2013年10月11日金曜日

誤解される障がい:発達障がい

 今回、発達障がいについて書くことにした。
 この障がいは誤解されやすい障がいである。以前私は、「排除の論理では何も解決できない」というコラムで発達障がい当事者がかかわったある殺人事件の判決もどきを批判した。その際に秋原葉月さんというコメンターが以下の鋭い指摘をしている。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1043.html

人を感情のまま裁けば最後己に返ってくるのに
 人を感情のまま裁けば最後それだけ自分に戻ってくるんです。
 被害者やその遺族の悲しみや苦しみには理解すべきものはありますが、この種の事件の再発を回避するためにはどのような努力をすべきかを行政は尽くすべきでしょう。
 私自身、発達障がい当事者です。この判決を知ってあまりのひどい偏見ぶりに怒りがこみ上げてきました。これで発達障がい当事者は偏見と独断に苦しめられることになります。ただですらアスペルガー症候群への対処が日本は遅すぎました。
 そこに今回の呆れた判決もどきです。私が危惧するのはこのことによって発達障がい当事者は自分の殻に閉じこもることになることです。こんなことが被害者の望んでいたことなのかを考えるべきでしょう。

    2012-08-04(21:49) :
    小野哲

Re: 人を感情のまま裁けば最後己に返ってくるのに>小野哲さん
マイノリティに対する「切断処理」(by観測霊さんのお言葉。goodです)という土壌は日本の根深い病巣だと思います
この判決もまさしく障がい者というマイノリティへの配慮がない切断処理ですよね。
同質化、出る杭は打たれる、長いものに巻かれろ、の国民性も寄与してるんだろうけど、異質なモノやマイノリティへの配慮なんかイラネって風潮が最近とみに酷くなってきてると感じます。これを打破しないと本当の民主主義なんて根付きませんね。

    2012-08-05(05:30) :
    秋原葉月

 秋原葉月さん
 あれから色々話をさせていただいて私自身大いに考えさせられました。たかしさんの「たかしズム」に出てくるお間抜けなネット極右や最近脱原発運動に乗っかかった極左・極右の活動など中身を軽視した社会運動が目立っているような気がするんですね。
 ただ騒ぐだけじゃストレス発散です。以前私は2012年07月31日付の記事「ブログをやっていて思うこと 脱原発に関して思うこと」で 指摘したのですが、「まず大切なのは当面何を優先すべきなのかです。そして、次に大切なのは何を目指すのかです。つまり、NOWとNEXTをきちんと分け て行動すべきなのだと思います」と言及しています。その上で、「最終的なミッションはいつまでに原発を廃炉にして、いつまでに核廃棄物を処理するのかを決 めるロードマップをどのように策定するのか」だと語りました。
 ストレス発散はその場しのぎであり、私はストレスを発生させるものを絶たない限り同じ問題は繰り返されると考えます。その点まだ私はあなたの視点と比較しても切れ味は甘すぎます。
 切れ口をもっと鋭く磨き上げていこうと私は思っています。「かく語りき」ではアニメの言葉などを用いて社会の出来事を解析しようと試みています。これからもよろしくお願いします。
2012-08-03 23:37



荒らし投稿者を精神分析する必要がある

 今回ネットに関してこのような問いかけを行う。
 まずは最初にこのホームページを訪問願いたい。

http://www.geocities.jp/k2osa90/k2osa9o/k2osa9o.html
「Yahoo! 知恵袋」における、自己愛性人格障害者?による荒らしの実態

 これを読んでから、私の経験を聞いて欲しい。
 私がこのブログを立ち上げた際に常連で一人、Sという人物が来ていた。そこそこ面白いことを指摘していたものだから私も応じていたのだが、最初から右がかっている印象はあった。それが決定的になったのは異性への偏見だった。これにはさすがに私も引いた。
  何度も私は「異性だからとても劣っているわけじゃない」と指摘してきたが彼はそのことを受け入れないばかりか私をネット左翼呼ばわりする始末。これには私 も呆れて忍者バリアでの書き込み禁止規制を行ったらまたしてもほかのサイトでも同様の悪事を繰り返す始末。被害を受けた井上静氏もかの人物の書き込みを禁 止している。
 そして、持病の告白の際のアホな荒らし投稿。これで私も完全にキレた。人格障害者であってもSNSを荒らしたり個人情報を晒しても 許されない。IPドメインやどこから書き込んでいるか程度なら法令が容認しているが、個人名称の公開は絶対に許されない。かの人物はそこまではやっていな いが、私を誹謗中傷する書き込みをYahoo!知恵袋で連発している。
 流石に私も呆れて、『この人物は一度のめってしまうとほかのことには目をくれない哀れな男だな』としか思わなくなった。こうした輩に必要なのはネットからの卒業だけである。



