2013年10月8日火曜日

パンツを裏返してはいているだけ 北の湖敏満

 今回の書人両断はすくいようのない日本相撲協会である。

大相撲 初の再登板、北の湖理事長の重い責任


相撲協会の理事長に返り咲き、抱負を述べる北の湖理事長=東京・両国国技館で1月30日
 ◇年寄名跡問題、入門者と観客の減少、視聴率低迷……
  任期(2年)満了に伴う日本相撲協会の理事選挙がこのほど行われ、当選した新しい理事10人による互選の結果、北の湖親方(58)=元横綱=が理事長に復 帰した。北の湖親方は弟子の大麻問題で08年9月に理事長を任期途中で引責辞任しており、ほぼ3年半ぶりの返り咲きとなる。相撲協会トップの再登板は初め て。政府の法人制度改革に伴い、公益財団法人への移行を目指す相撲協会は、第2次北の湖体制下で、懸案の年寄名跡問題など諸問題を解決するための組織改革 を進めることになった。

 1月30日に行われた理事選挙は、10人の定数に対し、史上最多の12人が立候補し、前回に続き2期連続の投票 に持ち込まれた。即日開票の結果、出羽海一門の支持を受けた北の湖親方が当選者中最多の9度目の当選を果たし、前回二所ノ関一門を離脱して出馬、初当選し た貴乃花親方(39)=元横綱=も連続当選した。一方、候補者を絞り込めず、3人が立候補した立浪一門は新人の春日山親方(46)=元前頭・春日富士=が 当選したものの、現職の友綱親方(59)=元関脇・魁輝=と新人の伊勢ケ浜親方(51)=元横綱・旭富士=がともに落選した。

 投票前に候補者による立会演説会が初めて行われた今回の理事選挙。新公益財団法人では、外部有識者でつくる新たな評議員会が理事選任の決定権を持つ方針であるため、全親方と力士代表、行司代表の投票による現行の理事選挙は今回が最後となる。

  理事選挙に引き続き開かれた新理事会。65歳定年を控え、理事長を退任した放駒親方(64)=元大関・魁傑=の後任理事長を理事の互選で決めたが、出席者 によると「数秒で終了した」。新しい顔ぶれの理事が席に着くと、真っ先に九重親方(56)=元横綱・千代の富士=らが「北の湖さんしかいないだろう」と提 案。北の湖親方と同じ出羽海一門の出羽海親方(62)=元関脇・鷲羽山=も「そうだろう」と同調し、全員が挙手する形で北の湖親方の第12代理事長就任が 「満場一致」で決まったという。

 北の湖親方は理事長就任決定後に記者会見に臨んだ。野球賭博事件や八百長問題など最近の大相撲界で相次 いだスキャンダルに触れ、「度重なる不祥事を深くおわび申し上げます。危機管理体制を強化させ、教育、指導を徹底し、再発防止にさらなる努力をしていきた い」と抱負を述べた。

 引責辞任したトップの返り咲きは一般社会でも前代未聞だが、関係者によると、北の湖親方の理事長復帰は既定路線 だった。08年9月にロシア出身の弟子の大麻問題で理事長職を辞任したのに続き、弟子の八百長関与で11年4月には理事職も辞任。師匠(部屋持ち親方)と して資質を問われた人物だけに、復帰は異例に映る。しかし、協会内の評価は違った。

 今回理事に初当選した楯山親方(62)=元関脇・玉 ノ富士=は「経験を積んだ人でないと改革を乗り切るのは難しい」と語り、春日山親方も「いいことも悪いことも経験している。痛い思いをしている人こそ、改 革の時に必要」と力説する。公益法人移行という組織改革を控え、理事長経験を含む理事当選9回の実績を重視したというのが、北の湖理事長再登板が実現した 最大の理由だ。

 だが、第2次北の湖体制発足に、もう一つの側面があることを指摘する関係者もいる。

 10年8月に野球 賭博事件で引責辞任した武蔵川元理事長(64)=元横綱・三重ノ海=の後を受け、就任した放駒前理事長は、組織改革を先導する副理事長職を新設し、協会外 部理事だった村山弘義・元東京高検検事長を据えた。さらに、八百長問題の処理は同じく外部理事だった伊藤滋・早大特命教授を特別調査委員会の座長に就任さ せ、同委員会は八百長関与を認定した25人を事実上、角界から追放した。

 こうした外部役員を前面に出す手法で、放駒前理事長は改革路線 を突き進んだ。村山副理事長らが監督官庁の文部科学省と太いパイプを持っていることから、親方衆から「協会は文科省に遠隔操作されている」「文科省の言い なりの放駒には任せられない」などの執行部批判が相次いだ。これに対し、02~08年の第1次北の湖体制は角界が「閉鎖体質」と言われた時代で、改革の主 導権を文科省から協会に取り戻したい親方衆が「北の湖支持」を強めたとみられる。北の湖再登板を待たずに、村山副理事長ら外部役員3人は退任した。

