2013年9月21日土曜日

地方私鉄を守らねば日本の再生は果たせない

 今回は過去のエントリー記事を統合しまとめた記事だ。
 最近のモータリゼーション化の波で地方私鉄が廃線に追い込まれているが、経済的効果だけで廃線にしてはいけない。傲慢な経済の流れに歯止めをかける必要がある。

2011年12月11日
地方鉄道を支援しなければコミュニティは守れない
 今回は地方の私鉄について取り上げたい。

 長野県にある長野電鉄が赤字路線の屋代線を来年3月末で廃線にする。だが、それで地元住民は交通の便が悪くなり過疎化に拍車がかかると懸念している。長野電鉄木島線の廃線後 5 年で利用者が 50%となっている実態、飯山から中野の学校に通えなくなったために下宿せざるを得なくなった、病院への通院が出来ない、等の実態があるからだ。
 同じように十和田観光電鉄も来年3月末で廃止になる。これも赤字に苦しんで地元自治体に協力を要請したのだが支援を拒絶された結果だ。それでいいのだろうか。かえって過疎化に拍車をかけることになってしまう。まだしも運行本数を少なくするのは仕方がない。しかし、廃止することは交通の便を悪くする上、人口の流出を招くことになりさらには環境負荷を悪化させてしまう。すなわち自動車への移行を促すことになる。
 また、次に懸念すべきは弘南鉄道である。二路線あるがいずれも赤字経営が続いている。おそらく、十和田から7700系、7200系(いずれも元東急)を導入することになるだろう。基本的には賛成する。それで6000系(2両編成2本)、7000系(いずれも元東急)を廃車することができるからだ。

 次に、河北新報の記事を引用する。

福島交通飯坂線 原発事故で温泉客の利用急ブレーキ

 福島市の中心部と飯坂温泉を結ぶ福島交通飯坂線(通称・飯坂電車)が、福島第1原発事故で苦しんでいる。温泉街を訪れる観光客が減り、利用者数が落ち込んでいるためだ。大正時代からの歴史があり、「いいでん」と地元の人から親しまれているが、「減収が続けば、路線存続も危うい」(福島交通鉄道部)という。同社は集客を目指し、さまざまな新規サービスに取り組み始めた。
 東日本大震災で、飯坂線は停電のため2日間運転を見合わせた。3月13日午後に平常通りの運行を開始したが、原発事故の影響で観光客が激減。4月は定期券以外の一般乗車数が前年同月比で約25%減少した。
 5月以降は少しずつ回復しているものの、乗客数と運輸収入はともに前年を下回る状況だ。
 2010年度の飯坂線の経常利益は約6500万円。福島交通鉄道部の佐々木公一部長は「減収が続けば、上半期決算で鉄道部門としては何十年ぶりかの赤字になる可能性もある。大変苦しい」と説明する。
 飯坂線は1924年の開通で、福島―飯坂温泉の9.2キロが営業区間。新幹線の主要駅と温泉地を結ぶ私鉄は全国的にも珍しい。ピークの70年代には年間630万人が利用し、週末の夜は温泉街へ向かう客で混雑したという。
 10年度の利用客は約214万5500人と、近年は右肩下がりの状況で、そこに震災が追い打ちをかけた。現行車両の寿命も迫っており、福島交通は「全車両を買い替えると、20億円が必要。今のままでは自力での車両更新は難しく、路線を存続できるかどうかも不透明になる」と危機感を強める。
 飯坂線は観光客だけでなく、通勤や通学で多くの地元住民も利用している。福島市のアルバイト女性(30)は「車の運転ができないので、飯坂線は欠かせない。飯坂温泉のためにも、なくなると困る」と語る。
 福島交通は少しでも乗客を増やそうと、9月に大人1人と子ども1人が800円で一日乗り放題になる「いい電1日フリーきっぷ」を発売。飯坂温泉駅で無料で自転車を貸し出す「ももりんレンタサイクル」も始めた。
 佐々木部長は「原発事故で観光客が以前の水準に回復するのは難しいが、手をこまぬいているわけにはいかない。何とか生き残るために、一人でも多く乗ってもらえるよう努めたい」と話している。
2011年09月09日金曜日

 そこで、私は一畑電車の取り組みを紹介する。
 地方の過疎化や災害により赤字に苦しんでいた一畑電車は自転車の持込やファミリーパスポート制度などさまざまな経営再建案に取り組んできたが一向に効果を挙げなかった。そこで島根県は2011年7月1日、2011年度から2020年度までの一畑電車への支援事業計画を明らかにした。県は沿線の出雲市・松江市とともに、国の補助金を含めて2011年度から10年間で約59億円を投じて老朽化した車両の更新や線路などの施設改良を行うと共に、年間利用客数140万人台の維持を目指している。
 この決断こそ、民主党政権は支援すべきではないのだろうか。私は老朽化した車両の代替車両に東急8090系および8590系の中間車を先頭車化し、VVVFインバータ化とワンマン運転対応工事をすればいいと思う。8090系は現在秩父鉄道にどんどん譲渡されており、余剰中間車は廃車されているのが現実だ(東急9000系も中間車がそのような現実になっている)。
 幸いにして東急には先頭車化できるノウハウがある。福島交通にも是非、9000系を中間車8両確保した上で先頭車・ワンマン化して譲渡していただきたいし、同じことは一畑電車にも言えるし、弘南鉄道にもいえる。また、弘南鉄道6000系についてはさよなら運転がされても現役なので、銚子電鉄に譲渡した上で750V化降圧工事、制御装置の交換、足回りの整備、バスの部品を活用したワンマン化工事、方向表示幕の改良でまだまだ使える(もっとも老朽化がひどかったら話は別だが)。
 地方鉄道を改良しない限り、地域は活性化しない。目先のコスト削減はやめるべきだろう。
*ちなみに車両限界も視野に入れる必要はあります。福島交通線の場合は18mが限界のようです。

地域経済、そしてネットワーク(小野哲)

2009/12/13 05:21

 銚子電鉄に伊予鉄道から旧京王2010系(伊予鉄800系)が譲渡されており、現在バリアフリー、ワンマン工事など改造工事が行われている。
 因みにこの車両には京王電鉄や伊予鉄の運転手が中心になり出資したことで銚子電鉄に購入費用が得られて購入できた。というのは銚子電鉄は前社長の運転資金横領がきっかけで経営危機に陥ったからだ。しかも銚子市は支援に消極的だった。一時期京王井の頭線で走っている3000系の購入も検討されたが改造工事に多額の費用がかかるとわかり断念した経緯がある。
 そこで、銚子電鉄のような中小私鉄を活性化させるアイデアを考えてみたい。それは、二酸化炭素対策として、トラック輸送の50%を鉄道路線に振り分けるようにするのである。例えば銚子電鉄で言ってしまえば郵便物の輸送に活用する。貨物運輸だけでは厳しいので、住民が利用する場合は今までの半額の運賃にしてしまうのだ。
 そうすると、自動車から公共機関への人の流れが再び戻る。元々、鉄道は貨物輸送の一手段として誕生したのだ。その機能を回復させることが必要だ。ディーゼル車が地方の私鉄には多いが、最近実験段階で蓄電池で走る電車が誕生している。それを実用化を前提に実験することで、地方の鉄道は活性化される(無論実用化後はディーゼル車の営業を5年程度で禁止することが必要)。
 自動車から鉄道や自転車、バスに人の流れを変える事で鳩山内閣が提唱している二酸化炭素の25%削減は実現に向けて一気に加速する。太陽光発電、LED電球、鉄道の電化は二酸化炭素の25%削減には不可欠だ。更に、24時間営業の規制も必要になる。
 コンビニエンスストアが24時間営業する必要性も、ない。ドン・キホーテやジャスコなどの大手流通業の24時間営業だって不要だ。24時間営業が必要なのは病院だけだ。人の動きを原則として昼間にすることが、地球の持続的繁栄には必要不可欠なのだ。

 もう一つ言わせていただきたい。Googleが日本語変換ソフトを無料で配布している。
 こうした流れは、マイクロソフトやジャストシステムなどの既存の勢力にビジネス形態の変革を促している。私自身はオープンオフィスというフリーのオフィス統合ソフトを使っているが、ワードなどと比べて不便を感じていない。更にGoogleはネットブック向けにフリーのOSまで開発している。
 ネットワークが発達することで、24時間営業形態の企業はその存在意義を失ってきている。若い人の本離れにしても、必要な情報がネットワークにあるので読む必要が薄れているのにすぎない。
 だが、地域に根ざした存在になってしまえばこうした流れとは関係なく繁栄できる。そこに私は鉄道の生き残りの鍵があると見ている。

提言・省エネに関する我が提案(小野哲)

