2013年10月27日日曜日

パブロン中毒さんのアジア考

2013年01月11日
パブロン中毒さんの最後のエントリーから

 私が尊敬していたパブロン中毒さんが英文ブログに専念するため日本語ブログを閉鎖したが、その最後のエントリーをここに転載する。
 なお、著作権はパブロン中毒さんにある。だがこのエントリーはいまの日本とアジアの緊張関係を読み解くには重要なものである。

~真の平和ボケについて考えるの巻~
2012年12月14日 22時21分58秒
Theme: 時事ネタ posted by nothingrealymatters

 北朝鮮は12日、衛星の打ち上げに成功、不安定ながら現在も軌道上にあるらしい…。
 ふむそうですか。
 まあ私が何を思ったかといいますと、
「あっそれなら、なんとしてでも中韓との関係改善をしなくてはならん」
 ということでした。
 北朝鮮から日本にミサイルが飛んでくると、すぐにそういうことがあるとは思っていませんが、思っていなくても、そういうことであれば、まっさきにするべきことは中韓との関係改善。
 そうだと思うけど。
 そうだと思ったけれども、そういうことを言っている人を、見つけることはなかなかできませんでした。
 島国日本でも戦国時代のような特殊なときには、当然のように、「敵の敵と手を結ぶ」とか、「敵の数を減らすために相手と妥協をする」とかいうことが行われていたはずですが、そういう「当然の危機管理」ができなくなって久しい。と思われます。
 北朝鮮を「敵国」というふうにみなすかみなさないかという問題はここではひとまず置いても、国交がない国が新たな攻撃能力を備えたことを示威した、というふうにはいえます。
 「善意」にいうならば、衛星を打ち上げた、でよいのです。
 ですが危機管理上は、そういうことでは済まないわけです。
 危機管理は善意でするものではなく、そして相手が善意だったとしたならば取り越し苦労で済む話だから別にそれでもよいのです。
 ですので、「あっそれなら中韓との関係改善を急がねば」というふうに、思っている人がどこにいるのかなあ、私だけなのかなあ、いやそんなことはないと思うけど、などと考えていました。
 中国との関係改善のほうを、より急がねばなりませんので、政府は尖閣諸島国有化声明をただちに撤回し、田中真紀子を特命大使に任命し、父親の位牌を胸に抱かせて政府専用機に乗せ、それに外相と谷村新司を付けてやればよいのです。
 そして、尖閣問題については、なにごとも日中共同声明の当時に戻すというふうに、再確認をしてくるしかないのです。真紀子には国益のために、せいぜい「号泣」をしてもらいます。
 とにかく戦争はできないのです。
 そして、中国で人気のある谷村に「昴」を歌わせて、大団円のように見せるように努めるのです。
 韓国との領土問題と慰安婦問題については、私案もありますが、今回は仔細には述べないでおきます。
 ひとつだけいえば、韓国との関係改善の「飛び道具」としては、小野哲氏のブログコメント欄でも述べましたように、朴種佑選手を好条件で、サガン鳥栖以外のJ1のいずれかのチームに受け入れることが、最善であると思っています。
 この件を日韓関係の改善のために、ひいては日本の国益のために、うまく生かさない手はないと、思っています。
 サガン鳥栖以外というのは、監督が韓国人(尹 晶煥(ユン・ジョンファン/元韓国代表)氏)であるために、身びいきをしたという印象を避けるためです。
 北朝鮮が衛星の打ち上げに成功した、それじゃ、ただちに中韓との関係を改善しなければいけない、妥協してでもそれをしなければならない、そういうふうに危機感を覚えないならば、やはりそれは「平和ボケ」とか、「島国根性」と言われても仕方がないのではないかと、私は思います。
 そもそも、日本が中韓と「悪く」なればなるほど、在日米軍に足元を見られ、「居てやっている」と大きな顔をされるばかりで、よいことはひとつもないのです。
 また、拉致問題の交渉においても、日本と中韓が悪くなればなるほど、話が進まないに決まっています。

