャスター 小倉智昭
今回の書人両断は電波芸人である。
しかし、際立って悪質なヘイトを吐いた以上、厳しい断罪を行う。しかも、「お前が言うな」大賞の連発ぶりにもう呆れて失笑するしかない。
番組の「小倉が斬るニュース」コーナーでは、信州大学の入学式で、学長・山沢清人氏が新入生に向けて贈ったメッセージを紹介した。
山沢氏は「残念なことですが昨今、信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は携帯電話です」と述べ、続けて「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何者でもありません。スマホやめますか、それとも信大生やめますか」と語ったそうだ。
これを受け、番組では、渋谷の街頭で30人の学生にインタビューを実施。“スマホをやめるか、大学をやめるか”という質問をぶつけたところ、「スマホをやめる」を選んだのが20人、「大学をやめる」を選んだのが10人という結果となった。
ス タジオの菊川怜は「(自身が学生だとしたら、どちらを選ぶか)ちょっと悩んじゃいますよね」と困惑気味なようす。一方の小倉は、「悩んじゃう? スマホやめない!?」と驚きの声をあげ、「お願いですから、100%スマホをやめてもらいたいですけどね」と自身の考えを示した。
信州大 学では、スマホの使用を禁止しているというわけではなく、山沢氏はあくまで、大学生活で何に重きを置くことが重要なのかを説いていたという。山沢氏の考え について、小倉は「当然だと思います」と肯定したうえで、「やっぱり今の学生さんは、本とか読まないですもんね」と、“若者の読書離れ”についても指摘 して、この話題を締めくくった。
はっきり言ってやろう。
そのスマホを普及させて煽ったのは小倉のような何もわかっていない電波人間ではないか。しかも、小倉はこんな悪質なヘイトスピーチ犯罪を犯した。
本をまともに読まないからこんなアホな暴言を堂々とやらかすのだ。
そんななか、あの小倉智昭被告が『とくダネ!』(フジテレビ系)で萩原氏の「中国の反日映画に出演した」過去をあげつらい、話題になっている。
4月23日放送の同番組で、小倉被告は「私にとって大変ショック...」といいつつ、萩原氏とのこんなエピソードを話し始めた。
「亡くなったから初めてこういうこと言えるんですけど、いろいろ誤解されやすい俳優でね。(略)一時事務所の受け入れ先がなくなったときに、僕のところに 相談に来て、どうにかなる?と言うから、いいよと、僕頼んであげるからとウチの事務所にきて、しばらくウチの事務所で頑張っていたんですけど」
萩原は一時、小倉が所属し、取締役もつとめる「オーケープロダクション」に属していた。ところが、この後、萩原との心温まる思い出が語られるのかと思いきや、小倉被告の話は意外な方向に進む。
「去年、中国のいわゆる反日映画に日本人役として出るということで、彼がそれを引き受けてきたんですね。でも、事務所はそれはマズいでしょうということ で、事務所はその仕事だけは辞めてくれと言ったんですが。でも、彼はプロデューサーと約束したから、約束は守らなくてはいけないから。それならだったら俺は事務所を辞めてやると」
たしかに、萩原氏は小倉被告の言う「反日映画」らしきものに出演していた。正確には映画ではなく、中国にとって戦勝 70年の今年15年を記念して中国中央電視台が制作費1億元(約16億円)を投じて制作したドラマ『東方戦場』だ。内容は1931年の満州事変から終戦ま でを描いたもので、日本におけるNHKのような存在である中国中央電視台にとって、この作品はいわば大河ドラマであり、その日本人役として萩原氏に白羽の矢 が立った。
だが、この作品に出演することが判明するや、萩原氏は大きな批判を浴びる。ネットでは「反日役者」「萩原は日本に帰って仕事出 来ると思うなよ」「鬱病が相当悪化してるのか?」「日本人ではない在日俳優だろうが、日本人として出る事が許せない! 本名使え!」といった誹謗中傷にさ らされ、一部のスポーツ紙でも「萩原氏が抗日ドラマに出演」などの記事が掲載された。
さらに「週刊新潮」(新潮社)14年5月1日号は、こんな誹謗中傷記事を書き立てた。
「このドラマは中国政府が進める『抗日戦争勝利70周年記念』事業の一環で、制作に共産党宣伝部が名を連ねていることから、"歴史的事実"に基づくかどうかは眉唾ものだ」
「ある芸能事務所社長はこう危惧する。『出演料は、1日10万~30万円と中国では破格。これは日本国内のテレビドラマと比べても、決して悪くありません。高額なギャラに目が眩んでオファーを引き受ける俳優は、少なくないかもしれません』」
今回の小倉被告の発言はこうした「批判」に完全にのっかったものだ。事務所が「反日映画」出演に反対するのは当然であり、それを押し切って出たことが萩原氏の転落の始まりだったかのように、この騒動をふりかえったのだ。
だが、萩原氏と親しい芸能関係者によると、事情はまったくちがう。萩原氏は独断でドラマへの出演を決めたわけではなく「事前に事務所に相談し、オーケーをも らっていた」。ところが、その後、ネットの批判やマスコミ報道などが広がったことで事務所の態度が豹変。「慌てて『辞めろ』と言い出した」のだという。
「オーケープロダクション」は小倉被告を筆頭に、室井佑月や宮川俊二、長田新、諸星裕などのアナウンサーやコメンテーターを多数抱える事務所のため、"反日" という色がつき、バッシングの対象となり、槍玉に挙げられることを恐れたのだろう。萩原氏としては途中ではしごを外されてしまった、というわけだ。
しかも、このドラマ、実際は「反日」でもなんでもなかったらしい。ドラマの脚本の完成版を読んだ萩原と親しい映画関係者は、こう語る。
「戦争によって中国人も韓国人も、そして日本人も戦渦に巻き込まれていく。ドラマはそんな戦争の悲惨さを描いた作品でした。萩原さんはA級戦犯役として処刑された板垣征四郎の役でしたが、それも単なる悪役の"日本鬼子"ではなく、人間的な感情豊かな人物として描かれていた。そうでなければ、萩原さんだって 引き受けるはずがない」
実際、このドラマは中国当局の意に添わず、結局はお蔵入りしている。そのことを考えても、萩原氏への「反日」攻撃は明らかに濡れ衣なのだ。
それを小倉被告はレッテル貼りをするネトウヨと同様、「反日映画に出演して事務所を辞めた」などと喧伝したのである。そもそも、小倉被告は萩原氏を不当に解雇した「オー ケープロダクション」の取締役に名を連ねる「事務所幹部」。いわば"反日ドラマに出るな"と萩原氏に言った事務所側の人間であり、少なくとも事情を知ってい たはずだ。それをネグってあたかも萩原氏に責任があるかのような言説をふりまくのは、卑劣としか言いようがない。
ただ、今回の騒動はたんに小倉被告の性格の悪さや事務所のご都合主義、というだけではすまされないもっと根深い問題もはらんでいる。
それは、小倉被告の発言、さらにそれを報じたスポーツ紙やネットニュースから"反日映画に出演することは解雇理由として当然"といった認識がうかがえることだ。
そもそも、萩原氏が出演したドラマが仮に「反日」ドラマだったとしても、そのドラマに出演することで芸能界からパージされるいわれはまったくないはずだ。日 本が犯した戦争犯罪を描こうとした海外の映画に出演しただけで、「反日」というレッテルを貼られ、非国民扱いされ、事務所から解雇され、社会からはじきだされる──。これでは、まるで戦前の言論統制社会と同じではないか。
だが、現実には、この「反日」というキーワードは今、想像以上に表現や言論への圧力として猛威をふるっている。韓流ドラマを放映するだけでデモが起こり、番組に広告を出稿する企業にまで不買運動が広がる。加えて政権までもが嫌韓反中ヒステリーの舵取りまがいのことを行うという異常事態で、テレビ局も芸能事務所も抗議に脅えきっている。そして、マスメディアやワイドショー のキャスターが平気でネトウヨの専売特許である「反日」という言葉を使ってレッテル貼りをする。
この調子だとそのうち、中国映画や日中合作映画、韓国映画に出演しただけで俳優は日本の芸能界に身の置き場がなくなる──そんな日がやってきても不思議ではない。
(田部祥太)
小倉智昭被告の口からこんな発言が飛び出したのは、2月12日の『とくダネ!』(フジテレビ系)でのことだった。
