2013年10月10日木曜日

誤解されるマイノリティの声に耳を傾けよ

 私は発達障がい当事者である。
 そのことを取り上げてきたほか、日本のマイノリティへのとらえ方のお粗末さを指摘してきた。今回取り上げたコラムはその過去の意見集である。


ブームがひとり歩きしかねない
 歴史は勝者によって操られ、阻止できるのはジャーナリズムだ(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-08-31 11:37:25
 以前、私は歴史を「常に勝者によって操られる存在」と指摘した。
 そう言うきっかけとなったのは『反三国志』という作品である。この本は周大荒によって書かれ、日本では渡辺精一によって翻訳され、講談社文庫やコーエイから販売されている。
 この作品の特色は徹底した蜀の劉備贔屓である。「三国志」では悲劇の人物としている彼をこの作品では魏・呉を滅ぼして三国を統一するというもので、巷間、流布されている「三国志」の叙述は誤りだとしている。
 前書きにはこう書かれているそうだ。

  著者独言 すべての正史はインチキだ
 さてさて、太古の昔からこう伝えられている。信頼すべき「歴史」があるから、人はこの世に生まれて「歴史」を手本として人倫の秩序を重視しつつ生きて行くのである、と。
   : (中略)
  王朝が代われば歴史も変わる
 新しい王朝は、めでたい鳳凰や竜に乗って高く舞い上がり、旧い王朝は、草が根こそぎ抜かれるように始末される。
 新しい王朝はまた、自分たちが建てた王朝について誇大な宣伝をし、自分たちの徳を謳いあげる。名前を売って、誉れを釣りあげようというわけだ。
   : (中略)
  野史こそが正しい歴史
 だから、古から今まで、信頼できる「歴史」などは存在していない。もし、墓を掘り返して、ひからびた遺骨に尋ねてみたら、一言、二言は真実を話してくれるかもしれないが、この人間世界で、生きている人間に尋ねてまわっても、おそらく、「信頼できる歴史」のただの一字にさえも、めぐりあうことはできまい。
 心ある人は、こういう事態に心を痛め、官撰の「正史」とは別の「野史」を書き著して後世の人に遺した。読書好きの知識人は、昔の物語が好きで、「野史」の類も多く読んで厭きることがないから、そういう人々に真実を伝えようとしたのである。
   : (中略)
  これぞ真の三国志
 私は北京に遊んだおり、反古紙の束の中から、『三国旧志』と題する古い一冊の書物を発見して買った。読んでみると、まさしく三国時代の戦争について記してあり、諸葛孔明と徐庶に関するすべての記述が『三国演義』と異なっている。そればかりではない。魏・蜀・呉の三つの国の成り行きも「正史」と全く違うのである。
 『三国旧志』には跋文があって、その跋文によると、三国時代に関する史籍は、西暦304年から439年にわたる百三十五年の間、五胡十六国が中国に乱立した時代にすべて失われた。だから、世に「正史」として伝わっているものは、すべて偽作、ニセモノである。
   : (中略)
 『三国旧志』の作者は何人とも知れないが、その内容は信用できる。ここに私は、回数表示を改めるなどして収録し、書名を『反三国志』と改め、『三国志演義』とははっきり区別を付けることにした。

 これはあるサイトから参考にしたものである。
 この作品から我々は歴史は勝者により書き換えられる危険性を自覚したのではないか。多様な意見を主軸に、そこから共通点を見出だし、改善策を繰り出す共生主義にとっても、こうした動きは大変由々しい問題である。
 むろん、『反三国志』はエンターテイメントとして面白いと思えばいいわけだ。だが、ここからも日本の歴史教科書を歪める『自由主義主観』なる極右の現代版の危険性も同時に察知してこそ本物である。また、その反動としての極左も由々しい問題である。
 左右問わず、問題はどう事実を受け止め、どう対処するかにある。それなくして問題は解決できない。私が共生主義を立ち上げたきっかけは既存の硬直化した思想へのアンチテーゼでもある。事実を権力者の介入からいかに跳ね退けて伝えられるかは、ジャーナリズムのキモであることは疑いの余地はない。
 しかし、日本のカスゴミ連中にはそれは期待できない。そうでなければ愚か者のネオコン・ネオリベを持ち上げていないだろう。


 このコラムにKtnpo様はこうコメントしていただいた。

1 ■拝読です 同感です

歴史は、常に改ざんされていますね。
現、上層階級に都合よく創られるものですね、
ジャーナリズムだけですね、
マスゴミのことでないと
確認してほっとしました、
タイトル見て、オヤッとはやとちりしたのでしたが。
癒着権力のプロパガンダを日々行ってる、マスメディアは国を、国民をうるものです、
国賊です、
新聞などは、国民のために、宅配を即刻廃止すべきですね。
ジャーナリズムを騙り、
日本中、津々浦々に、害毒を撒きちらす新聞です。
再販価格維持制度で擁護する理由はないのに。
権力と癒着して守られています。
ktnpo 2010-08-31 21:45:23 http://ameblo.jp/ktnpo/

 そうである。
 ハリウッド映画に描かれるマイノリティの姿は真実ではない。ハリウッドは所詮勝者にすぎないのである。それは、リンカーンにしても同じ事だった。リンカーンは南北戦争で奴隷解放宣言をしたが、それは所詮戦略上に過ぎなかった。奴隷制度をこれ以上拡大させないという妥協も含めているのだ(浜田某らはそのことをわかってリンカーンとやらのタイトルで騒いでいるのだろうがバカも甚だしい)。
 今日で「坂の上の雲」が終わった。私はこのドラマが不愉快でたまらなかった。司馬遼太郎はこの小説のドラマ化や映画化を拒んだのは戦争の美化を恐れたためだったという。それをしないという約束で遺族とNHKは取り交わしたのだが、松山市では坂の上の雲ブームに乗っかってまちづくりが行われているのである。
 週刊金曜日の編集長を経て社長になった北村肇氏は司馬に戦争の美化を否定するコラムを書くよう頼んでいたそうだが、打ち合わせをしているうちになくなったのでそれはなくなった。また、坂の上の雲にはもう一つの負の側面がある。それは朝鮮併合や列強に勝ったことによる日本帝国主義への賛美につながりかねない内容である。
 NHKは「閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母」 : 角田 房子著を韓国KBSと共同で製作すべきだった。歪んだ歴史観と日本人は真正面から向き合い、この国に対してどのように思うのかを考えていかねばならない。アイヌ民族を侵略した歴史も、その延長線上にあるのだ。それを「自由主義主観」は無視している。また、韓国人にとって豊臣秀吉は侵略者にすぎない。そうじゃなければ、徳川家康が英雄として讃えられないわけがない。

 ちなみに、過去のブログを一つ一つ消去しながらこのコラムを書くのはとてもしんどい。
 過去のコラムを自分なりにまとめ、社会に起きていることと照らしあわせながら書くので大変だが、頑張っていこうと思っている。

http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/articles/ippituhuran/20091218-780.html

http://www.kinyobi.co.jp/blog/?p=2011

2011-12-25 21:57


「弱い犬ほどよく吠える」(日本の諺より)
 今回の「かく語りき」は犬に例えて人間の事を言っていることわざを取り上げる。
 この意味は虚勢を張り相手を威嚇したり、怒ったり、大声を出して自分の弱さを隠している様をいう。ネット右翼や前回のエントリーで私がばっさりこき下ろしたネット極左はまさにその典型例だった。弱い事を自覚しているのだから、自分の正当性を訴えようと犬のようにきゃんきゃん吼えるだけである。
 だが、そんな態度では誰からも相手にされなくなってしまう。社会はあくまでも自分だけで成り立っているのではない、日本社会一つとってもアジアからのマイノリティの存在があって、それぞれカラーがあって成り立っている。そうした事を分からない輩たちが在日コリアンの排斥運動を叫ぶ(極右で悪名高い西村修平は学生時代共産党員だった事を皆さん知っていただろうか。私はかの男も極右になりうる危険性があると考える。そうなるとあのムッソリーニを生み出すことにもなる)。
 以前、ここにもネット右翼の人間がいた。しかし、あまりにもネチケットを守らなかったために私はメールアドレスを変更した上でこのブログへの書き込みも禁止した。逆に言えば私はネチケットを守るのならネット保守主義者でも革新主義者でも護憲リベラルでも解放する方針だ。それほど極左も極右も嫌いだし、いかなる差別も血統主義に基づく根拠のないほら話なども嫌いだ。
 だいたい、彼らはまともに人の話を聞いたためしがない。極右と極左は、国家や社会が個人の権利に優越するという全体主義の面で、思想的・行動的に共通点が存在するわけで、私はヒトラーでもスターリン、毛沢東でも嫌悪している。ハシゲの場合は己を国家に置き換えただけであり、圧倒的多数の市民の権利に優越していると言う点で極右政権である。
 さらに憂慮すべきなのは、己だけが全てと言う点でかの荒らし投稿者はハシゲと同じ世界観の人だったことを明らかにした。こうした人間が社会運動を衰退に導く危険性をもたらす。同和問題にしてもてんかん問題にしても地道な啓発活動に徹していればいいのに相手への排他的な主張を行うから反発を買う。さらに相手へ罵詈雑言を飛ばせば新たな憎悪を招く。かの男を見てくると宮崎学氏の「清潔なファシズム」(自分たちにとって不快なもの、目障りなもの、醜いものなどをすぐに排除しようとする)すら連想させ、反吐すら覚えた。悪事には単純に厳罰化すればなくなると言う単純な思想はまさしく清潔なファシズムそのものだ。
 あの時、怒りで頭がふさがらなかった私をなだめてくれたのがフリスキー氏だった。あの事に関しては公式ブログでコメントしているが私も今回の事件に関して私なりに影響を受けた事は確かである。
 正直に申し上げて、私は極右と一緒にやる事はもちろん極左とも手は組めない。組んでしまえば社会から彼らの悪事を私が公認した事になってしまいかねないからだ。しかし、オープンな場所に関しては日の丸や君が代、組合旗などに代わって脱原発のスローガンに統一すればそれこそ力になる。そうした条件を飲むのなら私は共闘する事も容認はするが、歴史観などは介入される筋合いはない。
 フリスキー氏には心から感謝申し上げる。
2012-07-05 22:17

この記事へのコメント
>極右と極左は、国家や社会が個人の権利に優越するという全体主義の面で、思想的・行動的に共通点が存在するわけで、私はヒトラーでもスターリン、毛沢東でも嫌悪している。ハシゲの場合は己を国家に置き換えただけであり、圧倒的多数の市民の権利に優越していると言う点で極右政権である。


わたしは、小野哲さんと、フリスキーさん、議論の場をご提供下さった秋原葉月さんには、心から感謝している。

毛沢東晩年の“文化大革命”…、あれは酷い、わたし自身、銀行を退職し、北京で仕事をしていた時、現地スタッフの父親が「走資派」と決め付けられ市中をひきづりまわされた挙げ句、先祖代々からの財産すべてを、中国共産党に略奪された。と歎いていた。 わたしは左派ですが、中国共産党は左派ではないと直感した。先日、中国で、二人目を身篭った若い女性が、市の共産党幹部に連れられ、妊娠七ヶ月にもあるに関わらず、強制的に中絶させられたという報道を見たが、信じられない人権蹂躙だ。
小野哲さんが、日頃、ご主張されて見える通り、右であれ左であれ、極端なものは、本当に“怖い”。極端に走ると、人間性が吹き飛ばされてしまう。
社会は猥雑で、様々な考えが存在することが、健全であると考えます。
小野哲さん…、今日もありがとうございました。

Posted by 青い鳥 at 2012年07月06日 17:25

青い鳥さん、フリスキーさんのブログでうれしい知らせを聞きうれしく思います。
 私は今年で30代後半になります。去年から発達障がいという死ぬまで付き合わねばならない持病と向き合っています。その病気に気がつかずにいじめられたりパワハラ被害を受けたりして、何もかも失った事もあります。そのために人との付き合い方もごく少数の人しか付き合わないと言う鉄則にせざるを得ませんでした。かなりのものを失いましたが、それだけ他人より得られたものは大きかったと思っています(あなたや神戸さんほどじゃありませんがね)。
 原発被害と言う話を知れば、今はイデオロギーを問う場合じゃない、だけど大人のエチケットの延長線上として組合旗や日の丸は掲げなければデモに参加する事は拒めないと思うんですよ(ただ、共同宣言などを読み上げた場合は厳しいものがありますがね)。
 私はハラスメント嫌いのためあまりわいせつな話はしませんが、否定まではしません。性欲は誰もがあるわけですからね(笑)。