2011/05/08 14:21

中部電力の浜岡原発一時停止要請のニュースについて。
 私はこれで菅違い直人政権の評価を良くしようとは思わない。一時停止というのがくせ者であり、本来ならアメリカのマスキー法も顔負けの省エネ法(今の省エネ家電でトップクラスの商品よりも、2年以内に50%消費電力を減らすよう義務付ける、排気ガスの大幅削減義務付け、それにともなう過剰な人員をワークシェアリングや介護関連などの他業種に移行させていく)の導入が欠かせない。
 大型商業施設の営業時間を1時間減らす、コンビニエンスストアの営業時間の短縮(これによって売上金強盗などの犯罪を抑制する事も出来る)、大型商業施設及び大企業への自家発電設備導入の義務付け及び売電事業への参入、パチンコ施設の営業規制強化、自動販売機規制強化など、まだまだアイデアはあるわけだ。そうしたプランが示されないのだから、オマヌケそのものだ。また、大型商業施設の過剰な開発に規制をかける時期が来ている。それだけ潰れた他の商業施設に耐震補強工事をして入居するか地元の商店街に自社ブランドを貸して商品を提供するなどすればいい。
 ネットではスターリン仙谷をリアルパルパティーン(スターウォーズの悪役)と言っていたが、ここまで無能とは唖然呆然だ(恐らくパルパティーン本人ですらも呆れて匙を投げるだろうし、ヨーダやアナキン、ルーク、オビワン、ハン・ソロですらも気絶請負であろう)。また、必要でもない箇所に無理矢理需要を作り出してきたツケ(井上先生のブログで指摘されていたことでもあるが)が産業界を覆いつくしている。
 まず、当面は火力に頼るしかないが、私は寂れた温泉街の源泉を利用した地熱発電の導入(これについてはこの前拙コラムで指摘している)と牛・豚の廃棄物や下水道の汚泥を集めたメタンガスによるガスタービン発電(その牛や豚の肥料には水溶栽培で出てきたクズなどの廃棄物を転用する)、マイクロ水力発電の導入を求めている。風力発電は太陽電池共々これから改善が進むので、特に言及はしない。
 また、これを機会に電気消費に歯止めをかけるため、電気に税金をかけるのはどうか。免税されるとすれば、自前で発電設備を持っている人にするのが基本だが(ただし大企業や資産家は免税措置はない)、同時に格安かつ環境に優しい発電設備の開発(マイクロ水力発電が有力)は欠かせない。大学の研究でも、格安で太陽電池の開発が進んでいる。
 そうした技術を中小企業に無償で提供し、製造につなげるよう協力して(そのかわり派遣・請負による雇用は認めない)、地域経済の振興につなげるべきだろう。ジミントー時代はこの10年近く、失政の連続だった。無能の小渕恵三の失態に始まり、デブ森、ヒトラー小泉、ムッソリーニ安倍、フーバー福田、アホータローと政治家が小物ばっかりだった。橋本龍太郎がマトモに見えること自体が異常なのだ。
 その失政をどうやって取り戻すのか。経済は民衆がつくっていくものなのだという基本に立ち戻るべきだ。電車についても、今はインバータ制御による省エネ車両が増えてきている。その車両が最近では三重県の伊賀鉄道(近鉄と地元自治体のジョイント企業)や長野県の上田電鉄、青森県の十和田観光鉄道に譲渡されている。廃車に高い税金をかけて、それだけ修繕したり運転のシステムを改造すればお得に持って行くアイデアなど、やれば出来る。大阪の南海電鉄や西武鉄道では、積極的に制御装置の更新を行っている。それでも、どうしてもというならアジアの私鉄も含めて譲渡するなどして廃車税を軽減出来るようにすれば、目の色を変える。
 逆に、大手私鉄同士で譲渡の話があればいい。JR東日本が保有している203系なんか、アルミ車体なので足回りを変えたり車内を改修すれば今だに現役だろう。それがインドネシアに移籍するというのだから、実にもったいない話ではないか。銚子電鉄で走っている車両は40年前に出来て未だに現役だ。それを何と思うのか(後は制御装置をインバータに変えるといいのだが赤字経営なので難しい)。
 また、家電のうち例えばミニコンポ、22インチ以上の液晶テレビなどのハイクラスのものには税金をかけて、修理を奨めるようにする。修理には格安の税金で処せばいい。更に、家電の企画を統一して省エネ部品を開発しやすくするといい。
 ただ、これはほんの一部の私案である。新自由主義とかという机上の空論を満足させたいがための復興会議にデカイ面をさせるなと言いたい。


 苦言が何点かある。
 『***すればフィギュアがよくなる(口にするのも下品なので伏せ字にしておきます)』と浅田真央選手にほざいたラサール石井へ。はっきり言って、忘れ去られたお坊ちゃまが目立ちたい一心でほざいた戯言を私は相手にしない。さっさと芸能界から足を洗いなさい。
 また、沖縄県民を侮辱する暴言をはきながら否定しているケビン・メアに。日本人の心があるなら、今すぐ潔く暴言した事を認めて謝罪し、反省の姿勢を示しなさい。嘘をついていることは周囲の証人がいるので悪あがきだ。沖縄県の心ある民は反省が本物なら、どこかのアンクル・サムと違って許してくれる。そうして、伊波洋一正統沖縄県知事か、太田昌英前沖縄県知事か、植草一秀氏の弟子になり、出直しなさい。そうすれば、反省は本気とわかるかもしれない。
 沖縄県の民は同じアメリカ人なら、ビル・トッテン氏を受け入れる。トッテン氏はアメリカの搾取を厳しく批判し、フェアな日本を取り戻せと訴えている極めてこころある経営者である。メアはトッテン氏から学ぶべきでもある。


http://www.city.nagano.nagano.jp/upload/1/matsushiro_kyougikaidayori20110915.pdf

一畑電車 支援計画 概要
http://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1313027008953/files/P1.pdf

2012年05月13日
消えた鉄路 名鉄岐阜市内線の場合
 今回取り上げる新シリーズはかつての鉄道で廃線に追い込まれた企業を取り上げる。
 その弊害は深刻なものばかりである。最初にそのことを述べる。

 
 岐阜市内線は、岐阜駅前駅から忠節駅まで、および徹明町駅から長良北町駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の軌道線。全線が岐阜県岐阜市内を走行していた。2005年4月1日に全線が廃止された。
 2004年に名鉄は岐阜市内線ならびに揖斐線・美濃町線・田神線について3月に軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を提出した。だが、地元の市民の反対は根強かった。岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なった他継続に対して署名運動が行われ、岐阜市内線・揖斐線・美濃町線の周辺地域から、7万人強の署名が集まり提出されている。
 また沿線の自治会連絡協議会や沿線高校からも鉄道存続の陳情や要望がなされていた。これら要望を受ける形で岡山電気軌道(後に南海電気鉄道貴志川線を継承した和歌山電鐵設立に関連して、資金・運営両面において支援を行った実績を有する事業者)のほか、フランスからもコネックス(CONNEX - 現在のヴェオリア・トランスポール社)が支援検討を表明・打診した。
 これらをなぜ活用しなかったのか。私は本当に疑問を感じる。更に当時の市長の支援団体の会長が名鉄系列のバス会社で代替バスを運営することになった岐阜バスの相談役と関係が密着だったというのは一体何事か。その結果は代替バスバスや運転士の確保が間に合わず、積み残しの発生やそれを避けた利用者の自家用車利用による道路渋滞により運行遅延が生じ、40 - 44%の鉄道利用者が公共交通離れを起こした。
 その結果は過去の朝日新聞でこのようなつけになって出てきている。

(参照 朝日新聞2005年9月23日付朝刊23面)
「自転車高校生に警鐘 廃線影響で通学利用者急増/マナー悪い? 1~7月、けが106人(朝日新聞)」 
 岐阜市内で自転車に乗った高校生の人身事故が増えている。1~7月は106人がけがをした。死者1人が出た前年に比べると、今年は死者はいないものの、けが人は同じ時期より14人増えた。路面電車廃止で自転車通学が増えた高校もあり、秋の交通安全運動に絡んで岐阜北署がポスターを配布するなど、注意を促している。 (高木文子)
▽岐阜北署 ポスター600枚を配布▽
 県警によると、自転車の事故は、交差点で車と出会い頭にぶつかるケースが目立つ。自動車が車道の動きに気を取られ、歩道の自転車を見落としがちになるためという。特に自転車が道路右側の車線を走っていると、気づかれにくい。
 「夜の無灯火、信号無視、話をしながら並列で走るなど、自転車に乗っている人のマナーが悪いケースが目立つ」(岐阜中署・種子島晃彦交通1課長)。
 岐阜北署の所暁道・交通課交通総務係長も「急いでいる人が多いためか、朝の通学時間帯に事故が多い」と指摘する。
 岐阜市大縄場3丁目の県立岐阜高校では、春以降、通学に自転車を使う生徒が急増。4月初めの時点と9月中旬の時点を比べると198人増え、計878人になった。それに伴って生徒の交通事故も増え、今年度はこれまでに18件と、昨年4~9月より7件多い。
 「笠松、各務原方面の生徒がJR岐阜、名鉄岐阜駅から自転車に乗り換えるようになった。名鉄岐阜市内線が廃止された影響らしい」と同校の溝際佳典教諭。代替バスを利用していた生徒が「満員で乗れずに遅刻した」と自転車に切り替えるケースもあったという。
 同校は、生徒が事故に遭った「危険箇所」を地図に示してある。新しく自転車通学にする生徒には、通学路と照らし合わせて確認させる。
 溝際教諭は毎年1回、頭に小型ビデオをつけて乗用車を運転し撮影。運転手が運転中どんなところに目線を向けているかを生徒に見せている。「交差点で止まった際、車の運転者は車道の動きに注意を向けて、歩道を走ってきた自転車には目を向けているようで実は見ていない。自転車側でこういう点に注意しないと、なかなか事故は減らない」と話す。
 こうした状況を受け、岐阜北署は管内の7高校に「自転車事故多発」と書いたポスターを計600枚配布した。
 岐阜市長良西後町の県立長良高校では、生徒らが配布されたポスターを教室に張って回った。
 掲示作業にあたった井上直樹さん(2年)は「自分もつい、自転車で友だちと話しながら広がって走ることがある。事故が増えた数字を聞くと、自分のこととしてとらえやすい」と話した。

