2013年9月5日木曜日

死刑はもはや機能を失った

 過去のコラムをここに掲載するが今回は死刑論である。

 このことで様々な議論が起きたが、問題提起をしたものとしてはもっと考えたいし皆さんももっと考えてほしい。

 2012年02月20日
国際法違反の死刑判決は無効である
 山口県光市で起きた母子暴行致死事件で当時18歳だった被告人に死刑判決が押し付けられた。
 今回はこのことでコメントさせていただく。まず、この判決に対して国際法違反であると指摘する。日本は北京ルールズという、青少年に対して死刑を禁止した法律を批准しているのである。それだけでももってのほかである。当然この判決は国際法に基づいて無効であることは言うまでもなく、国連に厳しい目で見られる恐れが高い。
 国際社会に貢献するためとかで自衛隊の海外派兵に現を抜かす暇があるなら、国際法の遵守こそが先決なのである。

山口・光市母子殺害事件で死刑確定へ 若狭 勝弁護士「死刑適用の枠を実質的に広げた」
フジテレビ系(FNN) 2月20日(月)17時32分配信
山口・光市の母子殺害事件で殺人などの罪に問われ、差し戻しの控訴審で死刑を言い渡された犯行当時少年の男について、最高裁判所は、上告を退けた。これで、男の死刑が確定することになる。
今回の判決は、今後の死刑を適用する判断基準を変えていくとみられる。
殺人を犯した被告が死刑になるかならないかの1つの基準となってきたのは、1968年に警備員など4人が射殺された、いわゆる「永山事件」。
この事件で、犯行当時19歳だった故・永山則夫元死刑囚には、死刑が言い渡された。
この永山事件で、「4人を殺害した」というのが基準となり、1992年に千葉・市川市で起きた一家4人殺害事件、1994年に大阪・愛知・岐阜で相次いだ男性4人がリンチの末に殺害された事件で、それぞれ少年らに死刑の判決が出ている。
永山事件以降、死刑判決が出たのは、殺害された人の数が「4人」ということで、光市母子殺害事件の裁判では、殺害された母子2人でも、死刑判決が出たということになる。
今回の死刑判決について、元東京地検公安部長の若狭 勝弁護士は「今回の判決は、死刑適用になる枠を実質的に広げた。今後の裁判に、かなり影響が出てくる」とコメントした。
最終更新:2月20日(月)18時8分

 この若狭氏の指摘がそうなら、実に危険なことである。
 この判決もどきが実行された場合、次々と同様の犯罪を犯して絞首刑と言う名前の自殺を選ぶ犯罪者が増えることを意味するのである。それだけでも治安破壊になる。それでいいのだろうか。

<光市母子殺害>遺族の本村さん「悩み続けた13年間」
毎日新聞 2月20日(月)21時22分配信
 司法の最終結論は「極刑」だった。山口県光市で99年に起きた母子殺害事件に対する20日の差し戻し上告審判決。死刑と無期懲役で揺れ続け、「犯罪被害者の権利とはなにか」という問題も浮き彫りにした事件は発生から約13年、5度目の判決で終結した。布に包んだ2人の遺影を抱え、目を閉じて判決を聞いた遺族の本村洋さん(35)は「悩み続けた13年間だった。遺族としては満足だが、決して喜びの感情はない。厳粛な気持ちで受け止めたい」と語った。【安部拓輝、和田武士】

 ◇「厳粛な気持ちで受け止めたい」

 「本件上告を棄却する」。午後3時、最高裁第1小法廷に金築誠志裁判長の声が響いた。本村さんは裁判官4人に深く一礼し、隣にいた妻弥生さん(当時23歳)の母親に「長い間、お疲れ様でした」と言葉をかけた。

 その後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見。「13年間、この事件に関心を持ってくださったことに感謝しています」。報道陣を前に、本村さんはそう切り出した。

 少年に立ち直りのチャンスを与えるべきか、命で償ってもらうべきか。ずっと考え続けてきた。この日は「日本では死刑制度がある以上、18歳でも死刑が科される。被害者の数にとらわれず、被告を見極め、悩んで下した判決だったと受け止めたい」と語った。

 判決は、元少年が差し戻し控訴審で一転、殺意を否認したことを「不合理な弁解」と指摘した。本村さんは「反省の情があれば死刑は下らなかった。残念だ。罪をかみしめ、それを乗り越えて受け入れてほしい」と複雑な思いをのぞかせた。

 一連の裁判は優先的な傍聴権や被告への意見陳述権など犯罪被害者遺族の権利向上にも結びついた。一方で、感情をあらわにした言動により「死刑の推進者」というイメージで語られることに戸惑いもあったという。

 この日の会見では「時間は最良の相談相手。冷静に事件を見つめられるようになった」と振り返った。亡くなった妻と長女に元少年も加え「3人の命を無駄にしないよう、死刑のような判決が出る事件がない社会を実現するにはどうすべきか、考えるきっかけになれば」と訴えた。

 感情を抑えた静かな口調で約1時間。終了に際し、本村さんは09年に入籍し、2人で墓参していることを明かした。「弱い私を支えてくれる素晴らしい人と出会えた。前を向いて笑って生きていくことも大切だと思っています」。新たな家族との歩みに感謝の思いもみせた。

 本村については以前、名指しで批判制裁を加えたが、残念ながら今回もその範疇を免れない。
 己の取った傲慢な態度が、結果として犯罪者を増やすことになるのだ。

 また、本村に問いたい。土浦市で起きた連続殺傷事件の犯人の動機が自殺狙いだった事実をどうとらえるのか。その私の問いかけに逃げるのなら、死刑と言う言葉は安易に用いるべきではないし、裁判に安易に参加すべきではない。
 裁判の本来の役割とは犯罪が何故起きたかを分析し、その再発を防ぐ教訓を得る場所であり刑罰はあくまでもその次に過ぎない。それも分からない本村には恥を知らぬかとしかりつける人間はいないのか。ならば、私が声を上げねばならない。
 不合理な弁明と決め付けたことも、お粗末極まりない。被告人は精神医学で言う、発達障がい当事者だったことが明らかになっており、その現象が現れたに過ぎない。それをきちんと分析せずして、何が犯人の更生を願う気持ちか。傲慢もこの上ない。感情で死刑を求めたことも殺人罪に匹敵することであり罪をかみ締めて生きろと怒鳴りつけたい。
 弁護団は声明で「元少年は逮捕以来13年間、社会から遮断された中で被害者の無念と遺族の憤りを真摯(しんし)に受け止め、反省の日々を送っている。しかし裁判所は被告の姿勢に目を向けようとせず、捜査段階で作成された虚偽の自白に依拠し、更生の可能性を否定した。元少年は(父親からの)虐待で成長が阻害され、実質的には18歳未満の少年だった。未成熟な少年に死刑を科すことはできない」と指摘した。その通りだろう。本村は彼らの言葉に負けている。
 私は以前から述べているように、被告人には終身懲役刑を言い渡すべきだと言う考えを持っている。死刑は国際法違反であると言うこと、死刑囚の生活費に1億円がかかるならばコスト的にも無駄なものである。それならば、二十二時間連続強制労働無期限刑にしてしまえばいい。
 本村は生涯、大きな罪を抱えて生きることになるだろう。私は同情しない。自業自得とはこのことだ。


2012年03月01日
死刑は百害あって一利なし
 今回、あるサイトからこの記事をお持ち帰りさせていただいた。
 この記事を見て、死刑賛美者はもう一度考え直してもらいたい。私や我が盟友の指摘がここまで当たっている限り、死刑は意味がないと言うことを。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8008/ogthdk/ogthdk20100728.htm

死刑廃止フォーラム
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90
が開示した、
http://www.jca.apc.org/stop-shikei/
2010年7月28日に千葉景子法務大臣に死刑執行された尾形英紀氏が、2008年にフォーラム90のアンケートに答えた原稿(『命の灯を消さないで』インパクト出版会刊より)を引用します。
   *******************
尾形英紀さん(東京拘置所)
熊谷男女4人拉致殺傷事件(2003.8.18)
1977年7月20日生まれ
2007年4月26日 さいたま地裁(飯田喜信)にて死刑判決
2007年7月18日 控訴取下げにより死刑確定
 
 死刑囚の気持ちや考えを聞いてもらえる機会を与えてくれてありがとうございます。
 事件を起こしてから現在に至るまで、考える事や納得のいかない事が数多くありすぎて、それをすべて書いていたのでは、何十枚も書くことになってしまうので簡単に書きます。
 まず、事件についてですが、見張り程度しかしていない共犯が2人います。
 すべて俺のやった事ですが、4人を殺そうとして2人を殺害、2人は殺人未遂の事件です。
 事件当時の俺は、かなりの酒を飲んでいたためと、あまりにも興奮していたので、ほとんど記憶がありません。ただ、あまりにも強烈な印象がある部分だけが、はっきりと記憶に残っています。
 しかし、それでは警察も検事も都合が悪いので、事件当日の行動の大まかな所は、共犯の記憶などを総合して作り、もっとも大事な部分は刑事と検事が作りあげたストーリーが裁判で認められてしまいました。それは最初から殺害の話し合いをしてから殺しに行ったというのですが、全くのウソなのです。
 裁判では、不利になるのは分かっていましたが、殺意を持った事を認め、いつの時点で殺意を持ったかも証言しました。
 実際には暴行している時に被害者が死にそうになった時にはじめて「それなら殺してしまえ」と思ったのです(その時の精神状態では、そのようにしか考えられなかったのです)。それ以前は殺意はもちろん、死ぬ可能性すら考えもしませんでした。
 しかし、検事と刑事の調書にははじめから殺意を持って行動したとなっていました。何でその様な調書になったのかと言うと共犯も証言していますが、共犯2人が事実と違うのは分かっていたけど無理やりにサイン・指印をされ、俺の調書は最後のページのサインがある所以外を差し換えられました。警察と検事はあたり前の様に不正をしているのが現状で、不正をかくすためには裁判の証人尋問で平気でウソをついています。しかも裁判も全くの茶番で検事の言う事をすべて認定してしまいました。
 殺意についての証人尋問で刑事と検事の言っている事がくい違い、苦しまぎれに少しだけ、俺の言っている事が正しいと刑事が証言したにも関わらず、俺の言っている真実は都合が悪いからはじめから聞く気がありませんでした。完全に結果ありきの裁判です。
 一審で2度にわたり精神鑑定を受けました。一度目は裁判所が認定した先生でした。その先生はよく調べてくれ、調書よりも俺の証言の方が信用できると証言してくれました。それは俺の言っている方が精神医学上もふくめ自然であり、しかも俺の証言は自分にとって不利になる事まですべてを言っているからです。その結果、部分的ではあるが(1人目殺害)、責任能力がいちじるしく低下していたと判断されました。
 その為に検事が納得せずに2度目の鑑定となったのです。2度目の先生は検事の推薦した人であり、検事の犬になり下がった人でした。当時の俺の考えなどは1度も聞く事もなく、ただ事件の経過を聞いただけで、すべて検事や刑事の調書を参考に鑑定書を作ったのです。
 はじめからやる気のない鑑定士を採用し、驚くことに裁判では、一度目に真面目にやった先生の鑑定を棄却し、やる気のない検事の犬の鑑定を採用したのです。
 俺は責任を逃れたいのではなく、今の日本の裁判や刑事や検事のやっている事が許せないのです。一般の人は信じないと思うけど、今の刑事は事件のでっちあげも日常的にやっているし、まして調書の改ざんなんてあたり前にやっているのです。だけど無実を訴えても今の裁判では無罪になる事はないし、たとえ無罪を勝ち取っても年月がかかりすぎるから、懲役に行った方が早く出れるので皆、我慢しているのです。俺の殺人などは事実は変わりませんが、事件の内容はかなりでっち上げなのです。だから俺は100%無罪の死刑囚は何人もいると思っています。
 検事の主張ばかり聞く裁判は不公平ですが、一般の人から見れば刑事や検事の言ってる事は無条件で信じられるのだから、来年から始まる裁判員制度では冤罪も今まで以上に多くなると思います。
 事件に関して長くなってしまいましたが、死刑囚が考える死刑制度について、一般市民の考えているものとは違う所もあるかと思うので書かせてもらいます。
 収容者と話す事はありませんが、他の死刑囚を見ると本当に殺人をやった人なのかと疑えるほど普通の人です。俺はぐれ始めてから、ヤクザやその他のアウトローを社会や少年院、刑務所で数多く見てきましたが、それらの人達と比べてもかなり気の弱くおとなしい印象です。きっと心から反省しているので、そう見えるのかもしれませんが、俺はそれだけでなく、本当に普通の人達なのだと思います。
 どの様な事件を起こしたのか知りませんが、色々な理由により精神状態が乱れ、普段ならまともに判断できる事が出来なかっただけなのだと思います。だから、誰にでも死刑囚になる可能性はあると思います。
 自分の気持ちは後で書きますが、本当に心から反省している死刑囚を執行する事で本当に罪を償う事になるのでしょうか? 罪を背負って生きていく事が、本当の意味での償いになるのではないかと思います。日本人の美徳として死者に対して悪く言ったり思ったりしない所がありますが、何か問題を起こしたり、犯罪を犯した後に自殺をする人達に対して、一般の人の中には責任を感じての自殺、アウトローの人の中にはケジメをつけたという考えをする人がいます。本当に自分自身でケジメをつけたと思える人もいるので、すべてを否定はしませんが、俺には、つらい事から逃げただけにしか思えない事のほうが多いと思います。被害者や遺族の感情は自分で犯人を殺したいと思うのが普通だと思います。今は連絡を取っていませんが、両親・姉・元妻との間に二人の娘がいます。俺だって家族が殺されたら犯人を許すことはないし、殺したいと思うのがあたり前です。
 しかし、それでは、やられたらやり返すという俺が生きてきた世界と同じです。死刑という名の殺人を国家権力がやっているにもかかわらず、国民にどんな理由があろうと殺人を禁ずるのはどういうわけだ。世界では色々な所で国家による虐殺があったようだが、それと日本の死刑とどこが違うのか?日本の法律にのっとり死刑があるように、虐殺のあった国にもその国の法律(権力者)にのって死刑にしただけだろう。
 色々と考えながら書いているので、ちょっと興奮してしまいました。
 死刑囚を助ける活動をしている先生に対して言う事ではないし、やつあたりの様な事を書いてしまったので、書きなおそうとなやみましたが、俺の考えでもあるので、失礼は承知のうえ、このまま続けさせて頂きます。話を戻します。
 俺の考えでは死刑執行しても、遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりませんし、償いにもなりません。
 俺個人の価値観からすれば、死んだほうが楽になれるのだから償いどころか責任逃れでしかありません。死を覚悟している人からすれば、死刑は責任でも償いでも罰ですらなく、つらい生活から逃してくれているだけです。だから俺は一審で弁護人が控訴したのを自分で取り下げたのです。
 死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。
 なんて奴だと思うでしょうが、死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。
 もちろん他の死刑囚は日々反省していることと思います。俺は、ただでさえ東拘には人権など全くないし、24時間カメラで監視され独居にいて、執行されるのを待っている中で、事件や遺族・自分の家族の事を考えていたのでは気がおかしくなるし、ストレスだらけで、そんな余裕すら1秒もありません。  
 俺のように反省する気がない死刑囚もいる中で、ほとんどの死刑囚は日々反省し、被害者の事も真剣に考えていると思います。そういう人達を抵抗できないように縛りつけて殺すのは、死刑囚がやった殺人と同等か、それ以上に残酷な行為ではないのですか?
 俺が執行されたくないのではありませんが、その様な事などを考えれば、死刑制度は廃止するべきです。
 言いたい事が色々と多く長くなってしまいましたが、切りがないので、この辺で失礼します。今の気持ちを伝える機会を頂き、ありがとうございました。
 
 追伸
 最近、執行が多くなりましたが、執行について意見があります。
 執行時に求刑・判決を出した検事・裁判官それに法務大臣らが自ら刑を執行するべきです。それが奴らの責任だと思います。
 それと執行時・その後に死刑囚の希望があった場合、絶対に経をあげてはいけないようにして下さい。俺は宗教が嫌いだし、経は死者に対してではなく、生きている人達の気やすめでしかありません。俺の執行時・執行後は絶対に宗教関係の事はやらないようにお願いします。

 さあ、本村洋よ、ハシゲよ、この言葉をなんと思うのか。
 己の感情だけで死刑を要求した結果がこんな歪んだ男を生み出した。己の暴言が生んだモンスターだと言うことを思い知るがいい。無論、私はこの男のやったことは許せないのだが、絞首刑では意味がない。死ぬ自由を奪い取ることが本当の死刑なのだと言うことだ。
 これから取り上げるロシア民話を見てほしい。

兵士と死神  ロシア

 二十五年も勤め上げた挙句、除隊になった兵士が、故郷を目指してぶらぶらと歩いていた。彼の持ち物といったら、ビスケット三枚きりしかなかった。

 やがて物乞いの老人と行き会った兵士は、ビスケットを一枚、老人に与えた。しばらく行くと、また別の物乞いの老人に出会った。二枚目のビスケットをやった。三番目に出会った物乞いの老人に最後のビスケットを与えると、老人は「必ず勝つカード」「何でも飛び込む袋」「いつでも吸える煙管
キセル
」をくれた。(実は、この物乞いはキリストだったのである。)

 三つの品のおかげで気楽な旅を続けていくと、大きな廃屋を見つけた。ここには恐ろしい悪魔たちが巣食って、人々を追い出してしまうというのだ。その廃屋に泊まって無事帰ってきた者はいないというのだが、兵士はそこに泊まることにした。

 真夜中になると悪魔たちが現れたが、兵士は恐れずに悪魔たちをカード遊びに誘って大儲けした。悪魔たちは怒って襲ってきたが、「何でも飛び込む袋」に吸い込んで、鍛冶屋にさんざんに叩かせた。悪魔たちは「二度とここには近づかない、何でも言うとおりにする」という誓約書を書いて、ほうほうの態で退散した。