男女間格差・差別は社会と切り離せない宿命だ

 さて、今回のニュースはアメリカ軍からである。

 米新型空母から「男子用便器」撤去、女性乗員やコスト意識
 2012.07.15 Sun posted at: 16:52 JST CNN

 米海軍は15日までに、2015年後半に就役予定の新型空母から「男子用便器」を撤去させる方針を明らかにした。今後増えることも予想される女性乗組員を意識した平等対策であると同時に、乗員の艦内生活の質向上や空母航行のコスト削減を狙った措置となっている。
 海軍で空母の将来像や改造計画などを担当するクリス・マイヤー大尉によると、男子用便器の排除は「ジェラルド R.フォード」級の新型空母から導入される。同級の1番艦は15年後半に就役予定。
 大尉は、男子用便器の除去で空母内の手洗い所の性別利用の指定がより簡単になり、乗組員数の性別構成の変化への対応の助けにもなると説明。男性用の便器の設置はスペースの無駄とも言い切っている。
 米海軍の戦闘艦艇への女性乗組員の配置は1994年から始まった。現在配備される空母の大半は同年前に就航している。
 男子用便器の追放の背景には、排出菅がトイレをつまらせて悪臭の原因となり、それだけ修理維持のコストがかさむこともある。米海軍の機関紙「Navy Times」によると、空母の一部乗組員は男子用便器の清掃や維持は難儀な作業のため撤去の方針を歓迎している。
 マイヤー大尉によると、男子用便器の廃止の他、乗員の艦内生活の向上を図る別のアイデアも生まれている。狭すぎると不評だった乗組員のベッドなどが並ぶ居住区の収容人員をより少なくし利用スペースを拡大させる。
 就役中の一部の空母の居住区では100人以上が詰め込まれている場合もある。フォード級の空母では30~50人の規模に抑える方針。手洗い所は居住区に隣接させる。既存の空母では居住区とトイレが通路をはさんで離れており乗組員は服装を整えて手洗い所へ向かう手間を強いられていた。
 米海軍によると、フォード級の新型空母はニミッツ級型の後継空母となる。フォード級空母では艦載機によるより多数の出撃が可能となり、乗務員の数は約660人削減される。
 フォード級空母は3隻の建造が計画され、15年から27年までの間にそれぞれ就役予定。建造費の総額は370億ドルとされ、1番艦の研究開発費なども含んでいる。

 おそらくトイレを男女共用にするのかもしれないと私は見ている。
 また、この記事でもう一つ考えてほしいのはセクシャルマイノリティへの視点である。だがこの事に対してアムネスティは否定的だ。
 これを差別的と言うのかはここにいる読者の皆さんにゆだねたい。このように差別問題は大なり小なりどこかに隠れているのである。

この記事へのコメント
パワハラについてなのですが、私の知人が大変苦しんでいました。暴力的な上司から言葉の暴力を浴び続け、時には肉体的な屈辱を味わわされ、彼はうつ病になり、自死を考えるまでになりました。そんな時たまたま見たクローズアップ現代でこの問題が取り上げられていて、これはまさに自分のことだと食い入るように番組に見入ったそうです。彼は立ち上がることを決心し、ある組合に加入し、団交の末、その上司の更迭にまで至ったそうです。そして、その後、新しい上司の元、職場の雰囲気は著しく改善されたそうです。自分の権利のために闘うということは、人のためにもなるということです。
Posted by フリスキー at 2012年07月18日 00:45

 フリスキーさん
 パワハラに関しては私は日本の労働組合を全く信用していません。
 オリンパスパワハラ事件の被害者である浜田正晴氏には連合系の労働組合は全く支援していません。そして最高裁判所でオリンパス全面敗北が確定したのにもかかわらずオリンパスは浜田氏に未だに不当な対応ばかり繰り返している始末です。
 そのほかにもそごうだってそうでした。労働組合と雇用者の癒着関係がひどいんですね。私はこのブログでハラスメント罪の導入を提唱しているのはそうした犯罪を取り締まる事で子供のいじめを減らすきっかけにしたいからです。

ちなみに彼は当初、労働局、労政事務所に行ったようですが、実際の効果を考えて、ユニオン加入という選択肢を選んだそうです。少なくとも彼の事例においては成功を収めたことは事実のようです。ちなみに、彼が入ったのは企業労組ではなく、個人加入型の地域ユニオンです。様々な業種、雇用形態(非正規雇用を含む)の労働者の集まりで、連合系の御用労組のようなところとは趣が異なるところだそうです。ただ、このような小規模な労組でオリンパスのような大企業相手の闘争が可能なのかは私には分かりませんが。
Posted by フリスキー at 2012年07月18日 23:03

北朝鮮よ、世界中の懸念に耳を傾けよ
 【北朝鮮問題】
金正日総書記急死 69歳、列車内で
2011年12月19日 中日新聞

 【ソウル=篠ケ瀬祐司】朝鮮中央テレビは19日、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)朝鮮労働党総書記(国防委員長)が17日午前8時半に死去した、と発表した。69歳だった。朝鮮中央通信は「現地視察中に、精神・肉体の過労によって心筋梗塞が起き、心臓ショックによって列車内で急死した」と伝えた。葬儀は28日に平壌で行われる。
 三男で党中央軍事委員会副委員長の正恩(ジョンウン)氏(28)が権力を継承するとみられる。同通信は「今後は党、軍の指導者として金正恩同志がいる」と強調。葬儀委員として、正恩氏を最初に挙げた。
 ただ後継体制の整備は完了しておらず、国内はもとより朝鮮半島や北東アジア情勢が流動化する可能性がある。外交、軍事など、すべての分野を指揮した金総書記の死去により、核問題や日本人拉致問題の行方はいっそう不透明になった。
 北朝鮮は2006年10月に初の核実験を実施した後、6カ国協議を通じ寧辺(ニョンビョン)にある核施設の無能力化に合意した。しかし、09年4月の長距離弾道ミサイル発射を非難する国連安全保障理事会の議長声明採択に反発し、同年5月に2度目の核実験を強行。10年秋には、ウラン濃縮施設まで公開し、核放棄のめどは立っていない。
 総書記は08年8月に脳卒中で倒れたことで、09年に入り、正恩氏への後継準備に着手。正恩氏は10年9月に開かれた党代表者会で、党中央委員と中央軍事委員会の副委員長に選出され、後継者となることが正式に決定した。
 金総書記は「建国の父」である故金日成(キムイルソン)主席の長男。94年に主席が死去した後、1997年10月に総書記に就任し、98年には国防委員長を国家の「最高ポスト」として再選され、2代目の最高指導者となった。
 2009年以降は脳卒中の後遺症から回復基調にあり、精力的な活動を展開していたが北朝鮮の公式メディアが伝える写真や映像でもやつれた姿が目立っており、慢性腎不全を患っているなどの情報があった。
 10年には5月と8月に中国を訪問、胡錦濤主席と会談。今年8月にはロシア、中国を相次いで訪問するなど、健在ぶりを内外にアピールしていた。
 韓国青瓦台(大統領府)は19日、国家安全保障会議を開き、全軍に非常態勢をとるよう命じた。
◆服従強制、独裁を維持
 国内では、徹底した思想統制と深刻な経済難で大半の国民を苦しめた独裁者、国外に対しては、核やミサイル開発で超大国の米国を振り回した北東アジアのならず者-。人口約2400万人の小国ながら国際社会の耳目を引きつけてきた、北朝鮮の金正日総書記が死去した。
 北朝鮮は父親の金日成主席から正日氏への権力継承を実現するため、国民に無条件の服従を強制。徹底した神格化を進め、金主席に加え両親、親類までも抗日運動に従事した「革命の血統」であると主張し金総書記が正統な嫡子と教え込んだ。
 金総書記は1970年代半ばから全国に主席の銅像や石こう像を無数に造らせ、個人崇拝を広め、自ら忠誠の模範者の役割を担った。体制に不満や疑いを抱く者は容赦なく、粛清の標的になった。
 主席亡き後、金総書記は権力基盤を固めるため、軍事優先の思想を掲げる。軍需産業への投資を拡大し、民生経済は破綻。90年代後半には200万人以上ともいわれる餓死者を出す惨状を招き、北朝鮮からの脱出者(脱北者)を急増させた。
 ビルマ(現ミャンマー)のラングーン爆弾テロ(83年)、大韓航空機爆破事件(87年)など朝鮮半島をめぐる不穏な事件が起きるたび、背後にその存在がささやかれた。
 2002年の日朝首脳会談では、日本人拉致について「一部の妄動主義者が行った」と弁明。だが、多くの亡命者が「政権中枢の指示」といい、金正日氏の直接指示だと指摘する声もある。
 20世紀末まで西側との接触はなく、人物像は謎に包まれた部分が多かったが、00年の南北首脳会談のころから、外交の表舞台に立ち、韓国をはじめ米国や日本との関係改善を目指し、部分的な改革・開放を試みた。
 しかし、思想の硬直性と「自由主義社会の風」が吹き込むことを恐れ、すべては中途半端に終わる。また、2度にわたる核実験が物語る核保有国への「野望」は国際社会を遠ざけてしまった。
 金主席の生誕100年にあたる12年を「強盛大国の大門を開く」と目標を定め、経済富強を目指したが、見果てぬ夢となった。
 外国の動きや先端技術に関心が強い「開明派」だという見方もあった。実際は、閉ざされた国家の窓から、独善的な色眼鏡で外を眺めていたにすぎなかったのではないか。側近と軍事力だけを重用した“裸の王様”は国を傾かせたまま、帰らぬ人となった。 (外報部・城内康伸)

 北朝鮮の発表によると、1942年2月16日、故金日成主席の長男として誕生。ロシア・ハバロフスク近郊で生まれたという説が有力だが北朝鮮は神格化する意図から、中国との国境地帯にある白頭山(中国名・長白山)で生まれた、としている。
 64年、金日成総合大学卒業と同時に朝鮮労働党入党。70年代前半に党政治局委員などに就任、ナンバー2の地位を固め、80年党大会で公式に後継者となった。主席の死後、3年間の服喪を経て97年党総書記に就任、98年に国防委員長に再任され権力継承を終えた。
 2000年に故金大中(キム・デジュン)、07年に故盧武鉉(ノ・ムヒョン)の両韓国大統領と会談。02年と04年には訪朝した小泉純一郎首相と会談した。家族は内縁も含め4人の女性との間に3男3女がいるとされる。乗馬、映画鑑賞が趣味。08年8月には脳卒中で倒れたが、順調に回復していると伝えられていた。 (ソウル支局)

 今回は突然の訃報で混乱している北朝鮮についてコメントする。
 私は左右問わずいかなる独裁を嫌う。なので、金正日に対して送るせりふは唯一つ。石橋湛山元首相の有名な一言で「死もまた社会奉仕である」。これほど強烈なせりふもないが、彼はそれほど自国民と世界中を混乱に落としせしめただけだった。北朝鮮に対しては私は過去このように書いてきている。

戦略だけで外交ができるか(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-11-25 20:03:07
北朝鮮砲撃:延坪島から避難民215人 仁川港に到着

 【仁川(韓国北西部)西脇真一】発生から約2時間半後の23日午後5時15分、延坪島(ヨンピョンド)から避難民ら215人を乗せた定期船が、ソウル近郊の仁川港旅客ターミナルに無事到着した。上陸した乗客には安堵(あんど)の表情も浮かんだ。
 黄海への玄関口のターミナルと延坪島を結ぶ船は1日1往復。延坪島に到着後、まもなく攻撃が始まったため、家族らにも会えないまま戻ってきた人もいた。島の住民でターミナルに着いた主婦、李チュンオクさん(54)は「家でテレビを見ていると、いきなりドーンと音がした。きょうの射撃訓練はずいぶん派手だなと思っていたら、突然窓ガラスが割れるなど自宅に被害が出て、北朝鮮の砲撃だと直感した」と当時の様子を語った。
 また、李さんは「外へ出たら危ないと思い、部屋にいたが、避難を呼びかける放送があったので外に出てみると、あちこちで煙が上がっていた。これが戦争か、死んでしまうのかと思った」と興奮した様子で話した。持って逃げられたのは小さなバッグだけ。ジャンパーを羽織り、素足にサンダルを履いただけの姿が緊迫した避難の様子を物語った。李さんは、ターミナルから記者の目の前で、島に残る知人に電話をかけたがつながらず、心配そうな表情を見せた。
 同じ船で避難した男性(51)は「自宅の周りは火の海だった。今では自分の家も燃えているかもしれない。住民は混乱していた。退避放送があったため、何とか午後3時出航の船に乗ることができた」と語った。
 ターミナルには韓国メディアが多数詰めかけ、管理事務所には報道陣のパソコンやコード類があふれた。ターミナル運営チーム長の金在東(キム・ジェドン)さん(53)は「明日の定期便の運航は、今の状況を考えると難しいかもしれない。予想もできない異常事態だ」と述べた。
 延坪島の実家にいる父親の安否を気遣い旅客ターミナルに詰めているチョン・ヒジョンさんは「午後3時半ごろに実家に電話をしたら、電話越しにドーン、ドーンと砲撃の音が聞こえた。父によると、実家の横の旅館が被弾し、炎上しているようだった。父もこれからすぐ避難すると言っていた」と話した。その後、電話はつながらなくなり、チョンさんは「とても心配だ」と語った。

