2013年10月10日木曜日

死もまた社会奉仕2012 吉本隆明

 山県有朋が死んだ時、石橋湛山は『死もまた社会奉仕』と評した。
 要するに死んでくれて良かったと言うことだ。今回の書人両断101人目のバカは吉本隆明である。この男のお粗末さは3つある。
 一つは原発持ち上げの罪。探偵ファイルより引用する。


 http://www.tanteifile.com/watch/2012/01/05_01/index.html
 ●更新日 01/05
 吉本隆明「原発廃止は素人の暴論!同調する専門家は悪」
 新年早々、原発をめぐって激しい論争が展開されている。
 週刊新潮2012年1月5・12日号に、「『吉本隆明』2時間インタビュー『反原発』で猿になる!」という記事がある。原発推進を一貫して主張してきた吉本氏だが、現在も自身の考えには全く変化がないそうだ。
  冒頭で、次のように述べている。「実際、福島第一原発の事故では被害が出ているし、何人かの人は放射能によって身体的な障害が生じるかもしれない。そのた めに“原発はもう廃止したほうがいい”という声が高まっているのですが、それはあまりに乱暴な素人の論理です」、「専門家である彼らまで“危ない”と言い 出して素人の論理に同調するのは『悪』だとさえ思います」。
 人類が積み上げてきた技術を一度の事故で放棄することは、「人間が猿から別れて発達 し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです」。文明の発達とは、失敗しても再挑戦することの繰り返しだという。「我々が今すべきは、原発を 止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることです」。
 「自動車だって事故で亡くなる人が大勢いますが、 だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう」、「そもそも太陽の光や熱は核融合で出来たものであって、日々の暮らしの中でもありふれ たもの。この世のエネルギーの源は元をただせばすべて原子やその核の力なのに、それを異常に恐れるのはおかしい」といった発言もある。
 吉本氏の 主張に、ルポライターの鎌田慧氏が異論を唱えている。1月3日の東京新聞で鎌田氏は、核の技術は本当に文明の発展に寄与するのかと疑問を投げかけた。吉本 氏を「『科学技術信仰』の化石」と形容し、「被曝者を発展の陰の犠牲者にして知らぬ顔なのですか」と酷評した。
 原発の是非以前に、両者の文明観そのものが全く異なるようだ。

 だが、福島の人たちの痛みを吉本は無視していいのか。それは次に続ける現実のみに埋没するお粗末な論にある。
  現状肯定、今この時代に起きている現象、とくに体制権力側が主導している出来事について、アレコレ理屈をつけて、とにかく肯定、正当化して受け入れる。た とえばエヴァンゲリオン現象について吉本はいろいろと語っているようだが私は否定的に見ている。所詮脳裏の理想に埋没しているのであって、現実の問題を解 決するに決定的な行動にはなるわけがない。そんな論でいいのだろうか。
 だから、鎌田にあっさり決定的に論破されるのだろう。さらにあの作家の筒井康隆氏が日本てんかん協会から作品の回収を要求されたことへの抗議として断筆宣言したことを不当に攻撃するお粗末さ。これで筒井氏からぼろぼろにこき下ろされる始末である。
 娘のよしもとばななにとってはいい父親だっただろうが、きちんと情報を把握している我々にはお粗末な人である。現実と理想をどこでどのように折り合いをつけるかが思想家の肝なのに、現実ばかりに埋没しているのだからお粗末様と言うしかない。

2012-04-01 13:14