2013年10月6日日曜日

突っ込み不足作家 高杉良

 今回の書人両断102人目は高杉良である。
 この男、一見は正義の味方であるかのように思えるだろう。だが、私はこの本で不信感を感じた。

亡国から再生へ: 経済成長か幸福追求か
高杉良
光文社, 2007 - 232 ページ
史 上最低の首相・小泉純一郎が登場して以来、日本社会のいたるところで破壊が進んだ。それに続いた安倍晋三政権は、この“負の遺産”に耐えきれず瓦解した。 では、福田康夫政権で日本は再生できるのか?私たちは、いま、亡国に向かう流れを断ち切るべきときに来ている。経済小説の第一人者が書き下ろす企業と社 会、そして国のあり方。

 確かに、小泉やアベシンゾーなどひどい政治家を批判しているのは良く分かる。
 しかし、お粗末だなと感 じたのはライブドア事件。ライブドア元社長の堀江貴文氏を批判しているのだが、高杉はとんでもない事実を隠している。それは、ライブドアを支持した連中は 誰か、ということだ。副社長の宮内亮治がライブドアの粉飾決算(許されないことなのだが、ヤオハンジャパンや旧カネボウ、日興コーディアルグループと比較 して額は少ないため政治的な摘発であると指摘されている)で税理士の資格を悪用し、主導的な立場を担っていた事実を隠している。
 さらに、ライブドアを支えていたのは投機家たちではないのか。それらの上にのっかかった堀江という構造でこの事件は成り立っている。すなわち、神輿型犯罪ではないか。これなら、神輿を担いでいた輩全員も同罪ということだ。
 このことに気がつかない時点で高杉はお粗末なのである。さらに突っ込んでおけばあのワタミ持ち上げである。

http://ameblo.jp/sataka/entry-10691563549.html

神奈川労連 ホームページより引用
2010.3.1
就職2カ月で過労自殺 居酒屋チェーン「和民」の26歳女性
異常な長時間労働が原因と両親が労働災害認定を申請

森美菜さんは26才という若さで08年6月に自殺しました。名古屋から希望に胸を膨らませ「和民」(ワタミ)に就職するために上京した2ヶ月後に…こんな悲惨なことになるとは予期しないことでした。

亡 き美菜さんは京急久里浜店に配属され(1)一週間の座学後、強制的に長時間労働(2)最大7日間連続の勤務(3)研修もまったくないまま、なれない大量の 調理業務(4)休日や勤務終了後もレポート書きに追われ、十分な休息時間がとれなかった(5)体調不良を訴えていたにもかかわらず会社はなんら適切な措置 をとらなかった(6)さらに朝3時に閉店後も電車が動いていないため帰宅できずお店にいて始発電車で帰ることとなり、過度な疲労と精神的負担が蓄積されま した。

名古屋に住む両親が横須賀労基署に労災を申請。労基署は残業時間100時間を超える労働に従事していたことを認めましたが、業務外 と決定しました。その理由は、「心理的負荷評価表」の評価の当てはめかたに、大きな問題があります。美菜さんは一週間の会社の研修が終わり、いきなり交代 深夜勤務さらに残業もさせられたことについて、「勤務形態に変化があった」として評価表の1にランク付けされました。そして長時間労働は認めましたが総合 評価は「中」であり業務外としました。

「和民」の働かせ方に大きな問題があります。所定労働時間、労働基準法を無視して「長時間労働」「連続した深夜勤務」の常態化により美菜さんは心身ともに疲労困憊し26歳という短い生命を絶ちました。

現在、業務上と認めさせるために、両親は労災保険審査官に対し審査請求を行いました。働くもののいのちと健康を守る神奈川センターは両親といっしょに業務上の認定になるよう奮闘しています。3月下旬には結論が出る予定となっています。皆さんのご支援をお願いします。


2012.03.10 04:29
「東京新聞(夕刊)」(2012年3月6日 火曜日)より抜粋
ワタミ入社2ヵ月 過労自殺の元社員 「助けて」届かぬ叫び
「社会奉仕掲げ、使い捨て」遺族憤り

  居酒屋チェーン店「和民」を経営するワタミフードサービス(東京)の社員だった森美菜さんは、入社二カ月後の二〇〇八年六月、二十六歳で命を絶った。先 月、神奈川労働者災害補償保険審査官は、職場での過労による自殺だったとして労災を認めた。夢を抱いて入った職場のはずが―。遺族は「娘のような悲劇を繰 り返してほしくない」と訴え、同社に謝罪や勤務体制の改善を求めている。


 「誰か助けて下さい」。遺品の手帳を開くと、〇八年五月十五日のページには、美菜さんの悲痛な叫びがボールペンで走り書きされていた。その約1カ月後、社員寮近くのマンションから飛び降りた。
 駆け付けた母の裕子さん(五七)は、娘の部屋の光景が今も脳裏から離れない。殺風景な室内に、ピンク色の化粧ポーチ、カラフルな色のシャンプー、リンス。そばにあったレシートが、亡くなる数時間前に買ったことを物語っていた。
 「娘は部屋を明るくして、少しでも気分を変えようとしていたんでしょうね」。人知れず悩み、もがいていたまな娘を母として救えなかった自分を悔いている。

  小さいころから、人に貢献する仕事に就きたいと思っていた美菜さん。そうした思いが、「社会奉仕」を掲げるワタミを志望した動機だった。「深夜まで働く居 酒屋の会社で大丈夫なのか」という家族の不安をよそに、美菜さんは内定後、勉強会や合宿に参加するうち、ワタミの企業理念に心酔していった。