 この時、兵士は悪魔たちの持っていた「死神の見えるグラス」を手に入れた。このグラスに水を溜めて透かし見ると、死神の姿が見えるのだった。死神が病人の頭の方にいるか足元にいるかを見極めると生死を言い当てることが出来たので、兵士は俄か医者となり、儲けることができた。

 しかしある時、王の病気を治すように命じられ、兵士は進退窮まった。王は死ぬ定めだったのだ……。兵士は、死神を出し抜くことに決めた。例の何でも吸い込む袋の口を開け、死神を吸い込んだのだ。

 こうして王は死なずに治り、兵士は貴族の位をもらって幸せに暮らした。けれどもある日、世界から死が消えたために死ぬに死ねずに苦しむ老人が増えていることに気付いた。死は、この世に必要なものだったのだ。兵士は高い木の上にぶら下げておいた袋を下ろし、その口を開けた。死神はたちまち逃げ去り、この世に再び死が舞い戻った。

 だが、それ以来 死神は兵士を恐れ、決して近づかなくなった。長く長く生きて、けれども死ねない兵士は、自ら天国に赴いたが、入れてもらえない。そこで地獄に行ったが、そこには例の廃屋の悪魔たちがいて、恐れられて入れてもらえない……。

 それで、彼は今でも死ねずにさまよっている。死を捕らえたために、永遠の苦しみを受けねばならなくなったのだ。



参考文献
『決定版 世界の民話事典』 日本民話の会編 講談社+α文庫 2002.
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/sonota/19.html#2

 つまり、凶悪犯であればあるほど死刑はかえって救いに過ぎない。
 この兵士のように、死ぬまでこき使い続ければいいのだ。永遠の苦しみを被告人に与えて「死刑になったほうがまだマシだ」と思い知らせるべきなのである。ちなみに私は二十三時間連続強制労働刑の導入を主張している。死刑囚にはこの刑罰はかなり重くのしかかる。つまり、死ぬまで働くことで換金にもなるし、それだけ非正規労働者を正規労働者にすることができる(たとえばワタミなど、過労自殺者が出たので非正規動労者を全員正規労働者にする代わり、私は麻薬販売関係者や援助交際関係者、婦女暴行犯罪者を真夜中に働かせるべきだと考えている。そうすれば、彼らが社会に復帰した際にそれなりに手に職を得られる)。
 刑罰は感情ではいけない。そこには冷静なまでの緻密な計算がなければならないのである。

2012年03月04日
死刑論と公権力乱用罪
 今回、このようなタイトルにさせていただいたのには理由があります。
 死刑については私は何度もこの場で抑制していくべきだと指摘しています。
 理由についても口すっぱくなるまで指摘しています。で、公務員による公務上の不祥事を死刑にすべきと言う提案に対しては私はの提案を行います。ですが、アメブロ時代のコラムを最初に用います。

ハラスメント社会への処方箋(小野哲)
テーマ:モラハラ
2010-01-06 09:29:27
 鳩山内閣が先月末に出した成長戦略だが、環境・介護などに相変わらず投資しようと言う内容になっている。
 この発想は私も賛成なのだが、残念ながら欠落しているものがある。政府の財政回復には欠かせないのは大企業・大資産家への徹底した税金の取り立てだ。自民党の悪政はその基本をめちゃくちゃに破壊し、歪んだ現在ばかりやらかして庶民にはすさまじい増税た。結果秩序はズタズタになってしまった。
 私が以前からハラスメント罪の導入、正規雇用の義務づけなどと並んで公権力乱用監視査察機構という機関を設置するよう呼びかけているのは自民党や創価学会によりズタズタになってしまった公共性、公平性、公正さの回復を図るねらいがある他、金権政治への厳しい監視機能を持たせることで金権政治がはびこらないにする狙いがある。金の力は弱者搾取のハラスメント社会そのものである。
 権力の恐ろしさを私達は植草一秀氏への自民党政府の不当冤罪攻撃で知っている。ヒトラー小泉の新自由主義の暴政を厳しく批判し、郵政会社化の歪んだ実態を暴いた植草氏に自民党政府は二度も丁寧に痴漢罪をでっち上げ、不当懲役6ヶ月を押しつけた。アメリカ人の集まりで植草氏はガリレオ呼ばわりされ火炙りにしろとまで罵られた事からも、植草氏の指摘が正しいことは明らかだ。そのほかにJANJANによると元自治相の白川勝彦氏に治安警察が6人で職務質問をするなど、権力の恐ろしさを我々は感じざるを得ない。白川氏は創価学会の危険な実態を暴露している。その創価学会による報復であることは明らかである。逆に言えば、創価学会は自らの危険性を自ら立証したのである。その結果は弾圧されていたサイドが権力の座についたときの報復でしっぺ返しとなって現れる。
 こうした危険な暴走に歯止めをかけるには公権力乱用監視査察機構を即刻立ち上げ、派遣労働者を正規職員として雇うことが大切だ。これはあまり望ましくはない、警察官を抑える警察官が必要だと言っているに等しい。だが、アメリカではFBIとCIAが相互監視する関係によって権力の暴走を押さえている現実を考えて欲しい。警察の暴走を抑える組織こそ、警察や検察、官僚組織の適正化を促進するのだ。裁判員制度よりもこれは即刻導入しなければならない。
 裁判への信頼回復にもこの機構は大いに役立つ。近代刑事法の基本が何一つ日本の裁判には出来ていないで、金の力が暴走している。これを押さえない限り、市民が裁判を求める権利が保障されないのだ。

 私が提唱するこの組織のモデルは以下のコミックからにあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E6%A8%AA%E9%A0%98%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E5%AE%98_%E4%B8%AD%E5%9D%8A%E6%9E%97%E5%A4%AA%E9%83%8E

 まず、このコミックにあるように公権力横領罪を新たに刑法に設ける必要があるのです。
 公権力を乱用し、利得行為を行った者を天下り・引退した政治家も含めて過去30年で取り締まり、全財産没収、実刑判決に処すべきでしょう。この刑罰は明らかに憲法違反とも言われかねないのですが、あえてやらねばならないのです。
 刑罰については死刑ではなく、23時間連続強制労働刑3年を想定しています。過労死ですが、以下の事件からアイデアを考えました。

Xboxの中国製造工場で労働者が低賃金に抗議、MS調査へ
2012.01.12 Thu posted at: 10:32 JST
http://www.cnn.co.jp/business/30005238.html

北京(CNN) 米マイクロソフトの香港法人は11日、家庭用ゲーム機「Xbox」を製造している中国の下請け工場の労使対立について調査中であることを声明で認めた。労使対立は報酬をめぐるもので、労働者たちは集団自殺1 件を示唆しているというが、それ以外の詳細は不明だ。

マイクロソフトはCNNの取材に対し、「マイクロソフト1 件は自社製品を製造している工場での労働条件について非常に深刻に受け止めており、現在この問題を調査中だ。マイクロソフト1 件は下請け企業で雇用された労働者の公平な扱いと安全の確保に力を入れている」と述べた。

一方、下請け工場を所有する中国のフォックスコンは、湖北省武漢で抗議行動が起きたがすでに終息しているとだけ回答した。

フォックスコンは電子機器の受託生産では世界大手で、米アップルやソニーなどの製品も生産。だが同社の深セン工場では2010年にも待遇に抗議する労働者の連続自殺が起きている。

米ABC、Foxconn中国工場の労働実態に迫る番組を制作
Roger Cheng (CNET News) 翻訳校正: 湯本牧子 吉武稔夫 2012/02/21 11:34
http://japan.cnet.com/news/society/35014311/
 米テレビネットワークのABCは、Appleをはじめとする大手IT企業の主要ベンダーであるFoxconnについて、その労働環境の実態をレポートする番組をさかんに宣伝している。

 このレポートは、米国時間2月21日夜にABCの報道番組「Nightline」で放送される。同局のサイト上では、すでに予告編が公開されている。

 Appleは、複数の人権擁護団体からの高まる批判に直面している。これらの団体は、より倫理的な「iPhone」の製造と、Appleが協業するサプライヤー各社の労働環境改善を求めており、すでに世界中のApple Storeに対し、数十万人の署名を添えた嘆願書を提出した。

 こうした批判は主に、The New York Timesによる一連の記事が引き金となった。記事では、中国の労働者がApple製品の組み立て作業の大部分を担っている理由を分析するとともに、これらの工場の労働環境を詳しく伝えていた。

 今回放送されるレポートでは、これまでにないほどFoxconnの内部が公開される。同社はその秘密主義と、頑なまでに自社設備の取材を拒むことで知られている。Foxconnの幹部はABCに対し、(超大口顧客である)Appleが米国で直面している世論の圧力がなかったら、内部の公開は考えなかっただろうと認めた。

 批判の矢面に立たされているのはAppleだが、Hewlett-Packard(HP)やソニーをはじめとする多くのIT企業が、Foxconnの工場でノートPCからビデオゲーム機まであらゆる製品を製造している。人権団体は、Appleが技術業界における主導的役割を利用して、サプライヤー各社とともに変革を推し進めるべきだと主張している。

 Nightlineのレポートは、米東部時間および太平洋時間の午後11時35分から放送される。

 私が想定する22-23時間連続強制労働刑はこうした形でのコスト削減をしている中華企業への対抗措置もあるのですが、過労死や過労自殺を減らす、非正規労働者の正規労働者化の推進、さらには過労死や過労自殺が企業にとって不名誉なことであることを思い知らせることで、犯罪抑止力の切り札になると考えているからです。
 また、あの亀井静香氏は死刑廃止論者ですが、納得する理由です。

 私は、警察におりましたころから死刑は廃止すべきだと思っていました。政治家になってからの話ではありません。ですから、設立当初から議員連盟に入りました。
 私は基本的に、人間のいのちや自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではないと思うのです。国家権力が死刑囚を抵抗できない状態にして――言葉は悪いですが――絞め殺すなんてことは、あってはならないと思います。
 「凶悪犯人だからしかたないじゃないか」と言う人もいます。生まれながらにして社会的に危険な人もいるかもしれませんが、それはどちらかというと病理学の世界に属するごく一部です。
 本人の心得違いもありますが、ほとんどは生まれ育った環境とか、社会の状況のなかで凶悪犯罪に走っていく場合が多いのです。もし、そういう人がまったく別の環境にあったとしたら、必ずしも凶悪犯罪を起こすわけではありません。やはり、社会的要因も非常に大きいと思います。
 ですから、そういう犯罪者を抹殺することによって社会が健全化し、犯罪がなくなるということにはならないのです。
 死刑があるから犯罪を起こさず、死刑がなければどんどん人を殺してしまうというような、そのような理性的な判断をもとに犯罪を起こすようなことは、ほとんどないと思います。ごくわずかな例外はあるでしょうが、多くの人間にとっては、死刑制度の有無と犯罪を起こす、起こさないということには関係がないと思います。
 被害者の報復感情を満足させるという考えは大昔からあります。人間ですから。しかし、報復感情を個人としてもっているということと、国家としてそれを認めるということは別の問題です。私たちは、国家が否応なしに、被害者に代わって報復するということと決別すべきです。
 確かに昔から日本には、「忠臣蔵」や「曾我兄弟」などを讃えるメンタリティがあります。しかし、彼らは時の国家権力を使って仇討ちをしたわけではなく、自分たちでやったのです。もちろんそれは、仇討ちがいいという意味ではありません。仇討ちと、国家権力がだれかを殺すというのはメンタルな面で別だということです。
 それと、私自身が警察に在籍していてつくづく思ったのは、やはり今の司法制度の下では、依然として自白が「証拠の王」ということです。それは変わりません。
 法曹一元というけれども、裁判官は本来、当事者主義のもと無罪推定を前提にしていかなければならないのに、ともすれば公判廷の被告人の供述より検面調書を優先します。やはり裁判官には伝統的に国家権力への信頼があって――それが悪いとは言いませんが――今の刑事訴訟の立場からいうと、当事者対等・無罪推定の原則で公判廷に立って公平に行われているかと言えば、決してそうではありません。
 そうしたなかで被疑者が勾留・取り調べを受けると、異常心理に陥ることが現実に、非常に多いのです。
 私が立ち会った取り調べでもありました。いわゆる拘禁性ノイローゼにかかって、取調官との関係が王様と奴隷のような心理状態になってしまうのです。絶対的権力を握られてしまい、取調官のまったくの言いなりになる被疑者がかなり多くいます。
 そして、そういう警察での供述をもとに今度は検察が調書を録っていきます。公判廷で、いくら被告人が「あれはウソだった。勘違いだ。誘導されたんだ」と言ったところで、検面調書には証拠能力がありますから、それが優先されていきます。
 そういう実態が今の刑事司法のなかにあり、そんななかでは冤罪の可能性があると思います。これは陪審制など、どんな制度であっても存在するものなのです。
 人によっては、そんなことはほんの何万分の一の確率だから、社会防衛上しかたがないなどと言いますが、無実で処刑される人にとっては、何万分の一じゃなく100パーセントの話なのです。そういうことを同じ人間がやっていいなんて、ゆるされるべきことではありません。
 そんな「何万分の一だから、社会防衛のためだから、いいじゃないか」というような感覚は、今、世の中を覆っている「自分さえよければいい」ということと共通する面があると思います。自分が安全であるために一つのリスクはやむをえないというような感覚です。
 昨今は「痛みを分かち合う」などと簡単に言います。自分の会社だけ生き残って同業者がつぶれれば受注数が増えるなど、それを構造改革だなどと言っていますが、そういう今の風潮と共通するところがあります。
 しかし、それは違うと思います。他の犠牲で自分が幸せになるとか、安全だなどという考えが世の中を覆っていったら、この世の地獄が来ることは明らかです。

http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kamei.html より引用

 私の死刑論はまた、死刑囚の管理コストが終身懲役囚の管理コストよりも甚大である事実から廃止すべきと言う考えによって成り立っています。

 遅くなりましたが、ここに公権力乱用査察監視機構の構想を発表させていただきます。

 1.公権力横領罪および公権力増収罪の制定。それにより官製談合を取り締まるほか天下りを大幅に規制することができます。
 2.利権に関係した産業からの資金援助については支援金額を制限するなど厳しく規制する(それだけ研究資金を政府が出すほか非課税にするなどする必要があります)。特に原子力・核・薬物に関しては禁止し、悪質なケースについては摘発していきます。
 3.誤認逮捕や冤罪については警察官・検察官について過去30年にさかのぼり逮捕する必要があります。これらについては公権力乱用罪の制定で十分でしょう。
 4.裁判の透明化ですが、裁判を行うに当たっては警察および検察は全ての保有する証拠を出すよう義務付けるほか、事情聴取の完全録画がない場合は裁判の実施を認めないよう規制する必要があります。この規制については今後の犯罪について全て完全実施するよう義務付けます。
 また、私たちが最高裁の浄化を行うことができるとすれば、裁判官の弾劾投票です。

 それらが正常に機能しているかを監視し、違反している者がいたら摘発できる捜査機関が公権力乱用査察監視機構だということです。トヨタ自動車によるミサワホームの不正買収事件もこの捜査機関で取り締まることができます。
 ですが、この機関に一定の査察機関が必要なのも確かです。CIAとFBIが相互査察関係にあり不和であるように、この機関の牽制機関も必要なのは明らかでしょう。

 最後に、この提言の後に。
 私は一人の男性である以前に人間であると思っています。
 売春するサイドの責任が大きいと言う指摘も確かにそうですが、求めるサイドにも問題があります。需要と供給の関係を断ち切るかが援助交際と言う名前の売春を阻止するキーポイントなのです。「女子高生見学クラブ」だの「スケッチクラブ」だの、ありとあらゆる抜け道を生み出さないようにするには正規雇用の義務付けと高額の罰金(売春・買春ともに)および介護福祉施設ボランティア10年(それも深夜の仕事に限定)刑を導入してしまえばいいのです。
 思想上のヌードは子供も含めて取り締まることはできませんが、商業狙いのヌードは絶対に許してはいけません。市川房江について言うならば、あの佐高信氏が批判しています。

http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/fusokukei/data_fusokukei_kiji.php?no=1767

 市川だからクリーンであると言う考えはあまりにも短絡的です。
 宮本某も共産党で散々独裁者として振舞ってきた罪があり、簡単に善人であると言うことはできません。そうした害毒も含めた上で評価できるものは受け入れて自分のものにしていくことが私たちには大切なのでしょう。
 お互いに見方を鍛え上げ、切磋琢磨していける関係になっていければ幸いです。そのためにこのブログがあると言うなら私にとって誇りだといえます。なお、菅違い直人批判については田中秀征氏のサイトに週刊金曜日の記事がありましたのでここにリンクさせていただきます。

http://www.shuusei.com/pdf2/img012.pdf

2012年03月11日
司法は良識を取り戻したといえるのか
 今回は割りと良識的な判決に終わったとはいえ、警戒を怠ってはいけない。

 マツダ殺傷事件で無期懲役 「計画的で非情」責任能力認める
 12人が死傷した広島・マツダ工場の無差別殺傷事件で、殺人などの罪に問われた元期間従業員A被告(40代前半)の裁判員裁判の判決で、広島地裁は9日、求刑通り無期懲役を言い渡した。
 判決理由で伊名波宏仁裁判長は「計画的かつ非情で、極めて危険な犯行だ」と指摘。「当時、妄想性障害であったが、被告の性格や人生観も犯行に十分影響しており、完全責任能力があった」と認めた。
 裁判ではA被告の責任能力の有無が最大の争点となり、弁護側は「妄想が原因で犯行を引き起こしており、心神喪失だった」として無罪を主張していた。
 公判では、被告の2度の精神鑑定を担当した医師2人が出廷し、1人は完全責任能力を認め、もう1人は、責任能力は限定的だとした。
 判決によると、A被告は2010年6月22日朝、広島市南区のマツダ宇品工場と隣接する広島県府中町の本社工場で、出勤中の社員を次々はね、Bさん=当時(39)=を殺害、11人に重軽傷を負わせた。
 被告人質問でA被告は「マツダの従業員から集団ストーカー行為を受け、恨みがあった」と動機を説明。また東京・秋葉原の通り魔事件を参考にしたことを明らかにし、被害者や遺族には「本心からの謝罪の気持ちはない」と述べた。
[ 2012年3月9日 16:17 ] スポーツニッポン
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/03/09/kiji/K20120309002791660.html