<小野 提言>
 この冷静な指摘を売国奴呼ばわりしていいのだろうか?
 今興奮しているからこそ、冷静な視点が必要なのだ。愛国心は否定しない、しかし、他者を排除して己がすべてであるかのような愛国心ではいけない。日本を愛していることはよくわかるが他者を侮辱するような愛国心ではみじめなものだ。
 今、韓国企業や中国企業と日本は戦えるのだろうか。この10年間で両国はすさまじいまでの意識改革を行った。これでもかこれでもかといわんばかりの競争原理を導入した結果日本企業は両国でのシェアはもちろんお粗末なものになってしまっている。過去の栄光に胡坐をかいだ結果だ。
 だが、ネウヨになりかかっているそこの君たちにもチャンスはある。日本の大企業が見逃しているニーズを敏感に読み解き、サービスで対抗することだ。金融面での支援は信用金庫や信用組合に頼めばいい。たとえばパソコン。今のパソコンは5年持てばいいとされている。そこをCPUやメモリを変えてしまえば10年持つパソコンを開発する、LINUXでもっとも使いやすい日本語版を開発し、ケーズデンキやヤマダ電機の店頭で配布し、対応するオフィスソフト(3000円程度)や日本語変換ソフト(2000円程度)で稼げばいいのである。
 IT一つとってもこうしたアイデアはある。「俺達にはできっこない」としり込みするのではなく、ここで立ち上がる勇気が必要なのだ。アップルコンピュータにしてもマイクロソフトにしてもガレージビジネスから始まったのだ。
 そのほかにもアイデアはある。いきなり通信に参入するのは無理があるが、小さな一歩から始めてみてはどうなのだろうか。

2013年05月28日
パブロン中毒さんにここまで覚悟させるものとは

 小野 哲です。
 私自身今後の方向性などでいろいろとバタバタしておりますが、私に様々なアドバイスをしてくださっておりますパブロン中毒さんのコメントをここに掲載いたします。ここまで壮絶な覚悟をしているという意味を私たち日本人は真摯に考えねばなりません。


 ころよい期会かと思いますので、こちらをお借りして日本のネット状況における私感を述べさせていただきたいと思います。

 「ネットはバカと暇人のもの」という本があるようですが、私は中身を読んではおりませんが、それはまあ日本の場合には「基本的には」かなり当たっているなあと、そう思います。
 日本のヘビーなネットユーザーを表現するのに、これ以上適切な言葉もないのではないかというくらいに、簡潔かつ適切ではないのかと思っています。
 そうしますと、ヘビーな人というのは、必ず「自分はどっちなんだろうか」という話にはなりますが、それはもちろん、誰もが「後者」だと思っているわけです。
 ユーザーが主観的には後者だと思っているから、ヘビーユーザーが発生し、こんにちの状況が成り立っているのです。

 日本のネット状況には、「日本のネットの特異性」というものがあります。
 それは今のところ、「悪いほう」にばかり、作用しているように見えます。

 ①日本のネットの99.9999%(たぶん)は、日本語話者しか利用できない。しない。
 ②日本のネットは、①の状況により、ほとんど日本語のみによって行われるため、「日本語」のもつ「特異な作用」を強く受けている。それは、表意文字による呪力となって作用している。
 ③日本のネットは、日本語話者しか利用できないので、日本以外の国とのリレーションが発生しない。

