2014年3月15日土曜日

人権派最大の危機

 いま、人権派が最大の危機を迎えている。
 そのきっかけは、東京都知事選で鎌田慧がやらかした取り返しのつかない失態である。新自由主義の細川護煕を不当に擁護し、正統東京都知事であられる宇都宮健児氏に不当に立候補を辞退するよう迫ったのだ。
 この行為はとんでもない行為であった。そもそも、宇都宮氏は最初から細川との候補者一本化については公開の場での議論でなら応じると明言していた。それを細川は回避し続けてきた。その不誠実さに呆れた宇都宮氏は立候補を決意したのである。 その事情を知っている以上、「数は力だ」とまで言い放つことに対し私は凄まじい違和感を感じた。
 なるほど、この違和感は浅野健一にも言えると私は感じた。浅野は創価学会との癒着が凄まじい事で知られている。彼らに欠けているのは被害者やその遺族の痛みそのものである。そして、問題なのはそれに対して本村洋に代表される感情的厳罰主義者どもなのである。彼らは憎悪で憎悪をいやせとわめいているが、明らかに欠けているのは犯罪の発生構造そのものを突き崩すことなのである。
 たとえば数年前、クレーン車運転手による交通事故があった。運転手はてんかん当事者だった。遺族は感情的厳罰を不当に要求しその挙句の果てには民事訴訟で金までせびる傲慢さを発揮している。私はそういう傲慢さを絶対に許すわけにはいかない。そのことに対して浅野は口をつぐんでいるが、間違っている。
  てんかんに対する理解をかえって歪めるだけではないか。浅野はオウム真理教で色々と言っているようだが、麻原彰晃の四女は麻原の死刑には賛成している事実に対しては逃げている(因みに補足するが四女は麻原の神聖化が死刑によって成立する危険性を指摘している。ちなみに東北学院大教授の浅見定雄氏は麻原の死刑に反対しており懲役1万年刑を言い渡し、被害者遺族に一日中面会させるべきだと指摘している)。
 その浅野や鎌田、宇都宮氏が執筆している週刊金曜日は今、最大の危機を迎えている。細川を持ち上げた佐高信はサンデー毎日とトラブルになり自ら編集を打ち切った。その対応しかできなかったサンデー毎日には情けないとしか言いようがないのだが、佐高もネットに対して不信感ばかり持っているようで、ブログを始める気配もない。
 同じ罪は落合恵子もやらかした。そうして彼らは焦りで自滅したのである。こうした人権派がまともに機能できると言えるのだろうか。私は、週刊金曜日の再編集を行うべき時期に来たとみている。月刊誌を新たに立ち上げ、佐高・鎌田・浅野を編集委員としていかせる一方、週刊金曜日編集委員に作家の井上靜氏、弁護士の伊藤眞氏を新たに招き、実業家の辛淑玉氏を復帰させて作家の雨宮処凛氏、宇都宮氏、浅見氏と金曜日のねじを巻きなおすべき時期に来たとみている。
 不可解なのは本多勝一氏だ。なぜかこの東京都知事選では口をつぐんでいた。週刊金曜日には事なかれ主義がはびこっているのではないか。 それではいけない。