2013年10月6日日曜日

本質をとらえなければ、こんな愚か者が出てくる 岡留安則

 今回の書人両断は岡留安則なるジャーナリストもどきである。
 私はこの男を絶対に許すわけには行かない。そして、今回東京新聞より引用する。

2012年03月23日00:20
こちら特報部東京新聞
3/23 「さいたさいたセシウムがさいた」中止 「原発への嫌悪伝えたかった」@こちら特報部
 さいたま市内で今月10日に予定していた詩人アーサー・ビナードさん(44)の講演会が中止された。表題の「さいたさいたセシウムがさいた」に、批判や抗議が主催者に寄せられたためだ。だが「過剰な反応」「地名にかけて、原発事故を風刺したタイトルにすぎないのでは」という声も聞かれる。ビナードさんの思いとは。(小坂井文彦)
 ビナードさんは米国生まれ。ニューヨーク州の大学を卒業後、日本語に興味を持ち1990年に来日。日本語での詩を作り始め、2001年に詩集「釣り上げては」で、中原中也賞を受賞した。
 以前から、福島県南相馬市の詩人若松丈太郎氏と親しくしていたこともあり、ビナードさんは東京電力福島第一原発事故の被災に心を痛めた。事故後、「脱原発」を訴える講演会を続けている。
 今回の講演会中止は9日に決まった。前日のため、10日は約80人が会場にやって来た。中にはビナードさんを支持する人も来たという。騒ぎが一段落したのを機に、ビナードさんを訪ねた。
 これまで講演会の表題に、「平和利用 なーんちゃって」と名付けたこともある。「原発の平和利用という言葉は最大のペテン。核兵器のためと金もうけのためであって、平和なんて最初から考えちゃいないよ、という趣旨を込めました」とビナードさんは話す。
 今回“独り歩き”した「さいたさいたセシウムがさいた 3・11後の安心をどうつくり出すか」。案内チラシには、その表題に添えて、「本来なら喜ばしい春の訪れを原発事故が台無しにした。放射性物質の拡散で暮らしに危険が迫っている。生活の安全・安心を私たちの力で作り出していきましょう」と思いをつづっていた。
 表題は、実は戦前の小学校の国語教科書にある「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」をもじったものという。「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」「ヒノマル ノ ハタ バンザイ バンザイ」などと続き、軍国教育に使われた文章だ。
 「日本では広くこの教科書が知られていると思っていた。この言葉を使えば、日本の人は戦争を想起して嫌な感情を持つと思ったのですが、あまり知られておらず、『さくら』の歌の引用と勘違いされてしまった」
 「さいた」には、原発事故が地域の和を「裂いた」という意味も込めていたが、多くの人には伝わらなかった。「官僚なら、説明的な表題を付ければよいのだろうけど、文学に携わる者は『みなまで言うな』が原則。読む人に、何だろうと思わせなければならない」
 講演会は、埼玉県内の14の団体による共同の企画で、実行委員会の事務局は埼玉県教職員組合に置かれていた。
 実行委の担当者は「40件ほど電話があり、『福島県民を傷つけた』という批判があった」と説明する。ただ、「半分以上は『日教組が何をやっているんだ』と日教組批判だった」という。
 同組合は全日本教職員組合(全教)で、日教組とは別の組織だが、混同した人もいたようだ。
 ほかに、右翼団体を名乗る男性が電話で「街宣車を出す。講演会をめちゃくちゃにしてやる」という脅迫めいた発言も。県警に相談したが、結局「万が一、参加者に危害を加えられることがあっては」と中止を決めた。

 「セシウムがさいた」を広く知らしめるきっかけは、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」だった。片山さつき参議院議員が「こういう言葉平気で公に使うセンスで授業やられちゃかなわん!」とつぶやいた。9万数千人が片山議員の「つぶやき」をフォローしているという。

 片山議員にも聞いた。「以前、地方のテレビ番組で『セシウムのコメ』が問題となり、今度はこれ。なぜやゆするような表現を使うのか。常識がない。何百件もの抗議の声が届きました」と厳しく批判して、続けた。
 「埼玉ではセシウムの汚染のせいで倒産した茶業者の方がいる。そういうことを分かっているのですか。『さいたさいた』は花しか連想できず、セシウムを肯定的にとらえているとしかとれません」