 目先の赤字という考えで見るから、おかしくなる。
 私は生活が出来る範囲の給与と路線の維持コストを反映した運賃なら電車を使う。故に鉄道などの公共財を株式会社ではなく、生協型株式会社に転換し、非上場で通すべきだと考える。生協型法人にする代わり、法人税をやや安くし、それだけ正規雇用でやってもらう、金融機関と一定の合意は必要だが融資の返済をある程度猶予するなどの柔軟性はあっていいと思う(ただ、財務の専門家は必ず入れることが条件だが)。
 今までの公共財を利益財にしてきた考え方が間違っているのだ。公共財のあり方を今こそ私たちは考える必要がある。

2012年05月13日
消えた鉄路 三木鉄道の場合
 今回取り上げる廃線は三木鉄道である。
 三木線(みきせん)は、兵庫県加古川市の厄神駅から兵庫県三木市の三木駅までを結んでいた三木鉄道の鉄道路線である。2008年4月1日に廃止された。美嚢川沿いの田園地帯を走り、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線と金物の町三木を結んでいた。元々の開業意図が貨物輸送であり、当時の物流ルートであった美嚢川の舟運を代替する目的で加古川・高砂へ向かって線路が敷かれたため、歴史的な人的交流ルートとズレがあり、1916年の開業当初から旅客輸送は僅少であった。
 1937年に現在の神戸電鉄粟生線が開業すると京阪神方面への旅客流動はさらに減り、戦後の貨物輸送廃止後はジリ貧となっていた。このため1968年には赤字83線に選定され、また1981年に第一次特定地方交通線に指定され、1985年に三木鉄道へと転換された。しかし、転換前は加古川への直通列車が主体であったが、転換後は加古川への直通列車もなくなったために一層乗客が減少するという厳しい状況が続いていた。
 三木鉄道は長らく保有車両が2両と旅客鉄道会社では日本最少であったが1998年末に1両増備されたため最少ではなくなった。営業距離も第三セクター鉄道では最短であったが2002年開業の芝山鉄道にその座を譲った。経営改善を狙い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が開発中の線路と道路の両方を走れるデュアル・モード・ビークル (DMV) を導入して、三木線の終点三木駅から約800m離れている神戸電鉄三木駅の間を直通することも検討していたが、2006年に三木市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約に掲げ当選した薮本吉秀市長が2007年3月1日の市議会で全線の廃止を正式決定し、早ければ2007年度中に廃線とする方針を表明した。4月26日には三木鉄道の取締役会でも廃線が決定された。
 7月23日、市長が廃止届けを提出し、2008年4月1日に廃止する予定を表明した。
Wikipedia日本語版より

 しかし、廃線してしまったことでとんでもないことが起きている。
 『三木鉄道代替バス 市、赤字解消に腐心』として神戸新聞の2009年11月12日号つけの記事によるとこうなっている。

 2008年3月末で廃線になった三木鉄道に代わり、同4月から導入された神姫バスによる代替バスが、多額の赤字に悩まされている。加古川市などと分担して補填する赤字額は、08年4~9月で約2000万円。三木市は当初、国の補助路線に認められれば、市の負担額は年間500万円程度になるとみていたが、半年間だけで2倍超の約1200万円を支出。負担額が想定より大幅に膨らむのは確実だ。
 国と県の補助額は、平均乗客数を運賃で計算した「平均乗車密度」が5・0以上なら満額支給されるが、運行開始後の08年4~9月の平均乗車密度は1・5に。補助額は満額の約3分の1の240万円に止まり、市の負担額が膨らむことになった。
 (以上、神戸新聞のサイトから引用:元記事 ⇒ 三木鉄道代替バス 市、赤字解消に腐心 )

 私なら、DMV実験線として、存続させることを提案する。つまり、実験を主に行い、鉄道としての機能はついでに残すという形だ。ただ、DMVだけではいけないので、私はトラック版のDMVの開発も提案したい。要するに貨車の機能を組み込んだバスで線路の上を走るものだ。
 こうした実験をぜひともトヨタ自動車や日産自動車、マツダ、いすゞ自動車、日野自動車や三菱ふそうトラックはやってほしい。そうすることで地方の疲弊した第三セクターの経営活性化につながるからだ。同じように鉄道車両製造メーカーにもお願いしたい、今、地方の疲弊した電化私鉄を経営再建させるには充電式電車の開発を行うべきだ。そこで、JR東日本の子会社になった総合車両製作所(旧東急車輛)や近畿車輛、日本車輌製造、日立製作所にはぜひとも廃線になった長野電鉄屋代線や十和田観光電鉄線を実験線として活用願いたい。そうして、旅客業務も行いつつ試験線として積極的に活用すればいい。
 鉄道路線は要するに公共財にすぎない。何度でも私は繰り返す。JR東日本やJR九州の専売特許に充電式電車をさせておくのはもったいないではないか。

2012年05月15日
消えた鉄路 長野電鉄河東線の場合
 今回取り上げるのは長野電鉄河東線(かとうせん)である。
 長野県更埴市(2003年から千曲市)の屋代駅から、同県須坂市の須坂駅、同県中野市の信州中野駅を経由して同県飯山市の木島駅までを結んでいた長野電鉄の鉄道路線で信州中野から木島までが2002年4月1日に、屋代から須坂が2012年4月1日に廃止された。
 だが、深刻な悪影響が明らかになっている。松代地区住民自治協議会のサイトより引用する。

鉄路を考える住民集会が開催されました!
 去る2011年8月29日(月)18時30分より松代文化ホールにおいて『屋代線 鉄路を考える住民集会』を開催致しました。平日の夜の開催ということでありましたが、310名を超える大勢の皆様にご参加いただき、大変盛り上がった集いになりました。集会では中島松代地区住民自治協議会会長のあいさつ、綿内若穂地区住民自治協議会副会長の連帯のあいさつの後、東北大学大学院専門研究員 古平浩先生に「廃線を前によみがえった鉄道-鉄道とまちづくり-」の演題でご講演をいただきました。
 講演では全国の地方鉄道の存続に向けた取組事例、成功事例、地域の再生・活性化に果たす鉄道の役割の重要性等、今松代地区が抱えている課題に対する重要な内容でした。
 バス代替と鉄路の活用(案)の提案と経過報告は資料に基づき中島会長から行われ、その後参加者の皆さんとの質疑・意見交換を致しました。参加者からの質疑・意見交換では多くの皆様から「鉄路の活用によるディーゼル列車での再生」を求める意見が出されました。又、長野電鉄木島線の廃線後5年で利用者が50%となっている実態、飯山から中野の学校に通えなくなったために下宿せざるを得なくなった、病院への通院が出来ない、等廃線による影響の大きさについての発言もありました。
 当日参加者からのアンケート結果につきましては、紙面の都合上掲載できませんので、2011年8月31日の信濃毎日新聞、長野市民新聞を是非ご覧いただきたいと存じます。
http://www.matsushirochiku.com/train.html 一部、記事で西暦に訂正しています。

 その後、LRT(次世代型路面電車システム)を屋代線廃止後の跡地には知らせるよう長野市議会で全会一致で決議されたことをここに報告する。
 私はこれに加えて、実験線としてこの鉄道を残すべきだと指摘している。つまり、充電式電車を実験として走らせる代わりに一時間に2本旅客電車を走らせるべきだった。過疎地域にこそ、こうした実験場は打ってつけなのである。都会では時間の調整が問題だ。
 また、この廃線問題に関しては村野瀬玲奈女史が厳しく指摘している。


地方鉄道の廃線の静かな問いかけ
ジャンル : 政治・経済 スレッドテーマ : 経済
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2273.html

長野県の私鉄が廃線になるというニュースを見て思ったこと。
●信濃毎日新聞[信毎web]
「廃止」に戸惑う沿線住民 伸びぬ利用に諦めも
http://www.shinmai.co.jp/news/20110203/KT110202SJI090018000022.htm
2011年2月3日(木)
 県内でまた、私鉄の一路線が姿を消すことになった。2日、廃止してバス運行に切り替えることが決まった長野電鉄屋代線。乗客減少が廃止の理由だが、実際に乗っている人からは戸惑いが聞かれ、地域の活性化に与える影響を懸念する声も出た。ただ、路線存続には多額の公費投入が必要なため、「子どもの代まで借金を残せない」などと、廃止を受け入れる人も少なくなかった。
 「僕たちには自転車か電車しかない」。同日夕、下校後に学校近くの松代駅にいた松代中学校2年の男子(13)。この日は親の迎えを待っていたが、週3、4回は通学で屋代線松代-岩野間を利用している。通学はバスに替えるしかないが「長野(市街地)に遊びに行く時も屋代線を使っていたのに…」と戸惑っていた。
 昨年7月時点で、全校生徒約600人のうち156人が通学で屋代線を利用していた松代高校(長野市)。山下智教頭は「電車ならめったに遅れや事故がない。バスより存在感が大きい」と残念そうだった。
 屋代線の廃止問題が浮上してから、沿線地域は存続に向けて利用者を増やそうと知恵を絞ってきた。松代や若穂地区の住民自治協議会は「乗って残そう」を合言葉に屋代線を使ったミニ旅行などを企画。若穂地区住民自治協の楢本茂治事務局次長(63)は「(存続に向け)地元の雰囲気が盛り上がってきたのを感じていた。これからという時だったのに残念」。「廃止で過疎に拍車がかかるのではないか」との懸念も口にした。
 ただ、長期にわたって乗客の少なさを目にしてきた各駅周辺の住民には諦めも。長野市の象山口駅(無人駅)近くの工場経営者の男性(79)は「自分で車を運転できる。(廃止されても)そんなに影響はない」。岩野駅(同)近くに住む60代の自営業男性は「今の(利用者数で)屋代線を存続するというのは、時代に逆行している」と冷静に話した。
(転載ここまで)

