2013年10月31日木曜日

雑談コラム その1

 久しぶりに雑談系でコラムを見てみた。
 非常に多いのに驚かされた。だが、ネットの世界は本当にごちゃごちゃしていて戸惑うことばかりなのだ。

2013年02月03日
ドケチでもいいけど
 私は最近メモ代わりにレシートの裏側を使っている。
 裏側に思い付いたことを書き留めてパソコンに記入することで思考を整理しやすくなる。趣味でもこれはうまくいっている。このメモ用紙は簡単だ、コンビニや食品ストアに不要となったレシートがあるので拾えばいい。しかし、このアイデアには一つ欠点がある、場合によっては窃盗罪になる可能性もある。窃盗罪というのは財産を放棄したレシートの所有権はどこに移るのかということにあるが、この場合はコンビニか食品ストアになる可能性がある。
 そこでまだまだドケチのアイデアを練る必要がある。会社を経営する社長が自身の身の程をもっとドケチにすればするほど企業の成長は加速する。豊臣秀吉と徳川家康を見ればわかるではないか。家康はドケチだったのに対して秀吉は成り上がり故のド派手だったではないか。
 また、コンピュータを使ったコスト削減もある。スマートフォンにアイデアを書き込んで文書に保存するなりメールで送るのである。こうしたドケチのアイデアは考えれば考えるほど蓄積していく。ドケチのアイデアは無限大に広がっていくものなのだ。
 まだまだドケチの無限の可能性はある。みなさんのドケチもどんどん披露願いたい。人に迷惑を変えないドケチもまた楽しいものなのだ。

2011年11月27日
私の職場にいる呆れた人
 今回は久々に仕事に関してコラムを書かせていただきたい。
 まず、その前に最初にサガン鳥栖がJ1昇格を確実にした。サガン鳥栖のサポーターとして心より祝いたいが、同時に今後J1でどう戦っていくかが問われている。くれぐれも慢心なきようお願いしたい。

 現在、私はある会社でピッキング作業の請負労働者として働いている。
 その中でさまざまな問題点があり、この場ではいえない事情を抱えて動いている。その問題点を悪化しかねないような問題児がいる。その彼は無気力を絵に描いたかのようで、やるべきことをさまざまな理由をつけてサボり、先輩である私がフォローする羽目になっている毎日である。
 しかも、左親指をカッターで切った際も何の反省の態度を示さない有様である。普段は文句や愚痴をこぼすほうだがさすがに私も面倒が見切れなくなり、自分のやるべきことは先にある程度こなした上で無視することにした。このような問題児はだが、残念ながらどの職場にもいる。何もこの場で愚痴をこぼしたいとは思わない。しかし、仕事をこなさないで忙しさを理由に逃げるようではあまりにもひどいと思うのは私だけであろうか。
 私は本来仕事があればどんどん行きたいと思っている。要するに金が欲しいだけなのだが、同時にやりがいがあるからだ。だが、こうした無気力な輩には困ってしまう。そういう場所では正規雇用されたとしても責任ばかりが押し付けられる始末だ。まじめにやっている人間が貧乏くじを押し付けられるのでは本末転倒ではないか。
 そうしたものが横行した結果、組織は腐敗する。アビスパ福岡がJ2に降格したのもうなづける。まず、福岡の関係者はフーリガンの「ウルトラオブリ」との関係を断絶し、誹謗中傷の被害者たちに謝罪することと、ユース強化という地道な取り組みからチームの再建を始めなければならない。しかも、フロントもきっちりした哲学の下でなければならない。


2012年03月02日
エリート論
 今回、取り上げるのはエリートである。
 オウム真理教に多くのエリートが入信していたことは相当な衝撃を与えた。だが、私は驚かなかった。1988年から翌年にかけて放映された特撮「超獣戦隊ライブマン」の敵役・オブラーからだ。この男は天才こそが全て、無能な頭脳を持つ人間は下等生物であるという屈折した美学におぼれこんでしまった。これこそ、オウム神仙の会そのものである。
 しかも、彼は天才だと信じ込む母親から遊びを禁じられて勉強を強要され、部屋に箱詰めになってひたすら勉強する厳しい毎日。そうして周囲の二人の仲間がボルトなる支配組織にスカウトされたのに対して志願して加入した。そして、地球侵略にいそしむわけである。
 だが、彼も雑巾のようにぼろぼろにされてボルトを追い出されていくわけだ。