 「障害は不便です。でも、不幸ではありません。」(ヘレン・ケラー、乙武洋匡両氏)

  昨年、長崎県西海市の2女性殺害事件で、殺人罪などで起訴された20代後半の被告が人格障害の一種「非社会性パーソナリティー障害」と診断されていたよう だ。だが、弁護士は「捜査段階の調書を前提としており、信用性がない。鑑定の材料が不足していた可能性がある」と指摘しておりまだまだこの事件に関しては 弁護人が推薦する精神科医の精神鑑定を待ってからコメントはしたい。
 その上で今回追加するコメントは障がいに関してだ。
 障害虐待禁止 法、障害差別禁止法案は大いに歓迎はするが同時に言いたい。法律ができても、上から目線で『守ってやる』じゃ意味はない。それでは新たな差別の誕生を意味 する。法律というのは社会で人々がいかに共生するかのルールなのである(それを知らないものが政を語る資格などない)。
 だが、雇用の問題で言う なら日本はいかに安い賃金で労働者をこき使うかしか考えない。そんなものだから、ハローワークにある求人票を見てわかるようにパート雇用や契約雇用がわん さかあるのに正規雇用がないのだから驚きだ。これでは『お前たちは不幸だ、守ってやるよ』ではないか。それでは障がい者は侮辱された気分になる。
 私たちもまた生活者のひとりだ。そのことを認識願いたい。ましてや発達障がい当事者は見た目は健常者なのだが精神疾患の一つなので生活に不便なのだ。そのことにちょっとアシストするだけでも違うのだ。それを理解してからコメントを願いたい。
 2012-10-16 07:00
 
障がい者は共存していけないのか

【社会】

全盲女性の訴えを不当に棄却 名古屋地裁、判決要旨を点訳
2012年9月7日 13時00分
  全盲の鍼灸(しんきゅう)師梅尾朱美さん(62)=名古屋市熱田区=が、名古屋市の障害認定を不服として取り消しを求めた「点字書面訴訟」の判決が7日、 名古屋地裁であった。福井章代自称裁判長は、目の不自由な梅尾さんに配慮して、判決内容を点字訳し、渡した。判決全文も点訳し後日送る。裁判所による判決 文の点訳は極めて珍しい。訴えは、「認定に不合理と目すべきところは見当たらない」として、不当に棄却した。
 梅尾さんは2010年3月、弁護士に頼まない本人訴訟で、点字だけの訴状を提出。名古屋地裁は、全国でも初めて点字の訴状を受理した。その後も、被告の市に答弁書の点字訳を求めたり、市が点字をつけなかった証拠の一部を点字訳し、配慮してきた。
 判決によると、市は障がい者自立支援法に基づく06年の審査で、梅尾さんの障がいの程度を6段階の重度の「4」と認定したが、「福祉サービスの利用時間が減った」など決めつけ09年に最も軽い「1」とした。
 障がい程度は、調査員の聞き取りや主治医の意見書を基に判断され、4から1になるとホームヘルパーの派遣時間が減ったり、デイサービスなどが利用できなくなる。
 梅尾さんは「生活実態や障害は何も好転していないのに、一方的に3段階も下げるのはおかしい」と訴えた。
 福井自称裁判長は、審査には、前回の結果は考慮すべきものとはされていないと指摘。「06年の審査はコンピューターの入力ミスで、誤った認定がされた恐れがある」と述べた。
  認定処分の期間は今月末までのため、控訴して、もし認定が変わったとしても意味がなく、控訴しないという。梅尾さんは生後10カ月で髄膜炎と高熱のため視 力を失った。愛知県立名古屋盲学校を卒業後、30年以上しんきゅう師として働いてきた。今回の訴訟では点字での訴状などの作成に苦労してきただけに判決に 対しては評価と怒りが交錯した。判決内容については「障がい者に対する裁判所の壁は思った以上に厚くて冷たかった。判決文の点訳など、裁判所の努力は評価 したい。しかし判決内容そのものは市の判断を追認しただけ。障がい者の困難や悲しみは全く考慮されておらず、取るに足りないものだと切り捨てた。怒りを覚 えます」と痛烈に判決を批判した。
 中谷雄二弁護士は「障害者特有の生活実態や苦しさを全く考慮しない不当判決だ」と厳しく指弾した。
(中日新聞・しんぶん赤旗)
 なお、福井に関しては憲法の求める良識的な姿勢が皆無のため自称裁判官として社会的制裁を課します。