韓国の"ナッツリターン事件"について報じているなかで、"ナッツ姫"こと大韓航空前副社長の趙顕娥被告に反省の色が見られないなどという話になり、MC の小倉被告が、木曜コメンテーターを務める宋美玄に対して、「韓国の人は自分の責任は認めないで他人の責任にするのか?」と疑問を投げかけたのである。 『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』(ブックマン社)などで知られる産婦人科医の宋が在日韓国人三世ということで、小倉被告は彼女にこの疑問をぶつけ たと思われる。
宋は困惑した表情で、「いや自分のまわりの人だけで判断していいかわからないですけど」と前置きしたうえで、「そんなことはないと思いますけど......」と答えた。
小倉被告は期待した答えが得られなかったからなのか、明らかに不機嫌になり、さらにこんな発言を重ねる。
「だって日本人だったら、このまえの人質事件でも家族は『ご迷惑おかけしてすみません』というふうに謝ったじゃない。そのことは、韓国でもかなり取り上げ られたらしいじゃない。『日本人はきちんと謝る。韓国人もそこを見習わないと、いつまでたっても日本に追いつけない』って」
宋は、眉をひそめ首をかしげながらも、不快そうな表情をなんとか苦笑いで隠し「うーん」とうなる。反論したいのを必死におさえているという印象だった。そして、
「だいたい長くやりすぎですよね、この事件。韓国でならまだわかるけど、日本でこんなに長くやることなんですか。わたしも何回もあたって、毎回なんとコメントしていいのか困る」
と、そもそも韓国のいち民間企業の不祥事を執拗に取り上げる番組の姿勢にやんわりと異を唱えた。
これに対し小倉被告は、
「宋さんで何回もだったら、僕なんかもっとだ!」
と逆ギレしたのである。
その間、菊川怜も、もうひとりのコメンテーターである元ハードル走者の為末大も、フジのアナウンサー2人も、誰ひとり宋に助け舟を出すことも、小倉被告を取りなすこともなく、シーンと黙りこくったままだった。
そもそも仮に趙被告に反省の色が見られないというのが事実だとして、それは趙被告ひとりの問題であって、「韓国人だから」とか「アジア人だから」とか国籍 は関係ないはずだ。にもかかわらず「韓国の人は自分の責任は絶対に認めないで人の責任にするの?」という小倉被告の暴言は、韓国人全員がそうであるかのような 差別意識丸出しのヘイト発言そのものだ。この発言だけでもおよそ公共の電波で報道番組のキャスターが口にするとは信じ難いものだが、さらにはこんな差別的 な発言を、小倉被告は悪びれもせず、同じ韓国籍だというだけのコメンテーターにぶつけたのだ。
「韓国人は日本人を見習わないと追いつけない」などと国に優劣をつけるような発言にしても、発言それ自体もひどいものだが、面と向かって明らかに下に見られた国の人間がどんな気持ちになるかなど、小倉被告は想像することもないのだろう。
「宋さんで何回もだったら、僕なんかもっとだ!」という最後の発言も、完全な逆ギレとしか言いようがない。レギュラーとはいえせいぜい週1のコメンテー ターである宋とちがい、メインMCとして絶大な権力を誇示する小倉被告なら番組構成にもある程度口出しできる立場だろう。自分のほうがホストでありながら、番 組構成についてゲストに声を荒げるなんて、理不尽きわまりない。
しかし自分の質問には絶対に期待通り回答を返さなくてはいけないという 小倉被告の傍若無人さも無神経ぶりも、今に始まったことではない。女子アナ泣かせともいわれるように、現在パートナーをつとめる菊川怜や前任の中野美奈子らに イヤミを言ったり無視したり、コメンテーターや番組スタッフにムチャぶりし期待した反応が得られないとキレたり、そんなことは日常茶飯事だ。
無神経ではあるが、小倉被告はとくべつ右派的なスタンスというわけではない。これが、もっと確信犯的な右派論客であれば、ここまで軽卒な差別発言はしないはず だ。小倉被告はただいつも通り、傍若無人にふるまっただけのこと。おそらくは今も自分が差別発言をしたとは気がついてないだろう。
この無自覚な差別は小倉被告だけの問題ではない。
宋は、極力感情的にならないよう、空気を壊さない程度に、慎重に発言してはいたが、「日本でこんなに長く取り上げる問題なのか」という指摘は、『とくダネ!』のみならず、日本のメディア全体が抱えている問題である。
韓国の一民間企業の不祥事にすぎないナッツリターン事件を日本のニュースやワイドショーがここまで長期間逐一報じるのは異常だ。後藤さんが殺害された翌々 日の火曜日には、人質事件など一切なかったかのように、各局ナッツリターン事件裁判のニュースばかりを報じていたということもあった。人質事件の政府対応 についての検証などまったくせず放置したままで、だ。
自国の問題は見て見ぬふりしておきながら、ナッツリターン事件では韓国の財閥問題 を糾弾し、返す刀で財閥に対する市民感情を裁判に持ち込むのはおかしい、などとどっちに転んでも非難する。このナッツリターン事件をはじめ、昨年のセウォル号事件、日曜日の玉突き事故に天井崩落......と韓国でなにか事件が起これば、人の不幸は蜜の味とばかりに嬉々として取り上げ、韓国社会の問題点を 執拗にあげつらう。視聴者の嫌韓感情を煽り「それに比べて日本はすばらしい」と安易な優越感を満たしているのは明らかではないか。
しか も、日本人を見習えと持ち出すのが「イスラム国人質事件で殺害された後藤さんや湯川氏の家族が謝ったこと」って。被害者の自己責任とやらを責める日本人 の公共性のなさを象徴するお恥ずかしい事態でしかないのに。イラク人質事件の際、日本社会のあまりに激しい人質糾弾の空気に欧米メディアから疑問の声が上 がっていたことを、小倉被告は知らないのだろうか。
だが残念なことに、この小倉被告の発言を問題視するような感想はネットなどでほとんど見られずスルーされている。無自覚な差別感情が今、日本をどんどん侵食している。そんな恐ろしい実態が浮き彫りになった一件だった。
(酒井まど)
はっきり小倉被告に言ってやろう。
お前のようなバカが出るなら、テレビもラジオも電源を切ってやる!!恥知らずが!!そうして、お前の出演する番組を確実にまともな視聴者たちはボイコットするのだ。
えなりかずきがどうなったかわかっているな?韓国へのヘイトスピーチをやらかして今やテレビの殆どを閉めだされたってことをわかってるな?お前もいずれそうなるってことだ。おいぼれレイシストの武田鉄矢、レイシストエジプト人のフィフィと一緒に芸能界を引退しろ、今すぐな。
それがお前に残された社会貢献だがな。
しかし、際立って悪質なヘイトを吐いた以上、厳しい断罪を行う。しかも、「お前が言うな」大賞の連発ぶりにもう呆れて失笑するしかない。
小倉智昭が若者のスマートフォン依存を「一喝」「100%やめてもらいたい」
トピックニュース6日放送の情報番組「とくダネ!」(フジテレビ系)で小倉智昭が、若者のスマートフォン依存に苦言を呈す一幕があった。
番組の「小倉が斬るニュース」コーナーでは、信州大学の入学式で、学長・山沢清人氏が新入生に向けて贈ったメッセージを紹介した。
山沢氏は「残念なことですが昨今、信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は携帯電話です」と述べ、続けて「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何者でもありません。スマホやめますか、それとも信大生やめますか」と語ったそうだ。
これを受け、番組では、渋谷の街頭で30人の学生にインタビューを実施。“スマホをやめるか、大学をやめるか”という質問をぶつけたところ、「スマホをやめる」を選んだのが20人、「大学をやめる」を選んだのが10人という結果となった。
ス タジオの菊川怜は「(自身が学生だとしたら、どちらを選ぶか)ちょっと悩んじゃいますよね」と困惑気味なようす。一方の小倉は、「悩んじゃう? スマホやめない!?」と驚きの声をあげ、「お願いですから、100%スマホをやめてもらいたいですけどね」と自身の考えを示した。
信州大 学では、スマホの使用を禁止しているというわけではなく、山沢氏はあくまで、大学生活で何に重きを置くことが重要なのかを説いていたという。山沢氏の考え について、小倉は「当然だと思います」と肯定したうえで、「やっぱり今の学生さんは、本とか読まないですもんね」と、“若者の読書離れ”についても指摘 して、この話題を締めくくった。
はっきり言ってやろう。
そのスマホを普及させて煽ったのは小倉のような何もわかっていない電波人間ではないか。しかも、小倉はこんな悪質なヘイトスピーチ犯罪を犯した。
本をまともに読まないからこんなアホな暴言を堂々とやらかすのだ。
小倉智昭被告の「萩原流行氏が反日映画出演」発言はデマ、ネトウヨ並みのレッテル貼りだ!