 この長野電鉄屋代線は私鉄として存続してきました。長野電鉄屋代線は、1987年の国鉄分割民営化にともなって第三セクター化された元・国鉄(現・JR)の路線ではなくて、もともと私鉄ではありますが、こういう交通機関は、不特定多数の人が使うという意味で、高度な公共的な役割を持っています。公共のための役割を持つ交通機関が経済的理由でこのように廃止されるということは、「この地方は住みにくいぞ」という宣言とほとんど同じインパクトを結果として持ってしまいます。たとえ、バスや自家用車や自転車があってもです。
 代替交通機関が公共バスならまだしも、自家用車など自前の交通手段は、結局公共部門の縮小と自己負担の増加という方向にほかなりません。今は車を持っている人や車を持っている世代がそこに生活しているとしても、この廃線によって、車を持たない人には生活上の困難が増します。いえ、車を持っていたって、いつも車を使える場合ばかりではないでしょう。そもそも、今のままの政治が続く限り、将来は貧富の差がさらに拡大する危険性が高いですから、車を持てる経済力がなくなる人も増えるでしょう。そうであれば、住みにくさはますますすすみ、過疎化がますます進むでしょう。
 公共的な社会的インフラを公共の力で支えるのではなくて営利の私企業にゆだねる、あるいは自己負担にゆだねるということは、そういう格差拡大と暮らしにくさをますます促進することになります。私企業は採算がとれなければ撤退するしかありませんから。
 国や地方自治体を介して公共の力でささえるべき社会的インフラを民営にまかせることは知らず知らずのうちに社会を破壊し、衰退させるのだと思います。そのことを示すプロセスの一つがこの廃線だと思いました。
 公共交通機関の切り捨ては、そこに住む人々の暮らしを見捨てる道の一里塚です。
 「たとえ公営であっても赤字なら撤退するしかない」という人もいるでしょう。その意見に全く理がないとは言いません。だけど、公営であれば、納税者・有権者がその経営方針の意思決定に議会や納税を通じて関与することになりますから、よほど大赤字なら別ですが、どこまでなら税の注入という形で支えられるか、納税者・有権者をまじえたそういう議論も可能です。もともとその鉄道が敷かれた当初は乗客や需要が十分あったのに、時代の流れ、産業の移り変わりなどでゆっくりと乗客が減っていったとしたら、いずれにしてもそれは地域全体の問題として地域住民全員で考えることになりますから。
 もともとは日本国有鉄道(国鉄)であり、1987年に分割民営化された、日本最大の鉄道網を持つJRグループにも似たようなことが言えます。JRグループ、あるいはJR各社はもうかる路線だけを持ち続け、もうかる仕事だけをやり、そこであがった利益は私企業としてのJRグループに独占されます。その利益は利用者や公共に十分に還元されていると言えるのでしょうか。「私企業なんだ、利益を自分のものとして何が悪い」とJRの経営陣は言うかもしれませんが、歴史的にいえば、もともとJRは国有企業でした。JRは現経営陣の資本力だけで作った会社ではないのです。もともとは国民全体のものだったのです。営利優先の私企業JRとして「私物化」されるべきではなかったのです。
 日本全体に公共交通網が張り巡らされていれば、赤字のところもあれば黒字のところもあります。それはやむをえないことです。だけど、そのような公共交通機関は黒字を出して利益をため込むことが目的なのではなく、あまねく人々の足となることが目的のはずです。日本全体で収支が合えばいいはずであり、日本全体で日本全体を支える、それが公共交通機関の担うべき役割のはずです。
 歴史をひもときながら、鉄道の民営化というのは、そのように貧富の差や地方ごとのインフラの差を拡大する時限爆弾のような装置であると思います。そして、福祉や社会保障や教育や医療などの公共性の高い部門の民営化についても同じことが言えると思います。
 一地方での一つの私鉄の廃線ですが、そのことには、地方の鉄道を廃線にしてきたJRグループまで含めて、日本全体で共有すべき問いが含まれているのではないでしょうか。私には、この信濃毎日新聞の記事からそういう問いかけが聞こえました。
 この長野電鉄屋代線の廃止について言えば、あとは、代替のバスが鉄道と同等以上の利便性を発揮すること、これ以上貧富の差や地方の過疎化が拡大せず、自動車などの私的交通手段の格差が広がらないことを祈るばかりです。

 そこで、こうしたものに関して考える際に一つの概念として公共財を取り上げたい。
 経済学ではこのようになっている。

公共財
 公共財とは,道路や法律のようにすべての人々に共同で消費または利用される財のことです.公共財は次のような性質を持っています.
非排除性:公共財を一人の消費者に提供しようとしてもそのほかの消費者も消費することができ物理的,コスト的に排除することができない.物理的に排除できない公共財の例としては街灯の明かりなど.排除費用が極めて高い公共財の例としては,道路など
非競合性:一人の人が法律を利用したからとの理由でそのほかの人が法律を利用できなくなることがないように,一人の人がいくら公共財を利用しても,そのほかの人が利用できなくなることがない.
純粋な公共財としては,一般行政サービス,国防,司法制度があります.公共財の性質を多少ゆるめると,公立病院,図書館,公園などがあります.このような財・サービスを準公共財といいます.
Copyright (C) Mamoru Imanishi
http://keizai.xrea.jp/lec/public/public03.html

 この考え方に添って言えば、欧米では「鉄道は公共財であり、また一度無くなると元に戻すことは難しいことから、赤字は基本である」(日本政策投資銀行 浅井康次)なのである。
 日本ではあくまでも利益を追求する。そこに大きな問題点がある。私はそこで、鉄道の生協型組織への転換を提言している。要するに、インフラ整備と電車の維持費用、従業員の雇用維持程度までまかなえる運賃を取り、それだけ法人として営利をほどほどにする。
 利潤を追求することはもはや時代遅れなのである。

2012年05月17日
消えた鉄路 鹿島鉄道線の場合
 石岡から鉾田の間を走っていた鹿島鉄道が2007年4月1日に廃止になってはや5年が過ぎ去ろうとしている。
 今回はこの廃線がとんでもない失敗に終わっている実態を示す。この鉄道は航空自衛隊百里基地への航空燃料貨物輸送の収入によって経営が成り立っていたが、2001年8月に燃料輸送が中止されたため深刻な経営悪化に陥った(2002年4月1日に貨物営業は廃止)。これに対し、親会社である関東鉄道の経営支援と沿線自治体と茨城県による公的支援が5年間行われることとなり、廃線の危機は一旦回避され、5年間は、経営改善5カ年計画に基づき、軌道強化、鉄道利用者向け駐車場整備、自転車を車内に持ち込める「サイクル&トレイン」の運転、65歳以上を対象とする格安定期券の発売などの施策を実施した。
 だが関東鉄道は2005年のつくばエクスプレスの開業で常総線や自社高速バスの利用者が減少し減収となったことを理由に2007年度以降の経営支援を拒否し、鹿島鉄道は2006年3月30日に鹿島鉄道線の廃止届を提出した。2006年3月末時点での累積欠損額は、約2億5500万円にのぼっていた。
 だが、沿線自治体が中心となって茨城県と沿線自治体(石岡市、玉里村(現小美玉市)、小川町(現小美玉市)、玉造町(現行方市)、鉾田町(現鉾田市))の市町村長と議会議長で組織する鹿島鉄道対策協議会による5年間で総額2億円の公的支援や2002年7月、小川高校の生徒の呼びかけで、沿線にある中学校や高等学校(全8校)の生徒が「かしてつ応援団」を結成し、署名活動を展開し、公的支援が正式決定された後も、署名運動や募金活動、さまざまな存続運動を盛んに展開した。さらには2005年11月、地元のNPO法人と沿線住民有志が「かしてつブルーバンドプロジェクト」を立ち上げ霞ヶ浦の青をイメージしたブルーバンドを1つ100円で、石岡市内や鉾田市内、小美玉市内のカスミ3店舗や駅舎で販売し、売り上げは、2006年8月の「かしてつ祭」など鹿島鉄道を盛り上げるためのイベントの運営資金などに役立てられた。2006年8月、「かしてつブルーバンドプロジェクト」などの支援団体がまとまって、住民団体「鹿島鉄道再生存続ネットワーク」が発足した。
 廃線表明後に鹿島鉄道再生存続ネットワークが「新しく株式会社霞ヶ浦市民鉄道(仮称)を設立した上、運行を岡山電気軌道に委託する形」で、また、旅行代理店のトラベルプランニングオフィスが「鉄道事業に新規参入する形」で応募した。この2事業者は、12月17日に鹿島鉄道対策協議会へのプレゼンテーションを行った。12月24日、協議会は審査の結果、「鉄道事業の免許を持っていない」「2007年度から5年間予定している支援額6億5000万円を超える負担が必要になる」「鹿島鉄道から施設の無償譲渡を受けるのが難しい」などの理由で2事業者の案は不採用とし、同線の廃止を決定した。廃止後は、関鉄グリーンバスへ代替バスの運行が行われている。

