2013年10月5日土曜日

パブロン中毒さんの高田誠分析

 おはようございます。
 現在日々格闘記は過去のブログ記事をSeesaaから移植しております。リンク集、発達障がい啓発コラムなど、過去の記事をどんどん移植しておりますが今回は「無責任連中書人両断!」で高田誠を批判した際に鋭い指摘をしてくれたパブロン中毒さんのコメントをそのまま掲載いたします。

コメント
おじゃまします。
実は、この記事を拝見して考えましたことは、「反作用」という言葉についてでした。
最近しきりと、「ネトウヨや在特会の擁護」をする際に使われている言葉です。
ですので「反作用」という言葉が、気になっていました。

つまり、「反作用だから、ある程度は仕方がない」というような、使われ方をしているわけです。
「そうなることは、仕方がないことなのである」というような文脈で用いられます。
最近、ある方のコメント欄において、在特会についてそのような意味不明の発言を繰り返していたコメンテーターに対しまして、思わず「それとこれをわざといっしょくたにするな」と、割り込んでしまいました。
そうしましたら、当該コメンテーターは、なぜかあらわれなくなったようですが。

「それ」と「これ」を、「わざといっしょくたにして語る」ということが、最もいけないことなのであると、私は思っておりまして、「反作用」というものがあると かないとかいう問題と、「差別行為や差別発言が許されるかどうか」ということは、完全に「別物」として語らねばならないはずです。
ですが、「反作用」という言葉を好んで用いる人たちは、「わざと」いっしょくたにすることによって、「差別行為や差別発言も、反作用のあらわれだから、ある程度は仕方がないのだ」というふうに、さも物知り顔で、語るわけです。
これは、許せません。
「反作用」があるとかないとかいう問題は、差別を正当化するものではありません。
ですので、在特会についても、ネトウヨについても、「反作用だから自然の流れ」だのという、おかしな論調に惑わされてはならないのであり、「それ」と「こ れ」は、別の次元で語られなければならず、「故意に一緒くたにしようと」された場合には、「それとこれは別の話」というふうに、はっきりと区切るようにせ ねばならないのだと思います。
これは、在特会やネトウヨについて、それを擁護する人たちを相手に語る際には、必ず留意をせねばならないことであると、思った次第です。
おじゃましました。
Posted by パブロン中毒 at 2012年11月28日 15:01

 私からは以下の回答を行いましたが回答になっているかはいまいち自信を持てません。

2012-11-29 04:00付

パブロン中毒さんから高田誠批判でコメントをいただきましたのでコメント回答と致します。
 「反作用」なる言葉、初めて知りました。ネット極右(もしくはネット極左)、在特会の擁護の際に用いられる言葉とのことですか。「相手は悪いことをしているんだからやむなく正しいことをしているんだ」という歪んだ「正義感」なのですね。
 そもそも正義感を平然と口にだすことはあまり信用出来ないことなのですね。その言葉は愛国心同様、安易に人々に受け入れられるのですが同時に叫ぶ者達の行動の背景にあるものをひた隠す危険性すらあるのです。この場合は差別の正当化なのでしょう。
  このことに対してあなたが怒りを示すのは当然でしょう。ちなみに悪事に対して厳しい姿勢を示すのは構いませんが、昔の人はこんなことを言っていますね。 「罪を憎んで人を憎まず」と。死刑賛美派はみんなこの言葉に撃ちぬかれているわけです(私の場合はあなたも承知のような一面がありますので (^_^;))。あの本村某もこれで完全に論破されている事実があります(本人は論破されていないと抗弁していますが、第三者から見ると完全に論破されて います)。
 ちょっと脇道にそれました。反作用という言葉は正義や愛国心同様危険な言葉だとはっきりわかった以上、どうやってその過ちを正すかでしょうね。私は反作用という言葉によって差別行動や暴言が正当化されることに強い憤りを覚えます。
  個人的な考えとしてですがネット極右(在特会)・極左を生み出す構造には、社会の歪みがあることは論をまたないことです。例えば現在のギリシャ、第一次世 界大戦後のドイツなど、経済の混乱と国家財政の再建による国民の生活犠牲路線は民主主義への不信感へとつながり極右の躍進につながった事実があるのです。
 今後も鋭い指摘、お待ちしております。