国内
- リテラ
4月22日、俳優の萩原流行氏(62歳)がバイク事故で急死した。2008年には夫婦揃ってうつ病を発症していることを発表。ここ2年の間に3回もの交通事故を起こしていることから、一時は自殺説も取沙汰された。そんななか、あの小倉智昭被告が『とくダネ!』(フジテレビ系)で萩原氏の「中国の反日映画に出演した」過去をあげつらい、話題になっている。
4月23日放送の同番組で、小倉被告は「私にとって大変ショック...」といいつつ、萩原氏とのこんなエピソードを話し始めた。
「亡くなったから初めてこういうこと言えるんですけど、いろいろ誤解されやすい俳優でね。(略)一時事務所の受け入れ先がなくなったときに、僕のところに 相談に来て、どうにかなる?と言うから、いいよと、僕頼んであげるからとウチの事務所にきて、しばらくウチの事務所で頑張っていたんですけど」
萩原は一時、小倉が所属し、取締役もつとめる「オーケープロダクション」に属していた。ところが、この後、萩原との心温まる思い出が語られるのかと思いきや、小倉被告の話は意外な方向に進む。
「去年、中国のいわゆる反日映画に日本人役として出るということで、彼がそれを引き受けてきたんですね。でも、事務所はそれはマズいでしょうということ で、事務所はその仕事だけは辞めてくれと言ったんですが。でも、彼はプロデューサーと約束したから、約束は守らなくてはいけないから。それならだったら俺は事務所を辞めてやると」
たしかに、萩原氏は小倉被告の言う「反日映画」らしきものに出演していた。正確には映画ではなく、中国にとって戦勝 70年の今年15年を記念して中国中央電視台が制作費1億元(約16億円)を投じて制作したドラマ『東方戦場』だ。内容は1931年の満州事変から終戦ま でを描いたもので、日本におけるNHKのような存在である中国中央電視台にとって、この作品はいわば大河ドラマであり、その日本人役として萩原氏に白羽の矢 が立った。
だが、この作品に出演することが判明するや、萩原氏は大きな批判を浴びる。ネットでは「反日役者」「萩原は日本に帰って仕事出 来ると思うなよ」「鬱病が相当悪化してるのか?」「日本人ではない在日俳優だろうが、日本人として出る事が許せない! 本名使え!」といった誹謗中傷にさ らされ、一部のスポーツ紙でも「萩原氏が抗日ドラマに出演」などの記事が掲載された。
さらに「週刊新潮」(新潮社)14年5月1日号は、こんな誹謗中傷記事を書き立てた。
「このドラマは中国政府が進める『抗日戦争勝利70周年記念』事業の一環で、制作に共産党宣伝部が名を連ねていることから、"歴史的事実"に基づくかどうかは眉唾ものだ」
「ある芸能事務所社長はこう危惧する。『出演料は、1日10万~30万円と中国では破格。これは日本国内のテレビドラマと比べても、決して悪くありません。高額なギャラに目が眩んでオファーを引き受ける俳優は、少なくないかもしれません』」
今回の小倉被告の発言はこうした「批判」に完全にのっかったものだ。事務所が「反日映画」出演に反対するのは当然であり、それを押し切って出たことが萩原氏の転落の始まりだったかのように、この騒動をふりかえったのだ。
だが、萩原氏と親しい芸能関係者によると、事情はまったくちがう。萩原氏は独断でドラマへの出演を決めたわけではなく「事前に事務所に相談し、オーケーをも らっていた」。ところが、その後、ネットの批判やマスコミ報道などが広がったことで事務所の態度が豹変。「慌てて『辞めろ』と言い出した」のだという。
「オーケープロダクション」は小倉被告を筆頭に、室井佑月や宮川俊二、長田新、諸星裕などのアナウンサーやコメンテーターを多数抱える事務所のため、"反日" という色がつき、バッシングの対象となり、槍玉に挙げられることを恐れたのだろう。萩原氏としては途中ではしごを外されてしまった、というわけだ。
しかも、このドラマ、実際は「反日」でもなんでもなかったらしい。ドラマの脚本の完成版を読んだ萩原と親しい映画関係者は、こう語る。
「戦争によって中国人も韓国人も、そして日本人も戦渦に巻き込まれていく。ドラマはそんな戦争の悲惨さを描いた作品でした。萩原さんはA級戦犯役として処刑された板垣征四郎の役でしたが、それも単なる悪役の"日本鬼子"ではなく、人間的な感情豊かな人物として描かれていた。そうでなければ、萩原さんだって 引き受けるはずがない」
実際、このドラマは中国当局の意に添わず、結局はお蔵入りしている。そのことを考えても、萩原氏への「反日」攻撃は明らかに濡れ衣なのだ。
それを小倉被告はレッテル貼りをするネトウヨと同様、「反日映画に出演して事務所を辞めた」などと喧伝したのである。そもそも、小倉被告は萩原氏を不当に解雇した「オー ケープロダクション」の取締役に名を連ねる「事務所幹部」。いわば"反日ドラマに出るな"と萩原氏に言った事務所側の人間であり、少なくとも事情を知ってい たはずだ。それをネグってあたかも萩原氏に責任があるかのような言説をふりまくのは、卑劣としか言いようがない。
ただ、今回の騒動はたんに小倉被告の性格の悪さや事務所のご都合主義、というだけではすまされないもっと根深い問題もはらんでいる。
それは、小倉被告の発言、さらにそれを報じたスポーツ紙やネットニュースから"反日映画に出演することは解雇理由として当然"といった認識がうかがえることだ。
そもそも、萩原氏が出演したドラマが仮に「反日」ドラマだったとしても、そのドラマに出演することで芸能界からパージされるいわれはまったくないはずだ。日 本が犯した戦争犯罪を描こうとした海外の映画に出演しただけで、「反日」というレッテルを貼られ、非国民扱いされ、事務所から解雇され、社会からはじきだされる──。これでは、まるで戦前の言論統制社会と同じではないか。
だが、現実には、この「反日」というキーワードは今、想像以上に表現や言論への圧力として猛威をふるっている。韓流ドラマを放映するだけでデモが起こり、番組に広告を出稿する企業にまで不買運動が広がる。加えて政権までもが嫌韓反中ヒステリーの舵取りまがいのことを行うという異常事態で、テレビ局も芸能事務所も抗議に脅えきっている。そして、マスメディアやワイドショー のキャスターが平気でネトウヨの専売特許である「反日」という言葉を使ってレッテル貼りをする。
この調子だとそのうち、中国映画や日中合作映画、韓国映画に出演しただけで俳優は日本の芸能界に身の置き場がなくなる──そんな日がやってきても不思議ではない。
(田部祥太)
『とくダネ!』小倉智昭がヘイト発言!韓国人は他人に責任を押しつけるのか、と
コラム
- リテラ
「韓国の人は自分の責任を感じるよりも、まず他人のせいにしたがるの?」小倉智昭被告の口からこんな発言が飛び出したのは、2月12日の『とくダネ!』(フジテレビ系)でのことだった。
韓国の"ナッツリターン事件"について報じているなかで、"ナッツ姫"こと大韓航空前副社長の趙顕娥被告に反省の色が見られないなどという話になり、MC の小倉被告が、木曜コメンテーターを務める宋美玄に対して、「韓国の人は自分の責任は認めないで他人の責任にするのか?」と疑問を投げかけたのである。 『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』(ブックマン社)などで知られる産婦人科医の宋が在日韓国人三世ということで、小倉被告は彼女にこの疑問をぶつけ たと思われる。
宋は困惑した表情で、「いや自分のまわりの人だけで判断していいかわからないですけど」と前置きしたうえで、「そんなことはないと思いますけど......」と答えた。
小倉被告は期待した答えが得られなかったからなのか、明らかに不機嫌になり、さらにこんな発言を重ねる。
「だって日本人だったら、このまえの人質事件でも家族は『ご迷惑おかけしてすみません』というふうに謝ったじゃない。そのことは、韓国でもかなり取り上げ られたらしいじゃない。『日本人はきちんと謝る。韓国人もそこを見習わないと、いつまでたっても日本に追いつけない』って」
宋は、眉をひそめ首をかしげながらも、不快そうな表情をなんとか苦笑いで隠し「うーん」とうなる。反論したいのを必死におさえているという印象だった。そして、
「だいたい長くやりすぎですよね、この事件。韓国でならまだわかるけど、日本でこんなに長くやることなんですか。わたしも何回もあたって、毎回なんとコメントしていいのか困る」
と、そもそも韓国のいち民間企業の不祥事を執拗に取り上げる番組の姿勢にやんわりと異を唱えた。
これに対し小倉被告は、
「宋さんで何回もだったら、僕なんかもっとだ!」
と逆ギレしたのである。
その間、菊川怜も、もうひとりのコメンテーターである元ハードル走者の為末大も、フジのアナウンサー2人も、誰ひとり宋に助け舟を出すことも、小倉被告を取りなすこともなく、シーンと黙りこくったままだった。