 だが、深刻な実態が待ち受けていた。
 関鉄グリーンバスが発表した2007年11月までの代替バスの利用実績は利用者の減少に歯止めがかからないものだった。茨城新聞などの報道ではこのようになっている。
・具体的には、5月の一日当たり輸送人員が876人だったのに対し、11月のそれは809人と、一割弱減少した。
・利用客減少に歯止めがかからない要因として、高校生のバス離れが挙げられる。
定期券利用の高校生が自転車や自家用車による送迎に切り替えたのが大きく響いている。
・区間別の利用実績は次のとおり。
 石岡-小川間72%(五月調査68%)
 小川-玉造間11%(同12%)
 玉造-鉾田間17%(同20%)

 そこで、バス専用道にしてしまったのだが、その事業費に約6億8000万円かかったわけである。鹿島鉄道を5年間存続させる場合(赤字補填+設備・車両更新費)の費用見込みが11億円というが、鹿島鉄道対策協議会は中古車両の導入、寄付金の受け入れなどで削減可能とし、上限として約6億5000万円を提示した。それよりも3000万円かかるとは何ということなのか。
 取り返しのつかない失態を鹿島鉄道も関東鉄道もしでかしたのである。実態はバス専用道に10億円、そこで平日に乗る乗客はわずか4-5人である。2004年にJR北海道がデュアル・モード・ビークルを開発したが、鹿島鉄道にその仕組みを導入していればよかったのである。さらにいうならば中型バスによるデュアル・モード・ビークルの開発を私は提案したい。
 定時制という意味でもこの開発は打ってつけだし、鉄道に手を加えるのは最小限だ。さらにはバスとしても活用できるのだ。これほど理に適ったものはない。今、地方は疲弊している。だが、その疲弊を疲弊のまままで終わらせるのではなく自分たちで新たなものを作り上げて変えていくべきだろう。サガン鳥栖のように、13年間も苦しみながらJ1に昇格した初年でこの時期で7位というチームのように…。

2012年05月20日
消えた鉄路 信越本線横川-軽井沢間の場合
 今回は区間廃止になった路線を取り上げる。
 長野新幹線の開業に伴いJR東日本は横川-長野間の信越本線のうち、篠ノ井-長野台田を除く横川-篠ノ井間を無理やり廃止に追い込んだ。幸いにして軽井沢-篠ノ井間は長野県が中心になって立ち上げたしなの鉄道が引き継いだがこれもずいぶんひどいやり方でJR東日本は散々搾取した。
 その実態については社長を務めていた杉野正氏のインタビューを引用する。TKCホームページより引用する。
http://www.tkc.co.jp/senkei/backnumber/0403/interview.htm

《 シリーズ経営革新(1) 》
しなの鉄道社長 杉野正氏に聞く
社員を変えれば会社は生き返る
 累積赤字25億円を抱え、1億円の債務超過に陥っていた瀕死の第3セクターを甦らせたサラリーマンがいる。田中康夫長野県知事の指名を受け、旅行代理店エイチ・アイ・エスの新規事業開発部門である開発管理室長から、しなの鉄道株式会社の社長に就任した杉野正氏(45)。わずか3ヵ月で経営を黒字基調に転換し、その1年後には1億円を超える経常黒字を達成した。この男、ただ者ではない。
 旧信越本線、軽井沢~篠ノ井間65キロメートルを結ぶしなの鉄道。1997年10月、長野新幹線の開通にともないJR東日本から譲り受ける形でスタートしたが、第3セクターゆえの無策の経営が開業以来、毎期赤字を垂れ流し、2001年度決算ではついに債務超過に陥る。加えて元県職員の社長が引責辞任し、6ヵ月以上にわたって経営者不在の異常事態が続いていた。田中康夫長野県知事の要請を受けた杉野正氏がしなの鉄道社長に就任したのは、そうしたさなかの2002年6月だった。

■社員を変えた「第3の選択肢」
――瀕死の状態にあったしなの鉄道の経営を短期間でなぜ黒字化できたのでしょう。
杉野: 理由は大きく分けて、3つあります。1つは、社員に本当の意味での危機意識を植え付けることができたこと。第2に、仕事のやり方、仕組みを大きく変えたこと。3つ目に、結果をすぐに出したこと。この3つの相乗効果が黒字化を実現させたと思っています。
 社長に就任してすぐ、社員を集めて会社の現状を説明しました。当時、しなの鉄道では100円稼ぐのに128円かかっていた。その赤字を解消する方策は2つあり、1つは売上を100円から130円に増やす増収策。もう1つは、100円稼ぐのにかかっているコストを98円に減らすコストダウン策です。当然、社員たちも承知していました。それに対して、僕は「第3の選択肢」を示した。会社をつぶすことです。会社がなくなれば、垂れ流していた28円の赤字はすぐにとまる。「会社がつぶれたら皆さん、職安に行ってくださいよ」ともいいました。
――会社がつぶれて職を失うのが嫌なら、死に物狂いで仕事に取り組んでほしいと。
杉野: そういうことです。社員の顔色が変わりましたね。僕はこの第3の選択肢を示すことで、社員にとにかく会社の実状をきちんとつかんでもらいたかったわけです。
 次の、仕事のやり方を大きく変えるということでは「仕入3割減」という具体的な目標を掲げました。そして「3割ダウンができないなら請求書に判を押さない」と宣言した。この3割削減という目標はそう簡単に達成できるものではありません。今までの延長線上のやり方ではなく、新しい仕組みなり方法を模索しない限り実現は難しいわけです。かつて円の対ドル相場が100円を割り込んだときにトヨタが新しいカンバン方式を生み出したように、当社も仕事のやり方を大きく変えないことには成功はついてこない。僕の狙いはそこにありました。
――何より第3セクターのぬるま湯的経営に慣れきっていた社員を変えなければ再建は難しい…。
杉野: ええ。それもありました。それともう一つ必要なのが、結果をすぐに出すこと。結果を出さなければ社員はついてきませんが、それもすぐに出さないといけない。なぜなら人間の辛抱は「3ヵ月」が限界だと思うからです。経営計画ではよく3年といいますが、どんなにやる気をもって仕事をしても、3年間同じ気持ちを維持できる人間は少ない。だったら3ヵ月間、苦しくても必死で突っ走る方がいい。去年の4~6月をぶっちぎりで勝って優勝を決めた阪神と同じです。選手は恐らく、星野監督はむちゃくちゃいって俺たちを殴るけど、とにかく勝ってるものなと。当社の社員の心境もそれと同じだったはずです(笑)。
――なるほど。今の3つの要因のうち、一番大きかったのは?
杉野: やはり危機意識です。社員にとってはショックだったと思いますよ。これまで会社の再建というと、どこの場合も存続ありきでやっていた。つぶさない、つぶれないということを前提にしていたわけです。ところが第3の選択肢があることを知らされた。ここで社員の意識は変わりました。もうとにかく黒字にするしかないんだと。つまりゼロからのスタートが可能になったわけです。
――第3の選択肢、つまり会社をつぶす道もあると発言することに躊躇はありませんでしたか。
杉野: それは逆です。というのも、僕にはサラリーマンの気持がわかる。中小企業では、ある朝出勤したら会社がつぶれていたというパターンが大半です。僕自身のサラリーマンとしての思いをいえば、これは辛い。山一證券にしても、社員にボーナスまで払い、新卒の採用もしていた。ところが、まさかの倒産です。何とかという社長が泣きながら「社員は何も悪くない」と訴えていましたが、そんなの当たり前です。社員なら誰もが、もっと早く知らせてくれれば頑張ったのにと思ったはずです。
――会社が傾いたら再建の可能性のあるうちに内情を社員に報告し、協力を求めるべきだと。
杉野: そうです。「社員が動揺する」と考える経営者もいるでしょうが、僕からすればその社長は甘い人だと思う。だいたい、動揺して辞める社員などもともと戦力になりません。経営者は業績の悪いときこそ会社のおかれている状況を社員にしっかり報告すべきなのです。

■お客をなめたサービス業
――「しなの鉄道20の改革メニュー」を社員の皆さんに発表されたのはいつ頃ですか。
杉野: 「第3の選択肢」は3日間に分けて合計6回、パートの方を含む全社員にお話しましたが、その効果の社内への浸透と同時に、改革メニューを発表しました。各部門から状況を聞き、僕が自分でつくりました。
――「コストダウン戦略」と「セールスアップ戦略」はわかるのですが、「イメージアップ戦略」はどういう目的で掲げたのでしょう。
杉野: 僕は以前から、サービス業である鉄道のあまりのサービスのひどさに憤慨していた。公務員と鉄道は双璧です。例えばJR東日本の首都圏を走る電車。お客さまを連日あれだけ虐げておいて、利益日本一の鉄道だと威張っている。解消の努力はしないし、彼らから申し訳ありませんという詫びの言葉も聞いたことがない。あれくらいお客をなめたサービス業はありません。
――確かに、どこがサービス業なのかと問いたいですね(笑)。
杉野: 国内を走る鉄道はJRほどでないにしても、どこも五十歩百歩です。お客さまにサービスするという心、これがほとんど欠けています。だから逆に、しなの鉄道ではそれをやらなければいけないと思ったのです。