 
エリート(仏:élite)とは、社会の中で優秀な能力や影響力を持つ人間や集団である。エリートは、社会に役立てることを期待されて、選抜と訓練とを受けた存在である。日本語では「選良」という言葉が示すとおり、社会に必要とされる能力を持つ、人材の一種である (後述のように、ギリシア神話に登場する死後の楽園エーリュシオンが語源と言われており、ラテン語の原語では、エリートは「神に選ばれた者」すなわち「自分の利害得失と関係なく他人や物事のために尽くせる人」を意味する)。
社会においてエリートは指導的な影響力を持っている。社会科学的には社会システムの上位を占める集団であり、高い権力、戦力、財産のいずれかを保有している。そしてそれらを用いて社会の各分野や職業集団でその構成員の態度や行動を主導することができる。
「人は平等である」(ともすれば「人は同等である」とも)という考え方からすれば対極とも考えられる概念であるが、社会全体の機能を考慮した場合、失敗が許されない重大な局面に於いて特定の分野に優れたエリート集団に、その処理が任される事は不思議なことではない。
(Wikipedia日本語版)

 だが、この言葉の意味を日本の教育は軽視してきた。オブラーの母親のようにただ天才だけを育てようとしてきた。
 http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/0000ozomasii7.htm を参照願いたい。
 このような人間を生み出してきたのは、私を含めた傍観者たちの責任が大きい。エリートという、力ゆえにそれなりの責任が同時に伴うのである。鈴木邦男氏と対談したひかりの輪の上祐文浩代表は鈴木氏の「なぜ、東大・京大などのエリートが、こぞってオウムに入ったのか」との問いかけに「頭のいい学生たちは、科学で解明できないことはないと思っている。そこに小さな「超能力」を見せてやる。信じられない世界だ。学生たちは、じゃ、俺たちが習った世界は何なのだ、と、その世界がガラガラと崩れる」と話している。
 では、そんな彼らに「そりゃちゃうわ」と突っ込める友はいたのだろうか。居なかったのが現実ではないか。そこにエリートの弱さを私は感じる。同時に言えば、エリートは孤独なのでもある。オブラーもそうだったのだろう。

2012年03月07日
本当に強い人になるには
 今回は「心の強さ」について、ここに私の考えを述べたい。
 拙意見であるのだが、心の強さとは自分の弱さを率直に認めることである。それは他人に対する劣等感をスパッと認めることだ。
 男性よりもなぜか女性が強いと言うのも化学的に裏付けられている。2002年2月発売の科学誌「Nature」で発表された「性の未来」という論文で「女性はXX、男性はXYが対になる染色体。女性のX染色体は一方に欠陥があっても片方が補い、遺伝子の数は1098個あるが、Y染色体は代替相手がいないから修復できずに劣化を続け、いまや10分の1にも満たない78個。元々は同じ大きさで、1億6600万年前には1000以上あったことが確認されているが、Y染色体はジリ貧を続け、明日にも男子は消滅しかねない。遅くとも500万年後には消えてなくなる」という研究結果が明らかになった。
 そうしたことが遺伝子に本質的に組み込まれているためなのかもしれない、男性が女性を劣ったものであるかのように見るのも。だが、それでは事実から目をそらしているかのようで癪に障る。そうしたことも認めたうえで成長してやろうと思ってこそが本当の強さではないのか。
 たとえば形を変えた劣等感として、日韓両国のフィギュアスケートブームを取り上げる。両国で浅田真央・金妍児ブームがあったがあれとても、女性に理想像を押し付けようと言う意味では立派な劣等感の現われに過ぎないのだ。逆に女性とても劣等感があるわけで、イケメンブームである。それに対しては非モテ( 一般的には、異性からモテないこと。また、モテない状況にいる人のことを指す)があるように男性サイドからの反発もある。
 私はこうした動きなどばかげていると思うし無視することにしている。何とかが何とかと一緒になった程度の話にいまさら乗っかるつもりもないし、ある持病で生涯独身を貫く決心をした以上、余計なことは考える必要もない。あくまでも人間としてしか見ないとだけ明言したい。