そもそも仮に趙被告に反省の色が見られないというのが事実だとして、それは趙被告ひとりの問題であって、「韓国人だから」とか「アジア人だから」とか国籍 は関係ないはずだ。にもかかわらず「韓国の人は自分の責任は絶対に認めないで人の責任にするの?」という小倉被告の暴言は、韓国人全員がそうであるかのような 差別意識丸出しのヘイト発言そのものだ。この発言だけでもおよそ公共の電波で報道番組のキャスターが口にするとは信じ難いものだが、さらにはこんな差別的 な発言を、小倉被告は悪びれもせず、同じ韓国籍だというだけのコメンテーターにぶつけたのだ。
「韓国人は日本人を見習わないと追いつけない」などと国に優劣をつけるような発言にしても、発言それ自体もひどいものだが、面と向かって明らかに下に見られた国の人間がどんな気持ちになるかなど、小倉被告は想像することもないのだろう。
「宋さんで何回もだったら、僕なんかもっとだ!」という最後の発言も、完全な逆ギレとしか言いようがない。レギュラーとはいえせいぜい週1のコメンテー ターである宋とちがい、メインMCとして絶大な権力を誇示する小倉被告なら番組構成にもある程度口出しできる立場だろう。自分のほうがホストでありながら、番 組構成についてゲストに声を荒げるなんて、理不尽きわまりない。
しかし自分の質問には絶対に期待通り回答を返さなくてはいけないという 小倉被告の傍若無人さも無神経ぶりも、今に始まったことではない。女子アナ泣かせともいわれるように、現在パートナーをつとめる菊川怜や前任の中野美奈子らに イヤミを言ったり無視したり、コメンテーターや番組スタッフにムチャぶりし期待した反応が得られないとキレたり、そんなことは日常茶飯事だ。
無神経ではあるが、小倉被告はとくべつ右派的なスタンスというわけではない。これが、もっと確信犯的な右派論客であれば、ここまで軽卒な差別発言はしないはず だ。小倉被告はただいつも通り、傍若無人にふるまっただけのこと。おそらくは今も自分が差別発言をしたとは気がついてないだろう。
この無自覚な差別は小倉被告だけの問題ではない。
宋は、極力感情的にならないよう、空気を壊さない程度に、慎重に発言してはいたが、「日本でこんなに長く取り上げる問題なのか」という指摘は、『とくダネ!』のみならず、日本のメディア全体が抱えている問題である。
韓国の一民間企業の不祥事にすぎないナッツリターン事件を日本のニュースやワイドショーがここまで長期間逐一報じるのは異常だ。後藤さんが殺害された翌々 日の火曜日には、人質事件など一切なかったかのように、各局ナッツリターン事件裁判のニュースばかりを報じていたということもあった。人質事件の政府対応 についての検証などまったくせず放置したままで、だ。
自国の問題は見て見ぬふりしておきながら、ナッツリターン事件では韓国の財閥問題 を糾弾し、返す刀で財閥に対する市民感情を裁判に持ち込むのはおかしい、などとどっちに転んでも非難する。このナッツリターン事件をはじめ、昨年のセウォル号事件、日曜日の玉突き事故に天井崩落......と韓国でなにか事件が起これば、人の不幸は蜜の味とばかりに嬉々として取り上げ、韓国社会の問題点を 執拗にあげつらう。視聴者の嫌韓感情を煽り「それに比べて日本はすばらしい」と安易な優越感を満たしているのは明らかではないか。
しか も、日本人を見習えと持ち出すのが「イスラム国人質事件で殺害された後藤さんや湯川氏の家族が謝ったこと」って。被害者の自己責任とやらを責める日本人 の公共性のなさを象徴するお恥ずかしい事態でしかないのに。イラク人質事件の際、日本社会のあまりに激しい人質糾弾の空気に欧米メディアから疑問の声が上 がっていたことを、小倉被告は知らないのだろうか。
だが残念なことに、この小倉被告の発言を問題視するような感想はネットなどでほとんど見られずスルーされている。無自覚な差別感情が今、日本をどんどん侵食している。そんな恐ろしい実態が浮き彫りになった一件だった。
(酒井まど)
はっきり小倉被告に言ってやろう。
お前のようなバカが出るなら、テレビもラジオも電源を切ってやる!!恥知らずが!!そうして、お前の出演する番組を確実にまともな視聴者たちはボイコットするのだ。
えなりかずきがどうなったかわかっているな?韓国へのヘイトスピーチをやらかして今やテレビの殆どを閉めだされたってことをわかってるな?お前もいずれそうなるってことだ。おいぼれレイシストの武田鉄矢、レイシストエジプト人のフィフィと一緒に芸能界を引退しろ、今すぐな。
それがお前に残された社会貢献だがな。
2016年4月22日金曜日
4月16日に起きた熊本大震災被災者へのメッセージとマジョリティへの呼びかけ
お疲れ様です。倉野でございます。
4月16日、たいへん深刻な震災が熊本地方を中心に襲いました。今は一刻も早く熊本地方を中心とした被災地への支援を政治はやらねばなりません。政争の具については拙ブログにおいて、批判を重ねてきましたが、まずは被災者達にお見舞いの言葉を、ネオナチジャパンの失策によって事実上殺された震災被害者たちにはお悔やみの言葉を申し上げます。
そして、私達ができることとは何か。まず、脱原発に踏み切ることです。もう、原発を運転する必要も正統性もありません。節電と、テレビ局の経営統合による停波、放送時間の規制により、脱原発を揺るぎないものにすべきです。
こんな苦しい状況なのにもかかわらずTPPという、売国契約に傾斜するネオナチジャパンは、ここまでも失態を繰り返しているのです。そんな連中に、北海道5区衆議院議員選挙で絶対に委任状を渡すことはあってはなりません。政治というのは、あくまでも生活の延長線上にあるのです。そして、ネオナチジャパンをこの夏の参議院選挙で完全に完敗させ、衆議院議員選挙でネオナチジャパンを完全撃滅させて、日本の正常化を図るべきなのです。
それが、今回の震災で殺された48人の人々への思いに応える唯一の道なのです。本来、保守派の生活の党が共産党と手を組む時点でもう今の日本の状況は異様であることは明らかです。 日本の正常化が終われば、再び正しい政策論争を起こすべきなのです。
ネオナチジャパンは神奈川県でこんな異常な権力犯罪を犯しています。
http://kimishima.jcpweb.jp/archives/1772
共産党のちょっとした失敗に対して己の未熟さを棚に上げておいて「成熟するまで日本共産党は代表質問を辞退すべき」と、例外規定を設ける協議入りをネオナチジャパンは民進党や創価学会公明党と共謀して行った権力犯罪です。こんな異常な犯罪行為は、公権力を司るものとして断じて許されません。言語道断であり、直ちに撤回を命じます。また、この提案もどきを出した者共は全員辞職し、警察に自首するよう命令します。
有権者の付託を受けた議員によって構成される議員団、その発言資格は他会派が決めるものではありません。このようなことが行われれば、議会内の多数派が有権者の意思を議論以前に否定することになります。そのことを共産党は記者会見しましたがメディアはまともに報道していないのです。
これではますます、熊本大震災の犠牲者が憤慨します。 こういう権力犯罪にもっと怒りを示し、『俺達の生活に寄り添った政治をしろ』と要求し続けねばなりません。刑事訴訟法改悪案をネオナチジャパンは不当に押し付けましたが、国際法によって全面無効であると拙ブログでは指摘させてもらいます。
4月16日、たいへん深刻な震災が熊本地方を中心に襲いました。今は一刻も早く熊本地方を中心とした被災地への支援を政治はやらねばなりません。政争の具については拙ブログにおいて、批判を重ねてきましたが、まずは被災者達にお見舞いの言葉を、ネオナチジャパンの失策によって事実上殺された震災被害者たちにはお悔やみの言葉を申し上げます。
そして、私達ができることとは何か。まず、脱原発に踏み切ることです。もう、原発を運転する必要も正統性もありません。節電と、テレビ局の経営統合による停波、放送時間の規制により、脱原発を揺るぎないものにすべきです。
こんな苦しい状況なのにもかかわらずTPPという、売国契約に傾斜するネオナチジャパンは、ここまでも失態を繰り返しているのです。そんな連中に、北海道5区衆議院議員選挙で絶対に委任状を渡すことはあってはなりません。政治というのは、あくまでも生活の延長線上にあるのです。そして、ネオナチジャパンをこの夏の参議院選挙で完全に完敗させ、衆議院議員選挙でネオナチジャパンを完全撃滅させて、日本の正常化を図るべきなのです。
それが、今回の震災で殺された48人の人々への思いに応える唯一の道なのです。本来、保守派の生活の党が共産党と手を組む時点でもう今の日本の状況は異様であることは明らかです。 日本の正常化が終われば、再び正しい政策論争を起こすべきなのです。
ネオナチジャパンは神奈川県でこんな異常な権力犯罪を犯しています。
http://kimishima.jcpweb.jp/archives/1772
共産党のちょっとした失敗に対して己の未熟さを棚に上げておいて「成熟するまで日本共産党は代表質問を辞退すべき」と、例外規定を設ける協議入りをネオナチジャパンは民進党や創価学会公明党と共謀して行った権力犯罪です。こんな異常な犯罪行為は、公権力を司るものとして断じて許されません。言語道断であり、直ちに撤回を命じます。また、この提案もどきを出した者共は全員辞職し、警察に自首するよう命令します。