 タブー視されがちなのは、原子力や放射能の用語にとどまらない。東日本大震災に関係して、「津波」もその一つだ。
 300万枚近いCDを売り上げたサザンオールスターズの曲「TSUNAMI」は大震災以降、多くのテレビやラジオ番組が、曲を流すことを控えている。
 今年1月、自由報道協会代表の上杉隆氏は「TOKYO FM」のラジオ番組で「ずっとかけたい曲があった。ただ、自分の心の整理ができなかった。じっくり聴き直し、3・11で犠牲になった方々へのメッセージ、命を落とした方々からの『忘れないで』というメッセージがこもっていると思うようになった」と語り、曲を流した。
 曲の放送については、「津波災害とは関係のない内容なので問題ない」という肯定派もいれば、「かけない方がよい。そもそも曲名にしたのが間違い」という否定派もおり、意見が分かれる。
 サザンオールスターズのリーダー桑田佳祐さんは3月、別のラジオ番組で「いつか(震災の)悲しみの記憶が薄れ、曲を歌ってくれという声があれば、復興の象徴として歌える日がきたらいいと思っています」と、今後も当分は「封印」するつもりのようだ。
 憲法が保障する「表現の自由」からみるとどうか。一橋大学大学院の阪口正二郎教授(憲法学)は「世の中にはいろいろな考えや意見がある。表現の自由の下では、心地よい表現だけでなく、不快な表現にも出合う。それに対し、『表現するな』と応じるのではなく、表現の自由を認めて反論するのが社会のルール。そうでなければ、人々が萎縮して大事な表現行為が出てこなくなってしまう」と説明する。
 ビナードさんの講演会について「詩人が自分の判断でやめるのは構わないが、主催者が嫌がらせなどを理由に中止するのは変だ。警察に警備を要請することもできる。表現の機会を奪うことがあってはいけない」。
 また、「TSUNAMI」については「テレビやラジオは本当に自分の考えによる自粛なのでしょうか」と疑問視する。
 大震災の直後、テレビ各局がCMの放映を自粛したことを挙げ、「自分で考えて『やめる』のは大切なこと。でも、周りに合わせて『やらない』のは自粛ではなく、たたかれないようにという配慮。表現は自分の判断でするものです」。
 そして表現をめぐる日本社会の現状を「だんだんと悪くなっている気がする。息苦しくなっている。もう少し寛容な社会であってほしい」と語った。

<デスクメモ> 
「汚れちまった悲しみに…」は教科書で覚えた中原中也の詩だ。放射能で福島などを汚した原発への恨み言として心の奥底でつぶやく。一方、昭和一けた世代の父が学んだ「サイタ」。今なら「ゲンパツ ススメ」か。ビナードさんにはぜひ別の機会で「安心をどうつくり出すか」を講演してほしい。(呂)

東京新聞・こちら特報部 3月21日

 ビナード氏はこの記事にあるようにセシウムの問題を通じて日本の原発問題と真っ向から向き合おうとしたのにネット極右の片割れ程度の片山が馬鹿なささやきを垂れ流したのだからふざけるなといいたくなるではないか。
 それと同じことを岡留はやった。噂の真相なる雑誌の編集長時代に連載陣の一人だった本多勝一氏がリクルートコスモスから接待を受けたと言う第三者の情報を真に受けて、一緒になって確認もせずに本多氏を誹謗中傷した。そして本多氏をいびり追い出したのである。
 さらにこの傲慢左翼は今や沖縄に逃げ込んでゴルフ三昧、さぞかしやりにげして今や安心しているだろうが、護憲保守の私やまともな人たちは見逃さない。岡留の首根っこをしっかりつかんでしっかりと罪を償うまで批判を続けるといっておこう。本多氏はジャーナリストとして信頼をさらに高める一方、岡留は信頼をさらに落としているだけである。

 なお、ビナード氏のコラムをここに何故取り上げたかと言うと、このような意図がある。
 日本人と言うのは表面ばかりを見たがる傾向がある。しかし、大切なのは中身であり問題の本質である。日本てんかん協会が筒井康隆氏の「無人警察」の回収などを要求したことは片山のやったこととほとんど同じであり、私は「ああ、愚かなことをした」とつぶやいたがそのとおりになってしまった。筒井氏は抗議の断筆宣言を行い、日本てんかん協会はマイナス評価を受けることになり、てんかん当事者が社会から理解されるチャンスをみすみす逸してしまった。
 岡留は本多氏を誹謗中傷しただけで、傍観者に過ぎないのである。そんな男にジャーナリストと名乗られては笑止千万である。

 2012-03-25 16:23:31