広島・マツダ工場12人死傷:元期間社員に無期 責任能力認める--地裁判決

 マツダ本社工場(広島市南区など)に10年6月、乗用車を突入させて社員1人を死亡させ、11人に重軽傷を負わせたとして殺人罪などに問われた元同社期間社員、A被告の裁判員裁判で、広島地裁は9日、求刑通り無期懲役を言い渡した。伊名波宏仁(こうじ)裁判長は被告の完全責任能力を認め、「結果は重大で社会に与えた衝撃も大きいが、妄想性障害があった」と量刑理由を述べた。弁護側は控訴する方針。
 伊名波裁判長は、2回行われた精神鑑定のうち、起訴後鑑定の診断を採用。被告が「社員による集団ストーカー行為を会社が放置した」と主張する動機について、妄想性障害が影響したと認定した。しかし、突入直前に周囲に迷惑をかけることに葛藤を抱くなど健全性は残っていたとし、決行には攻撃的な性格や人生観が大きく影響しており、完全責任能力はあったとした。また、死刑選択も検討される事案だが、妄想性障害の影響を考慮すると死刑選択がやむを得ないとまでは言えないと結論づけた。
 弁護側は公判で、妄想性障害による心神喪失状態だったとして無罪を主張したが退けられた。検察側は、妄想性障害の鑑定結果を考慮し、死刑求刑を回避していた。【中里顕、寺岡俊、矢追健介】
毎日新聞 2012年3月10日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120310ddm012040023000c.html

 無期懲役で私はほっとしているのだが、問題はA被告の生育暦である。
 月刊創という雑誌でA被告は手記を掲載しているのだが、3月7日発売の月刊『創』4月号によると2月24日の公判で検察から無期懲役が求刑された際に「法廷に居た人の中でワシが一番ビックリしたと思います。検察が無期懲役を求刑したことにより、このマツダ事件の裁判はワシにとってだけでなく遺族や被害者にとっても茶番な裁判になってしまいました」と述懐している。

http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2012/03/post-165.html

 このブログでも分かったように、被告本人と弁護団の意思疎通はばらばらだった。
 本人は罪を認めた上で死刑も受け入れるとしているわけだ。それを精神疾患にした段階で被告人と弁護団の考えに大きなずれがあるのは明らかだ。また、生育暦を分析しないとこの事件の本当の姿は見えてこない。メディアはそのことを全く報道していないのだから恐ろしい。
 「わしが旦那を消したことで、あんたもすっきりしとるじゃろ」「100万ほど差し入れてくれ」と亡くなったBさんの遺族にこんな放言をはいているのだ、呆れて話しにならない男だと私も思うし嫌悪感を持たざるを得ない。だが、この男を死刑にすると言うことは私が事あるたびに繰り返しているように感情で人を裁くことになり意味がないのである。 
 Bさんの遺族はこのように述べている。

 約1カ月の裁判、私たち遺族は、被告人の法廷での許しがたい悪態に耐え、つらい裁判でした。私たち遺族は死刑を望んでいましたが残念な結果となり、納得していません。しかし判決の結果を受け止めなければなりません。どのような判決でも、息子の命はもう帰ってきません。
(毎日新聞 2012年3月10日 地方版)

 遺族の方々の心の傷が一刻も早く癒されることをこの場で述べると同時に、厳しい口調で苦言も呈しておきたい、憎悪で死刑を求刑した場合取り返しのつかない悲劇を招く。それについてはこのブログで何度も繰り返してきたが、これでも当てはまる。
 死刑だと被告人の反省の機会を奪うだけであり、しかも生涯コストにどれだけかかるか分からない。ある一つの指標をここに示す。

http://www.gkec.info/2010/09/blog-post.html より引用。
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死刑と終身刑の費用
ラベル: 社会

少し話題になっている記事:
死刑の是非 ≫ 経済学101
本エントリでは、死刑と終身刑の費用に焦点を当ててみる。
前提条件:
命の価値を10億円*1とし、上に挙げた記事に基づき死刑・終身刑の抑止効果は無いものとする。
戦後死刑判決を受けたのは820人、そのうち4人は無罪釈放*2されたので冤罪率は約0.5%。再審請求の厳しさなどを考慮してここでは2%とする。
刑務所の受刑者1人当たり年間約55万円の費用がかかる*3。死刑囚は拘置所に収監されているそうだが、良いデータが見つからなかったのでこの2倍の110万円とする。死刑執行にかかる費用についてもデータが見つからなかったのでとりあえず20万円とする。
無期懲役刑の受刑者の平均年齢が54歳で受刑期間30年未満の者が96%*4を占めることを考慮して、終身刑の場合30歳で入所し、70歳で死亡するものとする。
殺人者の命の価値をゼロとする。

死刑の場合: 命の価値に冤罪率を掛けて(10億円×0.02)2000万円。収監費用が110万円×5年で550万円。死刑執行費用が20万円。合計2000万+550万+20万=2570万円。
終身刑の場合: 55万円×40年=2200万円
ここでの計算では死刑の方が(命を含めた)費用が高いという結果が出た。もちろん、推測の数値も多いし、全体的に雑な数値が多いため、この結果が正しいとは限らない。
そのような問題はあるものの、簡単で良いから1度数値を探して計算してみることには価値があるだろう。

*1 ランズバーグ先生の型破りな知恵の「500万ドルから1000万ドル」という推定に基づく。
*2 死刑執行・判決推移
*3 刑務所に1人(一年)いれておくのにどのくらい費用がかかっているのでしょうか? のid:I11さんの回答を参照。
*4 無期懲役刑に関して
投稿者 Masahiro Nishida 投稿日: 9/01/2010

 これはあくまでも一つの目安である。
 だが、Yahoo!目安箱ではこのように計算されている。

2.死刑執行にかかる費用・懲役30年執行にかかる費用等お教え下さい。

<死刑の場合>
裁判費用1回=300万円程度(大法廷・人件費等含む)
回数=30回(最低7年程度?)
未決拘禁費用=1000万円(5年間分)(刑務作業なし)
裁判費用合計=1億円

執行まで費用(平均5年?)=1000万円
執行費用=100万円ぐらい?

総合計:1億1100万円

(最高裁などは考慮に入れていません。最安値予想です。)

<懲役30年の場合>
裁判費用1回=300万円程度(大法廷・人件費等含む)
平均回数=13回(平均で3年程度)
未決拘禁費用=600万円(3年間分)
裁判費用合計=4500万円

収監費用=1500万円(30年間分刑務作業あり)

総合計:6000万円

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1346029578

 また、アメリカの全体としては死刑制度を廃止する傾向が強まっている。

米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため
2009年02月18日 18:33 発信地:ワシントンD.C./米国
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2572851/3819120

【2月18日 AFP】米国のいくつかの州が死刑制度の廃止を検討している。経済危機に見舞われ州の財政が苦しいなか、死刑制度を維持する費用が大きすぎるのがその理由だ。
 全米50州中、現時点で死刑制度があるのは36州で、米国民のおよそ3分の2が死刑制度を支持しているという。死刑制度への姿勢は州ごとに大きく異なるが、モンタナ(Montana)、カンザス(Kansas)、ニューメキシコ(New Mexico)、メリーランド(Maryland)などの州は財政赤字対策として死刑廃止を積極的に検討している。
 米国で死刑制度が復活した1976年以降の死刑執行数が5人以下の死刑執行数が少ない州が、死刑廃止を検討することが多い。

■財政負担が大きい死刑制度
 死刑廃止による予算節約効果は大きい。死刑を執行するまでにかかるコストは終身刑の10倍に上る場合もある。
 死刑に関しては、判決が下されるまで裁判が複雑化・長期化する傾向がある。被告が上訴してさらに長期化する場合も多い。さらに死刑を求刑される被告は自費で弁護士を雇えないことも多いが、その場合は公選弁護人の費用も州政府が負担せねばならない。また、収監施設や死刑執行室の維持費も州の財政にとって大きな負担だ。
 カンザス州では1976年以降、死刑は1件も執行されていないが、現在9人の死刑囚がおり、死刑制度は州財政の深刻な問題だ。
 同州のキャロライン・マクギン(Caroline McGinn)上院議員(共和党)は、州の財政赤字削減を目的として、死刑を7月から廃止する法案を提出した。
 死刑制度廃止団体のスティーブ・ホール(Steve Hall)氏は、「厳しい景気後退に直面し、コストの問題に議員らが真剣に目を向けだした」と評価する。 
 米死刑情報センター(Death Penalty Information Center、DPIC)によると、カンザス州の場合、死刑囚1人にかかる費用は126万ドル(約1億1000万円)、終身刑囚1人にかかる費用は74万ドル(約6800万円)と、死刑囚の方が約70%も多いという。(c)AFP/Lucile Malandain

 だから、私は死刑制度の抑制に賛同している。
 死刑といっても絞首刑や薬物処刑などではない、22時間連続強制労働を課して過労死させてしまえばいいのである。たとえば福島県の原発周辺の土地の瓦礫を処理させるのはどうだろうか。そうしたら世の中に役立つほか、犯罪者たちは自らの行いに震え上がることになる。死刑は所詮犯罪者の免罪符に過ぎないのだ。
 私は合理主義に過ぎない。感情で命を奪う行為は意味がないと考えている。それならば犯罪を再発させない教訓を得るために裁判があるのだ。それを踏まえてからの批判をして欲しい。

2012年04月17日
狐の負け惜しみに耳は貸せるか
 自称「日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ」君。
 君のお粗末なコメント、ここに移しておこう。君は一生お笑い者になるがいいかね?

面白いですね。ハンドルネーム
「日弁連は真剣に殺人が一件でも少なくなる方法を考えろ」にそれほど反論しなくても?

それは直接の仕事でない・・・別に間接的にも十分考慮して、日弁連の仕事に活かして欲しいですね。
反論するほど、日弁連は殺人を減らすことは何も考えず、金儲けのための弁護しかしてないように見えますね。

これ以上、議論しても、同じ内容の繰り返しで、そちらから死刑廃止の有効性を示す説明が出ないようですね。
掲載されないコメントもありますから、時間の無駄ですね。

こちらが提示した①~⑤に対し、そちらか出た意見をまとめると次の内容くらいで。

①死刑廃止後に殺人発生が減るとは言っていない。死刑廃止後に殺人が増えたのは、他の理由を検証する必要がある。
 しかし、死刑を廃止して殺人が増えても、死刑を復活させて死刑有無の影響を検証するつもりはなく、殺人が増えても
 責任は感じない。

②日本の道徳感には、「被害者・遺族の痛みを汲み取る」、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」以外もある。

③囚人が死刑の至る間に反省して、「誠の人」になるという考えは傲慢だ。
 →ならば、死刑に納得・希望する殺人者もいる中、死刑廃止で殺人者の人権を守れると考えるのも傲慢だね。

④「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなうしかない」という個人的な倫理観は殺人罪とは関係ない過失
 致死の場合、どうするのか。

⑤「キリスト教的な博愛、許容」が必ずしも死刑廃止につながるわけではない。

もう少し、死刑廃止する人の中には、死刑廃止するだけの根拠、有効性を訴える意見があるのかと、
微かな期待もあったのですが、やっぱり何もないようですね。

少なくとも、私が出した①~⑤に対して、それは違うと否定するだけでなく、死刑を廃止するとこのような有効性
があると、対極の意見が出てくれば良いのだが、いくら促しても、なにも出ない。

法務省の「死刑の在り方についての勉強会」でも死刑廃止の考えは、国際的潮流、冤罪、殺人者の人権保護と
ありきたりの説明で、全く死刑廃止に対する不安に対し、答えないので、その正当性(正義)は認められなかった。

日本の刑罰制度を変えたいと思うなら、死刑廃止の有効な改革案を出して、国民の不安を除かないと無理でしょう。
その改革案も出せず、死刑廃止の有効性も説明できないようではダメですね。

この死刑廃止村で不平、不満を並べたてて、仲良く、慰めあっていてください。


 君の負け惜しみを見て、私はイソップ物語のこのような話を思い出した。

すっぱいぶどう
お腹を空かせたきつねが歩いていると、おいしそうなぶどうが枝から垂れているところに通りかかりました。
きつねはどうにかしてぶどうを取ろうと、爪先立ちしたり、飛び跳ねてみたものの、どうしても取ることができません。
しばらくして、じーっとぶどうを眺めていたきつねが言いました。
「ふん、あんなぶどうおいしくないや。まだ、すっぱくて、食べられやしない」
ぶどうを睨みつけると、そのままどこかへ行ってしまいました。


『イソップ童話』より

 君はこのすっぱい葡萄を地で行っているようなもので、お粗末この上ない。
 さらに、死刑よりも終身懲役刑が厳しいと私が指摘するのにはこの話がぴったりである。

兵士と死神  ロシア
 二十五年も勤め上げた挙句、除隊になった兵士が、故郷を目指してぶらぶらと歩いていた。彼の持ち物といったら、ビスケット三枚きりしかなかった。
 やがて物乞いの老人と行き会った兵士は、ビスケットを一枚、老人に与えた。しばらく行くと、また別の物乞いの老人に出会った。二枚目のビスケットをやった。三番目に出会った物乞いの老人に最後のビスケットを与えると、老人は「必ず勝つカード」「何でも飛び込む袋」「いつでも吸える煙管(キセル)」をくれた。(実は、この物乞いはキリストだったのである。)
 三つの品のおかげで気楽な旅を続けていくと、大きな廃屋を見つけた。ここには恐ろしい悪魔たちが巣食って、人々を追い出してしまうというのだ。その廃屋に泊まって無事帰ってきた者はいないというのだが、兵士はそこに泊まることにした。
 真夜中になると悪魔たちが現れたが、兵士は恐れずに悪魔たちをカード遊びに誘って大儲けした。悪魔たちは怒って襲ってきたが、「何でも飛び込む袋」に吸い込んで、鍛冶屋にさんざんに叩かせた。悪魔たちは「二度とここには近づかない、何でも言うとおりにする」という誓約書を書いて、ほうほうの態で退散した。
 この時、兵士は悪魔たちの持っていた「死神の見えるグラス」を手に入れた。このグラスに水を溜めて透かし見ると、死神の姿が見えるのだった。死神が病人の頭の方にいるか足元にいるかを見極めると生死を言い当てることが出来たので、兵士は俄か医者となり、儲けることができた。
 しかしある時、王の病気を治すように命じられ、兵士は進退窮まった。王は死ぬ定めだったのだ……。兵士は、死神を出し抜くことに決めた。例の何でも吸い込む袋の口を開け、死神を吸い込んだのだ。
 こうして王は死なずに治り、兵士は貴族の位をもらって幸せに暮らした。けれどもある日、世界から死が消えたために死ぬに死ねずに苦しむ老人が増えていることに気付いた。死は、この世に必要なものだったのだ。兵士は高い木の上にぶら下げておいた袋を下ろし、その口を開けた。死神はたちまち逃げ去り、この世に再び死が舞い戻った。
 だが、それ以来 死神は兵士を恐れ、決して近づかなくなった。長く長く生きて、けれども死ねない兵士は、自ら天国に赴いたが、入れてもらえない。そこで地獄に行ったが、そこには例の廃屋の悪魔たちがいて、恐れられて入れてもらえない……。
 それで、彼は今でも死ねずにさまよっている。死を捕らえたために、永遠の苦しみを受けねばならなくなったのだ。

 さらに、君には新約聖書のヨハネによる福音書8章1節~11節を引用しておこう。

8:1 イエスはオリーブ山へ行かれた。
8:2 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
8:3 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
8:4 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
8:5 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
8:6 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
8:7 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
8:8 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
8:9 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
8:10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
8:11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

 感情で死刑を求める者たちにこの逸話は痛烈に身にしみてきついだろう。
 無論、君にもだ。私はさまざまな統計や犯罪の構造を分析した結果、死刑は意味がないという結論に達した。それなら、22時間連続強制労働を含めた終身懲役刑を導入すべきなのは明快だ。
 君はまた、都合のいい数値を悪用して言い逃れに終始している。だが、君が嘘を百篇繰り返しても真実は真実だ。嘘をついてごまかすお粗末さには笑止千万だ。君を相手にする暇はない、君は哀れなものだから「構ってよ」と駄々をこねて泣きじゃくるお子ちゃまだ。我が盟友や井上静さんだったら数倍にして論破されるとだけ言っておこう。

2012年04月19日
「スカイハイ」に見る赦しの心
 死刑論でマヌケな書き込みを「Afternoon Cafe」でした自称人権派君たちに私は反論のチャンスを与えたが、この二日間何のコメントもなかった。
 では、そちらさんの全面敗北とみなして結構ですな。今後一切のコメントは受け付けませんが、自業自得ですぜ。死刑存続村のお粗末な論は世界の非常識であることを今後も思い知ることになりますが、そちらさんはいつまでもその漫画ぶりを世界中から笑われているだけですぜ。


 今回取り上げるのはヤングジャンプでかつて連載された漫画である。

 不慮の事故や殺人によって命を落とした者が訪れる「怨みの門」。ここの番人であるイズコは、死者の現世の記憶や残された者達の様子を見せて、最後に死者に3つの選択を出す。
「死を受け入れて、天国で再生を待つか。」
「死を受け入れず、現世で彷徨い続けるか。」
「現世の人間を1人呪い殺し、地獄へ逝くか。」