有権者の付託を受けた議員によって構成される議員団、その発言資格は他会派が決めるものではありません。このようなことが行われれば、議会内の多数派が有権者の意思を議論以前に否定することになります。そのことを共産党は記者会見しましたがメディアはまともに報道していないのです。
これではますます、熊本大震災の犠牲者が憤慨します。 こういう権力犯罪にもっと怒りを示し、『俺達の生活に寄り添った政治をしろ』と要求し続けねばなりません。刑事訴訟法改悪案をネオナチジャパンは不当に押し付けましたが、国際法によって全面無効であると拙ブログでは指摘させてもらいます。
2016年4月18日月曜日
日本の経済は見直すべき時期にある
100万円台でマンションが買える?すさまじい不動産相場崩壊、住宅はただの粗大ゴミに
自宅の近所に建っている中古マンションがいくらで売りに出されているかを調べたことがあるだろうか? ショッキングなデータを紹介しよう。
リクルートが運営する不動産情報サイト「スーモ」で、首都圏における500万円未満のファミリー向け中古マンション(40平米以上)を検索すると、1都3 県の合計で200件を超える物件がヒットする。その内訳は、千葉県97件、神奈川県48件、東京都6件、埼玉県63件である。
500万円未満ということで、さぞかし辺鄙な場所かボロボロの部屋に違いないと思いきや、意外にもこれが結構普通なのである。
最安値は、千葉県南西部にある2LDK・47平米の物件で180万円。築40年を超える古い物件ながら、旧・日本住宅公団(現UR都市機構)が高度成長期 に開発した、いわゆる公団マンションだ。最寄り駅から東京駅までは快速で約60分の立地。南向きバルコニーを備えた5階建ての最上階で、日当たり・眺望と もに良好。もちろん壁紙や畳も新規リフォーム済みだ。ただし、決定的なデメリットは、エレベーターがないことだ。同じ団地内でも売りに出されている物件は 多いが、3階以上は敬遠されがちで、売れずにズルズルと価格が下がっていったというのが実情のようだ。
いまや、そういう不人気マンション が日本中にあふれ返っているのである。ここで大事なのは、不動産情報サイトで検索できるのは、あくまでも売主の「希望売り出し価格」であって、「成約価 格」ではないということだ。競合物件が多い中で、1日も早く現金化したい売主は大幅値引きに応じることも珍しくない。
つまり、180万円 で売りに出されている物件の成約価格は、さらに150万円まで下がるかもしれない。実際に団地名で検索してみると、少し前に別の棟の4階で同じ広さの部屋 が120万円まで値下げされていることが判明した(ただし、リフォーム要)。都内まで通勤可能なマンションが、たったの100万円台前半で買える時代に なってしまったのである。
●都市郊外から不動産価格が崩壊
昨年11月30日付当サイト記事『新築戸建住宅で価格崩壊 首都 圏で1千万円台も急増 早まった購入判断に注意』でも述べたように、アベノミクスの歴史的な金融緩和によって、市況が右肩上がりに回復しているのは都心の 一部や人気沿線だけだ。少し郊外に目を転じると、いまだに、すさまじいまでの不動産デフレの現実を目の当たりにするのは、中古マンションの世界でも同じで ある。
住宅ローン金利が空前の低水準になり、より少ない返済額でマイホームが購入可能になった。1992年に18歳人口のピークを記録し た団塊ジュニアたちは、20数年経過してマイホーム購入適齢期に達した。投資家たちは、資産運用先を血眼になって探している。本来ならば、不動産が急騰し てもおかしくない条件が揃っているにもかかわらず、かつてのような不動産バブルは起きていない。いまアベノミクスによって起きている都心部の不動産上昇 は、2007年前後のミニバブルよりもさらに規模が小さい「ミニミニバブル」と呼べる程度のものでしかない。
一方で、人口が都心部から郊外に流出するドーナツ化現象が逆転するように、都心部の外周から不動産相場が崩壊する“逆ドーナツ化現象”が起きている。その原因は、すでに日本において住宅が明らかに供給過剰に陥っていることによる。
総務省が5年ごとに行っている住宅・土地調査によれば、13年の住宅全国総数6063万戸のうち820万戸が空き家で、空き家率は13.5%と過去最高を 更新した。20%を超えるのも時間の問題と言われており、野村総合研究所の試算によれば、03年と同じ住宅着工件数・減失件数が続いた場合、40年には空 き家率が43%にも達するという。
日本の総人口は08年から減少に転じ、ここ数年は毎年26万人という中規模都市と同じだけの人口が減少 し続けている。15年からは世帯数の減少も始まるとみられている。団塊の世代が本格的に老人介護施設やサービス付き高齢者向け住宅に入所する頃には街中空 き家だらけの状態に陥ることは、もはや誰の目にも明らかだろう。そうした状況にもかかわらず、相変わらず旺盛な勢いで新築のマンションや戸建て、アパート が供給され続けているのだから、家余りに拍車がかかるのは無理もない話である。
●不動産が“粗大ゴミ”になる
いま議論され ている空き家問題の焦点は、古くなって打ち捨てられた住宅を、“粗大ゴミ”として、いかに行政がサポートして効率的に処分させるかということである。つま り、日本人が長年「貴重な資産」と認識していた不動産が、いまや家電製品や家具など一般の消費財と同じポジションになり下がってしまったことを意味してい る。
どんな高級車でも、10年たてば買い取り価格は限りなくゼロに近づいていくのと同じように、家余り時代のマンションや戸建て住宅も、やがては資産価値が著しく下がっていく。そんな資産崩壊時代を上手に生き抜くには、できるだけ高額資産は持たないことである。
4000万円のマンションが20年後に半値になったら2000万円もの含み損を抱えてしまうが、500万円のマンションは、たとえ資産価値ゼロになっても、ローン返済さえなければ家賃分の居住価値を享受し続けることができる。
しかしなんといっても、最もお得なのは激安賃貸住宅に住むことだろう。例えば、マンションは所有していても管理費・修繕積立金に固定資産税などのコストが かかり、これがバカにならない。戸建てにしても定期的な修繕費は必要だ。冒頭の180万円の公団マンションの場合、管理費・修繕積立金だけで毎月約2万円 かかることを考えれば、同種の部屋を家賃3~4万円で借りたほうがトクなのは間違いない。空き部屋は年々増える一方だから、更新ごとに安い部屋に越してい けば、それも可能だろう。
頭金に500万円出し、さらに毎月10万円の住宅ローンを35年間払い続ける生活と比べて、どちらが豊かかイ メージしてみてほしい。いくら「素晴らしい家」を手に入れても、可処分所得が低いカツカツの生活では、楽しさも半減するだろう。その分のお金で家族旅行で もしたほうが楽しいではないか。300万円の別荘を買って維持に苦労するより、一泊1万円の旅館に300泊したほうがお得なのではないだろうか。
日本人もそろそろ“ハコモノ至上主義”の呪縛から解き放たれる時代がやってきたと思うのだが、果たしてあなたはどう考えるだろうか。
(文=日向咲嗣/フリーライター)
皆さんにここで指摘したい。
今、地方のリゾートマンションは新潟の湯沢町にある「苗場スキー場」リゾートマンションなどに代表されるようにバブル時代は数千万円のものが10万円で販売されているという。だがそれでも売れない。
そこで私はグループホームをこういう地域に作り、仕事をどんどん出すようにするよう提案する。仕事はどうするかという課題だが、こういう場所にこそ、政府とJA、イオン・セブン&アイグループなどが主導的になって農場を開設すべきではないか。
対象者はひきこもり、障がい当事者、漫画喫茶生活者、DV被害者、刑期満了者、シングルマザーなどにする。例えばイオンが彼らを雇ってロジスティックセンターの労働者として働くこともあっていい。
政治は生活者の視線を明らかに忘れているのではないか。だから厳しく批判されるのだ。ピケティブームはその歪をいみじくも暴き立てたのである。
リクルートが運営する不動産情報サイト「スーモ」で、首都圏における500万円未満のファミリー向け中古マンション(40平米以上)を検索すると、1都3 県の合計で200件を超える物件がヒットする。その内訳は、千葉県97件、神奈川県48件、東京都6件、埼玉県63件である。
500万円未満ということで、さぞかし辺鄙な場所かボロボロの部屋に違いないと思いきや、意外にもこれが結構普通なのである。