2012年03月11日
筋を通さねば人は過ちを正せない
 私は筋を通さないことが好きではない。
 その性格は昔からで、おかしいと思ったことははっきり伝える。今回このことでコラムにしようと思った。二つの不愉快なクレームから、私たちはサービス業のあり方を見直すべきだと思う。
 1000円カットの専門店で私は理髪を頼んでいる。だが、この種のチェーン店では一つの約束がある。乳雨天した団塊で必ずチケットを購入すると言う約束だ。しかし、ある一組の親子がその約束を守らず、自分の出番の直前で購入する始末だ。
 私は腹が立った。「この野郎、よくもルール違反しやがって」と思い、サービスを受けた後見せの担当者にやんわり注文をつけた上で本部宛に苦情の手紙を送って入店した段階で必ずチケットを購入するような仕組みに改めるよう求めた。その注文に返ってきた答えがその場しのぎの答えだったから、私は呆れた。ならば私はそのチェーン店を使うことは遠慮しようと思う。
 ただ、そのチェーン店の名前までは伏せておこうと思う。武士の情けと言う奴である。次に取り上げるのはあのマクドナルドである。このチェーン店ではドライブスルーサービスもやっているのだがそこばかりに集中して店内のカウンターサービスを怠る体たらくである。
 私は2月にこの種の被害を受け、呆れてそのマクドナルトの店をボイコットしている。簡単なことだ、店内のカウンターがあくまでも基本のサービスでドライブスルーはセカンドサービスに過ぎない(それとても手を抜いてはいけないのだが)。それを怠るとは何事か、言語道断ではないか。
 私はおかしいと思ったことは率直に言ったほうがいいと考える。無論、そこには私が日常生活で筋を通すべきだと言うことは言うまでもない。そうしたことを積み重ねていけば人は成長していくのだし、過ちを人は正さないまま終わってしまう。そして自らの成長にもつながっていく。反面教師と言う戒めの形で。
 新約聖書より引用させてもらう。

 ガラテヤ人への手紙6章
 ガラテヤ6:1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っているなら、霊の人であるあなた方は、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。

 この言葉は以前私が取り上げた「剣で殺すものは自らも剣で殺されなければならない」(ヨハネ黙示録13章10節)に重なるほか、この格言にも重なってくる。

●マタイによる福音書 26章52 節
26章52節 そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。

 この意味を私たちは考え、筋を通すときにも相手の立場を尊重した上で通さねばならないと言うことを認識しなければならない。できることとできないことを考慮に入れて、きちんと言うべきことは言うべきである。