 ①については、これはいうまでもないことですが、この状況が「普通」というふうに思うべきではないのでしょう。つまり、「他国=日本以外」のネットには、母国語以外の、他言語の共存状態というものが、もっと存在しているはずだからです。
 ですからこれは、日本に特有の条件でして、規模5000万人というものについても、「単一の言語だけで同一国内で5000万人」というものは、かなりのボリュームでしょうと思います。
 ②については、表意文字の場合には、それを見たときに、表音文字と違った作用を脳に及ぼす、と言われています。私は内田樹でそれを読んだのですが、内田にはさらに引用元があります。ここでは詳しくは触れませんが。
 中国の場合も漢字ですが、中国は漢字を表音文字のように使っていると内田は言います。そもそもが中国人は、自分たちが発音している言葉に合わせて「字」を作ったわけです。
 韓国では漢字教育が廃止されて数十年になるし、漢字を表意文字として利用しているのは日本人だけだろうと、内田は言っています。
 必ずしもそうではないのではないかと、最近になって、中国人の人との交流をするようになってからは、私は思うようになりましたが。
 中国人は中国人で、「文字信仰」というものが、古来から強く存在します。私が交流している人の場合でも、漢字に対する扱いは、とても尊敬を伴ったものです。
 話がそれますが、私はたぶん、日本における「呪い」というのは、この場合はもちろん「祝詞=よい呪い」も含めてですが、日本の場合には、独自の文字を持っていなかったことから、それを「言葉に出す、音にする」ことがすなわち「呪いの効果」を発生させていたのであろうと、最初は「発音すること」が呪いと不可分であったのだろうと、考えています。中国の場合には、「字が紙に書いてある」だけで、「声に出して読まなくても」効果があるとされています。ですので、嫌いな人の名前を逆さに書いて侮辱したりしますね。日本の場合でも、「呪いを書いた紙がそこにある」というだけで、効果があるという状態は、というかそういう「信仰」は、けっこうな程度に存在するだろうと、思います。
 ですが、日本の場合にはあくまでも、「呪いは声に出して音にすることから始まった」というふうに、考えるべきではないかと思います。順番から行けばそうなるので、日本の場合には、「字」がないときから、「呪い」はすでにあったと見るべきだからです。
 するとそれは「発声する」ということしかありません。
 そして外来の「字」というものを、「自分たちの使っている言語」に当てはめて、漢字の読み方をいちいち決めてみたり、ひらがなを作って言語の発声が容易になるようにしてみたり、いろいろしましたが、そもそもがそれらの「字」は、すべて、「自分たちが使っていたもともとの言葉」に合わせて作ったものではありません。「入ってきた字」のほうを、自分たちの言葉に合わせるようにしたわけです。そこが、中国人と日本人との、呪いを行う際における根本的な違いであろうと、思いますし、「漢字を使っていても、中国人とは基本的に違うのだ」ということを理解するために、これは押さえておかねばならないことだろうと思います。

 表意文字が人の脳に及ぼす作用は、特に「呪い」を書く場合には有効なようでして、これが、「日本のネットは他人を呪ってばかりいる」という現象に強く作用しているのではないかと、私は考えています。これだけが原因ではありませんが、これが強く作用しているということは、必ず言えるだろうと思います。たとえば私が、英文を書いていて、英文サイトで英文ネトウヨに罵倒をされても、全部表音文字で書いてありますから、
「覚悟しろよ」という文字を見るのと、「Stakes high」というのを見るのとでは、「意味」は同じなのですが、「呪力=脳が感じる恐怖や脅威」の程度が、全然違うのです。
 それは、表音文字であっても、自分への悪口や罵倒が書いてあれば、気持ちが悪くなって、どきどきしてきますが、それは、「表意文字」による罵倒を読んだ場合とは、全然違うわけです。それは、私の母国語であるからだろうと言われてしまえば、それまでなのですが。
 ③については、たとえば、植民地があちこちにあったような国では、自分の国でない国でも、自分の母国語と同じ言語を使っているということが、しばしばあるわけです。
 イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、まあアメリカも入れますか、ですから、「別の国の人」なのに、「同じ言葉を使っている」という状態が、しばしばと存在しているわけです。
 日本でも、台湾などには植民地時代の名残で日本語が可能な、高齢な人がたくさん存在するでしょうが、いかんせん、それは「昔の話」であって、現在の公用語になっているわけではありません。もちろん、そのことが日本にとって残念だとかそういうことを言いたいのではありません。
 韓国においては、もちろん、そういうことを望むわけにはいきません。し、そういう事態は起こっていませんしこれからも起こりません。
 実際に、台湾の人で日本語が母国語並みに操れるという人が、「やあ」とか言って、日本のネットに参加するということは、「ない」わけです。
 ですが、上記の国々では、そういうことがあっても普通でしょう。
 「国が違うのに、自分たちと同じ言語を使っている」という状況があるわけですから、そういう「よその国の人」が、入って来れるという状況があるわけで、それは簡単にいえば「風通しがよい」ということです。
 日本の場合には、その逆なのです。
 日本のネットは、風通しが悪くて、小さくまとまっていて、外国の人が入って来れない、そういうのが、世界から見た日本のネットでしょう。
 いい悪いの価値判断は置いても、それが日本のネットの特異性なのであり、もしも日本のネットが特に「他人の悪口ばっかり言っている」とか、「ネトウヨが大量発生して、メディアや政治を動かすまでになっている」ということなのであれば、それは、「日本のネットの特異性」と、深く関係があるはずだろうと、私は思います。