最安値は、千葉県南西部にある2LDK・47平米の物件で180万円。築40年を超える古い物件ながら、旧・日本住宅公団(現UR都市機構)が高度成長期 に開発した、いわゆる公団マンションだ。最寄り駅から東京駅までは快速で約60分の立地。南向きバルコニーを備えた5階建ての最上階で、日当たり・眺望と もに良好。もちろん壁紙や畳も新規リフォーム済みだ。ただし、決定的なデメリットは、エレベーターがないことだ。同じ団地内でも売りに出されている物件は 多いが、3階以上は敬遠されがちで、売れずにズルズルと価格が下がっていったというのが実情のようだ。
いまや、そういう不人気マンション が日本中にあふれ返っているのである。ここで大事なのは、不動産情報サイトで検索できるのは、あくまでも売主の「希望売り出し価格」であって、「成約価 格」ではないということだ。競合物件が多い中で、1日も早く現金化したい売主は大幅値引きに応じることも珍しくない。
つまり、180万円 で売りに出されている物件の成約価格は、さらに150万円まで下がるかもしれない。実際に団地名で検索してみると、少し前に別の棟の4階で同じ広さの部屋 が120万円まで値下げされていることが判明した(ただし、リフォーム要)。都内まで通勤可能なマンションが、たったの100万円台前半で買える時代に なってしまったのである。
●都市郊外から不動産価格が崩壊
昨年11月30日付当サイト記事『新築戸建住宅で価格崩壊 首都 圏で1千万円台も急増 早まった購入判断に注意』でも述べたように、アベノミクスの歴史的な金融緩和によって、市況が右肩上がりに回復しているのは都心の 一部や人気沿線だけだ。少し郊外に目を転じると、いまだに、すさまじいまでの不動産デフレの現実を目の当たりにするのは、中古マンションの世界でも同じで ある。
住宅ローン金利が空前の低水準になり、より少ない返済額でマイホームが購入可能になった。1992年に18歳人口のピークを記録し た団塊ジュニアたちは、20数年経過してマイホーム購入適齢期に達した。投資家たちは、資産運用先を血眼になって探している。本来ならば、不動産が急騰し てもおかしくない条件が揃っているにもかかわらず、かつてのような不動産バブルは起きていない。いまアベノミクスによって起きている都心部の不動産上昇 は、2007年前後のミニバブルよりもさらに規模が小さい「ミニミニバブル」と呼べる程度のものでしかない。
一方で、人口が都心部から郊外に流出するドーナツ化現象が逆転するように、都心部の外周から不動産相場が崩壊する“逆ドーナツ化現象”が起きている。その原因は、すでに日本において住宅が明らかに供給過剰に陥っていることによる。
総務省が5年ごとに行っている住宅・土地調査によれば、13年の住宅全国総数6063万戸のうち820万戸が空き家で、空き家率は13.5%と過去最高を 更新した。20%を超えるのも時間の問題と言われており、野村総合研究所の試算によれば、03年と同じ住宅着工件数・減失件数が続いた場合、40年には空 き家率が43%にも達するという。
日本の総人口は08年から減少に転じ、ここ数年は毎年26万人という中規模都市と同じだけの人口が減少 し続けている。15年からは世帯数の減少も始まるとみられている。団塊の世代が本格的に老人介護施設やサービス付き高齢者向け住宅に入所する頃には街中空 き家だらけの状態に陥ることは、もはや誰の目にも明らかだろう。そうした状況にもかかわらず、相変わらず旺盛な勢いで新築のマンションや戸建て、アパート が供給され続けているのだから、家余りに拍車がかかるのは無理もない話である。
●不動産が“粗大ゴミ”になる
いま議論され ている空き家問題の焦点は、古くなって打ち捨てられた住宅を、“粗大ゴミ”として、いかに行政がサポートして効率的に処分させるかということである。つま り、日本人が長年「貴重な資産」と認識していた不動産が、いまや家電製品や家具など一般の消費財と同じポジションになり下がってしまったことを意味してい る。
どんな高級車でも、10年たてば買い取り価格は限りなくゼロに近づいていくのと同じように、家余り時代のマンションや戸建て住宅も、やがては資産価値が著しく下がっていく。そんな資産崩壊時代を上手に生き抜くには、できるだけ高額資産は持たないことである。
4000万円のマンションが20年後に半値になったら2000万円もの含み損を抱えてしまうが、500万円のマンションは、たとえ資産価値ゼロになっても、ローン返済さえなければ家賃分の居住価値を享受し続けることができる。
しかしなんといっても、最もお得なのは激安賃貸住宅に住むことだろう。例えば、マンションは所有していても管理費・修繕積立金に固定資産税などのコストが かかり、これがバカにならない。戸建てにしても定期的な修繕費は必要だ。冒頭の180万円の公団マンションの場合、管理費・修繕積立金だけで毎月約2万円 かかることを考えれば、同種の部屋を家賃3~4万円で借りたほうがトクなのは間違いない。空き部屋は年々増える一方だから、更新ごとに安い部屋に越してい けば、それも可能だろう。
頭金に500万円出し、さらに毎月10万円の住宅ローンを35年間払い続ける生活と比べて、どちらが豊かかイ メージしてみてほしい。いくら「素晴らしい家」を手に入れても、可処分所得が低いカツカツの生活では、楽しさも半減するだろう。その分のお金で家族旅行で もしたほうが楽しいではないか。300万円の別荘を買って維持に苦労するより、一泊1万円の旅館に300泊したほうがお得なのではないだろうか。
日本人もそろそろ“ハコモノ至上主義”の呪縛から解き放たれる時代がやってきたと思うのだが、果たしてあなたはどう考えるだろうか。
(文=日向咲嗣/フリーライター)
皆さんにここで指摘したい。
今、地方のリゾートマンションは新潟の湯沢町にある「苗場スキー場」リゾートマンションなどに代表されるようにバブル時代は数千万円のものが10万円で販売されているという。だがそれでも売れない。
そこで私はグループホームをこういう地域に作り、仕事をどんどん出すようにするよう提案する。仕事はどうするかという課題だが、こういう場所にこそ、政府とJA、イオン・セブン&アイグループなどが主導的になって農場を開設すべきではないか。
対象者はひきこもり、障がい当事者、漫画喫茶生活者、DV被害者、刑期満了者、シングルマザーなどにする。例えばイオンが彼らを雇ってロジスティックセンターの労働者として働くこともあっていい。
政治は生活者の視線を明らかに忘れているのではないか。だから厳しく批判されるのだ。ピケティブームはその歪をいみじくも暴き立てたのである。
2016年4月12日火曜日
「悪貨は良貨を駆逐する」(トーマス・グレシャム)
今回は最近のメディアにはびこる困った傾向を取り上げる。
「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉がある。これは金本位制の経済学の法則の一つ「グレシャムの法則」の代表的なものである。貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通するという法則である。この名称は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャム(1519年-1579年)が、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来する。これを19世紀イギリスの経済学者ヘンリー・マクロード (1821年–1902年) が自著 『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し 『グレシャムの法則』 と命名、以後この名称で呼ばれるようになった。
最近のメディアはまさにこの言葉がズバッとあてはまる。悪質な刺激を追いかけるあまり、基本をいつのまにか忘れている。
「グレシャムの法則」に当てはめてみよう。
概説
たとえば、銀を少なくし金をふんだんに使って含有量を多くした金貨と、同じ直径だが銀を多く使ったため金含有量が少ない金貨の二種類が、同じ額面で同時に流通したとする。この二種類には、国や有力機関が保証している点で額面価値は同じであっても、貴金属含有量としての実質価値は違うため、二重の価値差が生じる。仮に、金を多く含む方を良貨、金を少なく含む方を悪貨と呼ぶ。
すると、人々は良貨を手元に置いておき、日々の支払いには悪貨を用いる傾向が生じる。なぜならば国が保証している点で両者の価値は同等であるが、そうなれば実質価値が高く、有事の際には物々交換においても有利な良貨は手放したくなくなり、日々の支払いには実質価値が低く、その差を国が補償している悪貨で間に合わせておこうと考えるからである。
グレシャムの法則は主に金本位制経済時代の、金貨や銀貨などそれ自体に価値のある貨幣に当てはまり、現代の管理通貨制度に基づく紙幣など、貨幣額面より大きく安い価値の信用貨幣の場合は、インフレによる減価など違う意味に使われ、本来の金含有量の意味はほとんど当てはまらない。また、国家による鋳造減少と私鋳銭による鐚銭が横行して撰銭が行われた中世の東アジア地域に関してもこの法則に当てはまるかどうかの議論が行われていたが、近年では精銭と鐚銭との間に使用目的に応じた役割分担が存在しており、両者は一定の相場のもとで共存していたとする説が有力とされ、この原則には当てはまらないとする考えが出されている。