 ×  ×  ×

 一方、島を行政上で管轄しているオンジン郡の担当者は電話取材に「島の担当者も状況把握に手いっぱいの状態だ。民間人の被害状況も正確に把握できていない。住民は避難所に移ったと聞いている」と話した。島にある保健所では、額に傷を負った住民の男性1人が手当てを受けたという。行方不明者の有無は、把握していない。【金秀蓮】

http://mainichi.jp/select/world/news/20101124k0000m030051000c.html
毎日新聞 2010年11月23日 20時03分(最終更新 11月23日 21時03分)

 愚かな戦略だけでは外交はできない。
 北朝鮮にはハッキリ言いたい。今回の愚業で迷惑なのは日本に住む同胞達である。このままでは彼らは日本に国籍を変更するだけである。

北朝鮮砲撃:不安と戸惑いが交錯 朝鮮総連と民団
 東京都千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部前には23日午後4時半ごろから、通常は2台程度の警視庁の大型警備車両が10台近く次々と集まり、物々しい雰囲気が漂った。総連広報担当者は「詳しい状況を確認中。今は何もコメントできない」とだけ答えたが、幹部の一人は「この先どうなるのか在日として心配」と不安そうな表情を見せた。
 港区の在日本大韓民国民団(民団)中央本部広報担当者も「深刻な軍事衝突に拡大しないことをただただ願うばかりだ」。ある男性職員は「金正恩がデビューを飾ったばかりのこの時期になぜ世界を敵に回すようなことをするのか、到底理解できない」とあきれたような口ぶりで語った。【合田月美】

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101124k0000m040048000c.html
毎日新聞 2010年11月23日 19時51分(最終更新 11月23日 20時08分)

北朝鮮砲撃:生活への悪影響を懸念 在日コリアン
 在日コリアンの生活支援を行う「在日同胞の生活を考える会」の金奎一(キム・ギュイル)代表(72)は東京都内の事務所で砲撃のニュースを知った。3日前には同会の勉強会で、北朝鮮軍ナンバー2の趙明禄・国防委員会第1副委員長(朝鮮労働党政治局常務委員)の死亡が話題になり、「ハト派の幹部が亡くなったことで北がまた挑発行為に出るのでは」と話し合ったばかりという。
 金代表は「こういうことがあると在日コリアンはつらい思いをする。これで在日の北朝鮮離れ、(北朝鮮を支持する)朝鮮総連離れはさらに加速するだろう」と話した。
 在日朝鮮人2世の男性(66)は「報道の通りなら北からの砲撃ということだが、何がなんだかさっぱり分からない。なぜ、こんなことが」と驚いた様子。国内では朝鮮学校と高校無償化を巡る議論が進む中での出来事に、「在日の生活に悪影響が出なければいいが」と不安そうに話した。【曽田拓】

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101124k0000m040056000c.html
毎日新聞 2010年11月23日 20時13分

 北朝鮮の愚業は授業料無償化除外を招くだけじゃ済まされない。
 住民は確実に北朝鮮を離れ、日本を含む各国に亡命することになる。肝心の労働力を失えば、国家の基盤である経済は成り立たない。私は制裁の一つとして、朝鮮学校を強制的に日本政府が接収して、法令に沿った正式な学校にした上で民営化するべきだと考える。そうすることしか、やりようがない。これにはリスクもある、極右どもが騒ぎ立てるだろう。だが、朝鮮学校に通う人達に罪はない。
 国有化して、改革した上で共生主義の象徴であるインターナショナルスクール(高校・大学機能を持っている)とすれば、これこそ資産として素晴らしいものになると思う。


トルクメニスタンに於けるオマンガ国家を見よ(小野哲)
2011/05/29 10:10

 今回取り上げる中央アジアに位置するトルクメニスタンはそれこそ、浪花の毛沢東こと橋下徹の先輩そのものの国である。
 こんな国の指導者を私は認めるわけにはいかない。実に寒気立つものを感じる。しかも、私や我が盟友が批判し続ける北野武がこの独裁者に関わっているのだから、実に恐ろしい。

 サパルムラト・アタイェヴィッチ・ニヤゾフ(1940年2月19日 - 2006年12月21日)という独裁者がいる。この男は旧ソ連の解体を縫って国家の独立と資源外交による近代化を果たす一方で、極端な個人崇拝に基づいた独裁的な政治(野党の弾圧、自身の神聖化)によって、世界で最も権威主義的で抑圧する独裁者として国外で非難された。通称「中央アジアの金正日」という。
 彼時代は完全な独裁体制が確立しており、欧米からは「中央アジアの北朝鮮」といわれていた。黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14メートルで、太陽を追って回転するオマンガぶりだ。当然、言論の自由なんか期待できない。そこで、国民の多くはパラボラアンテナにより海外の衛星放送を受信している。結果、世界一衛星放送が普及しているのである。
 では、どれだけオマヌケなのか。それをWikipedia日本語版より引用する。

国家制度
 8月の第2日曜日をニヤゾフの好物であるメロンの日に制定。「この神の賜物は、輝かしい歴史を持っている。美味しいメロンの名前を称えて、国民の祝日にする」とテレビで発言。
 首都ではほぼ50メートルごとに、ニヤゾフの肖像や銅像が設置されている。肖像や銅像を清掃する担当者も存在する。
 国民が歩むべき7マイルの象徴として、世界最大の靴の製作を命令。
 公証人役場、弁護士会、身分事項登録部、中央犯罪鑑定局を統合して公正省を設置。
 交通警察を国防省に移管。

教育
 ニヤゾフの著書「ルーフナーマ(Ruhnama)は国民必読の書とされ、クルアーンと同等とされ教科書としても使われている。しかも日本語版もある。
 首都と大学を除く図書館の廃止を命令。ニヤゾフの「田舎の人はどちらにしても本など読まないのだから」という見解による。
 過去10年間に外国の大学で取得された卒業証書を全て無効化。

文化・芸術
 オペラ、バレエ、軽演劇、サーカスの上演を禁止(国立フィルハーモニー、オペラ・バレエ劇場、民族舞踊団、軽演劇・サーカス・センターを廃止)。ニヤゾフの「どうやってバレエ愛をトルクメンに適応させられるのか?」という見解による。
 コンサートやテレビなどのみならず、結婚式などでも口パクで歌うことを禁止。ニヤゾフの「歌や音楽の発展に負の効果をもたらす」という見解による。
 若者の長髪とヒゲを禁止。ニヤゾフの「見苦しい」という見解による。

保健
 首都を除く地方の病院を閉鎖。ニヤゾフの「ちゃんとした医師は首都にいる。病人は首都に行けばよい」という見解による。
 金歯を禁止。ニヤゾフの「教師達は薄給なのに、金歯なんて!国際組織が査察に来て、教師の口の中に金歯があったらどうするのか?文化でもなければ、伝統でもない!」という見解による。
 トルクメニスタン国内では煙草は禁止。ニヤゾフはガン手術を受けており、禁煙中のためだが、これでトルクメニスタンは禁煙国家となった。
 コレラ、AIDS等の伝染病を法定外とし、それらへの言及を禁止。
 健康のため、閣僚に36km走に参加させた。

福祉
 ニヤゾフブランドの商品が売られている。牛乳、乳製品のような生活必需品から酒や服に至るまで何でも有る。政策により生活必需品はとても安く抑えられている。ちなみに、トルクメニスタンでは、パンのことを「グルバンソルタン=エジェ」(ニヤゾフの母親の名前)と呼ぶ。
 すべての閣僚、地方行政府長官、軍人などにベンツの新車が支給された。前年支給されたベンツは補佐官などに譲ればよいとした。
 出身地であるキプチャク村には黄金のニヤゾフ一家像や利用者皆無のホテルが建設されている。
 首都に巨大な結婚式場「バグト・コシュギ」(幸せ宮殿)を作るように命令。
 2002年の自分の誕生日に、62歳以上の全市民が休暇を取り、羊を買うための手当てをもらえるように特別命令を公布。
 年金廃止。ニヤゾフの「親の面倒は子どもが見るものだ」という見解による。
 外国人がトルクメニスタン人の女性と結婚する際、トルクメニスタン政府に1万~360万円支払わなければならない。ニヤゾフの「トルクメニスタンの女は小麦色で美しいのでそれだけ払う価値がある」という見解による。

言論
 テレビのニュースキャスターの化粧禁止。ニヤゾフの「トルクメニスタン人本来の小麦色の肌が最も美しい」という見解による。髪を染めるのも禁止だが、ニヤゾフ自身は2002年から髪を黒く染めている。
 国境なき記者団の2006年版『世界報道自由ランキング』にて、世界で2番目に報道の自由が無い国に認定されている(ワースト1位は朝鮮民主主義人民共和国)。
 既にケーブルテレビ局は全廃されており、ロシアのメディアを通じたテレビ放送枠も厳しく制限されている。ただし、裕福な国家がゆえ娯楽目的での衛星放送の受信は逆に推奨されているため、衛星放送・パラボラアンテナの普及率は世帯比で計算すると世界一と推定されている。そのため、視聴者の大半は衛星放送を見ており、もはや規制はないも同然という状態となっている。
 インターネットの利用を禁止。ニヤゾフがカツラをかぶっていることを報道することもタブーである。


 こんなニヤゾフをトルクメン共産党・第一書記に任命したのはゴルバチョフ・ソ連共産党書記長で、日本テレビのスペシャル番組『緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!』では「トルクメニスタンとニヤゾフの生みの親」と紹介された。
 この番組、世界中の独裁者を絶賛するとんでもない内容の代物であり、逆に北野自身の無知ぶりを世界中に知らしめる結果になった。その結果、井上静先生にコテンパンに皮肉られ、佐高信氏からは徹底的に論破され、我が盟友からもずたずたにこき下ろされる始末である。
 ウーゴ・チャベス(ベネズエラの左翼ポピュリストである)を生み出したのはアメリカ合衆国だが、トルクメニスタンを生み出したのはソ連の独裁体制だった。ニヤゾフ亡き後、グルバングル・ベルディムハメドフ大統領代行が第2代大統領に就任した。ベルディムハメドフ氏はインターネット開放を明言しているそうだが、一刻も早い民主化の促進とニヤゾフの神聖化をやめなければならない。
 幸い、ニヤゾフは自身の子供を後継者にしなかった。これは不幸中の幸いだった。だが、独裁者は百害どころか万害あって、一利もないのである。
今回の引用元
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3


力は弱き、信念こそ強し(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-07-25 07:16:53
 金なる大韓航空機爆発事件の主犯が日本に超法規対策で入国していたことから、今回私は北朝鮮についてコメントする。
 まず、北朝鮮にはサッカー代表のブラジル戦善戦を率直に祝福しよう。これはスポーツと政治権力は分けて考える我が信念に基づく。だが、政治の歪みが教育まで悪影響を与えているのはきわめて遺憾である。北朝鮮では金日成及び金正日の指導を正当化すべく、こんな滑稽な内容が教えられている。ただ、右翼系統の主張なのでどこまで正しいかは疑って見ておく必要がある。逆に言えば、力任せなのはある意味自らが弱いことを物語る。


朝鮮初級学校6年「金日成元帥様の幼い頃」教科書
第23課「父なる元帥様に、限りなく忠実な真の息子・娘になろう」

 敬愛する首領金日成元帥は、われわれ在日朝鮮の子供たちに対して、大きな愛と配慮をして下さる慈悲深い父である。
 父なる元帥様は、学習と組織生活において模範を示した多くの少年団員たちに対して、朝鮮少年団員の最高の栄誉である「金日成少年栄誉賞」を抱かせてくれました。
 父なる元帥様(金日成)は、日帝と地主、資本家の奴らが人民たちの血と汗を搾り取り、迫害するのを見て、奴らを誰よりも憎みました。元帥様は、日帝と地主、資本家とは、不倶戴天の敵であることを深く悟りました。
 少年団員たちは、父なる元帥様の教えならば、水火を厭わず、最後までやり通すと言う固い決意をしなければならない。
 少年団員(引用者注:朝鮮学校では4年生になると少年団に強制入団させられる)たちは、敬愛する首領金日成元帥様に対して、限りなく忠実な真の息子・娘に、そして、元帥様を自分の生命をかけて保衛する朝鮮革命の頼り甲斐のある働き手に育たなければならない。

