2013年10月29日火曜日

金融ビックバンの果てに 東京生命保険の場合



2012年05月04日



 今回取り上げる生命保険会社は東京生命保険である。



1895年 1月、真宗信徒生命保険として京都で設立。資本金は50万円。社長には、小西酒造の当主でもあり、当時の有力財界人でもあった小西新右衛門が就任。名前の通り、浄土真宗本願寺派の有力信徒を発起人とし、西本願寺を大株主として設立され、定款にも純益の30%を西本願寺に寄贈することとなっていた。
1912年 西本願寺からの経営の独立を条件に堀貞が社長に就任。
1914年 7月、本願寺色を薄めることを目的に、本願寺所有の株式を本願寺の財産管理財団である本末共保財団に移転すると共に、経営陣に対して株式を割り当て、共保生命保険株式会社と社名変更。
1916年 久原房之助が西本願寺関連が所有していた株を肩代わり
1922年 本社を東京に移転
1927年 久原房之助、持株を藤田合名に譲渡
1934年 9月、野村財閥に経営権が異動し、野村生命保険株式会社と社名変更
1940年 10月、仁壽生命保険株式会社と合併
1947年 7月16日、新会社である東京生命保険相互会社設立。旧野村グループである野村證券や大和銀行と親密な関係を維持。
1989年 内幸町の第一ホテル東京・東京電力本社屋の間に、本社機能と第一ホテル東京アネックスを兼ねた複合型高層オフィスビル「東京生命ビル」が竣工。中堅ながら堅実な郷席をあげていたがバブル崩壊後の低金利による逆ザヤ負担が重くのしかかる。
1993年 大和銀行と合弁出資で超高層オフィスビル「東京生命大手町野村ビル」を竣工。
2000年 相次ぐ生命保険会社の経営破たんにより経営不安が拡大する。大手生命保険による強引な営業活動でさらに東京生命の顧客離れが進む。
2001年1月26日 大和銀行(現在のりそな銀行)などが資本増強受け入れ。日本でGEエジソン生命保険を展開していたGEキャピタルと提携交渉を進めていたが財務内容などから決裂し、大和銀からも支援撤回。
2001年 2月、東京生命ビルを平和不動産に売却し、「内幸町平和ビル」となる。
2001年 3月23日、東京地方裁判所に対して、金融機関等の更生手続の特例等に関する法律(更生特例法)の適用を申請し経営破綻。負債総額は2000年9月中間で約9802億円。保全命令発令。中村健一社長は辞任。
2001年 3月31日、更生手続開始決定。管財人は保全管理人の弁護士が選任される。更生計画案の提出期限は8月10日。
2001年 5月17日、東京生命保険や関係会社などが出資して設立した(株)東生スポーツ倶楽部が東京地裁へ再生手続開始の申立て。
2001年6月26日 T&D保険グループ(太陽生命保険および大同生命保険が将来の経営統合を確約して結成した生命保険グループ)を利用者の保険金削減を抑制するなどの条件を受け入れ経営再建のスポンサー会社に選定。 
2001年 8月8日、新社名を「T&Dフィナンシャル生命保険」とすること、従業員の退職金・年金を15.76%減額すること、予定利率が2.6%を超えるものはすべて2.6%に引き下げることなどを盛り込んだ更生計画案を管財人が発表。
2001年10月17日 株式会社に組織変更。
2001年10月19日 東京地方裁判所の更生手続終結決定
2001年10月22日 「ティ・アンド・ディ・フィナンシャル生命保険株式会社」として業務開始。
2004年4月1日 持株会社「株式会社T&Dホールディングス」設立
2006年7月24日 登記簿上の商号を「ティ・アンド・ディ・フィナンシャル生命保険株式会社」から「T&Dフィナンシャル生命保険株式会社」に変更

 この生命保険会社も時代の流れに翻弄された会社である。
 過剰な競争が生み出した悲劇とも言え、「ジャングルの自由」とでも言うべき自称「新自由主義」、実態は旧自由主義(佐高信氏曰く)を規制すべきなのは明らかだ。
 金融機関のビックバンに関しては書くべきネタはたくさんある。無秩序な経済こそ、正されるべきなのはいうまでもないし、その被害者なのは非正規労働者だ。彼らにもあやまちはあるとはいえ、正規雇用をきちんと認めない今の無責任経営者にははっきりと批判を繰り返せねばならない。