■お客さまは今困っている!
――その象徴がトレインアテンダントの設置であるわけですね?
杉野: そうです。高齢者の乗降や荷物の積み卸しの補助をするスタッフをトレインアテンダントと呼んでいますが、今や彼らは当社の顔になっています。
――その発想はそもそも何をきっかけに生まれたのですか。
杉野: 実はしなの鉄道の各駅のホームと電車の間には最大30センチの段差があります。昔走っていた列車特急のステップに合わせた高さになっているわけです。県の関係者によれば解消するにはホームのかさ上げが必要ということなのですが、経営が軌道にのらなければそれはできないという。冗談じゃない。お客さまは今困っているわけです。ならば10年後のパーフェクトよりも、今何とかしようということで、トレインアテンダントの配置になったわけです。
――挨拶日本一をめざした研修も行ったそうですね。
杉野: ええ。鉄道には、どこかお客を乗せてあげているというところがあって、人間も何か暗い印象があった。先ほどもいったように、もっと明るく、どうしてお客さまへの感謝の思いをストレートに表現しないのかということです。
――社内だけでなく、それをお客さんに対してもやっている?
杉野: すべてのお客さまに朝は「お早うございます」、夕方には「お帰りなさいませ」、高校入試がある日には「試験を頑張ってください」という看板もだします。こちらが挨拶すれば、お客さまも必ず返してくれます。嬉しいですね。皆さん、しなの鉄道は変わったなという印象を持っていただいているはずです。地域密着の鉄道にとって、これは大きいですよ。
――なるほど。挨拶の徹底は社員の意識改革と地域へのアピールという点で、一石二鳥であったわけですね。
杉野: ええ。地域へのアピールということでは企画列車の開発もそうです。これは増収面でも効果を上げている。長野県は車の保有台数が全国2位で、皆さん車を頻繁に利用されます。そういう人たちに鉄道を利用してもらうにはどうすればいいのか、と考えたときに閃いたのが企画列車でした。列車なら死ぬほど飲んでも、誰にも怒られない(笑)。だから、最初に運行したのは地元企業とタイアップした「地ビール列車」でした。以来、温泉やら花見やらバンド演奏やら、それこそいろいろな企画で走らせています。最近は月3本程度運行していますが、切符は2時間で完売します。しなの鉄道が動くと県内のテレビクルーが動くとさえいわれています。

■毎日の実績を前年同曜日と比較
――セールスアップ戦略では売上管理を徹底して行っているそうですが、それはどういう方法でやっているのですか。
杉野: 決算がすべて済んでから数字を確認するという経営者が大半ですが、それでは遅すぎます。スピード感がない。僕の場合は毎日、18の駅ごとに前日の利用客数や売上を報告させて前年同期の同曜日の実績と比較しています。数字が落ちていたら、駅長に連絡して「何が原因しているのか」と質問を投げかけてみる。答えは必ず現場にありますからね。当然、次の打ち手も早くなるし、何より全体の流れがつかめます。これは僕の社長としての日課になっています。
――開業時に締結した契約を総点検するということも行っています。
杉野: ええ。例えばホームに設置している清涼飲料の自販機。それまではキオスクを通して設置していたので当社には3.5%のマージンしか入っていなかった。ところがメーカーと直接契約することで30%に増えました。駐車場営業料もそうです。しなの鉄道の土地を提供しているのに、何の労力も払っていないJRの子会社に40%のマージンが入る仕組みになっていた。あまりに理不尽で不平等な契約に憤慨して、担当者の前で契約書を破り捨てたこともあります。一事が万事で、駅構内のタクシーやバスの営業料、車内の中吊り広告、構内で営業する弁当屋や飲食店チェーンとの契約もすべて見直して直営化しました。
――せっかくあった利益をそれまではドブに捨てていた?
杉野: おっしゃる通りです。「儲ける」という基本概念が欠落していたとしかいいようがありません。
――それ以外にもいろいろ増収策を講じています。
杉野: ええ。ただ、それを本格化させたのは2年目に入ってからです。1年目はとにかくスリムになることを目指しました。あまりにも贅肉がついていたので、走るわけにいかなかった。つまり1年目は土台づくりと仕組みづくりに取り組み、2年目になって増収面にムチを入れたわけです。

■僕は“プロのサラリーマン”
――そのコストダウン戦略の象徴が冒頭の話に出た「仕入3割減」の目標であるわけですね?
杉野: そうです。それこそ建設費からトイレットペーパーまですべて3割引で契約するよう指示を出しました。改修工事などでも以前はゼネコンに全面委託していたが、今は資材は資材業者、工事実務は建設業者というように別個に発注しています。それと、しなの鉄道は人件費が高すぎました。そのため県からの出向者27名には県庁に帰ってもらい、定年退職者の再雇用の制度も廃止しました。
――なるほど。大鉈を振るうことで土台づくりがほぼ終わり、今は営業力強化に取り組んでいるわけですが、今期決算の見通しは?
杉野: お陰さまで上期には前年同期比11%強の増収を実現し、経常利益が1億1300万円と開業初の黒字を達成しました。通期でもこのまま推移すればぎりぎり黒字を達成すると思います。ただし今年度末には県が、しなの鉄道に対する貸付分103億円を減損処理する案を県議会に提出する予定でいます。これが実現すると通期の決算は大幅な赤字になる。しかし来期からは減価償却費が従来の5億円から1.5億円に縮小し、収益面に大きく寄与します。
――杉野さんは2年間の出向期限付きで、しなの鉄道の社長に就任されました。その期限が6月で切れます…。
杉野: ええ。県から再要請がなければ古巣のエイチ・アイ・エスに戻ることになります。ただ僕は自分を“プロのサラリーマン”だと思って仕事をしています。僕が考えるプロとは、必ず結果を出すとこと。だから高く評価してくれるところからオファーあれば、どこへでも行きます。

(インタビュー・構成/本誌・坂本茂)
〈プロフィール〉
すぎの・ただし 1958(昭和33)年東京都生まれ。神奈川大学卒。82年ユニ・チャームに入社し、91年からサウジアラビアの技術提携先へ単身出向。96年にはヘッドハンティングを受けてエイチ・アイ・エスに入社。関東営業本部本部長、開発管理室長などを経て、2002年6月しなの鉄道社長に就任。著書に『俺が黒字にしてみせる!』(かんき出版)がある。

 このやり方は悪質もはなはだしい。
 しかも、儲かる区間の篠ノ井-長野間も分離しなければならないのを不当に拒む不誠実だ。さらに驚くことなかれ、横川-軽井沢間の代行バスを運営しているのはジェイアールバス関東小諸支店で、鉄道時代は片道230円だったのが片道で460円と大幅な値上げである。
 これに怒った住民たちは廃止許可の取消を求める行政訴訟(取消訴訟)が前橋地方裁判所に起こされたが、裁判所は「(廃止の手続きを定めた)鉄道事業法は利用者個々の利益を直接保護するものではない」として原告適格を認めず、訴えを不当に却下した。その不誠実な態度は東京高等裁判所の控訴審、最高裁判所の上告審でも変わらなかった。
 だが、私は今すぐJR東日本に3つの要求を行いたい。

 1.横川-軽井沢間をJR東日本の費用で復旧させる。運営はしなの鉄道と共同で行う。
 2.余剰になった211系をVVVFインバータ制御化し、篠ノ井-長野間と一緒に無償でしなの鉄道に譲渡する事。
 3.訴訟を起こさざるを得なかった住民たちに真摯かつ全面的に謝罪し、訴訟費用を含めて全て負担すること。

 これらは最低限の要求である。
 直ちに、実行することだ。鉄道はあくまでも公共財に過ぎないのであり、利潤を求めるのは邪道だと心得ることである。

2012年05月24日
消えた鉄路 のと鉄道七尾線穴水 - 輪島間の場合
 七尾線は、石川県七尾市の七尾駅と石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅を結ぶ、のと鉄道が運営する鉄道路線である。
 だが、かつては穴水 - 輪島間があった。そこが原因でのと鉄道が赤字を抱えることになってしまった。背景にはモータリゼーションの加速による乗客減があった。そもそも、1991年の七尾線津幡駅 - 和倉温泉駅間の電化に際して、西日本旅客鉄道(JR西日本)が石川県に和倉温泉以北の路線を引き受けることを要求したために、能登線の運営を行っていたのと鉄道がその営業を引き継いだことが問題ではないか。
 つまり、最初から赤字になるのは見えていたのだ。この区間は2000年3月に廃線が決定、2001年に廃止された。それでどれだけの石川県民の血税が無駄になったのか。その後を継いだ北鉄奥能登バスも減便を余儀なくされている。さらに安易に廃線に踏み切れば取り返しのつかないことを中日新聞の記事が示している。

【シリーズ現場】
石川線鶴来―加賀一の宮 廃止1年 代替公共交通整備は足踏み
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/toku/genba/CK2010103102000154.html
2010年10月31日