 これは、ナチスドイツの思想を参考にしたのだといわざるを得ない。大体、独裁国家ほど独裁者の正当化を図ろうと滑稽な主張を繰り返す。ナチスドイツの「アーリア民族」、軍部独裁時代の日本の「神風」など、まさにその典型的なケースである。
 その他にも、金日成の神聖化を図るような「教育」がされているという。だが、あくまでも私は当事者ではないため断言はしがたい。だが脱北者の証言からもこれらは裏付けがある(これらのニュースとても、取り上げ方法によっては扇動に用いられている危険性があるので用心願いたい)。
 朝鮮初級学校6年国語教科書の第1課「首領様の万年長寿祝願します」なる詩ではこんな内容であるそうだ。

わたしたちにこの幸せを抱かそうと
一生をささげたわが首領様
父なるその愛その懐で
今日この幸せ花開きました
天と地の涯までお従いします
太陽と月が尽きるまでお慕いします
首領様の恩恵永くお伝えし
一心不乱に忠誠を尽くします
偉大なる父なる首領様を崇め
人民たちは万年長寿祝願します

 だが、実際の金一族はどうなっているのか。話によるとNHKのBSが見られる高級住宅に住んでいて、美食三昧だった。日本から料理人をわざわざ呼び寄せる有様である(その人物は金一族を喜ばせる「喜び組」出身の女性と結婚していて、日本に戻っているため夫人は大変な苦労をしているそうだ)。
 その他にもあらゆる滑稽な主張が施されていて、それを取り上げているホームページでは嘲笑されていた。悔しいが、これが北朝鮮の現実である。こうした温室育ちの人間ほど、人間関係は資本主義の普及で壊れていく。ここで、一人の女性に登場を願おう。
 横田めぐみさん(拉致被害者で北朝鮮は「死亡した」としているが確たる証拠がないため信頼されていない)の娘で、金日成総合大学に通うキム・ウンギョンなる人である。
 その彼女に朝日新聞・毎日新聞・フジテレビによるインタビューがあったのだが、
 「おじいさんとおばあさんに会いたい」
 「おじいさんおばあさんに会えると思って、空港にも、このホテルにも来た。どうして会えないのか」
 「お父さんだけを北朝鮮に残して、何故私だけ、日本に行けるでしょう。私は、日本に行けないのです」
 「祖父母の顔も知らないのに、どうして外国に行けるでしょう」
 「まず、おじいさんおばあさんに北朝鮮に来て欲しい」
 と語っていたそうだ。
 だが、私はその言葉を信用しない。なぜなら、温室育ちの人間など、外に出されたら多くの情報に混乱し、自分を見失う傾向が強いからだ。例えばオウム真理教に入信した人達がその当時一流のエリートだったことから考えて欲しい。オウムの思想を北朝鮮の金一族神聖化教育に当て嵌めると全てどんぴしゃりである(もっとも私は日本政府による日の丸君が代押し付け教育も信用しない。歌や旗ごときで愛国心は計れない)。更に、北朝鮮と統一協会が関係している情報もあるのだ。
 横田滋氏はその中でも冷静で、「ウンギョンさんが日本に来ればいい」と静かに切り返した。私からも、キム女史に告げたい。
 「多くの情報に接し、その中で自分の信念を捜したどり着くこと。その中で自ずと母国への思いもはっきり見えてくる。もし、苦しいならいつでもいらっしゃい。私や我が盟友が答えられる範囲で答えるし、その他にも藤枝俊一郎さんや井上静さんもいる。荒らし投稿などをしない限り、いつでもここは開かれていますよ」
 ここで、信念は強いのだと私は思う。それは一人一人の中に静かに育まれ、根付くものだ。力は弱き、信念は強し。今回はこれで締めよう。

 ただし、なりすまし投稿は禁止ですよ、予め予告します。

≪参考資料≫
1992年4月号『正論』「在日朝鮮人学校の教科書分析」(全富億)
http://shakushouei.blogzine.jp/blog/

奪って奪い返して何の意味があるのか(小野哲)
テーマ:ブログ
2008-11-19 21:52:50
Date: Mon, 17 Nov 2008 21:07:03 +0900

 金氏朝鮮(北朝鮮)による拉致被害者の一人の親が病でなくなった。
 金氏朝鮮の拉致により自由と公平、公正を奪われた拉致被害者。そして身内を奪われた者達の苦悩は計り知れない。さて、拉致被害者の一人で金氏朝鮮で結婚した人の主人や娘のインタビューを掲載して誹謗中傷にあった週刊金曜日という雑誌がある。
 拙ブログの管理人である私は基本的に外さない雑誌の一つとして立ち読みしている(その他には月刊創、週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済)。逆に言うと、日本のジャーナリズムが死んでいるからこれしか読めないのだ。本来のジャーナリズムは権力の監視という最大の役目を担っているのに、今のマスゴミは権力者に追従し、市民を監視している。だから、新聞の購読者は減っていく。情報産業として使い捨てされているのである。
 週刊金曜日の編集委員の本多勝一氏は過去日本が戦争犯罪を犯したことを認めた上で、金氏朝鮮による国家犯罪としての拉致を許していない。そのことをふまえた上で日本のジャーナリズムは週刊金曜日の行動を建設的に評価するべきなのだ(否定的な評価もこうした建設的な視点なら受け入れられる)。
 拉致問題を厳しく追及していたのは何も家族会ばかりではない。日本共産党もそうだった。そうした情報を幅広く集めてから評価の是非は行うべきである。そうした視点のない「週刊新潮」、「諸君」、「正論」にはマンガ「北斗の拳」の主人公ケンシロウの言葉を借りて言うなら「お前はもう死んでいる」。

 今まで北朝鮮は力任せの外交を展開してきた。
 そして恐喝の果てに国益を確保してきた。そうすることはだが、自国民を苦しめることになる。だが、この自国民は単に北朝鮮国内にとどまらない、日本における在日朝鮮の人々も含めたい。そうして世界中から孤立を深め、挙句の果てに核兵器で他国を恐喝する行動に出たのである。
 世界中の懸念に率直に耳を傾け、改善すべきであることは言うまでもない。もし、このままなら国は破綻し、韓国に多大な迷惑をかけるだけだ。そしてその混乱は世界中に大きな波乱を与えることになる。日本国民に問いたい、このままでは北朝鮮がさらに暴走する、このままでは油断はできない。その際に日本人はどのような犠牲を払うのか、緻密な計算をしておく必要はある。

2011-12-19 22:18



NHKよ、「坂の上の雲」のままでいいのか
 以前、私は坂の上の雲ブームを批判した。

http://tetsuono123.seesaa.net/article/242580491.html

 そのことで我が盟友と議論をしていたのだが、 片野次雄氏の著作「李朝滅亡」をNHKと韓国のKBSにてドラマ化すべきだと言う意見が出てきた。アマゾンによると「1392年の李成桂による建国以来、五百年余の永い歴史と伝統を誇った李氏朝鮮王朝は、1910年の日韓併合とともに呆気なく消滅した。繰り返される王朝内部の権力闘争。日本、清、ロシアなど大国による内政干渉…。その内実はいかなるものであったのか。江華島事件や閔妃暗殺、伊藤博文暗殺を経て日韓併合へと至る、朝鮮半島最後の王朝の苦難と悲劇を描いたノンフィクション・ノベル」とのことである。
 日本のドラマははっきり言って甘すぎるのである。下手な人気者ばかりを揃え、無名の実力派を無視する。それでは、韓国に負けるのも無理はない。それもそうだ、国ぐるみでタレントを育成しているのだから。
 とにかく、山本太郎氏、無名の若手俳優を中心に、作家の梁石日氏に原作を書いてもらいたいと思う。その際に参考としてほしいのは、坂の上の雲で出てきた登場人物の一部を出すことと、福澤諭吉についても出してほしいと言うことである。福沢についてはあの佐高信氏が取り上げているが、ここはWikipedia日本語版より引用する。

福澤は、朝鮮人愛国者・金玉均との出会いをきっかけにして、朝鮮の独立運動にも加担することになる。当時の朝鮮は日本の明治維新前夜の状況と酷似しており、小規模な武力闘争も起きていた(江華島事件)。福澤が日本の文明開化の立役者であるということは朝鮮にも知れ渡っており、明治14年(1881年)3月6日、金玉均は福澤と面会を果たし、朝鮮独立への協力を依頼した。
明治15年(1882年)7月23日、壬午事変が勃発すると、福沢は横浜正金銀行から17万円の借款を得、賠償金の一部に充当することができた。また、井上馨から国王の委任状があれば、さらに300万円の借款を供与するという提案を貰う。この時、金を支援するべく牛場卓蔵と井上角五郎を派遣。『漢城旬報』という朝鮮最初の新聞を発行する。井上は諭吉の助言に従い、朝鮮式かな混じり文を考案するべく朝鮮の文法学者と共に李朝第四代の王・世宗によって公布された訓民正音の研究を開始。国王・高宗の内諾を取り、新字体で紙面を構成し始める。これが今日の朝鮮文体『ハングル』である。朝鮮では大正9年(1920年)頃から呼ばれるようになった。
後藤象二郎も協力し、フランス公使に艦隊を借りて、自由党の荘士で民兵を組織し、朝鮮半島に送り込む計画を立て始めたが、伊藤博文によって却下される。明治17年(1884年)12月4日、甲申事変が起こるも失敗。この直後の明治18年(1885年)3月16日、福沢は『時事新報』に『脱亜論』を発表し、その5か月後には社説『朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す』を発表する。内容は、「人民の生命も財産も独立国民の誇りも守ってやれないような国は、むしろ滅びてしまった方が人民のためだ。」という強烈なものだった。
その後、金玉均は福沢邸にしばらく潜伏していたが、清の最高実力者・李鴻章の引渡しに応じ、日本郵船の西京丸で上海へ向かわせたが、無残にも暗殺されることとなった。その後、明治政府は日清戦争への道を歩み、福沢も開戦はやむなしとして南方熊楠から頼まれて、共に軍資金を寄附した。なお、上海で暗殺された金の供養のために法名をつけることを真浄寺住職寺田福寿に依頼し、寺田はただちに福沢の要請に応え、「古筠院釈温香」という法名を付け、法要は東京朝鮮公使付通官山崎英夫や朴泳孝などを福沢邸に招いて営んだ。
これら一連のアジア解放運動は、アジア主義団体として知られる黒龍会が、昭和8年(1933年)から同11年(1936年)にかけて編纂・刊行した『東亜先覚志士記伝』にも取り上げられている。また、紀州出身の大陸浪人・岡本柳之助とは面識があり(書簡)、同じく紀州出身の鎌田栄吉に岡本の活動を援助するように伝えていた。

 福澤の活動と、朝鮮列島の問題は大いにかかわりがあるわけである。
 「坂の上の雲」が単に日本と清、ロシアだけの問題だったのに対して、この一連の流れは決して小さな問題ではない。それが、日本と韓国の不幸な関係に結びついていったのだから。韓国ではこのように評価されているそうだ。