 私は実は、敗戦と同時に、英語を公用語にするべきだったなあと、そうしてもらいたかったなあと、心の底から思っているひとりです。
 それは、私の「愛国心」とやらとは、直接には関係ないと思います。
 実際に自分が、これだけ英語を操ることに難儀をしていて、映画もドラマも原語では意味が取れない、字幕がないと話がわからない、英文を書くにも、ものすごい回数の辞書引きをしなければならない、英語圏の人と友達になりたくても、こちらの努力ばかりが大きくて、なかなか大変だ、付き合ってもらうのはいいけどしんどいなあ、ハフィントンポストなんかも、英語が母国語ならば簡単に投稿してみるんだけどなあ、ネット環境においても、ほとんどが英語表示ですから、私でなくても困る人が多いでしょう。
 英語が第一言語の人たちというのは実は、「中身がそんなに伴っていないのに、大きな顔をしている」ということが、しばしばあります。
 たとえば、ある話題について、私にはじゅうぶんな知見や、突っ込んだ考察ができると、そういう場合でも、「中身がそんなになくても、英語が母国語」という人のほうが、幅を利かせてしまうわけです。私には、日本語の半分以下の、たぶん3分の1以下くらいしか、英語による表現力がありません。しかもすごく時間がかかります。
 ですから、なにかエラそうにいっぱい書いてあるなあと思っても、時間をかけて読んでみたら、大したことを書いていないじゃないかとか、間違っているじゃないかとか、そういうことは、ザラにあります。
 これが、英語を母国語として育っていたならば、どんなにラクだったのかなあと、思ってしまうのです。
 なおかつ、そうなっていれば、日本のネット状況は、今とは全然違っているはずです。
 そして、そうであれば、ネトウヨが世論を動かし、メディアを動かし、政治を動かす、首相を動かす、ということには、なっていなかったはずだと思います。
 そうであれば、敗戦と同時に英語を公用語にしてしまったほうが、プラグマティックな見地からは、全然良かったはずなのです。
 私は、愛あるリアリストを目指していますが、もしも日本がフィリピンやシンガポールのようになっていても、あくまでも「言語状況的には」という意味においてですが、「平和」が保てるならば、そっちのほうがよかったんじゃないかと思うのです。
 「日本語」を守れても、戦争をしてしまったのでは、意味がありません。
 私は戦争になるくらいならば、日本語を捨てる覚悟をするべきであると思っています。
 そんな大げさな、「日本語」が戦争をするというわけではないではないか、いいえ、そうではありません。
 そうでないからこそ、今のような状況になっているのです。
 「首相」が、「ネトウヨ」なのです。
 「日本語のネット」がなければ、こんなことは起こっていません。
 もしも日本語を捨てて、というか第二言語にして、学校教育や役所を全部英語にして、それで戦争をしないで済むのであれば、そうするしかないのです。
 「必死に日本語を守っていたら、なぜかまた戦争になってしまった」のであれば、その前に、日本語を捨ててでも、諦めてでも、戦争を回避するべきなのです。
 ネトウヨが世論を動かし、政治を動かす状況をなんとかできないのであれば、いっそのこと「日本語」をやめてしまえば、ネトウヨの「呪力」は、必ず、5分の1以下になります。
 その数字は、あくまでも私の感覚です。
 表意文字と、表音文字は、呪いの作用の仕方も、その威力も、全然違うのです。
 威力が大きいからこそ、ついつい「他人を呪いたくなる」のです。
 「効き目がある」からこそ、それをしたくなるというのが、人間というものです。

