2013年10月28日月曜日

金融ビックバンの果てに 第一火災の場合

2012年04月30日

 ハシゲバカ殿暴政でも、おそらく再建は不可能の会社があった。
 第一火災海上保険という会社で、損害保険契約者保護機構を経由して今は損害保険ジャパンが契約を引き継いでいる。この企業の歴史を追いかけていこうと思う。



1949年8月1日 戦後初の相互会社形態の損保会社として「第一火災」創立。後の日本生命会長弘世現(成瀬家六男の現が、日本生命オーナー家の弘世家に婿入りした/1904年5月21日 - 1996年1月10日)氏が、三井財閥解体時、その整理に奔走し最後に貧乏籤をひき不遇をかこっていた兄、成瀬雄吾(三井総元方理事附)氏を経営者に招いた。
1963年6月 保険期間10年の積立保険「マルマル保険」(火災相互保険、傷害相互保険)の販売開始。これが売り上げの大半を占めており(積立保険料含む元受正味保険料の75・8%、正味収入保険料の42%)、損保会社では唯一、生保型のポートフォリオの会社で、超低金利の長期化でまともにダメージを受けた。
1996年10月 人的資本的に結び付きの強かった関係が深かった日本生命とはニッセイ損保(現あいおいニッセイ同和損保)の設立で関係が断絶する(両者の役員間でも軋轢があった)。わずかな日本生命の基金拠出(株式会社の資本金に相当)(ただし80%)こそ第一火災側の懇請により留保されたものの、財務部門、一般保険営業部門に派遣されていた有能な役員、上級管理職全員がただちに引き揚げとなり、事実上の提携関係全面解消となる(この時、引き揚げていく日本生命からの転籍者の中には、第一火災の行く末を思い、「第一火災は、あと3年もたない。」と告げていく者がいたと言われている)。また日本生命の紹介等を得て獲得した大型法人契約、共同保険契約等も順次切り替えられる様相となる。
1997年 年度末のソルベンシーマージン比率が259・3%と経営不安に陥る。
1999年11月 旧・協栄生命保険(現ジブラルタ生命保険)と業務・資本提携。300億円の資金拠出を受けて基金を従来の35億円から416億円に増額(協栄生命の基金拠出割合73・8%)、98年度末で330%に引き上げた。
2000年4月10日 資金の運用難から約500億円の債務超過を抱え、当時の金融監督庁(現在の金融庁)から資本増強と再建計画の策定を要求される。
2000年5月1日 金融監督庁に自主経営再建を断念したことを伝え経営破たん。行政手続きで損保会社初の破綻処理へ移行する。
2000年10月20日 協栄生命保険も連鎖的に経営破綻。第一火災に対して劣後ローンの取り入れ、優先株式の割り当て(第一火災の優先株式持ち株比率80・5%)をバーターで行って、ソルベンシーマージン比率を97年度末の300・7%から98年度末343・2%に引き上げていた。
2001年1月30日 損保契約者保護機構が第一火災との間で保険契約引受に関する契約を締結。契約条件の変更により責任準備金が10%削減され、地震保険、自賠責保険を除く保険の保険金が10%削減される。積立保険マルマル保険の返戻金は最大42・5%(93年2・3月契約、20年満期・一時払型)削減される。第一火災は清算され、50年の歴史に幕を閉じる。
2001年4月1日 解散。同社の保険契約を全て損害保険契約者保護機構に移転し、保険業法第152条第3項第1号の規定(法定解散事由)に基づき、会社の解散という事態にまで追い込まれた。
2001年4月2日 損保契約者保護機構は4月1日付で第一火災の保険契約を引き継ぎ、2日から保険金支払い業務等を開始。同機構は1日付で移転契約の業務統括を行う管理本部を設置するとともに、契約照会への対応、解約、事故通知の受付等を行う組織として100%子会社の保護機構事務サービス㈱を立ち上げた。その後ジブラルタ生命は、「虚偽の財務内容の説明に基づいて資本提携をしたことにより損害を受けた」として、第一火災に対し、拠出した基金(株式会社でいう「資本金」に相当)の293億2千万円の損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。第1審では第一火災側が一部敗訴したため、双方が控訴。
2005年3月28日 東京高等裁判所において、第一火災側が100億円をジブラルタ生命に支払うことなどを条件として、訴訟上の和解が成立した。
2006年3月3日 清算終了。8日付で登記簿が閉鎖され(=法人格消滅)、名実ともに57年の歴史に幕を下ろした。

 新自由主義は人々を幸せにしたのだろうか。
 インド人の哲学者、思想家、社会改革者、詩人、作曲家、言語学者として知られるプラブハット・ランジャン・サーカー(Prabhat Ranjan Sarkar、1921年5月21日 - 1990年10月21日)は進歩的活用理論を唱えた。すなわち、「資本家の心理は貨幣の回転から利益をあげることにあり、貨幣の投資が期待するほどの利益をもたらさないと見れば、投資を引き上げ、貨幣の回転をストップし、不活性にする。そこには、投資、生産、収入、購買力がなく、この事態は危険であり、商品の購買力が低下するほど事態は深刻なものとなる。経済の領域においては二つのことが非常に重要である。第一に、貨幣の循環を維持しなくてはならない事で、貨幣が購買力として活用されないときや滞留したままであるとき、経済はダメージを受ける。第二は、貨幣が経済的な均衡と安定を図る能力を失うと富の不均衡を引き起こすということである。この二つの根本的な要素を少しでも忘れると、世界規模の経済恐慌が起こる。もし国家資本主義が搾取する事を追求せず、一人ひとりの個人の収入を増加させるならば、私たちは国家資本主義を称賛せざるをえません」と指摘している。
 資本主義も共産主義も、ある意味では双子の存在であるとあのミヒャエル・エンデ(作家, 1929年11月12日 - 1995年8月28日)は指摘している。これはサーカーの指摘と重なっている。

 共産主義と資本主義は双子のようなものだと考えています。お互いの存在を証明する、敵対する双子とでもいいましょうか。共産主義が消滅した今、資本主義は突然独りでその存在の妥当性を証明しなければならなくなりました。そしてそれが不可能なために危機が訪れるというわけです。『筑紫対論』
http://twitter.com/#!/Michael_Ende_jp/statuses/162637249664647168

 サーカーによれば、「世界のほとんどの国は、資本主義国、共産主義国を問わず、経済的な中央集権政策をとってきました。資本主義諸国の経済は少数の資本家や少数の資本化団体に集権化し、共産主義諸国の経済は党に集権化しています。実は、中央集権化した経済においては経済的搾取を根絶することができず、一般の人々の経済問題を永久に解決できません」とのことだ。
 ここから先の解決方法については賛否両論があるのでここでは述べないが、徐々に移行していくことは可能である。たとえば協同組合による運営を強化していくことだ(たとえば)。たとえば全労災のような形が保険ビジネスでは望ましい。個人年金もたとえば全労災のような組織があればいいのだが、日本では見当たらないのだからお粗末だ。ただ、サーカーは思想家でもあると同時に宗教家的な側面もある。私はオウム真理教にならないよう強く願っている。
 そうした側面で見ても、TPPが時代遅れであることは明らかだ。効率優先で物ばかり作った結果ものあまりがはびこっているではないか。それであごが出ているのはアメリカで、アメリカは日本にそのことを押し付けようとしている。絶対に日本は拒まねばならない。