 高橋ツトム『スカイハイ』といえば、皆さん分かるであろう。
 怨みの門を訪れた死者達はこの3つの選択のうち、一つの選択を選ぶことができる。その中で実に印象に残った話があるので、考えて欲しい。これはアミューズ製作のスカイハイ2の第六話『拳』のまとめである。さまざまなサイトを検索し、まとめてある。

 チャンピオン・千堂鋭吉(小林滋央)との大事なタイトルマッチを控えたボクサーの金坂大樹(須藤元気)は、自分より格下だと思っていた千堂のスパーリングパートナー・川田正晴(高杉瑞穂)との試合で頭部を強打して命を落としてしまい「怨みの門」へ。イズコ(釈由美子)から自分の死を聞かされても、戦うこと、特にチャンプ千堂との試合への強い思いからどうしても自分の死に納得の行かない大樹。そのこだわりから、一度は例の三つの選択から『千堂を呪い殺してここで戦い、地獄行き』を選ぼうとする。だがそうすれば再生して再びボクサーになることはできなくなる。
 だが川田の後悔の念と苦悩(千堂との練習試合を最後にボクシングを辞めると決心している)姿に最後に何とか千堂と闘いたいと訴える。そこでイズコは川田の身体に3分間だけ入れることを提案。練習試合で川田の体を借りてボクシングをする。大樹は最初は劣勢に苦しむものの、制限時間ギリギリに見事KO勝ち。そして、頭をポリポリ掻くクセで、フラワーショップ店員の婚約者・麻木真知子(高橋かおり)や大樹の母でバーを経営している金坂喜代美(浅茅陽子)にも死んだ大樹が蘇って勝利したことが分かった。真知子や喜代美に別れを告げ、大樹は生まれ変わって再びボクシングをする事を心に決めて再生への扉へと消えて行く。

 この漫画についてはブックオフや本屋で購入を願いたい(オンラインストレージによる無断ダウンロードは絶対にやめて欲しい。高橋氏や集英社の権利を不当に侵害する行為だからだ)。
 これで分かるだろう。感情で人を殺すことは、大樹のように再生の道を歩むどころか、地獄への道を歩むことになる。ヨーダの言葉「恐れはダークサイド(暗黒面)につながる。 恐れは怒りに、怒りは憎しみに、憎しみは苦痛へつながる。」にも当てはまるのだ。
 私は山口県光市の母子暴行致死事件の被告人のやったことを許すことはできない。だが、彼を感情で死刑にすることはできない。『兵士と死神』(ロシア民話)や新約聖書でその問題点を指摘したが、今回の話でも分かるではないか。

2012年04月30日
終身懲役刑を死刑に変更して導入せよ
 今回、死刑廃止論を正式に打ち出すことにした。
 このことで多くの意見が紛糾することは承知だ、しかし私は効率主義者であり、死刑が無駄なのを何度も指摘してきた。そこで、以下の条件を満たした上で死刑および無期懲役刑を見直すべきだと指摘している。最初にこの記事を転用する。
 ただし、刑罰の執行に際しては精神疾患当事者および再審請求を行う医師を締めしている者たちについては対象外にし、普通の受刑者が受けているような刑罰にすべきである。

「日本国内の確定死刑囚は8月現在107人」 極刑執行刑場の公開で死刑廃止につながるか
2010年09月05日16時30分
提供:MONEYzine
 死刑廃止の議論を目的として、一般の人にとってあまり知られていかった刑場が公開された。
 法務省が8月27日、東京拘置所の死刑が執行される刑場を報道機関に公開した。執行の現場が、映像や写真を通じて初めて国民の目に広く触れることになった。千葉景子法相は27日午後の閣議後会見で刑場の公開の理由について「裁判員裁判で国民の関心も高まる昨今、死刑制度の国民的議論の検討をいただく材料になるのではないかと考えている」と述べた。
 現在、日本国内では確定死刑囚は8月現在で107人に上る。一方、2008年の刑務所の収容人員は7万6881人だった。では、刑務所の受刑者にはどれくらいの費用が掛かっているのだろうか。
 平成20年度版犯罪白書によると、受刑者は、その体質、健康、年齢、作業等を考慮して、必要な食事及び飲料(湯茶等)が支給されるほか、日常生活に必要な衣類、寝具、日用品等が貸与又は支給される。1日の食費は、成人受刑者一人当たり421.50円だった。これに服代、医療費などを合計し、受刑者1人当たりにかかる生活経費は1日当たり平均約1310円だという。月額で約3万9000円、年間約47万8000円となる。
 また2007年に刑務所内で作業に従事していた人は、約6万7500人で歳入額は約58億円だった。年間では1人当たり約8万6000円となる。作業の収入は国の収入となるが、作業に従事した受刑者には釈放時に作業報奨金が支給される。1人1カ月の平均作業報奨金計算高は、4098円だった。ちなみに、受刑者が行う作業の材料を提供したり、製品の販売を行う法務省管轄の財団法人「矯正協会」は、元検事総長や法務省出身者の指定天下り先で、役員報酬が高すぎるとして、今年5月の事業仕分けの対象となっていた。
 これらの受刑者の生活経費には、刑務所施設の維持費や国選弁護人の費用などは含まれていない。08年に財務省は、再犯性が高い受刑者に対して再販防止策を講じて社会復帰を促すことで、治安の回復を図ることを狙いとして、受刑者1人当たりの年間予算として約248万円を計上していた。もし死刑が廃止された場合には、毎年1人につきこれだけの税金が費やされることになる。
 これら受刑者に掛る費用はすべて税金でまかなわれており、その金額は決して少なくない。一方で、国際的には死刑は人権侵害にあたるとして、死刑制度の廃止する国も増えている。今回の刑場公開がきっかけとなって再び議論が行われるのか、今後の動向が注目される。
加藤 秀行、簗瀬 七海[著]

1.死刑については22時間連続強制労働刑に変更する。
*これは事実上の過労死である。また、国際法(ILO条約である「強制労働に関する条約」第4条では、権限ある機関が私人、会社、団体の利益のために強制労働を課したり、課すことを許可することを禁止したりしている)との折り合いもあるのだが生産作業の中でも民間企業の製品を製作させる。ただ、諸外国では、民間企業の製品を製作させる行為は労働者の雇用を奪い、一般向けに製品を製作させる行為は民業圧迫になるとも考えられており、刑務作業で製作された製品は官庁向けに限定するなどの配慮があるが私はワタミやトヨタ自動車、シャープなどの非正規雇用を乱用したり従業員を粗末に扱い過労死や過労自殺に追い込む犯罪企業への矯正の一環として自動車工場や施設を国が強制的に請け負い事業として使うべきだと考えている。そしてその分以上に非正規労働者の正規雇用化と定時勤務の義務付けを命じるべきである。

2.無期懲役刑もしくは懲役20-30年の囚人に関しては20時間連続強制労働刑に移行する。
*たとえばこんな呆れた受刑者がいる。匿名報道を是とする私も呆れて実名を公表したほどである。

<広島女児強姦>元教諭に2審も懲役30年 広島高裁判決
2010年3月18日19時29分配信 毎日新聞
 広島県内の小学校内で教え子の女児10人に性的暴行を繰り返したとして強姦(ごうかん)罪や強姦未遂罪などに問われた元教諭、森田直樹被告(44)の控訴審判決が18日、広島高裁であった。竹田隆裁判長は「無軌道極まりない」として、懲役30年を命じた1審広島地裁判決の量刑を追認した。ただ1審判決を破棄し、1審で「強姦46件、同未遂11件」としていた事実認定を「強姦45件、同未遂12件」と変更した。
 森田被告は量刑不当などを主張して控訴していた。判決によると被告は01~06年、10人の女児に強姦45件▽同未遂12件▽強制わいせつ25件▽児童福祉法違反13件--を繰り返した。【寺岡俊】

 被害者は当然損害賠償を求めて訴訟を起こしているのだが、森田は「アスペルガー症候群だった」と居直りばかりしている。
 だが、私は「たとえアスペルガーであったとしても、多くの人の運命を狂わせた責任は免れない。刑に服して死ぬまで刑務所で罪を償うことが最後の教育だ」と切り捨てた。この種の被告人には20時間、それもトヨタ自動車の流れ作業でドアの取り付けばかりやらせておけばいい(給料は1日自給160円以下でいい)。この刑罰はトヨタ自動車にとっても痛烈なペナルティになる、なぜなら過労死を起こしたことやミサワホームを不正な手段で乗っ取ったことへの制裁になるからだ。
 また、収監費用で年間240万かかるというのだから、160円*20時間*365日で116万8000円の利益が被告人にはある。だが、それらを預かり金という形でためておけばいい。だが、たいていの囚人は過労死する計算になるのでこれらの金は国に没収される形をとればいい。

3 軽犯罪者には犯罪防止教育にカウンセリングを必ず掛け合わせ、出所後も支援を行う。
*この前取り上げた山地由紀夫元死刑囚(故人)のように、初犯の段階で適切なカウンセリングがあれば二人の尊い命が失われずにすんでいた。死刑をいわば自動自殺装置に使うとんでもない犯罪者がいるわけである。軽犯罪者には徹底的なカウンセリングの重視でいくべきであろう。
 ワタミに関して言えば、農業部門がある。無期懲役囚でも態度のいい囚人を農業部門に回してそれだけ非正規労働者を正規雇用化し、定時労働させるべきである。

4 銀行強盗や性犯罪者には介護福祉施設での労働従事刑15年を言い渡す。無論、執行猶予はつけない。
*夜間の介護福祉に携わる人たちが少ないことを解消するにはうってつけの提案である。出会い系サイトを運営したりして売春を斡旋したりそこで利益を得たものはこの刑罰を受けることで人間的な改善を果たすことになる(当然、格安でやってもらうと同時に非正規労働者は全員正規雇用化することが条件である)。

5 麻薬関連の犯罪者については執行猶予なしの懲役2年刑にするが、中央官庁や地方自治体の仕事を請け負わせる。
*たとえば最近のアメリカの刑務所では一般のデータ入力、航空会社の電話予約係、ローンの顧客苦情センター、電話のオペレーターから下着の縫製作業までやらせている。中央官庁や地方自治体で問題になっている官製ワーキングプア問題を解消するため、正規雇用化させることが条件になるがそれだけの仕事を請け負ってもらう。出所後は別の地方自治体と取引のある会社に斡旋して正社員として採用させる。

 このことについてはさまざまな意見があることは承知である。しかし、死刑はコストがかかるのである。さらに多くの人々に精神的な負担をかける。ならば、刑罰のあり方を見直し終身刑に変えていくべきではないか。

2012年05月22日
憎しみは我が力(By バトルデーモス)
日本各地で金環日食、列島の空にリング輝く
2012年 05月 21日 09:36 JST
[東京 21日 ロイター] 太陽の中心部が月によって隠れ、金色のリング状に光って見える金環日食が21日午前7時半頃、日本列島の広い範囲で観測された。
 国立天文台によると、日本の陸地で金環日食が観察できるのは1987年以来25年ぶり。次回は、2030年6月に北海道で見られるという。
 金環日食は、相対的に太陽が地球に近く、月が地球から遠い時に観測される。米航空宇宙局(NASA)の科学者ジェフリー・ニューマーク氏によると、この配置によって太陽光線の90%以上が月によってさえぎられるという。
 東京都内の小学校では、専用の観察眼鏡をかけた児童らが一斉に空を見上げ、神秘的な天体ショーに見入っていた。

 世間は金環日食ブームでバカ騒ぎしているようだが、京都・亀岡市の交通事故ではとんでもない事が明らかになりつつある。
 だが、罪だけを憎み、人格は切り離すべき基本が残念ながらメディアにはできていない。

京都・亀岡事故:無免許少年のみ交代で運転 
毎日新聞 2012年05月18日 15時00分(最終更新 05月18日 16時00分)

 京都府亀岡市で4月23日朝、集団登校の列に軽乗用車が突っ込み児童ら10人が死傷した事故で、事故前の24時間前後、無免許の少年数人だけで交代で軽乗用車を運転していたことが、捜査関係者への取材で分かった。車の所有者で、車をグループに預けて帰宅したアルバイト少年(10代後半)=道交法違反(無免許運転)のほう助容疑で送検=について、京都地検は18日午後にも京都家裁に送致する方針だ。
 捜査関係者によると、所有者の少年は4月22日午前0時ごろ、遊び仲間7、8人と車2台に分乗し、ドライブを始めた。約30分後、同乗の土木作業員(10代後半)=道交法違反(無免許運転)の非行内容で家裁送致=が無免許と知りながら、運転を交代。同日朝、もう1台に同乗し帰宅したという。
 その後、アルバイト少年所有の車に残った5、6人の少年は全員、無免許だったが、事故を起こすまでの丸1日、軽乗用車でドライブを続けたという。事故時に運転していた無職少年(10代後半)=自動車運転過失致死傷などの非行内容で家裁送致=や別のアルバイト少年(10代後半)=道交法違反(無免許運転)の非行内容で家裁送致=もこの中に含まれていた。【堀智行、田辺佑介】

<亀岡暴走>危険運転致死傷罪の適用断念 京都地検が方針
毎日新聞 5月12日(土)2時26分配信
 京都府亀岡市で4月23日朝、集団登校の列に軽乗用車が突っ込み、児童ら10人が死傷した事故で、京都地検が、運転していた無職少年(10代後半)について、危険運転致死傷罪の適用を断念し、自動車運転過失致死傷などの非行内容で家裁送致する方針を固めたことが11日、捜査関係者への取材で分かった。少年の運転状況が構成要件に合致せず、適用は困難と判断した模様だ。
 危険運転致死傷罪は、いずれも故意に▽アルコールや薬物により正常運転が困難▽進行制御が困難なスピード▽未熟な技能▽赤信号無視--などが要件。少年の場合、危険運転致死傷罪なら最高で懲役5~10年の不定期刑、自動車運転過失致死傷罪では同5~7年の不定期刑となる。
 捜査関係者によると、地検や京都府警は、少年が無免許で長時間運転した末に居眠り運転をし、10人を死傷させたことから悪質性が高いと判断。危険運転致死傷罪適用も視野に入れて捜査していた。しかし、長時間運転したことが逆に、技能が「未熟」とは言えないことを示すことや、無免許運転や居眠り運転自体は法的な要件に含まれないことが壁となったとみられる。
 一方、地検は11日、事故時に軽乗用車に同乗していた大学生(10代後半)と専門学校生(10代後半)の少年2人を道交法違反(無免許運転)のほう助の非行内容で京都家裁に送致した。関係者によると、2人とも在宅のまま家裁が調査するとみられる。【田辺佑介】

 要するに、彼らは警察関係者に言わせると軽い気持ちで運転していたのだろう。
 私でもそう考えるのだが、遺族の感情による暴走はなおさらひどくなってきている。残念ではあるが、実名を強制公表し、社会的制裁を加えることで彼らに暴走しないようこの場で警告する。被害者参加精度によるリンチに参加した場合は全員残らず断罪するとだけ、言っておこう。

亀岡の車暴走:地検説明会、「不十分」遺族ら落胆 「危険運転」適用されず 法改正要求へ /京都
毎日新聞 5月15日(火)16時12分配信
 亀岡市で集団登校の列に軽乗用車が突っ込み、児童ら10人が死傷した事故で14日、地検の説明会に参加した遺族らが、午後6時20分から府庁で記者会見を開いた。危険運転致死傷罪を適用しなかったことについての検察の説明が不十分だったとする一方、同様の被害者を出さないよう、法改正を求めていく姿勢も明らかにした。
 亡くなったAさん(20代後半)の兄、中江龍生さん(28)は「納得できる説明を期待していたが、求めていた答えは返ってこなかった」。同じく事故で犠牲になった小学生女児の父小谷真樹さん(29)は「捜査についての細かい説明があると思っていたが、答えが返ってこなかった。何のために開いた説明会なのか」とそれぞれ落胆した表情を見せた。
 危険運転致死傷罪が適用されなかったことに関して、Aさんの夫、松村晶史さん(28)は「無免許なのに危険運転に問われないのはおかしいと思う」と指摘。Aさんの父、中江美則さん(48)も「これまでも被害者の苦しみの中で法律が改正されてきた。今回の事故で僕らがその番ならば、これ以上苦しむ人を増やさないためにも改正を呼びかけていきたい」と力強く話した。
 説明会では、事故時の被害者の状況がホワイトボードを使うなどして説明されたという。美則さんは「あまりにむごい話で、うまく言葉で伝えられない」とうつむいた。
 晶史さんは改めて事故を起こした少年について、「車で事故を起こした、という程度の認識しかないのではないか。幸せに暮らしてきたAを、こんなむごいやり方で殺したということをもっと理解してほしい」と唇をかみしめた。龍生さんも「同乗者も、自分が運転していたかもしれないということを重く考えてほしい」と呼びかけた。娘2人が重軽傷を負った寺口賢司さん(42)は「『罪を憎んで人を憎まず』ということも考えたが、そのようには思えない。なんとか重い刑罰が下るように検察に協力できるところはしていきたい」と涙を浮かべた。【花澤茂人、野口由紀】

5月15日朝刊
(印象操作につながるような暴言を繰り返しているため、社会的制裁の一環として今回から実名を強制公表します。猛反省を求めます)