韓国における評価
朝日新聞によれば、大韓民国において、脱亜論を引用した研究論文が見られるようになるのは、1970年以降であり[69]、1980年代に日本で歴史教科書問題が起こり、日本の朝鮮侵略の論理として改めて認知され、現在は韓国の高校世界史教科書にも載っているという[70]。
福澤が援助した李氏朝鮮の開化派は、その中心にいた朴泳孝が日本統治時代の朝鮮において爵位を得るなどの厚遇を得て、金玉均は死後に贈位されたことなどから、独立後の韓国では親日派と見なされ、福澤への関心もほとんど無かったものと推測される。金玉均に対する評価は北朝鮮の方が高く[71]、それを受けた形で、在日歴史研究家の姜在彦が1974年(昭和49年)に「金玉均の日本亡命」を発表し[72]、福澤に触れていて、「最近の研究で明らかにされてきているように、福沢の思想における国権論的側面」という言葉が見える。この当時の日本において、福沢を自由主義者としてではなく国権論者としてとらえ、侵略性を強調する傾向が高まっていたわけだが、姜在彦は福沢に両面性を見ており、「日本を盟主とする侵略論につながる危険性をはらむ」としつつも、開化派への援助には一定の評価を与えている[73]。
現在の韓国におけるごく一般的な福沢像は、日本における教科書問題を受けて形作られたため、極端に否定的なものとなっている[74]。一般的に、韓国における福澤は、往々にして征韓論者として位置づけられ、脱亜論など、福澤の朝鮮関連の時事論説が書かれた当時の状況は考慮されず、神功皇后伝説や豊臣秀吉にまでさかのぼるとされる日本人の侵略思想の流れの中で捕らえられている。1990年代あたりから、在日学者の著作にもそういった傾向が見られるようになり、その例としては、1996年(平成8年)の韓桂玉の『「征韓論」の系譜』[75]、2006年の琴秉洞[76]『日本人の朝鮮観 その光と影』[77]を挙げることができる。
1990年代におけるこういった韓国の状況が、福澤に侵略性を見る日本側の教科書問題と連動し続けていることは、安川寿之輔が『福沢諭吉のアジア認識』の「あとがき」で詳細に述べている。高嶋伸欣が1992年(平成4年)に執筆した教科書において、日本人のアジア差別に関係するとして脱亜論を引用し、検定によって不適切とされ、訴訟になった。日本の戦争責任を追及する市民運動に身を投じていた安川は、この訴訟を契機として、福澤を「我が国の近代化の過程を踏みにじり、破綻へと追いやった、我が民族全体の敵」とするような韓国の論調に共鳴し、30年ぶりに福澤研究に取り組んだという。
『福沢諭吉と朝鮮』の著者・杵淵信雄は、安川とはちがい、「脱亜論の宣言を注視するあまり、(福澤は)アジアとの連帯から侵略へと以後転じたとする誤解が生じた」として、福澤の侵略性を強調する立場ではないが、1997年(平成9年)の時点において、「李氏朝鮮の積弊を痛罵し、しばしば当り障りの強い表現を好んだ福沢の名が、隣国では、不愉快な感情と結びつくのは自然な成行である」と、韓国における感情的な反発に理解を示している[78]。
一方、1990年代の韓国において、福澤研究に取り組む研究者が複数現れたことを、林宗元は述べている[79]。林宗元の紹介するところによれば、その観点も、日本における「自由主義者か帝国主義者か」という議論を引き継ぐもの、朝鮮の開化主義者と福澤を比較するもの、福澤と朝鮮開化派との関係を追求するもの、福澤の反儒教論を批判分析するものなど、多岐にわたっていて、否定的なものばかりではないことが注目される。
2000年代に入り、こういった学問的取り組みと平行して、近代化の旗手としての福澤への一定の理解が、新聞論調にも見えはじめる[80]。 2004年(平成16年)前後に登場したニューライトは、金玉均など朝鮮開化派を高く評価し、日本統治時代の朝鮮における近代化も認める立場をとっていて、従来の被害者意識から離れた歴史観を提唱するなど、新しい風を巻き起こした。そんな中で同年、林宗元によって、福翁自伝が韓国語に訳され、出版されたことも、韓国における福澤像に肯定的な彩りを加えた。韓国主要紙は軒並み好意的な書評をよせ、ハンギョレは「ハンギョレが選んだ今年の本」の翻訳書の一つとして紹介している。
しかし、韓国において福澤に侵略性を見る従来の見解は根強く、また日本においても脱亜論が一人歩きする傾向が著しい[81]。2005年、ニューヨークタイムズの東京支局長ノリミツ・オオニシは「日本人の嫌韓感情の根底には福澤の脱亜論がある」[82]とした。東京発のこういった報道を受けてか、中央日報では再び、福澤を「アジアを見下して侵略を肯定した嫌韓の父であり右翼の元祖」と評してもいる[83][84]。
また、筑波大学の稲葉継雄は、韓国で福澤の侵略性の認識が高まっていると論じてもいて[85]、韓国における福澤像は、韓国内の政治情勢とともに、日韓の外交関係、世論のキャッチボールによっても大きく揺れ動いている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/福澤諭吉

 評価としては非常に難しい。
 だからこそ、日韓両国での共同制作ドラマで取り上げるべき価値がある。日本の価値と韓国の価値は異なるのだから。さらに、女性にも戦争を肯定的にとらえるとんでもない動きがある。上坂冬子と曽野綾子、林真理子というとんでもないおバカさんたちである。そうした連中に大きな冷や水を浴びせる意味で、この共同ドラマは絶対に制作しなければならない。
 また、このドラマには経済面でも切り込むべき角度を持たねばならない。ちなみに以前、従軍慰安婦問題で私は貧困ゆえに追い詰められたのだと指摘したが、それを裏付ける論文が発見された。

 1920年代から1935年までの朝鮮人社会は,極度の貧困状態が持続されており,マスメディアで草根木皮,飢餓,乞食などの言葉が最もよく使われた時期でもあった。朝鮮総督府通計年譜や雑誌『朝鮮及満州』(1935年 5月号)には,農民の40%以上,都市住民の60%以上が貧困層であると報告されている。ここで税金を納付しない貧困層は,朝鮮総督府によって四つに分類されていたが,細民・窮民・浮浪民・乞食がそれであった。細民は生活が困難な状態ではあるものの他人の援助をもらわなくても最低限の生活は維持できる者,窮民は生活が非常に厳しい状態で他人の援助なしには生活自体ができない者,浮浪民はあちこちを徘徊する住居と職業のない無宿者,乞食は浮浪・徘徊しながら自分や家族のため赤の他人に常業的にものもらいをする者,とそれぞれカテゴリー化された。しかし,ここで注意しなければならないのは,都市住民の60%が貧困
層であるといっても,当時京城居住の日本人を除くと結局朝鮮人の大多数が貧困層であったということになる。

1930年代植民地都市京城の「モダン」文化
白 恵 俊 より引用
 http://cicero.u-bunkyo.ac.jp/lib/kiyo/fsell2005/329-344.pdf

 これで、従軍慰安婦問題は完全に日本に責任があるとはっきり証明されたではないか。
 貧困層は言葉巧みに誘われ、そして日本軍兵士相手に嫌な思いをさせられたのである。こうした歴史の闇を「自由主義主観」は見てみぬ振りをしている。ポルポト石原など、論外だろう。
 NHKは本気で、この問題と向かい合うべきだ。それを証明するためにも、ぜひとも「李朝滅亡」と「閔妃暗殺」をベースに、ドラマ化および映画化に動いて欲しい。ネットファシストどもは反発するだろうが、世界中からは拍手喝采は間違いない。
2012-01-18 23:10


朝鮮日報の報道と、従軍慰安婦への方々へ
 第二次世界大戦で従軍慰安婦にさせられた多くの罪なき女性の方々へ

 はじめまして。
 「日々格闘記 TETSUONO」を運営しております小野哲と申します。
 あなたがたが貧困の中日本軍に騙されてアジアの名の無い大地に従軍慰安婦として送り込まれ多くの日本兵士の性的処理の相手をさせられたことに対し一人の日本人として心よりお詫び申し上げます。
 さらに深刻なのはそうしたことを不当に否定する橋下徹のような極右政治家が日本でもてはやされているほか、小泉純一郎のように堂々と靖国神社を訪問して平然としていられる愚か者への批判がない日本社会なのです。
 そして、そんなことは間違いだと指摘する人たちには極右団体『在日特権を許さない市民の会』などのヘイトスピーチやネット右翼による不当な攻撃です。
 一人の日本人として、少なくとも私は事実と向き合い率直に謝罪させていただきたいと思います。極右どもから『お前は日本人じゃない』と言われようとも、事実を真っ向から受け止めなければ人は人じゃないのです。
 最後になりましたが、せめて残された時間があなたがたにとって穏やかな時間であることを祈っています。

 小野 哲

 제2차 세계대전에서 종군 위안부에게 하게 한 많은 죄 없는 여성의 여러분(여기저기)에게

 처음 뵙겠습니다.
 「나날(날마다) 격투기 TETSUONO」를 운영하고 있는 오노(小野) 사토시(哲)라고 합니다.
 여러분들이 빈곤의 중일본군에 속아서 아시아의 이름이 없는 대지에 종군 위안부로서 보내줘져 많은 일본 병사의 성적 처리의 상대를 시켜진 것에 대하여 한사람의 일본인으로서 마음으로부터 용서를 빕니다.
 게다가 심각한 것은 그러한 것을 부당하게 부정하는 다리아래 도오루(徹)와 같은 극우정치가가 일본에서 극구 칭찬되고 있는 것 이외에, 고이즈미(小泉) 준이치로(純一郎)와 같이 당당하게 야스쿠니신사(靖國神社)를 방문해서 침착하고 있을 수 있는 멍텅구리에의 비판이 없는 일본 사회입니다.
 그리고, 그러한 일은 틀림이라고 지적하는 사람들에게는 극우단체 『재일 특권을 용서하지 않는 시민의 모임』등의 【헤이토스피치】나 넷우익에 의한 부당한 공격입니다.
 한사람의 일본인으로서, 적어도 나는 사실과 마주 향해 솔직하게 사죄시켜 주셨으면 싶다고 생각합니다. 극우들로부터 『너는 일본인이 아니다』라고 말해지고 말고, 사실을 바로 정면으로부터 받아들이지 않으면 사람은 사람이 아닙니다.
 최후가 되었습니다만, 공격해서 남겨진 시간이 여러분들에 있어서 온화한 시간인 것을 기원하고 있습니다.

 오노(小野) 사토시(哲)

http://www.excite.co.jp/world/korean/ にて翻訳

 読者の方々へ。
 私は護憲保守主義者です。事実を見据えてきちんと対処するべきというのが私の思想であり、多くの動かない証拠がある従軍慰安婦問題に関してこれ以上日本人ががあがあ言うことはやめるべきです。ただ、違うというのなら客観的かつ具体的な証拠をもって反論いただきたいと思います。
 次に取り上げるのはこのニュースです。

記事入力 : 2012/08/29 09:51
慰安婦:「ナヌムの家に日本の政治家を招待」
野田「首相」など724人に招待状

 京畿道広州市にある「ナヌムの家」に暮らす旧日本軍の従軍慰安婦だった女性たちが、野田佳彦首相をはじめとする日本の政治家たちに対し「ナヌムの家を訪問してほしい」と招待状を送ることを決めた。
 ナヌムの家側は、野田「首相」、橋下徹「大阪市長」、石原慎太郎「東京都知事」、衆議院議員479人、参議院議員242人の計724人に対し、ナヌムの家と従軍慰安婦歴史館への訪問を要請する招待状を、29日に郵送することを決めた。はがきで作成した招待状には「慰安婦被害者の生々しい歴史が生きているナヌムの家を訪問し、歴史の真実を見て、生存している女性たちと共に食事をし、互いに交流する機会となればうれしい」という内容をしたためた。はがきの裏には元慰安婦の女性が心理治療の過程で描いた絵を印刷した。
 ナヌムの家は、最近日本の政治家たちが相次いで「慰安婦を強制動員した証拠はない」などと発言していることから、歴史の真実を明らかにし、慰安婦として被害を受けた女性たちの名誉を回復するために招待状を送ることにした、と説明している。

広州= 権祥銀(クォン・サンウン)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

 ハシゲたちは是非ともこの招待に応じてもらいたい、いや応じるべきでしょう。
 そして、己の歪んだヘイトスピーチを世界中にほざくがいいでしょう。だが、事実をきちんと見ている我々を騙すことは無理です。
 東京都知事に河野洋平氏を推薦しましょう。これで締めましょう。

記事入力 : 2012/08/30 10:57
慰安婦:河野洋平氏「私の立場に変わりはない」

 安倍晋三「元首相」や松原仁「国家公安委員長」など日本の政治家たちが、慰安婦の強制連行を認めて謝罪した「河野談話」の見直し・撤回を主張していることをめぐり、1993年に談話を発表した河野洋平元官房長官は29日「(自分の)立場は談話を発表したときと全く変わっていない」と語った。河野元長官の事務所関係者が、本紙の電話取材に応じ同氏の見解を伝えた。
 同関係者は「(河野氏は)最近の状況に非常に不満を感じており、日韓関係をとても心配している」と話した。先ごろ一部の国会議員が、談話発表の経緯や事実関係を確認するため河野氏の参考人招致を求めたことに対しては「正式な手続きを踏んだ上で要請があれば、国会で談話に対する立場を堂々と語る」とした。河野元長官はまた「日本と韓国は今回の事態にもう少し冷静に対応してほしい」と語ったとのことだ。
 河野元長官は、2007年に当時の安倍晋三「首相」が「旧日本軍の強制連行はなかった」と主張すると、インタビューで「慰安婦の強制連行がなかったという議論をするのは知的に誠実ではない」と批判した。また、慰安婦の徴集命令を裏付ける証拠資料がないとする右翼の批判には「処分されたと推定できる」と指摘したほか「私は信念を持って談話を発表した」「元慰安婦16人からの聞き取り調査で、明らかに厳しい目に遭った人でなければ証言できないような状況説明が次々と出された」などと語った。
 河野元長官は1967年に政界入りした後、衆議院に14回当選した。官房長官、自民党総裁、衆議院議長などを歴任し、09年に政界を引退。引退する際、後輩の議員たちに「日本は被害者であるだけでなく、加害者でもあったということを学んでほしい。特に韓国と中国に関する外交を真剣に考え、正しい姿勢で臨んでもらいたい」と語った。
 河野氏は自身の談話をめぐり、極右派の政治家たちから集中的な批判を浴びていることについて「談話を否定することで米国でも問題となり、アジアやオランダなどでも論争が起きた。『日本で政治とは何なのか』という言葉を聞いたのは、非常に遺憾だった」と述べた。

東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
2012-09-01 10:00

この記事へのコメント
事実は事実として真摯に行け止める事が人間としての最低限のマナーでしょうね。
逆の立場に立ってみれば解ることなのですが。

かなり昔の記事で「竹島なんかくれてやれ」をアップしたのですが、かなりのバッシングを貰った記憶があります。
皮肉を込めて書いたのですが、まともに受け取った方が多かったようです。
Posted by 俊樹 at 2012年09月04日 13:00

