2013年10月20日日曜日

環境破壊と似非道徳を押し付けた偽善者 松下幸之助

 松下幸之助について、死んだ今なぜ、書人両断の牙にかけるのか疑問に思うだろう。
 だが、私は死人であっても批判を行う。その過ちを後世に伝えないようにするためにも、厳しく批判しないといけないのだ。それが、言葉をフェアに使うものの任務だ。
 松下の罪は大きく上げて四つある。価格カルテルの罪、経営者判断ミスの罪、著作権侵害の罪、そして似非道徳押しつけの罪である。
  まず、価格カルテルの罪である。 これはダイエー・松下戦争(1964年から1994年にかけて、ダイエーと松下電器産業(現・パナソニック)との間で起きた商品の価格販売競争をきっかけに起きた対立)で明らかだ。 
 1964年、ダイエーは価格破壊でより安価で商品が購入できるようにしようとするが、松下電器の商品を当時のメーカー小売希望価格からの値引き許容範囲である15%を上回る20%引きで販売しようとした。ところが、松下電器はダイエーに対しての商品出荷を停止する対抗措置を取る。ダイエーは松下電器の出荷停止が独占禁止法違反に抵触する恐れがあるとして、裁判所に告訴した。
 そのころ、松下電器もこの年の金融引き締め策による景気後退の影響で、現在の「パナソニックショップ」に当たる直営販売店、あるいはフランチャイズを結ぶ販売代理店で経営難に陥る店が増えたことから、これらの販売店の社長を熱海に集め、この状況からの打開策を図ると共に「共存・共栄」を図ることにした(熱海会談)。松下電器会長の松下幸之助は「定価販売(小売希望価格)でメーカー・小売りが適正利潤を上げることが社会の繁栄につながる」としてダイエーとの和解の道を模索した。
 一方、ダイエー創業者の中内功は「いくらで売ろうともダイエーの勝手で、製造メーカーには文句を一言も言わせない」という主張を貫き、自社・ダイエーグループ店舗だけで販売するプライベートブランド(PB)商品の開拓を進める。1970年、製造元クラウン(現宮越ホールディング子会社)PB「BUBU」名の13型カラーテレビを、当時としては破格の59800円という廉価で販売し人気を集める。この行動は松下電器との対立をさらに激化させることにつながった。
 1975年に松下が中内を京都府の真々庵に招き、「覇道をやめて、王道をすすんではどうか」と提案する。しかし中内は自らとダイエーの信念である「良い品をどんどん安く消費者に提供する」姿勢を崩さず、これを受け入れようとはしなかった。このダイエーと松下の対立はその後も続いたが、松下幸之助没後の1994年に両社が和解。同年ダイエーが忠実屋を合併した際、忠実屋と松下の取引を継承し、ダイエーグループ店舗への松下電器商品の販売供給を再開することになった。
 ようするに、松下はダイエーに八百長を持ちかけたのだろう。だが、そんなことをすることで競争力は逆に阻害されることになった。価格つり上げの代償は地域商店街の衰退だ。もちろん過剰な競争原理にも問題はあるが、松下のとった判断は論外だ。
 二番目の罪は経営者としての判断ミスだ。コンピュータ市場からの撤退である。松下は家電にすべてを集中させるとしたが小林宏治(NEC社長)はコンピュータの撤退に関する松下の真意を図りかねていた。
 「松下さんともあろう人が、この有力な未来部門に見切りをつけるとは、いかにも残念。分からない。コンピュータは今でこそソロバンが合わないが、これは将来必ず、家庭電器の分野にも不可欠なものになる。松下さんは一体、何を考えていなさるんだろうか」
 松下電器のコンピュータへの撤退を知らされた小林は、こう言ってはさかんに首を傾けていたという。その指摘は当たってしまった。NECはその後PC-9801シリーズで躍進した。そのことに慌てた松下は富士通と提携してパソコンを販売しているが、信用ができないのは言うまでもない。


 三番目の罪は著作権侵害の罪。1976年3月、ソニーから松下電器産業に「ベータマックスを一緒にやりませんか」と、提案があった。その時松下はその企画を丸ごと入手し、当時傘下にあった日本ビクターに逆解析させてVHSとして販売した。その詐欺まがいの方法にソニー社長だった盛田昭夫氏は「松下幸之助に騙された」と憤慨したほどだ。
 四番目の罪は似非道徳を押し付けた罪だ。松下政経塾では極右政治家を輩出した罪が大きいほか、会社の研修に導入した禊研修で滅私奉公思想を押し付けるとは何事か。まさか、あこぎな方法でカネ稼ぎをすることを教えるつもりか。