 まず、松村に警告しよう。
 あなたの奥方を失った悲しみには共感するが、感情で被告に怒りをあらわにすることは絶対に許されない。「むごいやり方で殺した」というなら、彼が何故そこまで暴走したのかを深く考えるべきではないか。寺口にも同じ厳しい言葉をかけねばならない。警察はさまざまな可能性を考慮に入れて自動車危険運転罪を使うことを断念した。これは仕方がない判断であり、尊重されるべきである。
 基本的に私は裁判が始まるまでこの事件に関してコメントはしない。さらに問題なのは被告人に弁護士がいるのかいないのかだ。いるのなら、直ちに弁護士の元を訪れて取材し、言い分を聞くべき義務があるのではないか。被害者へのインタビューを自粛するといいながらこのような形で行うのなら、被告への公然たるリンチそのものではないか。被告人の父親だけが答えているのは異常だ。
 私は憎悪で相手にぶつかることで及ぼす悪影響を知っている。茨城県の荒川沖連続殺傷事件の金川智大死刑囚なんか、裁判で散々悪態をつき被害者や遺族の厳罰感情にも眉一つ変えなかった。まさしくモンスターそのものだった。しかも、死刑判決を「完全勝利」と絶賛する始末である。さらにこんな恐ろしいモンスターがいた。「京都・神奈川親族連続殺人事件」を起こした松村恭造死刑囚は「人殺しという人生初体験の大事を、しかも2件も、極めて冷静に完遂しえたことについて自分で自分自身を誉めてあげたいと思います。被害者2人の冥福を祈るつもりはまったくありません」と言ってのける始末である。
 まさしく、憎しみを己の糧にしている始末に終えない輩である。私は松村達の態度が被告人の反省姿勢のなさにつながる可能性が高いと警告したい。1989年から1990年に放映された「聖戦士ロビンJr」というアニメで、敵役が一人いる。相手が憎悪を燃やせば燃やすほど力を高めるバトルデーモスという男である。散々相手を挑発し、弱みにつけ込み苦しめるやり方で主人公たちを散々苦しめたが、最後は愛妻の涙がきっかけで元に戻った。
 さらに、この話はどうか。在日朝鮮人、李珍宇による「小松川事件」(1958年8月17日)である。李珍宇は同じ小松川高校定時制に通う生徒を含む2人の少女を殺害している。結果として死刑判決が出され、李は「死刑は当然だ。早く死の償いをしたい」と受け入れた(1962年執行)。だが、この死刑判決に被害者遺族ですらも反対したのである。その事実をなんと思うのか。しかも李氏はカソリックに起訴しながら罪と向き合う毎日だったそうだ。
 感情で人を裁くなと私は何度も繰り返した。日本人と言うのはおめでたい生き物である、喉もと過ぎれば熱さを忘れると言う言葉がこれ以上似合わない民族はいない。そうした悪癖はハシゲやポルポト石原のような極右を生み出すのである。

2012年05月24日
厳罰論に安住するから犯罪者が増える

 最近の犯罪に対して厳罰化が加速している。
 どう誰が考えても殺人罪が成立しないのに無理やり殺人罪に仕立て上げて無期懲役刑を押し付けた千葉・市川市英会話教師暴行致死事件や山口県光市の母子暴行致死事件(これとても殺人罪は成立しない)での国際法違反の死刑判決押し付けなど、司法の劣化はひどい。
 タントラ(アナンダ・マルガタントラ)とヨーガの指導者の1人として知られるプラブハット・ランジャン・サーカー(Prabhat Ranjan Sarkar、インド人の哲学者・思想家・社会変革者・詩人・作曲家・言語学者でもある 1921年5月21日 - 1990年10月21日)の犯罪と司法制度に関する思想から考えてみる必要がある。このことについては「サーカーの『犯罪と司法制度』論」吉見道夫著の論文より引用する。

 サーカーは、司法システムは、刑罰システムではなく、矯正システムであるべきだと強調します。どんなによい司法システムであろうと欠陥は必ず存在し、罰として行なわれたならば、懲罰を課せられた人々の心に復讐の念が生じます。したがって罰としてではなく矯正として実施されるべきだというのです。
「道徳的な観点からも、もし、社会的な清浄を維持したいと願うならば、人々は、懲罰的な処置ではなく、矯正的な処置をとる権利だけをもつべきです。人間存在のあらゆる脈動をコントロールする法が、人々を罰する唯一の権威です。他にはありません。・・これらの措置は懲罰的ではなく、矯正的なものであるべきです。司法制度に欠陥があったとしても、矯正的方法だけがとられたとしたら、その時は、誰かがひどい目に会う可能性はありません」
 人間は他の人を罰する権利をもっていませんが、矯正する権利は誰もがもっているというというのがサーカーの考えです。 
「社会的な観点あるいは人間的な観点からは、あらゆる人が、他のあらゆる人のふるまいをただす権利を持っています。これはあらゆる人間の生まれながらの権利です。どんな学者も、自分が接することになった人の欠点を正す人々の権利に異議を差し挟むことはできません。この権利を認めることは、社会の健全さのために不可欠です」

 このことが実現されるべき場所なのが裁判なのだが、日本ではそのことは実現されるどころか被害者や遺族の厳罰感情のみの実現に悪用されていて、事件の発生メカニズムを教訓として社会に反映させ、犯罪の再発を防ぐ場所にはなっていないのである。
 サーカーは死刑に関しても廃止すべきとしている。

「けれども、私たちが、自分の下部の性向の奴隷となっている意志の弱い人々が、時、場所、人によって生み出された状況の影響力の結果として、罪を犯し、さらに犯し続けていることを知る時、彼らの悪行に気づかせて、いかにより高い性向を発達させ、心を強くするかについて学ぶのを援助することは社会の義務ではないでしょうか。そして、このように目覚めさせることが、罰のプロセスではなくて、矯正であることを確保することも、社会の義務ではないでしょうか。もちろん、矯正システムの一部として強い処罰の措置を保持することは必要なことです。さらに、もし、刑罰がふるまいを矯正するうえで重要な場をしめるならば、人々は、処罰されることへの恐れから、自分の下部の性向にしたがって日々を送ることを避けるでしょう。この状況的影響力の結果として, 不正直な人々は正直な生活をすることを強いるでしょう。そして社会は大いに恩恵を受けるでしょう。自分の卑しい性向に屈してきた人々は、社会の制裁措置で良くなる機会を得るでしょう」
吉見氏の論文より引用
http://universal.raaq.jp/theory/theoryofsarkar/8shihouron.htm

 江戸時代は喧嘩に際してその理非を問わず、双方とも均しく処罰するという原則のひとつとして喧嘩両成敗があった。
 そこまで私は野蛮な手法は用いないが、喧嘩は売ったほうも買ったほうも悪い(時と場合によってはそうとは言えないこともある)。さらに踏み込んで言うならば「三方一両損」もある。もともとは字面どおり、「三方の者が一両ずつ損をする」という意味だが、妥協するとか折り合うという意味に使われる場合もある。
 宮崎勤元死刑囚の幼女連続誘拐殺人事件のように被害者には何の落ち度もない場合は喧嘩両成敗も三方一両損も使えないのだが、それでも感情で人を処罰することはいけないことなのである。そのことについては作家の村田基氏のブログを引用する。

村田基の「正しすぎてごめんね」
被害者遺族VS加害者遺族
2012/2/23(木) 午前 2:55
http://blogs.yahoo.co.jp/muratamotoi/archive/2012/2/23?m=lc#8113883

光市母子殺害事件の被告の死刑が確定しました。世論は圧倒的に肯定的です。ネットを見ても、2ちゃんねるはもちろん、ヤフーブログの新着記事のリストも死刑肯定が多く、被告への批判と、弁護団への批判があふれています。
最近の日本は政治も経済もパッとしませんが、死刑問題も同じです。どんどんだめな国になっていきます。
これを主導しているのは法務、司法、警察の官僚です。マスコミがそれに追随して、ネットなどの世論がさらにそれに追随します。日ごろ「マスゴミ」などと言ってマスコミ批判を展開している人たちも、死刑問題についてはマスコミにあやつられています。

死刑賛成派が論拠にするのは、世論が圧倒的に死刑賛成であることと、犯罪被害者及び犯罪被害者遺族の処罰感情です。
私はすでに、死刑賛成の世論がインチキなアンケートによってつくられているということを次のエントリーで指摘しました。

「法務官僚の『殺しのライセンス』」
http://blogs.yahoo.co.jp/muratamotoi/5976786.html

もちろん適正なアンケートをやっても死刑賛成が多数になるでしょうが、そうした世論も官僚に追随するマスコミによってつくられた面が大きいことを考慮しなければなりません。

死刑賛成派の論拠のもうひとつは、犯罪被害者遺族の処罰感情です。今回はそれについて書いてみます。

殺人事件の被害者遺族が、犯人を死刑にしてほしいと思うのは自然な感情ですが、感情というのはとらえどころがなく、かつ移ろいやすいものです。たとえば、光市母子殺害事件の被害者遺族である本村洋氏は2009年に再婚して、今は2人で暮らしているそうです。事件が起きたのが1999年のことですから、再婚するのはむしろ当たり前ですが、今は事件直後の激しい処罰感情もだいぶやわらいでいることでしょう。となると、判決もその感情に合わせなければならないはずです(実際は一審、二審は無期懲役、上告審は死刑と、感情とは逆になっています)。

また、世の中には本村洋氏のような人ばかりではなく、「犯人を死刑にしたからといって殺された者が生き返ってくるわけではない」などと言って、犯人に対する処罰感情を持たない被害者遺族もいます。そういう場合、日ごろ被害者遺族の処罰感情を理由に死刑を主張している人たちは、今回は死刑にする必要はないと主張しないといけないと思いますが、そういう主張は聞いたことがありません。

また、殺人事件の被害者が天涯孤独で、誰も悲しむ人がいなかった場合、判決文には「本来は20年の刑期にするべきところだが、幸い被害者には身よりがなく、事件の影響が限定的だったために、10年の刑期にする」などと書かれてもいいはずですが、そんな話も聞いたことがありません。

だいたい感情などというあやふやなものと人の命を天秤にかけるというのが根本的に間違っているのです。

さらにいうと、被害者遺族の感情を取り上げるなら、死刑になった加害者遺族の感情も取り上げないといけないはずです。死刑によって被害者遺族の処罰感情が癒されたとしても、死刑になった加害者遺族が社会や司法制度や被害者遺族に処罰感情を抱くなら、社会としてはプラスマイナスゼロということになります。

もっとも、加害者の親族の声がマスコミによって伝えられることはめったにありません。加害者の親族、とくに親は世の中から強く非難されますから、マスコミに出るどころではないのです。
それに、殺人など凶悪犯罪の加害者の場合、家庭が崩壊していて、肉親を探し出せないケースが多くあります。光市母子殺害事件の被告の場合も、父親から虐待を受け、母親が自殺するという家庭で育ちました。
この父親の立場から見ると、妻を自殺させ、子どもを殺人者にしたわけで、ほんとうに凶悪なのはこの父親ではないかということになります。ですから、こういう人はマスコミには出てこないものですが、なんと今回はフジテレビに出ていろいろなことを語りました。

「光市母子殺害事件に死刑判決。加害者の父語る」
http://www.youtube.com/watch?v=OrbZIVOHfaY

父親は最初に「やっぱり我が子ですから、どんな罪を犯した人間でもかわいいです」と語っていますが、世間に受け入れられるように語っているのではないかという疑問を感じます。
私がとくに注目したのは、「私自身は(息子に対して)暴力と思ったことは1回もありません。自分では教育の一環で」と語っているところです。
父親がまったく反省しない人なのです。そういう父親に育てられた息子に反省しろと迫っても、むずかしいのは当然です。

この事件に限らず、凶悪事件のほとんどの加害者は、愛情のない家庭で育った被虐待児です。
被害者の多くは、被害にあうまでは幸せに暮らしていましたし、被害者遺族も同じです。
裁判官、検事、弁護士、被害者遺族、マスコミ、世間の人々の中で、実は加害者がいちばんかわいそうな人なのです。
親鸞が「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言ったのはこのようなことなのでしょう。

 このコラムで痛烈に射抜かれているのは本村洋である。
 私は本村の法廷での暴言の数々を厳しく批判してきた(だが2ちゃんねるで本村の私生活に関する誹謗中傷に関しては2ちゃんねるを批判した)。本村は脅されて死刑を被告に求めたと言う意見もあるが、本人が毅然とした姿勢で臨めばいいまでの事でしかない。また、最近私がコメントをよくしているふなぼりすた氏のブログ「お花畑目指して」でも2012年2月22日付の記事「敗者」( http://d.hatena.ne.jp/funaborista/20120222/1329897090 )で本村を厳しく批判している。

 厳罰主義で全てが解決すると思っているのでは、本質は解決できない。
 市川市の英会話教師暴行致死事件の被告人は精神的ハンガーストライキを始めている。このことはすなわち、反省を拒否していることを意味する。不適切な容疑に不適切な刑罰で処した結果、被告人に国は「お前は反省する必要はない」と免罪符を与えたことを意味する。そうした事をアシストするとは恥ずかしい。また被告人を支援してきた千葉大学名誉教授の本山直樹氏への誹謗中傷も目に余るものである(私は初期の段階で批判はしたが真意を知った段階で批判はしない)。
 犯罪の本質を知らない輩が犯罪を語るなといいたい。今回取り上げたサーカーの思想はまだまだ、奥が深いものである。じっくりと読んでいこうと思う。

2012年06月02日
光市母子暴行致死事件・再審請求を支持する
 まず、新聞記事引用元ですが新たに沖縄タイムス、琉球新報を追加解禁します。
 少年法を遵守したことが判明したためですので、これからどんどん活用させていただきます。
 なお、以下のメディアに関しては引き続き引用を全面禁止します。
 日本経済新聞、読売新聞、朝日新聞、産経新聞、中国新聞、北海道新聞・河北新報・新潟日報・信濃毎日新聞・静岡新聞・京都新聞・神戸新聞・四国新聞・山陽新聞、佐賀新聞、共同通信、NHK、時事通信、テレビ朝日、テレビ東京、日本テレビ、TBS

【社会】 中日新聞
光市事件、元少年が再審請求へ 
2012年5月26日 21時17分
 少年時の山口県光市母子殺害事件で殺人や強姦致死罪などに問われ、3月に死刑が確定した元少年(31)の弁護団は26日、確定した広島高裁の差し戻し審判決に重大な誤りがあるとして秋にも同高裁に再審請求することを明らかにした。
 主任弁護人の安田好弘弁護士は「10月ごろには再審請求する方向だ」と述べた。
 犯行当時18歳1カ月だった元少年は、一審山口地裁、二審広島高裁で無期懲役とされたが、最高裁は「年齢は死刑回避の決定的事情とまではいえない」と破棄した。差し戻し審判決で高裁は死刑を言い渡し、最高裁も上告を棄却した。
(共同)
*共同通信社からの配信ですが、中日新聞社は人権に配慮して実名の公表を控えています。そのため、中日新聞社の記事として扱いますのでご了解ください。


 そもそも、この事件を殺人罪で裁くこと自体が問題だった。
 この事件の本質は傷害致死事件であり、さらに厳しく言えば暴行致死事件でもある。この場合は3年以上の懲役刑が想定されている(それはそれで私は個人的に甘いとは思っているのだが)。さらに、人権派と称しているインシデンツ(東京都日野市、寺沢有代表)の愚か者どもが垂れ流した被告人の個人情報の垂れ流し本の差し止めと損害賠償訴訟で66万円の損害賠償命令が下されたが、著者側の増田美智子被告は判決後、「納得できない判決」と判決を不当に批判した。
 これ以上の人権侵害を我々は見逃すわけには行かない。事件の真実は明らかに殺人ではなく、暴行致死だ。死人への暴行に関しては私は許しがたい行為だと認識しているし、被害者遺族の厳罰を求める気持ちはある程度理解はできるが日本はあくまでも法治国家であり感情で人を裁く国ではない。ゆえに本村洋を批判しているに過ぎないのだ。単行本に掲載された被告人の中学時代の顔写真についてこの判決では「掲載によって、単行本の内容の価値に変化が生じると考えがたい」と指摘し、被告人が増田被告に返信するため書いた手紙の写真を掲載したことについてもプライバシー権の侵害と断罪した。当然だろう。増田被告は「事実認定については主張がほぼ認められたが、この本は少年犯罪の実名報道を議論するため書いたのではない。彼の実像を表現するのに実名と顔写真が必要だった。損害賠償については納得できない」と抗弁したが明らかに己の売名だけを狙ったふざけた犯罪行為だ。
 この女がジャーナリストと言うのなら、とんでもない。さらにインシデンツは悪質な言い逃れに終始した。「元少年は実名の掲載を承諾していた。最高裁の上告棄却を機に、実名と顔写真が報道されており、元少年は少年法の保護の対象から外れた」などとほざいたようだが、左右問わず少年法を破った事に変わりはない。
 「母への甘えの気持ちで抱きついただけ」「女性死亡後の性行為は生き返らせるための復活の儀式」――差し戻し控訴審で展開された被告の主張は明らかに被告人が発達障がい当事者である事を証明した。弁護側は「女性の口を塞ごうと右手で押さえつけたことが死亡に繋がった」「殺意はなく傷害致死罪に留まる」と指摘した。この事実を最低裁判所は省みることなく国際法違反の死刑判決を垂れ流した。
 本田兆司弁護団長によると、差し戻し後の上告審で採用されなかった法医学者や心理学者の犯罪心理鑑定などを、新証拠として提出する予定で再審請求について、被告人は「事件が何だったのかを明らかにし、生きて償っていくことが本当の務めだ」と決心を示した。真実を求め死刑を要求した本村はその覚悟を厳しく受け止める最低限の義務がある。それは増田被告にも言えるし、インシデンツの寺沢代表にも言える。
 同時に警告しておきたいが、本村の再婚に関して誹謗中傷があるようだが私は以前述べたようにそうした事には断固として許さない。本村も、幸せになる権利はある。ただ、己の幸せのために他人の幸せを踏みにじる事は罪であることは言うまでもない。
 法務当局にはくれぐれも、再審請求中の死刑執行は絶対にするなと警告しておく。再審請求中の死刑執行は国家による殺人を意味すし、国際法違反である。それでは事件の真相は永遠に闇の中に包まれる事になる。検察のでっち上げたストーリーは非科学的である事も弁護団の指摘でほとんど暴かれた。後は、裁判所が己の歪んだ面子を捨てられるかにかかっている。