 神戸俊樹さん
 あなたの言うとおり事実は事実として真摯に行け止める事が人間としての最低限のマナーです。
 私自身、発達障がい当事者になってしんどい思いをたくさんしています。以前私は医療過誤事件の国際法違反の不当無罪判決を批判したのですがその際のネット極右どもの暴言にはうんざりしましたね。
 その際に唯一ネット極右に反論してくれたのが井上静氏でした。


日韓の緊張を解くには
 以前私は片野次雄氏の著作「李朝滅亡」・角田 房子著の「閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母」をNHK(日本放送協会)と韓国KBSが共同制作すべきだと提案していた。
 この際に大きな影響を与えたのは福沢諭吉である。片野氏と角田氏の共著でドラマの脚本を書いてみて欲しいと思うがその際には韓国サイドからも何人かを加えて欲しい。当時の韓国はこのような背景だった。

1866年 閔妃(明成皇后)が高宗(位1863~1907)の王妃として王宮へ入ると、高宗の父大院君は閔妃と対立を始め、閔妃を中心とした閔氏一族(開化派)と崔益鉉らの儒者勢力、政敵安東金氏の勢力を中心に、大院君排除のための動きを見せていた。これらの勢力が結託し、1873年、高宗が成人すると親政を宣言し、崔益鉉の弾劾を機に大院君は追放される。代わりに政権を握ったのは閔妃の一族である閔氏であった。高宗は性格的に気の強い閔氏に頼るところが多く、政権を握った閔妃は閔氏一族を要職につけ、以後閔氏一族による勢道政治が始まる。
1871年 日本は清朝と日清修好条規を結び、朝鮮にも国交を求めたが、朝鮮は清国を宗主国とする伝統的な外交秩序のなかに自国を位置づけ、西欧諸国に対しては鎖国政策をとっていたため、近代化した日本との通商を拒否。
1873年 閔妃派政権は、開化路線をとり日本から軍事顧問を招き洋式軍隊の創設に着手。
1875年 朝鮮の首都ソウルに近い江華島の沖で、日本の軍艦雲揚号が無断で測量をおこない朝鮮軍が砲撃を加える江華島事件が起きる。
1876年 江華島事件の責任を問う形で朝鮮と交渉をおこない、日朝修好条規を締結、これにより朝鮮は開国し、釜山など三港を開港したものの日本の領事裁判権を認める不平等条約だった。この後、朝鮮はイギリス、ドイツなどとも同様の条約を締結を強いられた。開国後の政権運営について、清朝の庇護のもとで伝統を守ろうとする守旧派と、近代化をめざす開化派の路線対立があった。
1882年 新式軍隊(近代式軍隊)に対する旧式軍隊の差別待遇、賃金未払いなどに対して、不満を募らせた旧式軍隊と衛正斥邪派・大院君の勢力が結託し、閔妃暗殺、閔氏一族・開化派勢力の追放をもくろんだ壬午事変が発生する。開国後の米価高騰に不満を持つソウルの下層民衆もこれに加わり壬午事変によって一時的に大院君は復権するが、殺されたと思われていた閔妃は清の袁世凱に介入を要請。清軍が出撃しこれらの勢力を排除する。大院君は清国へ連れ去られ、清国は朝鮮の治安維持の目的で、3000の兵を朝鮮国内に駐屯させた。一方、この事変により日本公使館を襲撃され、多くの日本人が殺害された。軍事顧問が殺された日本も軍艦を朝鮮半島へ向かわせ、賠償を要求。済物浦条約により賠償金の支払いと邦人保護のための軍隊駐留を認めさせる。この事件により、清と日本の軍隊が朝鮮国内に駐留することになり、朝鮮の軍事権は深刻なダメージを受けた。
1882年 若手開化派官僚の金玉均が2月から7月まで日本に遊学し、福澤諭吉の支援を受け、慶應義塾や興亜会に寄食する。福沢諭吉の紹介で井上馨、大隈重信、渋沢栄一などと面識を得、日本をモデルにして一刻も早く朝鮮の近代化を図ることが必要と考え、帰国後、政治改革を試みるも、守旧派の抵抗にあう。
1884年 12月4日、ソウル駐在日本公使の軍事援助の約束を得た金玉均ら急進開化派は、清の朝鮮駐屯軍が清仏戦争の影響で3000名から1500名に減らされたことを好機にクーデタを決行(甲申政変)。国王の身柄を確保した上で閔妃派の政府要人を殺害し、5日には新政権樹立と改革を宣言するも6日に袁世凱率いる1500名の清軍が王宮に至り日本軍を攻撃すると、日本軍は小競り合いの後に金玉均ら開化派を見捨てて退去。事件を知った民衆によって日本公使館が焼き討ちにあい日本公使もソウルから逃亡。閔妃派の守旧派政権が復活し、事件に関わった開化派は処刑され金玉均は日本に亡命。
1885年 日本はソウルに軍隊を派遣し、自らの責任には触れず、朝鮮政府に公使館焼き討ちにたいする謝罪と賠償を要求して認めさせる。日清両国は朝鮮に駐屯する両軍の衝突を避けるため、天津条約(朝鮮からの日清両国軍の撤兵、朝鮮へ派兵する場合は相互に事前通告する)を締結。
1885年 3月16日付『時事新報』(福沢が創刊に関わった新聞で現在の産経新聞)の社説で『脱亜論』が掲載される。
「今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず、寧ろ其伍(そのご・そのなかま)を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈(えしゃく)に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従いて処分す可きのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」
 その上で福澤は朝鮮独立運動のリーダーである金玉均を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。
1894年3月28日 亡命してきた金玉均は日本政府にとって利用価値はなく、小笠原の父島や、北海道に移送され罪人同様の扱いをうけ上海に渡ったところを閔妃の刺客洪鐘宇(ホン・ジョンウ)に射殺された。遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑「大逆無道玉均」に処された。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒された。
1895年 10月8日、日本公使三浦梧楼らは景福宮に乱入して閔妃を捜しだし殺害。

http://www.geocities.jp/timeway/kougi-107.html
世界史講義録
第107回  朝鮮の開国と日清両国の動き

 韓流ドラマがかしやかましいが、本来やるべきは日本の過去の陰部を日本人自身が確認することなのである。
 また、福沢は日本人の思想に大きく関わった一人であり、その思想が一部なりとも侵略戦争に悪用されたということは変えがたき真実なのである。司馬遼太郎の『坂の上の雲』はこうした福澤の陰部をひた隠したに過ぎない。この作品とても司馬は映像化を拒んでいたのだ。
 また、竹島問題で日韓両国は対立している。私は日本人ゆえに竹島は日本の領土であることは明らかだと考えているが、韓国人にも言い分はある。率直に耳を傾けるべきで、一方的な行動では誰も受け入れない。それなら、もはや時代遅れになったNHKの日曜大河ドラマの時間に今回私が提唱したドラマを放映してみたらどうか。極右政治家や極右団体以外の人たちはこぞって歓迎するであろう。

 なお、ハングルでも今回は掲載したい。

한글 판
일한의 긴장을 풀기 위해서는

 이전 나는 가타노(片野) 쓰구오(次雄)씨의 저작 「이조멸망」・쓰노다(角田) 후사코(房子) 저의 「민비(【민비】)암살-조선 왕조말기의 고쿠보(國母)」를 NHK(일본방송협회(日本放送協會))과 한국KBS가 공동 제작해야 한다고 제안하고 있었다.
 이 기회에 큰 영향을 준 것은 후쿠자와 유키치(福澤諭吉)다. 가타노(片野)씨와 쓰노다(角田)씨의 공저로 드라마의 각본을 써 보아주었으면 싶다고 생각하지만 그 때는 한국 사이드부터도 몇사람인가를 더해주었으면 싶다. 당시의 한국은 이러한 배경이었다.

1866년 민비(명성황후(明成皇后))이 고종(정도1863∼1907)의 왕비로서 왕궁에 들어가면, 고종의 아버지대 원군은 민비와 대립을 시작하고, 민비를 중심으로 한 민(閔)씨 일족(개화파)과 최익현들의 유생세력, 정적 안도(安東) 돈씨의 세력을 중심으로, 대원군 배제를 위한 움직임을 보이고 있었다. 이 세력이 결탁하고, 1873년, 고종이 성인하면 친정을 선언하고, 최익현의 탄핵을 기회로 대원군은 추방된다. 대신 정권을 쥔 것은 민비의 일족인 민(閔)씨이었다. 고종은 성격적으로 기가 강한 민(閔)씨에게 의지하는 곳이 많아, 정권을 쥔 민비는 민(閔)씨 일족을 요직에게 취임시키고, 이후 민(閔)씨 일족에 의한 기세길정치가 시작된다.
1871년 일본은 청호와 날 기요시(淸) 수교 조규를 잇고, 조선에도 국교를 요구했지만, 조선은 기요시(淸)국을 종주국으로 하는 전통적인 외교질서의 안에 자국을 위치를 부여하고, 서구 제국에 대하여는 쇄국 정책을 잡고 있었기 때문, 근대화한 일본과의 통상을 거부.
1873년 민비파 정권은, 개화 노선을 취해 일본에서 군사고문을 불러 서양식군대의 창설에 착수.
1875년 조선의 수도 서울에 가까운 강화도(江華島)의 앞바다에서, 일본의 군함구름 튀겨 호가 무단으로 측량을 해 조선군이 포격을 가하는 강화도(江華島) 사건이 일어난다.
1876년 강화도(江華島) 사건의 책임을 묻는 형으로 조선과 교섭을 하고, 일조 수교 조규를 체결, 이것에 의해 조선은 개국하고, 부산(釜山)등 3항을 개항했지만 일본의 영사재판권을 인정하는 불평등 조약이었다. 이 다음, 조선은 영국, 독일등과도 같은 조약을 체결을 강요당했다. 개국후의 정권운영에 대해서, 청호의 비호의 밑에서 전통을 지키자로 하는 수구파와, 근대화를 목표로 하는 개화파의 노선대립이 있었다.
1882년 신식군대(근대식 군대)에 대한 구식군대의 차별대우, 임금미불등에 대하여, 불만을 모으게 한 구식군대와 에이(衛) 다다시(正)斥사파・대원군의 세력이 결탁하고, 민비 암살, 민(閔)씨 일족・개화파 세력의 추방을 계획한 임오사변이 발생한다. 개국후의 쌀가격앙등에 불만을 가지는 서울의 하층민중도 이것에 합류해 임오사변에 의해 일시적으로 대원군은 복권하지만, 죽음을 당했다고 생각되고 있었던 민비는 기요시(淸)의 위안스카이에게 개입을 요청. 기요시(淸)군이 출격해 이 세력을 배제한다. 대원군은 기요시(淸)국에 데려 가버리고, 기요시(淸)국은 조선의 치안유지의 목적에서, 3000의 병사를 조선 국내에 주둔시켰다. 한편, 이 사변에 의해 일본 공사관을 습격되어, 많은 일본인이 살해되었다. 군사고문이 죽음을 당한 일본도 군함을 한반도(朝鮮半島)에 향시켜, 배상을 요구. 와타루(濟)물 후미조약에 의해 배상금의 지불과 일본인보호를 위한 군대주류를 인정시킨다. 이 사건에 의해, 기요시(淸)와 일본의 군대가 조선 국내에 주류하게 되고, 조선의 군사권은 심각한 데미지를 받았다.
1882년 젊은 개화파 관료의 김옥균이 2월부터 7월까지 일본에 유학하고, 후쿠자와(福澤) 유키치(諭吉)의 지원을 받고, 케이오기주쿠(慶應義塾)나 고아(興亞)회에 기식한다. 후쿠자와 유키치(福澤諭吉)의 소개로 이노우에(井上) 가오루(馨), 오오쿠마 시게노부, 시부사와(澁澤) 에이이치(榮一)등과 면식을 얻고, 일본을 모델로 해서 한시라도 빨리 조선의 근대화를 도모하는 것이 필요라고 생각하고, 귀국후, 정치개혁을 시도하나, 수구파의 저항에 만난다.
1884년12월4일, 서울 주재 일본 공사의 군사원조의 약속을 얻은 김옥균들 급진 개화파는, 기요시(淸)의 조선 주둔군이 기요시(淸) 프랑스전쟁의 영향으로 3000명으로부터 1500명에 줄여진 것을 호기에 【구데타】를 결행(마사루(甲) 신(申) 정변). 국왕의 신병을 확보한 뒤에서 민비파의 정부 요직에 있는 사람을 살해하고, 5일에는 신정권 수립과 개혁을 선언하나 6일에 위안스카이 거느리는 1500명의 기요시(淸)군이 왕궁에 이르러 일본군을 공격하면, 일본군은 작은 경쟁을 함의 뒤에 김옥균들 개화파를 버려서 퇴거. 사건을 안 민중에 의해 일본 공사관이 화공 어울리기 일본 공사도 서울에서 도망. 민비파의 수구파 정권이 부활하고, 사건에 관련된 개화파는 처형되어 김옥균은 일본에 망명.
1885년 일본은 서울에 군대를 파견하고, 자기의 책임에는 언급하지 않고, 조선 정부에 공사관화공에 대하는 사죄와 배상을 요구해서 인정시킨다. 날 기요시(淸) 양국은 조선에 주둔하는 양군의 충돌을 피하기 위해서, 텐진 조약(조선에서의 날 기요시(淸) 양국군의 철병, 조선에 파병할 경우는 서로 사전통고한다)을 체결.
1885년3월 16일자 『시사신보』 (후쿠자와(福澤)가 창간에 영향을 미친 신문에서 현재의 산께이신문(産經新聞))의 사설로 『탈(脫)아론』이 게재된다.
「오늘 꾀(꾀)을 하는 것에, 우리나라는 이웃나라의 개명을 기다릴 수 있어 모두 아시아를 일으키는 것 유예 있는 가능들 ず, 오히려 그 오 (그 ・그 동료)을 탈출해서 서양의 문명국과 진퇴를 모두 하고, 그 시나(支那) 조선에 접하는 것 법도, 이웃나라 되기 때문에라도 특별한 인사 (얻어 울화)에 미치치 못하다, 정말로 서양인이 之에 접하는 것 바람에 종 있어서 처분하는 가능 올뿐. 나쁜친구를 친숙하는 사람은, 모두 악명을 免(まぬ) 깎는 가능들 ず. 우리れ은 마음에 있어서 아시아 동방의 나쁜친구를 사절하는 것이든지」 게다가이어서 후쿠자와(福澤)는 조선 독립 운동의 리더인 김옥균을, 자기의 몸에 위험이 미치는 것을 각오로 도왔다. 당시의 일본의 정부는 그것을 이유로 후쿠자와(福澤)를 잡자로 하고, 사실, 후쿠자와(福澤)의 제자의 이노우에 카크고로(井上角五郎)는 투옥되어, 후쿠자와(福澤)와의 관계를 자백해라고 재촉받고 있다.
1894년3월28일 망명해 온 김옥균은 일본정부에 있어서 이용 가치는 없고, 오가사와라(小笠原)의 지치지마(父島)나, 홋카이도에 이송되어 죄인같음의 취급을 받아 상해로 건너간 바를 민비의 자객 홍종우(폰・【죤우】)에 한번에 죽여졌다. 사체는 기요시(淸)국 군함 함(咸) 야스시(靖) 호로 본국 조선에 옮겨져 료(凌)遲형 「대역무도옥 히토시(均)」에 처해졌다. 그 사체는 분해되어, 동체는 강에 버림받고, 목은 경기도(京畿道) 다케야마(竹山), 한쪽 손及한쪽 발은 경상도(慶尙道), 다른 수족은 함(咸) 가가미(鏡) 길에서 노출되었다.
1895년10월8일, 일본 공사 미우라(三浦)梧누각들은 경복궁에 난입해서 민비를 찾아내 살해.