市運行のバス利用不振
路線復活に“未練”も 方針定まらず
 白山市鶴来地域を走っていた北陸鉄道石川線鶴来駅-加賀一の宮駅間(二・一キロ)が利用者の減少などを理由に廃止されて、三十一日で一年を迎える。廃止を機に始まった代替バスが利用不振で大半が運行取りやめになるなど、廃止後の公共交通整備は足踏みの状態が続いている。(今井智文)
 鶴来駅-加賀一の宮駅間の廃止後、両駅前を通る白山ろく方面の既存路線バスがあることから、市などは路線バスが走らない時間帯で、上下八便(土曜祝日は九便)の代替バスの運行を開始。当初は今年四月までの暫定運行で、将来的には地元と協議し、コミュニティーバス路線の整備なども視野に入れていた。
 しかし、代替バスは利用が伸び悩み、乗客が一人もいない便も続出した。今年四月に平均乗客数が〇・五人以下の便が廃止されたが、その後も乗客数は減少。十一月一日からはさらに削減され、平日は下りのみ一便、土曜祝日は上下五便、日曜は同三便のみになる。
 平日は既存の路線バスだけに戻ることになり、代替交通整備は行き詰まった格好。「高校生は鶴来駅まで歩き、高齢者はタクシーに乗る人が多い。バスはダイヤの問題や分かりにくさから敬遠されているのでは」と、地元白山町の森辰生町会長(70)は話す。
 全国の白山神社の総本社にあたる白山比め(ひめ)神社。その表参道前にある旧加賀一の宮駅前でも、バス停に立つ人はまばら。表参道の休憩所「おはぎ屋」の辻貴弘店長(50)も「観光に便利な午前十時半から午後二時半まで、鶴来駅に戻る便がないのが痛い」と困り顔だ。表参道の人通りは廃止前から二~三割減っているといい、代替バスのダイヤ改良を望む。
 ただ、鉄道復活の可能性に期待する地元の意向から、線路や駅舎などは大部分が現在も保存されている。将来的に北鉄と沿線四市町による法定協議会ができた場合には、廃止区間も議題に加え、路線復活を議論したいという願いも根強い。本格的なバス代替策に乗り出すか、路線復活を重視するか。法定協議会設立のめどが立たず、市議会や住民懇談会でも意見が割れる中、動きは鈍い。
 いずれにしても残った同線野町駅-鶴来駅間の存続が大前提。同線の赤字は二〇〇九年度、過去最悪の七千五百万円まで拡大し、危機的な状態。市や北鉄と住民らでつくる同線利用促進会議は、イベントなどで集客アップを図る。が、鶴来駅-加賀一の宮駅間の廃止時には地元有志の取り組みのかいもなく、北鉄側の方針通りあっけなく廃止されており、一部住民には無力感や北鉄や市への不信感も広がる。
 まずは、地域一丸で利用促進に取り組める体制がつくれるかどうかが、鍵を握りそうだ。
 ◇北陸鉄道石川線◇ 現在は金沢市の野町駅と白山市の鶴来駅間を結ぶ13.8キロ。2009年度の利用者数は121万2000人で、前年比4.8%減。赤字は7500万円となり、金沢市と内灘町を結ぶ浅野川線と合わせると1億円を超える。

 ◇後記◇ 二十四日に急死した角光雄市長。十六日に開かれた最後の市民懇談会は、北鉄石川線が一部廃線になった白山市一ノ宮地区が会場だった。
 「石川線は死守したい。地域の皆さんの意見を基に、今後の在り方を決めたい」と強調していた市長だったが、志半ばで倒れ、道筋をつけることは間に合わなかった。
 市長選でも石川線の問題は重要なテーマの一つになるだろう。将来の鶴来地域には、どんな公共交通がふさわしいのか。候補者にはぜひ、方向性を示してほしい。

 私は以前地方鉄道を実験線として活用することを提案した。
 充電池による電車、DMV、最新技術を盛り込んだ車両の実験基地として、地方鉄道は打ってつけの区間である。そうして得られた成果を都市鉄道に反映させ、地方鉄道はその応用などを反映させていけばいい。今でも大手私鉄で走っていた車両を中小私鉄が譲渡してもらい、現役で活躍している。たとえば富士急行はJR東日本から205系を譲り受けて6000系として走らせている。
 そうした取り組みに税制優遇政策はあっていい。そうすることで、大手企業は今まで軽視してきた地方に目を向けることになるからだ。

2012年05月27日
消えた鉄路 茨城・日立電鉄線の場合
 今回取り上げるのは、茨城県常陸太田市の常北太田駅と日立市の鮎川駅とを結んでいた日立電鉄である。
 だが2005年3月末で廃線になり、代替バスが走っている。だが常北太田駅-大甕駅間が高等学校の通学利用が非常に目立つことが特徴であった。全日制の高等学校は常陸太田市内は3校(分校を含まず)・日立市内は8校があり(私立2校を含む)、ともに茨城県立高等学校の第1通学区に属するため、日立電鉄線を利用した通学需要が大きく生じていた。沿線に多くの高等学校を抱えていたことから、日立電鉄線の廃止が発表された際、高校生らが同線の存続を訴えた。
 廃線の原因は親会社の日立製作所の工場の海外移転に伴う利用客の減少である。バスに変えてから電車からの利用客は3割にすぎない。ほとんどが自転車か親の送迎に移ったわけだ。それでは環境問題の観点からいいわけがない。跡地をバス専用道路にする計画も鹿島鉄道の計画とほとんど同じで税金を又投入することになる。それでいいはずがない。
 私はLRT導入も考えるべきだと思う。確実性を考えると鉄道に勝るものはない。

2012年05月29日
消えた鉄路 十和田観光電鉄の場合
 マルチン・ルターがプロテスタントを立ち上げた背景にあったことは、その当時の宗教腐敗にあったからに他ならない。
 あの当時、ローマ教会は深刻な財政難に陥っていた。財政再建を図るべく売り出したのが免罪符なるものだったが販売された地域などで猛烈な反発を買ったほか、モラルハザードなどがおきた。そうした反発の上に成り立っているのがプロテスタントと私は見ている。
 だが、彼らは現状への不満ゆえに何もかも否定する傾向がある。そこで保守派とも猛烈な反発が起きているわけだ。私は部分否定と部分肯定を使いお互いの利点を探り出して融合することでいいものを作るべきだと言う考えであることをここに明言しておきたい。全てが悪いわけでもないが全てがいいわけでもない。全てが間違っていると言うのならコミックでも奥行きがない(和田慎二作の「ピグマリオ」が名作といわれているのはそうした奥行きが有るため)。

 青森県三沢市の三沢駅から十和田市の十和田市駅までを結んでいた十和田観光電鉄は2012年4月1日付けで廃線となった。
 十和田観光電鉄線は電鉄側が赤字状態の自社経営内容を地元の鉄道活性化協議会で十和田市、六戸町、三沢市の3市町に訴え、10年間で5憶2100万円の支援要請をしたが、3市町側は先が読めないとし、支援要請を拒否。廃線が決まったという。その背景にはモータリゼーションがある。
 しかも十和田観光電鉄は東日本大震災で深刻な赤字に陥っていた。4月1日より同社により鉄道代替バス十和田三沢線(三高正門前 - 十和田中央 - 三沢駅 - 三沢高校前)が運行されている。だが、廃線が早まったのは親会社のサーベラスの判断が大きかったのではないか。
 十和田観光電鉄の親会社は一見国際興業である。だが、その国際興業の親会社はほかならぬアメリカのサーベラスである。私はおそらくこのバスも減便は回避できないと見ている。以前に話したように、実験線として残す道を考えるべきだったのである。実験線を主にして、旅客はあくまでもサブで考えるといい。あまりにも日本は目先の赤字を解消するにはすぐにやめたがる。
 だが、鉄道はあくまでもその地域の公共財である。公共財を安易に破壊することはいけない。十和田観光電鉄も確かにバブルの時代にさまざまなものに手を出しすぎた罪はある。だが、それを差し引いても公共財を壊すことは絶対に許されないと言うことをここで警告しておきたい。

2012年05月30日
消えた鉄路 旧国鉄士幌線の場合
 今回は旧国鉄士幌線を取り上げる。
 帯広-十勝三股(北海道上士幌町)間78.3kmをつないでいた地方交通線だったが国鉄再建法で1987年に廃線に追い込まれた。その後が無様な結末である、よく聞いて欲しい。
 廃止後は十勝バス・北海道拓殖バス(帯広 - 糠平間)、上士幌タクシー(糠平 - 十勝三股間)による代替バスに転換された。それでも過疎化に拍車がかかった結果、十勝三股側から往復する1日1往復のダイヤになってしまい2003年に糠平 - 十勝三股間の上士幌タクシーによる代替バス(中型タクシー)は末期の一般利用は年間40人にも満たない乗客数のため廃止された。2003年からは帯広 - 旭川間の都市間バス「ノースライナーみくに号」(道北バス・北海道拓殖バス・十勝バス)が糠平や十勝三股で乗降扱いを行って代替措置としていたが、2010年7月より道北バスだけの1往復に削減された。
 その結果は代替バスとしての機能がなくなってしまった。要するに帯広を出て三股に着くのは夕方、三股を出て帯広に着くのは昼間となるわけだ。
 私は地方の活性化には大企業の実験線の誘致がキーポイントになると指摘してきた。たとえば雪が北海道などでは降るからブレーキの実験には打ってつけだろう。車体の耐久性なども実験対象にもなる。なにも私は鉄道の存続が大切といっているわけではない。だが、存続にはこのような工夫もあってよかったのだ。
 中曽根康宏の罪の深さを私は改めて実感した。その罪は小泉純一郎にも引き継がれ、日本の貧困社会化に拍車をかける結果になった。