 入社後、配属された神奈川県横須賀市の店舗で担当したのは、調理法や注文が多い刺し身などを扱う仕事。一週間の座学で、調理場に立たされた。
 連日の午前四時~六時までの深夜勤務に加え、休日も課題リポートや、ワタミが設定したボランティア活動に割かれた。
 ほとんど眠らずに、午前七時からの東京都大田区の本社である研修に参加することもあった。それでも一番早く出勤して仕込みをし、無遅刻、無欠勤だったという。

 やがて周囲に「眠い」「疲れた」と漏らすように。勤務実態について審査官は「残業時間は月約百四十一時間に上り、過労による精神的ストレスから自殺した」と認めた。

 亡くなった当日の研修に提出したとみられるリポートは、ワタミへの批判がつづられていた。父の豪さん(六三)は、「ワタミは社員に『奉仕せよ』と言いながら、使い捨てにしている」と憤る。

 ワタミのグループ会社が経営する有機野菜農場で働きたかったという美菜さん。夢を尋ねるワタミの社員アンケートに、こう答えている。「一番興味があるものは、生きるということ。人と生を支える土に関係する仕事がしたい」

「真摯に対応する」ワタミ

  森美菜さんの死後、遺族は二〇〇八年八月、横須賀労働基準監督署に労災を申請。労基署は〇九年七月、「業務によるストレスは中度で過労が自殺の原因とは認 められない」と請求を退けた。遺族は不服として、裁判の二審に当たる神奈川労働局の神奈川労働者災害補償保険審査官に申し立てた。審査官は労基署の判断を 覆し、美菜さんの労災認定が確定した。

 森さんの過労死認定の報道を受け、グループを統括するワタミの渡辺美樹会長が「労務管理できて いなかった認識はありません」と、自身の短文投稿サイト「ツイッター」に書き込むと、サイト上で批判が殺到。渡辺会長は「三日間考え続けた」として、三日 後の書き込みでは「一層の法令遵守。社員に寄り添う会社づくりを約束します」と結んだ。

 ワタミは六日、本誌の取材に「当社で把握している勤務状況は報道されている内容と異なる。決定書の内容を精査中だが、真摯に対応する」と答えた。
 森さんのご両親は高杉の渡邊持ち上げにびっくりして気絶するのではないか。
 この犯罪について私は批判しているし、ワタミについてはボイコットすることをここに表明する。それとも、森さんのご遺族に私財でも提供するつもりか。
 さらに止めを刺しておく必要がある。持ち上げているのは旧興銀の西村政雄である。この人物は無能なアベの叔父に当たる人物でアベに厳しく諫言はしているがとんでもない過去がある。
  尾上縫事件という事件があった。尾上縫という女将が経営する料亭の客らに対して、占いと神のお告げによって株式相場の上昇や競馬の勝ち馬などを見事に言い 当てるとして評判となり、そのために料亭は繁盛した。バブル景気前夜の頃までには、それらの予想も神懸かり的なものとなり、多くの証券マンや銀行マンらが 尾上に群がるようになり、自らも銀行から多額の融資を受けて株式の売買を行うようになった。
 尾上は、バブル絶頂期の1988年には、2270億 円を金融機関から借り入れ、400億円近い定期預金を持っていた。また、株取引では48億円の利益を得、割引金融債ワリコーを288億円購入し、55億円 の金利を受け取っていたが、バブル景気に陰りが見えるとたちまち運用が悪化して負債が増加するようになった。以前から手を染めていた詐欺行為を本格的に始 めた尾上は、かねて親交のあった東洋信用金庫支店長らに架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債 と入れ替え、それらを取り戻すなど手口で犯行を重ねた。やがて証書偽造が発覚、尾上は1991年8月13日に詐欺罪で逮捕された。この時点までに尾上ら は、ナショナルリースらノンバンクを含む12の金融機関から3420億円を詐取していた。金融機関からの借入金総額は、のべ2兆7736億円、支払額はの べ2兆3060億円に達しており、留置所で破産手続きを行った際の負債総額は4300億円で、個人としては日本で史上最高額となった。
 その際に 興銀も融資していた。興銀グループの融資残高は2295億円だったわけだから、バンカーとしての基本ができていないと言うしかない。尾上に夫婦で会ってと てつもない額の融資を決めたのは当時の黒沢洋頭取であったと言われ、その部下が西村正雄副頭取(常務取締役)であった。
 そのことを佐高信氏は 「奥さんに頭取になってもらえばいい」と皮肉った。無論、西村も同様だ。さらに2005年の6月2日号の「週刊文春」によると1999年12月22日みず ほファイナンシャルグループの事業戦略発表記者会見が開かれ、翌日の朝日新聞の紙面に、山田厚史編集員の署名入り記事「『コメ銀行』脱却できるか」が掲載 された。この中で山田記者は三行の頭取・副頭取から横滑りしてきた新しい経営陣に対して、「有能な人たちだが、護送船団時代に活躍し、経営失敗の一例を 担った人たちだ」と厳しく評した。
 これに興銀頭取から横滑りしてきた西村の怒りが爆発し、「朝日が主催する東京国際マラソンの協賛をボイコットする」と朝日の箱島社長に抗議、驚いた箱島社長はさっそく詫び状を出し、山田記者は2年8ケ月もバンコクの支局に左遷されたという記事だ。
 私はこのことを聞いて唖然とした。朝日新聞は失格なのだが、西村も批判を受け入れる度量はないのか。この程度の人間なのだから馬鹿な甥が出てくるのではないか。そうしたことへの突込みが不足している高杉には「突っ込み不足作家」と献上してさしあげよう。

2012-04-01 13:55