http://www. geocities. jp/timeway/kougi-107.html 세계사강의록 제107회 조선의 개국과 날 기요시(淸) 양국의 움직임

 한류 드라마가 빌려줘 시끄럽지만, 원래 해야 할은 일본의 과거의 음부를 일본인자신이 확인하는 것이다.
 또, 후쿠자와(福澤)는 일본인의 사상에 크게 영향을 미친 한사람이며, 그 사상이 일부든지와도 침략전쟁에 악용되었다라고 하는 것은 바꾸기 어려운 진실이다. 시바 료타로(司馬遼太郎)의 『사카노우에(坂上)의 구름』은 이러한 후쿠자와(福澤)의 음부를 마른 숨긴 것에 지나지 않는다. 이 작품 매우 시바(司馬)는 영상화를 막고 있었던 것이다.
 또, 다케시마(竹島) 문제로 일한 양국은 대립하고 있다. 나는 일본인 때문에 다케시마(竹島)는 일본의 영토인 것은 명확하다고 생각하고 있지만, 한국인에게도 주장은 있다. 솔직하게 귀를 기울여야 해서, 일방적인 행동에서는 아무도 받아들이지 않는다. 그렇다면, 이미 시대에 뒤떨어져진 NHK의 일요일 대하 드라마의 시간에 이번내가 제창한 드라마를 방영해 보면 어떻겠는인가? 극우정치가나 극우단체이외의 사람들은 모두 모여서 환영할 것이다.

 번역이 틀릴지도 모르겠습니다만 그 때에는 용서를 빕니다.
2012-09-15 14:00



暴力にはやり返すな
中国80都市以上で「反日」デモ 
2012年9月18日 13時52分
 【北京=渡部圭】沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化に反対する中国の反日デモが18日も北京などで始まった。満州事変の発端となった柳条湖事件から81年にあたり、反日機運はピークに達するとみられる。事件現場の遼寧省瀋陽では警察が厳重な警戒態勢を敷く中、日本総領事館周辺を数千人がデモをしている。
 北京の日本大使館前は、午前八時から百人単位のデモ隊が次々と現れ、警察がバリケードを二重に張って警戒する中で行進を繰り返している。大使館にはペットボトルが投げ付けられ、平日にもかかわらずデモ参加者は数千人に達している。大使館の窓ガラス6枚が破損しているのが見つかった。
 バリケードを乗り越え大使館に侵入しようとして警察官に阻止される者も多い。中国人3人が拘束されたとの情報もあり、当局がデモ隊の暴徒化を防ぐため、過激な行為は取り締まろうとしているとみられる。衣料品のユニクロなど多くの日系店舗は当局側の指示で休業。日本人学校は臨時休校になった。
 瀋陽の日本総領事館は、デモ隊の投石でガラスが割られた。周辺道路は封鎖されているが、デモ隊の参加者は増えている。近くの日系百貨店「伊勢丹」は休業した。
 上海、広東省広州、浙江省温州などでも反日デモが始まり、18日にデモが行われたのは80都市に上るとみられる。特定の日系企業を標的にしたデモ呼び掛けもある。
(中日新聞)

鳥取県、反日デモ被害企業へ融資 総額20億円 
2012年9月19日 20時06分
 鳥取県は19日、反日デモの被害を受けたり、取引や観光客の減少など間接的な影響を受けたりした県内企業に対し、融資制度を設けることを決めた。県の担当者は「同様の制度は聞いたことがない。鳥取県がいち早く手を打った」としている。
 1社当たりの上限は2億8千万円とし、低金利で金融機関から融資を受けられるようにする。融資枠は総額20億円で、超えた場合も、他の融資制度の活用や補正予算で対応する。
 鳥取県経済通商総室によると、県から中国に進出している企業は製造業や商社23社。うち1社の工場が放火され、1億円以上の被害が出たほか、3社が休業した。被害総額は調査中という。
(共同・中日新聞社)

トヨタ、日産も中国工場臨時休業 
2012年9月18日 12時00分
 中国各地で反日デモが続く影響で、トヨタ自動車や日産自動車、イオンなどの日本企業が、現地工場の操業や店舗の営業を取りやめる動きが18日拡大した。
 トヨタは現地工場の一部を18日に臨時休業。系列販売店が放火される被害があったことも踏まえ、現地の社員らの安全に配慮した。日産自動車も出荷が難しくなっているとして河南省などの組立工場を休業。三菱自動車も湖南省の工場の操業を停止し、駐在員や出張者は自宅やホテルに待機させている。
 ユニクロを展開するファーストリテイリングは、北京市内を中心とする42店舗を一時、もしくは終日閉店する。
(共同・中日新聞社)

 あの佐高信氏は連載記事を載せている月刊誌で「中国よ、反日デモをやってありがとう」と書き、日本人は、これを機会に現代史を学ぶべきだと書いている。
 全くその通りなのだが、「国内的には都が買うよりも国が買うほうが穏やかだと見られるが、中国側から見ると国有化は強く出てきたと看做されている。石原さんの様でない人も日本に入ることをいうべき。村山富市さんを派遣して説明させるべき」まで事態は悪化した(TBS系列サンデーモーニング12年 9月16日(日)にてコメント)。
 ここまで悪化させた輩、このTwitterで出てくるツッコミをどう思うか?

http://twitter.com/netuyo_dokuimo

お兄ちゃんって、左翼や在日朝鮮人の知り合いが一人もいないのに、さも見てきたかのようにあの人たちの悪口を言うよね。
左翼や在日が日本を悪くした!って言うけど、自民党やネット右翼も大概だと思うよ?
「アメリカ大統領は天皇陛下をホワイトタイで迎える」っていうけれど、お兄ちゃんもちゃんとスーツ買って就活したほうがいいよ
自分は中道だ、中道だって繰り返してるけど、左右以前に人の道は随分外れてるよね。
おにいちゃん、日本を憂える前に、自分の将来を心配しようね
お兄ちゃん、いつも「俺たちこそ世界的に見たら中道だ」というけど、どこから見ても「まさに外道」だよね
お兄ちゃん、「マッカーサーは大東亜戦争を自衛の戦争だと認めた」とか言うけど、なんでわざわざ敵の国の人間なんて使って大東亜戦争を正当化するの?恥ずかしいよ、それ。
お兄ちゃんはいつも中国政府の膨張主義に対抗するためアメリカと協調して封じ込めようって言ってるけど、お兄ちゃんの大好きな大日本帝国は80年前に同じような行動やったんだよ。よかったね、ABCD包囲網の中の人の気持ちが分かって。
#ネット右翼の兄をもつ毒舌な妹botより

 この皮肉はポルポト石原やハシゲ、野田自称首相をこてんぱんに射抜く鋭いものばかりである。
 尖閣諸島の国有化が事を悪化させたことは明らかだ。そもそも、日本政府が言うように国際法の立場で言えば尖閣諸島問題はあくまでも国内問題に過ぎない。日本の領土であり、中華大陸における独裁政権がどやすく言う資格はない。それでも、石原・ハシゲ・野田の罪はもちろんジミントー総裁選挙に立候補している名無しの権兵衛たちの罪は深い。

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3736.html
村野瀬玲奈の秘書課広報室 両国と両国民の友好と経済と内政を壊す愛国領土紛争

 肩身の狭い思いをさせられているのは我々ばかりじゃない。
 中国嫁日記でお馴染みの井上純一・月夫妻である。このエントリーで彼らの困惑ぶりがよくわかる。

http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/archives/51494331.html
中国嫁日記 中国では、なにかが起こるたびに……

 本当の愛国者なら、暴力にはやり返さないことだ。
 そしてハシゲや石原、野田やジミントーポンコツ5人組をはじめとする戦争責任居直りバカどもを一気に追放することだ。その上で戦争責任の問題にケリをつけてしまうことだ。その上で領土問題ははっきり言うしかない。
2012-09-21 12:00

この記事へのコメント
あんた中国嫁日記見てたのか!!
あれほのぼのするよな~。
Posted by 欣也 at 2012年09月21日 14:48

コメント回答 2012年9月22日
 ここで寄せられたコメントに対して回答を申し上げます。

 「暴力にはやり返すな」でコメントを寄せていただきました欣也さんへ
 ええ、見ていましたよ、「中国嫁日記」は。
 私のコラムはややストレート系が多いのでたまにはカーブやフォーク、シンカーなど絡めて書くようにしています。隣国でもこれだけ異なるのだからそのカルチャーギャップを楽しみつつも、「なんで隣国同士喧嘩しなけりゃあかんのか」と思いますよね。
 アビスパ福岡でも韓国人選手のキム・ミンジェ選手やオ・チャンヒョン選手、在日朝鮮人の孫正倫選手がいますけど彼らへの声援がほかの日本人選手と同じようにあって欲しいと思います。サッカーに政治を絡めたらかつてのテルコオンステージのサガン鳥栖のようになってしまいますので…。