【社会】「障害者の背中押す」 全盲原告に点訳判決
2012年9月8日 東京新聞・朝刊

  全盲の鍼灸(しんきゅう)師梅尾朱美さん(62)=名古屋市熱田区=が、名古屋市の障がい認定の程度が低かったことを不服として取り消しを求めた「点字書 面訴訟」の名古屋地裁の七日の判決で、訴えは棄却されたが、判決内容が点字訳で渡された。視覚障がい者の団体からは「次につながる」と評価する声が上がっ た。同時に、視覚障がい者にとって、司法への参加が容易ではない現状も浮き彫りになった。
 最高裁によると、判決文の点訳は昨年の民事事件の例があるが、「統計として数字は把握していない」という。
 判決後、支援者らは名古屋市内で報告集会を開いた。傍聴した障がい者や支援者ら約八十人が参加。梅尾さんが「何かを裁判に訴えようとしている障がい者の背中のひと押しになったらうれしい。応援してくれる仲間はたくさんいる」と語ると、支援者から拍手がわいた。
 控訴しても、認定処分の期間は今月末までのため、梅尾さんは控訴は断念する。

 まず、福井自称裁判長には「日本語を勉強したまえ、馬鹿者」と言っておきたい。
 梅尾さんは社会的に自立しようと障がい者の権利を使ってやっているのにすぎない。今回の判決もどきはどう考えても「障がい者は障がい者なのだから黙っていなさい」と暴言したに等しい。発達障がい当事者の私にとっても実に不愉快極まりない。
  この暴挙をしでかした名古屋市と名古屋地方裁判所の担当者どもは全員、アムネスティインターナショナルで5年間研修して来いと私は呆れている。今、障がい者の社会参画が叫ばれている。だが、それは障がい者への自己努力を要求するものだけではあってはならない。社会もそれ以上に寄り添う努力が必要なのだ。
  それがない今回の暴挙にはまったくもって呆れてしまう。梅尾さんに大きな拍手を送ると同時に河村たかし自称名古屋市長に警告する、一刻も早く今回の不当処 分を直ちに撤回し、梅尾さんに土下座で謝罪し、すべての障がい者の社会参画を実現できる政治をやるべきで、今は政局なんてやっている暇はない。それとも、 河村もアムネスティで研修してくるつもりか。
2012-09-09 07:00



バリアフリーと言う言葉が死語であってほしい

【千葉】
障害者の就職 過去最高 法改正の影響大きく
東京新聞 2012年7月1日

 千葉労働局によると、県内のハローワークを介した障害者の就職件数が二〇一一年度、過去最高となった。法改正の影響が大きいという。県内十一のハローワークでの職業紹介状況を集計した。
 年間の就職件数は、これまでに最も多かった前年度を18・4%上回る千六百二十三件だった。就職先は医療・福祉(四百二十七件)が最も多く、卸売り・小売り(三百四十四件)、サービス(二百六十四件)、製造(二百四十三件)が続いた。
 知的障害者が五百七十四件、精神障害者が六百二十九件と、ともに前年度から30・8%増と大きく伸びた。身体障害者の就職件数は六百九十九件(前年度比1%増)。
 新規の求職申し込みは五千九百三十六件(同18・0%増)で、就職率は32・4%(同0・1ポイント増)だった。
 障害者雇用促進法は一〇年の改正前には、一週三十時間以上の所定労働を「就業」と規定していた。改正後は二十時間以上三十時間未満を〇・五人分の就業とみなすようになったことが就職件数増の背景にあるとみられる。労働局は「求職数が増えており、就職サポートなども知られるようになった」と指摘している。
 一方、一一年度の障害者の解雇は三十件あった。解雇理由は事業縮小(二十一件)と事業廃止(七件)がほとんどだった。
(堀場達)