  第2次北の湖体制が当面直面する課題は13年11月が移行期限となっている公益財団法人化。公益法人化に際し、最大の懸案とされているのが、高額でのやり 取りが問題視されている年寄名跡(親方株)の協会管理だ。年寄名跡は、力士が引退後に「親方」として弟子の育成や相撲協会の運営に携われる資格のことで、 親方になれば65歳の定年まで協会から月額最低約80万円の給与が支給される。定員が105人(一代年寄を除く)と限られているため億単位の金銭でやり取 りされているというのが通説となっている。

 相撲協会は今年1月、現在の名跡所有者の退職時に退職金とは別に功労金を上積みする形で買い 取り、段階的に協会帰属とし、将来的に一括管理する名跡改革の基本方針を正式決定。基本方針を盛り込んだ名跡改革の工程表を文科省に提出した。基本方針 は、▽金銭授受の禁止▽違反防止の仕組み作り▽継承者を選考する委員会の設置--などで、今年6月までに功労金の額などの詳細を詰めるとしている。

 ただし、名跡改革について総論的には親方衆の合意は取り付けたものの、各論に当たる詳細を詰めるうえでは、難航が予想される。名跡を取得した事情は所有者によってまちまちで、取得した金額も多岐にわたるからだ。

  協会は功労金について個別事情は勘案せずに一定額とする方針を決めた。「全員が納得できる金額など、あるわけがない。泣く人もいれば、笑う人もいるのは仕 方がない」と理解を示す親方がいる半面、名跡取得により手元にまだ多額の借金が残り、将来に不安を感じている若手親方らには不満が渦巻いている。親方らに よる金額をめぐる協議は紛糾しそうだ。

 このほかにも、北の湖執行部には対処すべき課題が山積している。度重なる不祥事による相撲離れが 引き起こす入門希望者の減少やテレビ視聴率の低迷。今年1月の初場所(両国国技館)は入場券売れ残りのワースト記録を更新したが、本場所の客の不入りはし ばらく続くとみられ、協会財政は苦境に立たされそうだ。名跡買い取りのための功労金支出が加わり、さらに逼迫することも懸念される。

2012年3月26日 毎日新聞

 この記事でもわかるように、北の湖は度重なる不祥事に対応すらまともにできなかった。
 時津風部屋での「かわいがり」ハラスメント殺人事件、大麻力士(3人中1人が自分の部屋から出た!)の問題でことごとく後手後手に回った挙句だ。そんな人間をここまで甘やかしてきた我々の不明を恥じるしかない。

北の湖理事長、九重事業部長で改革? アホ抜かせ
【スポーツ】 日刊ゲンダイ
2012年2月2日 掲載
相撲特集
<ファンをなめるのもいい加減にしろ!>

 ヘソが茶を沸かすとはまさにこのことだろう。31日に理事長に北の湖親方を復帰させた相撲協会はこの日、新メンバーによる理事会を開き、各親方の新職務を決めた。それによるとナンバー2の事業部長に九重親方(元横綱千代の富士)が就任することになった。
「トッ プが北の湖理事長でナンバー2が九重親方ですか。北の湖理事長時代は新弟子暴行死事件や朝青龍の仮病サッカー事件が起き、弟子の白露山の大麻で理事も辞め た。さらに弟子の八百長で降格され、九重親方ともども理事を辞めた。それがノコノコと戻ってくる。責任とか反省というものがまったく感じられません」
 こう言うのはスポーツライターの工藤健策氏だ。
 一体、どこの社会に不祥事の責任を取って辞めた人間を元のポストに戻すなんてバカなことがあるのか。例えていえば不正を働いたオリンパスの役員をほとぼりが冷めたからと復帰させるようなものだろう。
 ましてや日本相撲協会は財団法人として税制の優遇を受けている。他の組織以上にエリを正さなければならないはずだ。それが人の噂も七十五日とばかりに自分たちのやりたい放題。ファンや世間をなめきっているとしか思えない。
  さらにこの日、海老沢勝二元NHK会長(77)ら3人の外部役員も決めた。海老沢元会長といえば、04年の紅白歌合戦の担当プロデューサーの不正支出など の責任を取り会長を引責辞任した人。NHKは厳しい批判にさらされ受信料不払い運動まで起きた。年間30億円という放送権料を払って、相撲協会とナアナア でなれ合ってきたNHK元会長だ。協会の改革を担う外部理事としてふさわしくないのは言うまでもあるまい。
「相撲協会は抜本的な改革をしないとダ メです。それには協会の経営、改革と弟子の養成は分離すべきです。弟子の養成は親方に任せて、経営や改革は外部委員、それも若い人に任せるべきです。もと もと相撲協会に経営と改革を担える人材なんていないのですから。不祥事が次々起こって一から出直す今が絶好の機会ですよ」(工藤氏)
 北の湖理事長は「組織改革はスピードをつけてやりたい」と言うが、理事長を辞めることが組織改革の第一歩である。