これが日本のメディアではこうなる。
最近の「日本万歳番組」はまさにその典型例で、外国人を使ってわざわざ日本を褒め上げることばかりやっている。私は「逆命利君、謂之忠(命に逆らっても君を利す、之を忠 と謂う)」という言葉を用いてこの種の動きを嫌っている。この言葉の意味とは、「本当の忠義とは、上司や主君の命令、たとえ国家の命令であっても、それが主家のため国家のためにならなければ敢えて逆らうべきだ」ということなのである。これを守っていたのが久米宏氏であり、植草一秀氏であり、筑紫哲也氏であり、佐高信氏である。
その対極にあるのが、「従命病君、為之諛(命に従いて君を病ましむる、之を諛と為す)」という言葉で、「「諛」とはへつらうこと。へつらって命令に従うのは、主君を病ましめ、国家を腐敗に導く」という意味である。古舘某や爆笑問題のメンバーはみんなこの種の病に陥っている。まさしく、痛い奴らである。こういう奴らの番組ばかりが増えて、考える力を養う番組は殆どなくなったと言っていい。
歴史
グレシャムの法則にみられるような現象自体は、グレシャム以前の古くから各地で知られていた。
古代ギリシアの劇作家アリストパネスは、自作の登場人物に 「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」 という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放(オストラシズム)を批判している。
天文学者として知られるニコラウス・コペルニクスは、グレシャムの進言に先駆けて 『貨幣鋳造の方法』(1528年)において同様の説を唱えていた。
時代はグレシャムより下るが、日本の江戸時代中期の思想家三浦梅園も、自著 『価原』(1773年)の中で「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」という説を独立して唱えている。この時期すなわち明和9年(1772年)から発行された、南鐐二朱判は一両当りの含有銀量が21.6匁であり、同時期に流通していた元文丁銀の一両当り27.6匁と比較して不足している悪貨であった。このことが南鐐二朱判を広く流通させ、このような計数銀貨が次第に秤量銀貨である丁銀を駆逐していった一因でもある。
これより前の、元禄8年(1695年)に行われた品位低下を伴う元禄の改鋳後に、良質の慶長金銀は退蔵され、品位の劣る元禄金銀のみが流通したことも典型的な例である。
これが日本のメデイアではこうなる。
税金を悪用した不正接待により、印象操作が用意になってしまう。政府への建設的な批判がいつの間にか政府の応援団になってしまう。これが民主主義国家にとってはあるまじき行為であることは明快なのである。
そして、そのことに気が付かない人達はいつの間にか奴隷になってしまう。
用法
「悪貨が良貨を駆逐する」 という言葉は、前述のアリストパネスの例のように悪人がはびこるような治安の悪い状態や、軽佻浮薄な文化が流行するような場合を指すときに、「憎まれっ子世にはばかる」等よりも意味が分かりやすいためよく引き合いに出される。 そもそもここでいう良貨悪貨の良悪は貨幣の質の良悪であり人物の質の良悪ではないため、上述のような用法はその点を混同しており転義的だが、主流や流行を非難する際に便利な言葉なので本来の意義を離れてあえてよく用いられる。
※用法などについては、Wikipedia日本語版を引用。
日本はこのままでは一億総奴隷国家になってしまう。
そんなことでいいとは私には思えない。
「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉がある。これは金本位制の経済学の法則の一つ「グレシャムの法則」の代表的なものである。貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通するという法則である。この名称は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャム(1519年-1579年)が、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来する。これを19世紀イギリスの経済学者ヘンリー・マクロード (1821年–1902年) が自著 『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し 『グレシャムの法則』 と命名、以後この名称で呼ばれるようになった。
最近のメディアはまさにこの言葉がズバッとあてはまる。悪質な刺激を追いかけるあまり、基本をいつのまにか忘れている。
「グレシャムの法則」に当てはめてみよう。
概説
たとえば、銀を少なくし金をふんだんに使って含有量を多くした金貨と、同じ直径だが銀を多く使ったため金含有量が少ない金貨の二種類が、同じ額面で同時に流通したとする。この二種類には、国や有力機関が保証している点で額面価値は同じであっても、貴金属含有量としての実質価値は違うため、二重の価値差が生じる。仮に、金を多く含む方を良貨、金を少なく含む方を悪貨と呼ぶ。
すると、人々は良貨を手元に置いておき、日々の支払いには悪貨を用いる傾向が生じる。なぜならば国が保証している点で両者の価値は同等であるが、そうなれば実質価値が高く、有事の際には物々交換においても有利な良貨は手放したくなくなり、日々の支払いには実質価値が低く、その差を国が補償している悪貨で間に合わせておこうと考えるからである。
グレシャムの法則は主に金本位制経済時代の、金貨や銀貨などそれ自体に価値のある貨幣に当てはまり、現代の管理通貨制度に基づく紙幣など、貨幣額面より大きく安い価値の信用貨幣の場合は、インフレによる減価など違う意味に使われ、本来の金含有量の意味はほとんど当てはまらない。また、国家による鋳造減少と私鋳銭による鐚銭が横行して撰銭が行われた中世の東アジア地域に関してもこの法則に当てはまるかどうかの議論が行われていたが、近年では精銭と鐚銭との間に使用目的に応じた役割分担が存在しており、両者は一定の相場のもとで共存していたとする説が有力とされ、この原則には当てはまらないとする考えが出されている。
これが日本のメディアではこうなる。
最近の「日本万歳番組」はまさにその典型例で、外国人を使ってわざわざ日本を褒め上げることばかりやっている。私は「逆命利君、謂之忠(命に逆らっても君を利す、之を忠 と謂う)」という言葉を用いてこの種の動きを嫌っている。この言葉の意味とは、「本当の忠義とは、上司や主君の命令、たとえ国家の命令であっても、それが主家のため国家のためにならなければ敢えて逆らうべきだ」ということなのである。これを守っていたのが久米宏氏であり、植草一秀氏であり、筑紫哲也氏であり、佐高信氏である。
その対極にあるのが、「従命病君、為之諛(命に従いて君を病ましむる、之を諛と為す)」という言葉で、「「諛」とはへつらうこと。へつらって命令に従うのは、主君を病ましめ、国家を腐敗に導く」という意味である。古舘某や爆笑問題のメンバーはみんなこの種の病に陥っている。まさしく、痛い奴らである。こういう奴らの番組ばかりが増えて、考える力を養う番組は殆どなくなったと言っていい。
歴史
グレシャムの法則にみられるような現象自体は、グレシャム以前の古くから各地で知られていた。
古代ギリシアの劇作家アリストパネスは、自作の登場人物に 「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」 という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放(オストラシズム)を批判している。
天文学者として知られるニコラウス・コペルニクスは、グレシャムの進言に先駆けて 『貨幣鋳造の方法』(1528年)において同様の説を唱えていた。
時代はグレシャムより下るが、日本の江戸時代中期の思想家三浦梅園も、自著 『価原』(1773年)の中で「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」という説を独立して唱えている。この時期すなわち明和9年(1772年)から発行された、南鐐二朱判は一両当りの含有銀量が21.6匁であり、同時期に流通していた元文丁銀の一両当り27.6匁と比較して不足している悪貨であった。このことが南鐐二朱判を広く流通させ、このような計数銀貨が次第に秤量銀貨である丁銀を駆逐していった一因でもある。
これより前の、元禄8年(1695年)に行われた品位低下を伴う元禄の改鋳後に、良質の慶長金銀は退蔵され、品位の劣る元禄金銀のみが流通したことも典型的な例である。
これが日本のメデイアではこうなる。