 この事に関しては決して他人事ではない。
 今は詳しい事は言えないのだが、私自身ある決断をしている。その上で、発達障がい当事者として願いたい事をここに述べたい。
 最近バリアフリーなる言葉がかしやかましい。だが、バリアフリーが何でもかんでもいいといえるのか。 障害者自立支援法なる法律など、障がい者の自立を支援する制度とはいえない代物で裁判沙汰になり国が敗北したではないか。バリアフリーなる言葉だけが独り歩きしていて、社会全体が障がい者に厳しい状況になっていると言う事ではないか。バリアフリーといえば手すりをつける、エレベーターなどの設置なのだがこれらは土木工事であって、最大のキーポイントである人の活用が二の次になっている(トイレに関しても言いたい事はある、障がい者専用のトイレはあるが私はおかしいと思う。男女別のユニバーサルデザインによるトイレがあっていいのではないか)。
 この欺瞞を共産党が厳しく批判している。あまり使うのは好まないが、参考程度で使う。

2012年6月22日(金) しんぶん赤旗
障害者総合支援法に抗議 関係団体が声明 「国の法的責任追及」

 障害者総合支援法が制定されたのに対して関連団体は20日、抗議声明を発表しました。障害者自立支援法違憲訴訟団は「政治家の政治責任、政府の法的責任を徹底的追及する」としています。日本障害者協議会(JD)、日本弁護士連合会なども声明をだしています。
 総合支援法は、障害者自立支援法の微修正に過ぎず、障害者が要求した新法とはいえません(重度訪問介護サービスの対象拡大など新たな施策を盛り込んだが、内閣府の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会が出した骨格提言はことごとく採用されず、障害福祉サービス利用料の原則無料化も見送られた)。障害が重いほど負担も重くなる応能負担の仕組みなど、自立支援法の根幹問題を残しています。
 訴訟団は声明で、訴訟提起後、政府と基本合意文書を交わして和解し、当事者参加の障がい者制度推進会議・総合福祉部会が自立支援法廃止後の新法に向けて骨格提言をまとめた経過を指摘。
 この経過に照らして総合支援法の制定は「国が被告として履行すべき法令廃止の約束に違反し、基本合意文書で約束された確認事項をことごとく踏みにじる内容であり、司法決着を覆す国家の許されざる野蛮な違法行為」と抗議しています。
 JDの声明は法制定に抗議した上で、「基本合意と骨格提言は今なお輝きを放ち、障害者権利条約批准に向けた制度改革は前進させていかなければならない」として、運動の決意を述べています。

 ちなみに障がい者が働く施設から優先的に商品を買うよう国などに求める障害者優先調達推進法案は全会一致で可決された。
 だが、私は多国籍企業の日本法人やメジャー企業に障がい者の雇用義務付けなどの人の活用、ブラック会社の業務内容の大幅見直しによるワークシェアリング(当然正規雇用が必須)を優先して行なう事が、即効性の高いものになると考えている。そうすることで社会のあり方を考え直すことが大切ではないか。
 なにも私自身バリアフリーを否定するものではない。たとえば製造の段階でユニバーサルデザインによる製品ならば反対しないし支持する。だが、今の時代は金儲けのためのバリアフリーに成り下がっている。本来大切なのは障がい者が仕事しやすい環境を整備する事ではないのか。
 映画だってさまざまな方法で楽しめる方法はある。たとえばラジオによる映画(視覚)、字幕強化などさまざまな方法はある。車椅子の改善も待ったなしだろう。人と道路に対応しやすいバランスのいい商品を開発して欲しいと思うのは私だけだろうか。つまり、当事者の声のない政策では意味はないのだ。
 いや、バリアフリーと言う言葉が当たり前になってほしいと思う。むしろ、この言葉が死語になってほしいと私は思う。これも考え方では差別主義になりかねないのかもしれないと思うとぞっとする。

2012-07-08 22:29