この記事へのコメント
【パブロン中毒から小野哲さんへのある日の手紙より】

そうでしたか、あの大石さんのコメント欄をご覧になりましたか、さぞかし驚かれたでしょう。
もう、はっきり「なんだおまえもヘサヨか」みたいな。俺に逆らうヤツはヘサヨ認定。
ああなったらもう、「正義」とかなんとかいっても、誰にも信用はされなくなります。
私のことも、同じように思っていたから、ああなったのでしょう。ヘサヨはまともに相手をしなくていいんだと。私がいくら、まともなことを言っていたとしても。
ですので私が大石さんのところにつけたコメントでは、以前のモンゴルの記事だかチベットの記事でしたが、「それをやるのはいいけれども、自分の国の政府が相手の政府との約束を破っているのだから、そっちをやらずにモンゴルチベットばかりをやるというのはおかしい」というふうに指摘しただけで、「モンゴルチベットをやめろ」なんていうことは、一言も言っていないのに「ヘサヨ認定」で「ガン無視態勢突入」ということでした。
今回は、モンゴル関係者と思しき方から、抗議のコメントがあったようですが、それにも大石さんは、まともに取り合う気がないわけです。「どうせ中共の犬になっているヘサヨだろ」と、一蹴してしまっています。
そもそもが、「ヘサヨと思った相手の話は、まじめに聞かない」というのが彼の方針のようです。
大石さんは、ネトウヨです。在特が嫌いなだけです。
韓国人女性が売春しているとかいう記事も、あれだって、何も調べずにネトウヨの書いたネット情報を鵜呑みにしてそういうふうに言っていて、2年前に伊香保で管理売春をさせられていたのはタイ人女性2名だったとかそういうことなんか、なんにも考慮していません。彼はかなりネットに汚染されています。そういえば、「あなたはネットをやめて本を読んだほうがいい」とか、誰かに言われていましたが、まさにそのとおりです。

なお、例のトゥールさんですが、アメーバでブログも持っています。日本に住んでいるようです。英文記事も書いていましたが、あれではあまりにも読みづらいので、私のように拡大強調文字にしたらいいのになあと、なにやら余計なことを考えてしまいました(笑)。
そしてたぶん、あの人は日本に住んでいますから、現地の同胞から送られてくるものをそのままツイッターで公開したり、現地の仲間が言っていることを、そのまま拡散しているのだと思います。ですから、彼自身もおそらく、真偽がわからないままやっているはずです。
ですが、彼にとっては、「中共は悪魔だ」ということさえ拡散できれば、それで自分の使命は果たせているわけですから、それでもいいわけです。何か文句があれば、「現地の仲間がそう言っている」と言っておけばいいわけです。
それに、特定の「写真」の内容が彼のキャプチャーと合致しているかどうかということは、わからないわけです。ですが、実際に残酷なことは過去にも、今もされているのかもしれませんが、ですので特定の写真を指して「プロパガンダだから無意味だ」と言い切ることにも、抵抗はあるのですが、トゥールさんのやり方というものには、かなり問題がある
といえるでしょう。自分は安全なところにいて、そして現地の仲間の言うことを鵜呑みにして拡散するという作業をしているわけですから、問題はあります。どこかのメディアが責任を持って拡散している情報ではないからです。
さらに、彼や彼の仲間が目指している「中共は悪魔だということを世界に認めさせる」についてですが、そのやり方自体にも、私は今はあまり賛成できないですね。というのは、中国人というものが、どういう人々かということをなんとなく知って、そしてたぶん、政治を仕切っている人たちはこんなふうな人たちで、こういう行動をするのではないかということに漠然とでも想像がつくようになったので、「悪魔だ」というふうには、言い切れないところがあるからです。
要するに彼らは「中華」なわけなので、「自分のほうからへいこらはできない」「自分のほうから愛想を売ったりはできない」ので、それをするのは「相手が儒教の作法に則って、礼儀正しく接してきた場合だけである」わけです。それ以外の場合には、「この礼儀知らずの蛮族め」というふうな、「無愛想」な態度になるわけで、それについて彼らは中華なので、「これこれの理由で無愛想をします」というふうな「言い訳」をしないのです。この、「説明・言い訳をしない」というところが、中国政府が最も損をしている部分であろうと、私は考えています。彼らのネット工作が上手く行っていないことについても、同じ理由です。言い訳や説明をせず、愛想を振りまくこともしないので、どんどん悪く言われてしまいますが、中華な人たちは、そういうことができないので、どうしてもそうなってしまいます。中国政府のスポークスマンの会見なんかを見ると、それは一目瞭然です。彼女は、「中華」を全身に背負っているわけですので、彼女の態度こそが、中華な人たちの取るべき態度なのであり、そこに「必要以上の悪気がない」としても、悪く思われてしまう場合が多々あるわけです。
私が交流している中国の方についても、そうです。彼も、こちらが礼儀正しくしたからこそ、ああいうふうに親しげにしてくれますが、そうでない相手に対しては、全く違います。自分から愛想を売ったりは、絶対にしません。それが中華な態度であって、中華な国というのはそもそもが、その「皇帝の権威」によって、何もしなくても「周辺国から貢物が来る」ということになっていたわけですから、今でもそうなるわけです。まあ、別の言い方をすれば、「待っている」という受け身な状態なわけです。それに、何もしなくても、遊牧民が勝手に侵略して来ますから、来たものについては、追い払わねばなりません。
ですから、「中華である」というのは、基本的には常に受け身であるということでもあります。周辺国の態度が悪くなったら膺懲しなければなりませんが、それだって、「相手の態度が悪くなれば」という話なので、受け身なのです。
そのような中華な態度がどこまでどう良いか悪いかというような価値判断というものは、あまりにも難しいので私には不可能ですが、なおかつモンゴルチベットに対しては、「過去」に侵略されたという、遊牧民族に対する恨みがありますから、なおさら「復讐心」に燃えているということと、「二度と侵略はされないぞ」という危機意識もあるわけです。
たぶん、漢人にとっては、「遊牧民を支配しておくことは、自衛のためである」という意識が、高いはずだと思います。