税金を悪用した不正接待により、印象操作が用意になってしまう。政府への建設的な批判がいつの間にか政府の応援団になってしまう。これが民主主義国家にとってはあるまじき行為であることは明快なのである。
そして、そのことに気が付かない人達はいつの間にか奴隷になってしまう。
用法
「悪貨が良貨を駆逐する」 という言葉は、前述のアリストパネスの例のように悪人がはびこるような治安の悪い状態や、軽佻浮薄な文化が流行するような場合を指すときに、「憎まれっ子世にはばかる」等よりも意味が分かりやすいためよく引き合いに出される。 そもそもここでいう良貨悪貨の良悪は貨幣の質の良悪であり人物の質の良悪ではないため、上述のような用法はその点を混同しており転義的だが、主流や流行を非難する際に便利な言葉なので本来の意義を離れてあえてよく用いられる。
※用法などについては、Wikipedia日本語版を引用。
日本はこのままでは一億総奴隷国家になってしまう。
そんなことでいいとは私には思えない。
2016年4月6日水曜日
社会的自立に向けての一歩
お疲れ様です。
倉野でございます。この数か月間忙しい日々を過ごしております。
現在、様々な機関に通っておりまして、あるイベントを立ち上げる方向で動いております。そのイベントを立ち上げることで、地域活性化と同時に私はある思いを果たそうと思っております。
それは、障がい当事者と健常者の交流も行うということです。障がい当事者であっても、生活力を持った人がいるわけです。そういう人たちを生活者として認めるのはだれの目からしても当然のことなのです。
しかし、今のネットは欲望だらけです。そして、思想のパンドラの箱で暴走しているとしか言いようがないのです。それで本当にいいといえるのでしょうか。
私がブログ更新のペースを減らしているのも、精神的に疲れているというのが大きいのですが、何よりも今は忙しいというのが最大の理由です。
今はLINE他と3つを使っております。ネットというのは本当に楽ではないのです。LINE一つとっても情報がパンパン入りだすと止まらないわけです。それがいいのかもしれない時と悪い時とあるわけです。
私はTwitterをやめて正解だったと思っております。
ですが、もうそろそろ新たな再出発も時間の問題になるのかもしれません。
それでも、自分のペースでぼちぼち歩いて行こうと思っています。
みなさんも、自分のペースを保って歩きましょう。自分のペースが何よりも大切です。
しかし、自分のペースを他人に押し付けてはいけません。数年後の社会的自立をめざし、私は色々と動いております。そこで、現状についてほんの一部ではありますがお話しします。
1.就労移行支援サービスの活用
私はこのサービスを使い、2013年8月にとある企業に入社することができました。
2.地域活動支援センターの活用
市役所などの役所の障がい者関連窓口を通じて私は地域活動支援センターの存在を知りました。
そこで、「土日祝にやっている地域活動支援センターはありますか」と確認を取り、一か所無事に見つけました。
3.相談支援事業所の活用
これも市役所の障がい者関連窓口で確認を取り、土日祝に行っているサービスを見つけることができました。
そこで、これらの活用方法をそれぞれ考える必要があります。
たとえば地域活動支援センターの活用ですが、私は絶食系男子宣言をした以上、結婚しないとはっきり明言しております。就労移行支援については仕事探しに使うのが一番いいのですが、その他にも情報はいくらあってもいいということです。
地域活動支援センターについて活用する意味とは入所施設や精神科病院等における地域移行の取組と連携しつつ、地域移行に向けた支援を行うもの故に、慎重に連携をしていく必要があります。情報交換はその中で必要なのです。そして社会的自立に向けて私が視野においている地域定着支援は、入所施設や精神科病院から退所・退院した者、家族との同居から一人暮らしに移行した者、地域生活が不安定な者等に対し、地域生活を継続していくための支援を行うものなのです。私は数年後の再自立を目指しているので、どうしても使うと決めていました。
相談支援事業所についてはサービス等利用計画についての相談及び作成などの支援が必要と認められる場合に、障がい当事者(児)の自立した生活を支え、障がい当事者(児)の抱える課題の解決や適切なサービス利用に向けて、ケアマネジメントによりきめ細かく支援するものなのです。
その他にも私は市民カウンセリングも受けています。(参考は厚生労働省サイトから)
ですが、あくまでも大切なことがあるのです。
それは本人の意識なのです。アスペルガー症候群当事者にありがちなのですが、「すべては家族の遺伝子がそうなったんだ」など、他力本願のようにとらえがちになってしまうのです。私もそういうことはないとは思いませんが、生きていくのは自分です。
そして、そうした体制の確立には主治医の理解がないと進みません。主治医との充実した信頼関係をどう構築するかが問われているのです。
倉野でございます。この数か月間忙しい日々を過ごしております。
現在、様々な機関に通っておりまして、あるイベントを立ち上げる方向で動いております。そのイベントを立ち上げることで、地域活性化と同時に私はある思いを果たそうと思っております。
それは、障がい当事者と健常者の交流も行うということです。障がい当事者であっても、生活力を持った人がいるわけです。そういう人たちを生活者として認めるのはだれの目からしても当然のことなのです。
しかし、今のネットは欲望だらけです。そして、思想のパンドラの箱で暴走しているとしか言いようがないのです。それで本当にいいといえるのでしょうか。
私がブログ更新のペースを減らしているのも、精神的に疲れているというのが大きいのですが、何よりも今は忙しいというのが最大の理由です。
今はLINE他と3つを使っております。ネットというのは本当に楽ではないのです。LINE一つとっても情報がパンパン入りだすと止まらないわけです。それがいいのかもしれない時と悪い時とあるわけです。
私はTwitterをやめて正解だったと思っております。
ですが、もうそろそろ新たな再出発も時間の問題になるのかもしれません。
それでも、自分のペースでぼちぼち歩いて行こうと思っています。
みなさんも、自分のペースを保って歩きましょう。自分のペースが何よりも大切です。
しかし、自分のペースを他人に押し付けてはいけません。数年後の社会的自立をめざし、私は色々と動いております。そこで、現状についてほんの一部ではありますがお話しします。
1.就労移行支援サービスの活用
私はこのサービスを使い、2013年8月にとある企業に入社することができました。
2.地域活動支援センターの活用
市役所などの役所の障がい者関連窓口を通じて私は地域活動支援センターの存在を知りました。
そこで、「土日祝にやっている地域活動支援センターはありますか」と確認を取り、一か所無事に見つけました。
3.相談支援事業所の活用
これも市役所の障がい者関連窓口で確認を取り、土日祝に行っているサービスを見つけることができました。
そこで、これらの活用方法をそれぞれ考える必要があります。
たとえば地域活動支援センターの活用ですが、私は絶食系男子宣言をした以上、結婚しないとはっきり明言しております。就労移行支援については仕事探しに使うのが一番いいのですが、その他にも情報はいくらあってもいいということです。
地域活動支援センターについて活用する意味とは入所施設や精神科病院等における地域移行の取組と連携しつつ、地域移行に向けた支援を行うもの故に、慎重に連携をしていく必要があります。情報交換はその中で必要なのです。そして社会的自立に向けて私が視野においている地域定着支援は、入所施設や精神科病院から退所・退院した者、家族との同居から一人暮らしに移行した者、地域生活が不安定な者等に対し、地域生活を継続していくための支援を行うものなのです。私は数年後の再自立を目指しているので、どうしても使うと決めていました。
相談支援事業所についてはサービス等利用計画についての相談及び作成などの支援が必要と認められる場合に、障がい当事者(児)の自立した生活を支え、障がい当事者(児)の抱える課題の解決や適切なサービス利用に向けて、ケアマネジメントによりきめ細かく支援するものなのです。
その他にも私は市民カウンセリングも受けています。(参考は厚生労働省サイトから)
ですが、あくまでも大切なことがあるのです。
それは本人の意識なのです。アスペルガー症候群当事者にありがちなのですが、「すべては家族の遺伝子がそうなったんだ」など、他力本願のようにとらえがちになってしまうのです。私もそういうことはないとは思いませんが、生きていくのは自分です。
そして、そうした体制の確立には主治医の理解がないと進みません。主治医との充実した信頼関係をどう構築するかが問われているのです。
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