2012年05月31日
消えた鉄路 ふるさと銀河線の場合
 池北線という、北海道池田町と北見市を結ぶ国鉄のローカル線があった。
 だが1989年に北海道旅客鉄道(JR北海道)から北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換された。高校生の通学路線として期待されていたのだが、少子化によって主な旅客である高校生などの通学生が大幅に減少したことや、沿線が建設業に大きく依存した産業構造で、付加価値の高い加工・製造業などの地場産業育成が進んでいないことから、長引く不況や公共事業削減により沿線人口の流出・過疎化が進行し、1990年度には年間約100万人あった旅客も2003年度には約50万人まで半減した。
 そして、ゼロ金利政策による低金利により経営安定基金の運用益による赤字補填が困難になった。銀河線以外の公共交通機関が全くないため廃止に猛反対していた陸別町以外の沿線自治体は資金援助の協力を拒否し、2005年3月27日の取締役会で陸別町長以外の賛成により廃止することが決定された。
 2006年4月20日限りで廃止され、廃止後はバス路線に転換された。だが、問題はこんなものじゃない。安易にバスに転換した結果、取り返しのつかない悪夢が待っていたのである。代替バスは全線直通は設定されず、陸別を境に帯広 - 池田 - 足寄 - 陸別間が十勝バスに、陸別・置戸・訓子府 - 北見間が北海道北見バスに転換された。十勝バスが足寄 - 陸別間を新設、北海道北見バスが陸別 - 置戸間を新設するとともに、既存路線を増発して対応しているのだが、2009年4月1日のダイヤ改正で、銀河線代替バスの1社、北海道北見バスの運行区間で、北見-緑清園老人ホーム(置戸)、北見-勝山温泉、北見-陸別のそれぞれ各1往復が、土日祝日運休となった。これで、交通の便はさらに減る事になる。
 ふるさと銀河線に特急を走らせる会という市民団体は建設的提案を行ったが、北海道をはじめとする自治体は受け入れなかった。愚かなことである。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/kitaku/ginga-express/sub100.htm
 地方自治体はハコモノばかりにご執着のようだが、そこを使うソフトがなければ意味がない。私なら、以前述べたように北海道に移民を呼び込む政策など(たとえばロシア人を対象にした場合、ロシア人向けの新聞やコミュニティラジオ局、食品ストアや日本語教室などの開設が行なわれる事が想定され、それによる経済効果が期待できるほか、ロシア人の商業活動(たとえばウォッカ製造など)により税収入も想定される)があっていいと考える。
 これらに欠かせないのは生活公共財である。バスは最低限必要なのだが、鉄道は絶対に欠かせない。もう少し頭を使えといいたい。

http://hp1.cyberstation.ne.jp/kitaku/ginga-express/

2012年06月10日
消えた鉄路 筑波鉄道筑波線の場合
 筑波鉄道(現・関鉄筑波商事)筑波線は、かつて茨城県土浦市の土浦駅と茨城県西茨城郡岩瀬町(現・桜川市)の岩瀬駅とを結んでいた鉄道路線である。
 1987年4月1日に廃止された。今回はこの鉄道に関して、廃止してしまった結果の闇を取り上げると同時に改善案をここに提案する。
 1918年に開業し1960年頃には常磐線接続駅の土浦駅から筑波山に至近の筑波駅まで急行列車が走り、行楽シーズンには上野駅(常磐線土浦駅経由「筑波」)や日立駅(水戸線岩瀬駅経由「筑波山」)から国鉄の客車列車が筑波駅まで乗り入れていたが、モータリゼーションの進行などにより乗客が減少、1979年に鉾田線(鹿島鉄道)とともに関東鉄道から分離された。分離後、様々な合理化を行ったが経営は好転せず、1984年には沿線自治体に事業廃止を申し入れた。1985年10月1日からの1年間、回数券3割補助などの助成を行ったが乗客は増加せず、1987年3月31日の運行を最後に翌4月1日に廃止された。
 廃線跡はほぼ全線がサイクリングロード(茨城県道501号桜川土浦自転車道線)となっている。
Wikipedia日本語版より

 ところが、茨城県道501号桜川土浦自転車道線の整備費用にどれだけの血税がかかったのだろうか。
 総工事費は80億7千万円というのだから、驚きだ。その当時は廃止もやむをえない事情はあるのかもしれない。しかし、鉄道はあくまでも公共財である。ある程度の赤字を補足する為にコンビニエンスストアなどの副業をするのは許される。
 しかも、代替バスも減便に減便を重ねている。筑波山口~真壁駅のバスが2011年に廃止になったほか、筑波 - 岩瀬間のバスにいたってはない。私はサイクリングロードのうち、つくばから岩瀬までの路線に関しては復活すべきと言う考えを持っている。すなわち、つくばエクスプレスの延長線として整備しなおすべきである。この事と同時にやるべきは自動車関連税制の大幅値上げ(それにより鉄道路線へ人々を移行させる)と住環境の整備である。
 コンパクトシティとしての整備を進める事は、地域建設業へ仕事がそれだけ回る(最小限のリフォーム事業と太陽光発電などの整備促進もついでに行なう)ことになる。さらにつくば市周辺にはゴルフ場があるがどれか一つを太陽光発電施設や風力発電施設に転換させるべきだろう。そうして、地域発電により脱原発を実現させるべきだ。
 岩瀬への鉄路復活は環境保護にもってこいの政策になる。そして茨城県西部から東京都へ通勤がしやすくなるのでベッドタウンとしての発展が見込める。外から人々が入る事で茨城県民にありがちな排他的な体質をやめていくきっかけにもなる。
 我々は新自由主義の失敗を郵便事業の会社化でまざまざと思い知らされた。今やるべきは、公共財とは何かを深く考え、歪みをできるだけ修正していく反面、建設的な合理主義を導入していくべきなのだ。そこには、公平・公正が確保されていなければならない。

2012年06月23日
消えた鉄路 下北交通の場合
 今回取り上げるのは青森県にあった下北交通である。
 年表に関してはWikipediaを引用する。

1939年 12月6日 大畑線下北 - 大畑間 (18.0km) 開業(全通)
1966年 12月15日 海老川駅新設(1960年(昭和35年)頃から同所に仮乗降場があった)
1979年 2月1日 貨物営業廃止
1981年 9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1985年 7月1日 国鉄大畑線廃止、京浜急行電鉄の支援を受けた地元でバスを運行している下北交通に経営権を譲渡
1995年 12月1日 樺山駅を冬季休業化(以後毎年3月31日まで休業)
2001年 4月1日 廃止

 現在大畑線の代替バスは下北交通が運営している。
佐井線:下北駅前~むつバスターミナル~大畑駅~佐井車庫前
むつ線:むつバスターミナル~大畑駅

 だが、過疎地域ゆえに不振が続いている。
 私はこうした田舎にこそ移民受け入れが効果抜群の経済効果をもたらすと考えている。反対している人たちに言いたい、ウィルコムがソフトバンクに買収された結果どうなったのか?会社更生法申請前と比較してシェアが回復しているほか、サービスも良くなったではないか(ただスマートフォンを使っていた私には若干不満な箇所はあるが)。
 私が受け入れ想定としているのは北朝鮮である。無論、拉致被害者の無条件帰国と加害者を日本に引き渡すことと大幅な軍事費の削減は必須条件だが、貧困に苦しむ農民を東北地方に移住させ、集団農場で大規模農業を展開するのはどうだろうか(受け入れ先のJAと地元の農家が監督を務め、団地を建設させてそこに住まわせる)。そうすることで日本と北朝鮮はそれなりの和解を達成する事ができる。
 私は無益な争いなど嫌いだ。利益なき争いに時間を費やすなら、相手の弱点を逆に突く作戦が適格だ。北朝鮮の弱点は食糧だ。北朝鮮は餓死問題を解決できるほか、日本は食糧問題を解決する事ができる(北朝鮮からの移民に農作業をやってもらう事で)。それだけ北朝鮮は日本に弱みを持つ事になる。
 さらに、この移民受け入れはもう一つの利点をもたらす、移民向けの日本語教室や移民向けの食品ストア、移民向けの新聞やラジオなどが出てくるのだ。後は地元住民と移民の交流を定期的に行なうことだ。それと同時に在日朝鮮人へ日本国籍を取得して北朝鮮との経済面でのつながりを絶つよう説得していく事も一つの手だ。また、朝鮮学校に関しては国有化して元参議院議員の筆坂秀世氏に理事長をやってもらうのはどうか(在日朝鮮人による警戒を解くには抜群の人事だと思う)。
 それすらも考えられないとは在特会の頭も相当お粗末様と言うしかない。新自由主義は自分だけ生き残ればいいと言う独善だが、共生主義はみんなでできる事を着実にやっていく思想だ。否定ではなく、価値を加え認める事で不幸な対立をなくす事ができる。今の新自由主義は不平等で対立しか生まない。


 鉄道の基本は公共財であり利潤を上げるというのははっきり言ってごく例外なのである。
 故に実験路線として私は鉄道を位置づけている。鉄道施設を実験施設と考えれば一番わかりやすい。
 関東鉄道なんかはディーゼル車が走っているが、これこそJR九州が開発中の交流充電車を導入してしまえばいい。
 製造費用に2億円というから、既存の車両を改造すればいいのである。