2012年03月07日
本当に強い人になるには
 今回は「心の強さ」について、ここに私の考えを述べたい。
 拙意見であるのだが、心の強さとは自分の弱さを率直に認めることである。それは他人に対する劣等感をスパッと認めることだ。
 男性よりもなぜか女性が強いと言うのも化学的に裏付けられている。2002年2月発売の科学誌「Nature」で発表された「性の未来」という論文で「女性はXX、男性はXYが対になる染色体。女性のX染色体は一方に欠陥があっても片方が補い、遺伝子の数は1098個あるが、Y染色体は代替相手がいないから修復できずに劣化を続け、いまや10分の1にも満たない78個。元々は同じ大きさで、1億6600万年前には1000以上あったことが確認されているが、Y染色体はジリ貧を続け、明日にも男子は消滅しかねない。遅くとも500万年後には消えてなくなる」という研究結果が明らかになった。
 そうしたことが遺伝子に本質的に組み込まれているためなのかもしれない、男性が女性を劣ったものであるかのように見るのも。だが、それでは事実から目をそらしているかのようで癪に障る。そうしたことも認めたうえで成長してやろうと思ってこそが本当の強さではないのか。
 たとえば形を変えた劣等感として、日韓両国のフィギュアスケートブームを取り上げる。両国で浅田真央・金妍児ブームがあったがあれとても、女性に理想像を押し付けようと言う意味では立派な劣等感の現われに過ぎないのだ。逆に女性とても劣等感があるわけで、イケメンブームである。それに対しては非モテ( 一般的には、異性からモテないこと。また、モテない状況にいる人のことを指す)があるように男性サイドからの反発もある。
 私はこうした動きなどばかげていると思うし無視することにしている。何とかが何とかと一緒になった程度の話にいまさら乗っかるつもりもないし、ある持病で生涯独身を貫く決心をした以上、余計なことは考える必要もない。あくまでも人間としてしか見ないとだけ明言したい。

2012年04月24日
仕事論
 私が働いている職場はさまざまな世界の人たちがいる。
 当然その中で意見は合わなくなる。それはそれで仕方がないのだが、あまりにもひどすぎるために我が盟友も呆れる始末である。中には私が仕事のアドバイスをしたのにその場しのぎの返事をして改善しない奴がいる。その男はしかもぼけっと突っ立っているだけで、周囲が必死になってやっているのにマイペースを貫く厚顔ぶり。
 そういう奴を私は「僕にはできっこない」症候群と皮肉っている。つまり、最初からやらないのにできっこないとしり込みしているだけなのだ。それでは成長なんて絶対にありえない。言うならば夜7時までには終われる作業が夜8時まで残業する羽目になったわけである。
 そうしたことで犠牲を強いられていることへの反省の念もないのだから救いようがない。だから、私はそうしたやつについては仕事を任せないようにしている。

2012年04月03日
表に出よ
 このブログにはさまざまな投稿規程を設けてある。
 それには理由があって迷惑投稿を防ぐためである。それにより投稿できないと言う方にはメールフォームを開設しており、そこから質問をすればブログで個人情報に配慮する形で回答するもしくはその片に直接メールを送信するなどで対処させてもらっている。
 私が怒りたいのは、陰でこそこそと言うことだ。あるブログに私はよくコメントをしているのだが、そこに私の書いたコラムの感想を書いた上でオンライン質問を出したものがいる。だが、私はこう答えた。メールフォームを通じて質問しなさい、もしくはブログに来てコメントしなさいと。影でこそこそと言うのは情けないではないか。
 なお、この方針が不満なら改善提案を示して欲しい。私もそれなりに対処はするが、理があるかないかで判断する。

2012年05月31日
たまには一息ついてみようか
 いつも激しい口調で物事を問いただしているので、「お前疲れないのか」といわれる事がある。
 その事についても含めて、近況を語りたいと思う。最近パソコンに保存している文書をHTML文書からPDF文書やTXT文書に変換している。それには理由がある、ハードディスクの検索がしにくいという問題があるからだ。ハードディスクも知ってのように、あまりにも多くのファイルがあれば検索しにくくなってしまう。
 そこで、その作業をしているのだがあまりの膨大なファイルに思わず閉口してしまう始末だ。それでも、私はやろうと思っている。パソコンの機能も限られているわけで、そうなるとファイルを分かりやすくしてしまえばいい。最近では記事の保存にPrimoPDFというフリーソフトを使っている。
 このソフトは印刷すればどんな文書もPDF文書として保存できる。それで私は使っているわけである。PDF文書にしてしまえば、画像と文書が同時に保存できるメリットがあるからだ。そうして、大容量のスペースをさらに広げるきっかけにもなる。
 インターネットと言うのは時と場所を飛び越えて必要なものが手に入る反面、モラルハザードになりやすい側面もある。そこをどう折り合いをつけて付き合っていくか、私はその事を考えながらブログを今日も書いている。