 今回のコラムを書くきっかけ
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/?no=946

2012年06月12日
「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」(古典落語の演目『穴どろ』から)
 穴どろという古典落語の演目の一つがある。
 その中の言葉「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」を今回のコラムのタイトルにした。角の尖った四角い物とは言え、柔らかな豆腐の角に頭を打ち付けても死ぬようなことは不可能であるのに、真に受けて本当に豆腐に頭をぶつけて死のうとする、それほどに愚かな者だと嘲る言葉である。
 今回起きた事件でも同じような愚かな暴言をしたものがいる。それはこのコラムを読み解いてもらいたい。

 大阪刺殺:男女2人が刺され死亡 36歳男逮捕 心斎橋
毎日新聞 2012年06月10日 15時46分(最終更新 06月10日 23時50分)

 10日午後1時ごろ、大阪市中央区東心斎橋1の路上で人が刺されていると通行人の女性から110番通報があった。大阪府警南署によると、男女2人が包丁で刺され、東京都内の音楽プロデューサーの男性(40代)が間もなく死亡。スナック経営の60代の女性も搬送先の病院で亡くなった。駆け付けた南署員が、現場にいた男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕したが、指を負傷しており、病院に搬送された。
 南署によると、逮捕されたのは自称住所不定、無職、A容疑者(30代後半)で、刺したことを認めているという。2人とは面識がないとみられ、府警は無差別に襲った通り魔事件とみて捜査している。
 A容疑者は男性を刺した後、東へ約30メートル離れた路上で女性を刺した。さらに、男性が倒れている現場に戻り、馬乗りになってさらに刺したという。
 現場は大阪・ミナミの中心部にある繁華街で、大阪市営地下鉄心斎橋駅に近く、飲食店や洋服店などが並ぶ一角。日曜日の10日は買い物客らで人通りが多く、一時騒然となった。近くの美容室店員の女性は「男が騒ぐ声が聞こえたので店を出ると、血まみれの男性が倒れていた。慌てて警察官にタオルを渡した」と話した。

 前回のコラムでこの事件に関して手短にコメントをさせていただいたが、改めてこの事件で犠牲になってしまった方の遺族の方々に心よりお悔やみを申し上げる。
 だが、事件の事に関してはタッチさせるべきではない。何故起きたのか、第三者の我々が冷静な視点で分析し、遺族の心の痛みにはカウンセリングで接しながらも加害者への感情的制裁要求には待ったをかける厳しさがなければならない。報道によるとA容疑者は栃木県出身で父親は材木商を営む裕福な家庭に生まれた。小学校時代はサッカークラブに所属するサッカー少年で、「挨拶のできるいい少年だった」というが母の死や実家の倒産、さらに父親が中学を卒業する前になくなったこともあったのだろうか、高校に進学したものの中退、地元の暴走族に入り総長(リーダー)になったという。 17歳のとき県内の内装会社に就職してから仕事は一生懸命やったようだが、20歳直前で会社にこなくなり、そのうち「薬物で警察に捕まった」というウワサを聞いたという。
 さらにA容疑者には境界性人格障害(境界型パーソナリティ障害とも呼ばれ、青年期または成人期に多く生じる、不安定な自己 - 他者のイメージ、感情・思考の制御の障害、衝動的な自己破壊行為などを特徴とするパーソナリティの障害である。自殺率が非常に高く、通院患者の10%にも及ぶというデータもある)の疑いがある。刑務所で一緒だった男性の証言が2ちゃんねるで出ている。

普段から凄く陰気で友達もいなかった、特徴は自分が気に入らない人間がいると何日もひっつきまわって嫌がらせして
喧嘩ばかりしてたよ、喧嘩は弱いけどとにかくねちっこくてしつこい
俺の工場でもイラン人にねちねち絡んで食堂でぶっ飛ばされたよ
俺は止めに入るふりをしてこいつの事蹴り入れた事がある
ねちっこいだけでなくいきなりキレる事もあったよ、部屋も個人房で隣だったんだけど急に壁蹴ってきたりしたよ
http://hiyon2.blog.so-net.ne.jp/2012-06-12

 さらにA容疑者には住む場所がないと言う問題があった(A容疑者は刑務所を出所後「更生保護法」に基づき薬物依存者の自立を支援する栃木県内の民間団体に一時身を寄せていたが刑務所で知り合った知人に仕事を斡旋してもらうために大阪に来ていた)。
 さらに愕然とするのはこの犯行最中に写真撮影をしていた愚か者がいて、Youtubeにアップデートされていると言うのだから物騒もはなはだしい。女優の眞鍋かをり氏は「いまスマートフォンをみんな持っているので、YouTubeにあがってしまい、誰でも見れてしまう。事件解明にはいいのかもしれないが、映像に触発されて、自己顕示のために同じようなことを起こしてしまうことはないか心配です」と不安そうに話していたと言う(フジテレビのワイドショーにて)。

 井上静氏 http://ruhiginoue.exblog.jp/17644076/
 秋原葉月氏 http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-997.html

 さらに秋原氏のコラムを引用する。

 このような悲惨な事件が起きたとき、遺族ではない私たちは、社会は、何をすべきかをいつも私は問いかけます。
 何故犯人は、自分で死にきれないなら死刑にしてもらうため赤の他人を殺してもいいんだと理性と判断力を失うほどの絶望に陥ったのか、その背景は何なのか
 何故、自分が死ぬ手段として、他の方法ではなく、他人を巻き添えにした無差別殺人をおこすという方法を選ぼうとおもう者が現れるのか
 犯罪被害の当事者ではない私たちが負うべき責務は、そういう原因や背景を客観的に徹底的に追及していくことだと思うのです。
 そうでなければ私たちの社会はこういう事件を二度と起こさないための教訓を得ることはできません。 
 怒りと憎しみを共有するだけでは事件から何の教訓も得ることはできないのです。
 こういう事件を教訓とし、今後このような事件を起こさない社会にできるように生かしていけないのなら、犠牲となった方々に社会は顔向けできないのではないでしょうか。
 こういう作業は悲しみにくれるご遺族や関係者などの犯罪被害の当事者の方々ではできません。それを求めるのはあまりに酷です。
 だから犯罪被害の当事者ではない私たちがそれをやらなければいけません。
 私たちがすべきこと、社会の役割は、単に犯人への憎しみと怒りを叫び続けることではなく、こういう冷静な作業です。
 このような痛ましい事件を二度と起こさないような教訓を得て生かしていくこと、それが犠牲となった方々に手向けることができる花束なのだと、私たちの責務なのだと事件が起こる度につくづく思います。
 さて、この事件に関して松井大阪府知事はこともあろうに
「死にたい言うんやったら自分で死ね。自分で人を巻き込まずに自己完結してほしいですね。どうしても行政の支援も受けずにこの世からいなくなりたいなら止めようがない」と語っています。(時事ドットコムより)
 「死にたいなら自分で死ね」―これには絶句です。地方公共団体の首長が口にして良い言葉ではありません。自殺願望を抱えた人間を救うべく何らかの対策を早急にとるのが行政の役割ではありませんか。でも大阪の首長は福祉の切り捨てに邁進し、「自分で死ね」と吐き捨てる。なんとも許しがたいことです。しかも松井氏のこの発言を批判した一般紙の報道は見あたりません(私が気づかないだけかもしれませんが)実に嘆かわしいことです。

 松井こそ、この事件の本質を全く読めていない。
 「貴様こそ今すぐハシゲ、片山さつきと腹を刺しあって死ねボケ」と言うしかない。私はこの恐るべきファシストをハシゲ、片山と以前書人両断の血祭りに挙げて制裁した。いずれも劣らぬ人の屑で議論の相手にもならない恥さらしで、欧米相手では論理的に論破されるのが落ちである。

 事件の真相はいずれにせよこれから分かっていくと思う。
 なので、A容疑者に対する個人的な感想は述べない事にしたい。私にできる事は、この事件の背景にあるゆがみの分析と、再発防止の提案、そして被害者や遺族へのカウンセリングのアドバイスぐらいだ(この種のカウンセリングに関しては松本サリン事件の被害者の河野義之氏や原田正治氏が最適と考える、少なくとも本村某のような死刑推進派にやらせると目も当てられないとんでもない代物になるので絶対にさせないことだ)。
 A容疑者に関しては急いで精神科医に見せる必要がある、だからとても免罪はありえないのだが。だが、井上氏が述べているように「裁判になったら、『自分が楽に死ぬため死刑になろうとは身勝手な犯行であり情状酌量の余地はない。よって主文どおり死刑に処す』という滑稽な」結末になるのは見えている。なので、井上氏は「死刑廃止か憲法改正して残酷刑罰を解禁する」の選択を示し、前者のほうが現実的でその理由は「死刑が無ければ、死刑になりたくて死刑に相当する犯行に及ぶ人は、ほとんどいなくなる。あとは法律を知らない人による犯行が若干残るだけだ」と指摘している。
 井上氏のこの指摘こそ、松井がすべき指摘だったのだ。それができない時点で行政の長として落第と断罪するしかない。そして、松井の暴言に賛同したお間抜け諸君も同罪であるとしか言いようがない。「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」としか言いようのないものたちである。

 ふなぼりすたさん、村野瀬玲奈さん、今回の事件どう思いますか?

2012年08月25日
リスクプレミアムの重みを知らないものが命を安易に語るな
 最初に、豊川市一家殺傷事件で被告人が最高裁に上告したことをこのブログで伝える。
 最高裁は精神医学と向き合った上で国際法に従った常識ある判決を出すよう求めたい。植草一秀氏への不当有罪をそのまま押し付けるような暴挙は絶対にやめてもらいたいたい。

【社会】

豊川一家5人殺傷の被告が上告 
2012年8月20日 20時50分
 愛知県豊川市で2010年、家族5人を殺傷したとして、殺人と現住建造物等放火などの罪に問われた無職A被告(30代前半)は、一審判決と同じく懲役30年を言い渡した名古屋高裁の控訴審判決を不服として、13日付で最高裁に上告した。
 今月6日の控訴審判決は、精神鑑定の結果などから、被告の殺意や完全責任能力を認めた一審判決を支持。「一審判決には事実誤認があり、量刑が重すぎる」と指摘した弁護側の主張を退けた。
 判決によると、A被告は2010年4月17日未明、家族がインターネットの契約を解除したことに怒り、豊川市伊奈町の自宅で、父親のBさん=当時(58)=とめいのCちゃん=同(1つ)=を包丁で殺害。母親ら3人にも大けがを負わせ、自宅に放火した。
 (中日新聞)

 この事件でCちゃんの両親は法廷の場で言語道断の暴言を繰り返した。
 神聖なる法定を感情だけで裁く見世物の場に仕立て上げた罪は取り返しのつかない大きな罪である。その実名を公表し、社会的制裁をここに行う。

豊川殺傷公判、被告の弟「死刑にして」 
2011年11月25日 13時35分
 愛知県豊川市で昨年4月、同居する父親ら家族5人を殺傷し、自宅に火を放ったとして、殺人や現住建造物等放火などの罪に問われた長男の無職A被告の裁判員裁判が25日、名古屋地裁岡崎支部であった。事件で重傷を負った三男の文彦さん(23)と、文彦さんの内縁の妻金丸有香さん(29)が証人として出廷。娘のCちゃん=当時(1つ)=を失った2人は「死刑にしてほしい」と厳罰を求めた。
 検察側の質問で、文彦さんは兄のA被告を「犯人」と呼び、その理由を「もう兄弟と思っていないし、2人も亡くなっているから」と答えた。事件については「悲しい。特に子どもはしゃべることもできないのに殺され、怒りと苦しみを覚える。今でも刺される夢を見る」と話した。A被告は文彦さんと目を合わせず、終始無表情だった。
 金丸さんも検察側の質問で「また襲われるかもしれない。子どもも殺された。クレジットカードの申し込みなどができ、知的障害だったとは思わない」などと死刑を求めた理由を話した。Cちゃんのことを「目や口が開いた状態で苦しそうだった。変わり果てた姿を見たら泣けてきた」と声を詰まらせた。金丸さんが「怖い」と訴えたため、A被告との間についたてが事前に置かれ、顔を合わせない状態で証言した。
 起訴状などによると、A被告は昨年4月17日午前2時15分ごろ、豊川市伊奈町の自宅で、父親のBさん=当時(58)=とめいのCちゃんの2人を殺害。母親ら3人に大けがを負わせ、自宅に放火したとされる。
 自閉症などA被告の障害の影響に伴う責任能力と殺意の有無が争点になっている。
(中日新聞)
*拙サイトでは裁判員裁判で証言に立ち求刑で死刑など厳罰を求めた遺族に対して実名公開で制裁を行っています。理由は感情だけで裁判を行うようなことは許されないということを示すためです。金丸夫妻は己の罪を痛切に反省すべきで、もし懲役30年を受け入れたA被告が出所したら直ちに資材を提供する覚悟があるというのですな?ないのなら、死刑なんて言葉を口にする資格はない!!

 A被告は知的障がい(自閉症)だったほか、被告人の弁護士が行った精神鑑定でも(1)自閉症スペクトラム障害(2)精神遅滞(3)買い物依存症--で、責任能力が限定的な心神耗弱状態だったことが明らかになった。
 私は無罪にするわけには行かないと考えている。どんなに冷静に考えても懲役10年+被害者及び遺族の住む地域から半径100km以内の立ち入り禁止、精神科医によるカウンセリング義務付け、受け入れ施設への入所で十分罰せると考える。
 裁判員裁判は導入当初社会的な常識に基づくフェアな判決が出るという触れ込みだった。だが、その実態は感情だけの暴走裁判になってしまった。まるで『天才バカボン』の目ン玉つながりのお巡りさん(真面目に職務に就いているが短気な性格であり、激こうするとあさっての方向にとにかくピストルを撃ちまくる)に裁判をさせているようなものだ。それではたまったものじゃない。
 今の金丸夫妻は目ン玉つながりのお巡りさんと同じだ。彼らに必要なのは経済的な支援とカウンセリングであって、裁判に参加する被害者参加制度ではない。

2012年09月23日
「死刑!」(山上たつひこ「がきデカ」より)
社会
60人の死刑囚を生かせるのに年間約1億ウォンの税金
SEPTEMBER 04, 2012 08:46
 死刑が人間の尊厳性を侵害するとして2010年に違憲訴訟を出した人は、全羅南道宝城(チョルラナムド・ポソン)で若者4人を連続殺害した漁師のオ・ジョングン(74)だった。オ死刑囚は、2007年8月、海辺に遊びに来た19歳の大学生カップルを自分の船に乗せて海に出た後、男を海に落として溺死させた。女子大生を性的暴行をするためだった。オは、抵抗する女子大生まで海に投げ飛ばした。3週後にも同じ手口で20代の女性2人を殺害した。
 オは法廷で殺人を否認した。大学生カップルは波が荒くて水に落ちたが、救ってあげられなかっただけで、20代女性2人については胸を触ろうとして揉めたところ、海に一緒に落ちたが自分だけが助かったと主張した。だが、被害者の遺体は、肌が所々剥かれていたし、全身が黒いあざだらけだった。船に這い上がろうとするのをオが振るう凶器に打たれてできた打撲傷の痕だった。1審で死刑を言い渡されたオは、控訴審裁判の途中、死刑が違憲だとして憲法裁判所に判断を求めた。

●1人当たり平均3.5人殺害
 オのように、死刑囚が死刑制度について違憲訴訟を提起した例は、1953年に死刑が刑法に定められて以来4件あった。彼らは、「すべての国民は人間としての尊厳と価値を有する」とした憲法第10条を根拠に殺人犯の生命も貴重であると主張した。
 死刑が確定して収監中の死刑囚は現在60人(軍人死刑囚2人を含む)。彼らが殺害した被害者は全部で207人で、1人の死刑囚に平均3.5人が犠牲になったことになる。すでに何人もの生命を奪っていながら、自分の人権を尊重してくれと求めるという皮肉な状況が演じられている。
 一方、被害者の家族は、死刑の執行が理不尽に殺された犠牲者の霊を慰め、遺族の人権を保障するための最小限の手段だと考えている。今年8月20日、ソウル市広津区中谷洞(クァンジング・チュンゴクドン)の自宅でソ・ジンファンが振るう凶器に妻を失った夫は、東亜(トンア)日報記者の電話取材に対し「犯人を死刑にするからと言って心の中のしこりがなくなるわけではないが、そうすることで妻の怨念を晴らすことができる。できるだけ苦しく死んでもらわなければならない」と話した。夫は「ユ・ヨンチョルやカン・ホスンみたいな人間は、監獄ですることもなく食べて足を伸ばして寝ているのに、遺族は国の処分だけを待ちながら一生を傷と向き合わなければならないのなら、それは果たして人権とか正義だと言えるのか」と問い返した。
 京畿道水原市(キョンギド・スウォンシ)でオに無残に殺された20代女性の弟も「無実な人をあんな形でずたずたにしては反省の気配さえも伺えない殺人鬼を、どうして人間として扱わなければならないの。数十年が経っても社会に出せないような危険人物なら、死刑で社会から永久に遮断するべきだ」と話した。
 しかし、韓国憲法は特定法律の違憲性の有無が裁判に影響を与える場合、被告など当事者が違憲法律審判を請求したり憲法訴願を出す権利を認めている。死刑囚もやはり例外ではない。憲法裁判所は、これまで2度あった死刑制に対する違憲審判で、いずれも合憲決定を下している。
 殺人と特殊強姦で死刑が確定したチョン某氏が1995年に提起した憲法訴願で、憲法裁は7対2で「合憲」とした。オが提起した違憲審判も、1年5ヵ月にわたり審理の末、合憲と結論を下した。この件では5対4で裁判官たちの意見が拮抗した。「合憲」とした裁判官5人のうち2人が人権を重視する時代の変化を反映して改善が必要だいう意見を出した。