まあそういうようなもろもろを思いますと、トゥールさんのような人は、取りあえず日中戦争を起こさせたくないと思う人にとっては、迷惑な存在ではあります。彼は「ある程度は自覚的に無責任」でありましょうし、それなのに、日本の右翼を煽り、巻き込んでいるのです。平気で「支那」と言うような相手が、しばしばと彼のツイッターに登場しています。当然、ネトウヨです。
要するに、中共は「絶対悪」だから、日本の右翼とモンゴルチベットの民が、手を組んで一緒に悪魔を倒しましょうというような、ネトウヨにとっては、もはやガンダムの世界にいるような認識なのだろうと思います。
あれらのネトウヨらが、何をどこまで現実のものとして認識しているのかなんて、はなはだ怪しいものです。アニメやゲームの世界の延長として、モンゴルチベットが、そしてトゥールさんが調達してくる「残酷な写真など」が、彼らの前に提供されているのではないでしょうか。

私の考えといいますか、とにかく「戦争回避」ということくらいしかありませんが、あとは、戦争にならないだけでなく、日中は40年前に戻って、「親しげなふりだけでもする」という状態になるということが、望ましいと思っています。
そういう状態にならなければ、モンゴルチベットのことで口をはさむなどということは、どだいが不可能な話です。相手が中華だからです。
ですので自分の国の戦争を回避するという意味合いにおいても、さらに実際にモンゴルチベットについての発言権を持つに至るという意味合いにおいても、日中友好が最優先のはずです。
また、移民についても、小野さんのおっしゃるとおりに、モンゴルチベット問題に口をはさむ口実として、持ち出せばよいのです。その通りです。
ですがその前に、40年前の「親しげな状態のふり」に戻らねばなりませんで、これは、田中角栄がそれに成功したということは、彼は中華な相手の扱いを知っていたということで、儒教の礼儀に則って振る舞ったので、周恩来の大盤振る舞いが出たわけです。
これは、朝貢の3倍返し5倍返しと、相手の考えていた意味合いは同じはずでして、中華だからそうなったわけで、礼儀正しい相手には、何倍にもして報いてやらないと、「中華な立場が保てないから」というのが、根本的な原因です。田中は、よほどに上手くやったのでしょう。

本来ならば、トゥールさんのするべきことは、もしも「目的」が、日本を利用して同胞を助けるということにあるのならば、日中友好を後押しして、そして小野さんのおっしゃるような形で日本に介入をさせるという道が、最も穏当なのではないでしょうか。ですが、たぶん、誰しも同じでしょうが、自分たちの土地を奪われて追い出されることには、とても同意できない、とにかく中共に打ち勝って、追い出して、独立自治を勝ち取ってやるんだと、それまでは誰が何人死んでも絶対に屈しないと、そういうことですね。
ですが、それをいつまで続ければ同胞がラクになれるのかということを考えれば、私や小野さんの推薦する方法のほうが、もしかしたら、ずっと早く実現するかもしれないと、思うのですが、そっちのほうが現実的な方法なのではないのですかと、ですがそんなことには彼は聞く耳などはないでしょう。
なにしろ現状では、彼が日本の右翼と意図的にくっついてしまっていることが、私にとっては、頭痛のタネなわけです。ああいう人が日本にいるのは、かなり迷惑だと思いますね。日本には、日本の国益があるわけです。
Posted by パブロン中毒 at 2013年06月30日 23:57