返り咲きの北の湖理事長に浴びせられた皮肉
【スポーツ】 日刊ゲンダイ
2012年1月31日 掲載
08年に弟子の不祥事でしぶしぶ引責辞任
 暗黒時代再び、だ。
 30日、日本相撲協会の理事選が行われ10人の理事が決まり、新理事の互選で北の湖理事(58)が08年以来4年ぶりに理事長に返り咲いた。
「残りの人生をかける覚悟です。今後の舵取り?私も1度理事長の経験があるので、それを踏まえて状況に応じて対応していく」
  と話したが、噴飯ものだ。理事長在任中の07年に横綱朝青龍の仮病サッカー騒動、時津風部屋の時太山暴行死など事件が相次いだ時は「指導する親方の責任 だ」と責任転嫁。協会トップとしての指導力をまったく発揮できなかった。08年に弟子の白露山(同年解雇)から大麻の陽性反応が出たことで、しぶしぶ引責 辞任したのは記憶に新しい。
 しかも、去年は弟子が八百長に関与していた責任を取り、理事降格処分も受けている。新公益法人制度への移行が注目される中、理事としてはもちろん、これほど理事長としてふさわしくない人間はいない。選ぶ方も選ぶ方である。
 だからだろう。すでに相撲協会にはファンからの「ふざけるな!」という抗議電話が殺到。北の湖理事長は「私はそんな電話は受けていない。皆さん(新理事)の推薦を受けましたので、それを全うするだけです」とうそぶくのだから、厚かましいにもほどがある。
 そんな北の湖理事長について、ある角界関係者は「理事長のアタマには還暦土俵入りのことしかないですからね」と言う。
 60歳になった横綱経験者で、まわしを締めて行う還暦土俵入りを果たした者はわずか8人。体調不良で不可能だった者や60歳を前に亡くなる者などが多く、横綱経験者が健康を保つのはいかに大変かということでもある。

<「今日は3万歩、歩いたよ」>

「だ からこそ、理事長はそれに名を連ねたい。前回理事長を務めていた時から、自身の健康に異常なほど気を使っていた。事件や不祥事が頻発していた時でさえ、 『今日は3万歩、歩いたよ』と自慢げに歩数計を見せびらかしていた。周囲からは『いい気なもんだ』と白い目で見られていた」(前出の関係者)
 ちなみに相撲協会の屋台骨を揺るがした野球賭博、八百長問題についてもこの期に及んで、「一番は本人の自覚の問題。それを教育指導していく」と言うだけ。
 理事長として何も教育、指導してこなかったことに対する反省はゼロだ。
 相撲が暴力あり、賭博あり、八百長ありの時代に戻るのも、時間の問題ではないか。

 これでは、汚れたパンツを裏返してはいているだけではないか。
 ならば、私は以下の提案を行う。

1.DeNA に横浜ベイスターズを横浜財界が新たに立ち上げる新法人に無償で譲渡してもらう代わりに日本相撲協会の運営を行う(横浜DeNAベイスターズなる自称球団 を私は認めていない)。株式会社横浜DeNAベイスターズを株式会社日本相撲エンタテインメントに社名変更し、相撲の興行とマネジメントを行う法人に再生 させる。
2.八百長防止のため相撲の対戦相手を公開の場所で前日に以下の方法で行う。
*あらかじめ力士に番号を割り当てる。
*「電動風車型抽せん機」で対戦相手の抽選を行う。
*0から9までの数字が1つずつ割り当てられたモーター付きの風車を、ランダムに回転させ、矢を放って、矢がささったことを確認した後、風車を停止させて、矢の刺さっている数字で対戦相手を決定させる。
3.DeNAは各力士のブログを独占で契約する。
4.この後の提案については以前このように行ったので参照願いたい。

http://tetsuono123.seesaa.net/article/241982465.html

5.フロントには前原誠司らネオコン一派を押し込める。そうすることで政界の浄化になるほか、角界の浄化にもなる。親方衆による運営をやめさせ、フロントと切り離す必要がある。つまり、Jリーグのような組織を日本相撲協会は目指すべきなのである。
6.日本相撲協会はあくまでも力士の待遇改善のみの団体として残す。

 北の湖にはこれらの改革など到底できまい。
  古い伝統に胡坐をかいでいるだけである。そんな男には歌舞伎の意味を教えなければならない。歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあた る「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や 一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。
(これらはWikipedia日本語版より引用)
  すなわち、権力者への反逆を意味する行為だったのだ。皆さんご存知の前田慶次ばかりじゃない、花房職秀(はなぶさ・もとひで/1549-1616)も戦国 武将だったが傾奇者として知られ、典型的な直情型の性格で、しばしば歯に衣着せない発言で周囲を驚かせた。例えば、小田原攻めの際には陣中で能を楽しむ豊 臣秀吉を罵倒して居並ぶ諸将の顔を引きつらせたが、この時はかえって秀吉に褒められている。後に徳川家康に召しだされて関が原の戦いで東軍の先鋒として功 を上げ、備中高松に8000余石の知行所を得た。だが諫言して追い出された元の主君に、毎年米20俵を送ったと言われている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E6%88%BF%E8%81%B7%E7%A7%80

 さあ、この意味を踏まえてあえて革命的な行動に踏み切るべきだろう。
 
 2012-04-10 21:58