●死刑囚の特権
 死刑囚は刑が確定したものの執行が行われていないため、「未決囚」として拘置所の独居室で一人暮らしをする。拘置所の外に出られる希望もない上、「どうせ死ぬんだから」という気持ちからへそを曲げるときは他の囚人や看守らに突発的な行動をしたり威嚇することも多いと、拘置所の関係者たちは伝えている。
 ただ、法務部が2008年に関連法を改定し、未決囚の死刑囚を既決囚に準じて扱うことに方針を変えてからは死刑囚らの態度も大きく変わったという。ソウル拘置所に数十人がまとまって収監されていたのを大田(テジョン)、大邱(テグ)、釜山(プサン)、光州(クァンジュ)拘置所へと分散収監されたほか、希望者は労役場で働くこともできるようにした。2010年3月、李貴男(イ・グィナム)法務部長官(当時)は青松(チョンソン)刑務所(現在の慶北北部刑務所)に死刑執行施設を設置し、死刑囚の相当数をここに隔離収容すると明言したが、まだ計画は実行されていない。
 死刑の合憲性が2度確認されたが、死刑は1997年以降15年間執行されていない。政府は死刑囚管理の直接費用として毎年1億ウォンほどを使っている。法務部は死刑囚1人に年間約160万ウォン(2008年度予算基準。人権費や施設費用などは除く)をかけていると試算した。食費113万7000万ウォン、医療費21万ウォン、燃料費10万1000ウォン、収容費9万4000ウォン、被服費5万3000万ウォンがかかるという。死刑囚60人を生かせておくために年間9600万ウォンの税金がかかっているのだ。

東亜日報(韓国)より


 私はこの記事を死刑廃止の観点から見ていう。
 1億ウォンかかるというなら、それだけ働かせて元手を取ればいいのである。それに、冤罪であることがはっきり明らかになった飯塚事件でもようやく証拠と称するものの再検定が行われることになった。なお、被告人の実名に関しては今回のみ掲載する。国家犯罪により不当に殺された彼の冥福を心より祈る。

【社会】
DNA型をネガで分析へ 福岡、飯塚事件の再審請求
2012年9月7日 20時52分 東京新聞
 福岡県飯塚市で1992年、7歳の女児2人が殺害された「飯塚事件」の再審請求で、死刑が確定、本人の再審請求要求が行われていたほか国際社会の反対の中、2008年10月28日、国家により虐殺された久間三千年氏=当時(70)=の弁護団は7日、久間氏のDNA型を撮影した写真のネガ2枚を福岡地裁内で複写した。弁護団は近く、犯人のDNA型と一致するか専門家に分析を依頼する。
 ネガは、福岡地裁が今年2月中旬、警察庁科学警察研究所(科警研)から取り寄せていた。
 鑑定は久間氏を有罪とした証拠の一つだが、再審無罪が確定した足利事件とほぼ同時期に科警研が実施しており、弁護団は「当時は開発途中で、証拠能力がない」と指摘している。
(共同)

*飯塚事件
1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学校1年生だった女児2人が登校中に行方不明になった。翌21日、山中で両児童が性的暴行を受けたと見られる状態で殺害・遺棄されているのが発見された。両児童の死因は頸部圧迫による窒息。
 数日後、福岡県警察は久間氏(当時54歳)を事情聴取したがその段階から犯行に関わっていたことを否定。事件から2年後、本件で久間氏逮捕、同年11月5日に殺人・略取誘拐・死体遺棄で起訴。

 この犯罪に関わった自称裁判官どもをこの場で公開し、死ぬまで厳しい視線に置く必要がある。

 【飯塚事件の自称裁判官】
 福岡地裁第二刑事部1999年9月29日判決  死刑
 陶山博生、重富朗、柴田寿宏   
 福岡高裁第二刑事部2001年10月10日判決 死刑
 小出錞一、駒谷孝雄、松藤和博
 最高裁第二小法廷2006年9月8日判決   死刑
 滝井繁男、津野修、今井功、中川了滋、古田佑紀

 しかも、裁判の時に久間氏と犯人のDNA型が一致しないという鑑定(帝京大学鑑定)があったのに検察は不当に取り上げなかった。
 これでは被害者やその遺族はもちろん、久間氏やその遺族も浮かばれない。犯行動機を「妻と性交ができなかったため、小児にわいせつ行為をすることで性的欲求を満たそうとした」とでたらめを並び立て、被害者の魂を冒涜したのだから、断じて許されない。
 これじゃ、山上たつひこの「がきデカ」のこまわり君に「死刑!」と裁判をやらせるようなものだ。物騒で話にならない。
 最後に、国家が過ちを認め、久間氏の遺族に謝罪すると同時に久間氏の名誉を回復し、自称裁判長や当時の警察官、検察官へ厳重な処罰を下すことを要求する。それと同時に、亡くなられた二人の被害者と久間氏へ冥福を祈る。

Society
Tax of 100 million won per year to capitalize the condemned 60 people
SEPTEMBER 04, 2012 08:46
Oh Jongun of fishermen that killed consecutively four young Boseong, South Jeolla Province in (Jeollanam-Poson) who issued a lawsuit unconstitutional in 2010, the death penalty as violating the dignity of human beings, it was (74). After you have put out to sea in his ship a couple of 19-year-old college student in August 2007, came to visit the seaside, Oh condemned, he was allowed to drop into the sea drowned man. It was for a college student to a sexual assault. Oh, was flung into the sea to a college student to resist. We have killed two women in their 20s with the same modus operandi, even after 3 weeks.
Oh denied the murder in a court of law. Own and survived a couple college students fell in the water wave is rough, just was not up to save, was a dispute in an attempt to touch the chest, about two women in their 20s fell together into the sea claimed. However, some places I have been peeling the skin, and the bodies of the victims, the black was covered with bruises. Marks of bruises that were struck by the weapon It has resulted from the tail to try to wield agarose Yes to ship. The middle of the appellate court, was sentenced to death in the options that the first trial, the judge asked the Constitutional Court to have the death penalty as unconstitutional.

● average of 3.5 people per capita murder
Oh, as for example, a death row inmate has filed a lawsuit for the death penalty unconstitutional, there were four ordained death penalty since the Criminal Code in 1953. They claim to be a valuable life murderer on the grounds of Article 10 of the Constitution, which states that "every citizen has a dignity and value as human beings and".
Condemned prisoners (including two soldiers condemned) the death penalty is now 60 people confirmed. will be a total of 207 people, average of 3.5 people fell victim to one condemned victims they had killed. Ironic situation of finding that while deprived of the life of any person already, and to respect the human rights of their own who have been playing.
On the other hand, I believe that the family of the victim, it means minimal to console the spirits of the victims were killed in the execution of the death penalty is unreasonable, to guarantee the human rights of the bereaved. August 20 this year, my husband who lost his wife on the weapon Seo Jin fans wield at home sinus Nakatani Gwangjin-gu, Seoul (Gwangjin-Chungokudon), the death penalty the offender "for a telephone interview reporter Dong-A Ilbo lump in the mind but not disappear just because you, I told you can dispel the curse of the wife in doing so. "We should have died painful as possible. Human like Kang Hosun "and Yoo Young-chul husband was spent sleeping legs stretched out to eat without also be in prison, bereaved I must face the wound his life while waiting for the only disposal of the country If I ask again, it "or say that it is really justice or human rights.
Why treat as a human being, a murderer that mangle in the form of such a person innocent "even brother of women in their 20s were killed cruelly to turn in (Gyeonggi Province Suu~onshi) Suwon, Gyeonggi-do is not suggesting or even signs of remorse I would not talk if dangerous person to society Dase years. dozens of must have also passed, "We should cut off permanently from society death.
However, if the presence or absence of specific unconstitutionality of the law will affect the trial, the Korean Constitution has recognized the right to issue a constitutional petition party, such as a request for a trial or the defendant law unconstitutional. It still is not an exception even condemned. In the control trial for the death penalty was unconstitutional twice so far, the Constitutional Court has any constitutional decisions.
In the constitutional petition that Mr. Chung has been confirmed in the death penalty murder and special rape has filed in 1995, the Constitutional Court was a "constitutional" in the 7-to-2. referee also unconstitutional tail is raised, at the end of the trial, concluded that the constitutionality over one year and five months. Opinion of the judges was antagonized by 5-4 in this matter. I issued an opinion that said improvement is needed to reflect the changes of the times that two out of five judges who have made the "constitutionality" is an emphasis on human rights.

● privileges condemned
Condemned to live alone in the solitary chamber of prison as a "prisoner awaiting trial" because the executive has not been performed but the sentence has become final. When you get bent out of shape from feeling on top there is no hope to be out of the detention center, called "Because I'm dead anyway" When often intimidate or to act sporadic from the jailer and the other prisoners, the prison officials have said.
However, from a policy change that the Ministry of Justice to amend the legislation in 2008, treated according to a convicted prisoner condemned prisoner awaiting trial is that these attitudes have changed greatly condemned. Other incarcerated distributed Daejeon, Daegu, Busan, and to jail Gwangju had been imprisoned dozens together in prison Seoul, who wish workhouse I was also able to work in. In March 2010, established the execution facility to jail (Chonson) (prison in northern Gyeongbuk current), (then) housed isolated here a considerable number of condemned Cheongsong Justice Minister (Lee Gu~inamu) Takao Lee I stated then, the plan has not yet been executed.
Constitutionality of the death penalty has been confirmed twice, the death penalty has not been enforced for 15 years since 1997. Government is using about 100 million won annually as direct costs of administration condemned. The Ministry of Justice has estimated that about 1.6 million won per year (for example, human rights costs and facilities costs. Standard 2008 budget are excluded) and are putting one person condemned. That it takes 50,000 won 30,000,009 million won won won 210 000 101 000 1.137 million won 万 food, medical costs, fuel costs, housing costs, clothing costs. I won that ran 96 million tax year in order to keep 60 people condemned capitalize.

From Dong (South Korea)


I said that from the point of view of the abolition of the death penalty this article.
It said that it takes 100 million won, it was decided that is should I be able to afford the capital to work that much. Besides, re-verification of what is referred to as evidence finally in case Iizuka, that it is a false accusation was revealed clearly is performed. The , with respect to the real name of the defendant sincerely pray for the repose of his was killed unjustly by the state crime. now only be published.

[Society]
Appeal for retrial Fukuoka, Iizuka incident to the analysis of DNA in the negative type
52 minutes at 20 Tokyo Shimbun, September 07, 2012
In the opposition of the international community, 2008 as well as 1992, in the appeal for retrial of the case "Iizuka," was killed, two girls of 7 years old death confirmed, request appeal for retrial of the person in question had been carried out in Iizuka, Fukuoka Prefecture 7 days, lawyers (70) = The copy in the Fukuoka District Court to two negatives of photographs of type DNA of Mr. Kyuma Mr. Michitoshi Kyuma = time, October 28, were killed by the state. Near, lawyers will ask the expert analysis to either match the DNA of the criminal type.
Mid-February this year, the negative, the Fukuoka District Court had ordered from the National Police Agency National Research Institute of Police Science (Kakeiken).
Expert opinion, but one of the evidence that convicted Mr Kyuma, pointed Kakeiken has performed around the same time as the case Ashikaga innocence retrial has been confirmed, "At that time, in the middle of development, is not capable of proof" defense counsel and are.
(Co)

Iizuka incident *
Two girls, February 20, 1992, was the first grade of Iizuka, Fukuoka Prefecture has gone missing in school. Next 21 days, have been killed in the state of abandonment, seen as both children being sexually assaulted in the mountains have been discovered. Cause of death of children due to compression asphyxiation both neck.
Denied that he had been involved in the crime from the stage after a few days, Fukuoka Prefectural Police were questioning Mr. Kyuma (54 years old at the time). Two years after the incident, Mr. Kyuma arrest in this case, charged with abandonment of a corpse, kidnapping, murder on November 5 of the same year.

Must be published in this field our self-proclaimed judge involved in this crime, tough place to look before you die.

Self-proclaimed judge of the case [Iizuka]
Death sentence on September 29, 1999 Fukuoka District Court Criminal Division second
Hiroshi raw Suyama, Akira Shigetomi, Toshihiro Shibata
Death sentence October 10, 2001 Fukuoka High Court Criminal Division second
Junichi Koide, Komatani Takao, K. Matsufuji
September 08, 2006 death sentence petty second Supreme Court
Shigeo Takii, Osamu Tsuno, Isao Imai, Shigeru Ryo Nakagawa, Yuki Furuta

Moreover, the prosecution did not unduly take up even though there is a (Teikyo appraiser) appraisal of the criminal and his bear DNA type that does not match at the time of the trial.
"Because you can not fuck with my wife, we were trying to meet the sexual desire by molested in childhood," of course, the bereaved family and the victim, not float even the bereaved family and Mr Kyuma. Motivated crime in this is Narabitateru bullshit, because it was the soul of the victim to blasphemy, I simply can not afford.
Think this, I do not like to talk about something and let trial do what! "Death" to you maneuverability of the "big brat" of Tatsuhiko Yamagami. Not safe.
Requires that at the end, the State admitted the mistake, at the same time to restore the reputation of Mr. Kyuma and apologize to the family of Mr. Kyuma, make a serious penalties and police officers at the time of self-styled chief justice, to the public prosecutor. While at the same time, pray for the souls of the victims and to Mr. Kyuma two people died.

2012年10月05日
犯罪加速装置に成り下がった死刑制度
 またしても呆れたポピュリズム法務省である。
 中日新聞より死刑囚の個人情報を隠した上で引用する。

男女2人の死刑執行 野田内閣で計7人
2012年9月27日 11時45分
 法務省は27日午前、男女2人の死刑を執行したと発表した。前回8月3日から2カ月弱での執行で、滝実自称法相の下では2回目。昨年は19年ぶりに年間を通じて執行されなかったが、野田政権下では3回目で、今年に入って計7人の執行となった。
 法務省によると、死刑が執行されたのは、A死刑囚(60代後半女性)=仙台拘置支所=と、B死刑囚(30代後半男性)=福岡拘置所。女の死刑囚の執行は1997年以来で、男女別の統計がある50年以降で4人目。今回の執行により未執行の確定死刑囚は131人になった。
 滝自称法相は記者会見で「いずれも身勝手な理由から尊い人命を奪った残忍な事件。前回の執行前から、この2件について調査してきた。前回から2カ月足らずではあるが、調査が完了したから執行した」と述べた。
 確定判決などによると、祈祷師だったA死刑囚は94~95年、福島県須賀川市で共同生活していた信者を「除霊」と称して太鼓ばちで殴るなどして4人を殺害、2人を死亡させた殺人と傷害致死罪などで、一審福島地裁が死刑を言い渡し、二審仙台高裁も支持。最高裁が上告を棄却し、2008年10月に死刑が確定した。
 B死刑囚は03年、熊本県宇城市で、借金の返済金欲しさに女性=当時(54)=と同居の男性=同(54)=の胸を包丁で刺して殺害し、7万円などを奪った強盗殺人罪などで、一審熊本地裁が死刑を言い渡し、二審福岡高裁も支持。上告したが09年4月に取り下げ、確定した。
(中日新聞)

 死刑囚二人とも再審を申請していたことが明らかになっている。
 こんな状況で死刑を執行した暴挙に日々格闘記管理人として怒りを覚える。欧州連合(EU)のキャサリン・アシュトン外交安全保障上級代表(外務大臣)は「非常に遺憾だ」とする声明を発表した。アシュトン氏は、「EUと日本は同じ考えを持つパートナーだ」「死刑を廃止した国々の仲間に日本も入ることを望む」「死刑は残虐、非人道的で、人間の尊厳を守るには廃止が不可欠だ」と日本政府を厳しく批判した。
 アシュトン氏の指摘は正しい。B死刑囚は謝罪していたことも明らかになり、死刑にする根拠ですらもなくなった。終身懲役刑こそ、B死刑囚にはふさわしかったのだ。EU公式サイトより引用させていただく。

http://www.consilium.europa.eu/uedocs/cms_data/docs/pressdata/EN/foraff/132639.pdf

仮訳
ブリュッセル、2012年9月28日
EU上級代表キャサリン・アシュトンによる声明

 キャサリン・アシュトン欧州連合(EU)外務・安全保障政策上級代表兼欧州委員会副委員長の報道官は本日、以下の声明を発表した。
「アシュトン上級代表は、本日日本において、A死刑囚とB死刑囚の2人の死刑が執行されたことを極めて遺憾としている。これにより、今年日本で執行された死刑の数は7件となった。その前の2年間は、死刑の執行がなかった。上級代表は3月に声明を発し、死刑執行の再開を非難するとともに、日本に対し、死刑に関する徹底した国民的議論を実現すべく、執行停止の導入を真剣に考慮するよう強く呼びかけた。
 日本とEUは、同じ考え方を持つパートナーとして、緊密に連携している。EUは日本が死刑廃止国の仲間に入ることを心より強く希望する。EUは、日本の国会議員および市民社会の利害関係者とともに、定期的にセミナーを開催することで国民的議論に寄与するとともに、日本政府とも定期的に協議を行い、自らの考え方を説明している。
 欧州連合は、あらゆる事例において、例外なく極刑に反対するとともに、一貫して普遍的廃止を呼びかけている。EUは、死刑が残酷かつ非人道的であり、死刑を廃止することが、人間の尊厳を擁護するために不可欠だと考える。世界中の国の3分の2が死刑を廃止もしくは適用しなくなったことを真摯に受け止めてもらいたい」