事実から見つめ合う勇気が日韓両国に問われている

 韓国大統領選の朴槿恵候補「独島は協議対象でない」 (聯合ニュース)
2012/11/08 16:10 KST
【ソウル聯合ニュース】韓国大統領選(12月19日投開票)に与党セヌリ党の公認候補として出馬する朴槿恵(パク・クンヘ)氏は8日、ソウル外信記者クラブで記者会見し、「独島は歴史的、地理的、国際法的に韓国固有の領土であり、協議の対象ではない」と述べた。その上で、「両国の関係発展のためには日本がこの点を直視しなければならない」と強調した。
 朴氏は旧日本軍の従軍慰安婦問題について、「いかなる場合でも合理化できない。日本と韓国は民主主義や人権のような価値を共有する国なので、日本の賢明な指導者はよく考えてほしい」と促した。
 元慰安婦が80代半ばの高齢であることを指摘し、「歴史との和解はいつまでも待つことはできない。(今が)歴史と和解する最後の機会ではないかということも考えてほしい」と語った。
 韓日自由貿易協定(FTA)=日本側名称:日韓経済連携協定(EPA)=に対しては、「新たな成長エンジンが必要な時期だ。FTAは両国の経済関係を一段階高める契機になる」との考えを示した。中国を含む3カ国が経済協力を発展させ、東アジアの共同市場構築を目指す必要があると主張した。
 朝鮮半島政策については、「北朝鮮の挑発に対しては自衛権の範囲内で、可能な手段をすべて講じる」との方針を示した。
 一方、中国新指導部との関係について、「韓中は協力的な関係を築いてきたため、これからも関係は継続される。新たなリーダーシップの下で、(両国関係を)アップグレードしなければならない」と意欲を示した。


 はっきり申し上げる。
 竹島が日本固有の領土であることは国際法上も認めていること。だが、このことを今がたがた騒ぐ場合ではないので私は言わない。また、日韓経済連携協定について率直に申し上げると今の日本国内のナショナリズムの暴走がある限り難しいと見ていいのではないか。
 例えば、最近アホなエジプト人タレントが在日コリアンへのヘイトスピーチをしでかしたがこのことをほめあげるおマヌーどもが多かった。これには私は寒気すら感じた。さらにどうでもいい箇所を論ずるくだらない暇人ども。
 さらに呆れたことにイオンを韓国産の商品ばかり押し付けているとデマを流す有様。ビールで言うなら、トップバリュバーリアルシリーズと韓国焼酎だけだ。一つ一つの精査なくして批判はむちゃくちゃだとしか言い様がない。
 さらに韓国国内のアホなナショナリズムだ。この前のロンドン五輪で馬鹿なことをしでかした朴某になぜ韓国サッカー協会は処分をしないのか。このことに対して毅然とした処分をしないから日本国内のナショナリズムは刺激される。これで嫌な思いをするのはサガン鳥栖などでプレイしている韓国人選手たちだ。
 三候補とも日韓関係の改善に力を尽くすというが、まずは朴某の処分から始めて欲しい。

 また、私たちは韓国人の気質を見る必要がある。韓国人は実よりも名を取る傾向がある。議論好きというのもある。こうした気質を理解した上でどう接すればいいのかを考えていくことが大切なのだと思う。
2012-11-14 04:00


日本の大学の経営難を救い、アジアとの和解を進めるには…
 今回の提案は、日本の大学の経営難を救い、かつ在日コリアンにも学習機会を与える絶好の提案である。
 ぜひとも、検討をお願いしたい。

大学の「解散」も……その時どうする、どうなる? -渡辺敦司-
Benesse教育情報サイトより引用
2012/11/15
筆者:渡辺敦司 関連テーマ:[教育動向]
 タレントの酒井法子さんが入学したことで知られる創造学園大学(群馬県高崎市)を運営する学校法人堀越学園(同、東京で「堀越高校」を運営する堀越学園とは無関係)に対し、文部科学省は、年度内に解散命令を出す手続きに入りました。解散命令は2004(平成16)年以降3法人に出されましたが、いずれも閉校したあとであり、在学生がいる間に解散命令が出るのは異例です。こうした問題を、どう考えればよいのでしょうか。


 まず同学園の場合、レアケースといってもよい事例であることを確認しておく必要があります。2004(平成16)年度の大学開学以降、定員を満たせないなど経営悪化が続き、07(同19)年から文科省の改善指導を受けると、そもそも設置認可の際に提出していた申請書類に虚偽があったことが発覚して補助金も打ち切りに。2011(平成23)年からは理事長の座などをめぐって内紛が起こるとともに、教職員への給料遅配も常態化するなどして教育にも支障が出ていました。文科省は、在学生が就学機会を突然奪われるような事態を防ぐための措置だとしています。


 ところで、解散命令まで出さなければいけない事態にまで至ったことに、国の責任はないのでしょうか。かつて大学をめぐる行政は「護送船団方式」と呼ばれるほど、文科省が細かいチェックをしていました。しかし現在では「事前規制から事後チェックへ」(http://goo.gl/ljN79)という規制緩和の方針に転換されています。これにより新規参入がしやすくなった一方、経営の安定化や質の高い教育の実施は大学側の「自己責任」とされました。
 ただ、文科省も手をこまねいていたわけではありません。2007(平成19)年に同省の外郭団体が「閉校マニュアル」とも言うべき報告書をまとめており、その中で経営破綻後の学生の転学支援まで想定していました。今回の措置も既に準備済みだったというわけです。解散命令という特殊なケースでなくても、実質的な「大学全入時代」に突入したと言われる2007(平成19)年度以降、大学が募集停止になったり、再編・統合されたり(http://goo.gl/1DlYG)するケースが出始めています。2012(平成24)年5月にも東京女学館大学(東京都町田市)が募集停止(http://goo.gl/x6WiD)を発表しました。
 保護者の方々は不安に思われるかもしれません。しかし一方で中央教育審議会は2008(平成20)年の答申で大学は「競争」するだけでなく「協同」のネットワークをつくるよう促し、今年8月の答申でも相互に単位を取りやすくすることを提言しています。文科省も6月、地域内の大学などの間で協力関係を深める「大学COC」構想を打ち出しました。普段から大学間の垣根が低くなっていれば、たとえ一つの大学が破綻したとしても転学の受け入れなどはスムーズに運ぶ可能性が広がります。
 大学全入時代にあって「大学の数が多過ぎる」という批判も根強くありますが、日本はむしろ国際的に見て進学率(http://goo.gl/iEYvg)の向上に出遅れており、地方を中心にまだまだ大学卒業者を増やさなければならないという論議もあります。社会に役立つ人材を育てる意欲的な大学の登場を期待する一方、「もしもの時」のセーフティーネットも十分考慮しておいてほしいものです。

 そこで、私から以下の提案を行う。
1.日本の私立大学については専門学校・他大学最低4校と合併を促し、合併しない場合は支援金を減らす方向で動くこと。
 あまりにも日本の場合は大学が多すぎてそのクオリティが低下している。そのクオリティを向上させるには合併させて教員数や学生数を適正化させることが重要である。また、合併には専門学校も加えるべきだと指摘したのには専門学校もあまりにも多すぎてそのクオリティが維持できていない問題点がある。
2.学校法人6校以上が経営統合した場合、税制上の優遇を与える。また、近隣地域にある大学や専門学校が経営統合した場合はキャンバスの統合に支援を行う。

 私案としてはこれはどうだろうか。
*東京女学館大学(町田)+玉川大学(町田市)+和光学園(町田市)+東京家政学院大学(町田市)+榎本学園(専門学校)
-これらをすべて統合し、町田基督教大学(仮称)を設立する。存続キャンバスは町田市については玉川大学とする。つくば・つくばみらい(いずれも茨城県)にもキャンパスを持つこと。また、専門学校部門については短大部門に統合すること。


 そこから、今回の提案の本筋に入る。
 実は深刻な事態が起きている。このことは絶対に回避させねばならない。これはデマなのかもしれないが真実だとすれば由々しきことだ。

東京朝鮮総連本部ビル、統一協会側が買収を推進
2012年11月14日09時27分
[(C)中央日報/中央日報日本語版]
競売にかけられる東京の朝鮮総連本部ビルをカルト団体の統一協会が落札し、朝鮮総連に続けて使用させるという案が推進されていると、朝日新聞の週刊誌「AERA」が最新号で報じた。
同誌は「北朝鮮は当初、競売にかけないよう日本政府に強く要求したが、現実的に不可能になると、金養建(キム・ヤンゴン)労働党統一戦線部長と統一協会の幹部が会い、こうした案に合意した」という内容を伝えた。
東京都心の真ん中にある敷地2397平方メートル、地上10階・地下2階の朝鮮総連本部ビルは、日本裁判所の決定で競売の準備が進められている。朝総連系信用組合の連鎖破綻による債務627億円を朝鮮総連が返還すべきという判決に基づくものだ。朝鮮総連本部ビルは半世紀間ほど、日本の対南工作前哨基地、事実上の「駐日北朝鮮大使館」の役割をしてきた。
同誌は「統一協会が朝鮮総連本部ビルを落札すれば、東京都心の建物を取得するだけでなく、北朝鮮関連の各種利権も得る見込み」と伝えた。


 そこで、在日コリアンの方々に提案したい。
 理解のある日本人たちにも呼びかけて、閉鎖した大学のキャンバスを譲渡していただき、そこに大学を設置するのである。朝鮮総連はRCCに41億円の返済で競争入札の回避を行うとのことだが、それだけでは問題は解決できない。
 そもそも問題なのは、各種学校として今、朝鮮学校(中級学校 12歳から15歳までの生徒が在籍する。中学校にあたる3年教育。中級部と呼ばれる。/初級学校 6歳から12歳までの児童が在籍する。小学校にあたる6年間教育。初級部と呼ばれる。/幼稚班 幼稚園にあたる。学校の附設になっていることが多い。)が位置づけられていることにある。インターナショナルスクールも各種学校なのだが、こうした学校の実態はほとんどが一般の高等教育なのだ。ただ、朝鮮学校は朝鮮の影響が大きい。そこで、第三者による教育方針検討会議を設置することを条件に、在日コリアン向けの学校を設立することを提案する。
 条件はまだ他にもある。入学と同時に朝鮮総連の下部組織「朝青」に加入するよう求められているが、それをしないことだ。学校で教えることに純粋な民族教育は構わないが、政治的なイデオロギーを教える場所ではない。それ故に批判されている。違うということを示すためにもぜひともそうした決断をお願いしたい。公安調査庁の懸念を解消するにはそれぐらいの勇気があっていい。
 朝鮮大学校(東京都小平市)ではこれだけの学部がある。

政治経済学部/政治経済学科、法律学科、哲学科
文学歴史学部/語文学科、歴史地理学科
経営学部
外国語学部/英語学科、日本語学科
理工学部/理学科、電子情報工学科
教育学部
体育学部
短期学部/生活科学科、情報経理科

 そこで、寄宿生の学校になっているとのことだ。
 日本にはこの種の学校が非常に少ない。そこで高等学校に関しては寄宿生にしたらどうか。閉鎖されたキャンバス跡地に高等学校を地域で集約して移転し、集団生活をするというのも一つのアイデアだ。また、教科書に関しては日本の文部科学省が検定したものを採用して欲しい。そこで足りない箇所をPDF文書などによって補足する形を取れば問題はないと思う。ただ、民族の誇りという側面があるので難しい側面もある。そこは多くの方々との議論で進めていかねばならない。
 また大学の統合によって生まれる余剰キャンパスに幼稚園から高等学校までを統合することによって、セキュリティの維持は図られる可能性がある。日本とアジアは今まで対立と衝突という不幸な関係にあった。その関係を清算し、日本はアジアの一員として共生して行かねばならないのである。喧嘩する必要もなければ無理に競う必要もない。
 また、日本と朝鮮は拉致問題の解決を急がねばならない。これは双方にとって不幸なことだ。無論日本は過去の戦争責任を免罪されたとはいえない。そこはきちんと解決しなければならないのは確かだ。だからとしても、RCCの競売回避は絶対に許されない。
 42億円という金額があるのなら、東京近郊に大使館候補地を作ればいいまでのことである。幸いにして、町田市には朝鮮学校がある。東京都にある朝鮮学校の大半をキャンバス跡地に移転して統合してしまうことでセキュリティの維持を図ることはもちろん、朝鮮学校の跡地を将来の北朝鮮大使館として使うことも可能になるはずだ。そのためには所有権は誰なのかをはっきりさせる必要がある。
 また、学校の経営統合の取り組みは大学ばかりではなく専門学校もやるべきなのである。専門学校については最低6校が経営統合しないと効果は出ない。同業他校もしくは同一地域にある専門学校が経営統合して校舎を統合すれば効果は確実に出てくる。少子化問題を解決し、アジアとの和解を図るにはこの種の提案はひとつの鍵になるかもしれない。

 ただし、一つ警告しておきたい。
 私は日本人である。朝鮮出身でもなければ、そうした知り合いもいない。現に朝鮮が拉致問題をやらかしたことに強い憤りを覚えているし、今回のロケットだがミサイルだが知らない計画に対しても「そんなことをやっている場合か」とも思っている。
 だが、日本人と在日コリアンは現にこの日本に共生している事実がある。そうした彼らが衝突する必要はない。話し合って折り合える箇所は折り合うべきだ。貧困ビジネスや生活保護に依存することのないような社会を作るには彼らの協力も必要なのだ。
 それが現実的な物の見方であり、「祖国に帰れ」というのは明らかに単細胞的な近視眼的発想だ。そうしたコメントについては一切承認しないのであしからず。
2012-12-02 11:45