 EUROPEA1 U1IO1 Brussels, 28 September 2012
A 430/12
Statement by EU High Representative Catherine Ashton
on the recent executions in Japan
The High Representative of the European Union for Foreign Affairs and Security Policy and Vice
President of the Commission issued the following statement today:
"I deplore the execution in Japan of two death row inmates, Yukinori Matsuda and Sachiko Eto on
27 September 2012. This execution took place only a few weeks after the execution of two other
death row inmates in August. This brings the number of people executed this year in Japan to seven,
a worrying trend following a period of nearly two years during which no executions took place.
I reiterate my call for Japan to consider seriously a moratorium, to allow a thorough public debate
on the death penalty, pending its complete legal abolition. This would bring Japan into line with the
worldwide trend away from the death penalty. More than two-thirds of countries around the world
have formally abolished or ceased to apply the death penalty, as called for by the UN General
Assembly."
__________________

 
 死刑執行に対する抗議声明【アムネスティ】
2012.9.27 12:48

公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
 アムネスティ・インターナショナル日本は、本日、仙台拘置所のA氏と福岡拘置所のB氏の2人の死刑確定者に対して死刑が執行されたことについて抗議する。特に、死刑執行のなかった翌年にもかかわらず、すでに3度の死刑執行を行ったことは、死刑執行に固執し、執行を恒常化させる政府と法務省の意思表示ともいえるものであり、これに強く抗議する。
 滝自称法相は、本年6月の就任後の衆院法務委員会で、執行は法相の職責であり、執行をするとの考えを明言していた。確かに、死刑は我が国の法に定められた刑罰であり、滝自称法相は、法にのっとった執行をなすべきことが法相の職責であるとする。しかし、法の内容が国際人権基準に反するものである場合には、その法を改正すべく努力することもまた、政府、法相および法務省に課せられた義務である。日本政府は、国連総会決議、国連人権理事会の普遍的定期審査、そして国際人権規約委員会の勧告等で、再三、死刑の廃止に向けて努力することを強く要請されている(小野加筆・この要請は国際的義務の一つで日本政府は絶対に回避できない)ことを忘れてはならない。
 また、滝自称法相は、9月25日の閣議後の会見で、在任わずか4カ月弱にも関わらず、自ら法相の交代を求める発言をしていた。大臣職に対するこのような軽薄な責任感の中で、滝自称法相が2度に及ぶ死刑の執行という重大な決断をしたことは、刑の執行という重要な判断を法相に委ねた法の趣旨をはたして全うしたと言えるのか、大いに疑問である。
 さらに、執行されたBさんについては、本人が上告を取り下げ、死刑判決が確定した。これは、国連決議である死刑者権利保護規定(注1)が求める必要的上訴の確保の要請に応えないままの執行であった。死刑判決にはより一層の慎重さが求められるところ、この執行を命じた法相は、国際基準にのっとった責任を果たしているとは言い難い。
 アムネスティは、あらゆる死刑に例外なく反対する。死刑は生きる権利の侵害であり、究極的な意味において残虐で非人道的かつ品位を傷つける刑罰である。アムネスティは日本政府に対し、死刑廃止への第一歩として、公式に死刑の執行停止措置を導入するよう要請する。
 日本政府は、国際人権諸条約の締約国として、死刑に頼らない刑事司法制度を構築する国際的な義務を負っていることを改めて確認しなければならない。そして、日本政府は、生きる権利をはじめとする人権保障の大原則に立ち戻り、死刑の執行を停止し、死刑廃止に向けた国民的議論を速やかに開始すべきである。

2012年9月27日
公益社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本
(注1)死刑者権利保護規定6条後段

【背景情報】
 日本は、国際社会の責任ある一員として、死刑廃止に向かう世界の情勢も十分に考慮しなければならない。現在、全世界の7割に当たる140ヵ国が、法律上または事実上死刑を廃止している。アジア太平洋地域においても41ヵ国のうち28ヵ国が、法律上または事実上、死刑を廃止している。東アジアでは、韓国が2008年に事実上の死刑廃止国となり、現在まで14年間、執行を停止している。さらに、本年3月13日にはモンゴルが、そして7月5日にはベナンが、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第2選択議定書(いわゆる死刑廃止議定書)に公式に加入した。死刑廃止へと進むこれらの国の多くで、世論の多数は死刑の存置を支持していたことを踏まえると、死刑廃止へと国民を導く政治的リーダーシップがいかに重要かがわかる。
 アメリカは、G8諸国内で日本と並ぶ死刑存置国ではあるが、本年4月25日には、コネチカット州で死刑が廃止された。現在、全50州のうち17州とコロンビア特別区が死刑を廃止しており、死刑廃止州の割合はついに3分の1を超えた。さらに、昨年11月22日にはオレゴン州知事が任期中の執行停止を表明している。2011年に、実際に死刑を執行したのは、13州にとどまっている。
 冤罪の危険性も、死刑廃止の重要な論拠である。とりわけ、現在も再審請求の審理が続く袴田事件では、代用監獄や捜査取調べ中の自白強要など、冤罪につながる日本の刑事司法の問題点が、数多く指摘されている。そして、本年4月16日には、冤罪の決定的な証拠ともなりうるDNA鑑定の結果が提出された。国家が引き起こす冤罪による長期間の拘禁と処刑は、「究極の不正義」である。刑事司法から誤判の可能性を完全に払拭することができない以上、死刑という取り返しのつかない刑罰を行使すべきではない。
 死刑に特別な犯罪の抑止効果はない、ということも今日の世界的な共通認識となっている。科学的な研究において、死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止するという確実な証明はなされていない。死刑と殺人発生率の関係に関する研究が1988年に国連からの委託で実施され、1996年と2002年に再調査されているが、最新の調査では「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける研究はない。そのような裏付けが近々得られる可能性はない。抑止力仮説を積極的に支持する証拠は見つかっていない」との結論が出されている。また、いわゆる「みせしめ」としての死刑は、国家による究極的な暴力に過ぎない。人間の生きる権利を、政治的社会的な目的のための手段とする発想は、国際人権基準に照らし、決して許されるものではない。
 アムネスティは、死刑判決を受けた者が犯した罪について、これを過小評価したり、許したりしようとするわけではない。しかし、被害者とその遺族の人権の保障は、死刑により加害者の命を奪うことによってではなく、国家が経済的、心理的な支援を通じ、苦しみを緩和するためのシステムを構築すること等によって、成し遂げられるべきである。

▼人びとの命を守るために、あなたにできるアクションがあります
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/syria_20120608.html

▼△▼アムネスティとは?▼△▼
アムネスティ・インターナショナルは、世界最大の国際人権NGOです。1977年にノーベル平和賞を受賞し、現在は全世界に300万人以上のサポーターがいます。
http://www.amnesty.or.jp/

▼アムネスティ日本公式Facebook
http://www.facebook.com/amnesty.japan

 さあ、死刑容認をネットでほざく諸君はこの言葉に反論できるか。
 反論するがいい。こちらは合理主義や国際法で反撃できる用意はいくらでもある。滝自称法相は会見で「死刑廃止といっても、国民の間では遠い存在だ」と大暴言をほざいたが、この暴言をEUでやってみるがいい、大スキャンダルになるだろう。さらには「8月の執行以前から調査を進め、十分に検討して判断した。駆け込み執行ではなく最終判断したのは25日以前だった」とまでしゃあしゃあとほざいているが公職失格を自ら証明した。
 滝は己の罪が深刻であることを知らない、なぜならこの死刑執行が新たな犯罪誘発の鍵になる危険性を招くことは論を待たないからだ。死刑制度が犯罪加速装置に成り下がった以上、死刑は絶対に廃止すべきだ。死刑よりは福島第一原発の危険な箇所の後始末をさせて放射能漬けにして死刑の代行にしてしまえばいいまでのことにすぎない。

この記事へのコメント
死刑は国家による集団リンチ殺人。殺人犯の排他的テロリズム「ムカつく存在はこの世から抹殺」が自分にも共通するという矛盾から目を逸らすため、死刑推進派ほど殺人犯を殊更非難(同属嫌悪)する/感情自己責任論
Posted by あ at 2012年12月15日 13:06

2012年12月15日
コメント回答 2012年12月15日
 死刑に対するコメントをいただきましたので回答させていただきます。
 コメントの趣旨は賛同します。死刑はいわば国家による集団リンチであるのは納得します。
 なお次回からはハンドルネームを定めてコメントをお願いします。建設的な議論にはプラスになります。 

2013年03月27日
裁判官よ、これが当然の判決だ

埼玉・千葉連続刺傷:少年の精神鑑定医師「障害、動機形成に影響」--公判 /埼玉
毎日新聞 2013年02月22日 地方版
 三郷市と千葉県松戸市で11年11~12月に起きた少女2人に対する連続刺傷事件で、殺人未遂などの罪に問われた埼玉県内の少年(10代後半)の裁判員裁判の第3回公判が21日、さいたま地裁(田村真裁判長)であった。精神鑑定で少年を「特定不能の広汎(こうはん)性発達障害」と診断した精神科医の井原裕・獨協医大越谷病院医師が証人出廷し、「(同障害が)動機形成に一定の影響を与えた」と証言した。
 井原医師は、さいたま地検の依頼で、犯行時の精神疾患の有無や、疾患が犯行に与えた影響などを鑑定。障害があるため「想像と現実の区別がつかない。考えたことをやってみたくなる『実験好き』だ」と指摘した。
 さらに想像力が不足し、自分の行動がどんな影響を及ぼすかも考えられないとし、ナイフ収集や放火を重ねた点も「同じことを繰り返しやってしまうという障害の特徴」とした。
 また「少年の興味や関心は狭く偏っている」と分析。その上で「犯行に及ばなかったら『変わり者』で済むが、興味や関心が武器や少女への加虐性など反社会的な方に向かい、さらに性的行動に直結したことが不幸だった」と述べた。【狩野智彦】


埼玉・千葉連続刺傷:少女刺傷、家裁移送 発達障害「少年責められぬ」--さいたま地裁
毎日新聞 2013年03月13日 東京朝刊

 埼玉、千葉両県で11年11~12月、少女2人が刃物で切りつけられた連続少女刺傷事件で殺人未遂などの罪に問われた埼玉県内の少年(10代後半)の裁判員裁判で、さいたま地裁は12日、さいたま家裁へ移送する決定をした。争点は、刑事処分か保護処分かだったが、田村真裁判長は「医療少年院に長期間収容して個別の治療や矯正教育をし、保護観察所に家庭環境の調整をさせることこそ、再犯防止の最良の手段」と述べた。
 少年は事件後の精神鑑定で、生まれつき興味や関心に極端な偏りがある特定不能の広汎(こうはん)性発達障害と診断された。弁護側は保護処分のための家裁移送を求め、検察側は懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑していた。
 決定は、結果の重大性や計画性を認め「刑事処分を選択するほかないように思える」と指摘。しかし、その上で、障害の影響により少女への加虐性愛というゆがんだ価値観が形成されたとし、「障害や不適切な成育環境が動機に直結した。そうした事情がある少年を責めることはできず、動機の悪質性を少年に不利に考慮するのは相当でない」と判断した。弁護側の柴野和善弁護士は「少年にこの決定をきちんと受け止めてもらうことを期待している」と述べた。さいたま地検の森悦子次席検事は「被告が障害をもつ少年という特異な審理で、熟慮を重ねた末の判断と受け止めている」とコメントした。
 発達障害や知的障害のある被告人の刑事弁護が豊富な副島(そえじま)洋明弁護士は「司法が障害を理解しようとし始めている姿勢の表れだ」と高く評価した。【狩野智彦、田口雅士】


 これが、国際法に沿った当然の判決である。
 副島氏が高く評価すること自体が本来おかしく、こうしたことが当たり前の判決にならなければならない。むろん、犯した罪に対しては厳しく問わなければならないが、感情的断罪では同様の悲劇は断じて消えない。被害者たちの傷ついた心が回復されることを真摯に願うと同時に、被告人の真の再生と罪と向き合う態度が芽生えるよう心より強く願っている。
 それに対して、最近の裁判はいかに歪んでいるのか。被害者感情ばかりが優先され、被告人の更生と事件の再発防止が軽視されているのはなぜか。被害者参加制度によって裁判は完全に破壊され、決定打になったのは裁判員制度である。これらによって感情的厳罰が暴走するように垂れ流された。
 こうした歪みに歯止めをかけるべきだと私は何度も指摘してきた。土浦市で起きた連続殺傷事件の被告人は最後まで反省せず、むしろ率先して死刑台に鼻歌を歌いながら登ったに等しい。そんな状況に追い込んだのは感情的厳罰であることは明らかだ。私は死刑の廃止と修身懲役刑導入を強く主張しているがその指摘が正しいことを今回は確信せざるを得なかった。

2013年03月30日
犯罪被害者の権利とは何か
 言葉というものは本当に恐ろしいものだと感じています。
 今回コメントするのは死刑執行に関するちょっとしたことです。私が死刑抑制論者であることはここにいる方々がよくご存じであるかと思います。それと同時に犯罪被害者への対応が間違っていることを指摘してきたことを皆さんご存知かと思います。
 犯罪被害者にある権利はカウンセリングと経済支援(この場合は転職や引っ越しも含めてです)です。民事訴訟で損害賠償請求の権利もありますが、それは冤罪ではないことが確定した場合です。そのことを前提にして、私から言いたいことがあります。
 被害者や遺族が裁判に出て証言した結果、裁判の厳罰化にいまつながっている印象は否めません。死刑囚の中には世の中への絶望故に自殺目的に凶悪犯罪を犯すケースが目立って増えています。それでいいのかと私は言い続けてきました。そんな犯罪者に憎悪の死刑では何の意味はないのです。
 この前の名指しでの批判はそうした過ちを犯した犯罪被害者への警告です。そこのラインで正直衝突することは覚悟の上でした。このことははっきり言って人それぞれの信念であり、同じ影を見つけることはできないのだと私は思っています。
 憎悪を断ち切るには憎悪ではできません。死刑執行されても、被害者は戻ってきませんし死刑囚の周辺の人たちは逆に被害者遺族への憎悪を持つことでしょう。そういうことへの覚悟なくして死刑にしろというのは安易すぎます。
 私も犯罪被害者の一人です。ですが全くカウンセリングも受けていませんし、加害者の摘発もされていません。泣き寝入り状態に追い込まれています。そういう立場から言わせると摘発されただけいい方なのであって「甘ったれるな」とも言いたくなります。加害者への怒りは強いですが、それでも感情で罰する事には賛同できません。事実と法律にのっとりフェアに裁くことと、再発防止だけを望んでいます。
 加害者遺族でなくとも、その友人が憎悪を持つことでしょう。憎悪を断ち切るには、罪を生み出す構造を断ち切ることから始めるべきだということなのです。

 このことについては様々な意見があります。
 一概にこうだという解決方法はありません。しかし、いろいろな解決方法もあるのだと思っています。その点でも多くの方々の意見を聞いてみたいと願っています。

2013年05月18日
死刑規制法を提案する
 感情的な厳罰主義は司法に重大な混乱を与えている。
 そうした歪みに歯止めをかける為、死刑を抑制し、終身懲役刑を導入すべきであるとここにて提案する。

 死刑規制法
 1.この法律は死刑に関する手続きを定める。そのことにより、死刑執行が適切に行われるようにする。
 2.死刑判決確定後、判決謄本及び公判記録がその死刑囚の該当検察庁に送られるが精神疾患の可能性が高い死刑囚についてはその手続きを停止し、終身懲役刑に刑罰を変更する。
 3.一審で死刑判決(高裁に係属する前)が確定した場合は、判決を言い渡した裁判所に該当する地方検察庁、それ以外は二審裁判所に該当する高等検察庁に送付される。書類を送られた高等検察庁の検事長、または地方検察庁の検事正は、その死刑囚に関する上申書を法務大臣に提出する。
 この際、被告人が再審請求もしくは再審請求の意思を示している場合はこの手続きを即時に停止する。
 4.起案書作成までの手続きは以下のように定める。上申書を受けて、法務省刑事局は、その検察庁から裁判の確定記録を事件の被告人の弁護人の立会いの元取り寄せる。記録は刑事局総務課で、資料が全部揃っているか、落丁が無いかをチェックし、その上で刑事局付きの検事の中から1人が選ばれて、記録の審査をする。審査の主な注意点は、刑の執行を停止する事由や再審の事由や非常上告の事由や恩赦相当の事由があるかどうかである。また、冤罪の可能性がある場合は再捜査も勧告する事。
 そのうえで、市民から無作為に選ばれた人権委員会により、死刑囚の死刑についての起案書について採決を三度行う。その際に一人でも反対が出た場合は終身懲役刑に刑罰を変更する。
 5.人権委員会は無作為で選ばれた20人の市民により半月に一回実施する。協議内容は非公開とする。人権委員会の勧告を法務省は尊重し受け入れる義務を担う。
 6.人権委員会による三度の審査の結果、死刑欠格事由が全くないという判断が出たうえで検事が確認すると、死刑執行起案書を作成する。死刑囚が身体や精神を病んだり、女性の場合懐妊していたりすると、書類はすぐに刑事局に回収され、終身懲役刑に変更する。
 7.死刑執行時に必ず法務大臣と最高裁判庁長官、法務省事務次官は立ち会うこと。

 この法律では様々な手段において死刑ができないようにもっていっている。
 つまり、死刑規制法ということは死刑についての手続きを明確化することにより、死刑をやりにくくする必要がある。死刑をやめることは、国連から日本に求められている国際的義務である。ならば、この法律こそ日本は共通番号法(日本国憲法および国際法違反)よりも即刻導入し、犯罪者に被害者や遺族の痛みと真っ向から向き合わせる更生を行わせるべきだ。
 死刑よりも強烈な刑罰はある。福島第一原発で放射能除去作業を死ぬまでやらせることである。それも放射能汚染の酷いところだ。いろいろな考え方はあるが、みなさんでも慎重に考えてほしい。死刑というのは人の命を奪うと同時に重大な刑罰なのだから。